笑顔溢れる会議
「さて、報告だな」
「はい」
その後、戻ってきたルルたちと挨拶を交わし、夕飯の時間を待つまでの間。
ルルとサロメはまたお色直しのような簡単な準備に入り、僕とオトフシは、いつものブースで向かい合った。
オトフシが珍しく疲れた溜息を吐く、隠しているようで小さくだが。ようやく座れた、とばかりに背もたれにも背を預けていた。
「お疲れのようですが」
「やはりいつもの茶会とは様相が違っていてな。……他人事ではあるが、見ていて疲れるとはこういうことだと久々に思い知ったよ」
「ということは、ルル様のほうは相当……」
「疲れただろうな。勇者のルル・ザブロック狙いはもはや公然の秘密だ。それも含めて、質問攻めを凌ぐのに面倒そうだった」
「…………」
オトフシがそう言うのならば、相当だったのだろう。しかし、成果は……。
「それで、ルネス・ヴィーンハートの方は」
「快く助力を申し出てくれた。むしろ向こうからといったところだな。さすがに、嫌がらせの件は向こうも承知ではなかったらしいが」
「……ルル様の反応は?」
「そう嫌そうな顔はしていなかったと妾には見えた。それはあとで本人に聞いた方が早い」
「そうですか」
ルルが、反発を示さなかった。
その『快く』が本心かはわからないが、一応味方ということでいいのだろう。それもまあ、ルルに聞いた方が早いか。
一度オトフシがまた溜息を吐くために、と上を向く。首の前側を伸ばして、背中の骨を鳴らして。
そしてまた僕へ向けて顔を戻すと、疲れた顔を嘲りに染めた。
「しかし、お前も心穏やかではないようだな」
「何の話です?」
「ルル・ザブロックの呼び方が、ここ数日で変化している。ルル様からお嬢様へ、そしてまた、ルル様へと」
「…………」
オトフシに指摘され、僕は背筋を正す。そういえば……そうか? あまり自覚していなかったからわからないけれども。
「ひとまず仕えている、ということから、一意で示す名前で呼んでいた。しかし何かしらのことで、そこから身内であると無意識に感じ、それからまた戻した」
オトフシが言いながら、指を手首から左右に振って、変えた立場を示す。
「つまり、距離を取った」
「……そういうこと、ですかね……?」
言われてなるほど、とは思ったが、それでもわからない。わざとやっていたわけではないし。
「……妾に報告していないことがあるな? 特に、先ほど勇者に呼ばれた後に」
「…………」
僕のルルの呼称からの推測。それにしては随分と正確な気もするが、それでもそんなにわかりやすかっただろうか。まあ、昔からたまに、わかりやすいと言われたっけ。
……しかしこれは言っていいことだろうか。いや、公然の秘密だし、それに口止めもされていないから道義上を除けば問題ないんだろうけれども。
いや。言う必要があることだろうか。これはルルの直近の警護には何も関係が……。
僕は溜息を吐く。
一応、あるか。そのために嫌がらせが始まったのだから。
逡巡を終え、それとなく僕はルルたちの様子を確認する。まだ部屋から出てきていない。それでも少しだけ声を潜めておくべきだろうか。
「勇者に告白されましたよ。『ルル・ザブロックに一目惚れしました。協力してください』と」
「……っ……ほう」
噴き出しかけて、オトフシが平静を保つようにわざとらしく咳払いで誤魔化してから応える。それでも嘲りの笑みが大きくなった。
「そして帰り際、侍女の方からは『協力出来ないならそれでもいいが、邪魔するな』と」
「ほう、ほう」
腕を組み、面白そうにオトフシが唇を歪める。目の方は確実に笑いを堪えていた。
「なるほど、なるほど」
組んでいた腕を解き、オトフシは身を起こすように座り直す。一応表情は礼儀正しい微笑みに戻してはいるが、もうその表情は愉悦にしか見えない。
そしてもう一度溜息を吐いて、今度は真面目な顔で目を逸らす。
「勇者にそんな甲斐性がある印象はない……が、そのお前への協力要請は勇者の本能的なものか? それとも、侍女の発案か……?」
「わかりませんが、侍女は勇者が僕にその話をすることを知っていたようですね」
「ふ、ふふ……」
真面目な顔もまた崩れ、オトフシは顔を逸らして笑いを堪えきれないようで肩を揺らす。
「笑い事でもない気がするんですが」
「……いや、つまらない嫌がらせの話から一転して、面白くなってきた。間違いなくな」
にやにやとオトフシが笑う。僕としてはやはり同意出来ないのだが。
「それで? お前は協力するのか?」
「出来ませんね。僕はそういうことには不慣れなので」
そもそも、勇者とルルの仲を近付けようとしたとしても、その方策は浮かばない。まめに手紙を送る、かもしくは頻繁に会いに来る、というくらいだろう。
後者は何か名前がついていた気がする。単純接触効果だっけ。
「好みの話題や何やらを聞かれましたが、僕は知りませんし」
「知らない?」
「…………」
オトフシが、僕の言葉の最後を繰り返す。その言葉に応えようとして、何故だか僕は言葉に詰まった。しかし、きっとそうだろう。
「…………ええ」
「フフン」
しかし僕が答えると、オトフシが鼻で笑う。そしてちょうどルルたちの着替えや化粧直しも終わったらしい。そちらの扉が開いた音に、僕たちは揃って顔を向けた。
オトフシが、立ち上がり僕へ向かって指で合図を送る。
「では、今後の相談だ」
「向こうでですか?」
いつものようにオトフシと僕とだけで、と思ったが、まあそれも順当か。今回はルルやサロメも交えたほうがいい。
僕も立ち上がり、裾を払った。
サロメが用意した冷めているお茶が配られ、僕たち全員が椅子に座る。
先ほど昼食を取ったときに置いたダイニングテーブル。上座にはもちろんルルで、対角線を挟んだ横にサロメ。反対側の両端に僕とオトフシ、と配置も先ほどの昼食と一緒だ。
しかし、そのせいだろうか。もしくはダイニングテーブルという机のせいだろうか。皆行儀よく座っているはずなのだが、なんとなく頭に『思い思いに』とついていそうな気がした。
紅茶の中でピキと音がする。希望者には王城から毎日配布される氷。その氷が、温度のせいで中で割れた。
そんな音に気が取られた一瞬。ルルが咳払いをして、誰も喋らなかった中口を開く。
「先ほどの茶会で、ルネス様が助力を約束してくださいました」
僕とルルを除いて、二人が頷く。僕はオトフシの方をちらりと見たが、それでルルも察したのだろう、ルルもほんのわずかに首を動かす。
「その上で、先ほど考えついた私の考えを述べてもいいでしょうか」
「…………」
そう続けたルルに、皆が無言でルルを促す。真面目そうな顔を取り繕っていたルルが、そんな雰囲気に逆に緊張したのだろう、怯むように少しだけ表情を緩めた。
「何かあったときにルネス様に助力していただけるとしても、私が外へ出れば監視の目が必要な事態です。必要な時を除き、外へは出ない、としたいのですがどうでしょうか?」
そう言って、ルルは僕たちを見渡す。
僕としては特になにも異論がない。というか、やはりそれが最善手だろうと思う。
出来れば王城から去る。そうすれば嫌がらせも何も出来ないし、これ以上の風評は出ないだろう。そしてそれが出来ないから、あとは部屋に籠もる。こちらも、聖騎士が『部屋から一歩も出ていませんでした』とでも言えばそれ以上何も濡れ衣は着せられまい。
しかし、サロメがおずおずと手を上げる。それからルルがそちらを向いたことを発言の許可と取ったのだろう、サロメが口を開いた。
「それは、食事会やお茶会なども含めて、でございますか」
「……そのつもりです。食事会は自由参加に限られますが」
ルルが頷く。
まあそうするとルネスへの相談なども全て無駄になるのかもしれないが、こちらはこちらで出来ることをした、ということでいいのかもしれない。
「聖騎士様たちへと届いた陳状は、私の態度や行動が悪かった、となっていたはずです。なら、私が出なければ問題はなくなります」
「まあ……」
サロメが納得いかないような声音で、それでも納得したような溜息を吐く。
「そうすると、次の疑惑が出るのではないでしょうか?」
「…………?」
オトフシが不意に発言し、ルルが首を傾げる。オトフシは、頬杖でもつきそうな程姿勢を悪くしたような印象があった。
「『ルル・ザブロックは、使用人たちに命令をして城内の治安を乱している』と」
「……なるほど」
そしてオトフシの言葉にルルは頷いた。なんとなく、身分とかそういうのが無視されている気がする。
でもたしかにそうだ。
ルルが出ていない、というのはまあ証明出来る。しかし、出入りをしている使用人に命令して嫌がらせをした、ということは否定出来ない。
もちろん、ここにいるルル以外の誰かがどこかの令嬢のスカートの裾でも踏んでしまえば、それだけでまずいことになるのでそもそもそんな嫌がらせはしないのだが。
「しかしそれ以上に、そのような迂遠なことはしないほうがいいと私は思いますが」
「迂遠とは?」
「………………」
そしてオトフシの言葉に、今度はサロメが首を傾げる。そしてルルは、少しだけ俯いた気がする。
オトフシはサロメには答えない。ただ、ルルだけ見ていた。
「外へ出ない、というのは私やカラスにとってもありがたいことではあります。警護の手間もほとんど省けて、仕事は楽になる。……しかし、やはり晩餐会などに出られないのであれば確実にミルラ王女の心象は損なうでしょう。それに、出てこいと命令されるのも目に見えている」
「…………では、命令が出るまでは、ということにしては?」
「……なら、しばらくはよいかと」
オトフシとしてはまだ言い足りなさそう。しかし、ルルにそれ以上の反論はしない。
なんだろう。みんな、言いたいことを言えていない気がする。そもそも発言も出来ていない僕が言えることではないのだけれど。
オトフシからの追加もない。そう確認したルルは、小さく咳払いをする。喉の調子はそもそも良さそうだが。
「では、決まりですね。食事などは誰かが取りにいくとして、……むしろここで作ってしまいましょうか?」
「料理などを出来る人が限られてますけど……」
料理を出来る人間がここにはほぼいない。サロメもルルの朝食などで軽食は作っているが、きちんとした食事となれば少し怪しいし、オトフシも多分出来ない。僕も、人に出せる物はつくれない。ならば、もう作るともなれば一人しかいないのだが。本来立場的には一番作らせられない人物が。
そう僕が言うと、ルルはおずおずと手を上げた。
「……もちろん、私が……」
「…………」
僕は心を読むなんて能力はないが、ここにいるルル以外の全員の心の声が揃った気がする。
『是非ともお願いします』と。
しかし、そこまで喜ぶわけにはいかない。毎食作ってほしいけど。
「……食材などの手配などがとても大変になるので、あまり現実的ではないかと」
サロメがそう言う。その表情が口惜しそうに見えたのは多分僕の勘違いではないと思う。
そして、サロメの言い分もわかる。
サロメが作っている軽食などとは食材の量が違う。
今回はわざわざ買い出しにまで行ったのだ。外出出来ずにそれが無理なら、食材をわざわざ王城の食堂から貰ってくるしかない。なら、食堂から料理そのものをもらってくればいい。
それに、やはり毎食は面倒だ。一日二日ならば気分転換になっていいとしても、十日も続けば多分どこかで嫌になるだろうし、そんな嫌なことをする姿を見たくない。そうでもないなら一考出来るけれど。
「私も、個人的にはルル様の料理をまた食べたくは思いますが。なあ? カラス」
「…………ええ。本当に」
突然オトフシから僕に振られて、答えは一択で先ほど思ったことなのに何故だか口ごもってしまう。これは、恥ずかしいのだろうか。……多分、そうだと思う。
「しかし今日のあれは、食材などを吟味するルル様の目があってのことでしょう。ならば王城の食料を目利きする、としても、出られないならば相当量の食材をここへ運び込む必要がある」
淡々とオトフシがそう告げていく。
「もちろん、王城で使われている食材です。どれもこれも一級品なので選ぶ必要もないとは思いますが、そもそも食材を今以上に分けて貰うには食堂へ話を通す必要があります」
オトフシの言葉に、ではとりあえず食材はザブロック家から……と僕の頭に反論が浮かび、消えていった。それはレグリスが許すまい。
ザブロック家のお抱えの料理人に作らせる、もしくはルルの趣味、というのであればまだしも、三食の普通の食事をルルが作るともなれば体面が保てない。
「その上三食毎回その小さな竈で作るのは、どこかで限界が来ると私は考えますが?」
「……それは……慣れてますし……」
「……まあ、その辺りはルル様の判断の方が正しいと私は思います。しかし、やはり食料搬入のために目立つのは今は避けたいことですな」
オトフシがそう言い切る。
簡単に言えば籠城策。その辺りも考えなくてはならないか。
そして、オトフシのその言葉は何となく考えていなかった。そうだ今目立つのは駄目なのだ。勇者が何かしらをして目立つことにはなりそうだが、それ以外はおとなしくしていなければ。
目立ってはいけない。本当に面倒な人間界のしきたりだ。そうしなければ石を投げるというのが、人間たちの本能のようなものなのか。
……しかし、そうするとどうだろう。
部屋から一歩も出ない、近況のわからない令嬢。それもまた、何もわからなければ不気味だとか何かしらの因縁をつけるのではないだろうか。
ルルの籠城策。いい手だとは思ったが、やはり駄目か。この王城から立ち去るならばともかく、ここにいるのに姿を見せないのもやはり不味い気もする。
注目している人物が最近姿を見せない。もちろん目立たない人物ならばそのまま忘れ去られてしまうのだろうが、今回は勇者がいる。
否応なく、これからルルは目立つことになるだろう。なのに何も情報がないとすれば、人はそこに不安を見る。
それが不安で終わればいい。だが、悪意ある誰かがその不安を感じたら、きっとそこからありもしない悪意を感じ取るだろう……と思う。経験上。
それを防ぐためには、籠城しながら姿を見せる必要がある。さりげなく。
アネットに頼んで噂でも流して貰おうか。……いや、それが駄目だからという話だった。
「まあ、朝と昼はいつものようにサロメ殿か、もしくはルル様に軽食を自ら作っていただく。夕食はカラスかサロメ殿が搬入する、ということでいいでしょう」
「…………」
結局はオトフシは、その仕事からさりげなく自らを除いた。ここまで口出ししたのはそれが狙いだろうか。
その抗議に何となくオトフシを見ていると、そういえばともう一つ気が付いた。
「そういえば、ルル様の分だけなのでそんなに量はいらないんですね」
僕やオトフシ、サロメは従業員用の食堂へ行けばいい。いつものように。
もしくはまあ、サロメもルルの相伴に預かるとして、僕とオトフシは。
ならば先ほどの、運ぶこむ食材が大量になるという話。あまり意味がないのではないだろうか。
僕が言うと、サロメが「あ」と小さく声を上げる。僕もサロメもだが、ルルに僕たちの分の食事も作らせる気満々だったらしい。
オトフシの笑みは変わりない。多分最初から承知していたな。その上で、あまり頻繁に作るなと忠告していた……のだと思う。
しかし、残念というのも事実だ。毎食あのクオリティなら、その家に住みたいと願ってしまうのに。
恥ずかしさを隠すように、サロメもルルと同じように咳払いをする。
「では、明日の茶会を最後にして、そこからはということで決定でございましょうか?」
「明日の茶会ですか? 明日の朝からではなくて?」
だが、サロメの言葉に僕が尋ねる。
お茶会が行われるのは、多くは昼以降。たまに午前もあるけど。
しかしどうせなら、きりよく明日からと思うのだが。誘われでもしたのだろうか?
サロメの代わりにオトフシが、と口を開く。
「明日の午後の客の一人にディアーヌ・ラルミナがいるらしくてな。その縁で、ルネス・ヴィーンハートに誘われた。他も一応信用出来そうとのことだ」
「はあ」
しかし、明日の午後。なら当番は僕か。
ディアーヌと顔を合わせることになるが、まあそれは構うまい。その場で剣をともいう彼女ではないと思う。……多分。
「午後なら、僕がついていくことになりますね」
「ああ、行ってこい」
「それは駄目です」
笑みを強めたオトフシの言葉を遮るように、ルルが叫ぶように言う。小声だが、確かに叫ぶように。
だが部屋の注目が集まると、ルルは今気が付いたかのように弱気に視線を逸らした。
「あ、いえ、じゃなくて、駄目とかそういう話ではなく……」
「……ええと、何故です?」
僕は、その理由を尋ねる。ルルが拒否するのはよっぽどの理由だと思う。
さすがにルルの命令であればオトフシも拒否はしないだろうし、交代も容易だ。ルルの命令であればオトフシも拒否しないだろうし。
「いえ……大丈夫です。よろしくお願いします」
誤魔化すように乾いた笑いを浮かべながら、ルルがそう口にする。
何だろうかとオトフシに目を向けると、オトフシは拳で口元の笑みを隠していた。