彼女たちの足跡
三人称ですが閑話ではありません
カラスが砦の再開拓に向かう早朝、彼女は災難に遭っていた。
「チッ……! っ……しつこいわね!!」
読売の者たちには夜討ち朝駆けという言葉があるというが、魔法使いにとっては厄介なものだ。
そう彼女はどこか冷静な頭で考えていた。
彼女は今襲われている。黒ずくめで顔が見えないため彼女にとってそれは見分けが付かなかったが、恐らく二人組の暗殺者だろう。そう当たりを付けていた。
クラリセンを出てから幾度となく続く襲撃に、彼女の苛立ちも増していく。
何度も撃退したはずだった。
何度も自らの魔法で肉を燃やし、骨を砕き、意識を奪ってきた。
暗殺者の連携に邪魔され命までは奪えなかったものの、それでもかなりの深手を負わせて撃退してきたはずだった。
通常ならばもう戦えない。自分なら、立ち上がることすら出来ない。そう感じるほどの傷を与えても、しばらく時間をおけばまた襲い来る敵だ。もはや、彼女の方の限界が近付いていた。
「いい加減、燃えかすになりなさい!!」
怒号とともに、紅い彼女の髪が変化していく。長い髪の先がゆらゆらとぼやけ、やがて熱気が上がる。
彼女の意思に従って、暗殺者達に襲いかかる炎の髪。鞭のように振り回されるその炎は、辺りを赤く舐め尽くしていた。
鉄すら焼き切るその熱量に負け、地面の落ち葉が乾き焼けていく。生えている木々すら炭化していく。
彼女の身に纏う鉄の鎧が、赤々とその炎を映していた。
その炎を避けながら、暗殺者達が迫る。
地面や木々から上がる小さな炎など、彼らにとっては問題ではない。
彼女の代名詞である<灼髪>、その一撃さえ受けなければ、裾を焦がすことすらなかった。
「……くっ!」
本来、近間での白兵戦は彼女の得意とするところではない。さらに、暗殺者達の小剣術は苛烈を極める。
人間を殺すための技術、最小の手数で命を奪う斬撃を繰り出すその技術は洗練されており、闘う技能を持たない者なら瞬きの間に絶命させることが出来るだろう。
その妙技を彼らは両手で、そして二人で繰り出す。その連撃は嵐のように彼女を襲い、確実に手傷を与えていった。
彼女の鎧が削られていき、刃を受けている手甲はもはや素肌が露出していた。
(身体強化も役には立たないか……!)
内心、彼女は舌打ちをする。
暗殺者はそれぞれ闘気を帯びており、当然その斬撃にも込められている。その攻撃は、分厚い鉄で作られた鎧も簡単に裂いていく。
「諦めろ。我らとて畜生にあらず」
連撃のさなか、暗殺者の一人が口を開く。口元の覆面を通したくぐもった声が、彼女をさらに苛立たせた。
「だから、何だって言うのよ!」
灼髪を大きく振るう。二人をまとめてなぎ払う横薙ぎも、宙をクルリと舞う暗殺者達には掠りもしなかった。
「死を認めるのであれば、何の苦痛もなく命を絶つ」
「その程度の慈悲ならば、我らとて持ち合わせている」
静かに喋る彼らに、舌打ちを繰り返しながら睥睨する。
幾度撃退されてもまだそんな口が聞けるのか。そう言い返そうとしたが、それでも自分が追い詰められているのも事実だ。
怒りで高まる魔力に、場の温度も少し上がった。それを感じた暗殺者達は視線も合わせず後ろへと下がる。
「蝋を呑み 広がる炎よ我が手に宿れ 栄光の剣となり我が敵を貫け《炎棘》!」
「……!」
詠唱を止めようと暗殺者達が飛びかかるが、灼髪がそれを阻む。縦横無尽に振り回される幾条もの炎に、彼らも流石に手間取ってしまう。
そして、無数の炎が橙色の固まりを成し、太い杭となって四方八方に飛び散った。
「……見事」
その内の一つが暗殺者の片割れの右脚に命中する。そして突き刺さった炎は次の瞬間破裂してその脚を飲み込んだ。
ボフッという紙風船を潰したような音が響く。炎の杭が刺さったその右脚の太腿は、外側が抉れはじけ飛んでいた。
「まだよ!」
機動力が落ちた今だとばかりに、灼髪が振るわれる。しかしその炎の鞭が暗殺者を捉えるそのとき、もう片方の暗殺者がその髪を切り飛ばす。
髪の先がはらりと落ちる。赤熱し、光を放つ髪は地面に落ちる前に、溶けるように消えた。
もう一太刀。そう灼髪を振りかぶる間に、怪我をした暗殺者は抱えられ、もう一人と共に木々の間に退いた。
「ではまた。テトラ・ヘドロン嬢。次は仕留める」
そしてそう言い残すと、木々が作り出す薄闇に消えていった。
「……絶対に負けない」
歯ぎしりをしながら、テトラは暗殺者の消えていった薄闇を見つめていた。
テトラがクラリセンを出てから、もう四日経つ。
密かな悪徳の街クラリセン。正義感の強い彼女は、そのクラリセンで行われている犯罪を見過ごすことが出来ずに街を飛び出した。
目指すは副都イライン。大きな街であれば密告は握りつぶされず、しかるべき対応が取られるだろう。人を疑うことが苦手な彼女は、そう信じていた。
街を出てすぐに、暗殺者に狙われていることがわかった。指示を出したのはクラリセンの有力者だろう。彼らは自らの箱庭を壊そうとするテトラを潰そうと、早々に動き出したのだ。
無辜の民を巻き添えには出来ない。
暗殺者に狙われている自分が街中にいれば、無関係な一般人まで巻き添えになってしまうかもしれない。そのために、わざわざ山道を通らずに山中を歩んでいた。
被害を出すとしたら、暗殺者の凶刃よりも自分の魔法で怪我人が出る。そういう自覚もあったため、その選択は迷い無く行われた。
昼過ぎ、彼女はまたも襲撃を受けた。
黒い暗殺者達。もう傷は癒えているようで、どちらに傷を負わせたかすらもはやわからなくなっている。
「……法術も使えないのによくやるわ……」
ボソリと呟いたその声は、呆れと感嘆が半々だ。
彼らは互いの体を熟知している。そして互いに推拿することで常人の数十倍の速さの治癒を促していた。
互いに互いを裏切らない。これは管鮑の交わりともいえる彼ら二人だからこそ出来る芸当であり、長年の修行の成果である。
彼らは二人であれば鬼も狩る。
二人であれば、きっと竜へも対抗出来る。彼らはそう信じていた。
「いざ」
短く放たれたその言葉が、開戦の合図となった。
振るわれる灼髪、荒れ狂う白刃の嵐。木々はなぎ倒され地面は灼熱を発していた。
ネルグの森は山火事にならない。そのために、テトラは灼髪を存分に振るうことが出来た。
もしも街道や山道で戦っていれば、テトラは周囲を気にしてすぐに仕留められていただろう。そういう意味でも、森の中を進んでいたのは正解だった。
森を駆け抜け魔術を放つ、暗殺者を狙う炎。それを躱して、時には木々に身を隠しながらテトラを狙う暗殺の刃。木々を薙ぎながら振り回される灼髪。礫や葉を使い、牽制しながら忍び寄る暗殺者。
決着は着かない。それぞれの能力が拮抗しているため、互いに決め手が見つからないのだ。
しかし、限界は来る。
テトラの左手が完全に露出する。手甲が砕けたのだ。
「あー! もう!!」
もはやただの鉄くずになってしまった手甲を投擲する。魔術で身体を強化してあるとはいえ、そんなもの、暗殺者に当たるわけがない。
ここまでの戦いでは暗殺者が立て直すために一時撤退を繰り返していたが、今回はテトラが撤退する番だ。
互いに荷物を分け合い、怪我を治し合う暗殺者に比べて、テトラは消耗戦に弱い。その差が如実に出た結果だった。
目眩ましの炎をまき散らしながら森の中を駆ける。
しかし、闘気で強化された暗殺者の方が、テトラよりも速い。
追いつかれそうになる度に、灼髪を振り回し大規模な魔術を放つ。それでも徐々に追い詰められていった。
「っ……! これは!」
森の中に突如現れた石の壁に、テトラの足が一瞬止まる。
それは、山中に打ち捨てられた砦だった。窓はボロボロで、出入り口になりそうな場所がいくつも空いている。
咄嗟の判断だった。後方の暗殺者にいくつも火の玉を放ち、目眩ましをかける。
音もなく、暗殺者の周囲は火の海になった。
そして、その瞬間に飛び上がる。強化された脚で、壁を駆け上がっていく。最上階、その開いている窓に向かって走り込んだ。
転がり込んだ部屋には、コウモリが何匹もいたようで、入れ替わりに窓から飛び出していった。
しかしそんなもの意に介せず、テトラは窓の外を見つめる。
周囲を確認しても、この部屋に窓は一つだけなのだ。暗殺者はここから上がってくるはず。
そう考え、炎を張り巡らせる。
「蝋を呑み 広がる炎よ我が手に宿れ 狡猾に我が敵を絡め取れ《伏火》」
詠唱と同時に、糸のように細い炎が網のように窓にまとわりつく。外からではほとんど見えないその糸は、まるで蜘蛛の巣のように暗殺者を待ち構えていた。
勿論それだけでは不十分だ。そう考えたテトラは灼髪の火力を増す。
離れた壁や床まで焼く熱気。チリチリと焦げてゆくその様が、自分の勝利を確信させた。
そして窓に黒い影が飛び込んでくる。
(かかった!)
テトラは内心喜んだが、次の瞬間それは困惑に変わる。
黒い影が火に包まれる。炎の糸に触れた対象の動きを封じ、除去出来ない火を放つ。《伏火》とはそういう魔術だ。
それはいい。だが、その黒い影が、小さいのだ。
(……! これは、ただの布!)
暗殺者が、稚拙な罠を看破出来ぬ訳がない。予備の衣服を丸めて投じたのだ。
「いかに魔法使いとして高名な〈灼髪〉といえど、人間との戦いは不慣れと見える」
部屋の中に声が響く。
横からの一撃。防ごうとした左手はもはや防具もなく、深い傷が入った。
血が飛び散る。まずい。早く止血しなければ。
その傷を見て、テトラは慌てた。毒などが塗られていないというのは、ここまでに負った小さな怪我で実証済みだ。しかし、この出血はまずい。腕が冷たくなっていく。床に小さな血溜まりが広がった。
処置をしたいが、こいつらがいては出来ない。
先程燃えている影に気を取られている隙に窓から侵入したのだろうか。廊下側から入ったのかもしれないが、今はどちらでもいい。
追い払う方法は。魔術は。魔法は。
考えるも、その手段が見つからない。
退路も断たれている。戦闘行動で激しく動けば、じきに意識を失う出血だ。
万策尽きたか。噛み締めた唇から血が垂れる。
「諦めたか。少し遅かったようだが、賢明だ」
暗殺者達がじりじりと間合いを詰めてくる。
こんなところで死ぬわけにはいかない。あの街を告発しなければ。
死ねない理由はあった。しかし、それでもどうすることも出来ない。
諦めつつあったテトラの目に、新しい影が映る。
暗殺者達の後ろ、窓から何かが飛び込んできた。暗殺者達も驚き振り向く。
この日に砦に逃げ込んだのは、きっとテトラにとっての不運だったのだ。
狐が、赤く光る目で三人を見ていた。




