ぼくといっしょ
拍子を取るように、レイトンは右足の踵をつけたまま、前半分だけで床を叩く。タップダンスのような小気味のいい音が数度鳴った。
目を伏せて、一度だけ側頭部を撫でるように掻く。
珍しく、少しだけ悩んでいる。僕はその姿にそんな印象を受けたが、実際にはどうなんだろうか。
言葉を選ぶように、レイトンはゆっくりと口を開いた。
「……ルル・ザブロックの悩み。実は、残念ながらぼくは詳しくは知らない」
「やっぱり詳しく説明を」
「本人に直接聞いたわけじゃないからね。でも、『悩みがある』と仮定して、彼女の周囲への反応を総合的に俯瞰して、わかってはいるつもりさ」
天窓を見て、レイトンが溜息を吐く。それから、何かを懐かしむように目を細める。
「萎縮した声や、不自然に堂々とした態度。おそらくたまに見せる端的な言葉に表れる本音。そこから考えるに……彼女は最近、嘘を吐くのが辛くなってきた、とそんなところだろう?」
「……違ってはいないです」
「そして、周りの人間が、本音を喋っていないことに気が付いて、信用できなくなっている……くらいかな」
「それも、その通りですね」
説明はやはり必要。そう思ったが、大体あっている。やはりその程度、本人に聞かなくてもわかることだったのだろうか。……僕とオトフシは、それなりに長い時間がかかったのに。
「まず、正当な解決法を教えようか。『時間が解決してくれる』」
「……でしょうが……」
明るくレイトンは笑う。僕をからかうときと同じように。
「だってそうだろう? おそらくきみもそう考えてる。そうして、それ以外の解決法が浮かばないからぼくのところに来た。違うかい?」
「違いませんけど」
僕は苦笑いをして視線を逸らす。まさしくその通り、その通りだからここに来たのに。
「それでは知恵を借りる意味も何もないんですけどね」
「そうでもないだろう? 自信もなく歩く道よりも、道標がある道の方が歩きやすい、当然ね」
視界の端で滴が垂れる。雨漏りではないが、天窓から先ほどの雨が滴ってきたらしい。
僕は天窓を見上げ、魔力を集中させて、その垂れるまでは溜まっていない水滴を集めて滴を作る。それらがぼたぼたと垂れた後、床に作られた水溜まり。埃が固まり汚れていた。
「それにね」
水溜まりの水分だけを持ち上げて、部屋の隅の側溝に流し込んでいた僕。そんな腹立ち紛れの行為の最中に、流れる水の音に紛れるよう、レイトンは呟く。
「きみは、間違えているんだよ。多分」
「間違い? ですか?」
「そ」
また一滴垂れてきた滴。レイトンのちょうど上の天井から垂れてきた滴が、その頭上で弾ける。見上げたレイトンの目の前で。
「誤解しないように添えておけば、間違えるのはきみだけじゃない。おそらくぼくか……ぼくかプリシラ以外が彼女の『悩み』を知れば、皆同じように間違えるだろう。月並みな言葉だけど、ぼくだけは、彼女の気持ちをわかってあげられると思うよ」
「どんな間違いをしていると?」
「彼女は、きちんと見えている」
レイトンが溜息を吐く。いつもと変わらない笑み。なのに、ルルと同じように僕には見えた。
「他人の言動と、内心の不一致が気に掛かる。それは、成長過程で誰しもがかかる麻疹、とぼくは言った。もちろん、ぼくも罹ったものさ。オトフシもそう思ったんだろうね。かつて自分が罹ったものと同じだと」
言葉を切り、レイトンは鼻で笑う。
「でも、その実おそらくこれは違うものだ。種類じゃない、質の問題として」
「どういうことでしょう」
「言っただろう? 彼女も、見えているのさ。きちんと、ね」
また、レイトンが足を鳴らす。パタン、パタン、と部屋の中に音が響いた。
「ルル・ザブロックはきみに、もしくはきみも含めた近しい人間に自分の悩みを告白した。違うかな?」
「ええ」
「だろう? それくらいしないと、きみは動かない」
語尾に嘲笑いが混じったのがわかる。
僕はその言葉に少しばかり反感を覚えながら、頷くしかない現状にも腹立たしく思いながら口先で笑う。同意できるがしたくない。そんな気分だ。
「そしてその悩みの原因の一つに、彼女が嘘を見破れる、というものがなかったかな?」
「……仕草を見ればわかる、そうです。その通りだとも思いますけれど」
ルルは言っていた。美味しくなければ一口の量が減るし、お菓子に手をつける頻度も下がると。たしかに聞いてみれば僕もそう思うし、反論も思い浮かばないものだが。
だが、目の前の男はそうではないらしい。
「たしかにそうさ。……でも、本当はそんな簡単なものじゃない。これは推測だ」
レイトンが、人差し指で自分の目を指す。開かれた大きな目を。
「彼女も、ぼくと同じ種類の人間だよ。彼女には嘘が見えている」
「…………」
どう返せばいいか戸惑い、僕は押し黙る。いつものからかい、という感じではない。
そんな僕の反応など気にしないようで、レイトンは続けた。
「おそらく、きみは思ったんじゃないかな? いいや、こういった悩みを聞くと、大抵の人間は考える。『ルル・ザブロックは、皆の言葉を嘘と思い込んでいる』とでも」
「…………そうですね」
それはつい先ほど考えたことだ。食堂で、思ったこと。
ルルは、この王都で貴族を『やっている』。
そして、嘘を吐いている自分と比べて、おそらく相手も嘘を吐いていると『思っている』と。
その考えは今でも変わりない。ルネスの言葉、その口から出るものが全て嘘とは思えない。
もちろん、ルルも全てそう思っているとまでは考えていない。ルネスの言葉、その全てが嘘とはルルも思ってはいないだろう。ただ、嘘が多い、と考えているだけで。
そしてその嘘に、きっと勘違いが混じっている、と。
「まあこれは、比率の問題さ。きみから見た彼女の悩みは、おそらくこうだ」
今度はレイトンは、右の人差し指で宙を指す。
「ルル・ザブロックは、嘘を口にすることに嫌悪感を持ち、それに耐えきれなくなってきている」
次いでその少し左側に人差し指を向ける。まるでそこに吹き出しがあって、分類しているかのように。
「そして皆の言葉に混じる『真実ではない言葉』を看破し、それを嘘と捉えている」
今度は下。下位分類、とでもいおうか。
「そこから嘘を吐いている彼らの言葉を必要以上に疑い、彼らを信用できなくなっている」
ね、とレイトンが僕に同意を求める。たしかに、そんな感じだったけれど……。
「別の問題、と?」
「そうだね。ルル・ザブロック自身が嘘を吐くことが嫌いなのと、嘘を吐いた他人を信じられなくなっているのは別の問題だ。問題は可能な限り切り分けるべき、だろう?」
「同じことが原因でも、でしょうか」
「同じ事が原因でも、だよ」
しかし聞いても、やはりどちらも根っこは同じだ。本来は成長するにつれて消える『嘘』への嫌悪感。それが残っているから、苦しんでいるということ。
「そして、別の問題だからこそ、別の原因が浮かび上がる。……他人が嘘を吐いている。それは、彼女の間違いだと思う?」
「……いいえ。彼女なりの根拠があって言っていると思います」
ルルも、何でもかんでも疑うことなどはしまい。
けれども、疑心暗鬼ということもある、と僕は思……。
「そう。そしてその看破は、おそらく全て本当のことなのさ」
レイトンが、広げていた足を組む。椅子に座り直して、少しだけのけぞった。
「ここに扉があるとする」
「……突然、なんですか?」
「たとえ話さ。扉は二つ。そのどちらも、中は空っぽ」
「…………」
レイトンは、両掌を天井に向けて、左右を示す。エウリューケならば、実際にそこに映像でも映し出されるのだろうけれど。
「そこに現れたお腹が空いているきみ。きみは、中に何もないことを知らない。一つからは悪臭。一つからは、香ばしく美味しそうな匂い。どちらを開けたほうががっかりする?」
……変な質問だ。けれども、少しだけ考えようとして、僕はその質問の意図に気が付いた。
「美味しそうな匂いがする方です」
「だろうね」
我が意を得たり、とレイトンは笑う。
「おそらく彼女はきちんと見分けている。嘘と思い込んでいるからそう見えるんじゃなくて、信じたいと願っているのに正確に嘘を見抜いてしまっているんだ。だからこそ、裏切られたと思う。人を、信じられなくなっていく」
それから立てられた指は二つ。
「これに対する対策は、二つ。一つは簡単、嘘を受け入れること」
「時間がかかりそうですね」
僕の言葉に、鷹揚にレイトンは頷く。
「時間がかかる。だから、最初に言った解決策がこれさ。人間というのは慣れる生き物だ。時が過ぎればいずれ彼女も嘘を受け入れる。人が信用できない、という苦しみなんてどこかに忘れ去っていく」
自信ありげに言ったレイトン。しかし、立てていた指を曲げると、そのまま腕ごと下にパタリと落とした。
「正直、それでいいと思うよ。人は必ず嘘を吐く。嘘を吐かない人間なんていない。彼女のような潔癖な性格には辛いんだろうけれど、いずれ彼女は知るんだ。本当に信用できる人間なんていないということに」
「諦める、とでも続きそうですけど」
「事実そうだろう? 誰も信用できないと、諦めてしまえばそれで楽になる。もしも現時点でそう思っていれば、そんな悩みなどないはずだ。彼女の問題は『信用したいと願っている』というところから始まってるんだからさ」
たしかに、と僕は頷きそうになる。
……しかし、何というか、とても厭世的な考えだとも思う。
たしかに、世の中そういうもの、とでもいえばそうなのだろう。誰も彼も、結局同一人物ではない以上、考えに差は出る。そうすれば種類を問わず諍いや苦難は起きるし、それを避けるか自分に有利にするために思ってもいないことを言ったりやったりすることもあるだろう。
仕方のないこととは思う。結局みんな他の誰かを騙して、場合によっては自分まで騙して生きている。人間よりも正直者が多い獣たちすら、捕食のために疑似餌を作ったりする。ならばなおさら、そうしない人間なんていないだろう。
でも。
「しかし……」
何故だろうか、僕は口を開く。だがその言葉が続かない。何も考えを浮かべずに喋ろうとしているからだろう。
本当に何故だろう。レイトンの言葉に、反論したくなっているのは。
「でもそれは気に入らない……なんて顔をしているね」
ケラケラとレイトンが笑う。その笑みに、僕は顔を引き締めた。
レイトンの顔に嘲笑いが見えなければ、何となく僕も情けないような顔をしてしまっていたかもしれない。こういうところは助かる。
「だから、ぼくはきみにひとつ方策を授けよう。これに関しては、効果が出ないかもしれないけれど」
今度はレイトンは指を一つ立てる。その爪の先に当たった月光に、まるで火が灯っているように一瞬錯覚した。
「先ほどの案と、違う一つ。嘘を受け入れること」
「同じじゃないですか」
僕は思わずツッコミを入れる。いやまあ、違うと言っている以上、中身は違うのだろうが。
「たとえばきみは、ルル・ザブロックが嘘を吐かれていたとしてどう思う?」
「嫌ですね」
気分は良くないだろう。……ただし、僕はもう社交辞令を嘘だとは思えなくなっているが。
おそらく悪意ある嘘を吐かれているのを目撃すれば、嫌な気分になるだろう。
「ルル・ザブロックはよくルネス・ヴィーンハートのお茶会に招かれているはずだ。そこで、そう、たとえばきみはルネス・ヴィーンハートに悪感情は抱いたかい?」
「…………いいえ」
「それは何故だと思う? 彼女はそこで嘘を吐いていないのかな?」
「種類が違うんじゃないでしょうか。そもそも、僕はそこまで嘘に敏感ではないので」
少なくとも、ルネスがルルに対して悪意ある嘘を吐いたことはない……と思う。彼女らの間柄にも詳しくないし、ルネスに関して何も知らないから言えることなのかもしれないけれど。
僕が答えると、レイトンはうんうんと頷く。
「まあ、それもあるだろう。でも、多分もう一つ要因がある」
「要因?」
「ルル・ザブロックに、それを追体験させてあげるのさ」
また一つ、レイトンが床を足で叩く。貧乏揺すりはそれで終わり、それから滔々と、レイトンは僕がするべき事を話し始めた。
レイトンの部屋を出て、僕は歩く。
先ほどと変わらないように、すれ違う会釈に対して応えながら。
石の床と絨毯の踏み心地は違う。明かりのない寒々としたレイトンの部屋……レイトンのものでもないんだけど、あの部屋と違い、松明や灯火が置かれた薄暗くも明るい廊下。
肉眼では表情がほとんど見えなかったあの部屋と違い、ここならば多少は見える。
僕は、先ほどの部屋でのレイトンとの会話を思い出す。
『君とここで会うのは、多分これが最後となるだろう』
どこかへ行くのだろうか。そう僕が思い、問いかけたところ、そうではないとレイトンははっきりと否定した。
『状況が変わる。君の主、ルル・ザブロックは思った以上に影響が強かった。意識的におそらくあと三度、多くとも五度勇者と接触すると、おそらく王も戦争の準備が整ったと判断するだろう。宣戦布告の後、戦争が始まる』
これから、戦争が始まる。おそらく戦争が始まり、勇者が戦地へ向かった時点で令嬢達は解散となるだろう。
そのときに僕がどうするかは決めていないが、そもそも指定もされていない。僕はこの戦争が終わるまでザブロック家に雇われている形になるが、ルルが屋敷に帰れば不要な存在だろう。その時まで、屋敷に滞在しろと言われるとは思えない。
つまり、僕がルルの側にいられるのもあと少しということになる。
『さっきぼくが言った方策を、いつ取るかは任せるよ。おすすめとしては、ルル・ザブロックがこの王城にいるときに、がいいと思うけどね。見せられるものが一杯あるから』
先ほどレイトンに借りた知恵。それはいつでも出来ることではあるが、この王城にいる今このときがちょうど良い。そして、僕はもうすぐルルの下から離れることになる。
ならば、早いほうがいい。
ルルの居室。一応ノックをして入る。
今夜の当番、玄関脇に待機しているオトフシと目が合い、呼び止められるように僕は足を止めた。
「首尾は?」
「指針は立ちましたね。ほとんど僕の即興になりますけど」
「奴はそういうのが好きだからな」
フフン、とオトフシは笑う。僕がレイトンと会ってきたことまで知っているのは今更驚きもない。
「せっかくの告白だ。その勇気を無にしてやるなよ」
わかっている。僕が一つ頷くと、オトフシは僕から視線を外した。
「明日、午後は僕の当番でしたね」
「そうだな」
「そこですることにします」
「そうか」
何を、とオトフシは聞かない。何をするか興味がないわけではないだろう。
ただ、何かを信じている。それが何を信じているのかは、僕にはわからないけれども。
顎で奥を指し示す。
僕が戻ってきたことに気が付いているが、ほぼ気にせずにいたルルとサロメ。そういえば、サロメへの説明とかどうしよう。後でで良いかな。
まあとりあえずは、ルルの同意を得なければしかたあるまい。
僕は唾を飲んで、表から見えないように背中を解すように身体を動かす。緊張しているらしい、いつもよりも身体が硬い。
「お嬢様」
そんな緊張を見せないように、僕は呼びかける。いや正直、顔が強張っている気もするけれど。
食後の休憩でぼーっとしていたようなルルは、僕の言葉に怪訝な顔で振り返る。そんな顔が、竜よりも強く僕の足を止める。だが、始めたのだ、きちんと終わりまでしたい。
「お話があるのですが」
「……なんでしょう?」
軽い掃除をしていたサロメが手を止める。何を話すのかと、聞き耳を立てるように。
「明日、お嬢様は午後にルネス様にお茶会に呼ばれていたと思うのですが……」
「はい」
ちょうど明日、そういう行事があった。ならば、それを利用しない手はない。いつルルが、勇者と接触するかわからないのだから。
ちょうどいい。レイトンならばそこまで考えていてもおかしくない気もするが。
「申し訳ありませんが、お断り頂くわけにはいきませんでしょうか?」
「……何故です?」
いよいよ訳がわからない、という顔のルル。
僕は密かに言葉に詰まる。誘い文句までレイトンに聞いていたわけではない。そこは自分で考えてよ、と言わんばかりの態度に、聞けなかったのは言い訳だろうか。
……正直なのが一番、だろう。
「その時間、私にお付き合い頂きたいんです。王城を探検してみませんか?」
ルルが「はあ」と戸惑いながら応える。
了承の言葉が聞こえるまで、僕は何故だろうか、息が出来ない心地だった。