見覚えがある獣
といっても、何十部屋もあるそこそこ広い建物だ。いちいち探していくのも面倒くさい。
なので、魔力による索敵に頼ることになる。
いつものように魔力を展開して索敵してもいいのだが、今日の建物は広い。違う方法でやろうと思う。
魔力を拡散させる。
鬼が使っていた、闘気の拡散をヒントに訓練したものだ。
今まで僕の魔法は、僕の体から魔力を展開出来る範囲、すなわち魔力圏内で発動させて射出していた。火の玉や風の刃を作り出し、それを魔力圏外へと撃ち出す形だ。
そうして撃たれた魔法は魔力圏を出た途端に失速しはじめ、すぐに消失してしまう。なので魔力圏外へと何かを飛ばすときには、必ず石や木片などを弾丸にして対象に当てていた。それはそれでいい。一定以上硬い敵には通じなかったが、それでもある程度は闘気を帯びている敵さえ貫くことが出来ていたから、威力は申し分なかった。
しかし、よく使っている念動力単体は、それが出来ない。魔力圏外に力は届かず、魔力圏内のみしか使えなかった。まあそれも、あまり不便ではなかった。全力で広げれば百メートル以上広がる範囲は今まで充分すぎたから。
訓練のきっかけは、単純な思いつきだ。
鬼は闘気を波のように拡散させて、僕の火球を打ち消した。
通常、闘気や魔力は一部を千切るなどして体から離すことは出来ない。そう思っていた。しかし、それをあの鬼はやったのだ。
そして同時に、いつか見た治療師のことを思い出した。
通常の治療師達は、魔法使いではない。エンバーという魔法使いはいたが、彼は例外だろう。他の治療師達は、体外に魔力を展開することが出来ないはずだ。にもかかわらず、手をかざして法術を使い、怪我や病を治療していたのだ。
つまり、治療師達は魔力圏外で法術を使っている。
鬼は闘気を、治療師達は魔力をそれぞれ体から離して使っていた。その事実に気付いたのだ。
伝聞だが、炎や雷を飛ばしている魔術師達もそれは同様だろう。
未だに僕も闘気では出来ない。そしてそのときは、魔力でも出来なかった。
使えたら何かに役立つかもしれない。
闘気か魔力か、どちらの扱いに慣れているかと言われたら、僕は魔力と答える。
そう思い、魔力を飛ばす訓練を始めた。
訓練自体は手探りで、そもそも方法すらわからない。
魔力の一部をくびれさせ、ひょうたんのように絞り千切ろうと考えた。しかしそれでは、離された魔力がその場で消えるだけだった。
もともとの魔力自体を体から離して出現させようとしたが、それはどうしても出来なかった。
僕は悩み、更に気付く。
治療師達の魔力の動きは見えなかったが、鬼の闘気の動きは見えたじゃないか。
最大のヒントは最大の敵から得られる。思い返せば、ヒントはあった。
結果、波のように広げることで、魔力を飛ばすことに成功した。
魔法と同じく、僕が自分の中で納得出来る理屈であるから使えるのかもしれない。しかし、使えるならばそれでいいのだ。
そして魔力を飛ばす技術は思わぬ副産物を産む。
元々、魔力圏内にある全てのものを僕は知覚出来る。微弱でも闘気や魔力を帯びている生物の内部は難しいにしろ、物であれば形や色、感触や匂いまで手に取るようにわかるのだ。
拡散させた魔力波に触れた物体の、性質を探る。
やはり体から離れているからか魔力圏とは違い詳細はわからないものの、簡単な探査は出来るのだ。これにより、より広範囲の様子がわかるようになった。
東京ドームほどもある、この建物全域を探査出来るほどには。
そしてもう一つ。
おそらくこれが本来の作用なのだが、魔力を飛ばすという性質上、併用すれば火球などの魔法の射程が飛躍的に伸びる。
魔力波の届く限り、火球を飛ばすことが出来る。
そうそう必要なことはないだろうが、それは思わぬ収穫だった。
そんな魔力波による探査を使う。
拡散させた魔力が建物を通っていく。部屋の数や配置はこの際どうでも良い。必要なのは、今いる一定以上大きい生物の数だ。
索敵をすれば、多くの小動物が引っかかる。鼠は勿論、猫や鳥、コウモリのような動物までかなりの量がいた。
今日の仕事はこれらの動物を立ち退かせることだ。
幸いと言うべきか、魔物はいないようで楽な仕事になりそうだ。僕の顔が思わず綻んだ。
力ずくで追い払うのもいいが、それだとやはり、いちいち探す手間が入る。
そんな手間を省くために、知識という物があるのだろう。まさに、グスタフさんから学んだ本草学の中に、ぴったりの物があるのだ。
腰の鞄から大きな瓶を取り出す。乾燥させたその中身は、無条という植物の葉っぱだ。
動物がいるであろう部屋を回り、無条の葉っぱを千切り散らしていく。
無条。その薬草は葵のような形で裏が赤い葉っぱを持つ。この葉っぱには動物が避ける匂いが付いているらしい。風に乗せてごく少量部屋の中に飛ばすだけで、我先にと鼠などの動物たちが飛び出してくる。
嫌忌剤のように使えるので今日持ってきたが、効果は上々のようだ。
無条を使い順調に部屋を開けていく。
掃除は一応他の担当がいるらしいのでやらなくてもいいらしい。あまり故意には汚したり壊したりしないでくれとも言われたが、葉っぱを少し散らかすくらいならいいだろう。そう勝手に判断した。
扉があれば扉を開き、無ければそのまま部屋に入っていき、無条の葉っぱをまき散らしていく。簡単な作業だった。
嫌忌剤代わりの葉っぱのおかげで、動物たちが戻ってくることもない。
程なくして、一階部分も終わる。
この調子でいけば、もう一時間もかからず全て終わるだろうと思っていた。
あと三階。まずは二階に上がろうと階段に足をかける。
そのとき上の階がにわかに騒がしくなる。そして、鼠たちや猫たちが上の階から逃げるように駆け降りてきた。
窓の外を見れば、飛び降りるように脱出しているものもいる。
どう見ても異常な事態だ。逃げるような何かがあった。この上の方の階で、今まさに。
まさか。また厄介ごとだろうか。
僕は溜め息を吐いた。
どうする? このまま走っていくべきだろうか。それとも一旦外に出たあと、上空から様子を見るべきだろうか。
そう一瞬悩み動きを止めたが、事態は思った以上に切迫しているらしい。
「嫌あぁぁぁぁぁぁぁ!!」
絹を裂くような悲鳴。誰か、恐らく女性が危機に陥っている。
魔力による再度の探査。
結果、最上階に三人の人間と、魔物がいる。それだけが感じられた。
思わず舌打ちをする。
僕がこの建物に足を踏み入れたときには誰もいなかったはずなのに。
魔物に追われて逃げてきたのだろうか。それとも、魔物を追い込んだのだろうか。後者ならば悲鳴は上げないはずだ。しかし、様子がおかしい。一人の女性らしき人が尻餅をついて倒れており、男性二人が恐らく絡み合って倒れている。
状況がわからない。
苛ついた僕は、階段を駆け上がる。
ああ、もう。簡単な依頼のはずがトラブルか。
放っておきたいが、依頼はこの砦の内部から生き物を掃除すること。魔物がいるのならば、排除しなければいけないだろう。もともとそういう仕事だったが、仕事が一つ増えた気がして気分が酷く悪くなった。
単純な構造の建物だ。迷わずに問題の部屋まで辿り着くことが出来た。
その部屋を廊下から見て、また問題が増えたことに僕は少し頭を抱える。
壁が、焼けている。枠組みの木材が炭化し黒くなっているだけでなく、火が付いているところまである。
冗談じゃない。これで報酬を下げられてしまっては、飛んだとばっちりだ。
誰が付けた物かはわからないが、文句の一つでも言ってやる。
そう思いながら、もはや用をなしていない扉の破片を蹴破って中に飛び込む。
そこには、怯えている赤い髪の少女と、倒れている黒づくめの男性二人と、そしてもう一匹。
昨日僕が殺したのと同じ、狐がいた。




