三度目のサイン
「とまあ唐突に現れて申し訳ありませんが、先ほどの言葉通り、私たちは東に一度移動してから王城へと戻りましょう」
僕はさりげなく周囲を警戒しながらも振り返り、斜め後ろのルルとサロメにそう告げる。
とても疎らで人の流れというほどではないが、通行人たちが立ち止まった僕たちを避けるように割れたように感じた。
「…………」
だが、ルルとサロメは応えない。じ、と表情少なく僕を見つめて、黙った。
そんな一瞬の沈黙に耐えられず、僕は思わず問う。
「あの、何か……」
もしかして、勇者との行動を邪魔されたのが気にくわないとか。……それは多分ないにしても、何か不味いことでもしただろうか。
僕が内心そう慌てていると、まずルルが、それに一瞬遅れてサロメが噴き出すように小さく笑った。
「いえ、随分とてきぱきと行動していらっしゃる、と……」
サロメがルルをちらりと見ながら代弁するように口にする。多分ルルも同じ事を思っているのだろう、ほんのわずかに頷いて見えた。
その言葉を聞いて、少しだけ安心する。訝しむということではないが、不思議に思っていた、というところだろうか。
しかしそんな不思議に思うようなことでもないだろう。僕は探索者だ。
「本分ですからね」
護衛や警護が、という話ではない。狙われているところから逃げるということ、それは僕が今まで生き残ってきた技術の延長線上にあるものだ。
そこまでは言うまい。けれども、何かしらの意味を持って伝わったようでルルは感心の息を吐いた。
「とりあえずは追ってきている影もないようです。しかし、念のために少し急ぎましょう。走ると不自然なので、やや早歩きで。申し訳ありませんが私に合わせてくださいますよう」
「わかりました」
せっかくルルも外へ出たのだ。
なのに急かして帰らせるなどとは少しだけ申し訳ない気分だ。
また気分を害してもおかしくはない。
しかしそんな僕の予想に反して、ルルは元気よく了承の返事をしてくれた。
「お話ししても大丈夫でしょうか?」
それから少しだけ歩き、僕たちへ向けられた視線や物陰などの位置を確認しつつ進んでいると、ルルがそう口にする。
困ります、とは言えないし、そもそも困らないので僕は静かに頷く。近づいた距離に、周囲に張ってある障壁を縮小しつつ。
「何でしょう?」
「その不審者というのを、カラス様は見ていらっしゃいますか?」
「いいえ。私はお嬢様たちについて室内にいたので」
すれ違った女性は護身用らしい小さい剣を帯びているが、そこに手を伸ばす仕草は感じられない。後方にそのまま去っていく姿も問題ない。
物陰に隠れている影もない。このまま進んでいこう。
「こういうときって、どういうところを見るんでしょうか」
ぽつりと呟くように、ルルがそう尋ねてくる。
「…………?」
どういうところ、といわれても少し困るのだが。そもそも質問の意図がわかりづらく、僕は黙って続きを促した。
それに応えるように、ルルも少しだけ思案して、少しだけ顔色を明るくしたように口を開く。
「不審者というのは、どういうことなんでしょうか? 怪しい怪しくないなんて、すぐに判別できないでしょう?」
「……ああ」
そこまで聞いて、ようやく僕も返答に見当がつく。
「今回聖騎士様が発見した不審人物というのはたしかに私にもどういう者かはわかりませんが、『監視されていた』というのは、視線を感じたということでしょう」
「……こんなに人がいるんですから、見られるくらいは普通にあるのでは?」
「そう……でもないと思うんです」
僕は視線だけで周囲を観察していたのをとりやめて、大げさに周囲を見渡す。
さすが王都。老若男女、昼でも様々な人が往来を歩く。街の色や匂いはさっぱり違えど、人数だけならばムジカルの王都と変わりない。
「これだけ人もいますけれど、あまり目が合うことはないのでは?」
「目、ですか?」
後方に一度視線を向けて、僕はルルの表情を窺う。本当に不思議そうに一度周囲を見渡して、それでもあまり理解できていないようで首を傾げた。
「野生動物などは顕著ですが、人間たちも他人とわざと目を合わせることはあまりないんです。会話中でもなく不意に合わせるとしたら、喧嘩を売っているか、喧嘩を売っていないと理解できるほど信用している関係か、くらいで」
経験上、縄張りがある生物ならばほとんどがそうだと僕は思う。森の中で野生動物と目を合わせたときには、大抵既に険悪な仲だ。
「他にも様々に見ているところはあると思いますが、私たちや聖騎士様たちは警戒中に視界の中の『目』を気にしています」
「目が合ったら不審者だ、ですか?」
「極端に言えばそうですね」
僕は少しだけ噴き出しながら同意する。
もちろんそれは極論だ。目が合えば相手を疑ってかかるなど、誰にでも喧嘩を売るチンピラと変わりない。
「要は、目が合うということは周囲を気にしていた、もしくはこちらを見ていたということになります。まずそれだけで警戒度は上げなければ」
「でも、不意にたまたまということもあるでしょう」
「それはもちろん」
何となく講義じみてきて、何となく僕は饒舌になっている気がする。
ふと鼻に感じた鉄の臭い……は今道の端で転んで擦り傷を作った男の子からか。
「ですから、目が合った、その場合にはその後の行動が重要になります。ばつが悪く目を逸らすか、もしくはそもそも身体の向きを変えるか。それまで取っていた行動が何か変化するかどうか」
猫や虎などは、目を逸らした場合は敵意がないと見ていいだろう。その場合、こちらも目を逸らして互いに離れていけば戦闘は回避できる。
だが人間たちは嘘をつく。目を逸らした後に手元を隠す仕草を見せたり、唾を飲んだらそれは依然変わらない危険なサインだ。
「監視されていた、と聖騎士様が気が付いたのであれば、そのどれかに引っかかったのでしょう。その不審者はあの武器屋を窺っていて、そして何か疑うに足る理由があった。……そもそも逃走に成功しているというのは尋常な腕ではありません」
もしも相手が一般の人間であれば、聖騎士は問題なく捕らえているだろう。
そして間違いであれば、多分そのまま解放している。それはまだ微かに残っている僕の願望だが。
「もちろん、相手の足がとても速かった、というだけかもしれませんが」
冗談のようにそう口にして、僕はルルの方へと視線を向ける。
興味深げに聞いていたルルやサロメと視線が交わり、僕は何となく可笑しくなった。
周囲に視線を戻しても、今のところはやはり何もない。
「また、目だけに注目しているわけではないと思います。耳で話を聞いていることもあるわけですし」
「聞き耳を立てていると……?」
「そうですね。そうすると、今度は動作がおかしくなります。視線が不自然に動かなかったり、作業が進んでいなかったり」
歩いていても、そういう者はどこか不自然だ。余程演技に熟達していなければ、自然とこちらの音を拾う仕草をしてしまう。顔の向きを調整したり、重心がこちらに寄ったり。
「他にもありますが、それが『不審人物』の探し方です。不審人物がみんな刃物持ってこちらに向けていてくれたりしたら楽なんですけどね」
「それはぞっとする光景でございますね」
「そうですか? むしろ楽でいいと思いますよ。相手は刃物を使うということですから」
サロメの言葉にも、僕は軽口のように応える。
もちろんそれだけで判別できるわけでもないが、刃物を構えているということは大抵の場合魔法使いや魔術師ではないということだ。そして全員がそうしてくれているという楽な話。
当然徒手空拳も選ばないし、その刃物を使って何かしてくる……だろう。それこそそれが演技かもしれないので言い切ることは出来ないが。
「むしろ怖いのは、いつどこで誰が何をしてくるかわからない状況」
「今このとき、ということですね」
「ということです」
ルルの言葉に応えつつ、僕は先を急ぐように人混みを避けるように進路を変更する。二人もきちんとついてきてくれるのは、面倒もないし少しだけありがたいことだ。
しかし、結構歩いた。
もう、城に向かうには大通りをまっすぐ行くだけ。通りの向こうには王城が聳え立って見えており、今のところはついてきている影は見えない。
やはり対象は勇者だったのだろうか。もしくはまあ、ルルか僕を狙って諦めたとか。
何事もないのが最上だが、もはや誰かが見ていたことは確定しているだろう。ならば、出来れば前者であってほしい。僕にもルルにも関わりなく、……じゃあ勇者ならばいいのかという問題があるので誰にも言えない話だけど。
ここまでずっと早歩きだ。
多少速度を落としても構うまい。そうしてゆっくりと歩みを遅くすると、それだけで安心したようにルルたちはホッと息を吐いた。まだ何も言っていないのに。
しかし僕が口を開くよりも早く、心配そうにルルは眉を顰める。
「オギノ様は、大丈夫でしょうか」
「……大丈夫だと思います。聖騎士二人というのは、かなり贅沢な警護ですし」
むしろ対外的には僕やオトフシがつくよりも大分頼りになる者たちだろう。それに、一人より二人だ。人数ではもちろん現時点での僕よりも彼らの方が心強い。
もちろん相手がどんなものかはわからないし、『不審者』が勇者をどうにかする気があるのであれば、それ相応の準備をするとも思うので心配がないわけではないが。
しかしそれでも、彼らは警備として選ばれ任されている。そして僕は任せた。ならば信頼程度ならしよう。
それに。
多分心配がないというのは、僕の予想でもあり、今僕たちが直面している現状からでもある。
足を止めて、周囲を窺う。ルルもサロメも、怪訝な目をして僕を見た。
「申し訳ありません。障壁を強化します。私にもう一歩近づいていただけますか」
「…………どういうことでしょう」
「今のところ、勇者様は安心なようです」
『不審者』を気にする根拠は視線だけでも、聞き耳の有無だけでもない。それらの他にも、無数にある。
不審な行動というのは、往々にして『何かを隠す行動』だ。見られては困る手荷物を隠す。話しかけられないようにして身元を隠す。不埒な意図を隠す言動。
そして単純に、身を隠す行動。
先ほどから感じ始めたもの。十五歩ほど先。大通りから一歩入った路地の向こう、身体を隠す影がある。
歩調を緩めなければ、衣擦れや風の音に紛れてしまってその息遣いに気づくことはなかっただろう。安心してよかった。よくはないけど。
僕の耳にも聞こえないように隠れるその行動。能力もそこそこ高い。
僕の普通に話す声でも、多分聞こえているだろう。
「出てきてくれると助かります。逃げれば、後顧の憂いをなくすために殺してしまうかもしれません」
殺す、という単語に背後の二人が息を飲む。
そして物陰から、溜息の音が聞こえた。
ゆっくりと姿を見せたその男性に、あまり敵意は見えない。あまりというか、まったく。
その笑みは、恥ずかしげに歪んでいたが。
「……自信をなくしますね。私は隠密任務が得意だったはずなんですが」
「カンパネラさん。お久しぶりです、と挨拶を交わせない現状は理解していただけると思いますけれど」
目の前に現れた男性は、三度目の邂逅、ムジカルの魔法使いカンパネラ。
レイトンと同じような柔和な微笑み。そのだらりと下げられた手を、僕は今は忌々しく感じた。