選好選悪
「さすが王城の治療院ですね」
僕は感嘆の言葉を吐く。見回した部屋には所狭しと列になった棚が並び、その棚にはまた所狭しと生薬の瓶が並べられている。
彼らもこれをそのまま使うわけではないのだろう、部屋の壁際には竈と水場と、それにいくつものビーカーのような硝子瓶があり、生薬の倉庫というよりは、簡単な化学実験室、という性格の方が強そうだった。
ここは王城、その治療院の一室。
僕を案内してくれた治療師は、僕の言葉に無表情に淡々と頷いた。
「王族や貴族の方々がどのような不調を訴えようとも、対処できる万全な環境を整えております」
「……そうでしょうね」
治療師が言うのに反論せずに僕は頷く。今回僕は直接ではないが協力してもらう身だ。あまり機嫌を損ねるわけにはいかない。
もっとも、既に幾分か機嫌は損ねているようだけれど。
僕は棚を見回し、目当ての品を探す。
探しているのは甘露の材料。エウリューケに分けてもらえなかった分の生薬だ。
エウリューケに分けてもらったのは、甘露の材料の中でも毒に分類されるもの。調和水や西門肺草などの一般には出回っていないものだ。採取する場所もこの辺りにはないし、商店でもまあ買うことは出来ないだろう。
あと一式くれればいいのにとは思うが、まあかさばるし、そもそも前回はエウリューケが適当に作ったためにもっておらず足りていない材料が多々あった。そもそも使っていない材料とかすらあった。適当すぎるとも思うが、前回は重要なのは調和水だけだったので彼女的にはそれで良かったのだろう。
急に頼んだことだったから、材料が揃えられなかったということもあるかもしれない。
まあとにかく、材料がまだ足りていないのだ。
詳細は知らないまでもミルラもそれは承知だったようで、今朝残り一本となった甘露の補充をと侍女がルルの部屋を訪れてきたときには、彼女の命令で既に話は通っていた。
曰く『もし何か足りないようでしたら、治療師の部屋を訪れてください』と。
それこそ必須なわけではないのでここへこなくてもいいのだが、物は試しと来てみたわけだが……。
まず、治療師の僕へ対する警戒心がよく見て取れた。
王族たちは基本的に何か必要なことがあれば治療師を自室に呼ぶし、王族でなくてもそうだ。
なのでここを訪れるのは怪我人や病人のために呼びに来た者か、さもなければ備品の納入をする係程度のもの。
そしてそれらはある程度おなじみであり、仮にそうでなくて顔を知らなくとも服装である程度どの部署から来た者かわかるのだ。
そこに現れたのが、僕。
火急の用事という素振りもなく、納入するための荷物もない。
その上、多分話が通ってはいたのだろう。中途半端に。
『生薬を分けてやれ。使った分の謝礼は後ほど申告してもらえば届けさせる』と。
王宮にいる治療師にとっては、よくわからない話だっただろう。
エウリューケの話の通り、この国に薬師はもうほぼいない。薬膳としていくつかの食材を用いることは民間にまだ残っているが、それでも薬として生薬を調合する職種はもう治療師だけなのだ。
なのに、いくつもの生薬を求める者がいる。
そしてその者は、治療師ではない。
今僕を案内してくれている赤毛の男性も、出会った瞬間にはもうその表情に不満が見て取れた。
その生薬を何に使うのか、という懐疑。……というよりも、もはや言ってしまえば、嫌悪。
名前を言ったらすんなり通してくれたので、逆らうこともないしむしろ協力的ではあるのだろうけれど。
「あと、茴香と、何首烏は……」
「こっちだ」
一つ一つ、瓶から必要な分を取り出して懐紙に包んでいく。あれから毎日午後に一本飲んでいるらしいので、とりあえず今日は三本ほど作っておきたい。というか、空いた瓶の数だけ。
もらっていく材料は十回分の分量。かさばるわけでもない少量だが、とりあえずそれくらいでいいだろう。
見当たらない材料を聞いて、棚を移動する。
足りなかった材料は、一応ここで足りるらしい。
だが。
「重曹と果実酸はありますか?」
「…………!」
炭酸水の材料。それを聞いたのは不味かったらしい。太い眉をぴくりと動かし、眉根を寄せて僕を睨むように見た。
「……あの……」
「…………異端者という噂、本当だったようだな」
緊張感の増した空気に、僕も迂闊なことをしたと反省する。
グスタフさんの使っていた甘露の材料は『泡湧泉』というもの。要は天然の炭酸水なわけで、エウリューケも事実重曹と果実酸で代用していたわけだが、つまり代用品は合成が必要だ。
炭酸水の調合は、聖教会の技術だったわけだ。エウリューケにそれとなく聞いてしまったそれは。
……面倒な。
それはともかくとして、誤解は解かなければ。いやまあ、どう転ぶにせよ面倒なことだが。
「……治療師以外にも、そういった知識はありますので」
「本当か?」
僕が聖教会で『異端者』という名簿に載っているのは知っている。そのリストがどうやって共有されているのかはわからないが、それでも今の言葉でも、僕の名前が彼らに知れているということはわかった。
そして、『異端者』ということは、元は聖教会の信者だったと見られているわけだ。まあもちろんこのエッセンの国教である以上、国民は皆信徒と思っても間違いというわけではないのだが。だが、異端者とまで呼ばれる以上、その意味合いも少し違う。
僕は、元治療師。そして今現在それを名乗っていない以上、どこかの時点で破門された……と思われているらしい。
それにしても僕は周囲から見て複雑な身の上ではある。
改めて失敗したという感覚。昔から、自分から積極的にアピールしなかったという失敗もあるし、開拓村から出てきた当初は色々と嘘を吐くこともあったとはいえ、僕の姿はどの集団から見ても『異端』だ。
魔法使いであり、闘気使いであり、治療師の力を持ち、色付き探索者で、貧民街出身の孤児。
更にこの前の演武で『剣士』も加わってしまっただろうか。そのつもりは毛頭ないけど。それと、最近流れている噂で、『薬師』も。
僕の責任でもあるが、勝手な話とも思う。
どの集団も、僕の持っている要素のうち、一番彼らにとって望ましくないものを選び取るのだ。
治療師からしたら、僕は治療の術を持つ孤児の探索者。そして聖教会として働いていない以上、どこかで破門された異端者。
一般人からすると、僕は貧民街の孤児。ただし、魔法使いであり闘気使いであるという嘘を吐く詐欺師的な性格も持つ。
既に関係は改善されたものの、聖騎士たちから見れば僕は信用できない探索者。
きっと他のどの集団も、同じように。
僕は素知らぬ顔で、治療師へと嘘を重ねる。
「今回作ろうとしている薬に必要なんです。当然でしょう?」
「……まあ、そうだが」
詭弁だ。ならば、どこから『重曹』や『果実酸』という単語が出てきたというのだろうか。
だが、そんな矛盾を治療師は気に留めなかったようで、それ以上の追及はなかった。
ルルの部屋へと戻ると、そこには先客がいた。
居間兼簡単な応接室となっている玄関から直結した部屋に、ルルと客人、それにそれぞれのお付きがいる。オトフシに先んじて報告を受けていたため、そう驚きはないが。
紙燕越しにオトフシに一言告げてから姿を隠し、扉を細く開いて滑り込むように静かに入った僕は、警護の控え室となっている玄関脇のパーテーションで姿を見せた。
そんな僕にオトフシは静かに語りかける。
「フフン、先んじられたな」
「勇者様ですか」
先んじられた、の意味はわからなかったが、とりあえず僕は部屋の中央を向きながらそう口にする。
客人は侍女を連れた勇者。今回の訪問は、僕が目的ではないらしい。
「お前の首尾はどうだ? 求められた仕事は完遂できそうか?」
「薬なら問題なく作れそうです。まずは調合が必要ですが」
僕は、持ち帰ってきた材料をまとめた袋に手を触れる。
やはりこの前のエウリューケの作り方は適当すぎる。グスタフさんのレシピからすると、火を使う必要もあるし、精密な計量も必要だ。計量自体は使用者……今回は勇者の体格などから量を算出する必要もあるし、事前にやっておけなかったということもあるだろうけれど。
しかし、どうしよう。後で届けるのは面倒だし、ここで侍女に渡してしまいたいが、調合する手間がある。
出来れば炊事場でやりたい。火も使うし、洗いたいものもある。
でもあの雰囲気の中を通り抜けていくのはなぁ……。
パーテーションを透かした視線の先には、勇者がいる。
その声はここまで普通に届き、身振り手振りすらも耳で聞くだけで何となくわかる。
「あ、あの順番ってそうやって決まってるんですか」
「……ええ。同じ階級なら厳密ではないんですけど」
勇者とルルとの会話。世間話というわけでもなく、最近行った行事のマナーについて、という感じで最もらしく繕っている感じがする。
だが、まあ違うだろう。
「俺が挨拶する側だったら、どうなるんでしょうか?」
「それは……私にはよく……。そちらの侍女の方の方が詳しいのでは」
話題としては脱線していない。
しかし言葉の語尾がややうわずり、緊張している感じが聞いててよくわかる。
そして、その言葉も多分話半分だろう。いや、聞き逃しはしまいという気迫も感じるが。
……なるほど。
ルルを気に入ったのは、ミルラではなくて勇者だったか。
「何か邪魔をしようなどと考えてはいないか?」
「……いませんが?」
オトフシの言葉に応えながら、僕は荷物の中から、とりあえず空き瓶と小さな乳鉢を取り出す。とりあえず持っていったが、向こうで使ってくればよかった。
先に粉砕しておくものは、ここでやってしまってもいい。
火を使うのは後回しで構わない。
パーテーションの中の小さな机に掌よりも小さい乳鉢を置いて、そこに茴香を入れる。
そして粉砕していくと、カサカサという音と共にわずかに特徴的な芳香が香った。だがちょっと古くなってたか。
「僕があそこに紛れたら、誰もいい顔はしないでしょう。それくらいはわかります」
空気の読めず、場を荒らすことしか出来ない僕でもそれくらいはわかる。勇者は多分嫌がるだろうし、彼かもしくは侍女から話が伝わったミルラから苦情が来るかもしれない、という程度には。
「……誰も、か」
僕の言葉をわずかに復唱し、オトフシが小さく鼻で笑う。
長いドレスで足を組み、腕を組んだその姿は令嬢たちよりもなお偉そうな気がする。
「まあ賢明だな。あの場は今、王城挙げての国家事業の真っ只中だ。あれでルル嬢が勇者を射止め、そして戦に出ることを上目遣いに懇願でもすれば、万々歳の結果だろう」
「そう上手くいきますかね」
「いくだろう。あの様子ならばな」
オトフシは背中越しに勇者たちを見る。もちろん視線は届いていないが、それを補ってあまりある音声が未だにこちらにも届いていた。
「……どこででしょうか」
「ん?」
木の根を半分に裂き、半分だけ潰して先ほどの茴香と混ぜる。手触りに、粉体よりも繊維質のものが加わった。
僕は顔を上げて、オトフシを見る。
「どこかで話したことでもあったんでしょうか? 彼ら」
「……話す機会というのであれば、まあそこそこといった感じだな。先日の舞踏会でもその機会はあったし、昨日の昼餐会でもそうだ。その他、一昨日城下町からの帰りに廊下で行き会ったこともあるだろう」
勇者はルルを見初めた。それはもはやすぐにでもわかる真実だ。
しかしやはりわからない。どこでだろうか。客観的に見ると、ルルは美形ではあるが飛び抜けた美人ではない。話すことも、他の令嬢たちと同じ形式的なことばかりだろう。
なのに、ルルに注目した理由。
「……申し訳ありませんが」
話題が途切れると同時に、ルルがやや強めにティーカップを置いた音がする。いやまあ、いつもよりも強めにというだけで、威嚇の意味も何かしらの意図も混ぜてはいないだろうが。
多分、無意識的なもの。
「何か他に用があるのではないでしょうか? マアム様もいらっしゃることですし……」
マアム、と呼ばれた侍女が音を立てずに溜息を吐く。『まあそうだろう』という意味だと思う。
舞踏会での立ち回りや、行事での勇者のマナー。それらはルルよりも侍女たちに聞くべき事ではあるし、実際聞いてもいるのだろう。僕も姿を隠した状態で教える声だけ聞いたことがある。
「カラス様でしたら、もうそろそろ帰っていらっしゃると思いますが」
「カラスさん……にも、たしかに用事はあるんですが、その……」
ルルは、僕がここにいることに気が付いている感じがする。さすがに確証はないが。
まあ僕も声を潜めている以外はここで隠れてもいないわけだし、気づいてもおかしくはない。
だが勇者は僕がここにいることに気が付かなかったらしく、しどろもどろに言葉を途切れさせた。
それから、声の音量が調節できないように、やや大きめの声で言葉を絞り出す。
「ルルさん、一緒に、街へと行きませんか?」
「…………街へ?」
そして続く言葉に、ルルが首を傾げたのが見て取れた。
「俺、今日の午前はこの街を見て回りたいなって。で、その時に付いてきてもらえると嬉しいなって……」
街へと遊びに行きたい、と。勇者は重ねる。
どうなるんだろう。前回の特例は置いておいても、警備上問題になりそうなものだが。
「……ミルラ様はご存じなのでしょうか?」
「……街を見てみたいというのは伝えてある……んですが……」
ルルの言葉にたじろぎながら、勇者は多分笑顔を崩さないように努力している。そんな気がする。
「…………」
ルルがこちらを見ている。オトフシか、それとも僕かはわからないが。
パーテーション越しに、そんな視線を感じた。
「……それが私のお役目ならば、光栄です」
何となく、固い印象の声。そして頷いたのだろう。
勇者の歓喜が、空気越しにこちらに伝わってきたのがよくわかった。