長い尻尾のお話
「世話になったな」
「世話になったのはこちらでしょう」
薄く笑っているジグに僕はそう応える。お互い、世話をしたわけでもないのに。
それぞれの家も夕食を終え、既に皆が寝静まりはじめた時間。いつもはルルも就寝する時間ではあるが、それでも今日はルルはまだ起きていた。
ジグとの別れ……いやまあ、別れというほどでもないが、任務終了に近いからだ。
正確にはジグは明日の朝までルルの警護を務める。しかし、もう夜遅く、寝ずの番なら僕も代われるしということで明日の朝の引き継ぎまでは僕が務めることになった。
……というか、ジグもこの三日間ほとんど寝ていなかったのだ。するとしても、座ったままの仮眠のみ。そういう意味での体力もあるとはいえ、辛いことは辛いだろう。
ジグがルルに向かう。
「明日またご挨拶に伺います。オトフシ殿ともそこで」
「ええ。また」
早く寝たい。そう全身でジグが主張している。
まあ今日も世話になったし、それくらい代わってもいいとは思う。僕も一応休暇中ではあるが、彼にとっては予定外の仕事だったのだし。
これからも、ディアーヌの稽古については暇なときにやってくれるそうだ。もちろん僕も稽古台に駆り出されるわけだが、……誰かそれも代わってくれないだろうか。
挨拶だけしてさっさと帰ってくれればいいのだけれど、そうしないジグに何となく間が持たない気がして僕は口を開く。
「何事もなくてよかったです」
「当然……といえればまあよかったのだがな」
何事かを望んでいたわけではない。ルルの身に何かがあるなど以ての外だ。
しかし口にしてしまった僕の嫌みのような言葉にジグは苦笑する。
彼も本来は王城内の治安維持に携わる人員の一人だ。たしかにそう言いたいだろう。『この王城内は安全だ』と、胸を張って。
そしてそれが言えない現状も知っている。問題になっていないが、先ほどルルたちの夕食の時に食堂にいたアネットから聞いた。また一人、とある家の侍女がビャクダン家傘下の令息の部屋に連れ込まれたと。
どこの家中の侍女かはわからないし、ジグの話では彼らにはまだ監視もついているということで正直信憑性は薄いが、もしも本当の話ならば治外法権もいいところだ。
それに、そんなデマに近い話を『そんな馬鹿な』と笑って流せない現状でも、もはや充分な話だろう。
僕の口中に苦いものが湧く。
そんな流言飛語があることも、正直気にくわない。
今回のものは真実ではない、と思う。しかし使用人の中ではそれはもはやあり得ることで、使用人の中にそういった共通認識がある以上、彼らの主たる令嬢たちにもそういう話が届いていると考えてもいい。
しかし、そういう雰囲気は見られない。近しい者は普通に付き合い、身分の低い者はいつもと同じように礼儀正しく折り目正しくお辞儀する。
ビャクダン大公子息を遠ざけるような振る舞いが見られないのだ。まるで、彼がここに存在するのは当然とでもいうように。
もしかして、令嬢たちも同じように考えているのだろうか。
僕と同じように、そして僕と正反対の意味で『そんな馬鹿な』と。
何故だろう。そんなことを考えていると、もともとあまり存在しなかった王城内の人間たちに対する信用が、どんどんとすり切れていく感覚がある。
僕の中では、ビャクダン大公子息は下劣な人間だ。
もちろん本人と話したこともなく、その人となりも詳しくは知らない以上はっきりとはいえない。しかし侍女を暗がりに連れ込んだ強姦未遂事件に、僕へと刺客を差し向けてきたこと。そんな事実からも、およそ好意的に見れる人物ではない。
そんな人物が、傍目には受け入れられているのだ。
使用人たちからはともかくとして、貴い身分の者たちからは目に見えて恐怖されることもなく、あからさまに嫌悪されることもなく、この貴族社会には存在できている。
『ジュリアン・パンサ・ビャクダン』に権力はない。
権力があるのは彼の父親ビャクダン大公で、彼自身ではない。もちろん彼に対し何事かを起こせば、即ち大公家を敵に回すのと同じ事だろうけれど。
それでも、やはり彼自身の権力でそうなっているわけではないだろう。
彼の力。貴族社会を泳ぐ力。
もう正直いらないけれど、そういうことが出来れば、僕もイラインでの静かな暮らしが手に入ったのだろうか。
ふと一瞬物思いにふけりながらも、僕は懸命に笑顔を作る。
社交辞令、きっと前よりも下手くそな。
「それでは、また」
「ああ……それでは、失礼いたします」
最後にルルに向かって綺麗にお辞儀をして、ジグは立ち去っていく。
サロメが外まで見送り、そして戻ってきてパタリと扉を閉める。
それだけで、何となく静かになった。私語は全くといっていいほどしない男だったのに。
不寝番といっても、まあ僕も寝ないわけではない。
与えられた部屋からでも侵入者はわかるし、いつもの通り僕は自分の部屋で警戒しながら休むだけだ。
「…………」
では自分は寝る。いつもならばそろそろルルがそう言うので、そのルルの言葉を待つ。僕もサロメも、ルルを見て、そしてその視線を受けて居心地悪そうにルルは笑った。
「……今日はずっとお忙しそうでしたけど、今なら時間ありますよね」
「……? はい」
僕に向かい、ルルが問いかけるようにそう口にする。
いやまあ、忙しいというよりもすることがあったという感じではあるが、まあそうだろう。
しかし、今から時間……はあるけれど。何かさせられるのだろうか?
僕は首を傾げる。しかし、ルルはサロメに向かって口を開いた。
「サロメ、薬湯を三つ入れてください。それだけ終えたら、休んでもらっても大丈夫です」
怪訝に思う僕を無視して、ルルは少しだけ居間の中央に近づく。そこには重要ではない来客用も兼ねたソファーのような椅子が並んでいるけれど。
言われたサロメは笑った。
「……三つめ、私の分ではございませんか?」
「…………。そうですね」
指摘され、あ、とルルが頷く。今のは本当に気づいていなかったらしい。多分。
ルルが恥ずかしがるように鼻の下を手の甲で一度掻いて下を向く。
それでも、と何かを振り切るように僕の方を向いた。火の明かりで影が差した、静かな笑みで。
「お貸しした本……」
「……ああ」
その単語に、僕も気づく。ルルの用件に。
「お貸しした本、読み終えたのでしょう? お話ししましょう……感想とか」
そして下座でも上座でもない椅子に腰掛けて、その向かいの同じような席に座れと、手振りで僕に指し示した。
ティーカップではなく、取っ手のない湯飲み。
その中に注がれているサロメ特製の薬湯を一口飲めば、昼に飲んだものと同じ生姜の匂いが喉の奥に満ちた。多分、昼に作ったものはこれで使い切ったのだろう。
ルルも同じように湯飲みを口に運ぶ。
「最後のところ、驚きじゃありませんでした?」
「……驚く……というか、意外な結末でしたね」
驚いたといえば文章の終わりよりもむしろもっと後の『最後』なのだが、それは今は言えまい。アリエル様との関係だけならばまだしも、文字の問題がある。
そしてまあ、たしかに驚きの結末だった。
「綺麗に終わったと思います。少し、悲しい感じでしたが」
少女の冒険。その全ては夢の世界の話で、出会う不思議なものは全て主人公の思い出の中にあるはずだった者たちだった。
主人公キリカは目が覚めたときにはその全てを覚えておらず、せっかく出会った昔の飼い犬のことも全て忘れて、『今の王子』たる婚約者と歩き出す。
綺麗だと思うし、そしてやはり少し悲しい。これはウィンクのこともあるだろうが。
少しだけ意外そうに、ルルが瞬きをする。
「悲しいですか?」
「夢から目が覚めたあとに、キリカは何も得てはいませんでしたし……。最後の振り返った後の光景は、たしかに昔あったものなのかもしれませんが」
キリカは最後、草原に昔の思い出を投影する。木登りした大きな木や、出会って泣いた蛇。その他多くのものは、たしかにその時はそこに見えたのだろうと思う。そして、やっぱり何もなくなってしまった。
昔はそこにあったけど、今はない。
「今はなく、昔そこにあった、……だけじゃ悲しい気がしませんか?」
「……そういう感じもしますけど……」
アリエル様がオマージュしたのかはわからないが、この夢オチの感覚は不思議の国のアリスが近いと思う。
同じようなものだ。全てなくなってしまうのは。あの主人公アリスも、何一つ不思議の国からも鏡の国からも持ち帰らなかった。
でも、アリスはたしか夢を覚えていた……んだっけ。それを嬉しそうに、楽しそうに姉に話したというのに。そこはきっと、アリエル様の話とは違う。
その差は単なる表現の違いか、それともその方が面白いから、ということか。
まあそもそも偶然の一致かもしれないが。
それに、王子の視点に立つならば。
「王子も多分一緒に行きたかったと思うんです。『君だけの王子がいるから一緒には行けない』というのは、逆に言えば婚約者がいなければキリカは忘れなかったのかもしれませんし。王子が森の中に残されてしまうのも、可哀想かなって」
「……でも、ユーリがいて、結婚式という節目があったから彼らも姿を見せたんですよね。それに、キリカは……そもそも忘れてたんじゃないでしょうか」
「たしかに元々一緒には行けなかった……というのもありそうですが」
僕の言葉に何を返そうかと悩むように、ルルが薬湯を飲む。
僕も一口飲めば、匂いと味に何となく僕を引き留めるような感覚がある。急くな、とか、落ち着け、みたいな。
「そういえばそうですね。物語が始まったところで覚えてないからシュナイダーも出てきたはずですね」
「だから悲しくない……とは私も思いませんけども……」
思い出たちとキリカの別れは訪れていた。それがどこの時点かはわからないが、たしかにそうかもしれない。
物語の最後に別れたわけではない。元々、物語開始以前に彼らはお別れをしていたのだ。
なるほど。しかし、僕の思ったことでルルと意見の相違する部分を消去すると、結論としては……。
「……するとやっぱり、綺麗に終わった、という印象が強くなりますね。キリカもきっと幸せになってくれるでしょうし」
取りなすように僕は笑う。
少なくともこの物語の文章が終わるまでは、その日に限れば、キリカの幸せは約束されている。
愛する婚約者との結婚式。僕にはわからないし人にもよるのだろうが、大抵の人間は幸せなのではないだろうか。
僕からも何か話題を提供しなければいけないだろうか、とふと考える。
これは『尋問』ではない。『会話』だ。
「ルル様はどこで気づかれました? 夢だった、とか」
「夢だったことを、ですか?」
今度は僕が聞き返すと、少し驚くようにしながらもルルは瞬きを繰り返す。それから自分を落ち着けるようにまた薬湯を一口含んだ。
「ええと、その……白い蛇に起こされたとき、爪に光沢が出てるところで『あれ?』とは思ったんですけど……」
「そこまで描写はなかったですもんね」
僕は薬湯を飲みながら頷く。焦るルルが妙に可笑しい。
問題にしているのは『王子』の姿が消えて、代わりに庇護者として白い蛇が出てきたところ。……冠を被っているのは何かの暗喩かとも思うが、何となく追及したくない。
その白い蛇に、『君の爪は綺麗だね』と誉められるシーン。今思えば、伏線は強調されていたのだろう。
結局は、白い蛇もキリカを食べようと襲いかかってくるのだが。やはり、『男性』だろうか。
「……恥ずかしながら、最後まで気づきませんでした」
「僕……私もですね。子供服から大人服への変化とか、いつの間にか髪の毛が括られていたりとか、なかなかわかりませんよ」
「ですよね」
僕が励ますように言うと、頭上に『!』が浮かびそうなほど元気よくルルが同意する。そんなに安心するほどだろうか。
ふと、くす、と含み笑いの声がした。台所で黙って話を聞いていたサロメからなのだが。
これも先ほどの話か。たしかにまあ、こんな元気なルルは久しぶりに見た気がする。前回は多分、まだお互い幼さの残る頃だったと思う。
……僕は、未だに変わらないけれど。
「私はやっぱり王子と最初に出会うところが一番好きなんですけど、……カラス様はどこが一番気に入りました……?」
「気に入ったところ、ですと……」
んー、と僕は腕を組んで悩む。正直好き嫌いはアリエル様作というところでほとんどどこかへ飛んでいった感があるのでよくわからないということもあるが……。どこだろう。
僕の悩む様子に、ルルは片肘に手を当ててじっと待った。
そして、僕の中で答えが出る。強いて挙げれば、だが。
「あ、あそこですかね」
「……?」
身構えるようにルルは手を解く。僕も組んでいた腕を解いて、湯飲みを持った。
「王子が序盤、『この森には怖い生き物が暮らしている』とキリカに紹介した場面」
「……ああ、あの」
//////////
行き先もわからず、それでも王子の歩みは止まらない。
道なき道、蔦や雑草が地面を這って、凸凹とした起伏のある地面に手間取りながらも、キリカはそれを追った。
「そうだ」
王子は、今思いだしたかのように声を上げる。そして立ち止まると、一歩遅れて立ち止まったせいでぶつかりそうになって転びかけたキリカを支えるように手を伸ばした。
キリカといえば、その手を掴むことはなかったが。
「……なによ?」
「この森には、怖い生き物がいるんだ。気をつけて、声を上げると寄ってくる」
「さっきのやつより?」
キリカは眉を顰める。
怖い生き物ならば先ほども見た。白く短い毛、燻されたような匂いを発し、首が伸びる変な生き物。それも王子の手により一刀両断されたものの、その獣に噛み千切られた髪の毛の先は短いままだ。
王子は首を縦に振る。それよりも怖いと。母や父や、虎や狼よりも。もっと怖い、世界で一番怖い生き物がいると。
だがキリカは、強気に返した。
「それはどんな? 言ってみなさいよ」
言うべきか言わざるべきか、と王子は一瞬悩む。
しかし知らせておかなければならない。知らなければ、その生き物に可哀想だ、と決意した。
「四つ足で跳ねる灰色の獣さ。大きな歯を持って、その歯は一生伸び続ける」
「鼠みたいな?」
キリカの問いに、王子は首を横に振った。
「もっと大きい。そしてその歯は鋭いんだ。何でも齧り付いて、齧り付かれたらぼろぼろになっちゃう」
王子の答えにも、キリカの猜疑心は消えない。そんなもの、鼠と同じだ。図体の大きな鼠なら、何とでもなる気がしていた。
「肉食かしら」
からかうようにキリカは尋ねる。肉食獣でそんな姿のものが思い浮かばなくて。
「雑食だよ。穀物も食べるし、虫も食べる。たまに、人間にも齧り付く」
「……人間にも?」
そしてキリカは、その答えに絶句する。少しだけ、様相が変わってきたように感じた。
「大きな耳は獲物や敵の音を敏感に捉える。そのくせ、その生き物は滅多に鳴かない。一年のある時期には鳴くんだけど、そのときには気が狂ってる」
「温厚って訳でもないのね」
「よく怒るよ。そして腹を立てると、大きな後ろ足で地面をやたらめったら打ち鳴らすんだ」
やたらめったら。
その言葉を聞いた次の瞬間、森の奥で音が鳴る。地響きのような凄まじい音に、そしてその後には牛や虎が鳴いたような吠えたような、そんな声まで聞こえた気がした。
「この森には怖い生き物がいる……だから、騒がないで」
「さ、騒がないでって言われても、げげ限度があるでしょ」
音と声に、キリカは音のした方から一歩退く。その向こうにいる、四つ足の灰色の獣。大きな牙を持ち、後ろ足で地響きを鳴らし、気が狂っている獣を想像して。
王子は顔を上げる。しまった、とでも言いそうな顔で。
「気づかれた」
「嘘っ!?」
たまらずキリカは悲鳴混じりの声を上げる。その声にまた、森の奥の茂みの動きが激しくなった。
ガサガサと何かを掻き分ける音がする。見つかった、と王子は言った。
ならばその『怖い獣』はここに来るのだろうか。人間も食べてしまうというその生き物は。
王子は戦ってくれるだろうか。ちらりとみた王子の姿は堂々としていて、キリカは少しだけ安心する。ただ、その真剣な目にわずかな恐れも残っていた。
キリカは王子の後ろに隠れるように一歩また退いて、身体を縮めるように竦める。
ガサガサという音。その奥から現れる獣。その獣が心底恐ろしくて、心臓がけたたましく目覚ましの鐘のように鳴っていた。
「来た!」
「っ……!!」
森の奥から獣が現れる。恐ろしさからその姿をキリカは見られず、王子の陰に隠れる。
しかしおかしい。大きな獣、それにしては足音も茂みの音も小さい。小さいのは音もそうだし、そしてその大きさも。
恐る恐る、と目を開ける。
「…………」
キリカの横を、一匹の獣が駆けていく。
灰色のその生物は、ぴょんぴょんと小さく飛びながら、足下を通り過ぎていった。
そこにいたのは、耳の大きな野兎。
「野兎じゃない!!」
飛び退さりながら、キリカは抗議の声を発する。だが黙ってその姿を見ていた王子は、ふうと安堵の息を吐きながら顎の下に垂れた汗を拭った。
「……今は、ね」
その微笑みが安堵からのものか、それとも諧謔からのものか。
キリカにはよくわからなかったが、それでも何となく、王子が寂しそうだったのがわかった。
//////////
「言われてから読み返すとわかりますけど、あれ一応全部野兎の特徴なんですよね」
啜った薬湯が喉の奥に伝って落ちる。
言いながら、自分自身に呆れを向けているのが何となくわかった。
「キリカが勘違いしちゃうところ……ですよね? 誰も牙があるとも人を食べるとも言っていないのに」
クスクスとルルが笑う。それを鎮めるように一口薬湯を口に運んで、ゆっくりと飲み込んでいた。
「勘違いというか、王子が勘違いをさせようとしているようにも感じますけど」
意地の悪い、という見方も出来るだろうが、最後の描写からすると勘違いをしてほしかったという感じだろうか。
思い出の存在というと、まあ主人公が昔、野兎に驚いたことがあったとかそういうエピソードがあったのかもしれない。そこまで書かれてないから想像だけど。
それにしても、勘違いをさせようとしていたのならば。
「結構王子不親切ですよね。そもそもどうして犬の姿で現れなかったのか」
僕は肩口を掻きながら呆れるように言う。そもそも犬の姿で現れなかったから、主人公も王子の正体に気づかなかったというのに。
「……キリカに思い出してほしかったから、とか? 自分も本当にわからなかったからとか……色々と想像できますけど……」
ルルも、僕の言葉に悩むように辿々しく口にする。肩をさすりながら、唇を動かして。
それから、討論、とも言えない推論の言い合いが始まる。言い争うわけでもなく、そして結論も出ない問いかけの往復。
「でもきっと王子も……」
もちろんルルは僕ではない。その意見はどれも新鮮で、間違ってると思うこともあれば、ああ、と感心することもある。
「だったら…………」
「でも……」
お話は続く。
なんだろう。楽しくそして、懐かしい気がする。
昔僕はこんなことをよくしていたのではないだろうか。多分、その時には僕はベッドにいて、その横には一人女性がいて……。
「お嬢様、そろそろお休みになられませんと、明日に支障が……」
小一時間も話しただろうか。
時間の感覚も曖昧で、もっと短かったかもしれないし、もっと長かったかもしれないが。
僕たちの尽きない話を台所に待機して黙って聞いていたサロメが、おずおずと僕たちの話を中断させる。
我に返ったように顔を見合わせた僕たちは、揃って瞬きをした。
「……夜更かしが過ぎましたでしょうか? まだ半刻くらい……」
「いつもよりも一刻は遅くなってございます」
あくびを噛み殺すようにしながら、ルルへとサロメが返す。ジグではないが、そろそろ寝たい、と彼女から言われている気がする。多分気のせいじゃないけど。
というか一刻、……そんなに。
僕からも薦めたほうがいいかな。夜更かしは身体に悪い。
「今日のところはお開きということでよろしいでしょう。まだまだ機会はありますし」
「……ありますか?」
「城にいる時間はまだまだありますから、あると思いますが……」
「そう……だといいんですけど」
だが納得できないようで、ルルは口ごもる。まあ、あるだろうとは思う。まだまだこの城にはいることになるし、話し相手くらいならいくらでも付き合える。
ディアーヌの相手よりも、大分楽しいし。
ふんぎりをつけるように、ルルが湯飲みを傾け、既に冷めてしまった薬湯の最後の一口を飲む。サロメが継ぎ足さなかったのは、邪魔をしないためだろうか。
それからまた、ふと恥ずかしそうに笑った。
「ごめんなさい。こういう話を出来る人がいなくて……」
「いえ」
それは前にも聞いた。周囲に同じ本を読んだことがある人がいなくて、感想を話すことも出来なかったと。
話題の共有が周囲と出来ないというのはきっと辛いことなのだろう。
しかし、ならば作ればいい。僕……は自分から進んでやったが、僕相手にしたように。
「サロメさんも、いくつか読んでみませんか?」
僕はそうサロメに呼びかける。
彼女が同じ話題に参加できれば、きっとそれは良い方向に進むだろう。
いつかいなくなる僕とは違って。
だがサロメは、ギクリと表情を固めた。
「私はあの、文章を読むのが苦手でして……」
「文字が読めないわけでもないでしょう?」
識字率は高いわけではないが、彼女らは基礎教養として修めているはずだ。ならばそれくらいしてくれてもいいとは思うが。
「サロメにも以前薦めましたが、向いていないと断られてしまいました」
ルルが補足するように、僕に言いつけるように声を上げる。その声にも、気まずそうにサロメは顔を背けた。
「文章を読んでいると、その、眠くなってしまいますので。眠れぬ夜に睡眠導入としてはよろしいのでございますが……」
「まあ、そういう方もいらっしゃるようですが」
本を読んで眠くなる。僕にはあまり理解できない感覚だ。もちろん眠いときに読めば、読んでいる最中に寝てしまうこともあるだろうけれど。
まあ、無理強いはするまい。
「私からも、いつかは読んでみることをお勧めしますよ。普通に面白い話ですからね」
アリエル様が書いたということを忘れれば、僕も素直に誉められるのに。
いっそ今度作者としての話でも聞いてみようか。あれ以来会っていないけど、話題としてはちょうどいいだろう。この王都を去った後にでも。
僕は立ち上がり、薬湯を飲みきる。それからルルの分を受け取り、片手でまとめて持ってサロメの分もと手を差し出す。
「湯飲みは洗って片付けておきます。お嬢様もサロメさんも、お休みになってください」
「……そうさせてもらいましょう。サロメ」
「あ、はい」
おやすみなさい、とルルが席を立つ。何となく名残惜しそうにしているのは、僕の願望からそう見えるだけではないだろうが。
サロメがすれ違い様に、僕に小さく「ありがとう」と口にする。
僕はそれに、「いえ」と応えた。




