魂の半分を焼かれて
閑話か本編か迷いましたが、カラス出ないので閑話で
2/5 本編にがっつり関わっていたので、タイトルから閑話表記消しました
ガツガツと音を立て、彼は死体となった獲物を漁っている。
今日も、いつものように簡単な作業だった。
恐怖で動きの鈍った敵、赤子のように弱々しい敵を囓れば、それはもう彼にとっての餌だった。
空腹を満たし、いつものようにもう一匹を狩るために、彼は動いた。
兎でも鳥でもいい。何か腹を満たせるものであれば、なんでもよかった。
深い森の中、緑の匂いが満ちているその中で、獣の匂いを探る。
どんな獲物でもいい。強くとも弱くとも、彼にとっては等しく弱者で、彼にとっては相棒だけが、自分と並び立つものだと思っていた。
どんな獲物でもいいが、弱っていれば、なおいい。
血の匂いがすれば、それは闘争が起きている場であり、傷つく弱者と傷つける強者がいるのだ。
どちらも等しく自分たちの餌になる。
その狐は、そう信じて疑わなかった。
匂いがした。
新鮮な血の匂い。香り立つその鉄の匂いは彼の鼻腔をくすぐり、微かに聞こえた悲鳴はその味を想像するに足るスパイスだ。
この匂いと悲鳴、おそらく犬が猛禽に襲われているのだろう。
餌は多ければ多い方がいい。
彼は駆け出す。
音も無く、風のように木々の間を抜けていく。
相棒のための、狩りの時間だ。
ギャアギャアと小さい獲物が喚いている。
狐はそれを見て、少し不満に思った。その小さい犬では、自分と相棒の腹を満たすことは出来ない。
しかしその不満はすぐに解消された。
襲っている猛禽の大きさを見て、考えを改める。広げられた翼は大型犬以上もある狐よりも大きく、食いでがありそうだ。
その狐は表情筋に乏しく、笑うことは出来ない。
しかし、彼はたしかにほくそ笑んでいた。
その野犬は必死に戦っていた。
数多の命を奪ってきた。しかし自分がまさに奪われる側になったとき、それを受け入れることなど簡単にできるはずが無い。
猛禽の突然の襲撃に、彼は力の限り抗った。
空から舞い降りる鳥の嘴は鋭く、もう脇腹は抉られている。
足を止められない。仮に足を止めたりすれば、間違いなく次の瞬間に自分は串刺しになるだろう。そして、幾度も目にしてきた死体が出来上がる。自分が、その死体となるのだ。
それは嫌だ。
理性など無い、本能のままに生きてきた野犬。その脳内は、今もまだ死を回避しようとする本能で満たされていた。
野犬は逃げ惑う。
もちろん反撃もした。飛びかかってくる猛禽に、必死の思いで食らいつこうとした。
しかし、その牙は届かない。
何度も、何度も空気を噛んだカツンという音が森の中に響く。空を飛ぶ猛禽に、地を這う彼らはなす術が無いのだ。
猛禽から野犬への攻撃が、ついに届くときがやってくる。
その瞬間に、野犬は死を悟った。
本能的に、やがて来るであろう衝撃に目を瞑る。反射的に、体の動きが止まる。
しかし、その瞬間は訪れなかった。
狐は待ち構えていた。
空高く飛ぶ猛禽への有効な攻撃など持っていない。
もしかしたら届くかもしれないが、それよりももっと確実な瞬間を狙うために、今まで野犬を見つめていた。
狙うのは、野犬を狙い高度を下げた瞬間だ。
追い立てられた野犬に止めを刺すその瞬間に、猛禽を狩る。
そしてついに、その瞬間がやってきた。
ただ落ちてきたと見まごうばかりの猛スピードに、タイミングを合わせて飛びかかる。初めての経験ではあったが、上出来だった。
「ギッ……!」
短い悲鳴を上げて、狐に咥えられた鳥が抵抗する。何が起きたかはわかっていない。ただ、犬に止めを刺そうとしたその瞬間に、異常事態が起こった。それはわかった。
なんとかこの異常事態を逃れようと、翼を広げて抵抗する。
しかし、狐がそれを許さない。
牙を立て、その灰色の胴体を食い破る。口内に血が溢れ、口の端を汚した。
程なくして、抵抗は止む。これから体温も無くなり、獲物から餌へと変わるだろう。
いつものその作業には、何の感慨もわかなかった。
咀嚼まではしない。
これは、彼の相棒への手土産なのだ。命を奪うだけ。そんな手加減を、その狐は覚えている。
賢い獣だった。
野犬は、おそるおそる目を開ける。
来るであろう衝撃が来ず、気配が一つ増えてまた減った。
何が起きたのだろうか。もしかしたら、自分は助かったのだろうか。
そう考えて眼前の光景を見た野犬は、またその瞬間に死を感じた。
目の前に増えた狐から感じる圧倒的な恐怖。
初めてのその経験に、ついに野犬の本能も屈する。
死を覚悟した。
そしてその無抵抗になった餌を、狐が見逃すはずが無い。
本日二匹目の餌にありついた狐は、久しぶりに満腹を感じた。もう一口も入らない。きっと、もうすぐ眠気を感じてしまうのだろう。
その前に相棒に土産を渡さなければいけない。いい気分の狐は、やや早足で巣へと猛禽を運んでいくのだった。
いつもの穴蔵に入っていく。
少し前に見つけたこの巣穴は暗く、埃で満ちている。
しかし、居心地はすごぶるよかった。
たまにチクリと尖った何かが壁から突き出てくるものの、そんなもので何か起きるわけでも無く。むしろその尖った何かのおかげで他の弱者が来ないらしい。
餌の必要が無いときに遭遇する弱者など煩わしいだけだ。
だから、その穴蔵を彼らはとても気に入っていた。
しかし、今日は少し違う。
先程自分が出て行くときは、こんな匂いはしていなかった。
以前、狐は山火事に遭遇したことがあった。
森の中で、弱者が火に焼かれて死んでいくあの姿が思い出される。その時と、同じ匂いがしている。
妙な感じだ。
焼けた匂いに加えて、血の匂いまでしている。
おかしい。
どうやってか知らないが、弱者が自分たちの穴蔵に入り込んだのだろうか。そして、相棒がそれを狩った。
そう思い、納得する。
その狐は、自分たちが最強だと信じてる。
彼は自分よりも強いものに会ったことがなかったのだから。
何が起きているのかわからなかった。
焼け焦げた餌が転がっている。それは、山火事に遭ったあの弱者と同じ匂いだった。
しかし、おかしい。
その姿は、見覚えが有る。
これは、唯一自分と並び立つと思っていた相棒、その姿ではないか。
それが、死体となっている。
何が起きた。彼は悩み、とりあえず相棒を起こそうと、吠えて呼びかけた。
無反応な相棒。どうしたというのだろう。いつもならば、餌を運んでくれば喜びの声を上げて迎えてくれるのに。
体を揺すれば起きるだろうか。ひっくり返そうと、鼻先で腹部を押しても、ぐにゃりとした感触が帰ってくるだけだった。
冷たいその感触に、薄々感づいてくる。
相棒は死んだ。
共に育ち、代わる代わる獲物を狩って、一緒に暮らしてきた相棒が死んだ。
彼は、餌となった。
その事実に、狐は苦しみを感じた。
それが悲しみだということを理解するだけの理性は持っていなかったが、その感情が不快だということは理解出来た。
慟哭が遺跡の中に響く。暗い闇の中を、悲しみの声が吹き抜けていった。
声が枯れるまで鳴いた。
そして、その悲しみに押しつぶされないように、彼の本能が反応する。
怒りが湧いてきた。沸々としたその感情も狐には理解出来なかった。それでもこの感情に身を任せていれば、先程の不快さは軽くなる。
血の匂いと焼けた同胞の匂い。その匂いに混じって、違う匂いが混じっている。
何度か食べたことのある、人間の匂い。
その匂いをかぎ分けた途端、怒りの感情がより強くなり彼の胸の中を渦巻く。
「オオォォォォォォォォォォン!!」
高らかに上げたその叫び声は、遺跡の中に満ちてゆく。
許すまじ。
我が同胞の命を奪った。自分の半身にも等しい、その命を。
許すまじ、人間。許すまじ。
怒り狂った狐から解き放たれた、怒りに染まった魔力の嵐が遺跡の中を吹き荒れる。
相棒は、弱者であるはずの人間に殺された。
そう、殺されたのだ。
匂いは覚えた。待っているがいい、人間。
その骸を、相棒に捧げる。そう決意した狐の目が赤く爛々と輝く。
匂いを追って走り出す。
その狐の顔は、生涯初めて感じた憎しみで歪んでいた。




