断ったはずなのに
「昨日はご苦労でございました」
ルルの差し向かいに座ったミルラは、ルルを見てそう笑いかける。サロメの淹れた茶を音もなく飲みながら、優雅に。
勇者に調和水を飲ませるというエウリューケの暴挙の次の日の朝、ミルラ王女はルルの部屋を訪れていた。
用向きとしては、昨日のあの後の勇者の動向の報告。
そんなもの不要だし、するとしても従者にさせればいいと思うのだが。
もしも今のようにこの場での会見でとすると、本来ルルやサロメは不要だろう。昨日勇者と関わりがあったのは僕とミルラだけだ。
もちろん僕が単独で王女に会うなど出来るものでもないし、だからこそ従者などの伝令でいいと思う。
何というか、腰が軽い。
以前ルルの下を訪れたときには、わざわざ夜中に人目を忍んで会いに来たというのに。今日は午前中に堂々と来た。
仰々しく人を引きつれていなければそう目立つことはないとはいえ、もはやミルラ王女がここに来たことは公然となっていることだろう。
ミルラの瞳は僕ではなく、ルルを向いたままだ。
そしてそのまま、昨日僕たちから別れた後の勇者の様子の説明を繰り返した。
「一時体調を崩されましたが、午後の魔術訓練には間に合いました。何かをつかみかけた、と喜んでおられましたよ」
どうやらあの後、一度呼吸困難で倒れた。しかしその後は何とか持ち直し、馬車に乗って王城へと入り、ルルと会った、らしい。
その場では何も説明できずに、勇者はすぐに治療師の下へと移動したようで、……つまりこれは、一応ルルへの説明を兼ねていたのか。
とりあえず、勇者の身にはあの後変事はない。そう聞いた僕は、一応胸を撫で下ろした。
「よろしゅうございました」
ルルがミルラへとそう返す。ルルとしては何が原因でそうなったのかさっぱりだと思うのだが、それでも礼儀としての寿ぎだろう。
「ザブロック様。貴方の従者も中々役に立ちます。覚えておきましょう」
「それは……」
どうも、という意味の言葉を続けようとしたのだろう。だが、ルルは言葉を一瞬止めて、僕の方へと目だけで視線を向けた。
しかしその視線は、向けられただけでまたミルラの方向へと戻る。
「いえ、光栄でございます。ミルラ様と勇者様のお役に立つことが出来るなど、望外の」
「謙虚でいらっしゃるのね」
ふふ、とミルラは笑う。上機嫌というか、何となく気分は良さそうだ。
そして、儀礼のような言葉の応酬が終わったのだろう。
勇者も昨日の様子が世間話のようなものになるとは、本人も思っていないだろうに。
ミルラが、さて、と袂から一通の手紙を取り出した。
「今日ここへ来たのは、ルル・ザブロック様、貴方にご用事があるからです」
「私に、でございますか?」
またルルが、視線を僕へと向ける。意味としては『貴方ではなく?』という感じだが、僕も同じように少しだけ驚き目を開く。それが伝わったのか、ルルはその机の上に置かれた手紙に目を戻した。
サロメが手紙を拾い上げる。
そして封をされた手紙を、腰の隠しから取り出したペーパーナイフのようなもので開封すると、その中からまた三つ折りにされた一枚の紙を取り出す。
用事があるなら直接言えばいいのに、と思うが、まあ必要な動作なのだろう。口だけではなくて、文章で残す必要があるとか。
……しかし、何だろうか。
「昼餐会のお知らせです。以前の晩餐会では接触に席次で偏りが出た、という勇者様からの意見があったそうで」
「…………」
ルルはミルラの説明を聞きつつ、サロメが手渡した便箋をまじまじと見る。そこには、たしかにそのような催しについてのことが書いてあった。
「今回は、自由参加の立食会としました。勇者様の世界では、そういったもののほうが多いそうですよ。舞踏会とあまり代わり映えはしませんし、私たちにとっても目新しくもありませんが」
ミルラはもはやこちらを見ずに、紅茶を傾ける。
立食会。……なるほど、そういうものの方が多い……のかな?
僕の時代と移り変わっているために、様式も変わっているのだろうか。立食といえば、食事が主というよりも、政治家なんかのお披露目のようなものがやはり多く浮かぶが。
そういったものであれば、多分、僕も参加したことはある。そんな気がする。
「自由参加、というのは」
「その意味の通りです」
ルルの質問に、端的にミルラは口にする。……いやまあ、その通りなのだろうが。
「今回は、招待状ではございません。参加されない家ももちろんあるでしょう。今現在城にいらっしゃる方で、社交界ではあまり見かけなかった方などは、特に」
……一応表情からは多分、ルルのことを言っているわけではないらしい。呆れるように微笑んだその顔は、どこか知らない遠くを見ている。
「出席されるかされないかはお任せしますが……色のよい返事を期待しておりますわ」
ふふ、と笑いミルラは話題を閉じる。
その嫋やか笑みに僕は、何故か高笑いを想像した。
用事は済んだ、とばかりに席を立ったミルラを見送り、サロメがまた部屋へと戻ってくる。
ルルと僕が残った部屋。そこではまだルルが、手元に残された手紙を眺めるように読んでいた。
「……やはり、出なければいけないのでしょうか?」
ぽつりとルルが呟く。その問いが誰に向けられたかはわからなかったが、多分それはサロメではなくて僕だろう。
「恐れながら、その通りでしょうね」
視線を合わせずに問いかけていたルルが、改めて僕を見る。
「自由参加と仰りながらも、ミルラ王女が直接お越しになったのです。お嬢様には、命令のようなものでしょう」
自由参加と言いつつも、自分が姿を見せて紹介することで断れないようにした。もちろん断ってもいいのだろうが、その場合はもはや礼儀を欠いてしまう。
そのことはルルも承知しているだろう。今のは単なる確認だ。そうではない、と僕が言うことをおそらく願っての。
ミルラが命令と言わなかったのは、言質を取られないためだろうか。自らルルが足を運んだと、そう見せたいから。
……誰に?
覚悟を決めるようにルルは唇を結び、一瞬迷ったような顔を見せる。
「サロメ。準備をお願いします」
「かしこまりました」
だが、やはり自らの仕事には従事するのだろう。サロメにそう命じて、自らは立ち上がり、深く溜息をついた。
準備を始めた女性陣を眺めて、さて、と僕も内心呟く。
今日の休暇は何をしよう。今日で休暇は終わり、またルルの身辺警護の日々が始まる。別に休暇は取れなくもないだろうが、オトフシと僕しかいないという人数の関係上、実質休むことは出来ない。
これが最後の休日といってもいいのだ。
僕は部屋の入り口の横の控えスペースで座って待機中のジグへと視線を向ける。
彼も今日でお役御免、また元の任務へと戻る。無表情で目を閉じて待機しているその姿が、どことなく窶れて疲れて見えた。
オトフシも一日のうち短時間しか担当がなかったため、実質休暇を取っていたと思ってもいいだろう。三日の休憩……いやまあ、実際には短時間だが働いているので、休憩とも休日とも言い難いが。
今日を最後にしばらく休日はなくなる。
何をしよう。毎度のことながら、やることがないというのがあまり苦痛に思えないから困る。
部屋で適当に休んでいようか。ルルに借りた本もまだ他に残っているし、それを見て過ごすとしても構わないし。
勇者のことに関しても、何かあればお呼びがかかるだろう。便りのないのは良い便り、とも言ったが、たしかに勇者に関してはその通りだと思う。
まだ着替えないらしいが、サロメがルルの衣装を整えるために衣装小屋から何枚か候補を引きずり出してくる。
そのサロメが横を通ったその時、ジグが立ち上がり、そして部屋にノックの音が響いた。
ノックをした女性をサロメは出迎えたが、その顔を見てサロメは表情を固めた。驚きや恐怖ではなく……焦り?
そして案内された女性は令嬢たちではなく使用人の一人らしく、ドルバック家の者です、と名乗っていた。
中に通すわけでもなく、玄関から入ったすぐの場所で。
ルル相手ではなく、サロメを相手に話し始める。
ドルバック家。男爵家だったか。……たしか、ルルがよく顔を出す集まりの一人、カノン・ドルバックの家。
侍女は、サロメに呼ばれて進み出た僕を見て、軽く会釈をする。
「今日は、薬師としても名高いカラス様に、相談があってまいりました」
「……?」
僕がどう反応をしてよいのかわからず動きを止めると、またサロメが焦ったように顔を背ける。僕がそちらを見ても、一切こちらを見ようとはしない。
「ちょっと待ってくださいね」
一応訪ねてきた侍女を一端制止してから、僕はもう一度サロメの方を向く。それからようやく、わざとらしい笑みを浮かべて僕の方を向いた。
サロメの咳払いに、ようやく視線が交わる。
「サロメさん?」
「ドルバック家といえば、ザブロック家との関係も浅からぬ家。カラス殿、お力になっていただきたい」
「少しは悪びれましょうよ」
サロメの堂々とした話に、僕は思わず素になって反応してしまう。
その話は一昨日の夜断ったはずだ。なのに。
「……何か都合が悪かったでしょうか?」
細い目をした黒髪の侍女は、不思議そうに首を傾げる。一応他家の人だし、軽く扱えないのだが。
「……いえ」
あとでもう一度話を、と視線でサロメに呼びかけながら、僕は侍女の方へと向き直った。
「カノン様のために、薬の調合ですか?」
「そうなんです。いつもは家から届けさせていたんですが、少々足りなくなってしまいまして」
「はあ」
話を聞いてみれば、お嬢様の常用薬が切れそうだから僕に作ってほしい、という相談らしい。
いやだから、そういう恐ろしいことをしたくないから断ったのだが。
「申し訳ありませんが、常用薬があるのであれば、やはり私が作るわけには」
大量生産される前世の薬と違い、この世界で薬を作るとやはり同じ薬でも調合する人の癖が出る。品質も保証できないし、レシピを聞いても全く同じ薬とはいかないだろう。
だが、僕が断ろうとすると、侍女は慌てるように顔の前で手を横に振った。
「常用薬はあるのですが、出来ればカラス様に証を見立てていただいて、改めて調合してほしいのです」
「……何故です?」
僕はまた素になって聞いてしまう。
常用薬がなくなったので、新しい種類の薬がほしい。そうなると、ほんの少しだけ穏やかではない理由がある感じなのだが。
「実は、お嬢様の虚弱はとても長引いていまして」
「長い……どれくらいです?」
「もう三年ほどになりますか。お抱えの治療師には『様子を見ろ』と繰り返し言われていたのですが、そろそろお嬢様も私も、巡回する別の上級の方に見ていただこうかと話をしていたもので。……今年に入って、そう考えていた矢先にこの召集があったものですから」
「なるほど」
そろそろ相談する治療師を変えようとしていた矢先に、その機会が失われたから、と。
……ならば、この城の治療師に相談できないものだろうか。
「この城にも、特等の方が詰めているのでは?」
この国で最も重要な人物が揃っているこの城。そういう人材は完備されているはずだ。僕なんかよりも、もっと信用されていて、地位もある人物がいるはず。
何より、預かっている令嬢の身柄だ。王城としても、害になるようなことは出来まい。
「別の治療師に、と考えるのは初めてではなくですね、……どうせ違う種の方がいるのであれば、というのがお嬢様と私の意見でございまして」
「幾人かの治療師が、同じ見立てをして同じ薬を出した、と?」
「その通りです」
ならば本当に僕がすることはないのではないのだろうか。
聖教会に属する治療師は、教義の関係であえて治療しないことや、知識に偏りはあるものの、基本的には信頼は置ける。治療しなかった、ということではないのであれば、そこそこ効果のあることをしているはずだ。
しかしまあ、長引いている。
そして、治したい。その手立てを探して、お抱えの顔を潰してまで、僕へと依頼を。
それを考えると、何故だか足が疼く。
……健康な体を求める人間を、無下には出来ないだろう。
「わかりました」
「お引き受けいただけますか」
細い目を更に細めて、侍女がパアと笑う。
「材料があるかもわからないので、お力になれるかどうかはわかりませんが。いつ頃お伺いすれば?」
「今からでも」
「昼餐の準備があるのでは?」
まだ朝で、時間があって、衣装を変えるだけ。その程度でも、貴族たちは僕たちよりも時間をかけるものだ。化粧直しやその他諸々、邪魔をしていいものではないだろう。
「もしお時間がかかる、というのであればカラス様の都合に合わせてよろしい時間にでも」
「そう時間はかからないと思いますが……」
僕はサロメの方を向いて、目で問いかける。
出てもいいか、と一応尋ねると、サロメはゆっくりと頷いた。
「では、少々お待ちください。荷物を取って参りますので」
「助かります」
生薬の詰まった鞄。手持ちのもので、何とかなるといいけれど。
僕は自分の居室に戻り、整理しておいたやや小さな背嚢を担ぐように手に取る。
カノン・ドルバック。たしか記憶の中では、やや貧血気味の女性だった気がする。虚弱というのはまあ間違いなくそれだとも思うが。
適当に当たりをつけながら、僕は立ち上がる。
それからふと、袋の横に置いてあった、事典のように分厚いがさがさの手帳に目を留めた。
昨日、エウリューケから渡された形見分けの品。何となく、これを見て生薬の整理をしたのは偶然だろうか。
……偶然だろう。ほんのわずかな僕の感傷を含んだ。
一応、この手帳も入れておこう。そう思い、袋にいつものように適当に放り込もうとして、躊躇してまた袋を置く。そうしてから中の荷物に隙間を空けて、丁寧に入れれば手帳は小さめの背嚢にぴったりと収まった。
いつの間にか、普通に協力する流れになっていたが、何故だろう、荷物を手に取る頃にはそんなことどうでも良くなっていた。