魔法のない世界
「どこから話そっか」
「……結論から」
交換会、というよりはもはや講義のようなものなのだろう。机に右手を当てたまま、エウリューケが椅子を引いて座る。真正面を向いて座る僕とは違い、斜になるように。
「なら、言おう」
エウリューケはやや上を見て、軽く溜息をつく。僕ではないようだが、誰かに向けて呆れるように。
「あたしたちは、勘違いしていたんだ。常識というのはとてもとても怖い怪物だよね、あたしすら、思い込みの渦の中に捕らえていたんだもん」
「どういう、思い込みでしょう」
抽象的でよくわからない、という文句の言葉を飲み込んで、僕は続きを促す。
しかし、勘違い、思い込み。僕もしているというのは、どういうことだろうか。そちらも気になり前屈みになって膝の間で手を組んだ。
そんな風に聞く体勢を作った僕を嘲笑うように、エウリューケは「ま、でもでも!!」と叫ぶ。
「結論からじゃつまらんし、順を追って話そうかね!」
じゃあ最初から聞かないでほしい。そう僕が抗議するよりも早く、エウリューケは机の上に出来上がった物体を注視した。
机の上にある人体と同じ形とおぼしき物体は、黒い文字の線と緑の光線が絡まって表現されていた。
密になっているわけでもなく、線と線の間は隙間も空き、そして人体ではあるが表面以外は絡まり具合に所々差がある。
どちらの線も手足はほとんど隙間はないが、緑は特に頭部や腹部の辺りがすかすかだったりする。
そして緑の光線は、体以外にも足下から床……机の天板だが、床に一部根を張るように広がっていた。
「これは、さっき勇者君の体を調べたときの情報と、魔法陣の要素の比較用。あちきがわかりやすいようにしてみたってのもあるけれど、これを見れば一目でわかることがあるざんす」
「この線にはどういった意味が?」
しかし、エウリューケにはわかっても僕にはわからない。勇者の体から得た情報、というからには、きっとこの黒い線は勇者の体の何かしらを表しているんだろうけれど。
「他にも設定はあるけど、今の黒い線は、勇者の体で闘気が発せられている部分。そして、緑の線は、召喚陣が勇者の体に影響を与えている部分。勇者自身に影響がないところだったり、召喚者からの入力場所に関しては、便宜上周りに広げてるけど」
「はあ」
すると、まあ勇者の体は全身が闘気に覆われている。内臓や脳などは、闘気で直接強化するのではなくて隣接部分の闘気が影響を及ぼして強化されている、ということだろう。
そして要は、随意筋と一部不随意筋など、筋肉が闘気が産生される場所といってもいいということだろうか。それは僕自分の闘気を使った際の認識としても間違ってはいないが。
「そして、話をして、言葉を出したときに使っていたところ」
エウリューケが言うと、黒い線がまたシュルシュルと動いて、今度は縮まっていく。言葉を出したとき、というと脳に限定されると思うが、思った通りに黒い線は密になり、脳の一部、周辺にもほんの少し染み出るようにして存在しているが、ほとんど脳の左側の真ん中辺りとその少し前に集まっていった。……言語中枢か。よく見れば、右側にもほんの少しある。偏在しているというとおりに。
「さっきと同じだよね。大体が、緑の線がある場所と一致してる」
「闘気の産生能力と、言語の能力が召喚陣により付加されている、ということですね」
僕の補足にエウリューケは頷く。
これではっきりと確認は出来たが……しかしこれは既知の情報だ。闘気と魔力の動作を示すものではない。
そしてひとつ、僕の疑問への答えは出た。
勇者に調和水が効いた理由。
「召喚陣のうち、人の形を作る、というところも大体が限定された。そこは赤く変えとくね」
エウリューケの言葉の通りに、緑の線の一部が赤く変わる。そして先ほどまではコロナ放電のように体の周囲に走っていた線の一部も赤く染まり、体の中に格納されていった。先ほどは埋まっていなかった脳や内臓、骨などの場所もほとんどが埋まるように。
「つまり、今赤い場所が、ただ勇者の元の世界での体を再現した場所。緑の場所が、召喚陣が何かしらの変化を加えた場所」
「…………」
きらきらと煌めく人体が、目の前で再現されている。
しかし、これがなんだろうか。まだ要領が掴めず、僕は黙って続きを促した。
「カラス君も気が付いたんじゃない? さっき、勇者には生まれたばかりの赤ん坊にしかない反射がいくつも確認できた。なおかつ、ならあってもおかしくない乳首の探索もなくて、……知ってる? 足の裏を擦り上げても、指は広がらないし親指は反らなかった」
「まるで子供を不完全に知った誰かが想像した赤ん坊の体、でしたね」
「その言い方なら、もうわかってるやんな」
エウリューケが言うと、人体模型の色がまた組み変わっていく。まるで、人体に何かの植物が寄生したかのように、細い足が食い込むように黄色い線が入った。
「この黄色い線。これは、《災い避け》や《運命の輪》と同じように、術者の思念が反映される部分」
「……やはり、魔術師の」
僕が呟くと、エウリューケはただ頷いた。
「勇者の体は、召喚陣、それと術者が共同で作り上げていた。……改造されていたって言ってもいいけど」
「召喚陣だけじゃなかったんですね」
勇者の体。もちろん、改造されているとは思っていた。ただの人間がこの世界の言葉を瞬時に解することなど出来るはずないし、魔法使いやそれに率いられた聖獣と戦うことなど出来はしない。
しかし、ならその『術者』の役割は?
「注目するべきは、ここだ」
もう一度注目、というように光の線が激しく明滅する。それは、先ほどの言語中枢に絡まった線。
その色は、黄色。
「ここは、召喚陣にある情報は一切書き込まれていない。道理で普通に言葉が通じると思った」
「……おかしいですか?」
「当然じゃん? 千年前の言葉、もっと言えば、それ以前の言葉なんて、今話したら古くさくて中々通じんよ」
「…………ああ」
なるほど。
僕は納得する。仮に千年前の言葉と同じものを話すというのなら、ならばドゥミのような古い言葉遣いになるはずだし、現代とは隔絶しているわけではないが、それでも通じるとは言い難い。
言語のデータベース、というものがあるとしたら、それは召喚に関わった魔術師たちだった、ということだろう。
理には適っていると思う。時代に応じて変化する言葉など一々魔法陣に組み込んでなどいられないし、その召喚時に生きている人間を参考にした方が効率的ではある。
「召喚対象の位置指定、半分くらいの座標が異世界で、半分があの召喚陣の部屋だってあたしは言ったね」
「たしかにそう言ってました」
エウリューケが、人体模型を指し示しながら言う。
「その理由が、言語ともう一つ。同じように、場所……召喚対象の選定や設定にも召喚者が関わっているらしい。その内容までは、今のところあたしが読み解けないからあれだけど」
「選んだのは、あの魔術師たち」
僕がまとめるように口に出すと、何故だろうか、少しだけ、語調が荒くなった気がする。
何故だろうと悩むこともないし、多分本当はあの魔術師たちが悪いわけではないのだろうけれど。
「つまり、あの魔術師たちが勇者を選び、言葉の知識を付加して、闘気を扱えるような体でここに連れてきた」
もう一度、と僕はまとめる。そして、その『何故か』がわかり、ふと溜息をついた。
「……勇者は恨みますかね、彼らを」
「どうだろうねー。あたしゃどうでもいいけど、勇者君には知らせるべきじゃないんじゃない?」
この前、僕は考えた。
どうして勇者……オギノヨウイチが選ばれたのだろうかと。
魔力が強いのか、それとも闘気との親和性か、性格か、剣の技能か、どれを基準に選ばれたのだろうか、と。
その答えの一つが出た。……いやまあ、未だ何を基準にかはわからないが、とにかく選んだ『誰か』の答えが出た。
勇者・オギノヨウイチを選んだのは、魔術師たち。
誰でもよかったのか、などはわからないし、やはり彼でなくてはならなかったのかもしれない。それでも、やはり、召喚陣や自然法則などの人智の及ばないところで選ばれたのではなく、魔術師たちが恣意的に。
「どうして怒ってるの?」
「……怒ってはいませんが」
不機嫌さが表に出てしまったのだろうか。エウリューケがからかうように僕の顔を覗き込むが、僕はあえてそれを無視した。
もちろん、魔術師たちだけが悪いわけではないだろう。
勇者を召喚すれば、誰かが選ばれここに再構成された。王の命令である以上それは避けられず、それが今回たまたまオギノヨウイチだっただけだ。
……ほとんど変わらない気もするが、しかし被召喚者に不本意な召喚である以上、『召喚陣の指示』や『偶然』と呼ばれる選定方法の方がまだ救いがある気がする。
「続きを聞くかい?」
「ええ」
もう一度深呼吸をして心を静めた僕に、エウリューケが尋ねる。そもそも止めないでも結構だ。僕自身に起きていないことな以上、憤慨しても何かしらの行動に出ることはない。
「召喚陣の機能は具体的にどうしているのかは未だに解析し切れていないけれど、作用している場所は今のように特定できた。召喚陣は『勇者の世界にいる某かを、術者の意図に応じて選別し、闘気と言語能力を持たせてここに作り出す』という神器だ」
「ほとんど既知のような……」
やはり、ほぼ知っている話だ。今のところわかっていることをまとめている。
知られている勇者召喚陣は、『勇者の世界にいる某かを、この世界に連れてくる』というものだった。それが、アリエル様の言葉で、違うと僕は知り、エウリューケにそれを伝えた。
勇者召喚陣ではなくて、勇者複製陣。または勇者作成陣。それが正しい名称だろう。
「これは推測だけど、勇者の体が赤ちゃんみたいになってるのは、召喚陣からの情報の逆流によるもんでしょ。魔術師たちは、無意識下では『この召喚陣から生まれる』ということを知って、そうやって想像してしまったから。《運命の輪》でも、何か感じたでしょ?」
「たしかに」
《運命の輪》からは、具体的な言葉ではなく感覚的にだが、質問のような信号が戻ってきていたと思う。その信号の一部で、そう感じられたから。
ならば。
「……知っている可能性もありませんか? 召喚陣は、召喚陣ではないと」
「かもしれんね。もっともあのヴァグネルの弟子どもだし、表沙汰にはならんだろうけれどもさ」
苦々しげに、エウリューケはヴァグネルの名を吐く。本当に嫌っているらしい。
「闘気を産生しているのは、筋肉と知られている。なら、魔力の源はどこだと思っち?」
「源、ですか?」
エウリューケの表情から、これは考えろということではなく、ただ単に知っているか確認しているのだろう。勇者の闘気生成能力は、筋肉に手を加えられているため生まれていたものだし。
魔力の源。経験上でも、どこかで知った知識上でも思いつくのは。
「脳か、中枢神経辺りでしょうか」
「正解。正確には、脳の表面、というのが聖教会での一般的な説かな。頭部損傷の結果、魔力の質が変わることも、使えなくなることもあるってことで」
脳の表面……大脳灰白質? そこまで詳しい位置まで特定できているのか。
本当に、まるで講義じみてきた。僕は経験もないだろうが、まるで生徒が講師の授業を聞き入るといった雰囲気になっていると思う。
「……そうなると、疑問が湧かね?」
「疑問、ですか?」
これも本当に想像だが、教師が授業中生徒に尋ねるように言って、エウリューケは口元だけで口を閉じたまま笑う。
それから、視線を目の前にある勇者の体の模式像に移した。
「さっき、あたしは言った。召喚陣の影響にある部分は、特定できていると」
「特定……え?」
僕は目の前の像を、もう一度よく見る。
現在緑色の線が覆っているところ。それが、作り替えられたところとエウリューケは言っている。
そうだろう。緑の光線は体表から筋肉、一部骨までに及び、筋肉の塊の心臓はもとより管腔臓器などの平滑筋なども少しだけ影響がある。
そして、言語に関する部分。聞く部分に、喋る部分、言語理解に関わる場所が作り替えられ、そこに隣接する場所もぼんやりと書き換えられているように見える。
だが。
「ですが、脳はそのまま……じゃないですか?」
脳はほとんど、変化がない。つまり、そのままこちらに再現されているということで……。
「つまり魔力は、言葉の場所に」
「思考ってのは、言い換えてみりゃ自分との対話だ。つまり言語が必要だ、という可能性もたしかにある。言語に関する場所の構造が勇者の世界とは変わってて、そのおかげで勇者は魔力を扱えるようになった、なんて考えもあるよ」
そこまで言って、でも、とエウリューケは一度言葉を切る。
「もう一つ可能性がある。『勇者は元の世界でも、魔力を使っていた』」
「そんな、ばかな……」
「馬鹿な考えだと思うでしょ? あたしも、勇者は元の世界で魔法なんて使ったことがないからと考えていたけれど、もはや否定できなくなった」
とん、とエウリューケは自分の頭を指で突く。今話題にしているウェルニッケ野の辺り。
「そして、言語の場所に魔力が関係しているわけじゃないと、あたしは知ってる」
「……何故……」
「遠い昔に実験済み」
端的に口に出された言葉に、僕は以前エウリューケが盗賊の頭を針で操作していたことを思い出す。
脳を傷つけ、多幸感を発生させる操作をしたエウリューケ。彼女はそれを、狙ってやっていた。
ならば、そこが関係ないということも、もはや知っていて当たり前なのかもしれない。
精神外科手術の熟達は、回数が必要だ。
「勇者は魔法など架空の話だと……」
それは僕も勇者と同じ意見だ。僕と勇者は同じ世界にいたはずで、そして僕にもそんな経験はない。魔法使いも魔術師もいなかった、少なくとも公式にはそのはずだ。
その根拠を言う気はないが、それは明確に否定できるし、僕の中では真実だ。
「きっとそれも真実なんでしょうね。あたしは勇者の世界に行ったこともないし、伝え聞く話だけじゃなんもわからん」
エウリューケが机から手を離す。
魔力の通らなくなった勇者の模式像は溶けるように形を変えて、緑の光共々消え去っていく。
後に残った手帳には、先ほどのまま、意味のわからない線が引かれていた。
「あたしが今言い切れるのは、勇者の世界には、闘気がなかったってことだけ」
「しかし、それは」
魔力があった。それを聞いても、やはり僕は納得できない。
魔力があったのであれば、きっと僕は違う生活をしていただろう。僕だけではない、人類はこの尽きないエネルギーを使い、もっと別の生活をしていたと思う。
僕のように空を飛べたし、エウリューケのように病気を治せた。オトフシのように遠く離れた人と会話し影響を及ぼし、ドゥミのように荒れた地面を直すことも。
そして、動かぬ足もどうにでも出来た。
そのどれもが、手の届かない夢だったというのに。
「確認のためにも、いつか行ってみたいもんですわな。召喚陣を見ても、転移魔術で行ける感じじゃなかろうもんが」
「…………」
少女のように憧れを口にするエウリューケに、思い出の部屋を、と僕は言いかけた。
月にある、どこにでも繋がる謎の部屋。彼女の思い出にはないかもしれないが、僕が同伴すればどうにかしてエウリューケをあの世界に連れていけるかもしれない。
そうすれば、わかってもらえるかもしれない。あの世界には、魔法など……。
……魔法など?
「……何かしらの法則が、違うんですかね?」
「そうかもねー。なんたって、世界が違うんだ。こっちで当たり前のことが向こうで起きないとも限らんし、その逆もある。現に闘気の問題ももう出てる」
「勇者の世界には、……とりあえず、勇者は闘気の生成能力を持っていなかったってことでいいですね」
むしろならば、勇者は魔力を持っているから選ばれた、と考えるのがスマートだろう。勇者召喚陣は闘気の付加は出来るが、魔力の付加が出来ないから、と。
もしくは闘気があると抵抗されるために、無い個体でなければいけなかった、とか。
「そんな感じそんな感じ」
どこまでわかっているかはわからないが、エウリューケも、僕の推察に頷いた。
言いながら、何故か僕は泣きそうになった涙を止める。
本当に何故かはわからない。声に出してはいないはずだが、気づかれていないか心配だ。
そして。
何故僕は、『わかってもらおう』と思ったのだろう。
魔法があるかどうかの確認。それはそれでいいのに。
何故だろう。僕は、あの世界に『魔法がないこと』を願っていた。
「そして核心、勇者に連なるこの話、闘気と魔力の共存説。勇者は後付け、ってことで決着はついた」
勇者は元から魔力を持っており、闘気を後から付加した。魔力を持っていた、というのは除き、そんなに違和感のある話ではなかった。どちらかといえば、予想の範疇だ。
「次は、カラス君、ウィンク君、クリンちゃんの話だ。とりあえず場所を移そうよ」
「また転移ですか」
「またっていうなこのやろー!!」
前もこんな感じで場所を移したと思う。普通にそれを声に出してしまって、エウリューケの気分を害していないか言ってから心配になった。
だが、エウリューケは気にしていないらしい。気安くして甘えてしまうのも問題だが、僕自身の無神経な言動を気にしなくて良いのは助かる。
「ではどこへ? ウィンク君のところですか?」
もしくは今朝のクリンのところ。闘気と魔力の共存についての話ならば、やはり彼らのどちらかだろうと思う。
「そう、またウィンク君のところ!!」
元気よくエウリューケは答える。自分でも、『また』と言っているのに。
だが、シュンとしたようにエウリューケはトーンをダウンさせる。
「……昨日レーちゃんが言っていたって意味。他にも一杯いるって言った意味。わかったんだ」
そっと手を差し出される。ウィンクのところに連れていかれた初回よりも、力なくそっと。
「これからあたしはカラス君に嫌われちゃうかも」
「……嫌いになることはないんじゃないでしょうか」
「どうかなー? どうかなー??」
囃し立てるように、自分を奮い立たせるようにエウリューケはおどけてみせる。
繋いだ手が震えていて、何故かそれが冗談とも思えなかったが。
「何をするんですか?」
まあ、嫌うことはあるまい。愛弟子扱いは遠慮するが、それでもここまで深い関わりを持って好意的に振る舞ってもらっている間柄だ。
その全てが嘘だとしても、きっとそれが裏切られるその瞬間まで、僕は彼女のことは信用しているだろう。
「あたしの推察では、彼はこれから魔法が使えなくなる」
「…………」
え、と僕は内心戸惑う。今まさに魔法使いの彼が、……魔術師になるとでも言うのだろうか?
「魔法が、ですか?」
「ううん。きっと魔力を扱う術をなくす。それを、あたしの手でちょっと早める実験だよ」
そして、転移。いつものように景色が移り変わる。
その瞬間、ぽつりとエウリューケは呟くように言う。僕にも聞かせる気もないようで、口の中だけで、「くっそみてーな世界」とたしかに聞こえた。
この章はあと閑話と本編一話ずつで終わりです




