小さな歩幅で
結局何もなしか。そうした感情を含んだミルラの吐息が、溜息のように耳に大きく聞こえる。
しかしまあ手詰まりだ。
身動きの出来ない勇者にはこれ以上僕は何も出来ず、クロードもそうだろう。エウリューケも……。
予想と、わずかな期待とを同時に込めてエウリューケを見るが、エウリューケもぷくと頬を膨らませてただ勇者を眺めていた。
「エウ……」
「反応ねーのまじつまんねーの」
そして呟き、一歩近づいて勇者の足を持ち上げる。
足を組ませた形。その体勢を保っているのも難しいため、膝に膝裏を引っかけたような形だが。
それからエウリューケは、拳を握った。
「ちょいやっ!」
「ちょっ!?」
ミルラが驚くのにも構わず、かけ声をかけてエウリューケがそれを斜めに振り下ろす。勇者の膝辺りをめがけてそこに当たると、ポン、とわずかに足先が蹴り上がった。
「反射はあるのにね」
「神経系に異常はないってことですか?」
「だろうだろう。頭ぶつけてもないし、亢進してるわけじゃなかろうもん」
膝蓋腱反射はある。それに、足を持ち上げる筋力も。
……筋力も?
「持ち上がったじゃないですか」
「んん?」
僕は戸惑いつつ、エウリューケに言う。ミルラとクロードはさっぱりだという顔だが、僕も含めて実際には門外漢だし仕方ないだろう。
だが、エウリューケは気づくはずだ。
「調和水の影響で筋力が低下しているなら、持ち上がらないはずでは?」
この麻痺は神経性のものではない。どちらかといえば筋性のもので、症状的にいえば腱断裂などと変わらないはずだ。ならば反射が起ころうと、やはり足を引き上げることは出来ないはず。
エウリューケは天井を見上げるようにして、「んー」と呟く。
「そういやそうかも。不随意のもんにはやっぱり影響は少ねーってことかいや」
今度は勇者の腕。肘の下辺りを引っ張り上げて持ち上げてから、肘の上を叩くとわずかに肘が伸ばされる。
「あははー! 無抵抗なのに変なのー!」
楽しむように、勇者の唇の横を指で撫でる。さすがにそれは……。
「……赤ん坊じゃないんですから」
「やっぱこれは無理かー」
探索反射にはやはり反応なし。当然だろう、生後数ヶ月で消失するものだ。
「じゃあさ」
エウリューケが右手を握りしめて前に出す。
何となく、何をするか悟った僕。慌ててクロードに向けてミルラを顎で示しながら僕が耳を塞ぐと、クロードはすぐに応じてミルラへと腕を伸ばした。
「……失礼を!」
「何……」
すぐさまエウリューケの右手から、パァン! と何か破裂したような音が響く。空気を圧縮したもので、僕が前王城で鳴らしたような音。
「ひっ!?」
まともに受けたクロードは一瞬顔を顰めたが、耳を塞がれたミルラにも相当な音量が響いたようで、驚き固まっていた。
そして、僕にも驚きのことが起きる。
「お? お??」
エウリューケは、今の刺激にも勇者は無反応だと思っていたのだろう。僕もそう思っていた。
しかしエウリューケにも予想外だったようだが、勇者の体が一瞬痙攣したように震え、両手両足が、わずかに持ち上がったのだ。
……冷静にここまで振り返ってしまうと、実験動物のような扱いをしてしまったのはちょっと申し訳ない。
そんな申し訳なさに少しばかり後ろめたく思いながら、僕はエウリューケと見つめ合う。
「驚いただけ、でしょうか?」
「だったら……そう??」
両手で左右から顔を押しつぶしながら、「んー」と何かを考え始めたエウリューケ。
彼女は無視することに決めたのか、ミルラが僕へと向けて、説明しろという視線を向けた。
僕は言葉を選びながら、口を開く。
「お二方は、生まれたばかりの子供を見たことは?」
「……あるとは思いますが……記憶にございませんわ」
「門下生のならば、何度か」
いやまあ、僕も産婆的なことはしたことがないので、生まれたばかりの子供は見たことがないが。
しかし、ムジカルで乳幼児のために薬を作ったことは何度かある。その際も、遊ぶように確かめたりはした。この世界の子供も、以前の世界の子供と同じような反応をする。
「先ほどの行動は、……いえ、大人でも驚いたときに行うんですが……」
しかし言ってもいいことだろうか。勇者の反応はわからないからどうとも言えないが、本人的にはショッキングなことだったりしないだろうか。
いやまあ、間違いかもしれないので、杞憂ということもあるかもしれないが。
口ごもる僕に向けて、ミルラが不満げに目を細める。
「はっきり仰ってください」
「驚いたときに……他にも、浮遊感を覚えたときなど、危機に手足をばたつかせてから何かに抱きつこうとするのは、赤ん坊特有のものなんです」
モロー反射といったっけ。それも生後半年以内に消失するはずだ。
……やはり、身体年齢にそぐわない……というか、生まれ出てすぐの反射をしている、ということだろうか。
母乳は吸わないまでも、その他は。
悩みながらエウリューケは、勇者の手を取り、人差し指で掌を撫でる。すると、掴めないまでも指先は動き丸まっていく。ついでとばかりに手首辺りを叩けばそちらにも反応していた。
まるで乳児の肉体だ。見た目は紛う事なき高校生程度の男子。なのに、原始反射が残っている。
おそらく、本人も気づいていなかったようだし、それも本来は微かなものなのだろう。ただ今は、随意運動が出来ないために表に出てしまっているだけで。
やはりこれは、召喚陣の影響だろうか。
勇者はこの世界へ転移してきたわけではない。この世界に生まれ出たのだ。前の体と同一の機能、外見を持った、新たな肉体を得て。
ならばその肉体が、どうしてそんな機能を持っているのかもまあわからないが。
「カラス君! カラス君! 嚥下反射はねーぞこれ!!」
「やめましょう!!」
硝子瓶を咥えさせるようにして勇者の口へ水を流し込んでいるエウリューケに気づいて、慌てて止める。
口から溢れた水が服の胸部分を伝う。
肺の中に入りかけている水分を念動力で抜去すれば、苦しかったのだろう、何となく勇者から感謝の感情が伝わってきた気がする。……文句の一つも言っていいと思う。
というか、エウリューケは謝るべきだと思う。
咳き込むことは出来ていないが、原因がなくなったので大丈夫だ……というのは希望的観測だ。
とりあえずエウリューケを促すと、「ごめんね?」と軽く謝っていた。さすがに軽くじゃ足りない。
「申し訳ありません」
僕も頭を下げる。クロードは半笑いなので事態に気づいているが、ミルラがよくわかっていないのが幸いだった。というか、クロードも気づいていたなら止めてほしい。
しかし嚥下はともかく、咳き込むことも出来ないのだろうか。
防御反応が出来ていない。瞬きは出来ているのに。
嚥下が上手く出来ないのは、どちらかといえば老人だと思う。
幼児とも老人ともいえる身体反応。いやまあ、老人の嚥下機能はただ衰えてるだけだが。
「つまり勇者様の体は今赤子に戻っている、ということでよろしいのですか?」
「……それも、ちょっと頷けないんです。本当にそうだとしたら、先ほど頬を撫でた指にも反応しているはずなので」
ミルラの言葉に、僕も顎の下に手を当てて思案する。アンバランスだ。やはりそれは、作られた体だから、ということだろうか。
「実際には指を当てられたらどうなるんだ?」
「ご存じありませんか?」
クロードに僕は思わず聞き返してしまう。だが次の瞬間、そういえば子育てはしたことないな、と思い直して納得する。よく考えれば僕もだ。
「いえ、赤ん坊なら、母親の母乳を吸うために顔を動かします」
「なるほど。乳首か」
「ええ」
子供を母乳で育てたことのある母親ならば経験的に知っていることだし、そうしなかったとしても、重湯などを布に包んで含ませる過程で知ることは父母関係なくあるだろう。
しかしまあ、僕とクロードは男性ということもあるし、ミルラも含めてこの場にいる者は子供もいないしで知らなくてもおかしくはない。
レイトンの話ではないが、やはり人の視点に立つのは難しい。
……そうだ。
そこまで考えて、僕は少し変な着想に辿り着く。
このことに関係のあることだが、関係があると悟らせたくないこと。ミルラやクロードならば知っているかもしれないが、どのように尋ねればいいだろうか。
いや、尋ねるべきだろうか、関係がないのかもしれないのに。
召喚に参加した魔術師の年齢構成など。
僕の中に今、一つの仮説が浮かんでいる。
それはこの今の勇者の体の状態に関してのもの。
勇者には、反射が残っている。不随意に動く、体に『設定された機能』が。
闘気と魔力の関係ではない。ただ、この体の動き方について。
この体の機能を、誰かが設定したのだとしたら。
この体の機能が『誰からの視点』だと考えたら。
この体、勇者を呼び出した魔術師たちの認識が反映されていないだろうか。
勇者召喚に参加した魔術師たち。それらは皆魔術ギルドで優秀とされる者たちのはずで、ギルド内部では高名な者たちだ。
ここからは完璧な推測だが。
そして、彼らは子供がいなかった。もしくは、名家とも呼ばれる彼らは、自身の子供に母乳をあげた経験もなく、乳母などに任せて食事をさせた経験もないのではないだろうか。
ならば探索反射も知らず、嚥下反射も意識にない。魔術ギルドも独自の技術は発達しているが、身体的なエキスパートの聖教会からは隔絶しているため、知識としてもない。
この説が正しいならば、加えて多分、吸啜反射などもないと思う。
そして、彼らに子供がいるとしたら、子供をもちろん見た経験はある。
可愛がり、抱き上げた。そしてあるとき、落としそうになった、驚かせてしまった。そんなときに、手足をばたつかせる我が子を見ていたとしたら。
……無論そうすると、何故『子供の機能』を再現したのだという疑問も生まれる。
それに、やはり体は召喚陣が作り上げるものだ。ならば、召喚陣がそのように設定したのだと考えた方がわかりやすいし正解に近い気がする。
根拠に乏しく、論理も飛躍した妄想だ。
やはり、聞くべきではないだろう。
しかし、『子供の機能』がある。それはたしかだ。
そこに何かとっかかりが……。
「……どうでしょうか、勇者様」
エウリューケと反対側。まだ体の動かせない勇者の横にしゃがみ込み、ミルラは勇者の手を握る。
「お体は、動かせそうですか?」
慈愛の混じる声にも、当然返事はない。不気味なくらい微動だにせず、ただぼうっと虚空を見つめていた。……エウリューケの調合する毒が濃すぎたのか。
しかしやはりそれもおかしい。
勇者の体は、曲がりなりにも以前の体を再現しているという。少なくとも、見た目で違和感を覚えることはなかったはずだ。なのに。
なのに何故、闘気も魔力も存在しない世界で生きてきたはずの勇者の体が、後から付け足された闘気を失っただけで麻痺してしまうのか。
条件的には、この世界で通常の出生方法で生まれた僕よりもむしろ優位にあるはずなのだ。
勇者が持っているはずなのは、闘気による強化も必要とせず、魔力による操作も必要のない体。たとえ調和水を飲もうとも、混沌湯を飲もうとも、体に何ら変化は見られないはずなのだ。
なのに何故。
エウリューケは多分、予想がついていたのだろう。
先ほど『やっぱり効いた』と言っていた。ならば、効かないことは予想をしていなかった。転移前の肉体のことを考えれば、効かないと予想を立てることも彼女ならば容易だろうに。
僕の考えが足りないという一番あり得そうな予想を除けば、彼女は僕の知らないことを知っている。
それは勇者の体に関してだろうか。それとも、召喚陣に関してだろうか?
後で聞こう。僕の予想を伝えながら。
「焦ることはありません。じきに毒も抜けましょう。少しずつ、一歩ずつ努力していただければいつかは」
ね、と優しげに、ミルラは上目遣いに勇者を見る。添えられた手は、純粋に勇者を元気づけているように見えた。
それから勇者から目を離さず、ミルラはクロードに呼びかける。
「……これ以上ここにいても無駄な様子。ベルレアン卿、馬車の用意をお願いできますでしょうか」
「構いませんが、入城時人目を引きましょう」
「寝かせたまま布を被せて隠すというのはどうでしょうか。私がいて、貴方が警護に就いているとなれば、中の確認は難しくなる」
「ミルラ様と私。二人いれば、どうしても余人は勘ぐるでしょうな」
「勇者様の存在まで辿り着くでしょうか」
「敏ければ」
ミルラが溜息をつく。もう帰る算段だろうか。
たしかに、どうするか考えるべきか。この状態の勇者を誰にも悟られずに城に入れるとなれば手段は限られるし、彼の身を案じて荒っぽい方法を採れないともなればさらに難しくなる。
荷物の木箱の中に隠しても、多分勇者は怒らない……と勝手に思っているけれど。
しかしまあ、勇者の帰還には僕も協力しなければいけないだろう。
通常の状態の勇者ならばともかく、この毒を飲まされ全身が動かない状態。
発覚すれば、エウリューケもだが、僕も責任の一端を負わなければいけない。ミルラとクロードだけならば今のように丸め込めても、さすがに大事になったら言い逃れをしても無駄だ。
確実というか、心強い手段としては、レイトンの協力を仰ぐか、それとも勇者に好意的らしいプリシラを見つけ出して協力を仰ぐか、だが。
それよりも僕が透明化して運んだ方が早いか。クロードにはもうばれてるし、ミルラにバラしてもあまり変わらない気もするし。
エウリューケに転移してもらうという手もある。
僕は勇者を見る。
まったく、面倒なものだ。体の大きな赤ん坊。それも、見つかったらまずい類いの。
自分たちでこの状況を作り出しておいて、愚痴を言うのは許されないとも思うが。
……体の大きな赤ん坊?
僕は自分の言葉を脳内で反芻し、後頭部を掻く。それから爪を噛むように指を唇に持っていき、一応この場でははしたないと意識して止めた。
体の大きな赤ん坊。その言葉に何か引っかかる。
魔術師か、それとも召喚陣により作られた、大人の心を持った赤ん坊。それが今の勇者の存在。
泣きもしないし、暴れない、というのはきっと本物よりも扱いやすいんだろうけれど。
しかし、赤ん坊。新生児。
誰がそういう風にしたのかはわからないが、少なくともその機能の一部を持った体。
……。
…………。
……なら、いけるだろうか? 本人がどう思うかはわからないけれど。
いけるかもしれない。
子供を抱き上げて、早く成長してくれ、と願い、そして成長した雰囲気で喜ぶのは親の常だろう。
そして、赤ん坊はいつか歩き出すものだ。
「……ちょっと失礼なことをしてよければ、歩くことが出来るかもしれません」
「…………は?」
僕の言葉にミルラはまた眉を顰めて、靴を脱がせた勇者の足の裏を棒でなぞっていたエウリューケも、こちらを向いて反応する。
だが、言ってから本当に出来るかどうかは悩ましくなった。そもそも筋力自体がないのだから、体が反応しても支えられるかどうか……。
まあ、やらないよりはマシだろうか。せっかく出来ることなのだ。
そして多分、僕にしか出来ないこと。
「最後の手段、といいますか。今ひとつ思いついたのですが、実行してみてもよろしいですか?」
ミルラに向けて僕は問いかける。本当ならば勇者に言うべきことなのだけれど。
「……程度によります」
「そう時間はかかりません」
ミルラの言う『程度』が何にかかっているのかはわからないが、一応時間はかからないだろう。弁解するように僕が言うと、諦めるようにミルラは口を閉じた。
「エウリューケさんは、魔術が扱えるようになった後、扱えなくなったことはありますか?」
「ない!」
僕が問いかけると、エウリューケは即答する。悩む間もなく、という言葉が間違いなくつく勢いで。
「僕はあります。一度、魔法が扱えなくなったことが」
混沌湯の影響なら他にもあるが、それではない。
闘気の発現によるものを除いて、一度ある。正確に言えば魔力は展開できるのに、魔法として形を作ることが出来なくなったことが。
「だから勇者様。素直な反応をお願いします。私を信用して」
そんな経験がある以上、僕ならば教えることが出来るかもしれない。……いや、仮にそういう手法が確立してしまえば、僕だけというのは単なる自惚れになるが。
勇者の反応を待つように、一瞬沈黙する。やはり何もないが。
僕の申し出が受理されたかはわからない。それでも、やる。
「……先ほど頷けてましたよね」
僕は先ほどの勇者の姿を思い出す。あれだけは、唯一といっていい反射以外の随意運動だったはずだ。
立ったミルラと交代するように勇者の横に並び立ち、顔を覗き込む。
「声はまだ出せませんか?」
勇者の目の前で手を振りながらそう問う。しかし勇者は無反応で、まだ意思疎通は出来ないらしい。
だが、実際には動かせるのだ。頷いていた、ということは。
「何をするんだ?」
「ちょっとしたコツがあるんです。それを、お教えしようかと」
念動力を作用させて、そっと勇者を立ち上がらせる。
紐で吊られた人形のような動作で、ただ直立不動に。そしてまだ力は入っていない。僕が力を抜けば、そのまま床に崩れ落ちるだろう。やはり無理だろうか。
「……あまり手荒な真似を致しませんよう」
「心得ております」
しかしまあ、やるだけなら損はしまい。
少しだけ持ち上げ、宙を浮かせる。それからそっと下ろしながら、やや前屈みに体勢を整える。
足が触れるか触れないかというところ。力の抜けた勇者の右のつま先が、わずかに床にトンと触れた。
僕は口を開く。勇者に向けて、語りかけるように。
「僕は以前、魔法を使えなくなりました。魔法について、『こんなの実際には無理』だと聞いて」
「無理とは?」
「実際に起こることではないでしょう? 燃料もなしに火が燃える。何もない虚空から水が現れる。触れてもいないのに、こんな風にものが動く」
勇者を物扱いして申し訳ないが、それでも正直にクロードに答えていく。
勇者の左のつま先も、右に続いて接地した。
「でも、出来るんです。やっぱり」
勇者にも見えるように、目の前に火の玉を出現させる。指先に火を灯すのは魔法使いの証明の常套手段だが、その派手なものだと思えばいいか。
一瞬で現れて一瞬で消えた火に、声なく吐息を吐き出して、勇者が体をばたつかせる。これも多分反射だ。
そして、もう一つ。
勇者が力なく、地に触れた足を踏み出す。本当は彼が踏み出そうとしているわけではない。これもただの反射行動で、実際には生後数ヶ月で消失するもの。
でも、今はそうと思わないでほしい。
「同じように、勇者様も出来ないわけではないと思いまして。さっきまで、ちゃんと歩いていたじゃないですか?」
「しかし、それは毒を飲む前で」
ミルラが言うが、僕はそれを遮るようにして無視する。
「足を踏み出す感覚を思い出してください。どう足を出していたか、腕はどう振っていたか。つま先と踵、どんな風に力を入れていました?」
よたよたと、一歩目、二歩目、と勇者が歩く。まだ僕の支えが必要だ。
やはり無理なのだろうか。
僕の見解として。
魔法は、『出来て当然』と思うことが重要だ。正確な機序はわからないまでも、僕としては、火を出すことが出来るし、水を出すことが出来る。だから、火を出すことが出来るし水を出すことが出来る。
トートロジーというか、重複した循環的な表現だが、まあ実際『出来るから出来る』なのだ。
また反射で一歩踏み出した勇者に向けて、僕は並ぶように歩く。
「先ほどまでは、歩けていた。そして今も出来ている。毒なんて、飲んだときは平気だったじゃないですか」
元気づけるように僕が言うと、ようやくミルラが察したようで、声を上げた。
「……そうです!」
本当にそう思ってるのかは別にして。それでも、ミルラも。
「勇者様ならば、出来ます」
「今、勇者様は歩けています。ならもう、支えもいりませんよね」
一か八か、とばかりに僕は念動力を切る。
どうなるか、わからないが、それでも。
瞬間、糸の切れた操り人形のように勇者は崩れ落ちそうになる。
やはりまだ駄目か。そう思い、僕が横から腕を出して、受け止めようとする。
その腕の下を、前につこうとする勇者の手が掠めた。
「……っと」
縺れた足に引きずられるように、勇者が前向きに、僕の伸ばした腕に抱き留められる。
そして、長い息を吐く。まだ足に力は入っていないようだが。
それでも。
「大丈夫そうじゃないですか」
「…………」
俯いたまま、喋らない勇者。呼吸は大分荒い。
それでも。
「……あんよが上手……って、これ、……かなり、恥いっすよ……」
「……ですよね」
まるで疲労困憊になったマラソン走者のような喘ぐ声で、勇者は力なく笑みを浮かべた。