閑話:思考整頓術
黄色みがかった青空を見上げて、エウリューケ・ライノラットは頭の後ろで枕代わりに手を組む。
仰向けのまま足を投げ出し地面に体を預ければ、背中の石畳から人の足音が感じられる。
視界の中には二階建ての木造建築と、青い空と白い雲。それが黒眼鏡を外した今よく見える。
しかしエウリューケはそんな視界の中の些事には目もくれず、思考の海へと没入していた。
だが、そんな自らの思考を堪能していた最中、小麦の匂いが鼻をつく。先ほどから枕のようにしている麻袋から漏れた細かな粉は微かに髪の毛にまぶされ、手にくっついている感触がわずかに思考の邪魔をする。
少しばかりの腹立ち紛れに右腕に魔力を込めれば、ざわりと入れ墨が蠢く。
次の瞬間、髪の毛を洗い流すように吹き散らした風に、更に香辛料が舞ったのを感じ取り、一つくしゃみをした。
「ぐへ……、あー……」
鼻水を手の甲で拭き取り、そのまま鼻の下から頬にかけて伸ばす。先ほどまで一緒にいた青年ならば眉を顰めるかもしれない動作だったが、今はいないから関係ないのだ、とエウリューケは一人内心言い訳をする。
いっそもう塗れてしまえ。
そう思い、自らの頭を持ち上げて麻袋の上に落とす。狙い通りに舞った小麦の粉に、視界がまた少しだけ白くなった。
もう一度頭の後ろで手を組んでエウリューケは深い溜息をつく。
脳内の思考に焦点を戻せば、そこには先ほどまでここにいた小さな少女の姿が浮かんでいた。
『二人目の少女、クリン』。
愛弟子に対して強がってはみたが、やはりその存在は衝撃的だ。
自分の差しだした魔力製の白百合を消したのは、常人がその身にわずかに纏う闘気。手を触れてみれば、たしかにそれは彼女も持っていた。
なのに、髪留めの色が変わっていた。それはたしかに魔力を通さなければ変質しないものである、とエウリューケは自信を持って言える。自身の魔法陣作成技術の粋を注ぎ込んだ変色宝石。その自信はたしかに。
そして受け取った髪留めに偽装工作の跡はなかった。後から色を塗ったわけでもなく、硝子結晶を交換した様子もない。ならば当然魔力があり、そしてその持ち主は彼女だ。
もちろん、彼女がつけていた髪留めでも、他の人間が変色させることは出来る。しかしそれもなさそうだ、とエウリューケは脳内で反復する。
(治療院にいったってこともなかったし、魔術師との接触自体は本人にはなかったって)
聞き取りでは、彼女は王都周辺にある原っぱで遊んでいるときに、色が変わっていたことに気が付いたという。
その時にも周囲に人影はなし。一緒に遊んでいた人間はおらず、聞き取りをした限りでは周囲に魔力溜まりがあった兆候もなかった。
ならばやはり、変色させたのは彼女自身の魔力。
しかし、彼女を触っても、エウリューケでも魔力を感じることは出来なかった。
魔力と闘気を併せ持つ希有な存在。
今まで、そういった存在の共通点だった『男性』。そればかりというわけではないが、仮説の一つとしてエウリューケの中には挙がっていた。もちろん男性などのこの国でも星の数ほどいるし、その他の要因と重なってのことだとは思うが、それも一つの要素だと。
だが今回のは女性。突然、その予想は外れだと、彼女自身が宣告していた。
(右回りの経絡……、でもウィンク君は左回りだし、それこそ男女差だ。生活環境に大きな差はなかろうけども、かといって彼らだけが特異的ということもない)
ふむ、と前髪についた小麦粉を吹いて、煙にして遊ぶ。
自慢の青い髪が白く染まっていたが、何ら気にしてはいなかった。
周囲の目などに全く関心を向けず、エウリューケは夜眠るときのように寝返りを打つ。横向きになり手足を投げ出せば、今度は耳に直接石畳の振動が伝わってきていた。
(まだ未分化な湿熱体質。二人とも、体を動かすのが得意というわけじゃあない)
焦点を外し、ぼやけた視界の中を誰かが走っていく。荷車を引きながら、威勢のいいかけ声を上げながら。
(彼らの共通点が見当たらない。それに逆に、共通点だらけだ。そうじゃない奴らと)
考えても、彼らの間の共通項が見当たらない。
魔力と闘気を併せ持つ存在。希有だが、それはただの個人差というだけなのかもしれない。しかし、ならばその個人差が出る理由があるはずだ。
身長が高い人間は、往々にして両親、もしくは祖父母の身長が高い。筋肉質な親を持つ子供は筋肉質が多い。鍛冶師などの工房がある箇所の近くで生まれ育った人間は、鼻毛の伸びる速度が速い。雪国リドニックで生まれ育った人間は、寒さに強く逆に暑さに弱い。
そういった事象や事例はそれこそ他にも枚挙に暇がなく、特異的な形質である以上それはあるはずだ、とエウリューケは考える。
(あたしはそうじゃない。カラス君はそう。癖っ毛野郎はそうじゃない。ニクスキーどんもそうじゃない。……グスタフのじっちゃんも、そうじゃなかった)
石ころ屋の関係者。彼らは全員違う場所で育ったが、参考にはならない。貧民街で生まれ育ったニクスキーと、開拓村から幼い日に貧民街に移ったカラスはほとんど同じ場所だ。
(いやいや、でもカラス君は開拓村の時からそうだった……かや?)
もう一度寝返りをし、たまたま口に入った自らの髪の毛の房一本。
その編まれた青い毛の先を囓り、じゃりじゃりと音を鳴らす。
(街で育つとそうならない。もしくは森で育つと、……それもちゃうか。今日の子も街じゃないわけじゃないし。開拓村の人間みんながそうなってもない)
毛先が濡れた筆のようになり、噛み千切られた髪に味はない。
(困ったな。とっかかりがない。ウィンク君の食事も触れているものも、特に変わったものはなかった)
ウィンクもクリンも、普通の子供と同じ普通の生活だ。クリンの育った家はまだ確認していないが、少なくともウィンクの生活はごく普通。
それに、生活環境で『そう』なるのであれば、彼の兄姉もそうなっているはずだ。なのにそうではなく、現時点で彼ら家族で確認できたのは彼のみ。
家族説、環境説はどちらも否定的。確認できていなかった勇者の子孫、という説もここで潰える。
(体の性状に変化はない。カラス君も含めて、ざっと見た感じ体の構造も一緒。魔法使いにしては体の変質がないけれど、それは体が変質しない魔法使いもいるから気にしないでもいい)
何の気なしに、濡れた髪先に小麦粉を纏わせる。整髪料で整えたように固まったそれをみて、やらなきゃよかった、とエウリューケは後悔した。
そして、ふと思いつく。変質していないと誰が決めたのだろう。変質前のものを見てもいないのに。
(……既に変質済み? 魔法使いが、体を変質させていく過程で闘気を生み出すような性状に変えた)
生まれながらの形質ではなく、後天的な形質。たしかに愛弟子も、発現の順番は魔力から闘気だったと言っていた。
それならば家庭環境も家族も関係ないのも頷ける。
そうエウリューケは納得しかける。
しかし、頭の中でもう一人喋っていた自分が、それに異を唱えた。
(でも闘気使いしかいない家族の中に、魔力使いの子供が生まれるもんかね)
その説では、生まれた子供は魔法使いか魔力使いとして扱われていないといけないはずだ。
遠い世界ではメンデルの法則といわれている遺伝に関する諸法則。
それはネルグ南側、ライプニッツ領に遺されたほんのわずかな研究成果の中にのみ存在する。しかし未だこの世界には存在しておらず、そういった農民の知恵はただ経験則によってのみ判別されていた。
そして、それに則り、エウリューケは首を横に振る。
ザリザリと筵と頬が擦れて、口から溢れていた涎が伸びた。
(カラス君の親がわからんのが痛いわぁ……。もう十五年も前なら調べらんないだろうし……じっちゃんなら知ってたかなー)
しかし、知っていても誰にも遺してはいないだろう、とエウリューケは推測する。今は亡きグスタフの遺産の中にも、そういった資料は存在しないだろう、とも。
それからエウリューケは自分の両親に思いを馳せる。
母親の顔は知らないが、魔術師だったと聞く。そして既に死んだ父は、闘気を持つが扱えない普通の人間だった。
……よく叩かれたものだ。火箸の火傷の跡は、腕の内側に誰にも知られずに未だある。
そんなことはどうでもいいのだ。そう、また寝返りを打ったエウリューケはうつぶせに倒れる。
膝から下を勢いよく動かせば、ドタバタと意味のない音が鳴った。
それから突然鎮まったように動きを止めて、エウリューケはしばし無心になる。
四半刻か、半刻か、自分でもわからないほどに。
鳥が頭上を飛んでいく。ピイピイと鳴いている声は、何を意味しているのかわからない。
脳内で、囁き声が響き続ける。数人の声、どれもこれもが自分の声で、自分の意思によらずに無心のままに議論を続けていた。
(魔法使いによる後天的な闘気形質の獲得。それに必要な条件は?)
(そもそも闘気を生み出しているのが筋肉? 筋肉の種類が違うのかな? 魔力の経路が神経に偏ってることからしても、感覚器の強化に使えるのは魔力?)
(でも闘気使いたちは耳の強化をしてるね)
(ゆで卵って何であんなに美味しいんだろう)
(えへへえへへへへへへ!!!)
(そもそも魔力による強化という概念もおかしいんじゃない? 強化ってよりもそんな風に変わってしまうってほうが近いじゃんね。倍率をかけてるんじゃなくて基礎値の問題ってかな)
(あたしって何でこんなに可愛いんだろう……うふふふふふ)
(……ねえ、七年前に読んだ資料をとってきてくれる?)
(あいあい姐さん! 『人体素材による強化魔術とその法則』ですな! かしこまりー!!)
(お腹空いたー。お昼何にするー?)
何人もの自分が言い争うように言葉を重ねているが、どれもこれも答えは出ない。
毎度のことだ、とエウリューケは内心溜息をつく。そのうちに、『うるさい』と内心叫んで議論を止めるまで、もしくはその答えを出すべく自分が動き出すまで止まらないのだ。
ぼんやりとした視界の暗闇で、幾人もの自分が話している。
そして、自らの足下を走っていく子供の小さな足音を聞いて、はたと思い浮かんだ。
(……なんでレーちゃんは、『他にもいる』って言えたんだろうか)
その疑問を内心呟けば、好き勝手に喚き散らしていた暗闇の中の自分たちが、一斉にこちらを向いた気がする。
また仰向けに転がれば、空の色は先ほどよりも濃く染まり、雲の白も深くなっているように感じる。
温い空気が頬を撫でる。
暗闇の向こうにいた自分たちが、早く、と急かしている。
(あたしから聞いただけでそう思った……じゃあもうとっかかりもないから無理やんけ! だけどカラス君と話をした後なんよね)
ふと、視界の中に影が差す。頭側にある建物の屋根から鳥が飛び立ったと気づいたのは、その鳥に視界の焦点を合わせた後。
そして、落ちて近づいてくる小さな液体のようなもの。
「……っあぶね!!」
転がるようにして起き上がり、それを躱す。
筵の荒い目を貫通し、石畳に落ちた鳥の糞が、ピチャリと音を立てた。
「っざっけんなこの野郎!! 糞は人に落としていいもんじゃねーんだよこの鳥頭!!」
地団駄を踏みながら叫ぶように呼びかけても、エウリューケの言葉は鳥には届かない。
その言葉を聞いた通行人たちが、代わりに物見高くエウリューケを遠巻きに見ていた。
「あー、ったくもう! 誰だあたしをこんな粉塗れにしたのは!!」
腹立ち紛れに袖を叩けば白い粉が舞う。頭を勢いよく横に振れば、ぶんぶんと髪の束が広がりそれでもまた粉が舞った。
ドスンと腰を殊更に強く下ろし、エウリューケはあぐらをかく。その腿の上に頬杖をつき、唇を尖らせながら、ふん、と鼻息荒く溜息をついた。
そしてまたエウリューケから目を逸らす通行人をぼんやりと見ながら、「どこまで考えたっけ?」などと小さく呟いた。
(……そうだ。カラス君から話を聞いたレーちゃんは、『他にもいる』と言い切った。そして事実いた。カラス君が一部始終を話すとしても、カラス君の話はカラス君の印象に残ったものに偏るはず……)
そして、カラスの知っていること。見ていること。それは自分も知っていることで、見ていることのはずだ。この『実験』に関してならば。
エウリューケはのけぞり、ぐりぐりと自分の頭に両側から拳骨を当てる。
(なら、知ってるはずだし、見てるはず。あたしだって気づくはず。なんでそう思った? あの金髪癖っ毛にやけ野郎はどうしてそんなことを思った?)
材料は揃っているはずなのだ。レイトンが、この件に関して自分で何かを調べているなどしない限りは。
エウリューケは無意識に、おもむろに隣にあった袋に手を突っ込み、一つかみの粉を取り出す。
何の粉だったか、などと脳内で自分が呟いたが、手は何の気なしにその粉をエウリューケの口に放り込んだ。
瞬間、広がる刺激的な味。
「ぐぁっ!! ペッ! ペッ!!」
これは鬱金の粉か。苦い味!
そこそこ売れる商品だ。男女問わず、子供を除いて年齢問わず。
二日酔いに効く薬膳となると知ってはいたものの、それでも『どうしてこんなものを買う奴がいるのだろう』とエウリューケは唾液に濡れた塊を吐き出しながら思う。
「うぇぇ……」
というか、何故自分は今これを食べたのだろう。そう悩んでも、エウリューケは自分で自分の行動に首を傾げるばかりだ。
指先から水を出し、ガラガラと口の中を洗う。
まったく、誰がこんなことをしたのだ、と涙目で憤慨しながら。
「まあまあ、いっか」
はあ、とエウリューケは溜息をつく。
実験は進んでいるのだ。今は答えがわからずとも、いずれ答えはわかるだろう。わからないのであれば、きっと道を間違えていて、それは後になってわかることだ。
(とりあえず、今回の実証実験はこれにて一段落。魔法陣の作動も確認できたし、グーゼル・オバ……オパ? さんの言葉の検証も……)
(今日のおやつは目玉焼きにしよ)
「……んー?」
とりあえずは、これから勇者の体を調べ尽くすのだ。
そのための準備をしなければ。
そう思い立ったエウリューケは自分の中の誰かの言葉にふと引っかかりを覚えた気がしたが、他の誰かの言葉に掻き消され、その続きを思い浮かべることはない。
その自分の言葉の意味がわかったのは、それから少し後のこと。
今の彼女の主導権を握っているのは、食欲を帯びた小さな少女のエウリューケだった。




