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貴方の足が石に打ち付けられないように




「さて、じゃあ解剖にかかりますかね!!」

 袖まくりをして白い腕を見せて、エウリューケは鼻息荒くそう宣言する。

 視線の先には遠くちょうど建物に入っていくウィンク。僕はその言葉に、一瞬呆気にとられた。

 いつも通りの過激な意見。しかし、まあ……。

「あの、もっと他にやりようがあるのでは?」

「何言ってんだいカラス君! 知りたい気になる見てみたい! あの子が他の誰とも違う力を持ってんなら、何でそうなるのか知りたくなるのが人情でしょーが!」

「ですから、解剖などせずとも」

 その好奇心には半ば賛同できなくもないが、さすがに何の罪もない子供を殺してしまうのは、すり切れている僕の良心にも呵責がある。

 いや、彼女ならば、蛙の解剖をした後にその傷口を縫い合わせて生きたまま放流するようなことも出来るのかもしれない。

 しかし、それを人間で行えるとしても。

 そしてそれよりも。


「解剖して肉眼でわかる変化ですかね?」

「内臓が一個増えてたり、構造が違ったりするかもしんないじゃん? 何せ、魔力と闘気を両立してる人体なんて、他に……」

 

 エウリューケの声が、何かに気が付いたかのように消えていく。

 一つ可能性に気づいたようで、そして僕もそれが言いたかった気がする。

「あー」

「僕の内臓は僕自身でよく知っていますが、個人差の範囲くらいしか変化はないです」


 魔力と闘気を両立した個体。それは僕もそうで、そして僕にもわかるような変化はない。

 もちろん僕自身の個人的な見立てではあるが、さすがに異常な変化だったら僕も気づく自信がある。

 細かな組織検査のレベルでは、少し自信がないが。

 それに、スヴェンのような異能は別として、魔法使いと闘気使いにもほとんど構造に差異はないはずだ。


「…………」

 不満げにエウリューケは俯く。叱られた子供のように、拳をぷるぷると震わせて。

「もちろん先に僕の魔力探査をしてもらってもいいですけど。……ですからどちらかといえば、構造上の違いではなく食性や習慣なんかの生態上の違いを見てみるべきでは……」

「……ぬぁっ!!」


 言葉を続ける僕に、エウリューケは髪の毛を振り上げて、ついでに両腕も振り上げる。勢いにサングラスがずれた。

 それからテンション高くはしゃぐように腕を動かしながら、左右にちょこちょこと動き回る。そうしながらエウリューケは焦るように言った。

「じゃあどうしよ! どうしよ!! だって歴史的発見じゃねえすかこれはまたこれ!!」

「ですから、しばらく見守ってみるくらいしか」

 しばらくの観察。その程度しか、僕にも有効な手立ては浮かばない。

 何故彼と僕、そして勇者二人は『そう』なのか、というのは少しだけ気になるところだが。

 ……いや、もう一人いた。既に死んでいるが、グーゼルが手ほどきをしたという少年。

 都合五人。……五人もいる、というべきなのか、それとも五人しかいない、というべきなのか。


 

「僕は彼のことをよく知らないんですが、それでもきっと他の人間と違うところがあると思うんですよ」

 そうでなければ、この世界でそんな希少なことにはならない。

 闘気と魔力は排他的に身につくもの、などという常識は作られないはずだ。

 僕の言葉に、エウリューケは「うー」と唸る。

「じゃあ、二人で交代で観察でもする?」

「僕は警護の仕事もあるので、ほぼ来られません」

「なんだよー! うがー!!」

 むしろ、僕の観察では見逃してしまうことも多くあると思う。

 もちろん僕よりも多くを知り、発想力も異なるエウリューケならば違う方法も考えられるかもしれない。けれど、やはり僕としては、彼女による観察からの解析しか浮かばない。


「……とりあえず、彼と話してみましょうか。今は家の中で休んでいるようなので、後でになりますが」

 エウリューケも会話をしただろうし、その時に色々と調べているだろう。

 だが確信に変わった今、他にもわかることはあると思う。

「ついでに普段の生活ぶりも見とくけ」

「何かわかるといいんですけどね」

 唇を尖らせながら頷いたエウリューケと共に、僕はウィンクの家に足を向けた。




 それにしても。

「疑問があるんです」

 ウィンクの家はすぐそこだ。お互い迷うことなくそこへと向かい歩いている最中、僕はふと先ほど思いついたことを口にする。

「何かね」

「何故、こんなに早く見つかったんでしょう。今まで全く知られていなかった、『魔力と闘気を持った人間』、相当数は少ないと思うんです」

「あたしの日頃の行いじゃね?」

 

 ……。

 運が良かった。たしかに、そう言ってしまえばそうなのだろう。

 たまたま彼女が調査した範囲内で一人見つかっただけ。耳飾りと髪飾りを配った人数はおそらく二桁を超えているだろうし、試行回数はかなり多いし、まあなくはないと思う。


 しかし、非公式ではあるが歴史上で確認されている五人目の少年だ。その少なさに、仮に現在この国ではそれが彼一人しかいないとなれば、約百万分の一の確率をエウリューケは数日で引き当てたことになる。

 たしかに、喜ばしいことだ。運悪くグーゼルの仮説が進展しなかったというのであれば、エウリューケの数日は徒労に終わる。それがなく、実在が確認された。

 運が良いで片付けてしまっていいことだろうか。



 そしてならば、他にも疑問が。エウリューケの中に仮説があればいいのだけれど。

「グーゼル……この話の発端となった女性が見つけた人間の周囲の環境はわかりませんが、なにかこの場所との共通点でもあるんでしょうか」

「共通点、ねぇ…………」

 口の中のガムをくちゃくちゃと噛み、膨らませるように遊びながら、エウリューケは後頭部で手を組む。

「以前の子供は男の子だったっけ?」

「……だった気がします」

「カラスくん、勇者くん、ウィンクくん、全員男。今のところの共通点っていっちゃえばそんな感じかや?」

「でも、男性なら他にも山ほどいます」

 それに、それは個体の共通点だ。育った場所などの共通点ではない。


「そーね。それを考えると、カラスくんの言うとおり、周りの環境……、……うーん」

 しかし悩むように眉を顰めると、エウリューケは腕を組んで立ち止まり、僕を見る。

「でもだったら、それこそこの近辺には山ほど人が住んでるよ? たとえば食べ物、空気、気候、その他の条件がほぼ一緒の人間だってそりゃいるはずだし。……前回のがリドニックって事を考えると、気候とかは関係なさそうだし」

「そうですね」

 リドニックは雪の溶けない常冬の国。ここエッセンは一年のうちに寒暖差のある国で、特に王都の辺りは一年のうちに温かい日もあれば寒い日もある過ごしやすい気候。

 であれば、風土病のようなもの……も否定的か。同じく距離がかけ離れている。

 すると食料なども……。



「……なら、魔法使いや闘気使いの分布はどうなっているんでしょうか」

「知られてる奴らの、ってこと?」

「そうですね」

 ……今思いだしたが、エッセンの南にあるミーティアにはほとんど魔法使いがいない。氏族長のうちの三人だけが魔法使いで、他に魔術師もほとんどいないはずだ。動物の体を持つ彼らとは、種族が違うともいえるかもしれないが。

「たとえば魔法使いの多い地域、少ない地域があれば参考になると思いませんか?」

「あんまりそういう資料は読んだことねえなぁ……。……あ、でも階級差はあったよね?」

「階級……あ、そういえば」


 エウリューケに言われて、また僕も思い出す。

 そういえば、王族には闘気使いはほとんどいなかったはずだ。魔法使いは個人的に一人会ったことがあるが。

 貴族でも、魔法使いと魔術師は見たことがあるが、闘気使いはそういえば見たことがない。……貴族と平民、母数の絶対数の問題だろうか。

 エウリューケは僕と並ぶように歩き、人差し指をピッと立てる。

「歴史的に見て、たしか王族に魔法使いはいない。かの〈白限〉シャイニーコルト・リデルを除いて」

「闘気使いは? 僕はあまり見た覚えがないんですが……」

 一応、現在クラリセンの町長をやってるオラヴ・ストゥルソンも貴族の範疇だったから、それを考えればいるのだが。

 しかし、生粋の貴族、いわゆる青い血には。

「そっちは知らね。魔術ギルドも聖教会も、闘気使いには知らんぷりだったし……」


 エウリューケは考え込むように時折言葉を出そうとしては切る。

 しかし、今の話題でも疑問点が浮かんでいるのは僕も同じだ。

「ウィンクくんは庶民、前回の子供も庶民……ってことかい……?」

「それが関係あるのかどうかもわかりませんが、一応そこも共通点です……かね?」

 お互い確信はない。というかそもそも、前回の子供の出自を僕は詳しく聞いていないのだ。スティーブンもおそらくは。それがたとえば、勇者の血を引いているとか……。


 あ。

「勇者の子孫、ということは?」

 もちろん前回の。その何かの能力が、隔世遺伝で目覚めているとか。……すると僕もになってしまうが。

 しかしそれも、口に出してから僕は内心否定する。

「それはない……と思うよ。勇者に関係した文献はあたしもいくつも読んでるけど、勇者に子供がいたという記述はなかった。その辺は妖精アリエルか獣人ドゥミにでも聞いてみたら確実だけど」

 当時を知る数少ない彼女たち。やはり、その辺りは聞くしかないか。

 前段と後段、その両方に同意し、僕は溜息をつく。

「ですよね」

「それに、そんなんいたら聖教会も魔術ギルドも大々的に保護して血筋も保っとるよ。崇拝の対象になっててもおかしくないもん」

 それもそうだ。

 もしかしたら道中でこっそり行きずりの女性と、とも考えてしまったが、そこまでいけばもう誰にも確かめられまい。




 ウィンクの家の扉まで辿り着く。

 まだ昼過ぎで、木の扉の向こう側では家族総出の内職が行われていた。


「まあ、あたしから現時点で言えるのは、ここで重要なのはウィンクくんと、カラスくん。あんたらたちの共通点だよ」

「僕ですか?」

「勇者二人よりも、君たち二人。亡くなった子供も含めれば、三人かや」

 ふざけるのはやめたようで、取り出した懐紙にガムを包むと、包んだそれを放り投げる。以前オトフシがそうして折り紙を消したように、エウリューケのそれも、激しい光を一瞬放って燃えて消えた。

「召喚陣は複製陣。ならそこで体を作り替えられてる可能性がある彼らは、いわゆる養殖だ。君たち天然物と違って」

「…………」

「模倣ってのは、原物があってこそだよ。君たち天然………のお、お、おぉぉぉ?」


 サングラスの奥にある真摯な目。それが突然変化し、それを見つめていた僕の頭の上に、疑問符がいくつも飛んだ気がする。


「そうだ、そうさ、召喚陣からの接近法もあったやが!!」

「は、はあ……」

 飛び跳ねるようにして、エウリューケはその場へしゃがみ込む。それから何かに祈るように跪き、両手を組んで天を仰いだ。

ウィンク君の体(天然物)勇者の体(養殖物)、それに闘気使いと魔法使いの体。勇者召喚陣が複製の時にどう体に作用しているのか調べて、差異を辿ればいいんじゃない!?」

「どう作り替えているのかの詳細を調べればいいと?」

「よかんべ? 何か反論ある? ん?」

 肩で僕の胸を押し、エウリューケが下卑た笑いを浮かべる。特に異論はないけど。

 しかしそれは。

「勇者の元の体が、そういう異能を持たない体という条件がありますね」

 仮に勇者の世界……日本といってもいいや、日本人が全てそういう能力を持っていたとすれば、作り替える必要などない。そこは忠実に再現すればいい。

 もっとも、僕はそうではないと知ってはいるのだが。

「勇者君は元の世界でも魔法は使えなかったんでしょ!? それに先代勇者の言葉では、闘気もなかったってたしか聖女フィアンナの日記に書いてあったし! いけるいける!」

「そうなんですか。それなら……」


 そういえば、そういう本もあるのか。

 勇者に帯同した女性の日記。ならばまあ、信憑性はある。


「ま、とりあえずは今日はウィンク君を見守るとしましょうや。それとカラス君は、今度あたしを勇者と引き合わせてね。いいよね、絶対だよ?」

「構いませんが……まあ」

 何となく、勇者と引き合わせて何か悪影響でも与えてはまずいと思うのだが。

 まあエウリューケも、そこまで過激な真似はしまい。多分。



 納得した僕の顔を満足げに見て、エウリューケは笑う。

 僕は、そのエウリューケの襟に手を伸ばす。ちょっと心苦しいのだが。


「危ないです」

「ほぁっ!?」


 僕が襟を引っ張ると同時に、ガチャリとエウリューケの背後にあった家の扉が開く。扉はエウリューケの頭を擦るように叩きながら勢いよく開いた。

「んごっ!」

 エウリューケの方は僕に激突しているので、僕もちょっと痛い。


「取ってくる!!」

「折れてないやつだぞ」


 出てきたのはウィンク。そして、そこに声をかけているのは父親だろう。

 振り返らずにウィンクが駆けていった先は、家に隣接して置かれた倉庫のような資材置き場だ。

「ありがたいけどもうちょっと丁寧にしない? もうちょっと丁寧にしない!?」

 エウリューケが後頭部をさすりながら僕に文句を叫ぶが、そうしなければ普通に扉に激突してたので僕は無視した。

「可愛いエウリューケちゃんだぞ! お姫様のように扱えよこのやろー!!」

「一人になりましたし、声かけてみますか」


 仕事中で、多分藁を補充するために外へ出たのだろう。家の中にちらりと見えた感じからすれば、服の下に仕込む小さな盾のようなものを藁を編んで細々と作っているらしい。

 

 去年収穫したものだろうか、今も周囲の畑に生えている丈の長い麦の藁の束を、ウィンクが懸命に運ぶ。

 かけ声をかけながら運ぶその姿に、僕は昔育った開拓村で見ていた、フラウの姿を何となく思い出した。


 僕らの横を、後から出てきた兄と共に何度か往復する。

 三歳、だったっけ。ならばまだ手伝いをするような年齢でもなかろうに。


「あとはやっとくからお前はどっか行ってな」

「邪魔」


 そして運搬も終わり、ようやく腰を落ち着けられたと思えば、兄と姉の二人から、ウィンクは辛辣な言葉をかけられる。どちらも年長組で、もう十歳くらいだろうか。

 それを親二人も止めないようで、彼らはウィンクに視線も向けず、足で押さえた藁を手で擦り合わせるようにして懸命に硬く編み上げていた。

 言われたのは年少組二人。ウィンクと下の兄……五歳くらいかな。


 飽きてきていた彼らは、肩にくっついた麦わらの欠片を払い落としながら、ゆっくりと外に出てきた。



 扉が閉まる。中では未だに、ジャッジャッという藁を硬く撚り合わせる音が響いていた。

 

 外へ出た二人は、顔を見合わせて向かい合う。

「……ぼくたち、いけないことしたの?」

「お前が騒いで邪魔するからだろ」

 兄が溜息をつきながらウィンクに答える。

 活発に動き回っていた音は聞いている、が、子供とはそういうものではないだろうかと僕はふと思った。

「俺、アインズんとこ行くから」

「ぼくも」

「お前は駄目!」


 言うが早いが、兄はウィンクを置いて走っていく。アインズ、とは友達の名前だろうか。

 一瞬足を踏み出しかけたウィンクは、拒絶の言葉に二の足を踏み出せず、ただ服の裾を両手で掴んで握りしめた。


 仲間はずれ。

 悪意はないのだろうが、何となく見ていられない。

 家の前、ぽつんとはぐれてしまったウィンクが、誰かの姿と重なって見えた気がする。誰だろうか。


 まあいいや。

 とりあえず、聞き取り調査だ。出来ればもう一度目の前で、何か魔法を使ってくれると嬉しいんだけど。


 僕とエウリューケは、揃って透明化と認識阻害を解く。

 そしてその後ろ姿に向けて、揃って声をかけた。




「ねえちゃん何いってんの? 石ってのはね、食べられないんだよ?」

 聞き取り調査は芳しくない。簡単な自己紹介から、先ほどのままごとの話へ、とそこまではスムーズにいった。

 しかし、石を食べていた事実は、彼の中ではなかったことになっているらしい。

「んなわけないじゃん、ほれ、これみてみ。ほれ」

「えー」

 エウリューケが、歯形のついた石を彼に見せる。

 たしかな証拠。言い逃れ……というのも変だが、そういうことが出来ないほどの。けれどもウィンクはその石のことなど知らないと言い張った。

「石は食べ物じゃないの! ねえちゃん大人なのに知らないの?」

「なんですとー!!」

 そして言葉を重ねるウィンクに、エウリューケが叫び声を上げた。


 振り返り、まるで親に言いつけるかのような表情でエウリューケはまた叫ぶ。

「カラス君! あたしこの子嫌い!!」

「いやまあ、子供ですし……」

 イライラするのもわかるが、それでも支離滅裂な言動をするのも子供の特徴だ。……それと、好き嫌いがはっきりしているのも。



 しかし、どうしたものか。

 彼が魔法使いだから、とここにきたが、彼自身は自分が魔法使いであることを否定している。

 もちろん彼の主張は間違いだ……と思う。僕とエウリューケは揃って、彼が魔法を使う姿を一度目撃している。石は僕の歯が通常では立たないほど硬く、そういう素材だったということもない。元から歯形がついていたということもないだろう……多分。


 ……石を食べる以外に、何か兆候があれば。

 僕はしゃがみこみ、ウィンクと視線の高さを合わせる。

「話は変わるけど」

 こういうときは、レイトンの口調でもいいかな。

「じゃあ君は、何か自慢はある?」

「じまん?」

「他の人に出来ないこと。友達は出来ないのに、君は出来ると褒められたこと。何かないかな?」

 

 石を食べることにこだわる必要はない。髪が炎に変わったり、動物と会話が出来てもいい。何かないだろうか。

 僕がじっと見つめると、ウィンクは大げさなほどに首を傾げて悩む。

 それから何か思いついたかのように表情を明るくする。

「俺、藁の山の上から飛び降りれるんだ!」

「……それは、まあ」

 そういうことではない。たしかにそれは自慢なのだろうが、そういうことではなく……。

「見てて!!」


 いうが早いが、ウィンクは隣の倉庫に駆けていく。

 そこにうずたかく積まれた藁の山。僕の肩程度と低いが、子供にとってはそうでもない高さ。

 階段状になっていた山によじ登っていくと、ウィンクは下を見て「せーの」と小さく呟いた。

「危ねー……」

 エウリューケが止めようとする。

 僕としては止める気もなかったが、やはり彼女的には危ないことなのだろうか。下は藁が混ざった土だし、最悪落ちても大丈夫だと思うのだが。

 

 しかし止める間もなく、ウィンクは跳ぶ。

 僕が冷ややかに見ていられたのはそこまでだった。


 自由落下するウィンク。

 子供でも、そういう遊びをしていれば自然と受け身はとれる。前回り受け身をとることまでは考えずとも、着地の瞬間に足を屈めるだけでも立派な受け身だ。

 それをすると僕は想像していた。


 しかし、違った。


 彼が地面に激突する瞬間、ふわりとその速度が遅くなる。

 まるで石がシャボン玉に変わったように、もしくは水に飛び込んだように。


 そしてストンと、ゆっくりと地面に降り立つと、彼は得意げに僕たちを見て笑った。


「ね!」

「…………」

 だが僕たちの反応が思ったものではなかったのだろう。驚愕に固まる僕たちに向けて、笑顔から一転して不満げに唇を尖らせる。

「なんだよ」

「……空を飛ぶとは思いませんで、つい」

 

 一瞬遅れて、「ほあー」とエウリューケも感心の溜息をつく。

「なになに!? すげーじゃん、今の! やっぱり解剖していい!?」

「かいぼう?」

「お腹をね、かっさばいて、いやいやまずは頭部かな!? どんなもんかと……」

「無視していいですよ」


 エウリューケの言葉を遮るよう、僕は彼女と彼の間に立つ。

 解剖はあまり意味がないと、先ほど話したはずだ。


「いつ頃からそうやって飛べるように?」

「知らないうちに出来てた。みんな出来ないんだぜ!」

 その場で何度かウィンクは跳躍する。やはりその足下には、見えないクッションがあるかのような挙動だった。

「へえ……」

 僕も真似をするように跳んでみる、最初は普通に。当然のように、普通のジャンプにしかならないが。

 

 ならば念動力で受け止めるように。

 この程度の高さならば不要だが、ふわりと受け止めるように地面から僕へと向かう力を用意すれば、彼と同じように跳ぶことは出来た。機序が同じかはわからないが。


「兄ちゃんも出来るの!?」

「ええ」


 目を輝かせて、ウィンクは僕を見る。

 こういう素直な視線も、子供特有だと思う。嘘がない。

「ちなみにそのまま浮いてられます?」

「浮く?」

「こういうふうに」


 今度は地面に落ちずに、僕は宙を踏む。

 見えない階段を用意するようなものだが、他の人間にとっては僕は地面から離れて浮いているかのように見えるだろう。事実、このまま天高く昇ることも出来る。


「ん-?」

 浮いている僕を見つつ、ウィンクは何度かジャンプする。

 最初は先ほどと同じ。それだけでもすごいのだが。


 そしてやがて、その落下速度が落ちる高度が上がっていった。

 落下中の半分。その少し上。そしてついには……。


「出来た!!」


 時間にして数分程度。

 だが、それだけで浮遊を学ぶ。……僕はもっとかかったというのに。

 その才能に軽い嫉妬を覚えながらも、僕はウィンクに笑いかける。

「なら、そのまま今度は空を飛ぶことも出来ますね」

 僕は言葉の通りに、浮かんだまま少しだけ移動する。高さは屋根の上まで、簡単なデモンストレーションを行い、最後は逆さになったまま空中で静止した。

「兄ちゃんすっげー!!」

「多分ウィンク君も出来るので、やってみてもらえません?」


 支えを外し、宙返りをしながら軽業のように僕は地面へと戻る。

 見本があったほうがいいだろうか、とも思ったが、まあ彼ならいけるんじゃないだろうか。そういう予感がある。

 唸りながらウィンクが一歩空中で足を踏み出す。


 だが。

「わっ」

 その足は宙を踏むことなく、ただバランスを崩すだけに終わった。

 今度は魔法も使えなかったようで、ただ普通に地面に落下しただけだった。

 

 ベチャリと音を立てるように、地面に落ちる。

 泣くか。そう思ったが、ウィンクは頬に藁の切れ端をつけながらも、すくっと立ち上がった。

「もういっぺん!!」

「ええ」


 出来るまで繰り返す。普通の練習だが、やる気がある限りはやってほしい。

 ……だが。


「ウィンクー、藁の補充を……」


 家の扉が開く。

 顔を見せたのは、母親。ウィンクと同じ髪の色で、どことなく顔も似ている雰囲気がある。

 だが、彼女の表情は、僕たちを見て一変した。


「誰!?」

 

 叫びながら、僕たちに近づいてくる。ただ歩み寄るというものではなく、威嚇のように大股で。

 そしてウィンクの肩を後ろから抱くと、守るようにして脇に寄せて自分の体を前面に出した。

「どなたですか? うちの子に、なにか?」

「…………」

 僕とエウリューケは顔を見合わせる。僕は言い訳は考えておらず、エウリューケにもなかったらしい。

 まあ、やましいことはないのだし、普通に応えていいだろうか。……親としては納得しないだろうが。

「申し訳ありません、ご子息に、少しお話を聞いておりました」

「どういうご用事かわかりませんが、まだ小さいので遠慮していただけますか」

 まあそうなると思う。治安が悪いわけではないが、人さらいもいないわけではないこの街、警戒するのも当然だろう。

 家庭の小さな労働力としても、そして我が子としても。


「……私どもは王都内で露天商をしております。香辛料や薬など、困っていることはありませんか? そういう用事でこの辺りを訪れたんですが、ついつい話し込んでしまいまして」

「ありません。お帰りください」


 少しでも警戒心を和らげようと、僕はエウリューケを引き合いに出す。

 一瞬彼女もエウリューケを見て、多分表情からは店を出すエウリューケの顔に思い至ったのだろうが、それを無視するように僕へと視線を戻した。


「お帰りください」

「……申し訳ありませんでした。失礼します」


 僕の背後でブツブツと何事かを呟き続けているエウリューケ。彼女を促し、僕たちは踵を返す。

 母親の後ろで小さく手を振るウィンクに応えながら、僕は背を向けたまま歩き出した。



 ウィンクも母親に手を引かれ、家へと戻っていく。

「ねえ、あの人に教わって、僕空飛べたんだよ!」

 そして楽しそうに、報告する。


「……空なんか飛べるはずないでしょ。人間は、お空は飛べないの」


 そんな報告を切り捨てる母親の声に少しだけ寂しくなりながらも、僕とエウリューケは足を止めなかった。




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― 新着の感想 ―
[一言] 国柄的にこれからのウィンク君は生きずらそうだからカラス君引き取ってあげてや…面倒だろうけども こういう子が悪魔の子とか言われて迫害されるそんな未来が見えてしまう そうならないよう何とかなら…
[一言] なんか物陰からエウリューケたんが暴走しかけてるのを「こうするべきでは?」と突っ込みを入れてるカラスくんを見てると、マッドドクターと常識人的な助手くんの立ち位置に見えてきた…ドタバタコンビ的な…
[一言] これはアレですね、子供にしか妖精が見えない理論。 現実を知るたび弱くなる。。
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