蜥蜴は育った
住処に戻り洗ってある衣服に替えると、今度は髪の毛にまとわりついた汚れが気になった。
その姿を省みて、苦笑する。
僕も贅沢になったものだ。森で暮らしていたときには、朝に川で濯げばそれでよかったというのに。
この気分が消えないうちに、新しい服でも買おうかな。
名前の通り鴉色の、濡羽色のローブか何か、探せばきっとあるはずだ。
服に無頓着なのは自覚しているので、こういう気分の時に買っておかなければ買わないだろうことも予想出来る。
しかし、まずは換金だ。魔道具を売ってこなければ。
僕がカウンターの前に立つと、受付嬢はただ会釈して僕を迎えてくれた。
けして適当にあしらうような態度ではないものの、歓迎されているとも言い難い。事実、まだ受付嬢は何一つ言葉を発してはいないのだ。
「換金お願いします」
そう言って、探索ギルドのカウンターにガラス懐炉を置く。
言ってから気付いたが、これでは石ころ屋とのやりとりと変わらない。ただ売りに来る場所が変わっただけだ。そう思って少しにやつくと、受付嬢が怪訝な顔をして僕の顔を見ていた。
「あの……何かございますか?」
「あ、いえ、なんでも無いです」
弁解しても、その視線は変わることが無かった。
「こちらは……どういった物でしょうか?」
手を触れずに、受付嬢は懐炉を見つめる。まるで興味の無いおもちゃを見つめるように、冷たい目で見下ろしていた。しかし、その表情もすぐに変わる。
「魔道具です、遺跡に落ちていた。これで、もっと稼げますね」
「……はい、確かに承りました」
僕が言葉を言い終わると、一瞬キョトンとした後で受付嬢の顔に笑みが浮かんだ。
いわゆる営業スマイルという奴ではあるが、先程までの冷たい目と打って変わって、明るい笑顔を浮かべた受付嬢にいささか威圧されてしまう。
“換金するときに、「もっと稼げる」という符丁を入れるのを忘れんなよ。それが無きゃ、ただ売りに行っただけになっちまうからな”
今更疑うべくもないが、レシッドの情報は正しかった。
実際、先程までとは違い、受付嬢はまるで別人のようにテキパキと動いていた。
「一応確認させて頂きますが、その遺跡の位置情報、どこから手に入れられましたか?」
「この探索ギルドの先輩ですよ。名前を出さなければいけないでしょうか?」
「いいえ。大丈夫です。それでは、こちらの魔道具の効果はご存じですか?」
「どうも、熱と光を発する懐炉のような物のようです。光源に使えるほど明るくはなりませんが、それなりに暖まります」
「ふむ」
短く返事をすると、徐に受付嬢はガラス懐炉を掴む。そして光に透かして眺めてから、また微かに頷いて足下の鈴を取り出し鳴らした。
すぐに、後ろの方から職員らしき男性が歩いてくる。
「魔道具の確認お願いします。試用済み、熱と光を出す懐炉です」
「わかりました」
男性はガラス懐炉を受け取ると、僕に会釈をしてから裏へと引っ込んでいった。
「金額の査定を今行ってますので、それまでに本登録の手続きをさせて頂きます」
「本登録、ですか」
「ええ。符丁をご存じだったということは、これから色々と変わるのもご存じでしょう? そのための手続きです。多少お時間を頂きますが、必要なことですのでどうかよろしくお願いします」
そう言葉を紡ぎながら、満面の笑みでぺこりと頭を下げる。
それが目的で来ているのだ。僕に断る気は無かった。
「では、ギルドの登録証をお貸し願えますか」
受付嬢は、革製のトレイのような物をカウンターに置いた。この上に置けということだろう。
「これでいいですか」
「はい。確かに」
そう言いながら、蜥蜴のバッジをカウンターの下に持っていく。そして、ガチャガチャと何か作業をし始めた。
一分も経たないうちに作業が一段落したらしい。顔を上げてこちらを見る。
そして、金属製のシャーレに小さな窪みを付けたような皿と針をトレイに置いた。
「こちらに、申し訳ありませんが血を垂らして頂きます。一滴あれば充分ですので、どうかお願いします」
「血、ですか」
聞き間違えかとそう聞き返しても、元気よく肯定が返ってきただけだった。
「はい。指名依頼等がある際、連絡を取るためにカラス様の匂いが必要となります。そのための処置です」
よくわからないが、必要とあれば仕方が無い。
自分で自分の体を傷つけるのは流石に躊躇する。しかし、仕方が無いだろう。
黙って針の消毒を魔法で行う。鎮痛魔法をかけ、痛みを消してから針で指先を突く。
痛みはないが、ぬるりとした感触がわずかに指を伝う。そして、ポタポタと血が垂れてきた。
こぼすのは勿体ないので、いくらか多めだが全て皿に落とす。
「これでお願いします」
指で針を拭い、皿に戻す。
指はすぐさま治しておいた。自分の血には中々慣れない。
「お預かりします」
恭しくそれを受け取ると、受付嬢はその皿をカウンターの下に置き、また少し作業を始めた。そして、間を置かず処理は完了したらしい。
革のトレイに、バッジが置かれた。
「はい。これで登録証の更新は終了です。見た目が少々変わってはおりますが、以前と変わらず使って頂いて結構です」
「ありがとうございます」
受け取り、バッジをしげしげと眺める。
そう変わったところは見受けられないが、どこが変わったのだろうか。というよりも、以前のバッジをほとんど見ていないため、わからないのが当たり前だ。
「形と言うよりも、色が変わっております」
そう言われてみてみれば、たしかに尻尾の方に濃い色が入ったような……。それに、ひとつ大きな違いに気付いた。
「目が入ってますね?」
先程まではただのへこみだった目の部分に、赤黒い色が入っている。芥子粒のような小さな結晶だ。
……もしかして、これって……。
「はい。先程の血に、処理を施した物になります。壊そうとでもしない限り取れませんが、無くなった場合は出来るだけ早くまたギルドで装着して下さい。もちろんそれだけで判別しているわけではありませんが、それがカラス様の大きな目印になりますので」
「……はい。ちなみに、どうやって連絡されるんでしょう」
このバッジを目印に、どうやってか連絡が来るらしい。
そういえば、ニクスキーさんもレシッドも、同じように指名依頼を受けているはずだ。しかしその方法を僕は知らない。
「ギルドで訓練を施した鳥を使います。先程頂いた血を使い訓練をしますので、カラス様の場合には実際の運用は少し後になりますが」
伝書鳩のようなものだろうか。
「僕が危険な場所にいたりした場合には、届かないかもしれませんけど」
鳥に任せて、ということは、途中で事故が起きる可能性もある。たしか、前世での伝書鳩の運用ではその点が問題になっていたはずだ。送っても大形の鳥に襲われたり、そもそも迷子になったり。
どういう対策を取っているのだろうか。大量に放ったりするくらいしか改善点も無いと思うが。
「それも含めての訓練ですので、ご安心下さい」
ニッコリと笑って言う受付嬢に、僕は何故か反論する気が起きなかった。




