三畳の森
「これはまだ読んでいないんですけど……」
「ああ、なら読んでからでも」
瞑想の時間になった勇者を置いて、僕とルルは自室へと戻ってきていた。
それから、僕の言葉の通りに本を貸してくれるということだが、持ってきた本が予想よりも多かった。
積んだ本を抱えて持ったサロメが、前が見えづらくなるほどの量。僕の要望通り歴史書などの本は省いてくれたようなので、ザブロック邸からこの城に持ってきた本はこの倍以上あるのだろう。
この数日間、いつも本を読んでいた、くらいは知っている。
だがこれほどまでの読書家だったとは。
知らなかった。
以前会った幼少期でも、そうだったのだろうか。
大きさは規格化されていないようでまちまちだが、文庫本のような、それこそ先ほど見た英雄譚のような厚さの本。
それらを一冊ずつルルは簡単な説明をしてくれる。十冊以上並べられた机の上でも、やはり半分以上は読んであるようで、その読書頻度が見て取れる。
今手に取られた本は粗末な青い厚紙のような表紙で、紐で綴じてあった。
こうして見てみると、やはり魔術ギルドの製本技術の高さが窺える。
スティーブンが持ってきたリドニックでのアブラムの研究記録も写本だったということは、活版印刷の技術もエッセンではあまり発達していないのだろうか。
ムジカルでは一部見かけた気がする。活版印刷というよりも木版印刷だったと思うが。
「……からくり仕掛けで作られた女の子が、恋を知る話。男性にはあまり向いていないとも聞きますのであんまりおすすめでもないんですけどね」
「それは……どうなんでしょう」
ルルが示した本をパラパラと見て、僕は考える。
恋愛小説だ。僕はよく知らないが、こういった軟派な本を読む男子を嘲笑する文化もあると聞く。この世界では活版印刷が一部しか実用化されていない以上、実用性のない本というものはそこそこ高価なので、それを読めるのは貴族や大店などの金持ちに限られるが。
だが別に僕は嫌いなわけではない。
「作者の方が、同じ登場人物で別版も出しているんです。こっちは、からくり仕掛けの女性に恋をした男性が、魂を彼女に吹き込む話」
「へえ」
とりあえず先ほどの本を横に置いて、渡された本も手にとって読む。たしかに、文体はほとんど同じらしい。内容まで読み取っているわけでもないので、似ているかどうかまではわからないけれども。
「一冊目が先に出した方で、二冊目でその女の子が壊れてしまったのを直すという話も予定されていたらしいんですけど、あんまり悲しいのも書きたくなかった、と聞いてます」
とりあえず保留だ。ルルの説明を聞きながら僕はその本を横に置く。
それからまたルルは、まだ未紹介の本の表紙に視線を飛ばした。
そしてまた、一冊の本を手に取る。
「あとは……男性向けですと、……あんまり男性向けのも持っていないんですけど、これとかは」
「冒険活劇みたいな感じですか?」
黄色い表紙に書かれた題名を見れば、『散歩の末に森に迷い込んだ少女と、彼女を救う王子の冒険の記録』……なんというか、この世界の本の題名は、前世と比べて全体的に長ったらしい気がする。こう、なんというか、情緒がない。
「いつの間にか森に迷い込んだ主人公……少女が、怖い魔物が一杯いる森の中から脱出するんです。途中で出会った一人の男性……王子様、って題名ではなってますけど、本当は全然違ってて……」
今度はルルがパラパラとページをめくる。全然違う、と言いながら終盤の頁を開いているということは、それオチに繋がる情報じゃないだろうか。
「何日も森を彷徨ったようなボロの外套を着た男の子が、『自分は王子だ』って名乗ってるんです。それで、腰の剣で道を切り開いて戦ってくれる。そうすると、この女の子と男の子が最後幸せに暮らすと思うじゃないですか?」
「まあ、順当に考えれば」
女性が主人公の場合、大抵のお伽噺や童話の最後はそうだろう。
なにかしらの困難に直面したヒロインは、自分の才気や周囲の助けで困難を乗り越える。そして最後には、ヒロインが助け出すもしくは途中から手を貸してくれたヒーローと結婚して終わる。話の内容に寄らないとてもおおざっぱな印象だが、そういうものが多いと思う。
笑みを浮かべて話していたルルが、笑顔の種類を変えて、パタリと本を閉じる。
「でも、違うんです。この男の子は、森から出られないんですから」
まるで自嘲するようなルルの微笑み。その顔に一瞬どきりとした僕は、それを表に出さないように眉を顰めた。
「……それは、どういう……」
「それは読んでからのお楽しみということで」
フフ、と微笑みを戻したルルはその本を僕に手渡す。先ほどまでの本の紹介とは、少しだけ熱量が違って見えた。
「この本、おすすめです。私も何度読んだかわからないんですもの」
「……上手い薦め方ですね」
ルルの笑顔に返すように、僕も口元を緩める。なるほど。まあ、どういう意味かと気になった時点で効果的だ。全く効果のない人もいるだろうが、少なくとも僕には。
「…………『僕は君を助けてあげる。だから、僕を助けてほしい』」
ルルは僕から視線を逸らして、机に両手を置いて、どこかを見ながら一人芝居のように呟く。……この本の中身だろうか。
「『思い出せないんだ。僕はきっと、どこかの国の王子だった。けれどもその守るべき人たちの名も、城の場所も、愛するべき人の顔も思い出せないんだ』……王子は、最初にそう言うんです。そして、主人公もその手を取って」
ルルがこちらを向く。どう応えていいかわからず、応えられない僕のほうに。
「『なら、私を助けなさい。私は絶対に、貴方を助けてみせるから』……って。さっきの魔術師の方のお話みたいに、私も覚えてしまいました」
「暗記するほどですか」
「ええ」
答えを聞いてから、僕も頁をまた捲る。
速読は得意な方ではないが、それでも文章のピックアップならばそれなりに得意だと思う。そして最初の方を少し探せば、なるほど、たしかにその文章があった。
……王子と名乗られているのに、上から目線が混じってる感じがするヒロインだが、まあ違和感があるほどではないか。
「楽しみです。なら、これよければお借りします。あと、これも……」
渡された本を軽く持ち上げて示し、そして机に置いてある先ほどルルに紹介された中の一冊を手に取る。戦争の中、敵の足止めのために砦に一人残った弓兵が死に臨みながら、故郷に残してきた恋人との思い出を述懐する話。
さっきのからくり仕掛けの女性の話はシリーズものらしいし遠慮しとこう。一作目が面白ければいいが、つまらなくても二作目断りづらくなるし。
僕の申し出にルルは頷き、残った本をまとめはじめる。
「話が出来る人がいなくてつまらなかったんです。感想、聞かせてくださいね」
「わかりました」
まあ、この程度ならば二日とかかるまい。……夜寝る時間が少し遅くなるが、それこそ仕事はないし。
ルルの行動は把握しておくつもりだが、ジグもいるしオトフシもいないわけではない。ルルがこの部屋にいる場合は、少しくらい寝坊しても構わないだろう。部屋を出るときは急いで起きないといけないが、そういったときの身支度に関しても、僕は姿を隠しっぱなしでもいいわけだし。
「サロメ、片付けておいてくれますか」
「かしこまりました」
持ってきたときと同様、サロメが本の山を持ち上げてまた歩き出す。先ほどよりも軽くなって重心も下がっているだろうが、それでも持ちづらいようで少しだけふらついていた。
バランスを崩しかけたのに反応し、僕は思わず手を添えようと右手を持ち上げようとする。
しかし、やはり。
「…………っ」
右腕に鋭く鈍い痛みが走る。そして、持ち上がらない。
ルルがこちらを見ていなかったのは幸運だっただろう。わずかに表情を歪めてしまった僕は、痛みに心拍数を上げながら肘の辺りを押さえた。
やはり急いで治すべきだろうか。
ズキンズキンと痛む腕を動かさないように力を抜いて、僕は考える。
詰まった管に水を通すように、意識して腕に魔力を通す。その作業を暇なときはずっと繰り返している。まずは邪魔をしている内傷を癒やすためではあるが、成果は芳しくない。魔力は未だ通りづらく、治すのにはまだ時間がかかるか。
魔力が通らないわけでもないし、昨日よりも大分通りやすくはなっているので探査も容易にはなっているが、それでも筋繊維の修復まで行えるようではない。
自然治癒せず、治療師にも治せない傷。
内傷というのは厄介なものだ。今まで与える側だった僕だが、受ける側になってそう思う。今回、与えたのも僕だけど。
ルル同様、サロメも気が付かずにバランスを持ち直して本を運び出していく。
それを見送りながら、僕は隠して溜息をついた。
私室に戻り、僕は座って壁に背中をつける。そして、貸してもらった本を開いた。
まず読むのはどちらにするかと一瞬考えたが、まあ当然ルルおすすめの方だろう。後に回して、仮に向こうから感想を求められたときに読んでないとまずい。
僕は、黄色く薄い表紙をペラリとめくり、書き写した誰かのだろう、達筆な文字を目で追っていった。
…………。
導入は、昔見た何かの童話に似ているだろうか。いや、展開はまるっきり違うし、そもそもどちらが真似したとかもないのだろうが。
野原で遊んでいた少女が、たまたま脱げた靴に一瞬苛つき、それでもそこから脱ぎかけにして蹴り上げて飛ばす遊びを考え出す。……天気占いみたいな。
その靴を何度も蹴り、追いかけていった先。草むらに入ってしまった靴を探そうと裸足で動き回り、顔を上げたときには深い森の中にいた、という感じだ。
装飾語の多い文章で中々本筋が捉えられないが、そんな風に物語は進んでいく。
先ほどルルが言っていた王子との邂逅はもう少し先かな。
深い文章の妙を味わうのは二周目にするとして、このままとりあえずは物語を追っていこうと思う。川の水で顔を洗って、水を飲んで……ああ、生水は体に悪いだろうに。
……。
『「ここは私の知っている森じゃないわ!」そう叫ぶ声も、森の中に吸い込まれるように消えていく。木々は何の代わり映えもせずに風に靡き、まるで相談でもしているかのような不気味なざわめきが止まらなかった』
ヒロインの歩みは続く。
こういうときには、知っている場所まで戻ること。そう父に聞いていた彼女はそうしようと努めるが、まるで見知った風景が現れない。
木々の向こうにはただの鬱蒼とした森が広がり、歩いてきた原っぱも見当たらない。
自分を勇気づけるために、ヒロインは歌を歌いながら歩く。
そしてそのうちに、誰かがそこに現れるのだ。
『「誰?」その足音を聞いて、キリカの肝が冷えた。人間の足音ではない。高さも腰ほど、それに、どこからか煙で燻したような毛皮の臭いまでしてきた気がする』
まあ、結局のところその獣が何だかわからないのだが。
白く毛深いその魔物は、首を伸ばしてヒロインの髪の端だけを食いちぎった。しかし次の瞬間、あえなく左右に真っ二つとなって、煙のように消えてしまうのだ。
『「危ないところだったね」そう、煙の向こうから誰かが語りかけてきた。誰だ、とキリカは眉を顰めた。この村の人間ならばみんな知っているはず。なのに』
……。
「カラス殿」
コンコン、と扉が叩かれる。
それに気づいてハッと顔を上げれば、僕の周囲の景色が一変したかのように感じた。
緑色は消え去り、感じていた森の匂いもなくなる。どこからか響いていた気がする鳥の鳴き声も木々のざわめきも聞こえなくなり、湿り気のある風は僕の肌を撫でてはいなかった。
思わず見回せば、そこには四方を囲む漆喰の壁。対向した向かいの壁にはちらちらと蝋燭の明かりが一つゆらめき、もう一度本に目を落とせばこんなわずかな光量で何故文字が読めたのかと可笑しくなるほどだ。
「はい」
しかし、来客か。この声はサロメだが、何かあったのだろうか。
声に緊迫感はない。とりあえずルルも移動はしていないようだし、ジグでも何かあればとりあえず大きな声を上げるだろう。それがないということは、危険なことではない。
「お休みのところ申し訳ないですけれど、お客様が、カラス殿をと」
「……はい?」
扉の向こうに、同じ返事を違う調子で返しながら、僕は立ち上がる。一応衣服を確認し、人前に出られることを確認しつつ。
とりあえず、詳しい話を。
そう思い、扉をゆっくりと開く。そこには、サロメがただ困ったような表情を浮かべながら立っていた。
「……どなたです?」
「ラルミナ家のご息女がいらっしゃっていて、……昨日の演武について、一つ、と」
「はあ」
気のない返事をしながら、僕は体を軽く解す。
本を読むときにずっと同じ姿勢を取っていたからか、筋肉が軋む音が体のそこかしこで響く。
しかし、なんだいったい。またやれとかそういう話ならば考えるまでもなく断るけれど。もちろん怪我が理由で。
もう一度伸びをし、僕はサロメに続くように使用人の控え室を出た。
「初めてお目にかかります。ディアーヌ・ラルミナと申します」
「カラスと申します」
ディアーヌは、僕の姿を見るなり立ち上がり、胸に拳を当てて礼をする。カーテシーではないこれは、どちらかというと軍属などが使う礼だが。たしか、オトフシも使っていたもので……。
その筋肉質な腕に、僕は昨日を思い出す。確かに昨日僕らを見ていた一人だろう。いや、あの場にはほとんどの貴族令嬢が集まっていたはずだが。
思わず礼を返してしまったが、一応本来は違うだろう。
僕は速やかにディアーヌの向かいに座るルルの脇に控えるように進み、ディアーヌが座るのを待った。
ディアーヌ・ラルミナは、他の令嬢たちと比べて覚えるのが簡単だった。特徴が際立っていたのだ。
何らかの武術を修めた体つき。
剣術だろうか、それとも槍術や別のものだろうか。一応、掌や指の筋肉の発達具合が手袋で見えないからわからないが、多分剣術だろうと推測できる。
この王城に集まっている中でも希有な存在の彼女。覚えるのも簡単で僕としては助かった。
それで。
見て待つと、ディアーヌはゆっくりとまた椅子に腰を下ろし、優雅な仕草でスカートを整える。
動作はいちいち綺麗だが、そんなものを見せるために呼び出したんじゃないだろう。
『昨日の演武について』……なんだろうか。
「昨夜の舞、見事でしたわ。素晴らしい、ベルレアン団長にも引けを取らない動きで」
「ありがとうございます」
僕は賛辞の言葉に頭を下げるが、部屋の隅でジグが苦々しい顔を一瞬浮かべたのが見えた。
それから一瞬空いた間に、僕はディアーヌの顔を見る。笑みに、何となく興奮があった。
「あの絶技を体験してみたく思いますの。つきましては、一席設けますので、カラス様……そこで舞ってはいただけませんか?」
「…………」
断らないだろう、という感じの安心感に、笑みに混じる興奮。嘘は見えないが、どういう感情だろうか。
しかしまあ、答えは決まっている。さっきも考えていたし。
「申し訳ありませんが、致しかねます」
「カラス様……」
ごく小さな小声で、安堵したかのようにルルが呟く。
だがそれとは対照的に、ディアーヌはやや呆気にとられたように口を半開きにした。
「お褒めいただいたのは光栄ですが、そのような芸事は私は専門にしているわけではありませんので」
探索者だ。昨日のああいった演武などの芸はそれこそ武芸者の分野だし、僕が本来やるものではあるまい。事実、昨日が初めてだったし。
それに。
「それに……正直に申しますと、昨夜のあれで私は今負傷しております。右腕が満足に動かない今、ディアーヌ様の期待に応えることは出来ないかと」
「そんなに大きな怪我を負った様子は……あ、ああ」
ディアーヌが口元を押さえる。
「閉牢ですか」
「はい。少々無理を致しました」
僕の答えにディアーヌは口元を結び、膝の上で手を硬く握る。
悔しがっている? それとも残念がっている? なんとなく、読みづらい女性だ。
しかし、また顔を上げると、ディアーヌはまるでセールストークのように口を開いた。
「では、話を変えますが……」
「…………」
「カラス様、改めて、昨日の腕前感服いたしました」
僕はまた軽く会釈して、賛辞の言葉に応える。褒められてばかりだが、なんだ。
「その技量を、私は買いたい」
ディアーヌは唾を呑む。それから意を決したように、声を上げた。
「六人扶持……年に金貨八十枚で、ラルミナ家に住み込み、私に剣を仕込んではいただけませんか」
「まあ」と、ルルが声を上げる。僕も声は上げないが、多分同じ思いだ。
「探索者として過ごすよりも、我が家に住み込めば暮らしには困らせません」
「…………」
正直、少しの驚愕で声が出ない。しかし何とか絞り出すように声を出せば、いつもと何となく違う声の気がした。
「それは、ラルミナ様に剣を教えろということでしょうか」
「その通りです。昨夜の演武を見て確信しました。私が求める剣の道は、貴方の道の向こうにある」
「…………」
よどみのない返答。
何だろう。種類は違うし、人も違うのにオルガさんと昔交わした会話と似たような匂いがする。
……恋愛も、こういった武芸も、人を求めたときの反応は同じということだろうか。
しかしまあ、これも答えは決まっている。
「重ねて申し訳ありませんが、お断りいたします。性急に決めて良い話ではないでしょう」
突然の話。それも理由の一つだが、他にもいくつも理由がある。
「それに、剣を教えろと言われても、私が使っていたのは水天流。ならば、水天流の師範を招けば同じことかと思います」
「……いました。兄と、弟には」
また、ディアーヌは拳を膝の上で握りしめる。
何かしらの事情が見て取れる。……まあ、僕にはあまり関わりのないことだけど。
「それに、私の剣は人に教えるようなものではありません。その説明は、そちらにいる聖騎士の方が詳しいでしょうが」
僕はジグに顔を向ける。ジグの方は、『今こっちに話を振る?』とばかりに嫌そうな顔をしていたが、説明役としてちょうどいいので嘘ではない。
「正式に習ったことのない、未熟な限りの水天流です。教えられるほどの練度はない、でしょう?」
僕が問いかけるように言うと、ディアーヌにも視線を向けられたジグは、小さく咳払いをした。多分、彼もかつてのスティーブンと同じような感想を抱いているはずだ。変えようとはしたものの、あの時の僕とは、質としては変わっていない。
「…………まあ、その通りですな」
言いづらそうに、ジグは言葉を重ねていく。
「カラス殿は、確かに一時団長と打ち合えるほどの腕を見せた。しかしその強さの大半は、水天流と関わりのない天性の体術によるもの。武術としての水天流の動きを見れば、まだまだといったところでしょうな」
私にも劣る、と続けそうな表情。それには僕も異論はないが。
「天性かどうかは置いておいて、そのようなものです。お褒めいただき大変光栄で、そして大変恐縮なのですが、ご期待には添えないかと」
絶賛されるのは悪い気はしない。もう少し詳しい講評があれば今後に生かせるかもしれないが、そこまでは求めまい。
そして、断る理由はそれだけではない。
「それに、現在私はザブロック家に雇われております」
それが、一番の理由で。
「様々な考えもありましょうが、私は雇われている以上、ザブロック家が……ルル様が首を縦に振らない限り、王の命令でも私が仕える場所を変える気はありません」
それ以外の理由は、少しばかりの後付けだ。これで引き下がってくれなければ少々困るのだけれど。
しかしまあ、オルガさんとの話を断るのよりは大分楽だ。
残念そうに目を細め、小さく頷くディアーヌの言葉を断るのは、あんまり心が痛まない。
別に彼女のことを嫌いなわけでもないが。話題の種類の問題だろうか。
「……わかりました。今日のところはこれで失礼いたします」
「失礼を申しました」
拳をもう片方の手で包むように叩き、ディアーヌは隠さず溜息をつく。ルルとの関係に悪い影響がないといいが。
「ではザブロック様。貴方の従者に、剣の手ほどきを求めるお許しをいただけますか。もちろん、腕が治ってからのことですが」
そしてディアーヌが続けた言葉に、そう来たか、と僕は内心呻く。
ルルとしてはどうだろう。断るだろうか、とそう僕がちらりとルルに視線を向けるが、ルルもこちらを見ていて視線が交わった。
しかし、何かに納得したかのように小さく頷くと、ルルはディアーヌの方を向く。
「カラス様が、承知するのならば」
「ありがたい」
フフ、とディアーヌが笑う。いや、僕が承知しなければいいとはいえ、その言い方では……。
というか、何も諦めてなかった!
「では、今後よろしくお願いします。また参りますので」
「……機会がありましたら」
「ええ、是非」
笑みを浮かべるディアーヌに、僕は苦笑いを返す。その意図は多分伝わっているだろうが、それでも悪びれもせずに、ディアーヌは僕の表情を受け流した。
これは、やはり早急に腕を治さなければいけないか。治らないほうがいいという選択肢はないが、ならば早いほうがいい。
エウリューケを探そう。治療師ではないが、僕の腕を治せそうな僕が思う唯一の人物。
レイトンなら居場所を知っているだろうか。
あとで探しに行こう。
そして、そのときにレイトンにちょっと文句言おう。
僕は、そう思った。
おまいう案件