無理の代償
「何故、途中でおやめに?」
勇者への礼を取り、周りの視線が急に恥ずかしくなり、何も考えずに控え室に戻った僕。クロードも帯同するようについてきたので、槍の柄を確認している彼にそう問いかけた。
「ん?」
「私を叩きのめす、と伺いましたが、私はこの通り元気ですけど」
「ああ、そんなことか」
ハハハ、と快活な笑みでクロードは応える。先ほどの戦いで緩んでしまったらしい槍の穂先を、軽く揺すって叩きながら。
「元気、というのは嘘だろう? 脂汗が酷いぞ」
「この程度であれば、問題はないです」
言われて改めて自分の体を確認する。両腕が折れており、大腿骨も罅が入っているか。後は細かい擦過傷と打ち身、鼻血が流れ出ずとも鼻腔内に出血はあったらしい、乾いた血が鼻の中にこびりついている。
痛みが酷い。全身の、とりわけ右腕のものが。
右腕を上げようとして上がらず、左腕で額を拭う。
手の甲についた水分に、松明の明かりがテラテラと反射した。
「しかし、これだけ痛めつけてやったのだ。もう目的は達成した。これ以上は無意味だ」
えへん、とクロードが胸を張る。痛めつけた、というわりには罪悪感はなさそうだが、まあそういうものだろう。
それから僕の右側にゆっくりと歩み寄ると、おもむろに腕を掴む。その腕を掲げるように僕の胸の前まで持ってこられたが、抵抗できずに少し悔しかった。
「やせ我慢も、な」
「すぐ治りますし」
投げ捨てるようにして、僕の右腕が離される。衝撃で骨折部位も痛んだ。
笑いながらクロードは壁際まで歩くと、軽食代わりの焼き菓子に手を伸ばした。
「無理しない方がいいぞ。初めての閉牢は中々戻らん。……いや、初めてではないのか?」
「この症状の名前は初めて聞きましたが、これ自体は二回目です」
そう、今僕の右腕は動かない。
正確には、動くが力が入らない。熱感を持って更に痺れるような痛みが続いているが、それを凌ぐべく何かをすることは未だに無理だ。
闘気を込められない物に無理矢理込めるのは、以前、ムジカルにいたときにやったことがある。
調子に乗って、というと言い方が悪いが、しかし出来るかもと思ってしまい闘気を木剣に込めたことがある。
その時も同じ事になった。
その時は両腕が全く動かなくなり、そして激しい痛みが五日は続いた。
きちんと探査できたわけではないが、激しい肉離れのようなものだったと思う。筋肉がみじん切りにされたように断裂し、その部位は闘気が一切活性化できなくなる。
そしてそれより重大なことがある。
魔力が極端に通らなくなるのだ。その損傷部位に。
今もやはり筋肉の損傷を確認しようと魔力を通したが、ほとんど無理だ。
ムジカルでのそのときも、痛みが消えても筋肉はなかなか再生させられず、動かせるようになるまでまた五日はかかった。今回も同じか。
「ならば、二十日は覚悟しておけよ。二回目ならば、その後腕が使えなくなることも……あるな。まあ気をつけろ」
「……一度目も、可能性があった、と?」
動かなくなる。障害が残る。それは僕の嫌いなことだけど。
「そうだな。痛みが出る限りは可能性がある。賭場の賭けで硬貨の表を出し続けるようなものだ。『上がる』まで表を出し続けなくてはならず、途中で裏が出てしまえば、な」
楽しそうにクロードは言う。
「なに、才能がなければどこかで動かなくなるだろうが、いつか『上がり』になるまで耐えれば痛みも障害もなくなる。それを信じて祈れ」
「なるほど」
僕は右腕を念動力で握りしめるように動かして、内心納得する。
ならば、もう祈る必要もないだろう。
僕の腕は既に裏が出ている。一度目の筋肉の細断、あれは自然治癒でどうにかなるものではなく、僕が治さなければならなかった。きっと障害が残るものだったということだ。
『二十日』というのは、才能がある者が自然治癒で何とかなる期間のことだろう。
魔法使いでよかった、と改めて思う。治せる能力があって。
やはり僕には、闘気を使うことは出来ても才能はない。
……すると、僕はこれからも闘気を込められない物に込める度に、この痛みと付き合うことになるのだが。
まあ、無理はすまい。
「……動くじゃないか?」
「私は魔法使いなので」
クロードが、僕の手を見咎めるように目を細める。
しかしこれは外側から吊って動かしているようなものだ。当然力が入っているわけでもなく、本来の精密な動作は出来ない。
これで殴ることは出来るだろうが、結局は念動力で動かしているのでそれと変わらず、実体があるかないかの差しかない。闘気で消されないだけマシだろうか。
腕を僕自身で持ち上げてみれば、内出血のように斑紋が表面に浮かんでいる。全体が紫色に変色しつつあるこれは、本来見たくない怪我だけど。
「そうだ、そうだったな、魔法使いめ。忘れるところだった」
クロードはもう一つ焼き菓子を頬張りながら、端に置かれたコップにその下の水瓶から水を注ぎ込む。
そしてそれで喉の渇きを潤すように水を飲めば、噛み砕いた焼き菓子が喉の動きからどこにあるか鮮明に見えた。
……とりあえず、腕を治さなければ。
この腕、実感はなかったが、これが多分内傷というものだろう。
魔力が通らず、怪我を魔法で治すことは出来ない。
いや、僕ならば治せる。しかし強引に魔力を通すという作業がまず必要になり、そして筋繊維を癒やすのはそこそこ精密な作業だ。
たとえるならば、自分がギリギリ持てる重さのおもりを端につけたペンで、綺麗な文字を書けという程度の難題だ。
まずはこの魔力の通りづらさ、内傷が何とかなってくれなければ。
前回は五日くらいでいけたけど、一回やって慣れた今でも多分三日くらいはかかるかな。
「しかしその腕では、警護の任にも支障が出るだろう?」
「問題はありません」
というよりも、問題があると見せたくはない。……これはオトフシに怒られる方の我慢な気がするが。
しかしその言葉もまあまあ真実だ。右腕が動かなくても、左腕がある。両足があるし、試合でもないので魔法も使える。たしかに戦力としては下がっているが、心配されるようなことではない。
僕の言葉に、クロードはこちらを見ながら黙って水を飲む。まるで立ち飲み酒場で酒でも飲んでいるかのような仕草で。
「今回負った怪我は一応我が聖騎士団の過失だからな。誰か代わりを手配しよう」
「ですから、不要ですと」
「あのお嬢さんの説得さえしてくれれば、なんとでもなるんだが」
僕の言葉を無視して、クロードはまた声を上げて笑う。というか、さらりと怪我を連帯責任へと変えたな、この人。
「まあ、そろそろ戻らなければなりませんので……」
話を打ち切ろうと、僕は立ち上がりコートを脱ぐ。片手では脱ぎづらかったため、念動力を併用しながら。
持ってきてしまったが、石剣はどうしよう。元は石像が持っていた剣だが、手首のところで切断されてよくわからない見た目になっている。いらないんだけどこれ。
というかそういえば、壊された剣は置きっ放しだ。……石像とかの始末のときに、一緒に片付けてくれるかな。
「もう少し休んでいけばいいんじゃないか?」
「言い訳も考えなければいけないので、時間がほしいんです」
具体的に言うならば、考えなければいけないのはルルへの釈明だ。正直に話せば怒らないだろうが、どこまで話せばいいだろうか。オルガさんとのことは、何となく言いづらい。
元の深緑のコートに袖を通せば、何となく重たい生地がなくなり肩が軽くなる。この聖騎士の服もどうすればいいだろうか。これはいいか、石剣と一緒にクロードに押しつければ。
「失礼します」
コートを絞る腰のベルトを引っ張り、整えていたところで誰かが部屋に入ってくる。
僕らと入れ替わりに中庭に入っていったダンサーや芸人ならば声をかけないだろう。この控え室は彼らの部屋でもあるのだから。
ならば演者ではなく、……そういえばこの声は聞いたことがある。
入ってきたジグが、クロードに軽く頭を下げる。
「団長、お疲れ様です」
「おう。向こうの様子はどうだった?」
「ご令嬢たちは半々、といったところでしょうか。幾人か興奮冷めやらぬ方々もいらっしゃるようでしたが、ほとんどはいつもの演武と見たようで」
「だろうな」
笑いながらクロードは腰を伸ばす。
「まあそんなものだ。秘剣の応酬など、ただの娘っこにわかるもんじゃない」
とと、と少しだけよろけるようにしながら、クロードがジグに歩み寄る。
そして肩に手をかけて、にやつきながら顔を寄せた。
「それで、ジグ? 何か言うことがあるんじゃないか?」
「は、自分は、何も……いえ、お見事でしたと……」
「俺にじゃない。カラス殿にだ。お前も見てたな? 屋根の上から」
油の差していない機械のように、ジグが首を回してこちらを向く。それから迷ったように一歩踏み出し、そしてクロードに背中を押されてよろめいていた。
「告白って緊張するもんな!」
「……余計言いづらくなることを……」
溜息をついてから、困ったようにジグは苦い顔をして、僕のほうを改めて向く。
それから頭を掻いて、目を逸らし、顔だけをまたこちらに向けて口を開いた。
沈黙。だが、すぐさまジグはそれを破った。
「…………悪かったな」
「はい?」
全くの突拍子のない言葉に、僕は思わず聞き返してしまう。だが黙ったままジグは、体ごとそっぽを向いた。
「言葉が足りないぞー」
「…………」
近くにいるのに、遠くから呼びかけるようにクロードが小声で文句を言う。しかしジグは震える拳を握り、ただ黙って壁の方を向いていた。
そんなジグに歩み寄り、クロードは背後下から覗き込むように体を捻り傾けた。
「え? 何? 聞こえない。なんについて謝ってるの?」
「悪いって何が? え? え?」
左右に回り込みながら、クロードが延々と煽り立てる。なんだこの空気。
「なんかさぁ、一言だけ言って良い雰囲気で終わらせようとしてないか?」
「…………」
ぷるぷるとジグが震える。
煽られているようだが、正直何が起きているのかさっぱりなんだけど。
「土下座とか、ほら、なんかあるだろ、ほら」
小さく囃し立てるようにクロードが口を大きく開けて繰り返す。下腹部当たりで小さく手拍子まで入れる念の入れようだ。
威勢よくジグが振り返る。思わず身構えてしまったが、ジグの方は敵意もないようで……それでいて、何か堪えている表情だった。
「探索者を馬鹿にしていたこと、低く見ていたことを謝る」
それから一度勢いよく頭を下げて、またその勢いのまま頭を上げた。
「しかし、警護の能力まで認めたとは言っていないからな。警護には隙のない立ち位置に、細やかな目配り、それに信用が必要だ。仮に探索者を増員して警邏に当たらせても、私たちの代わりは出来まい」
「その信用が今なくなってるけどな」
横合いからクロードに口を挟まれ、ジグが振り返る。その先では、クロードが面白そうに笑っていた。
「しかし、だ。カラス殿。今回の件は本当に申し訳ない。王城内、それもあの区画で刃傷沙汰が起きたのは我ら第二聖騎士団の責任だ」
笑顔のまま、クロードは続ける。一見すると、申し訳ないと思ってはいなさそうだが。
「刃物出してうろついてくれるくらいはしないと、その前に止められないのも事実だがな!」
「……仮に刃物を出していたところで、相手によっては手が出せないでしょうに」
刃物を出して、明らかに怪しい格好で、となっても何も出来ないだろう。
ビャクダン公爵ご子息が明らかな事件を起こしたところで何も出来なかったのに。
しかし、責めるような僕の言葉もクロードは笑い飛ばすように破顔した。
「先ほどあった婦女暴行未遂か。それも俺の耳に入っている……いや、耳が痛いことだ」
「しかし、団長、あれは……」
「それについても俺の力不足だな。俺の団が対応した場合、刑部の誰もが大公殿下を優先する。それもあって、俺たちがここの警邏をやらされているということもあるんだろうが」
「王からの命令では?」
聖騎士団は王の直属兵だ。だから、ここの任もエッセン国王の命令だと思っていたのだが。
しかしクロードは首を振る。
「たしかに命令はあった。だが、王からの命令が邪魔されなかった、というのがきっと正しいんだろう」
邪魔されなかった、というのはつまり邪魔されるような者もいて、そしてクロードは邪魔されるような者でもなかった。つまり……。
「体の良い駒だった、と」
「悔しいことにそうだな! いや、エーミールという奴がいてな、第三聖騎士団の団長なんだが、奴ならばこうはならなかった。その場でビャクダン大公ご子息は捕縛されないまでも隔離されていただろうし、その後ビャクダン大公本人の横やりも防ぐことが出来た」
ジグが心配そうにクロードを見るが、クロードは初めて牙を剥くように好戦的な笑みを見せた。
「だから今、奴はミールマンの方へと追いやられている。リドニックへの警戒と、ムジカルに対してのネルグ北側の歩哨という適当な任務で」
笑みがまた変わる。今度は自嘲するように。
ジグの肩を叩いて、またお菓子を取りに行った。
「優秀というのは疎んじられる。武断の俺とは違って」
「そんなことは…………」
クッキーを二枚。両手に持って交互に囓るクロードに、ジグは反駁しようとする。しかし出来ずに、ただ拳を握って俯いた。
「政争ってのは嫌なもんだよな。だから関わりたくないのに、関わらなければ抗うことも出来ない。この混沌とした王城内は、歪んでる」
またクッキーを一つつまみ、ひな鳥が餌を食べるように上を向いてそれを口に放り込む。
「だから王も苦慮しておられる。勇者をわざわざ呼び出したように」
「勇者の召喚も、政争の一環というんですか?」
「そうだろう。俺も昔、エーミールに教わったもんだが」
とうとう口の中いっぱいに焼き菓子で満たし、クロードはもりもりと噛み砕く。
「勇者も気の毒だ。知らん世界の知らん国のために戦わされるなど、逃げ出さないだけ立派だろう」
「……これからは魔術を学ぶとか」
「剣じゃないなんて、とミルラ王女が嘆いていたそうだ。見てみたかったな」
どういう意味か、と問おうとしたが、クロードとジグの言葉の応酬に話題が移り変わっていく。
それから話題が途切れる前に、クロードがちらりと控え室の入り口に目を向けた。
「ごめんくださいな」
控えめに、それでいて堂々と口に出された挨拶の言葉。一応、という言葉がつくほど緩く身を正したクロードは、その言葉を発した女性とその後ろにいた女性に一礼した。
「これはこれは。ヴィーンハート様に、ザブロック様」
ははは、と笑いかけるその顔は、先ほど初めてルルと顔を合わせたときのように、まだ快活なものだった。
ジグも身を正し、声なく会釈する。身分としては彼ら聖騎士の方が高いだろうに、……と、よく考えたら今この場で一番身分が低いのは僕か。
考えながら気が付いて、僕も一歩下がって頭を下げた。
ルネスが扇子を手に、クロードに一歩近づく。十代後半と、二十代後半。外見年齢的には、少しだけ年の離れた兄妹に見えた。
「ルネス・ヴィーンハート、ベルレアン卿に拝謁いたします」
だが、畏まった動作にそうも見えなくなる。カーテシーの動作は優雅であり、それでいてさりげなく身分の差を周囲に見せつけるように行われていた。
「そう畏まらずとも結構ですよ。私はそういうのが苦手でしてな」
「助かりますわ」
ルネスも、フフと静かに笑う。扇子を開いて口元を隠した笑みは、目だけでもきちんと笑っているとわかるほどだった。
「ザブロック様も、従者が心配でいらっしゃったか」
クロードは、ルネスの後ろにいたルルに目を向ける。困ったようだったが、それでいて睨むようにクロードを見るルルの顔は、何となく拗ねているようにも見えた。
「……いえ、私は……」
そして言い返さずに、僕の方へと体を向ける。ちらりと視線を走らせたのは、僕の体の心配だろうか。
「私が強引に連れてきましたの。あれだけの演武をされた後ですもの、労いも必要じゃないかしら、と」
ちらりとルネスが僕を見る。小さくウインクしたのは、何の合図だろうか。
ならばと僕も会話に参加する。一つ気がかりなことが出来て。
「……しかし、僭越ながら、お二方とも舞踏会は……」
「いいのですよ。あれだけいらっしゃるんですもの、一人二人いなくてもわかりはしませんわ」
「うちの部下が数えていると思いますが、まあそうですな」
「そうでしたの? あら、ではあとで怒られてしまうかも」
クロードに笑いながら返し、ルネスは扇子を畳む。冗談だろうが、それでもやはりまずくはないだろうか。
「……怪我は、大丈夫なんですか?」
ルルが僕に歩み寄り、そっと手を伸ばそうとして躊躇したようにひっこめる。
まあ、大丈夫ではないんだけど。それでも。
「大丈夫です。いくらか骨もやられてますけど、私は怪我なら治せるので」
「それは……でも……」
両手を体の前にかざし、無事をアピールする僕に眉を顰めたルル。
どういえば納得してもらえるだろうか。
「無理はするなと」
溜息交じりに、いつの間にか僕の背後まで来ていたクロードが呟く。そして僕の横に回り込みながら、僕の右腕を掴んで持ち上げた。
「っ…………!」
不意打ちに、僕は思わず小さく声を上げる。折れた上に内傷が残る右腕、握られるだけで無数の杭がまんべんなく突き刺さるような痛みが走る。
口元に笑みを湛えたまま、クロードがその手をぶらぶらと振った。本当に痛い。
「何を……!」
ルルがクロードを明らかに睨む。自身の胸元を握りしめながら。
「申し訳ないが、この通り怪我をされている。この怪我は治療師でもなかなか治せん」
「ですから……」
「これに関しては、協力いただいたこちらの責任でもある。少しの間、休暇を与えてやってはくださらんか」
ようやくゆっくりと腕が下ろされ、その代わりにクロードは僕の肩に手を置く。
その様をルルはじっと見ると、不満げに大きく息を吐いた。
「代わりに、うちの団員を一人貸しましょう。そこの奴です」
「え」
ジグが目を丸くし、小さく声を上げる。ルネスも小さく「あら」と呟いた。
「贔屓とみられてしまうかもしれませんが、補償としてやっていると言えば問題ないでしょう」
「そういったことを勝手に決められても、困ります」
「ですから、頼んでいるのですよ」
「先ほどもそうでしたが、私の家の者です、貴方は勝手が過ぎると思います」
静かな怒りを滲ませて、ルルが抗議の声を発する。クロードといえば、そんなことを意に介さずにどこ吹く風で……いや、目を逸らしたな。
ルルがこちらを向く。叱られている気がして、僕も少しだけ肩が震えた。
「どの程度の怪我なんですか」
「右腕が少し使いづらい程度です。痛みはまあありますが、そんなに心配いただくほどのことでも」
「治るのに二十日はかかる」
クロードが口を挟む。抗議のためにクロードに視線を向けると、口笛でも吹いてそうなほど露骨に知らぬフリをしていたが。
口答えしても仕方ないか。僕は無視して、ルルに向き直った。
「三日で治します。治療師のものでは確かに難しいかもしれませんが、僕の治療なら、通らなくもないので」
それに、治療師でない者に頼んでもいいだろう。彼女が応えてくれるかは別だが。
「え……」
今度はクロードが驚愕の声を上げる。たまらずそちらをちらりと見れば、科を作るように体をくねらせて口元を押さえていた。
「何か?」
「いや、そうだな、魔法使いだ、そういう術もあるのだな。いやいや、すまんな。どうにも、お前を魔法使いだと見れなくてな」
僕が問うと、早口でクロードは感心したように弁明する。
「なるほどな。皆が嘘つき呼ばわりするわけだ」
「何となく失礼なことを言われてませんか?」
「いやいや、俺の問題だ。気にするな」
ははは、と誤魔化すようにクロードは笑う。その笑みが、エウリューケやレイトンのものと被って見えた。
「……わかりました」
ルルは服の裾を握りしめたまま、静かに声を上げる。
「三日間、そちらの方をお借りします。カラス様には……」
よろしいですか、と声なくルルが僕に尋ねるように視線を向ける。
元々僕は否応がないのだが、まあ契約に関わらないのであればまさしく問題はない。
あとはオトフシが納得してくれるかどうかだが。
僕が頷くと、ルルがまた溜息をついた。
「いや、すまないですな。その間うちのジグを、好きなようにこき使ってやってください。厠の掃除でも、夕食の配膳でもなんなりと」
「団長、あの……」
ジグもとうとう抗議の声を上げるが、誰もこの場でそれには反応しない。なんとなく可哀想になってきた。
不満を慰撫するようにクロードがジグの肩を叩き、それからまた僕に体を寄せる。僕だけに言葉を聞かせるように。
「早めに言っておいた方がいいだろうな。今日最後の指導だ」
「…………?」
「格好つけろといったが、その時期を間違えるなよ」
僕が応えられずに一瞬黙ると、クロードはニパと笑い、周囲を見渡した。
「では、私たちはこれで。明日の朝にはジグをそちらの部屋に向かわせますので細かい話はそっちでお願いする」
「ごきげんよう」
ルネスだけがクロードに応え、クロードはジグを視線で促しつつ部屋を出る。
僕たちに頭を下げつつ、追っていくようにジグも部屋から出ていった。
静かになった部屋。僕も解散ということで部屋に戻りたい。とりあえずはオトフシのところで、オトフシに事情を説明するべきか。
「……気をつけてって、言ったのに」
小さく、誰かが呟く。その声にルルに目を向けると、不満げにルルが僕から視線を逸らした。
「申し訳ありません、無様な姿を」
言いながらも、そうではないと思う。気をつけていなかったと責めているわけでもないだろう。正しくは、無様な姿を見せたという叱責でもないだろう。
それでも気恥ずかしくて、口には出せない。
「いえいえ、見事なものでしたよ」
言葉に困っている様子を見かねてか、取りなすようにルネスがそう言う。社交辞令のようなものだと思う。けれど一応、僕はそれに応えるように「ありがとうございます」と口にした。
「舞踏会ももう少しでしょう。会場までお供いたします」
「光栄ですわ」
ルネスが応えて、ね、とルルを促す。それからルネスが小さく誰にも聞こえないように溜息をつくが、僕はそれを無視した。
二人を送り届けてすぐに、控えの間、オトフシと話していた僕たちのところへ閉会の合図が届く。
舞踏会も終わり。
休暇となった僕を責めるねっとりとしたオトフシの視線が、やたら痛かった。