綺麗に格好良く
舞台袖……というわけではないが、中庭に繋がる廊下。
そこから、会場を覗ける位置に僕とクロードは並んだ。
舞踏会場は半分屋外。大きなホールの窓と扉を外して開放し、太い柱代わりの壁を残して、中庭とホールを繋げたというのが正しいか。
中庭には、暁の回廊にあったような石像が並び、暗い中でもその持っている剣の柄にある橙の宝石が光る。
松明と蝋燭の明かりがそこかしこに灯り、部屋の中に吊されたシャンデリアのような照明からは、そこに取り付けられた鏡によってより一層強い光が降り注いでいた。
薄暗い、とも言える中。中からは弦楽……三重奏かな、音が響く。
屋内で、勇者と誰かが踊っている。
タンゴやソシアルダンスといったようなものとは少し違うように見えるが、それでも大きくは違わないだろう。向かい合い、手を取って踊る。
踊るといってもオギノヨウイチはその振り付けを知らないようで、ただただリズムに合わせて揺れているだけのようにも見えたが。
笑顔の下に隠せない焦りがある。相手の足を踏みかけて、ほっと胸を撫で下ろすように息を吐いた一幕もあった。
……正直、やらせないほうがいいと思う。
お相手の令嬢の方は慣れているようで、何となく踊っているようにも見える。けれど、勇者の方は見方によっては無様で、なんの予備知識もなく彼を見たら、幻滅してもおかしくないと思う。特に相手のご令嬢たちは、皆幼少期からの訓練で踊りも達者でそれが普通なのだから。
外野から見た僕は思う。
けれど、そうでもないらしい。
オトフシの言葉の通り、これはただ踊って楽しんだり見て楽しむ会ではなく、他の目的があるのだろう。
これは僕の先入観からだとも思うが、何となく相手の令嬢もうっとりとした顔で勇者を見ていた。
もちろん勇者はといえば、ステップに必死でそんなもの確認している様子もなさそうだったが。
「俺たちの出番は、この次の曲が終わり、勇者様が腰を落ち着けた後だ」
「はあ」
クロードの言葉に僕は気のない返事を返し、勇者の踊りを見続ける。下手でも、笑いはすまい。彼の時代の教育はわからないが、ダンスなどきっとしたことがないのだろう。
しかし、それを見ながら何となく身につまされる思いも混じり始めた。
そもそも何で僕はここにいるのだろうか。
ルルたちが勇者の舞踏会に招かれ、待機をしていた。
そこでアネットに誘い出され、オルガさんと二人きりになった。
二人きりになったのをこれ幸いと、ビャクダン公爵が僕の身柄を確保しようと色付きの探索者を放った。
撃退したところ、……おそらく口封じと足止めを兼ねて、探索者二人の内一人がもう一人を殺害し逃げていった。
そして騒ぎと僕の助けを呼ぶ声に応えた聖騎士がそこに駆けつけて、そして僕が見つかった。
最後のも少々納得がいかないが、そこまではまあわかる。
僕によくある嫌な流れだし、理解は出来よう。
でも、何故。
隣にいるクロードを見れば、腕を組んでそわそわと、落ち着かないように貧乏揺すりをしていた。
変な流れになったのは、そこからだ。
その死体が片付けられて、まだなお血溜まりが残る部屋で、若干の脅しとともに僕はこの演武に参加させられることになった。
それ以前の聖騎士たちからの態度で、何となく僕に何かをして部下たちの溜飲を下げようとしていると僕は察した。
しかし考えてみれば、何故、ここで、なのだろう。何故僕はここで踊らなくてはいけないのだろう。
演武の人手が足りない。
それは嘘だ。手は足りないにしても、相手役には適任のジグがいる。
ここでしか出来ない。
それも嘘というか間違いだ。後で訓練場に呼び出すなり、公式の場で何かの理由をつけるなり、やりようはいくらでもあるはずだ。
事件を機に僕が出奔することを警戒した?
それはあるかもしれないが、ならば見張りでもつけておけばいい。……いや、少々の見張りならば僕は普通に振り切っていくけど、それが出来るとも思ってはいないと思う。
それに、それならばそれも好都合だろう。
依頼を投げだし姿を消す僕など、評判が下がってもおかしくない。特に信用問題の探索者ならば、なおさらに。
そうすれば、イラインの人間たちと同じように、僕の話を酒の肴にでもして溜飲などいくらでも下げられる。
僕の手の届かない安全な場所から、好きなだけ石を投げられるというのに。
何故、僕はここで踊らされるのか。
勇者と同じように、慣れない踊りを。
いやまあそもそも変なところといえば、そもそも血溜まりの残る部屋でなんの脈絡もなくこの場へと誘われたことなんだけど。
死者を悼む気がないように見えたのはまあ僕も変わらないので良いとして、誘いは話の流れからしても性急すぎるし、突拍子もない。
それは、僕ですらわかる非常識ではないだろうか。
「緊張でもしているのか?」
「…………?」
そんなことを考えていた僕に、横合いから声がかかる。まず間違いなくクロードからなのだが。
意識を思考世界から現実世界へと戻し、クロードを見る。その笑顔の意味がわからなかった。
「動きが硬いな。反応が遅い。もっと気楽に力を抜けばいいんだ」
ハハハ、と声を潜めて笑う。ずっと笑っている気がする。
「……緊張というよりも猜疑です。この演武、クロード様には何か違う考えがありそうで」
暗がりの中で、クロードが一瞬黙る。
じっと僕が見つめても、笑顔は崩れない。反応が読みづらい。レイトンならばわかるのだろうが。
「何か、嘘、ついていませんか?」
失礼に当たるだろうが、もう一押ししてみよう。
そう言葉を重ねてみるが、反応は芳しくない。ただ口の左端の笑みを強めただけで、クロードはそれを受け流す。
それから、ゆっくりと口を開いた。
「嘘、嘘というのならばカラス殿もそうだろう? あの場にいたのは、カラス殿一人だけではあるまい?」
「…………」
「ジグは気づいていないようだったがな。お前は明らかに誰かを庇っていた。……女か?」
「……ご想像にお任せします」
誰もいなかったとしらを切るのは簡単だろうが、透明化を見破れる上、僕の透明化をその場で見破ったこの男には無意味だろう。しかしそれでも、素性は知れていないようで何よりだ。
「まあそれについては何も問うまい。疑いについては不問にすると俺は言った。それはあの場にいた全ての人間に対してだ」
「それはどうも」
「お前にお前の嘘があるように、俺にも俺の嘘がある。そして、俺には責任がある」
クロードがちらりと視線を送った先。
その暗闇の向こうを見れば、さりげなく、人が会場に入ってきていた。
入ってきているだけではない。この中庭を見下ろせるベランダのような場所にも数人、令嬢や勇者にはわからないように待機していた。
総勢で二十人弱。物々しい雰囲気を一切出さずに、それでも剣呑な雰囲気は漂わせ。
「警邏はどうしたんですか」
「最低限残してはいるさ。それに、危険人物の捜索は一時中断だ」
「まあ、これだけ時間があれば逃げられているだろうが」と付け加えながら、得意げな顔でクロードは水平に手刀を振る。似合わない仕草に何となく腹が立つ。
「気が付いているようだが? これは演武などではない。先に挙げた規則は守るが、お前の安全は保証しない」
「部下数人のために、一般人の私の安全などどうでもいいと」
「俺の部下に限らず、聖騎士たちにお前は嫌われている。何故かわからんほど急激な期間でな。まずはそれを正したい」
僕の軽口には応えずに、クロードは勇者に目を戻す。
次の曲に入り、また違う女性と踊っている勇者だが、まだまだ踊りは慣れないらしい。
「この場を用意したのは、また別の誰かだ。俺にはわからん、別の誰か」
「…………」
レイトンだろうか。この僕への折檻まで、あの男の策略とは恐れ入る。
やっぱり今度一応文句言おう。
「こんなに急ぎになったのは俺のせいではないがな! そもそもこれをお前を相手にする舞台だと言われてもないから知らん!!」
一応聞こえはしないだろうが、それでも会場にも聞こえそうなほど元気の良い声でクロードはそう宣言する。知らん、ならばやらないでもいいのでは……。
「その意図は未だにわからんが、だが、俺は決めた。俺は部下たちのために、そして俺の格好をつけるためにお前を叩きのめす。お前は全力で抵抗してこい」
「勇者は……観客は楽しまなくてもいいと?」
演武。見世物としてのそれは観客に向けたもので、演者が何かしらの事情を持ってやるものではないと思う。いやまあ、ここまで聞けばそういうものではないとも知っているけれど。
単なる軽口だ。
そんな軽口に、クロードはパカリと口を開く。
「もちろん、水天流の舞は人を楽しませるのが一番だ。『綺麗に格好良く』……それが、初代の掲げた水天流の真髄だからな。そのために、そしてお前のためにも」
それからクロードは体を折り曲げ、僕の顔をしたから覗き込むようにして嘲るような顔で言う。
「女のために格好をつけたのだろう? ならば、ここでも格好つけてもらわなければなぁ」
ククク、と嘲るような、邪悪さを滲ませたようなまた違った種類の笑みを浮かべて、そう言う。怖くはないが、なんとなく煩い。
曲が終わる。
手を離すのが名残惜しそうな……ええと、あれは男爵家のご令嬢かな……女性と対照的に、ぺこりと頭を下げながらも、やっと終わったと一息ついている勇者。壁際に下がった彼に対し、侍従のような男性が外を指し示した。
外、庭との境界に椅子が置かれる。勇者のためのもの。
侍従長の言葉はさすがに遠い上にざわめきで聞こえないし、無意識に口元を見せないようにしているようで何を言っているのかもわからないが、演技、ということを勇者が呟いているのは見えた。
「そろそろか」
槍を担ぐように、クロードが会場を覗き込む。
それからもう一度、と僕に向けて振り返った。
「先の指導と今の言葉。覚えておけ。水天流の真髄は、『綺麗に格好良く』だ」
一歩先にクロードが出る。背中越しに、まだ口を開いた。
「お前も、せいぜい格好をつけろ」
クロードに続いて歩いていくと、中庭へと少しずつ移動していた手持ち無沙汰な令嬢たちから視線が向けられる。
まず始めには、何があるんだろうという好奇の視線。
それから、僕とクロードの素性を推定するもの。コートから、すぐに聖騎士ということは察しがついたのだろう。しかし、次に僕を確認すると、幾人かがまた頭上に疑問符を浮かべていた。
中にいたルネスが、僕を確認した後に誰かを探す。
扇子を閉じて、少しだけ慌てたようにしばらく見回した後に視線を止めた先にいたのは、ルルだった。
僕もそちらに視線を向けると、ただルルは硬い表情でこちらを見ていた。
並ぶ石像の前。
スペース的には長辺が三十歩ほどの長方形だろうか。軽く踏んで確かめると、芝生ではなく固められた土のような地面だった。鍛錬場と同じようなものだ。
そこに少しだけ間を開けて僕とクロードが向かい合う。
それから一度肘掛け椅子に座っている勇者の方を揃って向けば、僕の顔を確認した勇者が小さく「え?」と声を上げた。
「勇者様のお目に敵えばよろしいのですが」
若く背の低い侍従の男性が、クロードに向けて会釈し、そして腕をわずかに振る。それに対し頷いたクロードは会釈を返し、こちらを向いた。
槍が僕へと向けられる。それに対し僕も剣を合わせた。
僕のことを知る誰かが、経緯や事情を勘ぐる言葉。
どんなことがあるかわからない、というような暢気な言葉。
興味深くこちらを見ている令嬢もいるが、露出した上腕部からちらりと見えるわずかに筋肉質な腕を見れば、多分自分も戦う術がある。オトフシに覚えさせられたときにも見た女性だが、女性で腕が筋肉質になるまで鍛えるとは相当な鍛錬量だろうと改めて思う。
他にも、皆からはわからないように囲まれて、聖騎士たちに向けられる視線。
明らかな敵意。それに、わずかに愉悦が混じる。この後の展開を予想してだろうが。
皆がこちらを見ている。ルルも、ルネスも、勇者も、他の令嬢たちも、聖騎士たちも。
クロードの呼吸が、槍と剣を通じて感じられる。静かな呼吸、まるで今から戦うとも思えない程度の。
まだ払うわけではないが、ジ、と剣を擦った槍の動きに、『こちらを見ろ』と言われた気がした。
そうだ。
僕はクロードに視線を戻し、他の視線に向ける意識を一時切る。
今ならば、きっと暗器を投げつけられても反応が遅れてしまうだろう。その程度に、クロードに集中する。
暗がりに照らされたクロードの顔と体だけが鮮明に見える。
侍従の男性が勇者に何か言っていたが、全く聞こえなかった。
それから、クロードの槍が動く。
「……!?」
押し下げるように滑らせて、剣を弾いてから僕の首を狙う槍。それが迫ると同時に僕も剣を上に振り上げて槍を弾く。
次に、振り下ろした剣を躱されながら、下から迫る石突き。柄を使って弾くと、ゴ、と重い音がした。
それから続く一連の動き。
全て躱され、躱し……切れたと思ったがそうではなかったらしい。
反応はしないように努めるが、脇腹がズキと痛む。
最後に互いに振り切る横薙ぎ、クロードのそれが僕の脇腹を掠めていた。
休んでいる暇はない。
足を踏みならし、クロードが前傾姿勢で槍を構える。
まるでビリヤードでもするように構えられたその槍から、五回の突きが瞬時に飛んできた。
顔と喉、それに腹に金的。瞬時に飛んできたそれを下がり避けながら、初動の接触法を僕は内心振り返る。
ジグよりも、倍は速い。なのにこれでも多分本気ではない。
そこから立ち止まらずに、振られる横薙ぎ大振りな槍。僕にも充分それをしゃがんで躱す余裕があり、そのまま振った僕の剣は軽く立てた槍で弾かれた。
今の僕の攻撃も、カウンターを狙おうと思えば簡単に狙えるもの。しかしそれをせずに、体捌きで僕の背後に回る。
背後から感じる迫力とも言える気配に反射的に後ろ蹴りを加えれば、槍の柄に激突した衝撃に僕の体が飛ばされた。
……もうちょっと切り結ぶとかすればいいのに、と考えてしまったが、ルール上難しいのだろう。
回転しながらまたクロードと向かい合う。まるで最初の位置に戻ったようだった。
クロードの突きを、剣で逸らして躱す。先ほどの型と同じようなもの。
しかし、そればかりではないらしい。
「フッ」
小さなかけ声と共に、僕の剣に当てた槍を支点にクロードが浮かぶように空中に飛ぶ。
そしてそのまま頭部に飛んできた鋭い右蹴りを躱すと、鼻先に擦れたようで軽い痛みが走った。
出血はない。鼻血が出れば演武どころでもないために、それはしないのか、できなかったのかわからない。
だが、好機だ。着地したクロードの足を払うように倒れ込みながら右足で蹴れば、初めてクロードも焦ったように口元を歪めた。
もう一つ。
「……!」
側転……というよりも、ロンダートだっけ、そんな感じの動きをするように、左踵蹴りをクロードの頭に合わせる。
並の人間ならば昏倒する側頭部への蹴り。しかしクロードは槍ではなく、手刀でそれを弾き落とした。
しぶとい。
手加減されているのはわかっているが、そんな場違いな考えを浮かべて僕は片手で跳ねるように跳んで距離を取る。一方クロードも同じように側転するように距離を取って後ろに跳べば、二人の間には五歩以上の距離が出来た。
つつと僕の額に汗が垂れる。
今の攻防でも、僕の致命傷となる攻撃は七つは放てた。しかしそれをせずに見逃すクロードの行動が、むしろ少しだけ怖い思いだった。
今度は構えて動かないクロード。『打ってこい』と言っている気がする。
その言葉にしたがうわけでもないが、片手で構えた剣を前に突き出すように振る。
しかし。
「……はー……」
勇者の溜息のようなつぶやきが漏れる。
僕の突きと薙ぎ、いくつも放ったそれは全てクロードに躱された。
立ち位置は全く変わらない。なのに、揺れるようなその体の動きと足捌きで、すり抜けるように攻撃を躱す。
水天流、六花の型。その練度は、やはり水天流を修めた者の中でも最高峰らしい。
六花の型。
主に足捌きを使い、最小の動きで敵の攻撃を躱す型。もちろんその型はそれだけでは終わらない。
敵の攻撃が緩む。その次の瞬間に、振るわれるのは剣戟。
足捌きで敵の攻撃を躱すということは、手が空いているということ。
それはつまり、防御を考えない全力での攻撃が、いつでも放てるということ。
ズシンとクロードが地響きでも起こすかのように一歩踏み出す。
次の瞬間、最初の二つの薙ぎをギリギリ躱したはずの僕の腿に、激しく鈍い痛みが走った。
「…………ぅ!」
思わず声が漏れてしまいそうになり、奥歯を噛んでそれを堪える。
当てられた痛み。思わず膝から崩れ落ちてしまいそうなほどの。
しかし、またしても好機だ。
僕の腿に当たり、若干の戻すテンポの変わった槍。一瞬遅れたそれを踏み台にし、クロードの顔を狙う。
先ほどのお返し、しかも先ほどよりも厳しいものを。
顔を打ち据えるような蹴り。
小さく舌打ちをしながらクロードはのけぞり避ける。
無理か。そう判断した僕は、空中の僕を振り払うように振られた槍に乗り、宙返りをして着地した。
どよめきのような歓声が起きる。
一瞬演武の空気が切れたからそう感じただけで、きっとずっとあったのだろう。
会場を沸かせることは成功しているらしい。あんまり興味もなかったが。
……そろそろいいだろうか。
というよりも、そろそろ終わりにしてくれるだろうか。僕はそう懇願するようにクロードの顔を見る。
ここまでの打ち合いでも、実力差はわかっている。
明らかに僕が下。剣だけでは、文字通りやはり太刀打ちできない相手だ。
クロードは本気を出しておらず、それに僕も僕なりに精一杯だ。
そろそろ本気を出して決着してほしい。
そうすれば、全てが上手くいくだろう。
聖騎士たちの溜飲も下がり、演武は成功に終わり、僕とオルガさんは無罪放免となる。
少し僕が痛い思いをすれば。
考えているうちに、クロードがまた動く。豪快な打ち下ろし。その程度簡単に避けられると入り身をしながらクロードに一歩近づく。
そのまま攻撃を……と腕に力を込めたが、その時に違うものが目に入った。
判断の遅れた僕。
そこにクロードの切り返した槍が迫る。
転換するように回転しながらそれを躱し、その勢いでクロードの首を狙うが、それは石突きを合わせて押さえられた。
変則的だが鍔迫り合いのような形。
すぐに離れなければいけないのだったっけ。合図するように強く押し返すと、クロードも察したように離して一歩後ろに跳んだ。
気のせいだっただろうか。
クロードの肩越しにちらりと確認すると、気のせいだったらしい。
ルルは、僕たちの動きをしっかりと見ていた。先ほどまでと変わらない、硬い表情で。
打ち合いは続く。
クロードも手を変え品を変え、僕の喉元に食らいつくために攻撃を続けていく。
六花の型から、大火の型の豪槍が打ち出される。少し動けば、風林の型で位置取りを変更される。
風林の型で相手と自分の位置を制し、六花の型で隙なく躱し、大火の型で相手の防御を貫く攻撃を加える。
そしてそれら全てが流麗で、綺麗な動き。格好良いと僕すらも思う。
おそらくこれが水天流の理想なのだろう。
そんな様をまざまざと見せつけられているようで、何となくまた嫌な気分になってきた。
全力での白兵戦。
剣は苦手だと常々言ってきたけれど、やはり僕は剣は苦手だ。
少しずつ攻撃は当たっているし、地面と擦れたりはしているために、小さな打ち身や擦り傷はある。しかし未だにお互いに大きな怪我はない。
それは僕が未熟だからで、そしてクロードが手加減をしているからだろう。
わずかに上がった息を、クロードが活性化した闘気で下げる。もっとも、隠してはいたものの、僕はもっと上がりっぱなしだったが。
それに応えるように僕も少しだけ闘気を活性化させる。急激に楽になる体。まだ、終わらないのだろうか。
お互いの体からわずかな光が上がる。
薄暗闇の中で残像のように残るそれが、クロードの体をくっきりと見せていた。
「やはりか」
誰にも聞こえないように小さく呟き、クロードの体がまた動く。
展開は先ほどと同じ。しかし先ほどよりも更に速度が上がり、重く、弾く手が痛い。
身を翻し、宙を舞い、幾度も攻撃を互いに交える。
だがやがて、突然攻撃が止まる。クロードが疲れたのか、それともこれで終わりか、と一瞬思った。
しかし、そうもいかないらしい。
「むん!!」
この演武で初めて聞く大きなかけ声。
それに応えるようにクロードは大振りな突きを片手で繰り出す。
この程度ならば、大丈夫だ。
僕は痺れつつある腕を叱咤し、剣を構える。逸らすようにしながらまた踏み込めば……。
しかし、クロードはにやっと笑っていた。
にやりという表現が合いそうではあるが、それでもさわやかな笑みで。
僕の剣に槍が衝突する。
打ち合ったわけでもない。僕が合わせたわけでもない。だがぴったりと、槍の穂先と僕の剣が、針と針の先を合わせるように組み合っていた。
「!?」
僕は驚きつつ剣に力を込める。
どうしようか。横に動けば対応される。しゃがんでも同じだろう。剣を外せば僕の体に槍が真っ直ぐに向かってくる。
いっそ跳ぶか? そう悩み、ようやく決断できた次の瞬間にまた僕は驚愕した。
パキン! と大きく高い音がする。
慌てて両手で押さえた剣、その押さえる力が軽くなる。それもそのはず、切り結んでいた剣が割れていく様を、僕はスローになった視界でしっかりと見ていた。
まず……。
顔を捻るようにし、ぎりぎり、僕の目の前数ミリメートルを槍の穂先が掠めていく。
頬を切ったそれが頭の後ろ側を飛んでいくのを確認したところで引き延ばされていく感覚が戻ってきたが、それでもピンチは終わっていない。
槍を引き戻す左手。しかし右手は空いていて、それが僕の柄だけになった剣を弾きながら迫ってくる。
拳。鉄拳とも形容すべきそれを重ねた腕で受け止めようとするが、骨が割れる鈍い音と鋭い痛みと共に、僕は弾き飛ばされ宙を舞った。
景色が流れる。
腰を浮かせた勇者も、目を閉じたルルも、弾き飛ばしたクロードも、伸びた景色の中に合成される。
危ない。
空中で体を立て直し、ちょうどそこにあった石像の側面へと足の裏を合わせる。そこを足場にして地上へと降り立てば、もう一度、とクロードの槍が迫ってきていた。
尻餅をつくように、後ろ向きに倒れ込む。
おそらく当てる気はなかったのだろう。しかし、幾度も続いた鋭い突きで、背中に感じるべき感覚がない。
石像の硬い感触があると思った。
しかし背中を合わせた瞬間にそれは緩やかに崩れ去り、小さな瓦礫となって僕の背中を受け止める。
ガラガラと、背中で何かが崩れていく。
明らかに石像。しかも、それを刃を潰した槍で裂いた。
それだけでもすさまじいことだ。柔らかい石ならば僕でも出来そうではあるが、それでも切断というよりも破砕という感じになるだろう。
そして、もう一つ。驚愕の事象がある。
一歩下がり、残心とばかりに槍を構えたクロードの、その穂先に白い光が溢れるように灯る。
闘気。しかも、闘気の通らない木製の軸を通した上で、武器に纏わせる……とは。
僕は内心感嘆の息を吐く。
神業だ。出来てもおかしくはない、と思ってはいたが……。
目の前にいた男もデンアやレイトンと同じような者だった。そういうことだろう。
僕は緊張していた息を、今度は実際に吐いて立ち上がる。腕が痛む。
明らかに決着はついた。僕の剣は折れ、攻撃は直撃し、攻防も途切れた。
僕へと向けられていた聖騎士たちの視線は若干緩み、後はこれで僕の悪評が立てばまあ一件落着に終わるのではないだろうか。
もはや終わってもいい。
こちらへ向けて槍を構えているクロードが構えを解き、僕が立ち上がり適当な位置で互いに礼をすればこれで終わる。
だが、何故だろう。
クロードは構えを解かずに、僕をじっと見つめている。もう明らかに規定されていた秒数は過ぎている。もしもまだ続ける気ならば、ここにクロードから斬りかかってくるだろうに。
……まだ続けなくてはいけないというのだろうか。
剣を失い、腕に怪我を負い、既に実力差も把握した上で。
まあ、それもいいだろう。
僕の得意武器は、拳。……武器なのに素手というのはおかしいが。
しかしこれからが本当の本気で、僕は精一杯の力が出せる。それならば、今のような無様なことにはならないかもしれない。
拳を握り、構えをとる。それできっと、この『演武』も再開されるのだろう。そして多分今度は、僕の得意武器も完封されるというおまけ付きで。
それもいいだろう。
だがこれは、『素手』の演武ではない。
「…………」
僕は周囲を見回し、ちょうどいいものを発見する。
切り裂かれた石像。その手の先にあった剣は、ちょうど柄を握っている手首のところで折れていた。剣自体に損傷はなさそうだ。
その石像の手の部分を包むように持てば、まあ握り手としては太いが持てないことはない。そもそも、僕に使いやすい剣というのが存在しないのだし。
戦いは続けよう。クロードの目論見通りに。
だが、素手ではない。
何をするのかという令嬢たちの視線を無視して、一歩踏み出す。
構えるのは石剣。その材質から実用にはほど遠く、形も無骨なものだがこれも『剣』だ。
クロードが笑みを強める。嗜虐的なものか、愉悦のものかはわからないが。
口だけで、僕は「つづきを」と促す。
僕の強化された耳に、どこからか「馬鹿じゃねえの」と呟く声が聞こえてきた。出所は間違いなく聖騎士だろう。
僕ももちろんその意見に賛成だ。本当ならば、もはや戦えることはない。
それでもなお。
先のルルを思い出す。
僕が弾かれて飛ばされたとき。その前にも、僕が打たれそうになったとき。
強く目を瞑っていた彼女の姿を。
そうだ。
『安全に負ける』。それがこの演武の僕の勝利条件だった。そう思っていた。
しかし、そうではないのだ。本当は。
オトフシの『何故勝とうとしない』は、ずっとそのことを言っていたのに。
傷は、体に残るものだけじゃない。
今の僕の怪我や負けは、きっと僕だけの問題ではないのだ。
ならば負けるわけにはいかない。
ルルのためにも。
ならば、素手で戦うわけにはいかない。
ザブロック家のためにも。
僕は、綺麗に格好良くしなければ。
僕は手に力を込める。握りしめるように、力強く。
右手の筋肉が軋む音がする。前腕が痙攣するように震える。僕もこれは苦手なんだけど。
石剣を光が包む。薄く白い、闘気の光が。
「つづきを」
クロードだけに聞こえるように小さく呟くと、クロードの笑みは強くなった。