後ろ向き
ジグの説明も終わり、もうすぐ時間が来る。
食事会も終わり、皆が休憩室から舞踏会場に移動しつつあるという。
最後の休憩ということで机からお菓子を取ってポリポリと囓るクロードと、他の演者との調整だろう諸事を話しているジグ。
それを尻目に、壁際で僕たちをじっと見ていたオトフシに目を向ければ、さりげなくオトフシは僕の肩に上ってきた。
「……フフン、楽しそうだったではないか」
「そう見えましたか?」
正直自覚はあったが、照れ隠し混じりにそう誤魔化すと、オトフシは僕の肩を毛繕いするようにつつき始めた。
「慣れてはいないようだが、ああいった鍛錬は初めてなのか?」
「そうですね。接触法は相手がいないと出来ないので、やったことはないです」
僕の水天流は、鍛錬を見つつ練習しただけのどちらかといえば自己流のものだ。鍛錬法は、見稽古と一人での型稽古と野生動物相手の実戦程度。
柔道でいうならば、丸太相手の打ち込みと受け身と自護体をひたすら稽古しただけのようなものだ。
組み手などもちろんしたことがないし、指導を受けたこともない。
当然、悪い癖などもそのまま残っている。だからこそ、先ほどクロードに指摘された穴が多数あるわけだが。
「ならばよかったな。貴重な経験だ」
「そうですね」
僕は笑う。貴重な体験、どころではない。本来水天流の高弟か聖騎士団員にしか出来ないことを、今僕はしたのだ。
「まあ、これで何とか形にはなるでしょう。あとは僕が上手い具合にやれば済むことです」
「上手い具合に、か」
オトフシの動くカサカサという音を聞きつつ、僕は先ほどのジグの喋った取り決めを反芻する。
本当に、決まり事の多い試合、という風情だという感想を加えつつ。
最初の接触法以降は、即興で自由に攻防を行う。
ただし、完全に自由というわけではなくいくつかの制限があった。
簡単に言えば、見栄え良く動くこと。
鍔迫り合いはなし。禁止というわけではないが、一呼吸以内に離れなければいけない。地味な攻防が忌避されるからだろう。
試合場にもより、そして今回は重要なことだが、土などを投げての目潰しは禁止。目潰しに限らず噛みつきや頭突きなどの攻撃も禁止するということだ。これも、見栄えが悪いということだろう。流血などはもちろん忌避されるし、なんとなく見た目が悪い。
二呼吸以上立ち止まらない。攻撃をしない時間は多少延びても良いが、防御を固めて待ちに徹するなどは望ましくないという。
本当は、まだまだいくつも決まり事はあるらしい。
しかし、練習時間もなく慣れてもいない僕にそれら全てを守れるはずもなく、無様な姿を見せるよりは自由に動いてもらったほうがいい、というのがクロードの言葉だ。
全力で来い、とも言っていた。
絶対の自信があるのだろう。僕には負けない、という矜持も。
そして、終了はクロードが決める。
頃合いを見計らい、立ち止まり、穂先を上げて立礼をした時点で演武は終わる。
つまり、それまではクロードは攻撃し放題ということだ。
聖騎士の僕への敵意は知っている。
先ほどのジグすら、異常なほどの敵意を煽られていたと思う。ならば他の団員すらそういうものとなっているだろう。
団長である彼はそれを解消するために、僕へと折檻を加える。この演武の目的はそういうことだと思う。
演武ならば僕は逃げられず、そして死にさえしなければ『事故』という事で済むだろう。この王城内の治安は、属人的ということも知っている。
……まったく、面倒な話だ。
「何を思って、レイトンさんはこんな事を仕組んだんでしょうか」
悪意すら感じる。もしもあの探索者の襲撃までレイトンの仕業ならば、嫌がらせの域を越えている気がする。
探索者と僕への敵意を煽り、僕を暗殺者に襲撃させ、クロードと接触させて折檻を受けるように仕向ける。
クロードの行動までは意図していないのかもしれないが、そこすらレイトンの意向ならば本当に僕は一度怒ってもいいと思う。
「あの男の考えは妾にもわからん。プリシラならばあるいは、だが」
「プリシラさんに一度聞いてみたい」
彼女との接触は、まだ事態が進む前だった。今ならば「ああ」と嬉々として教えてくれるのではないだろうか。……彼女も面白がっていたら嫌だけど。
「まあ、頑張ります。上手い具合に負けられるように」
「……まだ、そんなことを言っているのか」
プッと不満げに紙燕が息を吐き出す。何故そんな機能があるのか、折り紙なのに。
それから僕の顔に寄ってくると……。
「何故、勝とうと、せんのだ!」
「ちょっと痛いんで、やめてもらえます?」
嘴で僕の頬と首を何度も突く。硬く丸めてある紙だから、防がなければ地味に痛いこれ。
「そもそも勝てるわけがないじゃないですか。魔法もなしに」
「しかし闘気はありなのだろう? ならば条件は五分のはずだ」
「それ補助に使うだけですし」
そう、この演武、闘気は禁止されていないのだ。わざわざジグも、『攻撃魔術、および魔法は禁止』と言っていた。つまり、補助としての魔法も有効。
ただし、槍の持ち手は木だし剣の柄に金属も露出していないので、闘気を武器に通して強化することは出来ない。
ただ見栄えの良い移動や跳躍の補助に使うために認められている、ということだろう。
「終了を決めるのもベルレアン閣下ですし、規則的にも難しいです」
だからこそ、これはやはり『決まり事の多い試合という風情』で止まっているのだ。
やはりこれは演武で、舞の演目に近い。どちらかがどちらかを叩きのめして勝敗を決するという試合にも遠く、流血や怪我すら避けるべきものだ。僕はまだしも、クロードが怪我をするなどと言うことも王城にとっては以ての外だろう。
「もういい」
僕への叱責も無意味と判断したのか、ぷい、とオトフシはそっぽを向く。
「だが、気をつけろよ。クロードの名前については伝えてあるはずだ」
「そうですね。本当に、死なないようにはします」
そろそろ、とジグがクロードに呼びかける。ならば僕も行かなければならないだろう。
オトフシが僕の肩から飛び降りて廊下の向こうへ飛んでいく。そちらは舞踏会場か。
僕たちはただの令嬢たちの舞踏会の賑やかしのはずなのに、こんなに気をつけなければならないとは世の中不公平だと思う。
勇者とお嬢様たちが次々と踊る。その曲と曲の間、休憩時間を繋ぐための賑やかしの一つ。
彼らの華やかな時間を彩るために、僕は今から酷い怪我をするかもしれない演目を踊らなければならない。
嫌な話だ。部屋を出る廊下の先が、暗く見える。
「では行こうかカラス殿、よろしくな」
クロードが笑顔で話しかけてくる。僕はそれに応えて、後ろに続くべく足を進める。
廊下の向こうから、弦楽器の音が聞こえてくる。
僕もこれから踊らなければならない。
相手は麗しい女性でもなく、年上……何歳上だろうか、わからないけれど、かなり年上の男性と。
クロード・ベルレアン。第二位聖騎士団〈旋風〉の団長。
正しくは、クロード・ベルレアン=ラザフォード。
先代勇者の時代の剣聖、ジャン・ラザフォードの直系。
本当に貴重な体験をさせてもらった。
水天流の現当主から、指導を受けるだなんて。
「どうしたんですか、その格好は」
廊下の移動中、僕はあまり顔を合わせたくない人と出会った。夜風に当たるように中庭にいた彼女は、不意に僕たちを見かけて歩み寄ってきていた。
人のいない中庭は暗い。あまりそこにいてほしくないというのは僕の意見だ。
ふと気づく。……何故僕は今顔を合わせたくないなどと思ったのだろうか。
「お疲れ様です」
自分の中に湧き出た疑問を押さえて、僕はその女性に言葉を返す。
「少し話せば長くなるんですが……この後、少々演武をすることになりまして」
「演武……ですか?」
誤魔化すようだが真実の僕の言葉に、ルルが怪訝そうに首を傾げる。先ほど部屋で別れたきりだが、元気そうで何よりだ。……僕は何を心配しているんだろう。
「詳しくは後でお話しします。……いえ、多分すぐにわかるんですが、舞踏会の合間の演目に出るということで」
「……何故、そんな……」
ルルが戸惑いながら、僕の横にいるクロードに目を向ける。向けられたクロードは歯を見せて笑みを作り、それに応えた。
「いや、申し訳ないですな。ルル・ザブロック様。クロード・ベルレアンと申します。少しばかり、部下の方をお借りします」
「何故……」
戸惑いを見せたのも一瞬。しかしルルは背筋を正し、クロードの目を改めて見つめた。
「いいえ。私の家の者を勝手に使うなど、失礼ながら、勝手が過ぎるのでは」
「それについてはお詫び申し上げる。しかしなにぶん、今私の団は人員が出払ってましてな。困っていたところに、ちょうどよい人材がいたものですから」
クロードが僕の肩を叩く。なんというか、馴れ馴れしい。
「事情は後でカラス殿にお聞きするのがいいでしょう。ちょっと込み入っているので」
「貴方が、説明をするべき事ではないでしょうか」
ルルが強くそう言い返す。事情を知らないルルが言い返すのもわかるが、ちょっとやめてもほしい。ルルは貴族令嬢だが、相手は騎士爵だ。身分的にはあまり言い返せないはず。
いやこれは、僕が止めるべきか。
「……閣下、すこしルル様に説明する時間をいただけますか」
「そうしたほうがよさそうだな、いや、俺は先に行っている。ルル・ザブロック様、失礼を」
「…………」
また一度僕の肩を叩き、クロードが早足で駆けていく。何となく怖がっているようにも見える。怖くはないとも思うが。というか、逃げるな。
黙ってそれを見送ったルルは、苦笑いでクロードを見つめている僕に向き直った。
「どういうことですか? 演武とは。それに、何故カラス様が?」
「それについては本当に長くなるので簡単に申し上げますが、少し事件に巻き込まれまして」
「事件?」
どうしよう。どこまで言っていいものだろうか。全て話すのも吝かではないが、僕が狙われていると知ったら彼女はどう出るのだろう。
まあ、言える範囲はここで言ってしまえばいいか。
僕は周囲を一応一度索敵し、聞き耳を立てている誰かがいないことを確認する。
誰もいない。いや、通行人はいるけれど。
「これは他言しないでいただきたいのですが……」
「ええ」
「先ほど王城内で、殺人が起きました」
「…………」
声なく息を飲み、ルルが口を押さえる。あれ、これまずかっただろうか。
「その犯人捜しで、先ほどのクロード様率いる第二位聖騎士団の団員が出払っています。そのせいで、人手不足だとか」
これは僕が聞いたこと。しかし、建前だと言うこともわかっている。それをどう伝えよう。
しかし言えまい。この演武が、僕の折檻のために行われるなんて。
…………。
いや。
ふと、違う考えがよぎる。なんとなく、違う気がする。僕がここに来ても『面倒』以外の印象を抱かないのは何故だろう。
折檻だ。もちろん暴行に近いことで、そして嫌なことのはず。もちろん僕も痛い思いをするのは嫌だ。
「だからって……」
「でも、それが理由じゃない気もします」
ルルの言葉を遮るように、僕も言葉を発する。思わず目を逸らしながら、唇に人差し指の先を当てていた。
言葉自体は嘘ではないが本当でもない。
僕の中の考えを否定する、ルルからしたら一段飛ばしの言葉だ。だがそれが、今のぼくの最新の考えだ。
「正直僕にも、理由がわからないんですよね」
はは、と誤魔化すように笑えば、ルルが責めるようにじっと僕を見ていた。
「しかしここまで来た以上、お断りすると方方に迷惑がかかります。詳しいことは後でお話ししますし、お叱りも後で受けますので、見逃してはいただけませんか」
頬を掻きながら、窺うようにルルを見る。その視線は緩みはせず、若干の圧力がある気がする。
それからルルは、フウと溜息をついた。
「わかりました」
「ありがとうございます」
僕は軽く頭を下げる。それを見ながら、もう一度ルルは息を吐いた。
そういえば、と取りなすように僕は話題を変える。
「ルル様はどうしてこちらへ? 舞踏会は既に始まっているのでは?」
「……舞踏会といっても、お相手はオギノ様一人ですし……」
ルルは舞踏会場の方を向く。まあ、同性同士では通常踊らないしそうなるか。
しかし、手持ち無沙汰というわけではないだろう。舞踏会場にも壁の花は出来る。話す相手ならば、多数いる。ルルの場合は、彼女らと話すのが苦痛なのだろうが。
そう思っていると、ルルが俯きながら声を小さく呟く。何となく、恥ずかしそうに。
「私、踊り苦手なんです」
「…………」
僕がなんと答えていいかわからずに黙ると、わずかに唇を尖らせてルルがそっぽを向く。
「笑わないでください」
「笑ってはいませんけど」
少しだけ不機嫌になったように見えたルルは、次の瞬間わずかに笑顔を見せる。これも、恥ずかしさを紛らわせているのだろうか。
「演武というのは、危なくないんですか?」
「器械を使いますし、実際に打ち合うので危なくないわけではないですね」
今回のものは置いておいても、安全ではないだろう。何度もやれば怪我をして当然、とも言えるのかもしれない。もちろん、その怪我をしないようにするのも練習なのだろうが。
「気をつけて」
僕の二の腕にそっと指先をつけながら、ルルはそう口にする。嘆願のような言葉、だがまあ形式的なものとも思う。
「ありがとうございます。ルル様も、お一人で出歩かれませんよう」
「物騒ですものね」
フフと笑いながら、「私ももうすぐ会場に戻ります」言うルル。
違うな、物騒どころではない。急ぎ警護が必要だろう。聖騎士だっているけれど。
視界の中にオトフシを見つけて、魔力波を当てて合図をすると、こちらに飛んできた。
ルルを任せて僕は会場に向かう。
出番はもうすぐだ。歩み寄るごとに、弦楽器の音が大きくなっていく。
ほどなくして横の待機所に入ると、クロードが僕を迎えた。
「待ってたぞ、遅れるかと思った」
「遅れませんよ」
ハッハッハと笑うクロード。
何故だろうか。
もうすぐ出番がある。
なのに何故か、この演武に『面倒』以外の忌避の理由が加わった気がした。