示唆
もはや日も沈み、外は真っ暗闇の中。
点々と松明が壁に灯り橙に染まる廊下で。
言葉なく、僕と聖騎士ジグは歩く。並んでいるようだが、ジグはやや右斜め前にいて、その手をさりげなく剣の柄に置いている。
なんとなく、犯罪者として護送されている気分だ。以前にも何度か経験があるが、その中でも逃げ出せるような隙は格段に少ないだろう。
「……団長との手合わせだ。光栄に思うんだな」
「…………?」
独り言のようにボソリと呟かれた言葉。だが僕に言っているようで、僕が視線を向けるとジグは不満げに鼻を鳴らした。
僕はそれに、目を伏せて薄笑いを浮かべて応える。
「恐れながら、手合わせではないでしょう。ただ単に演武の相手を務めるというだけで」
もちろん、それ自体が目的ではないことも知っている。
『手が足りない』は本当にしても、今まさに目の前に不審者の捜索に当たっていない聖騎士がいるのだ。本来ならば僕よりも彼の方が適任だろう。水天流の剣士らしい立ち居振る舞いは、平常時でも何となく軽やかな感じだ。
「水天流の即興演武の流れは知っているか?」
「……いいえ」
僕に視線を向けずにジグは続ける。松明による灯りとその影のせいだろうが、少しだけ笑っているように見えた。
「型演武と違い、技や攻撃の順序にはほとんど制限がない。そして、お互いの約束も」
そして初めて、ジグはこちらを見る。笑いを堪えるように、片頬を上げて。
「接触法から始まり、その後の攻防は流れ任せだ。少し決まり事の多い試合に過ぎない。事故が起きないよう、心してかかれよ」
「事故、ですか」
僕は愛想笑いを浮かべてそれに返す。
僕の言葉がそれを甘く見ていると受け取ったのか、ジグはとうとう噴き出すように笑った。
「探索者ならば痛い目にも慣れているだろう? よもや、戦ったことすらないとはいうまい、〈狐砕き〉」
「そうですね。慣れていないわけではないです」
当然、痛い目を見たいわけでもないが。今回は仕方ない。
「しかし、あの〈涼風〉のクロード様のこと。私程度怪我なくあやすのに、手はかからないでしょう」
「殊勝だな」
ジグはククと笑う。僕の方も本音だが、少しは謙遜すればいいのに。……いや、本人じゃないからいいのか。
ジグの剣に添えられた左手の力が少しだけ緩む。どういう意味かはわからないが、とりあえずの警戒は少しだけ薄れたようだ。無意識だろうが。
「だが、力の差を知っているというのは褒められるべきところだ。そして今日お前は、本当の強者というものを知る」
「……それはまた」
大言壮語? ……違うな、彼は本気で確信を持ってそう言っている。まあ、聖騎士団長を引き合いに出せば、そうなることもわかるけれど。
「負けないように頑張らなければ」
「……負けないように、だと!?」
筋肉質の体を大きく開き、ジグは僕の言葉を笑い飛ばすように聞き返す。
「フフフ、まあ、頑張れ。無理だがな」
「どうでしょうかね」
だが僕の軽口にジグの顔が歪む。先ほどの笑顔から一転、不満げに。
「口が過ぎるぞ、探索者の」
「くせに」
その語尾を予想し、言葉を継ぐとジグは黙る。僕ですら、僕から喧嘩を売ったようにも思える。しかし向こうの態度も険悪だったというのは言い訳だろうか。
お互いの足が止まり、ジグの左手にまた力がこもる。今度のものは警戒ではないだろう。
「勘違いならば申し訳ありません。……探索者か、もしくは私のことがお嫌いですか?」
プリシラの言葉が正しいのであれば、その両方だろう。レイトンが煽った僕への敵意。それが噴出し、今目の前の聖騎士は僕へと向けて悪意を持って接している。
しかし、何故だろう。
レイトンも無を有に変えたわけではないはずだ。僕や勇者への敵意は始めからあり、それが煽られた結果なのだと思う。勇者へはわからないでもない。しかし、ミルラも含めて彼らのこの探索者の嫌いようはなんだろうか。
「…………」
言葉を選ぶように、言葉もないようにジグは黙って僕を見つめる。
相手は聖騎士、騎士爵だ。ここまでの無礼は本来してはいけないはずだろう。
だが、聞いておきたかった。
そういえば、あまり聞いたことはないのだ。
僕を嫌っている相手に、僕をどうして嫌っているのか。
……よく考えたらエネルジコには聞いたっけ。結局、僕の名前のせいだったけど。
もう一年くらい会っていないが、研究は進んでいるのだろうか。
「嫌いというわけではない」
「そうですか」
「だが、腹立たしい思いだ」
僕の軽口染みた返答を意に介さず、ジグは続ける。
「通達はあったはずだ。各家の令嬢たちという大事な身柄を預かるために、私たちがこの安全な王城内で、更に必要もない警護を担当すると」
「安全な……?」
「なのに、お前たちは来たんだ。その日暮らしの山師、探索者が、私たちの代わりのような顔をして」
言いながら、怒りが顔を駆け上がっているらしい。表情がやや険しくなる。隠しているようで、ほんのわずかではあるが。
「お前だけじゃないんだ。探索者は他にもいる。その誰も、私たちの代わりを務められるわけがないだろう」
……どうなのだろう。
思い込み。自分の職分を侵されているということの。
これは、最初からなのだろうか。それとも、レイトンのせいなのだろうか。
いやまあ、どちらにせよ。
「それはそうですね。私や探索者たちに、聖騎士様の代わりは務まらないでしょう」
能力的にということもあるが、それ以上に権限的に。王城へ公式に配置されている彼らと、客分に私的に雇われている僕たちでは全く違う。
そもそも僕らの警護など、本来ほぼお飾りなのだ。そうでなくてはならず、実際にほとんどの場合そうだろう。
レグリスも、僕らを雇ったのはもしもに備えての話とルルの心情への配慮であって、実際に必要になるとは思わなかったと思う。
僕が認めたのが意外だったのか、ジグは眉を顰めて口を噤む。
「……それだけですか?」
「何?」
聞き返したジグの顔を、僕はじっと見つめる。もちろん、先ほどの理由だけでも僕たちを疎む一応の理由にはなるだろう。
でもやはり、何か足りない気がする。何が足りないか、まだわからないけれど。
オルガさんの時と同じ感覚。多分、方向としては真逆だが。
「いえ、申し訳ありません。貴重なお話、ありがとうございました」
しかし、こちらもきちんと聞くことは出来まい。
今の話は真実だろうし、それで話は済んでいる。
「足を止めて申し訳ありませんでした、急ぎましょう」
重ねて謝罪し、足を進める。
そうしながら少しだけ僕は考える。
話していて、何となく覚えたこの感覚。
以前は僕の側にあったが、今回はジグの方に。しかし、なんとなく似ているのだ。
リドニック、アブラムのあの時に。
「大きさはよさそうだな」
僕とジグが控え室についたときには、クロードは既にそこで待っていた。
そして開口一番命じられたのは、着替えること。といっても、いつも一番上に着ているベルトで縛っている薄い学生服のような礼服を脱いで、その上から聖騎士のコートを着ることだったが。
「私が着てもよろしかったんでしょうか?」
「かまわんさ。少しは見栄えも整えないとな。演武とはそういうものだ」
僕の心配を、クロードはハハハと笑い飛ばす。
渡されたコートは飾緒はないものの、やはり聖騎士のこの城での標準装備と同じだ。
絹ではないが、手触りの良い純白の生地。さりげなく軽く引っ掻いて確かめてみれば、竜鱗の外套には負けるが、これ自体にも防刃効果がある気がする。
真っ白なそれは汚れてはおらず、新品らしい。わざわざ用意したのかこれ。
ムジカルでの麻の外套を除いて、いつも暗色系の服しか着ていなかったからか、自分の姿に違和感がある。
袖は若干長いが、裾の長さは問題なく、まあ僕の着る服と言っても大丈夫なのだろう。
それでも何となく自分では、服に着させられている感がある。慣れていないからだろう、本当に、僕の感覚の問題だが。
部屋の隅を見れば、いつからいたのかオトフシの紙燕が止まっていた。
誰も気にしないようで、ただじっとしている姿は本当にただの折り紙の燕だった。
立ち話のように、僕とクロードは向かい合う。他にも楽器の演奏をする芸人や、賑やかしで一人で踊る踊り子などがいるようで、控え室でも少しだけグループが作られていた。
「カラス殿は演武は初めてと言っていたな。初めてというのは、どれくらいだ?」
「どれくらい、ですか?」
「ああ。やったことがないのか、それとも見たこともないのか、それとも話にも聞いたことがないのか」
僕の予備知識の問題か。先ほどジグに話を聞いた、というのは置いておいてもいいことかな。
とりあえず、何も知らないというのが正しいだろう。シウムとキーチの訓練では、個々の動きの特徴は見たが全体の流れはやっていない。
「流れ自体わかりません。先ほど聞いた話では、接触法から始まるとか」
「そうだな。流派により全く違うが、今回行う水天流ではそれぞれ持っている武器を合わせたところから始まる。大抵は立場が高いか歴が長い側が最初に動くんだが、今回それが俺ということになる」
クロードは軽い手振りで武器を持たずにそれを演じる。この動きは、槍か。
「即興演武の場合、本来はその後三手から五手ほど規定の攻防をしてから即興部分が始まるんだが、それをやるか?」
「そういうものでしたら、お願いします。といっても、その攻防部分を私は知りませんが」
「やってみせようか。ジグ」
軽く名前を呼ばれたジグは、少しだけ驚きながらも背筋を正す。そして、慌てたように用意されていた槍をクロードに手渡し、自分は剣を手に取った。
どちらも刃部分は金属製。……まあ、見栄えを重視しているのだろうが。
「まず、構える。互いに武器は正面に構え、互いに右側を接触するように」
接触法の鍛錬。そこは知っている。本来は攻め手と呼ばれるどちらかが動き、受け手と呼ばれるもう一方はそれを躱して防ぐ。攻め手は受け手の動きに対応しつつ更に攻撃して、受け手は更にそれを押さえる。
一番短いものでは、互いにそれぞれ二手の攻防。腕の速さや相手の動きの起こりを見極める力を養う訓練。素手でも武器でも行うその鍛錬は、僕には相手がおらず出来なかったことだ。
しかし。
「本来の速さでは、こう」
クロードとジグの実演。瞬時に五手動く。音もほぼ一つで、瞬きする暇すらなかったのではないだろうか。ジグは一応僕の役だろう。なのに、何をやっているのかよくわからなかった。
キーチがやっていた基本の鍛錬用のものとは違う長さ。当然、やったことも見たこともない。
「……思った以上に速かったので、もう一度見させていただいても……」
「仕方ないな」
僕の申し出に、ハハハ、とクロードは笑う。ジグも同じように、仕方ないな、と溜息をついていた。
もう一度、と始まると思ったが、クロードはゆっくりと動く。
「まずは、俺は槍を使って剣を押し下げて、そのまま槍を反転させて首を狙う」
ゆっくりな動き。ジグも気を遣っているのか、まだ動かずにその槍が迫るのを待っている。
「そうしたら」
顎で指示され、今度はジグが動く。少しだけ頭を下げて潜るようにそれを避けながら、剣を使って槍をいなすように動かす。むしろその時、剣を使って槍を上に押しのけているのか。
「こうして、カラス殿はそれを躱して、上から剣を振り下ろす」
今度はゆっくりと、ジグが剣を振る。クロードの肩口に当たる前に止められたそれは、そのままならば当たる位置にあるが。
「本当はこのまま肘に繋げたほうがいいと思うんだが、まあ決まりだからな」
笑いながらクロードが槍を上に反らすように動かしながら反転させ、石突きをジグの顎に向けて下から当てるよう動かしつつ剣を完全に避ける。
そして、石突きは剣の柄で上から押さえるように止めて……
「それから……」
もう二つ、攻撃を互いに繰り返して止めて、と続き、ようやく先ほど止まった形になった。
「もう一度やると、こう」
そして構え直し、すぐにやると思っていなかったらしいジグは焦りながらもそれに対応して先ほどの動作を繰り返した。
なるほど。
速さは先ほどと同じだろうが、言われてみたからだろう、どういう動きかよくわかる。一瞬で終わる五手の攻防。だが、やはりそれぞれが巧妙な動きといえるだろう。
僕がジグの動きを空手でなんとなく確認しつつ動いていると、満足げに構えを解いたクロードが、槍を担ぐようにして僕を見る。
「どうせ一瞬だろうが、一応決まりだからな。覚えたか?」
「やってみていいですか?」
「ああ、やれやれ。やらんと身にはつかんからな」
クロードの視線を受けたジグから、黙って剣を渡される。相手はクロード……と思いきや、クロードから槍を渡されたジグだ。
「お願いします」
「油断するなよ」
槍と剣を合わせてからそう挨拶をすると、ジグはそのまま動作を開始する。
一応、動きは見えている。
ジグに剣を押し下げられた瞬間に、それに反するように剣を押し上げて僕は槍の下をくぐり抜ける……まではよかった。
「遅い」
しかし、その剣が振り下ろされるよりも先に、石突きが僕の喉の下に来ていた。止められたそれを確認して、何となく笑いが出そうになった。
「ハッハッハ、まあ、初めてでは難しいだろう。筋はいいが、やはり反応が遅いな」
クロードの言葉をどこか遠くで聞きながら、僕は脳内で反省を繰り返す。
反応は出来ていたはずだ。しかし、遅かった。行動に迷いがあったのだ。
加えて言うならば、胴の動きと腕の動きの連携が出来ていない。僕は剣を使わないが、もしも剣を使って今と同じ状況になったのならば、多分剣を振り下ろすよりも斜め後ろに下がって躱すことを選択する。
やったことがないというのは言い訳になるが、しかし言い訳もしたくなる。剣を使う動きも学んでいるとはいえ、やはり相手がいると全く違うらしい。
やはりこの分では、揉手や捻手などの接触法の稽古は僕には難易度が高い。
昔スティーブンにも言われたこと。水天流を使えるとはいえ、身についていないというのはこういうことだろう。
「とりあえず、もう十本、やってみろ」
「は……は?」
クロードの言葉に、ジグが了解の言葉を返そうとし、止まる。僕の動きも止まる。
だがその視線を受けて、クロードは笑顔を強めた。
「当然だろう、もう四半刻ほどしかないが、それまでに形にくらいはしないとな」
「団長、やはり探索者を出すのは問題があるのでは……これでは、ただ無様な……」
「私もそう思います。ここはやはり、ジグ様にやっていただいた方がよろしいのでは」
「俺はもう決めている。変更はない」
僕とジグの抗議の言葉。それはクロードに届かないらしい。
「どうした? あと十五本にするか? いや、それまでに出来れば問題はないがな」
ははは、と笑って近くの机に寄りかかる。それを見て、ジグも覚悟を決めたらしい。
「……構えろ」
「はぁ……」
ジグの構えた槍に、僕も仕方なく、と剣を合わせる。しかしその次の瞬間、既に槍の穂先が首下にあった。今度は一手目で僕は失敗したらしい。
「気を抜くな。鍛錬時の注意散漫は、双方の怪我を招く」
ジグの注意にも返す言葉もない。
もう一度、と呟くように頼み込み、今度は石突きが跳ね上がる前に僕が一歩踏み込んでしまい、ジグの攻撃が当たらず違う展開になりそうで止まった。
今のは僕の失敗か。実戦ならば僕が正しいのだろうけれど。
それから二度、どれも最後までいかずに途中で止まった。一度ジグに攻撃が当たりそうになってしまったが。
失敗続き。本来ならば悔しさに涙でも滲ませるのだろうか。
しかし、なんだろう。少し悔しくて、そして楽しい気がする。
それから続けて、数えていないが多分十四本目。ようやく最後まで動きが続く。
「…………」
思わず腰の辺りで握り拳を作る。そこで初めて気が付いたが、僕は多分今喜んでいるのだ。
しかし、ジグは全くの無反応。その上、槍を構えて僕を促す。
「まだ残っているぞ」
「……申し訳ありません」
言われて、僕もまた剣を構え直す。闘気も込められておらず、刃を潰してある剣とはいえ、何度も当てられたジグの槍の木の軸には既に幾条もの傷が入っていた。
そしてもう一度、今度はつつがなく成功する。なんとなく、慣れてきた気がする。まあそれも当然か、動き自体は僕も知っている水天流の動きだ。
「形にはなったな」
「それなりですが」
弾みをつけて、机から体を引き起こすようにクロードが立ち上がり、首を鳴らす。
そして僕から剣を受け取り、そしてジグに剣を向けて構えることを促した。
「だが、少しだけ指摘するのならば、一手目の受けではもう少し動きは小さくて良い」
「…………?」
少しだけ戸惑いながら、ジグは槍を振る。その槍をくぐり抜ける動きを一度行い、槍を手で押し戻してクロードは続けた。
「おそらく実戦では、カラス殿はそこから本来蹴りを繋げるのだろう。だから、地面の作用を受けようと体を深く沈める」
今度は悪い例だろう。大きく体を動かして、多分僕の動きを模倣する。自覚はないが、そんなに違っただろうか。
「しかし、そこまで深く沈めることはない。体の柔軟性があればわずかに沈めるだけでも蹴りは放てるし……」
言葉の通り、クロードは体をわずかに沈めて槍を避けた後、上半身を反らした膝蹴りをジグの腹に合わせる。
それから体勢を戻し、構えたまま動かさないジグの槍をくぐり抜ける。
「もしくはその直前に一歩引くことを加えてもいいな。こちらは先の先を読まなければ出来んが」
言いながら、わずかに開いたスペースを使い、今度はつま先での蹴り上げを顎に合わせた。ピタリと止まった蹴りは『優雅』という言葉が合いそうな動きで、きっとそれが水天流の神髄なのだろうと勝手に想像した。
「もちろん、どちらも剣を使ったまま出来ることだ。次に二手目の攻撃だが……」
「……団長、そろそろ……」
続けようとしたクロードの言葉を、ジグが遮る。松明をさりげなく指さしているのは、それで時間を計っているからだろうが。
その指先を確認し、噴き出すようにクロードは笑った。
「そうだな、悪い悪い、いつもの癖でな!」
ハハハハと照れ隠しのように笑いを大きくし、剣をジグに渡した。
「まだいくつか注意も残っているというのに」
「説明については、私が」
「そうだな、頼む」
ジグがまた口を開く。その直前、「何故私が」と小さく口の中で呟いたのは、クロードにも聞こえていそうだった。
それで、クロードも笑みを強めていたのだから。
やってあげたいことは、してほしいこと
やったことは




