迎えを待つ間に
「これは?」
控えの間でオルガさんと共にオトフシに事情を話し、とりあえずの帯同を許可されて一息ついていた僕。
そこに現れたアネットに少しばかりの警戒をしながらも対応すると、忘れ物だと小さな巾着袋が手渡された。
目の荒い麻布で作られた小さな巾着袋は軽く、中に何が入っているのかはわからない。
しかし、警戒は尽きない。
アネットはこの巾着袋の口についている紐をつまみ、まるで汚い何かを持っているかのように恐る恐る僕に差しだした。
何が入っているのだろう。もしかして、僕を害する目的があるのではないだろうか。毒を発する何か、もしくは爆発する何か。
現場近くにいた聖騎士に渡されたと聞いた。しかしそれは、本当だろうか。
そんな僕の困惑と警戒に、見つめたアネットが少しだけ唾を飲み込んだ気がした。
「え、ええと、カラスさんのものではない……んですか?」
「心当たりは……」
言いながら、魔力で中を探る。これが魔力を通した何者かを害する魔法陣や神器ならばまずいが、神器ならばすぐにわかるから大丈夫だ。
とりあえず、材質は木。それも何かからくりがあるわけでもない単純な素材。香木や薬になるようなものでもない普通の木で、その細い枝を蔓のように曲げて組んである。
危険はなさそうだ。そして、どう考えても僕のではない。
ない、と言おうとした。
だが。
「……?」
形を捉えようとしたところで、不意に何かを感じて僕は巾着を取り落としそうになる。
熱さや冷たさなどの機械的刺激ではない。どちらかといえば心理的なもので、もう一度確認してみたが今度はなんの刺激も感じなかった。
複雑に編むように組んである木。その黒い質感の何かを巾着越しに触って確認しながら、ようやく僕はこれが単なる忘れ物ではないことに気が付いた。
「じゃあ、あの聖騎士さんの勘違いですね! まったく、変な勘違いを……」
「……その聖騎士、男性でしたか? それとも女性?」
アネットの言葉を遮るように僕が尋ねれば、アネットは言葉を止めて首を傾げる。
「……どうしたんです? 急に」
「知っている人かもしれないので。他に、何か言っていませんでしたか?」
「ああ、言ってました、言ってました」
アネットはポンと手を叩き、それから悩むように、叩いた手をそのまま組んで小刻みに前後に揺らす。
「ええと、伝えてくれと言われました。『今後のことは心配いらない』、……でしたっけ? 言ってました。カラスさんたち二人がこっちに戻ってくれると教えてくれたのもその人ですし。それと、男の人でしたよ」
「男性ですか」
もちろんそれで確定するわけではないが、二択の内ほぼ答えは絞られただろう。
この木が編まれた何か。きちんと見たわけではないが、見たことがある。そしてその次の日に、これが何かを聞いた。
木で編まれた何か。それを目にしたり、触れたりした者がわずかに嫌悪感を覚えるように作られた道具。
人払いのお守り。葉雨流の使い手が、招来枝と呼ばれる小さな柴と共に使って標的を誘導するものだ。
それを使える人間を僕は二人もしくは三人知っている。そして、使えるかどうかもわからない一人は今イラインで行方をくらましている。
ならば残る男女の二人。その内、男性といえばもうレイトンで決まりだ。
「……どうやら、僕のもののようです。勘違いでしたね」
「そ、そうなんですか? ……そうなんですか」
巾着袋を手の中に隠しながら、僕は取り繕うようにアネットに告げる。
アネットも半信半疑のようだが、嫌悪感の元から離れる方を選んだのだろう、それ以上追及してこなかった。
しかし。
「オルガさん、オトフシさんも、お騒がせして申し訳ありませんが、心配はなさそうですね」
ならばオルガさんの警護も必要ないだろう。それに、アネットの疑いも僕の中では晴れた。
「……そのようだな」
「どういうことでしょうか?」
僕の言葉にオトフシがお茶を口に含みながら頷くが、オルガさんは納得いかないように首を傾げた。
当然のように、アネットは話題に入れないように戸惑っていたが。
「〈血煙〉レイトン・ドルグワントが心配はないと保証してくれているんです。おそらく先ほど僕ら……僕を襲撃して逃げ去ったもう一人も、生きてはいないでしょう」
手の中の巾着をもう一度僕の顔に近付ける。
今でも気のせいかと思うほど微かなので、先ほどは気づかなかった。だがわかる。そこから微かに、血の臭いがする。多分、わざとつけてある。
「オルガさんがあの場にいたことを知っているのは犯人のみ。あとはここにいる全員が口にしなければ、オルガさんに危険はない」
正確にはもう一人増えているようだが、その増えた一人が『心配ない』と言っているのだ。もしそれが本当はレイトンではなくてもう一人でも、まあ問題はあるまい。
オルガさんの警護が必要になった理由は、先ほどの件の口封じに対しての警戒だ。口封じする理由がなければ、オルガさんに関してのその件での警戒は必要なくなる。
「……犯人、ですか?」
未だよくわかっていない顔で、アネットが首を傾げる。だがそれを無視するように、オルガさんも頷いた。
「なるほど。それは、レイトン様の持ち物でしたか」
「そうですね。詳細は僕も知りませんが」
ちらりとオルガさんに巾着を渡そうとするが、その動作は首を横に振って止められる。
誰もいらないらしい。僕に渡すくらいだから処分しても構わないのだろう。後で燃やすか、使えそうなときまで保管するかは別にして、僕が持っていようか。
懐のポケットに入れると、何となく存在感がある。
不思議なものだ。単なる木の蔓を編んだだけで、魔法陣でも何でもないのに、何となく不快感を覚える物体が作られるとは。
「ただ、それとは別に気をつけてください。間違いなくご存じでしょうが、ビャクダン大公ご子息も良い噂は聞きませんので」
噂どころではない。つい先ほど、僕とオトフシは見た。プリシラも不快感を露わにする所業を、この王城内で堂々と行えるというその権力。
それも彼単体ではなく、彼の一派は全て警戒に値する人物だろう。
「わかっております。彼らとの接触はしない、そういった立ち回りは慣れております」
心配ない、と胸を張ってオルガさんは言う。たしかに結婚相手を探すというその生活で、意に沿わぬ相手を避けるのは必要不可欠の技能だろうけれど。
「……オトフシさんは」
「さすがに厳しいな。短時間なら目はいくらでも増やせようが、四六時中ともなると支障が出る」
「そうですか」
やはりオトフシに監視を頼めないか、と僕は言おうとするが、オトフシはその言葉を察して断る。以前空を埋め尽くすほどの紙燕を飛ばしているのを見たことがあるが、持久力的に無理か。
僕がついていれば問題ない、とも思うが、残念ながら僕の体も一つしかない。擬人体は僕の近くにしか出せないし、ほとんど無意味だろう。
それにやはり、そういったことではルルも心配だ。
レグリスが、ルルに僕たちをつけた理由が改めてわかった気がする。
いや、もちろんビャクダン大公子息に対してだけの警戒ではないだろうが、今となっては物理的に危険がありそうなこの王城内、やはり警護は必要だろう。
……本当は、衛兵や聖騎士がきちんとしていれば必要もないのに。
「基本的に一人にはならず、信用できる人間の近くにいる。他にもそういったことへの対策は慣れております。本当に、気をつけますので大丈夫ですよ。ふふ、心配はもちろん、嬉しいですけれど」
オルガさんは笑う。独り言のように呟きながら。
「……でも、もしもの時には、助けてくださいますか?」
「もちろん」
呟くように口にされた問いに、僕は即答する。現在ではルルが優先になるが、もちろん助けよう。手が届く範囲ならば、僕が手を貸さない道理はない。
「なら、安心です。私は、そこが世界一安全だと知っておりますので」
「…………」
「そろそろ雑事を片付けて参ります。あとでのカラス様の演武、こっそりと見にいきますので」
オルガさんは僕とオトフシに頭を下げる。
そのオルガさんに、足を組んだオトフシは手の中の折り紙を示した。
「帰り道はついていってやろう」
「……ありがとうございます」
オルガさんはもう一度頭を下げて、それからアネットに「アネット、行きましょう」と告げて、部屋を出るべく踵を返した。
アネットも迷ったように僕とオルガさんを見比べて、駆け出すように「行きます」とオルガさんについていく。
「今日のお話、今度聞かせてくださいね!!」
そう叫ぶのも忘れない。そういえば顛末は何も話していなかったが、まあ放っておいてもオルガさんに聞くのだろう。心配はないし、僕も喋れるところは喋ろう。……といっても、話せることなどほぼないのだが。
僕が頷いて応えると、アネットは小走りで廊下を駆けていく。
その姿が消えた廊下の先に、紙燕がスイと飛んでいった。
……今気が付いたけど、オルガさんはアネットのことを『アネット』と呼んでるのか。
まあ、深くは考えるまい。
オトフシが、お茶の入っていたカップを机に置く。
また二人になり、少しだけ静かになった僕らの周囲。
足を組み、堂々とした姿でオトフシは僕へと問いかける。視線は向けていないが、向けられると多分圧迫感が酷くなると思う。
「随分とレイトンのことを信用しているのだな」
「信用……はしてませんね」
ほう、とオトフシが聞き返すように応える。自分の爪を擦り合わせて研ぐようにしながら。
「先の事件にレイトンが関わっていた。それだけで、もう心配ないと思うとは。同意した妾が言うのもなんだが、もう少し疑ってもいいと思うぞ」
「疑ってますし、それだけではないです」
むしろ、何をしたのだろうとまだ疑ってはいる。どこから関わっていたのか、どこまで関わっているのか。それはわからないし、そもそもこれがレイトンのものかどうかもわからない。
しかし。
「僕は多分、この王城で同じ形式の人払いのお守りを見たことがあります。同じような形のものを作れる人はいるでしょうが、そうそういないことも考えるとこれはまずレイトンさん、もしくはプリシラさんの作」
まだ、プリシラの可能性も残っている。彼女の息がかかった聖騎士が届けたというだけかもしれない。
「でもその誰かは、『心配ない』と言ったんです。ならばもう何かしらの手立ては打っている」
「……それを、信用している、というのだ。レイトン、もしくはプリシラが嘘をついてお前を謀っていることもあるだろう」
「あるかもしれませんが……」
椅子に腰を下ろしていた僕は、もう一度座り直して背筋を伸ばす。これから大仕事が待っているのだ、少しは体を動かしておいたほうがいいかな。
「僕はレイトンさんのことは信頼していますし、プリシラさんのことは信用しています。どちらが言ったにせよ、『心配ない』なら心配ないんでしょう」
「よくわからんな」
オトフシが溜息をつく。机に肘をついて、気怠げに頬杖をつく仕草でも、だらしないというよりは格好がついているのはその気品のせいか。
「……僕の中での定義なんですけどね。レイトンさんは、目的がはっきりしているので」
僕の心の中での話。少しばかり抽象的だが、伝わってくれるといいけれど。
「レイトンさんは、無意味なことはしない。その行動には必ず意味がありますし、効果も必ず出る」
よく『手を打つ』と言っていたが、その手が無意味に終わることは考えられない。そういう意味での信頼だ。
「頼んで引き受けてくれればそれは達成されますし、今回のも心配はないというのならば心配はない」
僕は一息つくように鼻を掻く。その間も、オトフシは黙って僕の言葉を待っていた。
「ただ、心配がなくなる代わりに何が起きるのかわからないのが怖いところですが」
「信用など出来ないものな」
クク、とオトフシが笑う。この分だと、言葉の機微はもうわかっているだろう。
「そしてプリシラさんであれば、僕が心配ないように手を打ってくれているでしょう。心配がなくなっているかどうかは置いておいても、他の面倒ごとは起きない。本当にただの印象なので、根拠があるわけではないですけど」
たとえて言うならば、レイトンは結果、プリシラの過程は信じられる。レイトンが言ったのならば少々の面倒ごとが付随するかもしれないが心配はなくなるだろうし、プリシラが言ったのであれば心配ごとはなくなってもいないのかもしれないが面倒ごとは増えてはいまい。
「本当に僕の中での定義なので、わかってもらおうとも思ってませんが」
「まあ、わからん。……だが、信頼があるのはわかった」
伝わっているのかどうかはわからない。僕の中で明確に文章化すらしていない事象。
だがオトフシはそれを飲み干すように、紅茶のカップを勢いよく傾けた。
「それで? どうするんだ? これから」
「どうすると言われましても」
それから突然の話題の変更。レイトンに関しては軽口に近かったらしい。僕も真面目に応えなくても本当は良かったのだろう。
困ったように僕は頬を掻いてみせる。その仕草に、オトフシは溜息をついた。
「演武をするのだろう。何の経験もないお前が」
「仕方ないでしょう。しなければ更にザブロック家に迷惑がかかる」
もしも演武に参加しなければ、僕が捕縛される。本気ではない気もするが、その可能性をちらつかせられれば今の僕は反応せざるを得ない。雇われの身の悲しさだ。
それに、そもそもザブロック家に迷惑をかけるのは嫌だ。なんとなくだが。
「……勝てると思っているのか?」
「いいえ」
ハハ、とオトフシの言葉を笑い飛ばす。空元気だが、本音だ。
「即興演武とはいえ演武ですし、勝敗は決まっているでしょう。実は、水天流の演武の取り決めとかは知らないんですけど」
頬を掻きながら視線を逸らせば、責めるような視線が視界の端で感じられる。
しかしまあ、本当のことだ。僕の水天流の素養、開拓村で見たシウムからキーチへの指南には、まだそういう流れ的なものは含まれていなかった。
もちろん、表演と実戦での違いは少々あった。人前で見せていい技術、見せてはいけない技術、見せる場合に代用する技術などの違いとその効果。感心しながら見ていたのを思い出す。
だがそもそも、演武は武を演じるから演武というのだ。
実際に戦うわけでもなく、どちらかというと踊りに近い。そもそも勝敗などなく、もしもあるならば立場的にもクロードが勝って終わりと決まっているだろう。
だからこそ、クロードの意図が読めても『何回か小突かれる程度』と内心高をくくっていられるのだが。
「まあ、上手い具合に負けるようにします。僕の傷も少なく終わるように」
その場で殺されもしないだろう。仮にも令嬢令息たちの前で、さらに今のところ勇者の機嫌を損なう可能性のある僕を殺害などという禁忌は犯すまい。
「……もしもただの試合ならば、勝ちにはいくのか?」
「どうでしょう。勝てる見込みがないというか……」
僕は魔法使い。そして、相手は聖騎士。戦闘という観点ならばわからないが、白兵戦ならば勝敗はもうわかっているだろう。
仮に魔法を使ってもわからない。
簡単な火球や風の刃が通じればいいが、闘気の密度の関係で通らないかもしれない。
考えられるとしたら、山徹しの一撃。しかし、僕の山徹しは隙が大きい。本物のデンアならば矢以外でも使えるのかもしれないが、僕の模倣ではわざわざ矢を作る必要がある。目の前にいる人間には中々通用しまい。
酸素遮断ならばとも思うが、つい先ほどそれに初見で対応された実績がある。僕からしたら完全に入ったと思ったにも関わらず、対応できる人間もいるのだ。
あとは取れる対策としては、焦熱鬼の熱波。透明化による奇襲。……透明化も先ほど破られているか。対応できた二人目がいるともなれば、もう今後も無理と思ってもいい。
「魔法使いが、気弱なことだな」
「まあ、何とか考えますよ。その時が来たら」
とりあえず、今日はその時ではない。
上手に踊ってやればいいのだ。
そして、少しだけ待った後に聖騎士が僕たちの下へと訪ねてくる。
先ほども関わった聖騎士、ジグという彼についていくため、僕はオトフシと別れて廊下を歩き出した。