弾む話
話も弾まない僕とオトフシ。
等間隔にいくつか置かれた木の机。その上に配られたお茶を置いて、それを啜ってただひたすら時が過ぎるのを待つ。互いに無言で、控えの間にて暇な時間を過ごしていた。
周囲にいくらか人はいるが、誰も話しかけては来ない。
まあ、当然のように僕には知り合いのような人はいないし、アネットもここにはいない。
オトフシの方は知り合いがいるかどうかもわからないが、少なくとも話しかけてくるような者はいないらしい。
……近づきがたいのが、彼女だとはもう言うまい。
日もほぼ落ちた薄暗い部屋。壁際を誰かが歩く度に空気が動き、横にある火の明かりが揺れる。
食事会場はとても明るく演出されていると思うが、使用人の扱いといえばこんなところだろう。
「先ほどの……」
「はい」
一口お茶を口に含み、オトフシが前触れ無く口を開く。音もなく茶器を置くその姿は、いつもと何も変わらない。
「先ほどのドルグワント。お前は見知った様子だったな」
「……そうですね。数年前に、短期間だけでしたが」
オトフシの言葉に、僕はプリシラとの関わりを思い出す。
占い師として接触し、セールストークを受けた。その後スティーブンと一緒に何度か話し、スティーブンをからかうように励ましていた姿を見た。
そして、レイトンとの争い。結局は決着も何もつかなかったが、僕が今まで見た中でも最上級の剣戟の交わし合い。
「そんなに親しくなったのか?」
「いいえ。ただの、占い師とその客という程度です」
仲がいいとは言えないと思う。だが、悪いわけでもない。
今思い返してみても、好印象を抱くというほどではないが、少なくとも何も悪い印象はない。ただ一つの殺人を除いては。
聖騎士プロンデの殺害。
僕が北壁から生還した後に聞いたときには、その意味がわからなかったが。
「……その頃と変わりは」
「ないと思います。僕はよく知りませんが、昔から『弱きを助け強きを挫く』という方だったらしいですよ」
その時のリドニックでも、弱きを助けようとした。僕を、そして老いに負けそうになっていたスティーブンを。そして、強きを挫いた。他ならぬ、聖騎士プロンデを。
僕の言葉にオトフシは笑みを浮かべる。鼻で笑う代わりのように。
「よくわからんな。先ほどの口上では、弱さと可愛らしさを同一視しているようだが」
クイ、とオトフシはお茶を飲み干す。まるで、酒でも飲んでいるかのような様子だった。……いや、酒ならば酒豪と呼べる勢いだが。
「その言葉の通りならば、まるで英雄や聖女とも呼べる女性なのにな」
「事実、その通りなこともあるのではないでしょうか」
「……?」
プリシラの弁護をするわけでもないが、僕は思わず反駁する。
実際はどうだか知らないし、もちろんオトフシが正しいということもあるのかもしれないけれど。
「僕への助言は、なるほどということも多かったと思います。僕と一緒に彼女と話した老人は、彼女の言葉で救われた部分もあるでしょう」
言いながら、あの日のことを思い出す。たしかまだ白波事件の前、グーゼルとスティーブンと一緒に北壁を見て、戻ってきたときのこと……だったっけ?
うろ覚えだが、スティーブンは言っていた。『いい腕だ』と。プリシラと話して何か思うところがあったのだろう、微笑みを湛えて。
黙って聞いていたオトフシの唇が笑顔のまま少しだけ歪む。
それを見て、僕の口も慌てたように言葉を重ねる。大丈夫、これくらいの空気は読める。
「いやまあ、だからいい人だとも言えないんですけどね」
「ぎりぎりで回避したな。賢い選択だ」
お茶を一口含む僕に向け、やや目を細めてオトフシは笑う。
こういう話をしているときは、相手の言葉も否定しない。たとえ悪口でも。そうしたほうがいいと僕は知っている。さすがに嘘は吐きたくないし、そもそも嫌いでもない人の悪口を言う気もないが、その言葉が嘘でなければ補足くらいしよう。
「だが、お前と妾では価値観も今までの人生も違う。あの女とは妾は合わなかった、というだけだ。別に取り繕う必要もあるまい」
「何か気に入らないことでも?」
しかしやはり、オトフシとプリシラが仲良くならない程度ならまだしも、オトフシがそれなりに嫌悪を見せるのは意外なことだ。
詮索する気はないが、それでもと一応聞いてみる。それに対しオトフシはただ首を横に振った。
「さあな」
「…………」
わからないのか、それとも話す気がないのか。オトフシのはぐらかしは、まだ僕には強敵らしい。
「ああ、ここにいましたか、カラスさん」
控えの間に入ってくる足音が響いた。走っているわけでもなく、ただ歩く穏やかな足音。その足音が僕たちに近づき、足音の主が声をかけてくる。
顔を上げれば、……いや、上げる前に気がついていたが、そこにいたのはアネットだった。
「何か?」
「どこにいるかわからなくて、探しましたよ。ちょっと来てほしいんです」
「……?」
何か事情は知っているか、とオトフシに向けて視線を送るが、オトフシはまた首を横に振る。
だがオトフシの方は何かに気がついたようで、控えの間の入り口の方を向いてから少しだけ笑った。
僕もそちらを見て、入ってきた人を確認してからまた首を傾げる。
「アネット、そこまでしなくても……」
「いいじゃないですか」
ふふ、とアネットは笑う。入ってきた女性、オルガさんに向けて。
それからまた僕たち……というよりも僕へ向けて振り返り、机に手を置いて僕を見下ろすように立つ。
「動かしたいものがあるんです。ちょっとだけ力借りていいですか?」
「……はあ」
炎に照らされて、雀斑が余計に赤く見える。オトフシも『行ってこい』と呟くように僕に言い、そして僕も断る理由もなく立ち上がるのだった。
こっちへ、と示されるがままに僕は二人の後をついていく。
というよりも、アネットの後を。
「……すみません、わざわざ」
「いえ」
歩きながら、オルガさんが小声で僕に謝罪する。アネットとではなく、僕と並ぶように歩き出したオルガさんが。
何だろうか。この王城に来て彼女と再会して。初めて普通に会話する気がする。
そう感じた僕の表情が何か変わったのだろう。オルガさんは、怪訝そうに首を傾げる。
「何か、ございましたか?」
「何というか……、お久しぶりです」
話しかけづらかった。話しづらかった。
しかし、いい機会だろう。オルガさんからの問いに乗じて、僕は挨拶をする。その挨拶に少しだけ驚いたように目を丸くしてから、オルガさんは微笑んだ。
「……お久しぶりです。五年ぶり、でしょうか」
「もうそんなになりますか」
はは、と僕は笑うが、オルガさんは少しだけ困ったように頬を掻く。
そしてその指に顔の横に垂れた髪に巻き付けると、ぴんと弾いた。
「オルガさんはお変わりなく」
改めて、僕はオルガさんの姿を見る。今年齢を誤魔化す指輪は使っているのか、それはわからないが、あの頃ギルドで見ていた姿とそう変わっている様子はない。同年代だが、僕よりも少しだけ年上程度だったと思うので、おそらく今は素の年齢だろうが。
探索ギルド職員の制服とは違い、エプロンドレスのような使用人姿。けれどもそのウェーブのかかった金の髪や肌の調子はあの頃と変わりない。
「カラス様は見違えましたね。背も体格もよくなって……」
背を比べるように、オルガさんは僕に歩調を合わせる。オルガさんは女性にしては少し高めで、僕は男性としては平均的だがやや低め。
ちょうど、同じくらいの高さで目が合った。
「子供らしさも、少し抜けたようです」
そう言ってオルガさんは笑みを強めた。
「王城へは、いつから?」
そして、僕にも気になっていることがある。それを直接聞くことも出来ず、少しだけ迂遠に尋ねるが、オルガさんは嫌な顔もせずに口を開いた。
「一年前です。その前は、イラインの方で衣料店の売り子をしていたんですが」
「案外近くにいたんですね。もっとも、僕は……」
「カラス様は、リドニックからムジカルへと忙しかったようで」
「ご存じでしたか」
イラインから離れていたが、と続けようとしたが、それは知っていたらしい。
……ムジカルの方はともかくとして、その前は実はあまり知られていないとも思うのだが。それも、探索ギルドから離れている今となっては、彼女は知らなくてもおかしくはないのに。
「……公式にはありませんが、吟遊詩人の語る噂話で少々。『白い閃光。死の寄り集まった獣とともに』と」
言葉を切って、もう一度僕を見る。その目に笑みは浮かんでいない。
「その後ムジカルで生きていたと聞いて、ホッとしました」
「……ご心配をおかけしたようです」
吟遊詩人の語り。僕は実は聞いたことがないが、その言葉の通りならば僕はあの白煙羅とともに白い波の中に消えていったのだろう。
生きて帰る望みのない話。……すると、マリーヤの箝口令も少し無駄になっている気もするが。噂話レベルならば構わないのだろうか。
「本当に」
オルガさんは僕の言葉を否定せず、唇を結ぶ。
だが、アネットが振り返るとその表情も消えて、澄ました顔に戻っていた。
「お二人とも、積もる話もありそうじゃないですか」
「それはもう」
オルガさんは顔を綻ばせる。どちらかといえば、社交辞令的な笑みに見えた。
アネットが、僕を見る。
「そんなに長い間会わなかった二人が、こんな王都なんかで出会うなんて偶然にも程がありますでしょ」
「でも、本当に偶然なんですよ」
「そうなんですか?」
オルガさんの言葉に僕は聞き返す。いや、彼女がわざとこの王城に居合わせたわけではないとは思っていたが。
オルガさんは深く頷く。
「はい。……いえ、ザブロック家令嬢の担当は替わっていただいたんですが、でも本当に、この勇者召喚でカラス様もそこに雇われるとは思わなくて、……私も驚いております」
「ザブロック家には、オルガさんの意思だったと……」
「ええ。カラス様がいらっしゃると聞いたので」
冗談めかして、オルガさんは言う。何となくそれが本音に思えて、僕は少しだけ慌てるように生返事を返しながら視線を切った。
少しばかりの世間話を交わしながら、いくつかの廊下を回って令嬢区域の端までくる。
やはり令嬢令息の住む区域には、身分の差が割り当てられた部屋の場所で現れていた。庭園などに近い場所は有力貴族の、そう他と変わりないが水場などから遠い不便な場所は地位の低い男爵家令嬢の、というふうに。
そして、端の方。今僕らがいる辺りは庭園から遠い『最下層の地区』。いくつか部屋に空きがあるほどの、辺境だった。
廊下を少しだけ進めば、王城に勤める官吏たちの仕事場がある。だが彼らもこちらに入ってくることはほぼなく、そして住んでいる令嬢たちも少ないために使用人たちの人通りも少ない。
絨毯が綺麗。掃除も行き届いているので他が汚れているわけでもないが、その足跡の痕跡の少なさに僕はそう感じた。
そのうちの一つの部屋……でもないな。ここは新築されたわけでもない、以前からあった部屋だと思う。壁の建材が少しだけ古めかしい。とにかくその前にアネットは立ち止まり、ドアの取っ手に手をかけた。
「とりあえず、お入りをー」
先導するように入ったアネットに続いて、オルガさん、そして僕と中に足を踏み入れる。
ワンルームのような部屋。外の絨毯の傷みの少なさに比べて、中は使い込まれている床だった。
二つのベッドが、それを仕切るカーテンと共に置かれている。掃除されているが、生活の跡が見える。しかし家具の少なさも相まって、住んでいるような感じではない……仮眠室か、ここ。
僕が扉を閉めると、さあさあとアネットは部屋の中央まで僕たちを招き入れた。
……しかし、見回してみても特にすることは見当たらない。何かを動かすから、と聞いていたが、模様替えでもするのだろうか。
「ここ、あんまり官吏の人たちも使わないんですよね。なので私たちもこっそり使ったりしてるんです」
「……そうなんですか」
呟くようにアネットは口にして、僕の返答に深く頷く。
それからさりげないような動作で僕の横を回ると、肩に手をかけて笑みを見せた。
「では、後のことはオルガさんに聞いてください。私はちょっと離れますので」
「え?」
そう言うと、そそくさと部屋から出ていく。呆気にとられてその扉を見ていると、カチャンと外から鍵をかけた音がする。……鍵?
疑問符が頭上を飛んでいる気がする。
助けを求めるようにオルガさんを見れば、オルガさんは僕を見ていた。
「……で、ええと僕は何をすれば?」
「…………」
髪の先を指先でまとめながら、オルガさんが何か言葉を選ぶように口ごもる。それから一歩僕に近づくように足を踏み出すと、なんとなく間合いに入られた気がする。
……いや、彼女に多分害意はないので、間合いというのも変な気がするんだけど。
「……アネットがここまでお膳立てしてくれたんです。私も、……ね」
おそらく自分に言い聞かせているのだろう言葉。後半が言葉になっておらず、意味もわからなかったが。
だが、なんとなくわかる。この雰囲気。僕は覚えがある。
ついにきた、とそう思った。
またオルガさんが一歩踏み出す。反射的に僕も下がるが、ベッドに腿の裏が当たって止められた。
もう一歩、オルガさんが近づいてくる。もう手も届く距離。
「あの……?」
無言でオルガさんの手が伸びる。僕の腰辺り、その背中側に。もう、体温まで感じられそうな距離で。
武術的な、という意味ではないが、体が制されている。そう自覚した僕の体が、ふわりとベッドに仰向けに倒れ込んだ。
覆い被さるように、オルガさんが僕を見下ろす。
髪の毛が、僕の胸辺りに落ちた。
「不意打ちのようで申し訳ありません」
オルガさんが落ちていた髪の毛を耳にかけると、影になり暗くなっていた顔に灯りが入る。
その顔は真剣で、遊びには見えない。
「あの日の続きを、お話ししたく思います」
匂いまで感じられる距離。
香水のようなその匂いが、少女というよりも女性というふうに僕には感じられた。
『あの日』(現在191話『真面目な話』)