険悪
プリシラに手を差し出されたオトフシは、フンと鼻を鳴らして視線を逸らす。
負けじとプリシラはそのまま笑顔を強めるが、それでも握手をする気がないことを全身で示すオトフシに、諦めたように手を下ろした。
「つれないなぁ」
オトフシの言葉にヒヒと声なく笑い、その目をじっと見る。そして、多分その意図が伝わったのだろう、気が済んだとばかりに視線を外した。
それから、今度はオトフシがプリシラを見る。まるで、互いに視線を合わせないようにしているかのように。
「お前は妾と初対面と言ったが、妾はそうとは思えない。どこかで見たことがあるのだ」
「よくある顔だからね」
「そうではない。おそらく、妾は確かに見ている。他でもない、この王城で」
「…………」
無言のプリシラに、ようやく二人の視線が交わる。
わずかな沈黙、しかしプリシラが口を開く。
「……王城中にいた貴方の使役していた折り紙、躱すのは面倒だったよ」
「そして意図通り、お前はその全てを躱してきた。妾の視界に確かに入っていたにもかかわらず……」
葉雨流の技術か。オトフシにも、誰かがいると違和感はあったということだろう。
「そんな相手と友好的に、というのは臆病な妾には難しいと理解してもらいたい」
「許してよ。ちょっとだけ、そうしないといけない事情があるんだ」
悪びれもせず、プリシラはそう口にする。だがその謝罪というか言い訳の言葉も無視するように、腕を組んでオトフシは顎を上げた
「姿を見せているのに、見ていないように思える。顔を見たはずなのに、覚えていない。その技術は、他でも見たことがある」
「可愛い弟のものかな」
「…………」
嬉しそうに返したプリシラに対し、少しだけオトフシが目を細めた。
「……やはり、ドルグワントか」
それから目を閉じて、呟くように言う。その言葉に応えて、プリシラは楽しそうに口角を上げた。
「知っていてくれるなんて嬉しいね。もう、三十年以上前に潰えている小さな流派なのに」
「〈親愛なる〉プリシラ。お前とは確かに初対面だが、レイトンとはそれなりに親交があるのでな」
オトフシは目を開けて、右手で肘の辺りを押さえる。……以前、暗器の点検をしていたときに、そこからも小さな刃物が出てきたが……。
「何故潰えたかも知らんが、あの当時、短期間だけ流れた噂もあった。プリシラ・ドルグワントは父と兄を殺し葉雨流を途絶えさせ、唯一生き残ったレイトンがその復讐のためにお前を捜し求めていると」
「弟が懸命に探し求める血を分けた姉。故に〈親愛なる〉……、あの二つ名気に入ってるんだよね」
誰も呼んでくれないけれど、とプリシラは小声で付け足す。
「それからレイトンは、お前に関する情報を集めるために石ころ屋に加入したという。……単なる尾ひれのついた与太話かと思っていたが」
「そうだね、少し違う」
ふう、とプリシラが溜息をつく。笑顔は湛えたまま、少しだけ悲しそうに。
「どこがだ?」
「レイトンは、復讐なんて選ぶような子じゃないよ。理解されないけど、優しい子なんだ」
「……それは、家族を殺したお前が言う言葉か?」
フフ、とオトフシは笑う。
しかし、手と腿の辺りに隠せない緊張がある。これはさすがに僕でもわかる、嘘の笑顔だ。
「先ほどの、『事情』。それはレイトンにお前の居場所が知られないように、だろう?」
「そうだよ」
事も無げに言って、プリシラはオトフシの手に目を向ける。それからいくつか視線が動くが、どれも以前見た暗器の隠し場所だ。
プリシラが、握り拳を口に当ててクスと笑う。オトフシは逆に、不機嫌そうに鼻を鳴らした。
「……そんなに怖がらなくてもいいのに」
「そんなお前が、妾たちの前にあっけなく姿を晒した。命の危険を察するにあまりある」
パタパタと、僕たちの横を知らない下男が走り抜けていく。
きっと、彼から見れば僕たちはただ廊下で雑談しているだけなのだろう。
命の危機。オトフシが口にしたそれが、今ここにあるかもしれないことにはきっと気がついていないのだろう。
一応、プリシラに殺気も敵意も感じない。だがそれはレイトンも同じようなもので、ニクスキーさんやスティーブン、古くはデンアも含めて同じようなものだ。彼らのような人間は、必要なときまでそれを見せない。
特に、彼女が扱うのは暗殺剣である葉雨流……、そういう所作は極まっているだろう。
「別に、用があるのはカラス君だからね。言ってはなんだけど、貴方には挨拶程度に声をかけただけだよ」
「ならば用事を済ませて早く立ち去れ」
「本当に、つれないなぁ……」
苛つくように腕を組んで指で腕を叩くオトフシに、はは、とプリシラは苦笑する。
しかし、僕に用がある、……とは。
プリシラは、僕に顔を向ける。リドニックで何度も顔を合わせていたときと変わらず、優しげな笑顔で。
「久しぶり」
「お久しぶりです」
端的な言葉に、僕も一応だが応える。
「ムジカルでの活躍は聞いているし、そもそも生きているのは知っていたけれど……実際に話してみると本当に不思議な感じだね。死んだかと思っていたきみが生きている。本当に不思議で、本当に嬉しいよ」
拍手をするように、プリシラは胸の前で手を組む。言葉に嘘は感じられないが……。
「こういうことがあるから、人生は楽しい。長生きもいいものだと思うよね」
「心配をおかけしたようで」
死んだかと思った、というのは心配には当てはまらないかもしれないが。
それで、とプリシラは笑みを崩さずに小さく咳払いをする。
「きみの身に、何か変わったことはないかと思ってさ」
「変わったこと?」
突然話題が変わり、そして主語も曖昧になった言葉に、僕は思わず聞き返す。時間稼ぎではない。もう少し具体的なことを聞かせてほしいというだけだが。
プリシラが右掌を上に向け、軽く横に動かす。その仕草に、オトフシがわずかに眉を顰めた。
「知っての通り、勇者の訓練場立ち入りが今朝から制限された。原因は聖騎士たちの勇者への反感なんだけど……それを作ったのはレイトンだ」
「やはりですか」
今朝アネットから聞いた話。聖騎士たちの喧嘩があったというが、それを起こしたのがレイトンなんだろう。演出をしたか、それとも出演をしたのかはわからないが。
そしてテレーズの下に陳情が殺到したということから、多分その『演出』は、その一件だけではないのだとも思う。それこそ、誰も注目していないだけで。
「勇者が元の世界からここに拉致されて、強制的に戦いに従事させられる。そんなのあまりにも気の毒だ。勇者の心痛が和らぐように、と色々手出ししている私から見ても、ありがたい話なんだけどね」
「けど?」
ありがたい話。ならば、素直にそのまま受け取っておけばいい。なのにプリシラは、悩むのすら楽しそうに首を傾げた。
「その時に、レイトンは探索者への敵愾心も同時に煽っているんだ。他の聖騎士はわからないけれど、まず間違いなくテレーズ団長の心に浮かんだのは勇者の隣にいたきみだろう」
テレーズ、ではないが聖騎士の視線を僕は思い出す。
先ほど晩餐会場の門番をしていた彼らの視線は、それが原因だろうか……?
「それが何故か知りたくてね。情報収集の一環として、きみに声をかけたというわけさ。……で、何か変わったことは?」
「……今のところ、ないと思いますが……」
普通の質問、らしい。ならば僕も普通に答えよう……と思ったが、あまり心当たりはない。
じ、と観察するようにプリシラが僕を見るが、それでも答えはわからないようで、僕もわからず途方に暮れる思いだった。
「嫌われているのがそのせいだとも、今聞いて知りましたから」
アネットの話は、聖騎士と勇者の仲に焦点が当てられていた。それも話題性から考えると当然で、彼女があえて省いたわけでもないだろう。
しかし、意図として推測できるものもある。ここでプリシラが接触してきた以上、それは考えなくてもいいんだけれど。
「こうやって話を聞きに来るというのを期待してのことでは?」
「それはないね。今あの子は城の反対側にいる。きみへの監視は一時切っているらしいよ」
プリシラが耳飾りを指で弾く。千歩離れた位置までの音を全て集める魔道具……だったっけ。ならば監視はないのもその通りなのだろうが……あえて切っているのか、それともレイトンの油断か。
レイトンにその意図がなく、そしてプリシラもその間隙を縫ってここに来たというのが一番しっくりくるが。
「……くだらん。本人に直接聞けばいいではないか」
オトフシが不機嫌さを滲ませながらそう口にする。その言い分は、僕のような部外者にはその通りとしか言いようがない気もする。
だがプリシラは、表情を変えずに溜息だけついた。
「それは出来ないよ。会ったらその日その時が今生の別れになることもある。かわいいあの子は未だに、私の喉元に食らいつこうと必死だから」
「ならば城から離れればいい」
「それも出来ないね。今のこの城は、本当に楽しいんだ」
歌い上げるように、プリシラは腕を開く。
「勇者召喚という、帰結を誰も知らない事態の最中。自分たちが贄と知らされながらも集められた少年少女たち。事態の中心となった少年に、その対応に苦慮する女性」
淡々と語られる物語のような言葉。おそらく、今のこの状況だろうが。
「父親は娘を不憫に思い、娘は父親の心遣いを知らない。少年少女たちの間に作られた社会とその均衡。それを破ってしまうかもしれない少年たち。その結果幸福を掴む少女もいるかもしれない、不幸になる少女がいるかもしれない。そんな子供たちを見守る、大人たちの恋模様」
口を閉じ、それからプリシラはオトフシに向かって笑いかけた。
「どれもこれも目が離せない。可愛い子たちだよ」
演説の終わり、もしくは演目の終わり、そんな雰囲気だ。
「……お前の言う『可愛い』には、違った意味が聞こえるな」
しかし吐き捨てるように、オトフシはそれを切り捨てる。
「お前は、見ているだけか?」
「まさか。そんな彼らの手助けをすることが、私の人生の喜びさ」
負けじと言い返したプリシラの目に、迷いや敵意はない。僕でも感じるのは、慈愛。
「私はね、占い師をやっているんだ。貴方の言葉を借りるなら、弱い人を助けるのが私の仕事だからね」
「妾はお前の目的を類推しか出来ん。だが、間違っていそうだとは感じる」
オトフシが腕を下ろし、足を肩幅に立つ。僕には、まるでプリシラの道を阻んでいるように見えた。
「たいそうなお題目を掲げようが、その目的が間違っていれば何にもなるまい」
少しだけ、空気が張り詰めた気がする。プリシラの笑みは変わらないのに。それも、一瞬だけ。
「間違っているのは、弱者を虐げ続ける彼らだよ」
ピリピリとした感覚が、僕の首の後ろ辺りを撫でる。
昔スティーブンが口にした言葉から想像しているだけだが、まさしく『僕の首はついているだろうか』な気分だ。多分くっついてるけど。
「大公閣下のご子息は可愛くないね。だから、私はあの子に手助けなんか一切しない。本当はみんなのために排除したいけど、私が手を出すとこの城の滞在がさすがに厳しくなるから歯がゆい思いさ」
本当に悔しそうにプリシラは言う。それを見下ろすように、冷たい目でただオトフシは見つめていた。
……というか、なんでこの二人いきなり険悪な雰囲気になっているんだろう。
普段のオトフシならば、なんとなく仲良くなってそうな感じがするんだけど。
それに、プリシラもそんなに怒ることは……いや、怒り自体あんまり見えないから怒ってもいないのだろうか。
僕の疑問に答えるためではないだろうが、オトフシがまた口を開く。
「直感というやつか。悪いが、お前とは仲良く出来そうにないな」
「そうかな。私は貴方みたいな人も好きだけどね」
困ったように一度頬を掻いて、プリシラも腕を下ろす。
それからまた、口を開いた。少しだけ声のトーンを落として。
「貴方の噂も私は聞いたことがあるよ。探索ギルド色付きにして、特等魔術師オトフシ。私と同じく潰えた家を出て、無頼の日々を過ごした貴方の噂」
「口が過ぎるな」
「オトフシ……いや、オーレリ……」
「その名はとうに捨てた」
プリシラの言葉を遮るように言葉を吐きだしていたオトフシが、殊更に語気を強めた。
「思った通り、人の過去を白日に晒すような下衆な真似をする。直感と言ったが、言ったそばからその実証をすることもあるまい」
「噂の話は貴方から始めたんだけどね?」
クスクスとプリシラが笑う。嘲笑うような悪意の混じる笑いを、初めて見た気がする。
「どうも貴方は、自分のことを棚上げにする癖があるようだ。直したほうがいいよ」
「余計な世話だな。お前と話さなければ問題もない話だ」
「まあ、そう生きるのも自由さ」
オトフシとの会話は終わり。そう示すように、プリシラがこちらに全身を向ける。
「オギノヨウイチくんの魔術訓練は明日の昼過ぎかららしい。付き合ってあげなよ。ルル様でもつれて、一緒に」
「僕が参加できるとは思えませんが」
「オギノヨウイチくんが望めば大丈夫だと思うよ。ミルラ様も、嫌とは言えないさ」
ひひひ、と楽しそうにプリシラはまた笑う。何となく、出た名前の彼らは全て知り合いのように聞こえた。
「……彼が救われる道があればいいんだけどね」
遠い目のプリシラは、廊下の奥へと視線を向けた。その奥をちらりと見ても、誰も来る様子はないのだが
……ハ、と気づいて僕はプリシラに視線を戻す。プリシラから視線を外してしまった。一秒か二秒程度、だがおそらくは何かをするのに充分な時間だっただろう。
そんな僕の、自分の体を確認する仕草を見て取り、プリシラはまた笑った。
「さて、私もそろそろここから離れないと。かくれんぼの鬼に見つかっちゃう」
プリシラは踵を返す。向かうのは手近な廊下……という印象の近くの横道。多分、身を隠せればいいのだろう。
「じゃあね、二人とも、次に会える時を楽しみにしているよ」
オトフシが、鼻を鳴らして応える。それに笑顔を向けて、プリシラは廊下の曲がり角へと消えていく。
足音もかき消えた。誰かがいる気配は何か感じる気もするが、多分、その先を見てももうどこにいるかわからないのだろう。
「行くぞ」
「……了解です」
そんな向こうを何の気なしに見ていた僕に、オトフシがそう呼びかける。
何となく、いつもよりも苛ついている気がする。
そりが合わないという言葉があったと思うが、おそらく二人はそれなのだろう。
または、源氏と平家。この世界には絶対にない言葉だけど。
それから控えの間に向かう僕たちの間に会話はなく、軽食を食べながらもこれといった会話も出来事もなかった。
そこにまた、一人訪れるまでは。