強きを挫く
三が日も過ぎましたが、あけましておめでとうございます。
今年中には最終話まで頑張りますので、今年もよろしくお願いします。(多分言い続けて三年目くらい)
「そろそろ参りましょう」
ルルに向けたサロメの一声で、僕たちは立ち上がる。衝立の向こうでルルがあくびをするように反応した。
ルルの服装は、先ほど着替えたもの。そして、着替え中の表情からよそ行きの表情に切り替えたのだろう、キリッとした顔が硬く見える。
僕は一応先んじて扉を開けて、周囲を見てサロメに頷きで合図を送る。わかっていたことだが、特に危険はない。この王城内で、少しでも危険がある方がおかしいのだが。
廊下の脇に身を寄せて、ルルの後へ続こうと少し待てば、その横を着飾ったルルが通った。
その様を見て、内心息を吐く。いつもと同じ人間、なのに服が少し違うだけでこうも違う印象があるのか、と。
髪型は変えている。そのせいだろう、いつもの前髪を下ろして落ち着いた雰囲気から、前髪を上げた少しだけ活発な雰囲気に纏う空気が変わっている。
薄い笑顔で、全く剣呑な雰囲気がないものの、凜々しいという形容が似合っているだろうか。
僕は僕の履いている靴に目を落とし、以前言われたことを思い返す。
『服は、日々に彩りを与える。一つ変えるだけでも、一日ががらりと変わる』
『変えれば気分も変わるし、何にだってなれる気がする』
……どちらも、服飾の工房の人間だから、ということもあるだろうけれど。
化粧の効能については知っているつもりだ。唇の色が変われば印象も変わるし、頬の色で感情も装える。けれど、服装も、きっとこういうことなのだろう。
よそ行きと普段着。切り替えるだけでも、きっと何かは変わっている。今まさに、目の前の女性が『物静かな』から『華やかな』に変わったように。
オルガさんにも昔聞いたこと。努力しようとはしたけれど。
やはり、僕には出来ないことだ。
僕とオトフシは、一応ルルたちの待機室まで帯同した。道中はルルと同じように着飾っている令嬢たちが多く、どこの家も気合いが入っていることがよくわかった。
傾向としては、やはり華やかになっているだろうか。髪の毛が高くなり、服の広がりが増している。青や黄色、橙と、以前この王城に来たばかりの時にあった立食会のような会場では服の色にどれも『くすんだ』という前置きがあったと思うが、それが薄れている気がする。
これから、僕とオトフシで警護の交代はない。
それは、二人で警護に当たるからという意味ではない。
王城の晩餐会といえど、規模こそ違うものの大まかな順序は個人の開く晩餐会と変わりない。
僕らが辿り着いた部屋は、応接室のような準備室。
いくつもの椅子が置かれ、円卓がいくつも設置され、その上にいくつものお菓子が並んでいるが、ここは晩餐会会場ではない。
絨毯の色が青から臙脂に変わる。
その部屋の入り口では、左右に体格のいい男女がそれぞれ一人ずつ控えている。白いシャツに飾緒つきの黒いコート……以前見た限りでは、これが聖騎士の王城内の正装なのだろう。腰の武装は同じく幅の狭い直剣。槍は……床の絨毯の柄に紛れるように隠されていた。一応見せないようにとの配慮か。
サロメが会釈すると、右にいた男性が頷きで応えた。
「お気をつけて」
オトフシが、後ろ姿のルルに向かいそう声をかける。ルルはわざわざ立ち止まり、オトフシと、それに僕に向けて軽く頭を下げた。
一応、これで肩の荷が一時降りた。
部屋の中に消えていくルルとサロメ。それを見送り、僕とオトフシは廊下の端に寄る。その横を、香水をきつめにつけた女性がルルたちと同じように通っていった。
この準備室に入れるのは、招かれている貴族令嬢や令息。それに、彼ら一人について誰か一人。もちろん、ルルの場合それは侍女のサロメが相応しいので、僕とオトフシはしばらくお役御免というわけだ。
ここから先の警護は聖騎士たちが引き継ぐ。
たしか、現在この王城……というよりも、令嬢区画の警邏を担当しているのは第二位聖騎士団〈旋風〉。今そこにいる彼らも、その団員たちだろう。僕がその姿を見ると、じろりと睨むように返してきた。
敵意や害意がないことを示すように僕は彼らに顔を向けたまま、後ろ向きに一歩身を引く。何となく、向こうからは敵意のようなものが見える気がするが。
「……僕ら、何かしましたかね?」
「さあな。嫌われているのは確かなようだが」
僕の問いを受け流すように、オトフシはさっさと歩き出す。
しかし、嫌われている、か。僕には彼らの視線にそこまでとも思えなかったが、オトフシに比べるとそういったことに鈍い僕だからかもしれない。
オトフシを追うように僕も足を踏み出せば、聖騎士たちの視線は切れる。けれども、未だに注意を向けられているようで、僕の背中に圧迫感を覚えた。
主が食事を取る間、僕ら使用人は暇になる。
全員が、というわけではない。だが、相当数の従者が暇になるために、一応僕たちにも控えの間は用意されていた。
石畳の上に敷かれた青い絨毯を踏みながら、僕とオトフシはそこへと向かう。
既に外は暗い。中庭に面した廊下から外を見れば、向かいの廊下の火の灯りが目に入った。
「予定としては、十の鐘くらいまで、でしたっけ」
「場合にもよるが、その程度だろうな。勇者との舞踏会の盛り上がりによる」
「あと二刻ちょっと……」
私室に戻るか、とも思うが、そうすると終了の合図が届かない。部屋にルルたちが戻るまで、僕が舞踏会の終わりを知ることが出来ないことになる。
いつものようにオトフシに報せを頼んでもいいが、いつもそればかりで少し申し訳ない。
まあ、おとなしくしているのがいいだろう。
レイトンやプリシラが何かをしでかそうが、大人数と一緒にいれば危ないことはそうそうない……と思う。
夕食もまだだし、控えの間で、適当に軽食でも取りながら待つとしようか。
聞いてはいないが、オトフシも一応その気らしい。真っ直ぐに僕らは今控えの間に向かっている。
今回は、別行動はしない方向で……。
「…………」
オトフシと、それに僕も立ち止まる。
示し合わせたわけではない。しかし、オトフシもそれは気がついたのだろう。
「……わかるか?」
「いいえ、詳しくは。……女性の悲鳴。おそらく二十歳前後」
「二つ前の曲がり角の先だな」
「ええ」
確認の言葉を応酬し合い、それから振り返り、先ほど通り過ぎた廊下を僕たちは見る。
中庭を一つまたいだ向こう側。その廊下の向こうから、未だに何か聞こえてくる。
大きな声ではない。押し殺したような、押し殺されたような。
「付近に壺や何かあるか?」
「無いようです……が、何とかなるでしょう」
僕がそう告げると、オトフシは頷く。破裂音でいいかな。
薄く魔力波を飛ばし、付近の位置関係を探る。そこにいるのは女性、それに身体的特徴からおそらく男性三人。全員、魔力使いや闘気使いではない。
事情はわからない。けれども、多分嫌がっているし、それくらいは助けてもいいだろう。
通り過ぎた廊下の奥から更に曲がり角を経て伸びる、僕が思わず肩をすくめてしまうくらい狭い廊下。少し奥まったところに箒などが置かれた用具入れのような場所があるので、本当にただの使用人用なのだろう。けっして、貴人の方々は足を踏み入れるようなところではない。
その廊下の前に形作るのは、拳大の圧縮空気。
それを開放すれば、風船が割れたような音が響いた。
クラッカーのような破裂音。それは、平穏な日常風景には決して現れないものだ。
廊下の向こうで慌てるような声がする。
僕とオトフシが柱に身を隠すと、その向こうで誰かが走ってくる音がする。
まず曲がり角の向こうから現れたのは、……先ほど悲鳴を上げていた女性か。
僕たちと同じ使用人のようで、エプロンドレスがやや乱れていた。
小走りで、彼女がこちらに駆けてくる。僕たちの姿が見えたわけでも、僕たちの方へ向かっているわけでもないだろうが。
茶色い髪を結んでいた紐がとれたのだろう。結び跡の残る髪の毛を直す様子もない。そのまま彼女は、僕たちに気づかないようでどこかへ走り去っていった。
襟を正すこともなく。啜り泣きながら。
そして、今度は曲がり角ではない直線の向こうから、誰かが駆けてくる。
白いシャツに、黒いコート。先ほどの受付ではないが、聖騎士だろう。
遅い。
僕は少しだけ苛立ち、そしてオトフシも小さく息を吐く。
件の曲がり角に至る前に、彼は他の廊下も覗き込みながら小走りで駆けていた。
ようやくといっていいだろう。先ほどの悲鳴が聞こえた廊下から、もう一組が現れる。男性三人組……おそらく服装的には、今から食事会に出るような身分。
鉢合わせした聖騎士は、その姿を見て背筋を正していた。
「……とりあえず、隠れましょうか」
「ああ。頼む」
僕はオトフシに少しだけ身を寄せ、彼女を巻き込んで透明化する。
僕たちの後ろからも、誰かが走ってきていた。こちらも聖騎士だろう。すんでの所で、気づかれずに済んだようだ。
僕たちとすれ違った聖騎士。
薄緑の髪の彼は、事情を知っているようだ。彼が来た方を見れば、おそらくもう一人誰か……衛兵かな? ……がいるのだろう。先ほど走っていった下女を慰めるような声が聞こえた。
「とうとう」
もう一度、オトフシが盛大に溜息をつく。貴族三人相手に苦言を呈する聖騎士を見つめながら。
「ビャクダン大公子息と、その取り巻きですね」
「この程度で済んでよかったというべきか」
「被害者がいる以上よかったと言うべきでもない気がしますが」
「……そうだな」
そこにいるのは、ジュリアン・パンサ・ビャクダン大公子息。それに、男爵位と伯爵位の子息二人。
走っていった下女の着衣は乱れ、そして明らかに意にそぐわぬ何かをされそうになっていた。
そして、一つ予備情報がある。ビャクダン大公子息は、自宅で奴隷や平民を弄ぶ『遊び』を噂になるほど頻繁に行っていた。
先ほどまでは事情が判然としなかったが、もうほぼ確信を持って推測できる。
ビャクダン大公子息は、自宅でやっていた『遊び』をこの王城で行おうとしたのだ。
……ここで? そこまで考えて、疑問が増える。
私室内なんかの密室ならまだしも、人目に触れない場所とはいえ、廊下で?
僕には理解できない行動だけれど。
「晩餐会までの暇つぶしか、それとも警備が晩餐会に集中し人通りも少なくなるこのときを狙ったか、それはわからないがまあ軽率な行動だったようだ」
「彼らにとっては軽率でも何でもないんでしょうか」
聖騎士たちの『苦言』も押しのけるように、ビャクダン大公子息は晩餐会場へと足を向ける。
そして取り巻きたちも、怯んだ聖騎士からこれ幸いと遠ざかっていく。
「……そんなに怒るな。こういったことで、奴らを裁ける法はない。相手はただの下女で、そして全てが未遂に終わっている。品位がないという一点を除けば、奴らを糾弾することは難しい」
「そういう法があるならば、明らかにそれは間違った法ですね」
目を大公子息たちの逆に向ければ、そちらからは未だに啜り泣きの声が聞こえる。
……というか僕は、怒っていたのか。
「気にするなとは言わないが、深入りはせんことだな。未遂でなく現行犯ならば聖騎士たちも実力行使に出るだろうし、貴族子女ならば未遂でも充分奴らは出る」
「そういう仕事だから、ですか」
気づいてしまえば、ボソリと吐き出された自分の声音に怒りが混じっているのがわかる。そして感じているのは、嫌悪。
聖騎士たちすら、貴族以外は人間として見ていない現実。
いいや、人間としては見ているのだろう。ただ、法で守られる対象になっていないだけで。
無能な官憲。僕が知っているこの国の全てだ。
「……彼女が訴え出たところで……」
「無駄だろう。全ては無視されるし、最悪あの下女が秘密裏に死ぬ。誰にとっても、口を閉ざすのが最善の選択だ」
もう透明化はいいようで、オトフシが僕の魔力圏内から歩いて出る。オトフシから見れば、僕が見えない状態だけれど。
「……石ころ屋が恋しいか?」
「…………」
今僕が何を口にしても、彼女には届かない。それでも、口に出せない。
透明化を解いて、僕も一歩歩き出す。オトフシに並ぶように。
「さっきの女性も、平民だったのに」
僕やハイロのような賤民ではない。イラインでは、僕たちに対する特権階級だった彼女でさえ。
「そうだ。平民だろう。貴族よりも下に位置する、な」
「……この国は本当に嫌いですけれど、本当に、一度滅んだ方がいい気がします」
僕の言葉にオトフシは一瞬目を丸くする。
それからフフンと笑い、踵を鳴らした。
「先ほどの言葉を訂正しよう。一応この国でも、貴族法が適用されればあの大公子息も罰することは出来るだろう」
貴族法。貴族が平民にして良いこと、してはいけないことを規定している法。貴族が強制的に徴兵することが出来ないというのも、その法に準拠していた。
「しかし、奴には適用されない」
「それが」
「そう、それが権力というものだ」
小気味よく、オトフシはそう言い切る。
「権力を持つ者は強く常に勝ち、持たざる者は弱く常に負ける。故に負け続ける弱者は勝ち続ける強者を悪と認定し、『弱きを助け強きを挫く』者を待ち望む。……常に挫かれる者が、強者と言えるのかは疑問だが」
「あの男は本当に悪者ですけどね」
全く楽しくはないが、僕も少しだけ微笑みながら補足する。オトフシは、そんな僕を見て少しだけ噴き出したように見えた。
「あの男が権力を持っているわけでもない、というのも腹が立つところでしょうか」
大公子息の権力ではない。法に触れないのは、親である大公の権力だ。
「……そう、そして……」
オトフシとの会話の最中。
後方から、違う声が響く。まるで今までも会話に混じっていたかのような口調で。
オトフシも、その声を耳に入れて理解してから驚いていた。
「彼自身がそれを理解していないだろう、と思えるのもきっと業腹なところだと思うんだ」
誰かいるのは知っていた。
足音もあり、気配も隠していない。ただの通りすがりの使用人としか思っていなかった。
だからオトフシと僕の会話も、二人の間にしか聞こえない程度の小声だが、普通に行っていた。
殺気や敵意があれば、多分気づけていたというのは言い訳だろうか。
……いいや、今回は口を開いた気配で気がつけた。攻撃ならば、凌げる余裕も上手くすればあるくらいに。それくらいには、成長したと自信を持っていいだろう。
「そちらのご婦人とは初めましてかな? オトフシ……さん」
辿々しくも、確信を持った言葉を吐きながら、歩み寄ってくる影。
「初めまして。私はプリシラ、カラス君の友人だよ」
以前と全く柔和な笑みを浮かべたプリシラが、オトフシに手を差し伸べていた。




