交友範囲
「ふぅ……」
僕はようやく落ち着いた胃の調子に、溜息をつくように息を吐き出す。
いや、別に調子が悪かったとかそういうことでもなくて、単なる空腹が落ち着いただけだけれど。
囓る白パンにはバターのような風味の少しだけぼそぼそとした食感の何かが添えられている。……多分、澄ましバターを作るときの沈殿物だろう。本来廃棄されるようなものではあるが、材料が良ければそこそこ美味しいものになるといういい例だ。
無論、本体の上澄みの方が美味しいのだろうが、文句は言うまい。
勇者との会合を終えた後の遅い朝食。一応オトフシの許可を取り、僕はルルのところには戻らずに、食堂にて賄い料理に舌鼓を打っていた。
いつもよりも少し遅い朝食。その時間のずれが、料理をいつもと違う感覚にしている気がする。
添えられているスープは厨房内にも残り少なくなっており、今は寸胴鍋の下から取るせいか屑野菜が多い。味も濃い。それは多分煮詰まっているということもあるかな。
元々ここで食事を取る人数が少なくなってきているこの頃に輪をかけて、食堂内が閑散としているというのも時間のせいだろう。
そしてもう一つ、いつもと違うことがある。
「それで? 勇者様と何をお話に?」
「勇者様の名誉に関わることなので、他言は出来ません」
「そんなこといわずに、ほんのちょっとだけ、ね?」
視線を逸らし、スープを口に含みながら、僕は下女の質問をはぐらかす。テーブルの向かいで食事も取らずに僕に問いかけ続けているのは、昨日知り合ったばかりの下女、アネットだ。
「みんな気になってるんです。代表でここに来た以上、私も何も聞かずに帰るわけにはいかないんです」
パタパタと机を叩いて、ちらりとアネットが厨房の方を見る。そこにいた幾人かが、その視線を受けて目を逸らしていた。
「カラスさんが言ったなんて誰もバラしませんし、私たちだけの秘密にしておきますから、ね?」
「人の噂は千里を駆ける。無理です」
というか、僕が喋ったことがバレないなんてことはありえないだろう。勇者との会話内容を知っているのは、勇者と僕だけだ。
そもそも代表として聞きに来たのならば、僕の話は周囲と共有するということ。無理に決まっているのに。
にべもない態度を取ったつもりだ。その態度の意味をきちんと受け取ってくれたらしく、唇を尖らせてアネットは歯と唇で吸気を鳴らした。
「どうしても駄目ですか」
「申し訳ありませんが」
白パンが甘くて美味しい。砂糖などは使っていないが、小麦の甘さがある。
「駄目ですかー」
諦めたようで、アネットが厨房を見て手で小さくサインを出した。それに伴い、少しだけ落胆した雰囲気が厨房から伝わってきた気がする。
それから溜息。
諦めたのか、などと思ったが、次の瞬間こちらを見てニヤと笑った仕草でそれは違うと僕は気づいた。
囁き声に近い小さな声で、アネットが口を開く。
「…………勇者様の訓練場出入り禁止の件かななんて私は思ってましたけど、……やっぱり、それ以外にある!?」
「それ以外?」
前半部分に反応しまいと僕は努めたが、後半部分の意味が少しわからず聞き返す。
「だってあの場所、……ね?」
にやりとした笑い顔が、うヘヘ、というような笑い顔に変わる。
濁されてもちょっとよくわからないのだけれど。
……何となく煩わしくなってきた。
勇者の名誉に関わることに触れずに、喋ってしまうか。いや、喋っても問題ないか、どうせすぐに皆が知ることだ。
心を落ち着けるように、目の前の皿の野菜に手を伸ばす。
「勇者様は、魔術に興味を持っているようです」
「……え?」
何もつけていない野菜スティックを囓ると、兎か何かになった気がする。固い人参の切れ端は塩ゆでされているようだが、なんとなく油分がほしい。
「私が話した内容ですよ。訓練場の出入り禁止までご存じのようですし、すぐに魔術の勉強に入ったこともわかるでしょう」
「それだけですか?」
「他にも細々としたことは話していますが、まあそんな感じです」
それは明確に嘘だ。だが、これでも充分だろう。
勇者との会話、その前半部分。そちらは伏せておくべきことだ。
「えー、でも、勇者様が剣じゃなくて魔術……ですか?」
「剣も使えるようですけど。勇者様の世界には魔術が存在しないので、不思議に見えたそうです」
野菜スティックの残りをまとめて口の中で噛み砕く。大根はまだマシだが、人参はやはり食事という感じがしない。
そもそもこれをスープの中に入れてくれればいいのに。……いや、入っていたからその残りかこれ。
「えー? じゃあ、カラスさんが魔法使いだからってことですか?」
「そこまでは知りませんが、そうかもしれませんね」
白パンは少し残しているが、皿を重ねて、もう食事も終わりという雰囲気を醸す。
それでも興味は尽きないのか、アネットは立ち去る雰囲気もないのだが。
僕もまた小さく溜息をつく。話題が尽きないのならば、話題を変えるとしよう。
「しかし、よくご存じでしたね、勇者様の訓練場出入り禁止」
「……あ、それですか?」
猫だったら、耳でも誇らしげに立てているだろう。そんな雰囲気で、アネットは笑う。
「私も先ほど勇者様からお聞きしましたが、それが初耳だったんですよ」
僕もさっき聞いたこと。つい今朝起きたことだったはずだ。なのに、情報が出回るのが早すぎる。
それに、その類いのことはミルラたち王城の人間が吹聴して回るわけがあるまい。一応、勇者にとっては否定的な評価材料になるだろうし。
「噂は千里を走りますからね」
フフン、とアネットは胸を張って僕に言う。それはさっき僕が口にした言葉か。
「いや、私たちの間でそういう話は早く伝わるんですよ。私たち、いろんなところに出入りしてますから」
「そういえばそうでしたか」
下女。身分はこの王城内でも最下層だが、それ故にいろんなところに行くことになる。
なるほど、嘘か真かを問わず、噂話はまず彼女らに伝わるということだろうか。
「なんでも、勇者様との訓練を拒む嘆願が、テレーズ様へ相次いだらしいですよ」
「そんなに」
さらりと勇者の『訓練場出入り禁止』に関しての噂をアネットは付け加えた。勇者の言っていた、『嫌われている』。それがそんな直接行動に出るレベルとは。
「それに加えて勇者様が手を抜いてテレーズ様を怒らせたとか、そんな理由らしいですけど本当ですか?」
「…………」
声を上げそうになり、もうお茶の入っていないカップをもう一度傾けてこらえる。
バレてる。ミルラの口止め、まったく効果ないんだけど。
いやまあ、それに関しては大丈夫か。そもそも僕もそれとの関連は知らない。
「さあ、それは僕は本当に知りません」
「結局、昨日ミルラ様がカラスさんに口止めしたのってなんだったんですか? もしかして、それに関係があったり?」
「ミルラ様に口止めされている以上、言えるわけないじゃないですか」
眉を顰めて僕は苦笑する。
そもそも、僕から話を聞く必要があるのだろうか。その信憑性はともかく、僕の知っていることは、大体知っていそうだ。
アネットは拳の掌側を口に当ててほんの一瞬考え込み、それからクスと笑う。
「ま、そうですよね。それに、嘆願の理由もちょっと気になりますし……」
「気になる? それこそ、その手抜きが原因とかじゃないんですか?」
「それにしては気になるんですよね。昨日、聖騎士様たちの食堂で喧嘩があったらしいんです。なんか、それから急に勇者様への文句が上がり始めたとか? あ、食堂勤めの友達に聞いた話なんですけれども」
「……きっかけがそこだっただけでは」
うーん、とアネットがまた悩む。……なんだろう。なんというか、このテンションに既視感が出てきた気がする。
いや、それよりも。
「喧嘩の原因は?」
「よくわからないんですけど、誰かが『俺たちがいるのに勇者を呼び出すなんて馬鹿にされている気分』みたいなことを言ったらしくて、それを聞いた別の聖騎士様がそれを制止にかかったところ口論になったとか」
「……その二人は、処罰されていますか?」
「不問になったらしいです。なんです? 急に」
「いえ」
…………。
どっちだろう。昨日急に状況が変わった。
『昨日』『急に』。単なる偶然かもしれないが、昨日レイトンと話した内容を考えるならば、それがレイトンによる作為的なものかもしれない。
僕を巻き込む手を打つから、それに乗ってほしいとレイトンは言った。これがそうならばどういう風に動けばいいのだろうか。
いや、そもそも僕が巻き込まれている感じもしない。訓練に参加しなくなったということで、勇者伝いに僕へと伝わった……というのはレイトンにしては些か迂遠すぎる。やはり昨日というのは全くの偶然で、関係がないのかもしれない。ならば、違うのだろうか。
……やっぱり何をするかは言ってほしかった。
これから何か起こる度に、僕はこうやって気を揉むのだろうか。いやまあ、どうせ何かは起こるとどっしりと構えていてもいいのだろうが。
僕が一瞬黙ると、アネットも黙る。
そして、アネットはニコリと笑うと、ゆっくりと席から立ち上がった。
「では、やっぱり話は聞けそうにないので、私はこれで失礼します」
「ええ。申し訳ありませんが」
むしろ色々と情報をもらってしまった気分だ。何となく、それは申し訳ない。
「……でも、ちょっと助かりました」
「助かった……?」
「思ったよりも話しやすかったので」
エプロンについた皺を伸ばしながら、アネットは呟くように言う。
「昨日は知りませんでしたけど、今日声をかける前にカラスさんが魔法使いだって聞いて、何となく話しかけづらかったんです」
「…………」
「ほら、魔法使いって、何となく変な人……、あ、いや、変ってそういう変じゃないですよ? でも、変な人が多いじゃないですか。クロエ様とか」
「そういうのがどういうのかはわかりませんけど……失礼な意味ではないことを祈ります」
突然出てきたクロエ・ゴーティエの名前。精霊使いというこの国唯一の存在に対して恐れ多くはないのだろうか。……ないらしい。
「でも、なんとなく、カラスさんとは仲良くなれそうだなぁって思いました」
そっとアネットが手を差し出す。
何かを要求するとかそういうことではないらしい。その掌は横を向いて、脱力している。
なるほど。
そっとその手を握れば、握り返される。水仕事で荒れた肌だが、悪い感じはしない。
こういう握手はいつ以来だろう。ミーティアでアントルとした以外、あまり覚えてはいないけれど。
「仲良い人は、アンと呼びます。どうぞ、カラスさんも」
「……そういうの苦手なので、アネットさんでいいですか?」
「えー」
アネットの真面目な態度が崩れる。
唇を尖らせながらの笑顔が、先ほどの愛想笑いとは全く違う。
なんというか、『仕事が終わった』というような感じ。
そして、そんな姿を眺めていて、思い出した。既視感の正体。
この、距離の近い感覚。エウリューケやササメに似ているのだ。
なんだろうか。この、なんとなく友達の多い感じというか、明るい感じ。……いや、ササメはわからないがエウリューケに友達が多いとも思えないけど。
それでも、なんだろうか。何故僕に絡んでくるのはこういう人が多いのだろうか。
一口残った白パンをポケットに入れながら、そんな不可思議なことに僕は少しだけ考えを巡らせる。
「それでは、私も仕事がありますので。オルガさんにもよろしくお願いします」
「ええ。わか……え?」
しずしずと去っていくアネット。
その後ろ姿に、そこにも繋がりがあったのかと少しだけ僕は慄いていた。




