自己満足で骨を折る
キーチが負けたのは僕のせいだった。
風を切り飛び続けながら僕は反省する。
キーチが勝っていればどうだったか。
まず、カソクの鼻を明かせた。大人たちの訓練不足を証明できたかもしれない。士気も上がったかもしれない。子供に負けたということで、危機意識が少しは出たかもしれない。それで訓練に真面目に参加するようになったかもしれない。そして、向上した練度により、獣害を減らせたかもしれない。
獣害が減れば、理不尽に失われる作物だって減るかもしれない。
マイナスがゼロになるだけではある。しかし、それは本来その人たちが受け取れる作物だったのだ。それが今は、理不尽に奪われ続けている。
そんな明るい展望。それはもう望めない。
負けたからだ。僕のせいで、負けたから。
これでは今までと何も変らない。酒目当ての適当な訓練、まったく意味のない見張り番、奪われ続ける農作物、今までと何一つ変らない。
勿論、そう上手くいったとは限らない。勝ったとしても、何一つ変らないかもしれない。
しかし、変わるチャンスを潰した。知らなかったとはいえ、この僕が。
東の見張り小屋が見えた。近くに立ち並ぶ住居と畑が見える。低い柵が並び、奥には暗い林が広がっている。
責任は取らなければならない。大人たちの嫌な顔が浮かぶ。その顔が嫌いだ。酒を貰って喜び、責務のことは考えずに機嫌良く家路につく。その姿が大嫌いだ。そして何より、立ち上がったキーチの行動を無駄にする自分は心底嫌いだ。
僕は柵の上空に陣取る。
魔力を広げる。もはや闇夜だが、今の僕には関係ない。全てを見るのは難しいが、柵の東側に限定すればさほど問題はない。
責任は取らなければならない。僕は、できるだけ体を休めながらも森を注視し続けた。
夜半、草木も眠り月明かりすらない真夜中に、やつらは来た。
正直今日のうちに来ないことも考えていたが、幸か不幸かやつらは来た。
犯人、それは猪だった。
大きい猪が柵の下を掘り、穴を開ける。そのトンネルから、穴を開けた大きな猪と、一回り小さい猪が畑に近寄っていった。
番だろうか。仲間だろうか。どちらにせよ、その辺は今の僕には関係ないが。
鼻を鳴らして畑の土をいじり始める。フゴフゴと小さい声が聞こえる。
こいつらだ。
ただ単に迷い込んできたのではない。明確に、作物を食べに来ていた。こいつらだ。
こいつらが、畑を荒らしているのだ。
ちらりと見張り小屋を確認する。少し高い木造のその建物からは、寝息しか聞こえない。よく眠っているその姿を想像し、小さな怒りを覚えながらも、僕は振り返る。
猪たちの姿を見ながら、僕は魔力を集中させた。
まず、畑になにかあっては困る。柵のところまで猪を押し戻す。異変に気付き、暴れる猪の力は強いが、それぐらい念動力でどうにでもなる。
そして風の刃を形作る。いつもは首を傷つけるだけの大きさに作るが、今回は違う。より大きく、荒々さを隠すこともなく。食べる訳ではないのだ。こいつらは、僕が意地のために殺す。ただ、僕の溜飲を下げるために殺す。魔力の効率や可食部や見た目など、今はどうでも良い。
一つだけ放った不可視の刃は、音も無く猪たちを輪切りにした。
血塗れの地面とそこに転がる肉塊を眺める。
本来はここまで派手にやる必要はなかった。だがこれは見せしめだ。これで、猪の存在は証明できた。もはや脅威がいないとは言えない。そしてその脅威が、なにかの干渉で死んだ。由々しき問題だ。速やかに対策を取るべきだろう。
そんな思いで作り上げたこの状況は、思った以上に注目度があったらしい。夜明けには、死体を囲んで人だかりができていた。
第一発見者はさすがに見張り番だった。夜明け前、鳥の声で目を覚ました彼が、死体を発見した。
それからの行動は、少し笑えるものだった。
初め、彼はそれが何なのかわからず、近くまで寄り槍でつついた。そして、毛皮の奥のぐんにゃりとした感覚、それを感じたのか一瞬身震いした後、叫び声を上げて走り出したのだ。
その声に反応して、畑仕事の準備で起きていた農夫たちが集まってくるも、焦っている見張り役はろくな説明もできず皆の前でしどろもどろとなって呆れられていた。
そして、多くの農夫が四つに分かれた猪たちを取り囲むように集まったのだった。
当然と言っても良いだろう。その中には、シウムとキーチの姿もあった。
「あの……これ……」
「ああ」
シウムは、猪の死体を検分する。毛皮を撫でてはひっくり返し、傷口の様子や血の量、致命傷以外の外傷はないかなど調べていた。
「致命傷の他に傷は無く、運ばれた様子もない。暴れた様子はあるが、これは反撃というよりもがいているな……。なにかで拘束された……それも、縄ではない……」
「魔術、ですか」
シウムの呟きに、キーチが反応する。昨日の試合を思い出していたのだろう。
「そうだな。おそらくは、魔術だ。暴れる猪を拘束し、風魔術かなにかで切断した。それも同時に、だな」
「それは、どうして」
「この猪たちは、絡み合っていたようだし、ほら、傷口を揃えると一つになる」
シウムが猪を並べるようにして持ち上げる。もう血は滴らないようだが、大きな死体が気持ち悪いのだろう。切断面を見て、キーチは一瞬顔を背けた。
「あとは地面だ。猪の足でかなり荒れている。歩いたり走ったりしただけではこうならない」
「は、はあ」
もう村を出るための授業は始まっているらしい。これは、戦いというよりサバイバルの授業だろうか。わずかな痕跡からその背景を推察する能力。それを養うための。
僕の方はだいぶ眠くなってきた。授業は聞いていたいが、少し寝たい。森で寝ていよう。
結局、いつも寝ている木の上で昼まで眠ってしまった。
夜更かしは駄目だ。
村に戻ると、いつもと雰囲気が違っていた。なにか、物々しい。
大半が、という訳ではないが、武器を持っている農夫が多くいる。見張りのための訓練ならば、数が多すぎる気がする。
少し高いところから見回してみると、どうやらその農夫たちは訓練広場に集められているらしい。
もしや、という予感はしたが、違う用件の可能性もある。聞きに行かなくてはなるまい。
僕は訓練広場に向けて、少しわくわくして歩き出した。
「という訳で、山狩りを行う!」
シウムが大きな声で檄を飛ばす。予想は、当たりらしかった。
曰く、今朝見つかった猪は明らかに魔法で殺されており、魔法を使える村民はいない。ならば、魔法を使える存在が村まで侵入し、猪を殺していったということになる。死体に損壊が無かったことから餌にするために殺した訳ではなさそうだ。目的がわからないが、その猪を殺した存在が人を襲わないとは限らない。今のところ人的被害は出ていないが、念のため被害が出る前にその存在の特定と、それが危険なようなら排除する必要がある。とのこと。
そのために、戦える者を集め、猟師先導の下大規模な山狩りを行うことになった。
猪を殺したのは無駄にはならなかったようだ。狙い通り、皆が対策を始めた。
集まった中にはカソクの姿もある。昨日よりも真剣な顔をして、森の方を見つめていた。
猟師の号令で、それぞれ歩き出す。班分けは住んでいる地区ごとのようだ。どこでも良いがとりあえず、僕はカソクのところについていこう。ちなみにシウムは居残りらしい。
「じゃあ、一班行きましょう! 俺たちは西側担当でーす」
リーダーはデンアという三十歳前後の細く軽い印象を受ける若い猟師だった。森で何度も見たことがある。腕の良い猟師なのだろう、手ぶらで帰る姿は見たことがない。
「では、ここから少し散りながら進んで行きましょう。できるだけ静かに行きますが、今回は獲物を狙う狩りではありません。なんかあったら大声で近くの誰かを呼んでくださいー」
デンアは短弓を担ぎ直しながら言う。森の入り口から、散開して入っていくらしい。
「では、取り決めの通り。俺は一番前の方を進みます。時間になるか、これ以上奥は危ないなと判断したら矢を鳴らして合図しますので、皆さんその音の方に集まってくださいね-。そしたら帰ります」
そこで、農夫の一人が少し前に出る。
「あのよお、俺、普段森になんか入らねえんだけど、どんなもんに気をつけて探せば……」
「別に、気にしないで適当でいいです」
農夫の言葉を遮り、小気味良いテンポでデンアがそう言い切る。
「さっき言ったとおり、これ普通の狩りじゃないんでぇ、何も見つけなくてもいいです。ぶっちゃけ怪我をしないで終われれば問題ないです」
「も、もしかしたら魔物かもしれねえんだろ? それじゃ何にも」
「だからぁ、いいんですよ。そもそも、何も見つけなくても問題ないんです。むしろ、何も見つからないほうが良い」
途中から、にやにや顔から一転して真面目な顔になったデンアの言葉。並んだ大人たちの顔に困惑が浮かぶ。
「シウムさんは、原因の特定と除去が目標と言ってましたけど、そんなの俺ら森に慣れている狩人が集まってやるべきなんです。森の中で碌に行動できない人たちが集まって、猪を簡単に殺す魔物かなんかに遭遇して、まともに戦えると思いますか?」
「いや、それは……」
「ね、だから、遭遇しないほうが良いんです。俺的に今回の山狩りの最優先目標は、その存在を遠ざけること」
またにやけた顔にデンアの顔が戻った。一気に空気が緩む。
「大人数で森に入って、『お前を探しているんだー』って思わせて、警戒させて村から遠ざける。そこで逃げてくれるようなもんじゃないと困りますし、もし逃げていないのなら、せっかく隠れてくれてる逃げないやつを下手に見つけても困ります。だから、何も見つけなくて良いんです。怪我しないようにしてくださいねー」
「でも、もしなにかに遭遇したら……」
「そしたら、諦めてください。きっとそいつ危険です」
力の抜けた顔でそんなことを言うデンアに、誰も何も言えなかった。
山狩りは粛々と進んだ。
デンアは言葉通り一番前を進み、前方の確認や周囲への警戒を行う。木々を縫い、横に伸びた隊列の、隅の方まで視線を飛ばすその様子は、やはり有能な猟師に見えた。
隊列に参加している農夫たちは森の中に慣れていないようで、あちらこちらで木の根に足を引っかけたり、茂みを越えるのに苦労したりしている姿が見受けられた。
しかし意外なことに、一人慣れている様子の農夫がいた。カソクだ。
デンアほどスムーズな移動とは言えないまでも、音も無く森の中を移動し、時折鉈を使って草を切り払い、視界を確保して周囲の警戒を怠らない。いつもの酒飲みとは思えない姿だ。
デンアがときどきしゃがみ込み、地面を見つめる。どうやら、猪の足跡を追っているらしい。そこに、カソクが話しかける。
「なあ、その足跡、猪のだよな。とくに抗戦とかしてる様子はないんだが」
「そうみたいですねぇ。ここは普通に、のんびり通過しています。そこで牙の掃除してるし。……やっぱり、襲われたのはあの畑でしょう」
足跡を見つめていたデンアが、カソクの方に向き直る。
「あの猪を襲った何者かが猪にどこで目を付けたのか。もし森の中を尾けてきていたのなら、併走する痕跡があるかとも思ったんですが、ないみたいです」
「じゃあ、そいつは森の中からじゃなく」
「ええ、村の中からこの森に向かっていた。もしくは畑でなにか食べていた。そんな感じでしょうか。……もしかしたら、畑を見張っていたのかもしれませんねぇ」
驚愕に固まる僕を透かして、村の方をじっと見つめる。見られていないはずなのに、全部見透かされている気がした。
「どうする? もう戻るか?」
「もう少しだけですから続けましょう。なにか新しい発見もあるかもしれませんし」
「わかった」
二人の会話はそこで終わり、それからほどなくして、矢の鳴らす高い音が森に響いた。
結局、山狩りでは何も見つからなかった。そもそも、探している原因とは僕なのだ。動物や魔物は見つかるかもしれないが、原因になりそうなものはおそらく見つからないだろう。
それぞれ違う方角の森を捜索した班も同様だ。何事もなかったということに大人たちは口々に不満の声を出していたが、村の中に待機していたシウムが睨むと口を噤んだ。
何もなかったが、山狩りはこれからしばらく定期的に行われるらしい。
つまり、収穫があったのは僕だけだ。
帰る人の中で、カソクはぼんやりと森の方を見て立っていた。何をしているのだろうか。
気になって近くに寄ったちょうどそのとき、シウムがカソクに話しかけた。
「ごくろうだったな」
「俺は何にもしてねえよ」
ため息を吐きながらカソクが振り返る。その顔には、疲れの色が見えた。
「ハハッ、久しぶりの行軍、気合いを入れて行ったみたいじゃないか」
「ああ……。疲れたな。森の中なんて何年ぶりだったかな」
ザッザッと地面を蹴りながらカソクがまたため息を吐く。
少し驚いた。二人は旧知の仲だったのか。
「……昨日、負けたのが堪えてるようだな」
「馬鹿言うなよ。勝ったのは俺だ。審判お前だったろ」
「そうだな。だが、お前もわかってるだろう。横槍さえ無ければ、お前はたぶん負けていた」
「…………」
「お前がやる気になってくれたのは嬉しいが、無理はするなよ」
その言葉に無言で手を上げて応えると、カソクは帰っていく。その後ろ姿を見つめ、シウムは体の力を抜いて、少し笑ったように見えた。
「違えよ! そこでもっと腰をひねって! 肘は体から離すな! ああ、もう、だから!」
翌日、昼ご飯を終えて広場に向かう僕が聞いたのは、聞き慣れない大声だった。何事か、と広場に急いで向かうと、そこではキーチが必死に鍛錬を行っていた。
『なんだ、いつもの訓練か』と思ったが、違う。なにか違う。
いつもより苦しそうだ。そして、訓練生はキーチしかいない。
困惑が頭を覆い尽すが、違和感の正体はすぐにわかった。
カソクが、指導していた。それも、かなり厳しそう。
「え? ……え?」
思わず声が出る。困惑しかない。いつも酒目当てで怠そうにしていたカソクが、なんといえば良いだろうか、話に聞いた鬼軍曹のように指導をしていた。
端の方には、それを見ているシウムがいたが、微笑んでいるだけで止める気配がない。
「おし、休憩―。息整えたらすぐ再開するから」
「え、ちょっと、まじで、すか」
キーチが座り込む。珍しく息が上がっており、握る力も使い果たしたのか、素振りしていた槍が力なく地面に落ちていた。
昨日の会話を思い出す。シウムと、そしてカソクの。
そうだ、昨日のキーチとの模擬戦で、カソクは変わっていたのだ。キーチの行動は、確かにカソクを変えていたのだ。
収穫があったのは僕だけ、と思った。しかし、それも違っていたようだ。
僕が何もしなくても、事態は好転していたらしい。これはたぶん、嬉しい誤算だ。
カソクにしごかれるキーチを尻目に、僕はランニングを始める。
無駄なことをして、無駄に疲れたはずなのに、なぜか気分が良かった。