今回は僕が悪い
また十分ほど歩いただろうか。訓練場は城の外側、居住区域や事務作業の場所とは離された、厩舎近くの空き地のような場所だった。
乾いた土が露出した固い地面。周囲は芝生なので、わざわざそういう場所を用意したのかと思ったが、その境を見れば刈ったわけでもなさそうなので、おそらく自然に剥げてしまったのだろう。
そこには既に聖騎士たちだろう、男女の集団がいた……数えてみれば、二十二人……かな。
そして、そこでは既に、訓練というか鍛錬が始まっていた。
その少し手前で立ち止まり、テレーズは勇者に語りかける。
「腕試しがしたい、との由、承っている」
聖騎士の訓練、といえども基礎鍛錬は道場稽古と変わらないらしい。
皆がかけ声と共に槍の素振りを繰り返す。皆が同じ武術体系というわけでもないようで、それぞれ若干振り方に癖はある。しかしそれでも、二十数本の槍が同じような速度、それも道場とは段違いの間近ならば目にも留まらぬ速さで振られる様は圧巻だ。
「勇者様は槍はお使いになられるか」
「槍は……ええと、ごめんなさい。俺、剣の経験しか……」
「構いませぬ。私も槍は苦手だ」
テレーズが訓練場に足を踏み入れると、集団が視線を向けたわけでもないが、注意がこちらを向いたのがわかる。
「手を止めるな!」
言われずともわかっているだろうが、テレーズがそう怒号を飛ばすと注意も霧散した。
テレーズは勇者に向き直る。
「集団訓練はまた後にするとして、勇者様にはこの後の組手稽古に混じって参加して頂こう。腕試し、というのであればそこで充分だろう」
「どういった取り決めなんですか?」
「稽古磨きだ。治療師に治せる程度の怪我で済むならば、開始と終了の合図だけ守って頂ければ結構」
「……それは、どういう……」
治療師に治せる程度の怪我。いや、聖騎士や治療師、この世界の人間に対してならばそこそこ伝わると思うが、それだけでは勇者には伝わるまい。
そして、後遺症が残らなければ何をしてもいい、と。そんなルールの共有が出来ていなければ、危険極まりないと思うが。
しかし突っ込んで聞こうとする勇者の言葉を遮り、ミルラが口を開いた。
「平の騎士に相手をさせるのですか?」
「不服でしょうか?」
ミルラが問いかけると、テレーズは睨むように言い返す。本来無礼に一歩踏み込んでいるのだろうが、ここは彼女のテリトリーということか、テレーズは一切怯んでいなかった。
テレーズがちらりと訓練場の片隅を見る。そこでは治療師の法服を着た男性が待機していた。机も兼ねているのだろうか、大きな石造りの直方体の椅子に腰掛けて、目を瞑ったまま。
「怪我の程度の心配なら結構。我が団の団員の腕前は、私が保証します」
「しかし、それでも団の活動に支障が……」
ミルラが言いかけて、そしてその言葉の先を予想したのだろう。テレーズのこめかみに少しだけ動きが見えた気がした。
「……ああ、なるほど。ミルラ様のご心配はよくわかりました」
ミルラから視線を切り、テレーズは勇者の方にまた向かう。
「お手柔らかにお願い申す」
そしてただ、冷たくそう言って、テレーズは団員たちの下へと一歩踏み出した。
テレーズは、団員たちを整列させて声を張り上げる。
「これより組手稽古を始める!!」
汗も拭かぬまま整列した団員たちは息を飲む。いつもはしないであろう動作だが、今は多分団長の横にいる者が誰だかを知っているからだろう。
「今日の組み手には、勇者殿も参加される! 総員、気を引き締めてかかるように!!」
そして、『気を引き締めて』というところで、少しだけ空気が変わったように感じる。気が引き締まったというよりは、剣呑になった、というところだが。
「勇者殿の相手は、トラム、最初はお前だ」
「……は!!」
「勇者様は、剣を」
女官の手により、勇者には木剣が渡される。聖騎士の方も木剣かと思いきや、こちらは尖端に丸めた布がつけられた槍らしい。
勇者はそれを受け取ると、大きく呼吸を繰り返してから軽く振って重さを確かめた。
「散れ!!」
テレーズの声に、整列していた団員たちがそのまま広がるように散っていく。そして隣り合った者と向かい合うと、それぞれ思い思いの構えを取った。
「勇者様にはその辺りが良いだろう」
そしてテレーズは、始めから決まっていたかのように空いたスペースを指さす。他の団員のいる場所もそうだが、剣を振り回して、多少跳ねても周囲とはぶつからない場所。いや、やり方によっては干渉するけど。
勇者はちらりと僕を見ると、申し訳なさそうにわずかに会釈してから、そこへと歩き出した。
既にそこに立っていた団員と向かい合う。
団員が槍の穂先を上げたまま頭を下げると、勇者も返す。
ただの組み手稽古。それなのに、まるで真剣試合のような緊迫感が勇者からのみ感じられた。
対戦相手の団員は、オーソドックスな槍の構え。いや、槍の流派はそれこそ水天流くらいしか詳しくないが、多分そうだろう。水天流の基本の構えとはちょっと違うものの、腰を落として両手で槍を保持し、前にある左手で勇者に狙いをつけている。
対して勇者は上段の構え……かと思ったが、違うらしい。八双の構えといったか、上段の構えよりも剣は右手側に寄り、そして剣先はやや後ろを向けている。
槍と剣。間合いは間違いなく槍が勝り、そして実戦経験もおそらく聖騎士の方が上。
それよりも何よりも、勇者には勝つ気がおそらくない。
さて、どうなることか。
勇者が構えを取ったのを確認し、テレーズは頷く。そして思い思いに構えをとり向かい合っている団員たちを一度見回し、大きく息を吸った。
「始めぇ!」
開始の声と共に、対戦相手の団員が動く。
ただの突き。けれども、穂先が風を裂く音が聞こえた。
勇者はそれに対して袈裟斬りをするように剣を振り下ろして合わせる。カン、という木同士が当たる軽い音が響き、勇者の耳の横を逸らされた槍の穂先が通り過ぎる。
槍が引かれ、それに引きずられるように勇者が逆に一歩踏み出す。それに伴う先ほどとは逆からの袈裟斬りは、一歩引いた団員に躱されていたが。
間合いの不利をそのまま映すように、団員はその場から突きを繰り出す。
「うっ、あっ……!!」
その突き。関節を狙っているのだろう、肘、膝、と順に打たれた勇者は声を上げた。
当てられたのは多分演技。けれども、声は演技ではないだろう。
実際痛そうで、相手の団員からも戸惑いが感じられた。
そうしてまた続く打ち合い。
軽く打つ程度に留めてはいるようだが、寸止めなどではなく実際に打たれている勇者から痛みの声が微かに上がり続けた。
弱い。
僕の素直な感想はそれだった。
いや、わざとではあるだろう。踏み込みは半歩小さくし、反応できる突きや払いにも反応せずに打たせている。自分の攻撃は槍が合わせられるところにのみ行い、実際、一度まぐれで当たったのを除いて全て防がれている。……しかし、踏み込みも腕の振りも甘い横薙ぎが一度腹に当たった団員の方は、少し反省するべきだと思う。
それでもとにかく、戦場に出て、皆の陣頭に立てるような腕前ではない。そう思えるのには充分な光景だった。
体力も技術も基礎は出来ているようだが、評価としては腕っ節の強い一般人、というところだろう。
「勇者様っ!!」
そして、打たれる度にミルラの声援や単なる悲鳴が響く。端で見ているルルも息を飲んでいる。
明らかな実力の差。『戦いに出られる腕ではない』という演出としては素晴らしい出来なのではないだろうか。
……もちろん、それは一般人に向けた場合には、だが。
「止めっ!!」
テレーズが叫ぶように終了の合図を出す。この訓練、相手は一回ごとに入れ替わるらしい。どう決めているのかはわからないが、聖騎士たちそれぞれの組の内一人が場所を移動し、新たな組が作られている。
今勇者の相手をした男性も息を整えながら頭を下げて、違う組の一人になった者の場所に移動した。
そしてもちろん、勇者の前には新たな団員が立つ。
「よろしくお願いします!」
今度は女性。僕や勇者よりも少し年上だろう。だが槍を構えた姿は堂々としており、年齢以上に貫禄があるように見えた。
重心が先ほどよりも高い。この構えは知っている。水天流の構えだ。すり足も使うが、その他の様々な足捌きを使うために重心の場所が常に変動するのが見てわかる。
型によって全く違う多彩な足捌きを必要とする。月野流が鍔迫り合いからの変化が多彩なように、そのダンスステップに似た足捌きの多彩さが水天流の特徴だろう。
テレーズの開始の声がかかる。
それと同時に、女性団員がふわりと移動を始めた。
「今度は、女性……」
ルルが呟く。目の前で行われている稽古の痛みを想像したのだろう、握りしめられた拳が少し震えていた。
女性団員が、勇者の左斜め前まで軽い動作で移動する。常に移動を続けながら戦う動き。
確証はないが、おそらく水天流の三つの型の内のひとつ、風林の型だろう。
僕が一番多く使うものだ。それしか使えないとも言うけど。
僕の水天流は、僕の育った村でキーチに対するシウムとカソクの指導を盗み見て覚えたものだ。そしてシウムは風林の型、カソクは大火の型を得意としていたらしく、指導も主にその二つに偏っている。
水天流の術理は単純なものばかりだが、風林の型は特にとても単純だ。
作られた経緯も、とても単純。それは、開祖ジャン・ラザフォードの思いつきによるもの。
幼少時に突然去来した、『常に動いていれば相手の攻撃が当たらないんじゃないか?』という思いつきによるものらしい。
子供の単純な思いつき、とだけ侮るわけにもいくまい。
彼が幼い日に思いついたそれとそれに伴い発展した武術体系は、今や国中で使われる武術の一大流派になっているのだから。
勇者の斜め前。左下に向かう袈裟斬りに届かぬような位置で急制動した女性団員が、更にくるりと回りながら身をかがめる。
槍を使わず、伸びた足による下段蹴り。それを脛にまともに受けた勇者は、痛みで顔を歪めた。
そしてそのまま、足を取るために手を伸ばした女性団員。痛みに呻きつつも、勇者は間一髪で足を上げながら後ろに跳んで難を逃れた。
が、完全には逃れられていなかったらしい。
しゃがんだ姿勢から、女性団員が勇者に飛びかかる。立ち上がる勢いを乗せた早い前蹴りが下から突き上げるように放たれ、かろうじて勇者が自分と蹴りの間に挟んだ木剣が、軋みを上げて鈍い音を鳴らした。
……今回は槍の稽古なのだから、槍を使えとも思うけれど……まあ勇者の木剣も許されているようだしいいのだろう。
そして、…………。
どこからか、プチッと音がした気がする。十歩以上離れているこの距離で聞こえるはずないので、完全に気のせいだと思うが。
仕切り直し、罅の入った木剣を構え直した勇者に、テレーズがつかつかと歩み寄る。
「……なん……」
そして、戸惑いの声を上げようとする勇者を無視し、腰に差していたマンゴーシュのような短い直剣を抜き放つと、雷のような速度で振り下ろした。
「…………っ!!」
ミルラが口を押さえて引きつった声を上げる。しかし心配はいらないようで、そのテレーズの剣は勇者の額のわずか手前で止められ、ただ勇者が防御し断ち切られた木剣が、土の上に落ちる音だけが響いた。
ざわ……と少しだけどよめきが広がり、他の団員たちの動きも止まる。それを待っていたわけでもないだろうが、ゆっくりと動きだしたテレーズは勇者の奥襟を掴んだ。
「くっ……!」
抵抗できなかったようで、足をかけられた勇者の体が宙を舞う。前にくるりと一回転すると背中から地面に叩き落とされ息を吐いていた。
受け身は間に合ったようだが、痛いだろう。
「タレーラン卿、何を……」
「何故身を入れて戦わぬ!!」
ミルラが背中に呼びかけるが、その声はテレーズの怒号に掻き消される。
「……俺は、……これが、俺の実力で……」
「ふざけたことを口にするな」
言い訳をしようとする勇者の襟をまた掴み、強引に引き立たせる。膝をつくような体勢になっているが、それでも片手でテレーズは勇者を支えていた。
「なるほど、今代の勇者様は知恵が回るようだ。ここで演技をすれば、戦場に立たずに済むと、そういうわけだろうか」
「…………!」
バレてる。勇者はそういう顔をしたが、そういった演技は出来ないらしい。
そして僕の胃も痛んでいる気がする。今勇者が怒られているのは、半分以上僕のせいだし。
「しかしそれは、この場にいる全ての人間に対して……いや! 今まで勇者様の鍛錬に関わってきた全ての人間に対しての失礼だと、何故気づかない!?」
「……それは……」
「トラムもセッチも、今の組み手は何の役にも立たないだろう。無駄な時間を取らせた。それに、貴様……勇者様の不出来は師の不出来。貴方の師の指導に問題があったのだと思われても仕方がない」
いや、気づかなかったのは僕で、……今になって、なるほど、そういう見方もあるのかと思うくらいだけど。
ルルの後ろで冷や汗を若干かきながら見守る僕のことなど知らずに、テレーズは続けた。
「今日の訓練参加、勇者様の意図に気づかなかった私の手落ちは認めよう」
「タレーラン卿……」
「ミルラ様はお控え頂きたい」
止めようとするミルラを、テレーズが一度振り返り牽制する。
「口にしておきましょう。私は、勇者様を指導する任を受けている。けれども、受けたくもないのならばそれで結構。私が首を縦に振るまで、勇者様は戦場には出させませぬ」
「……え……?」
「力不足のまま戦場に放り出し、命を無駄に散らせる愚の責任を、私は取る気はない」
「テレーズ!」
ミルラが叫ぶ。それに対して振り返らないのは明らかな無礼だが、それでもテレーズに後ろめたいところはなさそうだった。
「貴方の仕事を放り出すというのですか!?」
「放り出しなどいたしませぬ」
団員たちも、もはや動きを完全に止め、構えまで解いてテレーズの言葉を待っている。彼らにかけられる言葉ではないのだろうが、行く末はやはり気になるのだろう。
「王から請け負った、勇者の指導という任。確かに全ういたしましょう。けれども、精神の鍛錬や手入れまで請け負ってはおりません」
テレーズは、落ちた木剣の先を拾い上げる。割れて罅が入っていた上に、切断されたその木剣はもはや使い物になるまい。
「ここは稽古磨きのための場。勇者様、心中はお察し致します。しかし申し訳ありませんが、今日はお帰りください」
「…………」
起き上がり、ただ無言で話を聞いていた勇者は、微動だにせず唇を結ぶ。いや、本当に今日は申し訳ないのだけれど。
動かない勇者にわずかに溜息をつき、テレーズはミルラの方を向いた。
「ミルラ様、訓練を再開いたします。どうか勇者様を連れて帰っていただけますよう」
「…………後悔しますよ、タレーラン卿」
「何のことだがわかりませんな」
ミルラとの会話を終えて、テレーズはまた勇者を見る。
「勝手な期待と、重ね重ねの無礼。重ねて、お詫び申し上げる」
そして深々と頭を下げてから、もう勇者は視界に入れずに団員たちへ向けて口を開いた。
「……何をしている!! 止めの声はないぞ! 五本追加する!! 続けろ!」
そんな言葉を聞いてる最中に、僕へと視線を向けた勇者。その気弱な視線に、僕はどう謝ろうかと必死に考えていた。
とりあえず、いつがいいだろうか。おそらく彼が一人になる時間は日中にはないだろう。
今夜あの場所に来てくれるといいんだけど。