夜更けに
「しかしまあ、どうするんですかね」
「さあな」
勇者召喚から三日経った。
夕食も終えたルルは部屋に戻り、それに伴いオトフシと僕も待機に戻る。
僕たちが待機しているのは、ルルの部屋の玄関から一つ入った部屋だ。
玄関と言ってもそれ専用のものではない。僕たちがいるのも、ワンルームのようなリビングを木製の衝立で区切っただけの簡素な待機室。そこに椅子を三脚置いて、玄関からリビングに向かう間の緩衝地帯のようなものを作っていた。
そしてそれでも、貴族令嬢たちに与えられた大きな部屋故に、衝立を立てるだけで超小型の会議室のようなプライバシーが確保されていた。
ルルは今、食後の読書中。ここへ移住してきたときに僕が運んだ重たい文机で勉強をするような形で、揺らめく炎の光の下で歴史書を読んでいる。
サロメが淹れた夜食代わりのお茶に似た薬湯の匂いが、部屋の中に薄く漂っていた。
これでルルが寝室に移動し就寝すれば、オトフシは部屋の戸締まりをして出ていく。そうしてようやく僕も寝ることが出来る。
未だにどこでオトフシが寝ているのかは知らないけれど。護符のような紙を扉に挟んでいくのでまあ用は為しているのだろうが、『乙女の秘密だ』は本来通らないと思う。
待機中の僕たちに、あまり会話はない。
だが、何の気なしの世間話はやはりそれでも発生する。少ないそれの話題は、やはり僕たちの間でも『勇者について』になってしまうのだが。
「もうそろそろ訝しんでいる者も大勢出てきているからな。このままというわけにはいくまい」
爪の先を磨きながら、オトフシは僕の言葉に応える。キッ、キッ、とヤスリが動く度に微かに音が響いた。
勇者は、今日も晩餐会に出席しなかった。
夕方になると毎度訪れるその報せに、今日はもうサロメも担当者が口に出す前に察している様子だった。『またですか』と笑い合うその仕草に、ご近所付き合いのようなものを感じたのは秘密だ。
「勇者の戦争拒否のため、令嬢たちもこのまま解散で……となると楽なんですが」
「フフン、理想ではあるな」
僕の本気混じりの冗談をオトフシは鼻で笑う。それから僕の方へ視線を向けないまま指先に息を吹きかけると、白い布で拭き始めた。
「だがそうはなるまい。これだけの貴族が関わった事業だ。このまま終わるわけがない」
「強引に引っ張り出しますかね?」
「尊い御身だ、それも難しいだろう。故に王も苦慮しておられるよ」
ククク、とまるで見てきたようにオトフシは笑みを浮かべる。……この反応は多分、まるで、ではないな。
「まあ妾たちが気を揉むようなことではない。勇者に関わる行事がなければ、それだけ貴族子女たちの交流も静かで、妾たちの仕事も減る。今はこの状況をありがたいと思っていればいいのだ」
「ま、楽でいいですけど」
僕は天井を仰ぐ。背中が伸びて筋肉の擦れ合う音が耳に響いた。
薬湯の匂いに、オトフシが爪に塗っている樹脂の臭いが混ざる。
……爪の手入れに、読書。皆暇つぶしの趣味を持っていて羨ましい限りだ。僕も読書は楽しめるが、手持ちの蔵書はほぼ暗記してしまっていて読んでいて退屈だ。ルルに借りるか、……もしくは王国の図書室からくすねてでもこようかな。
「そういえば、お前の方はどうだ? 何かオルガと話したか?」
「オルガさんと、ですか」
その名前を聞いて、僕はぎくりと表情を固める。いや、何もないならそれでいいんだろうけれど、何となく常に僕の精神に緊張を与えている存在だ。
「……何も。仕事中はずっとサロメさんの側にいますし」
おそらくオトフシも彼女と会話してはいないだろう。未だ再会の挨拶もなく、それで済んでしまっているのが問題なのだが。
そして、彼女もこの部屋にずっといるわけではない。この部屋担当ではあるが、渉外するように姿が見えないこともある。
要は、用事がないときにはここにいないのだ。そして用事があるときには、サロメについて忙しそうに走り回っている。業務範囲も違うし、話すことも出来ない。……三分の一くらいは、僕の心理的抵抗もあるだろうが。
「再会を祝して、抱きしめて花束を贈るくらいやればいいものを」
「それ、叫ばれたら僕犯罪者じゃないですか」
花束を贈るまでならばまだしも。というか、そんな仲ではない。
話題を変えるように、僕は外を向く。
いや、話題を変えるためではない。
今までの世間話が嘘のように、僕たちの間に緊張が走る。
オトフシが爪のヤスリを共用の小さなサイドテーブルのようなものに置き、その天板を苛つくように指で軽く叩いた。
「……誰ですか」
「まだ見えん。だが、複数人だ」
夜も更けた最中、僕たちが感じているのはこの部屋を目指す客人。
僕は足音で、そしてオトフシは紙術を使った視界でだろう、共に誰かがここに来るであろうことを察した。
夕食後で、もう深夜とも言えなくもない時間帯。使用人を除いて廊下を歩く者などほとんどないのに。
忍んでいる様子もないので、廊下に幾人か立っている衛兵も気がつくだろう。だが、気づいているのに止めもしないのは、不審者ではないということだろうか。
「…………」
オトフシが、ごく小さく舌打ちをする。この反応、相手が見えたらしい。
「……サロメ殿」
そして衝立から顔を出し、小さく名前だけでサロメに合図を送る。それに応えて、サロメがこちらに歩み寄ってくる。ルルも顔を上げた気配がするが、彼女はただ座ったままこちらを向いただけだ。
しかし、サロメを呼んだ。つまりは、やはり客人か。
「警戒はいらないようだ。……だが、厄介だぞ」
「厄介?」
「ああ」
言い終わらないうちに、玄関の扉を小さく叩く音が響く。僕たちの横まで来たサロメが、それを聞いてオトフシを向く。
「出てもらえるか。ただし、最上級礼で」
「どなたですか?」
「姫様だ」
オトフシの言葉を聞いたサロメが身を正す。
姫様。小さな少女を揶揄して指すこともあるだろうが、今回のそれは、もちろんそういう意味ではあるまい。
僕とオトフシも、一応立ち上がりそちらを向く。衝立の横を通るときに目に入る以上、粗相は出来ない。
サロメもさすがに緊張するのか、唾をゴクリと飲み込む。それでも気丈に扉に手をかけると、ゆっくりと開いた。
「失礼いたします。こちら、ルル・ザブロック様のお部屋で間違えないでしょうか」
まず見えたのは、侍女らしき女性。僕よりも小さく、女性としても小柄な体格。
「はい」
そしてサロメの応答に頷いて、その奥から一歩踏み出したのは、勇者召喚の時に見たその人。この国の第一王女、ミルラ・エッセンだった。
「楽になさいませ。今この場は私的な場」
部屋に招き入れられたミルラ王女は、ルルと差し向かいでソファーに腰掛ける。この国において上座といわれる竈から最も遠い席に迷いなく腰掛けた彼女は、その言葉に違わぬような簡素なドレスを纏っていた。
「相談がございますの」
「相談……ですか?」
「ええ」
ルルが問い返すと、ミルラは頷く。そしてその後、僕とオトフシをちらりと見た。
「……人払いをしてくださる?」
「何故でしょうか」
「余人に聞かせるような話ではないのでございます。貴方と私、それだけで」
「彼らは私の護衛です。……恐れながら、彼らにこの場から立ち去れというのであれば」
「お願いします。内密な話なのです」
「彼らも秘密は遵守するでしょう」
ルルがミルラの言葉にそう言い返す。何故だろうか、少しだけ、目つきが険しくなった気がする。それに、語調にも力が……。
「探索者のような者たちがどれほどの者ですか」
「…………」
そして、僕が目を細めたのが自分でもわかる。慌てて表情に出さないように目の力を抜いたが、誰にも見えなかったことを祈るばかりだ。
「では、ここだけ命令としましょう。出ていきなさい、これはエッセン王国王女としての命令です」
「っ……」
僕とオトフシを見て行われた命令に、ルルが息を飲んだ。だが、それからルルが僕らに対して頷く。意図は伝わった。……もちろん、ルルが抗命することなど望んでいないが。
僕とオトフシは揃って頭を下げて、部屋を出る。玄関から出ればすぐに下男下女や侍女の二人も追ってくるように出てきた。彼らもか。
命令以後、僕たちのことを見ることもなかったミルラ王女の顔を思い浮かべながら、僕は頭を掻いた。
オトフシが溜息をつく。中に盗聴器のように紙燕は残してきているようだが。
「……何の話でしょうか」
「さあな。まだ我らのことを気にはしているようだ」
僕とオトフシは、扉越しに中を眺める。その奥で、ミルラがこちらを窺っていることがなんとなくわかった。
「談話室を開けております。申し訳ありませんが、そちらで時間を潰してはくださいませんか」
ミルラの侍女が頭を下げる。彼女は扉の前に待機しているらしい。それに、サロメも一応ここにいてもいいらしいが。
本当は僕も透明化して中にいられればよかったのだが、扉が閉まっている以上そうもいくまい。……こういうとき、スヴェンのような魔法が使えればと思ってしまう。扉を使わず壁を突き抜けて入る術。便利だが、僕には理解できないものだ。
「オトフシ殿、カラス殿、ここは……」
「わかっております」
僕も頭を下げ、オトフシを見る。……まあ、オトフシが中を見ているので、ここを立ち去ったところで構わないか。
僕もオトフシも、談話室への移動を始める。
歩いて一分もかからない場所。共有スペースのようなところだが、深夜には火が消えているはずのそこに、明かりが灯っていた。
壁に手をかけると、木を編んだ飾りが手に触れた。扉もないそこに、足を踏み入れる。
「…………」
だが、何だろうか。ここで待っているのも退屈な気がする。下男下女が壁際に座るのを見ながら、僕はそう思う。
……散歩でも行こうか。
「情報の共有は、後で」
「ああ」
一応オトフシに声をかけて、僕はすぐに部屋から出る。
暖かな部屋から暗い廊下に足を踏み出せば、何となく気分が楽になった。そんなにも退屈していたのか。
廊下を歩き、外の空気でも吸おうかと、僕は中庭から屋根の上に飛び乗った。
足の赴くままに、まだ夏が来ていないように冷えた石の屋根を革靴が叩き続ける。
不思議なものだ。今まさにこの屋根の下には何百人といて、それぞれ生活をしているというのに。夜というだけで、街の方が騒がしい気がする。
立てていない足音が響いている気がする。
見上げれば、満月ではないが、大きな月。
クレーターまでよく見える。ティコの海や氷の海は見えないが。
ふと足下で音が鳴る。今度は気のせいではない。
ごく細く小さな木の枝を踏んだらしい。パキと乾いた感触がした。
それに気を取られていたのか。
それとも、……今になって思えばその前からだろうか。
背後で衣擦れの音がする。足音さえ立ててきているはずなのに、全く気がつかなかったというのは失態か。
僕は振り返る。誰かがそこにいると感じて。
透明化しようと思ったが、もう遅い。向こうはもうこちらに気がついている。
風が僕の髪の毛を揺らす。頬に張り付いた髪を無視して後ろを見れば。
「……あの……」
「……こんばんは」
本当は跪かなければいけないのだろう。
跪いた上で向こうの言葉を待たなければいけないのだろう。
だが僕の口は、目の前の男性にそう呟くように言葉を吐いた。
「……こ、こんばんは」
そして目の前にいた勇者ヨウイチ・オギノは、辿々しく挨拶を返してきた。




