北風と
ひとまず、といった感じでカンパネラは顎を上げる。その動きで、夕日に顔が照らされる。
それから殊更に笑みを強めて、僕を見た。
「見誤っておりましたね。カラス殿は、以前見せた魔法も本息ではなかったと」
「まあ。あれはあの場の思いつきでしたし」
「……なるほど。それこそ、〈二衣〉のシャードの弱点でした」
ふふ、と笑い合う。その通りだ。先ほど鎧男の話した能力からすれば、その場での思いつきでの攻撃に奴は弱い。いや多分、打撃だと限界があるから魔法使いか魔術師限定の手段だろうが。
「……僕の決闘相手が、その後忠告した魔法使いの一人だと、知ってましたね」
「…………」
問いかけると、笑みを浮かべたまま沈黙する。だが、またすぐにパカリと口を開いた。
「申し訳ありませんが、私にも立場があります。未だムジカルに与していない貴方に、全てをお話しするのは無理がある」
「そうですね」
それを言われると反論できない。そもそも詰問しようとも思っていないが。
「奴らはそれぞれが万人力とされる猛者たちでしたが、お二人の前ではやはり犬も同然だったようで。〈狐砕き〉に〈血煙〉、情報の更新が必要だ」
ははは、と笑うが目は笑っていない。怒ってはいないと思うが、真剣なのだろう。
たしかに、彼にとっては重要なのだろう。僕はまだしも、ほぼ戦い方など知られていないレイトンの戦いぶりを見られたのだから。
……見られたのかな?
パチン、と指を弾く音がする。鳴らしたのは、会話に加わっていなかったレイトンだ。
「名前も名乗らないなんて不躾じゃない?」
「……これはこれは」
からかうような笑みを向けたままのレイトンに、カンパネラは物腰を柔らかくする。
笑みを目元まで広げると、わずかに頭を下げた。
「失礼いたしました。私、カンパネラと申します。レイトン・ドルグワント殿」
手を胸に当てる動作は、僕と会ったときと同じ。
しかしその指先がわずかに緊張しているように見えた。
レイトンは座り直す。だが背は壁につけず、おそらくすぐに立ち上がれるようにとの警戒だろう、あぐらのように畳んだ膝を、床からわずかに浮かせた。
「ぼくのことも知ってるんだ?」
「貴方の名前はそこかしこで耳にしましたから。貴方に殺されたとされる死体が、血塗れで見つかることが多いために〈血煙〉と呼ばれる。その他、剣を抜いた姿を見た者がほとんどいないことから〈不抜〉や〈鈍色〉とも。しかし、奇剣の使い手とは」
「……カラス君を勧誘したのはきみだね」
「…………」
沈黙でカンパネラは肯定する。ちらりと僕を見たが、助けを求めているわけではないらしい。
「カラス君一人いようがいまいが、きみたちにはあまり影響ないと思うけど」
「そんなことはありませんよ。たとえば先ほどの魔法、対軍勢にあまりある。私たち魔法使いの本懐といったところで」
「手を引きなよ。カラス君はムジカルにつかせるわけにはいかない」
「それは本人が決めることでしょう」
「…………」
揃って視線をちらりと向けられ、少し居心地が悪くなる。
なんとなく険悪な雰囲気だ。声を荒げたり、罵り合ったりしているわけでもないのに。
馬車が揺れる。突然一人増えたが、馬たちにとってはそんなもの些細なことらしい。
だが、レイトンを確認し、より足を速めた気がする。
一瞬の沈黙の後、カンパネラが口を開く。
「……勇者の語ったとされる話。『北風と太陽』というものをご存じでしょうか」
「『イソップ曰く……』で始まる話の一つだったっけ。勇者の語った話の中では、随分と小さなものだけど」
「旅人の服を脱がせる賭けをした北風と太陽が、それぞれの能力を生かして奮闘する話」
道が曲がったために馬車がまた揺れた。一歩、カンパネラが左にずれる。
「馬を恐怖で走らせる。貴方はまるで北風だ」
「それがどうしたのかな?」
「恐怖からの逃走は、一時の状況を作ることは出来ても長くは続かない。信頼された御者の操作には及ばないということです」
「見解の相違だね。道に沿って走ることさえ出来るのならば、馬車の用は足せる。それ以上を望むのは単なる自己満足だ」
「では、そんな貴方がカラス殿に望むことはなんでしょうか?」
「…………」
今度はレイトンが、笑みを崩さずに口を閉ざす。
空気を読めない僕ですら、なんか嫌な雰囲気なんだけど。
「有能な人材は国の宝だ。カラス殿に限らず、有能な人材なら私はラルゴ様に推挙する」
そっと、カンパネラの魔力が展開される。魔力波でわずかに読み取ることが出来たこれは……四本指……かな?
「しかし貴方はいけない。太陽たるラルゴ様の配下に、北風たる貴方は相応しくない」
「ヒヒヒ、こっちから願い下げだね。勝手に押しかけてきて不合格判定って結構な失礼だと思うけど」
ケラケラとレイトンが笑う。だがその手も、静かに剣の柄に向けて動いていた。
「幸いにも、この辺りはまだフラムの部下が襲撃したような『騒ぎにならない場所』。貴方一人を先に処理したところで、……」
カンパネラの言葉が止まる。
馬車が揺れた。
そして、鮮血が飛んだ。
「…………」
沈黙が流れる。レイトンとカンパネラ、双方が微笑みながら向かい合ったまま。
そして、沈黙を破ったのは、レイトンだった。
「……驚いたね」
「こちらの言葉です。まさか、もう既に動いていたとは」
カンパネラの首の横側から、血がツツと流れ落ちる。だが、首が飛んではいない。ただの浅い切り傷で、命に関わるものではなさそうだ。
レイトンの手元にある剣は、鯉口が切られているように少しだけ抜かれていた。
「シャードではありませんが、予習はしてある。あの霧の中で」
「…………」
「やはり貴方も難物の一人だった。動きを封じていてもなお、恐ろしいことに変わりない」
「きみも、変わった魔法を使う」
レイトンは笑いながらも微動だにしない。……いや違う、これは、動けないのだ。
「……でも、こんなもの……」
レイトンの身体から白い光がわずかに散る。それでもまだ、レイトンの身体は微動だにしない。動けない金髪の代わりに、軽く掌を天に向け、カンパネラが諭すように言った。
「魔法の解除も無理でしょう。諦めてください」
レイトンが笑みを崩さず視線を漂わせる。確認しているのだろう、身体の動きや、僕やカンパネラや自分の取っている対処を含めた様々な反応を。
だが、見ていてもやはり身体は動いていない。目や指は動くようだが、身体全体が座ったまま固まっているように。
「……さて、どうしようか。処理するとは言ったものの、ここからが難しそうですね」
「殺すんだろう? なら、ひと思いにやりなよ」
事も無げにレイトンは言う。まるで、自分の命に価値など感じていないように。
「それも難しい。手足の動かない貴方といえど、近づいただけで私の予測できない何かしらの手段で殺されてしまいそうだ」
見下ろしたまま、カンパネラも動かない。左耳の前に一滴垂れた汗に、緊張を感じる。
「また、殺してしまってカラス殿に恨まれてしまっても不本意ですし……」
「それは気にしないでいいと思うよ」
ね、とレイトンは目だけこちらに向けて笑いかける。正直頷きたいが、頷いていいものだろうか、これ。
「ぼくが死んでもカラス君は気にしない。精々が、この先の展開が読めずに途方に暮れるだけのことだ。気にせず殺して彼を懐柔しなよ」
「何の駆け引きでしょうか」
カンパネラが僕をちらりと見る。だがレイトンの言葉を否定せずにただ見ていただけの僕を確認すると、クスリと笑って頷いた。
「ではそのように」
一歩カンパネラが小さく踏み出す。傍目には、どちらの間合いにも入っていない遠間に。
だがその足が不可解な形だ。そこからまた一歩踏み出すようなものではない。まるで、前足でつま先立ちをするように、つま先にだけ力を入れて立っている。
「それでは……」
「止まれ!」
レイトンが叫ぶ。僕やカンパネラに向けてではない。
おそらくは、馬に向けて。
そして馬たちはその意図を汲まないまでも、指示に従ったのだろう、馬車を急停止させる。
苦痛混じりの嘶きが聞こえる。荷台の質量を急制動するために、相当な力を入れているようで、転ぶように二頭が体勢を崩す。
もう一頭がかろうじて足を残すが、それでも勢いに負けて馬車の進行方向をねじ曲げる。
馬車が横倒しに倒れそうになるほど傾く。首をねじられた馬が、それでまた苦痛の声を上げた。
僕は転がらないように、壁に手をついて念動力で固定する。即席のシートベルトのようなものだが、それよりもきっと高性能だ。
「……ちぃっ!!」
舌打ちをし、カンパネラが壁に手を当てて跳ねる。逃げるように後ろに向けて。
「逃がさない」
動けるようになったのか、レイトンがそこに向けて一歩踏み出す。振りかざされる剣。だが、夕日を弾くその剣の先がカンパネラの掌に直撃しながらも、その剣が突き刺さらない。
剣の勢いに押されるようにカンパネラが馬車から押し出される。
苦し紛れのように横に飛び、また道の後側まで戻っていった。
それを追うように飛び出したレイトン。
しかしその足は、馬車から出たところで止まった。
レイトンが剣を向ける。まっすぐに、カンパネラに向けて。
「……なるほど。この時間、この場所ではぼくは不利らしい」
「想像以上に厄介な……!」
交わされる言葉は会話になっていない。
カンパネラが苦々しい顔でレイトンを見つめる。
この男の営業用でなさそうな顔を初めて見た。まだ会って二回目なのに、驚くようなことでもないと思うが。
「万が一、というのが今のぼくには避けたい事態だ。帰ってくれないかな? お土産はたくさん持たせてあげただろ?」
「充分いただきましたとも。貴方の首を取れれば、もう一つ……」
カンパネラが掌を下にして右手を前に出す。そしてそのうち、どろりと何かが滴り落ちてきた。
……血か、と思ったが血ではない。ただのどろりとした黒い液体らしきもの。墨汁のような臭いもしないし、それよりももっと粘性のある艶のある黒。
だがそこで、カンパネラの動きが止まった。そのうちに、黒い液体は霧散して消える。
「ですが、ここから先は私の有利は消えてなくなる。いいでしょう、痛み分け、ということで」
「きみは何も痛い思いをしていない。不公平だね」
「私の手の内を明かしてしまった。それで公平でしょう」
パサリとカンパネラが腕を下ろす。また顔が微笑みを帯びる。
夕日に照らされて赤く染まっていた顔が、日の入りが始まり少しだけ陰を纏った。
「……暗くならないうちに帰りなよ。夜の暗闇は君には眩しい」
「ここで逃がして後悔すると思いませんか?」
「思わないね。既知の現象は、もはや脅威たり得ない」
「……そうでしょうかね」
カンパネラの髪の端がまた透けて消え始める。最初に現れたときの逆再生のように、溶けてゆく。
「これからエッセンとムジカルの間に始まるのは戦争です。大いなる渦の最中では、人はどんな小さな石ころにも躓くものだ。……私は〈成功者〉の名の下に、後悔する方に賭けましょう」
「そ」
する、とまた消える。呼吸音はまた残っている。地面の中……? どこに……。
探そう、としている間に、馬の嘶きで呼吸音が掻き消される。そして、魔力圏を通して探査した場所には、もうカンパネラはいなくなっていた。
ふう、と一息ついて、レイトンが剣を鞘に納める。
それから僕を見た。
「さて。望まない来訪者は帰ったようだ。ぼくらも行こうか、馬たちの機嫌を取りながらね」
「まだいませんかね?」
一応一度、魔力波を飛ばして確認する。だが、僕の確認できる範囲にはいないようだ。確実とはいえないが、多分。
「いないよ。彼の魔法の使い方を見るに、夜は彼にとって苦手な時間だ。日も沈みつつある今はもう、戦うことは出来ないだろう」
レイトンも、自分の言葉に「多分ね」と付け足す。いつもの断言もなく、珍しい気がする。
レイトンがまた馬車に近づくと、馬たちが慌てて身を起こす。
しかし一頭の様子がおかしい。どうかしたかと近寄れば、左の足があらぬ方向に曲がっていた。
「おや」
「治しますね」
さすがに可哀想だ。怪我をした馬に僕が近寄ると、一度レイトンを見て、それから静かに目を閉じる。なんとなく、介錯でも覚悟したかのような顔つきだ。
涼しげに無表情で、そして他の二頭は心配そうにその顔を見つめていた。
いや、覚悟されても困る。
馬の治療はなにげに初めてだが、人体とそう変わりはない。
引っ張り整復をしながら骨を固定する。瞬く間に治った骨折だったが、それでも馬はきょとんとした顔で僕を見つめて動かない。
「立ってください」
「…………?」
話しかけても、当然のように馬は無視する。レイトンの言うことしか聞かない気か。
レイトンを促すように僕が見れば、レイトンは意を汲んでくれたらしい。
静かに歩み寄ると、足を折ったままの馬の首をそっと撫でた。
馬が震え、そして立ち上がる。
恐怖を思い出したらしい。
僕らが荷台に戻れば、馬たちは先ほどまでと同じように走り出す。よかった、筋肉や筋には後遺症はないみたいだ。
病状が聞けない。言葉が通じないとは、なんと不便なことだろうか。
それからは襲撃も何もなく、何の困難もなく馬車は月明かりの中を走っていった。
街に着いた頃には、既に夕食時も過ぎた夜更け。
食堂での食事は望めないわけではないが、なんとなく僕らは近くの森で取れたいくつかの果実で夕食を済ませた。
寝泊まりも、馬車の中。
とりあえず明日の朝から騎獣を含めた次の交通手段を探すと決めて、僕らは寒々しい木の床で眠りにつく。
次の日には、見知らぬ鳥の声で起こされて朝を迎えた。
安眠。僕にとっては何の不自由もない生活。だが、こんな風な生活を、王都まで毎日繰り返すのだろうか。
なんとなく感じたどんよりとした気持ち。朝日を見ながらそれを振り払うように首を振る。
そんな風に、レイトンとの旅の日程は過ぎていった。