経験の差
倒れた男の後頭部を見つめて、僕は手に力を込める。
前回は気絶に止めたが、今回は完全に酸素を遮断した。死に至るほどの酸素欠乏の強度だったはずだが、さすが魔法使いというべきだろう、まだ息がある。
止めを刺しておこう。首と胴体を切断すれば、さすがに長くは生きられまい。……いや、スヴェンや先ほどの男の例もあるから、その上で焼いておこうかな。
さらに念のため、内傷を与えたほうがいいだろう。
一歩歩み寄り、男の持っていた剣を掴み上げようとする。
だが。
「ハ、ハァ!」
剣が動く。それも、男の腕に力強く支えられた動きで、まさしく攻撃。
銀閃が地面を薙いだ。
「……危な!」
危うく脛を切られそうになり、僕は飛び退さる。
腕を振り切り、それから顔を上げた鎧男は、土で顔を汚しながらも笑っていた。
「今何かしたでござろうか! いや、毒の攻撃といえど軽い軽い!!」
ぶるぶると膝を笑わせながら、鎧男が立ち上がる。地面にぶつけた鼻から、血が噴き出す。
剣が僕に向けられる。微かに震えているが、それでも力強く。
……おかしい。こんなに早く意識が戻るとは。
魔法使いとはいえ、意識のない状態からの復帰はそれなりに時間がかかるはず。
意識を失っていなかった? 無酸素の空気を吸って?
「毒ではないんですけどね」
「だがその攻撃はもう覚えたでござれば!! ハハハッ、カラス殿攻略完了でござる!!」
もう一度、先ほどと同じような攻撃が始まる。
剣の調子が上がっている。以前の決闘と比べれば格段に違う。あの時は擬態だったか。
魔力の込められている突きが僕の障壁を突き破り、僕の喉元へと迫る。
「逃げてばかりでは捕まりますぞ!!」
身を引いて躱せば、鎧男が足を送って更に突きが伸びる。身をかがめてそれを回避すれば、翻した手首に合わせて剣先が追ってきた。
地面に手を突いて、鎧男の足首外側を蹴る。
だが、固い。まるで岩を蹴ったかのように。
「足首への打撃! 三十二年前の戦で体験済みでござる!!」
構わず、鎧の関節部分に打撃を加えてゆく。しかし、それでも鎧が壊れることはない。刺剣でも用意しておくべきだったか。
「右肘部分! 二十五年前!! 左膝! 四十五年前!!」
ゆっくりと剣が僕の方を向く。いや、実際はゆっくりでもないんだけど。
「無駄!!!」
鎧男の膝を足場に跳んで距離を取る。突きは、僕の目のほんの少し前まで迫っていた。
息を吐いた僕に向けて、無精髭越しに男の歯が光る。
「おいには二度の攻撃が通用しないでござる。〈二衣〉。この無敵の身体には!!」
「……以前何か違う名前を名乗ってた気がしますけど」
僕は思わず突っ込みを入れる。覚えてはいないが、もう少し短い二つ名を名乗っていなかっただろうか。
まあ、そこまで全て嘘だったというのが真実のようだが。
僕の言葉に応えて、鎧男がケタケタと笑う。
「誰が呼んだか〈三孔〉とな! ハハハ! もちろん誰も呼んでござらん!!」
「そうですか」
土を掴んで塊にし、鎧男の頭部に投げ当てる。
目潰し。それに乗じて一足飛びに直接顔を蹴るが、防御もせずに男は受けた。
「まだわかっていないようでござる。カラス殿の攻撃、それに魔法はおいには通用しないと」
無防備なままに振り切られる剣。宙を返って躱したはずだが、着地した僕の鼻先にちくりとした痛みが走った。もう少し鼻が低ければ当たらなかったのに。
確認してみたが、剣に毒を塗布しているなどはないらしい。血を擦って落とし、傷口を塞げば元通りだ。
「毒の空気でござったか? 強力なもので、なるほど、ジャーリャでその名が囁かれていた理由がわかるというもの」
殊更に、鎧男が深呼吸をする。僕は今何もしていないが、それでも毒など効かない、というように。
「それに、肉弾戦で拳に念動力を乗せるのも魔法使いの常套手段! そんなもの、六十年以上前に克服済みでござる」
二三度、剣を空振り、鎧男は僕に寝かせた剣を向ける。艶のある刀身に歯が映る。
「わかったでござろう。カラス殿は、おいに打つ手なく、そしておいの攻撃はカラス殿にも通る。もはやおいは、手も足も出ないカラス殿を一方的に叩きのめせるのでござる」
伸びる突き。今のところ躱せてはいるが、それでも当たりそうなほど鋭く、おそらく達人の域には入る。剣術を修めているのも本当なのだろう。
躱しながら下がる。今のところ僕が防戦一方なのも本当だ。
「……まあ、理解はしました」
なるほど。無敵、そうかもしれない。
こっそりと試してみても、もはや無酸素の空気は全く何の効果も見られない。おそらく我慢しているわけでもなく、本当に何も感じていないのだろう。
魔法が通用しない。念動力も、ということはそれによる切断も不可なのだろうか。思い切り力を込めてみたらどうなるかはわからないが、それでもなかなかしぶとい。
……よく考えてみたら、わりと珍しい敵だ。スヴェンのように魔法を上書きするでもなく、闘気を使うでもなく、僕の魔法に抵抗している。
だが、ならば。
違う手を使うだけだ。
「フッ!!」
細剣の突きが迫る。その突きの腕を回り込みながら、身をかがめて前進する。
鎧男が左手にサイドアームを持っていないのはそれなりに幸運だったか。思う存分接近できる。
細剣を握った右手が戻る前に。
手首を右手で掴み、左手を下から腕に絡めるようにして二の腕を掴む。
「……ぅむ!?」
肩を鎧男の脇の下に入れて持ち上げるようにして、そして足で軸足を蹴り上げる。
手首を押さえているから剣は使えまい。
パン、という弾けるような音と共に、鎧男の背中を地面に叩きつけた。
息が抜けたような仕草。
だが、苦しいわけではないらしい。鎧男の笑みは消えていない。
「……じ、地面からの衝撃! 七年前!!」
「そうですか」
残心はなく、放した左手で拳を作り、下段突き。
「えぎゃっ……!?」
頭部を狙ったが、さすがに急いで目測を誤ったか。僕の拳は鎧で覆われていない下顎辺りに直撃し、ボゴ、という音を立てた。
出血が飛ぶ。闘気を込めた攻撃はやはりそれなりに通用するらしい。
……しかしそれでも思ったより固い。潰す気で殴ったのに、変形するだけとは。
魔法による強化、というよりも、魔法による変質に近いのだろう。言葉の通りならば、闘気への耐性もあるのだろうか。本当に珍しい魔法使いだ。
「えひぇひぇええ!!!!」
握りが固く、投げたときに確保できなかった剣が振り回される。痛みに呻く顔のまま、目を閉じているので特に脅威ではないが、それでも追撃を躊躇させる程度の勢いはあった。
引き抜いた拳から血を伸ばしながら、僕はまた下がった。
勢いよく起き上がり、鎧男が自分の顎に手を這わせる。上前歯は全損し、鼻までひしゃげるほどの攻撃だったが、まだ立てるようだ。
しぶとい。
涙目になりながら、鎧男は僕を睨んだ。
「な、なにほ!?」
「さて、なんでしょう」
構わず飛びかかり、その千切れかけた顎を拳で捉える。
男の身体が半回転する。下顎が千切れて飛んだ。
空中にある身体を蹴り飛ばし移動させれば、霧の中に消えていった。
もちろんすぐさま追う。
木に激突した音。近づいて見れば、這々の体で、その木によりかかり逃げようとしている姿。
必死なのだろう。彼も任務で来ただけということを考えれば、可哀想な気もする。
「同格以下の魔法使いには、たしかに無敵でしたね」
「…………」
言葉の代わりにボトボトと血を垂らしながら、鎧男が僕を睨む。
睨まれても困る。死んでも構わない襲撃を仕掛けてきたのは彼らだし、鎧男の剣撃も、当たれば死に至るものがいくつもあった。
「攻略するには、強い闘気による攻撃が必要。多分昔なら魔法使いでも通用したんでしょうが」
おそらく、この前酸欠で殺していれば素直に死んだのだろう。半端な攻撃を加えてしまえば、克服され、同じ攻撃が通用しなくなる。それはたしかにこの男の怖いところだ。
仮にこれで治ってしまえば、今度は顎への闘気による攻撃が通用しなくなるのだろうか? まあ、そこまで治させる気もないけど。
「でも、他にも貴方に通用する攻撃もある」
要は、この男が体験したことがなく、そして一撃で死ぬ攻撃ならばいいのだ。
ならば知っている。体験すれば、死んでしまうかもしれない攻撃。
ちょっと試してみよう。僕が耐えられるかわからなかったもの。あのスヴェンも、耐えられそうにない攻撃。
せっかく魔法使いと敵対したのだ。試してみるのも悪くない。もしもこれで死ななければ、殴り殺そう。
「……ひゅ、ひゅい……」
魔力を解放し、前方、血を吐いている男を覆う。その向こう側まで。さすがにそろそろ獣たちも逃げているらしい。
「さようなら」
熱波が飛ぶ。
プシュッ、という音がした。
「…………」
僕は、自分が使った魔法の跡を見て愕然とする。
やりすぎた、というよりもここまで威力があったか。範囲も限定的にしたはずだが、余波が酷い。
僕の目の前、放射状に百歩分ほどの距離までの霧が晴れ、森が焼け爛れて地面が赤熱する。
範囲外の木が熱の余波で焼けて、めきめきと音を立てて倒れる。
とろけた地面。地表が溶岩へと変わり、正直他に何も残ってない。
霧もなく透き通った空気が、陽炎のように歪む。気温も上がり、障壁も張ってあるはずの僕の額に汗が浮かんだ。
鎧男の姿はない。もちろん、逃げたわけでもなく、一瞬のうちに炭化し崩れる姿を確認している。
鎧は溶けてもはや地面と見分けが付かなくなり、もしもあれで死んでいなければ、あれ以上の破壊は僕には無理だ。
やったことは簡単。
焦熱鬼の最期の熱波の再現。同じようにやったはずだが、ここまでか。
僕は深呼吸し、笑いながらの息を吐く。
これは、奥の手になるだろうか。使う魔力も少ないわけではない。単純な現象だし使い慣れればそうでもないかもしれないが、自然現象とも思えないこれを引き起こすのに、僕としても相当量の魔力を使ってしまう。
使うとしても、後数発。《山徹し》よりも使う魔力は少ないが、それでも……。
「……消火、しないと……」
僕は苦笑いをしながら、固まりつつある溶岩へと足を踏み出す。
生木で燃えづらいはずの溶岩周囲の木々が、黒煙を立てて火柱を上げている。ネルグから離れてしまったこの森では、自然の消火は期待できないだろう。多分。
消火も終え、馬車の方へと歩み寄ると、いつの間にか霧が薄くなっている。
邪魔されていた獣の足音や呼吸音も普通に聞こえるようになった。そして、人間のものも。
ザ、と土の地面を踏みしめて立ち止まる音がして、僕は振り返る。
「やあ、一人は片付けてくれたみたいだね」
「やると言ってしまったので」
レイトンが微笑む。頬や服に多少血は付いているが、おそらく自分の血ではないだろう。
薄い霧の向こう側を見て、それからレイトンは僕に向けて尋ねた。
「……あの惨状は、きみが?」
「……ええ」
叱る風でもなく、からかうような声音だったが、僕は目を逸らしたいような心持ちで応えた。
試してみようとは思ったが、やりすぎだった。実証実験も大事ではあるが、今回は普通に殴り殺せば良かったのに。
まあ、死体を始末できたということで納得はしたい。
「これからどうします?」
「……ぼくとしては、馬車を使って隣町までは行こうと思ったんだけど、難しいかな?」
「多分いけると思いますけど」
レイトンが僕へと意見を求めた理由はわかっている。その視線は馬車ではなく馬車の中へと向かい、未だ呆けたように立ち竦んでいる子供の身体を眺めていた。
多分、これに関しては、レイトンよりも僕が詳しい。
「魔物使いの女は、何か言っていましたか?」
「いいや、特には。でも最期にあの女『フラム様にお借りしたあれを』とは言ってたかな」
使おうとしていたのだろうか。でも、使わなかった。……レイトンがいた以上使えなかったが正しいだろうが。
僕らが見ている子供。
多分それは子供ではない。正確に言えば、人間の子供ではない。
青嵐熊が現れたときに考えるべきだったのだ。大きな魔物、それをどこから連れてきたのかと。
当然、大きな獣は目立つ。ネルグの森の中ならばまだしも、イラインから王都寄りの街道に沿った森ではあまり隠す用途には使えない。
それに、馬車の中にいた男が一人消えている。もしかしたらあれも虫の塊なのかもしれないが、青嵐熊の習性を考えれば違う可能性も見えてくる。
あの男は青嵐熊だった。
人間の皮の中に、身体を小さく畳む性質を利用して詰め込んでいた。
そういう可能性がある。
ならば、もう一人残っている子供は?
まず間違いなく、先ほどの魔物使いの支配下にあったものだろう。しかしその中身がなんだかわからない。
もう一頭の青嵐熊。それだったら簡単に済むけれど、『フラムに借りた』ということを考えて、もう一つ、僕が馬車から突き落とされたときのことを考えれば……。
「……ぁが……!」
子供の顔が歪む。声のようなものを発したが、多分なかの空気が動いた音だろう。
口が大きく広げられ、角張った嘴のようなものがそこからぬめっと突き出される。
正中線に沿って、太い甲殻類の足のようなものが何本も突き出す。衣服は裂けたが血は流れていない。
ずる、と口からどう考えても頭蓋骨よりも大きな頭部が姿を見せた。
その顔は逆三角形に尖り、複眼は大きく、触覚は短く太い。
鎌が子供の口を横に裂く。
もはや馬車には収まらないようで、赤褐色のカマキリが馬車の荷台からずるりと姿を現した。
「……これは、何?」
「繊斧女郎………、エッセンでわかりやすい名前としては、隙間蟷螂と言った感じでしょうか」
サンギエの南部辺りに生息する蟷螂。身長は僕らの三倍くらいはあるのに、僕の指が通らないくらいの、岩と岩のわずかな隙間に潜んで暮らす種族。
毎年少なくない牛や駱駝や羊が被害に遭うが、それでもその性質から中々退治できず、そして派遣された軍の一団が、解体された状態で隙間に詰められて発見されたりもする。
通りがかった人が、隙間から突き出した鎌だけを目撃することがよくあるという。
青嵐熊と一緒。とても小さな場所に、身体を畳んで暮らす種族。
こうやって魔物を運んできたのか。
しかしまあ、これでよかった。
「でも別に、周囲を汚染するような魔物でもなく、普通に馬車は使えると思いますよ」
「ならいいや。……それで、この魔物、きみは見たことがあったの?」
「ええ。腹に針金虫が住んでいることがあるんですが、それだけ除けば焼いた内臓はそこそこ美味しかったですね」
肉食ということもあり少し臭みはあるが、どちらかといえば魚のような肉質。取り出しただけでぽろぽろと崩れ、挽肉状になってしまうという性質は少し扱いづらいものの、それでも味は悪くない。
「……えーと、つまり……」
「僕のご飯です」
大きな蟷螂が、鎌を横薙ぎに振るう。
それを受け止めながら、僕は拳を握った。