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纏うのは鎧じゃなくて



「やあ、時間ちょうどじゃん」

「そりゃ、呼ばれたら来ま……来るし」

 エウリューケを巻き込む話をした次の日。僕はリコの工房へ呼ばれていた。

 午後に来るよう手紙が届いたので、昼食を食べてから適当にその足できたわけだが、一応時間ちょうどだったらしい。調整はしたが、そこまでぴったりじゃなかった思うけれど。


 用件はもう既にわかる。というか、手紙に書いてあった。

 踏み込んで、リコの机に向かう途中、遠くからでも見えていた。少し前に見たマネキン。そのマネキンが一式纏っているのは、漆黒の衣。近くで見るとまた七色以上に変化して見えるが、やはり不思議なものだ。


「わかってると思うけど、完成したよ! 代金、持ってきた?」

「ええ。ここに」

 僕はリコに、見積もり通りの金貨十五枚と銀貨数枚を手渡す。一応新しい布の袋に包んではおいた。

 ずっしりと重いそれを手に取り、リコが軽くよろける仕草をする。半分は冗談だろうが、半分は本気らしい。

 金貨は銀貨や銅貨に比べて、同じ見た目でも重い。それを知らないわけでもないだろうが、それでもその量はまあ、あまり一度に接しないとも思う。

 十五枚。この国の一般家庭の年収よりも多いくらいだし。

「確かにいただきました。では、確認します」


 リコは頷くと、大仰な言葉を口にしてから恭しく袋を開き、中を覗き込む。

 それから一枚一枚丁寧につまみ出すと、しげしげと眺めた。


「……何度見ても不思議だなぁ……」

「不思議?」

 何がだろうか。鋳造の方法なら既知だし、金の色が、というのなら突拍子もない。

 いくつか答えを予想しながら僕は首を傾げた。

 リコは、金貨から目を離さずに応える。

「うん。だって、金貨だよ?」


 言い返す言葉も含めたようにリコが僕に笑いかけて、それから爪の先でコインをつまみ、息を吹きかける。

 リコが耳にそれを寄せると、リンという音が微かに響いた。


「昔の俺だったら、こんなもの視界に入るとは思ってなかったからさ」

「まあ、無縁だったけども」

 僕は別にして、彼ら……リコはそうだと思う。

 たしか、初めて彼らを目にしたときは、銅貨一枚二枚で一喜一憂していた記憶がある。

 人からのひったくりの結果、恨まれ捕まったら殺されるような目に遭いながら、得られるのが銅貨数枚。

 今の彼なら割りに合わない。

 

 ……いいや。あの時ならば、割りに合ってはいたのだろう。

 危険を冒し、鉄貨や銅貨を稼ぎ、毎日の糧を得る。表が出ればしばらくの生を得られ、裏が出れば死ぬコイントスを続ける日々。

 そんな貧民街の申し子ともいえる彼ら。

 たしかに、無縁だった。銀貨すら目にしたことはなかっただろう。


 だが今は違う。

「でも今は金貨の飛び交う仕事をしている。なら、慣れなければ。こんなものただの金属の塊ですって」

「……そこまでは思えないけどね」

 幸運にも早々に慣れてしまった僕は今、貨幣類の扱いが適当だけれど。

 さすがにそろそろ貨幣と薬類の袋を分けたほうがいいと思う。

 リコも、今にそうなるのではないだろうか。今はまだでも、時間が経てば、あるいは。


 リコは苦笑し、袋に全てのコインを流し入れる。

 じゃらじゃらという音に、もう既に兆候があることを感じた。


「それでさ……」

「……?」

「着替えていくよね? 着替えられる部屋ならあるけど」

 肘を伸ばして下で指を組み、リコがニマニマと笑う。楽しそうな笑み。

 一瞬癖で断ろうと思ったが、一応万全を期すためにはここで着替えたほうがいいだろうか。

 まず問題ないが、大きさなどが調整前よりも狂っていたら困る。


 そう考えた僕は頷き、リコに示された部屋で着替えにかかる。部屋というよりは衝立に囲まれた物陰という感じの場所だったが、多分彼ら従業員も試着などに使っているのだろう。

 性別はわからないが、明らかな着用済みの下着を放置していくのはどうかと思うが。



 さすがに下着は着替えないが、靴から下衣(ズボン)、シャツなどの着用感を確かめつつ、取り替えてゆく。

 いつも使っている背嚢は最近整理しているものの、脱いだ服でパンパンになってしまった。


「……こんな感じだけど」

「大丈夫……そうだね」

 衝立から出て、リコに姿を見せる。まだ外套は着ないほうがいいだろう。

 リコは立ったままの僕の腕を広げさせ、服の裾を引っ張り確認してゆく。

「丈はよし。狙い通りに出来てるみたい。動く範囲はどう? 腕を一回まわしてみて」

「ん……。問題ない」

 指示に従いながら、腕を回したり足を振り上げたり、と忙しい。

 これは採寸のときもやったと思うが、もう一度やることになるとは思わなかった。

「肩に引きつれとかないね。よしよし。じゃあ、外套も」


 バサリと大胆かおおざっぱかわからないほど大仰な動作で首元に手を回され、瞬く間に竜鱗の外套が被せられる。

 首に掛かる重さはさほどではない。

 重さや大きさなどは、この前と変わっていないようだ。


「うん。良い感じ」

 身を引いてみて、全体像を見ているらしい。自分の前に手をかざして、所々視界からわざと隠して、……とまるで写真家や画家を思い出させるような仕草だった。

 そして、一つ頷いてリコは背伸びをする。


「……納入完了ー!」


 かいていない額の汗を拭いて、リコがそう宣言した。

 明らかにそれが聞こえているほど近くの机の職人たちは、まったくの無反応だったが。


「いやあ、何か創作するときには必ず前回のを越えようと思ってるけど、今回のはやっぱり最高傑作だね。何しろ、素材が贅沢にいくらでも使えたのが大きい」

 両手で、僕の外套の前部分を掴んで引っ張る。意図は違うのだろうが、なんとなく襟を掴まれている気がした。

「色も狙い通りに出たし、竜鱗はそうそう使えないけど、魚鱗ならいくらか手に入るから堅さを除いても色味をつけるのに今後使えそう。色々と試作してみるかなぁ。親方に使用の検討を頼もう。それでも長期間の使用感はまだまだわからないんだよなぁ。魚鱗の場合と違って生地自体強化してあるし竜の場合は摩耗もしないだろうから……」


 伸ばした生地を見つめ、ブツブツと呟くリコ。まずい、また始まってしまう。

「もう一着作っておくべきかな。いや、さすがに費用がないから……そうか、端切れを使ってごく小さいのを身につけて……」

「ありがとうございます。大事にしますね」

 思考を切るように、大げさに僕は頭を下げる。一瞬、きょとんとした顔で固まったリコは、生地から手を放して、それから微笑んだ。

「そう。そうしてね……大事に、さ」

「粗末に扱っても壊れないとは思うけど」

 話題が途切れたことを確認してから、僕は返答する。外套の生地を引っ張り、引っ掻いても僕の爪が削れただけだった。



 さて、じゃあ忙しそうだしお暇しないと。

 どちらともなしにリコの机に向かい歩き出した僕ら。リコの机に到着した頃、先導するように歩くリコに切り出そうと、僕は口を開く。

 だが、先にリコが振り返った。


「今みんな忙しいんだよね」


 そう言って示した先は、今もずっと黙々と作業を続ける職人たち。適当に見回して二十人はいるだろうか。皆それぞれの作業を行い、生地が机を撫でる音や、生地を裂く音、機織りの木がぶつかる音がずっと奏でられ続けている。

 一つ一つは小さな音のはずなのに、こうやって話している声すらも、ややもすれば掻き消されてしまうほどの大合唱。理由は他にもあるだろうが、先ほどのリコの声も届かないわけだ。


「……そうみたい」

「何でだと思う?」

 同意した僕に、リコは重ねるように尋ねる。その答えを知っているのに、確認するように。

「手がかりを上げると、服が必要になるんだよね。それも、この工房では下着を一番作ってる」

 確かに見れば、作られてるのはシャツや褌のような外には見えない位置の服ばかりだ。作成途中で実はあまり判別できないけど、生地や糸を見れば多分。

 しかしまあ、ヒントはヒントになっていない。僕はその要因が、容易に想像がつく。


「……どこかから大量の発注を受けた」

「正解。じゃあ、どこからだと思う?」

 それも含めてのことだ。目下の僕の心配事、間違いではないらしい。

「国かイラインか……戦争で使うものでしょう」

「そう。よくわかったね……っていっても、俺も、細かい使い道までは知らないんだけど、そうだってもっぱらの噂」


 リコは視線を切り、机の上の余った端切れをくしゃりと丸める。

 それを横にあるくずかごらしきものに投げ入れると、また僕を見る。


「出るの? 戦争」

「さて、どっちかはまだ」

 僕は首の後ろを掻いて答える。

「出たくもない。でも、出なくちゃいけないかもしれない」


 出たくはない。

 だが、それでも。


 頭の中で、昨日のレイトンとの問答が繰り返される。

 出たくはない、どちら側でも。だが……。


「……そっか」


 もう一言何か添えなければ。

 そう逡巡した僕を笑うように、リコは頬を少しだけ上げる。


 そして、何かを思いついたかのように、机の引き出しを漁った。

「ねえ」

 こちらに顔を向けず、だが何かをつかみ出す。……何かのピン?

「せっかく服を変えたし、他にもちょっと変えてみない?」

「なんですかいきなり」

 本当にいきなりだ。話題に何も関連がなく、文脈も繋がっていない。

 だが、何かしらの確信があるように、リコが促す目は定まっている。行動は置いておいても、その意図はふざけているわけではないらしい。

「……何するんですか?」

「ちょっとここ座って」

 示されたのはリコの使っている小さな背もたれつきの椅子。新品ではないらしく、使い込まれた茶色が斑点状になっている。

 とりあえずそこに座ると、リコが一歩踏み出して僕の横に回った。


「本当に、何する気?」

「大丈夫。痛いことはしないよ。……せっかく服を変えて気分も一新したんだし、ちょっとこっちも気分変えてみたいじゃん?」

 ニコ、と僕に笑いかけ、リコは手を僕に伸ばす。正確には僕の頭……髪の毛に。


 柘植らしき櫛が僕の側頭部の髪の毛を解したところで、なんとなくようやくリコの目的がわかった。




 見えないが、髪の毛が引っ張られているのがわかる。

 僕の右側頭部から細かい房を取って、上へ持ち上げて先ほどのピンで留める。

 編まれたように頭にくっつけられた髪の毛は、本数が変わっていないのに増えたように感じる。


 これは……編み込みだっけ。三つ編みじゃないけど、そういうのを僕はどこかで見たことがある気がする。

 黒髪、大人の女性。……多分、前世で。


「カラス君髪の毛綺麗だね。艶も腰もあるし、羨ましいくらい」

「リコさんも変わらないでしょう」

 振り返ろうとして、ちょうどリコに髪の毛を引っ張られて止められる。髪の毛を抜かれるような感覚は、怪我などの心配がないとわかっていてもやはり不快だ。

「……あんまり、男性でこういうことをしているのは見ないんですが」

「そうでもないよ。……いやまあ、年配の人とかは少ないんだけどね。それこそ舞踏会に出るときとかは、こういうお洒落も多いはずだよ」

 髪の毛の場所が変えられるのは、不快なわけではないが違和感がある。無意識に顔が引きつってしまうのを強引に直して、僕はされるがままに腕の力を抜いた。


「本当はこういうの、ハイロが得意なんだけど」

「へえ、本当に?」

 ぽつりと呟かれた言葉に噴き出しそうになる。髪の装飾が得意とは、意外な特技があるものだ。失礼な話ではあるが、そういうお洒落には興味はなさそうだったが。

「本当だよ。どちらかというと女性向けの編み方とかなんだけどね……」

「ああ、整える方ですか」

「そう……でもないんだけど。……はまっちゃったらしくて」

 誰かに頼まれてやるようなことがあるのか。

 そう考えて聞いたが、そうでもないらしい。言葉尻を濁しているということは、多分言いづらいことで……。

 ……はまっちゃった……、ああ。


「もしかして、自分でするんですか」

「そう。自分を、するんだよ」

 整えられる方か。……え、そんな趣味があったのか。それはそれで意外だ。



 リコの指は止まらない。

 今どうなっているか気になるが、終わるまでは我慢しよう。

 ……というか、勝手に始まった気もするから別に断ってもいいんだろうけど。そもそも何故僕の髪など整えようと思ったのか。

 リコは僕の後ろに回り、僕の髪の毛を整えてゆく。ピンを差したり抜いたり忙しそうだが、髪の毛は解けないから不思議なものだ。

「…………」

 息を飲んだ気配がした。肉眼で顔は見えないが、どんな顔をしているのだろうか。


「君の……」

 指に緊張が混じる。一度だけ失敗したようで、解けてしまった房が僕の頬を撫でた。

「君の服を作った職人としてだけど。服は大事にしてほしい。せっかく君のために作ったんだし」

 そして、したかったのはその話か。戦争に出るかもしれない。そう思っての。

 ならば、答えは決まっている。


「もちろん。出来るだけ壊さぬように、着続けようと思ってる」

 

「…………」

 僕の言葉を聞いたからか、指が一瞬止まる。それから少しだけ、速くなったように感じた。

「……服っていいよね。変えれば気分も変わるし、何にだってなれる気がする。衛兵の着ている鎧。畑作業をしてる人たちが着てる野良着。どこかのお嬢様が着てる綺麗な婦人服」

 ピンが抜かれてゆく。その度に頭が軽くなる気がするが、その重さ自体微かなものなので、きっと気のせいだろう。

「俺はね……カラス君。昔俺は、……俺らも、あんな服を着れば街の中で暮らせるのかなってずっと俺は思ってた」

 リコの声に、望郷の念が混じった気がする。

 もはや彼女が住む場所ではない街、貧民街。そして多分、その思い浮かべた情景では、横には幼馴染みが立っているのだろう。


「見つからないようにゴザを被ってさ、路地からずっと見てたんだ。ハイロには『偵察に行く』なんて言っていたけど、俺は、朝みんなが道を歩いているのを見るのが好きだった。いろんな服を着て、急いでどこかに行くのを見るのが」


 最後に留めたピンは抜かないらしい。じゃらじゃらと数本のピンをまとめて、リコは僕の頭から手を放した。

「今回俺が作ったのは、服だからね?」

「いやまあ、わかってますけど」

 なんとなく振り返る気がせず、僕は前髪をつまんで持ち上げてみる。眼鏡にかかる程度になってきたこの髪、そろそろまた切ろうか。

「この外套は、どちらかというと鎧だよね。身を守るためのもので、お洒落とかそういうのは本当は考えないんだから」

「そうかもしれない」

「でも、この外套は服だよ。君が注文したとおり、丸められない防具じゃなくて、丸められる服なんだ」

「そんな区分でしたっけ」

 茶化すように笑うと、リコも少しだけ笑った。


「戦争に出るかどうかはわからないっていってたけど」

 ようやく、僕はずりずりと振り返り、リコの顔を見る。そこにはいつも通りの優男風の顔があった。

「本当は戦場になんか行きたくないんじゃない? だって、君が注文したのは服なんだ。鎧なんかじゃない」

「無理矢理な気がするけど」

 もう一度僕は笑う。だが真剣に答えなければいけないと、愛想笑い以外を意識して打ち消した。

 思わず目をそらしてしまう。なんとなく、今から吐き出される言葉が弱音に聞こえて。


「ま、戦場になんか行きたくないのはその通りですね」

 そしてもう一言添えようとして、今度はなんとなく気恥ずかしくて。

「でも、…………」


 言葉に出来ない言葉。

 昨日レイトンと話したこと、それに連なる被害。それを防げる方法。


 ムジカルで聞いたこと。

 ガランテは、ランメルトに言っていた。

 生きるためには二択しかない。戦うか、従うか。


 本当にその二つしかないのであれば、僕は。




「いい感じに出来たよ。鏡持ってくるね」

 僕が言葉に詰まっているのを見て取ったのだろう。明るい笑顔でリコはそう言う。

 だが、それには及ばない。

「今作るから大丈夫」

「作る?」


 歩き出そうとしたリコが、不思議そうな顔で固まる。

 その顔が面白くて、そしてその顔をもう少し歪めてみようと僕は立てた人差し指の先に魔力を集中させた。


 イメージするのは透明化魔法の力場の一部。

 だが、その効果は更に激しいものだ。


 僕の目の前で、ぐねぐねとお盆のような不定形の何かが動く。いつもは透明化のために纏っている力場。その原理としては、光をねじ曲げて僕の身体を通過させるというものだった。

 その効果を激化する。

 光をねじ曲げる、までは同じ。だが今回は向こう側に通すわけではない。


 そのまま、来た方向へと返す。


「わー……」


 目の前に作られたのは、延ばされた水銀のような艶のある何か。

 その表面は光を完全に反射し、しっかりと鏡の用を為していた。


 そこに映った顔。

 やはり少し違和感がある。右側を中心に、というか右側の髪の毛が持ち上げられ、編まれて頭に沿って襟足まで先が届くようにまとめられている。

 ねじり上げと言ったっけ。頼子さんの読んでいた本に、そういうのが載っていた気がする。


 しかしまあこれは……似合っているのだろうか?

 顔を動かし様々な角度から見てみるが、あまり変わらない。いや、まあ、印象はきっと変わっているだろう。だが僕がそういうのに興味がないからだろうが、髪の毛が持ち上がったのはわかるがそれ以上の感想が湧いてこない。


 ここはやはり専門家……でもないけど、詳しい人に聞いたほうがいいだろう。

 リコに尋ねようとその顔を見るが、もうリコは違うところに興味を持っているらしかった。具体的に言うと、僕が今見ている鏡もどきに。


「やっぱり魔法っていいなぁ……色々出来そうで便利そう……」


 その顔に講評を聞くことも出来ず、僕は仕方ない、と溜息を吐いた。

「……そうでもないよ。僕がわかることしか出来ないから」

 だから魔法は……きっと本当は常識知らずの方が強い。本当は出来ないはずのことを、出来ると確信できる方が強い。

 金属を食べ物としか見られないスヴェンのように。

 

「その辺俺はよくわからないけど……でも、……ほら、そういうのじゃなくても、触らないでものを動かしたりとか、そういうことが出来るだけで便利そうで良いなと思うよ」

 笑顔で紡ぎ出されたリコの言葉。その一部に、僕は引っかかる。いや、嫌なわけではないが、その表現が面白くて。

「便利……」


 自分で復唱して少し噴き出した。


 最近の騒動。悩み。その全てが一笑に付されてしまった気がして。

「どうしたの……?」

「いや……別に……」


 あまりにも可笑しくて、笑みが抑えられない。

 便利、便利か。

 そうだ。確かにその通りだ。言われてみればその通りだ。



 暗殺者を放たれ、殺してきたここ十数日。その剣呑な日々を過ごした要因の一つ。魔法。

 ……しかし、皆がリコのように考えてくれたら、どれほど平和だっただろう。どれほど健やかに僕は過ごせたことだろう。そんな可笑しさが今の僕には堪らない。


 魔法は便利。それはそうだ。

 だが、この魔法の力が怖がられていたのに、リコにかかっては便利の一言か。



 くつくつという笑い声もなかなか収まらず、それでも少し涙目になりながらようやく息を整えて、僕はリコの顔を真正面から見た。


「じゃあ、どういう魔法が使えたらいいと思う? もしも魔法が使えたら」

 念動力は便利。それはわかった。だが、念動力は魔法使いの共通技能に近いはずだ。

 ならば、リコはどういう魔法が使いたいのだろうか。リコはその辺り理解してはいないと思うが、各魔法使い固有のものは。


 尋ねられたリコは「そうだなぁ……」と呟き、少し唸る。

 それからようやく、両手を胸の前で軽く叩いて口を開いた。


「こう、布を縫ったりとか。厚くて固い生地に針を通したりとか、そういうのがあればいいなぁ」

「……それ、今でも出来ませんか?」

「速いのと、やっぱり曲がらないとかそういうのが欲しいんだよね。手で縫うよりも速く、正確に直線で糸が一瞬で通ったりとか」

 ズバ、という効果音がつきそうな勢いで、リコは身振り手振りで説明してくれる。

「縫い目が綺麗に揃ったりとか、そういうのもいいかも。どうしても、手じゃ若干揃わないからさ……」


 リコが引き出しから出して示したボロ布に、数本縫い目が走っている。

 汚れた白地の生地に、青色の糸。何かの生地に繋いだり、補強のためではないように見えるため、多分これは練習でもしたのだろう。もしくは暇だったから手癖で。


「別にこれでよくないですか?」

 だが、素人目には違和感はない。

 布から見える青い糸は、ほぼ正確に同じ長さで点々と走っているように見えた。

「そうでもないんだよね。俺的にはまだ納得がいかない」

「……はあ……」

 まあ、そういうのならそうなのだろう。

 鼻息荒くその布を撫でるリコに反論できず、僕は生返事を返した。



 そんな僕の反応に知らないフリをするように、机に手をつきリコは振り返る。

 視線の先には、今まで話していたときにも、職人たちの手で片時も止まらずに動き続けていた機織り機が数台並んでいた。

「こう、魔法じゃなくても、機織りみたいにさ、なんかこう……からくりで何とかできないかな、って思ってるんだよね」

「からくりで?」

「昔は、機織りも手でやってたらしいんだよね。余った糸で俺もやってみたことがあるけど、手間がかかるかかる」

「まあそうでしょうが」


 数千、数万本の糸が絡み合い一枚の布を形成しているのだ。それを手作業で行うのは、時間がかかって仕方ないだろう。

 だから人は、機織り機を考え出した。


 ……そういえば、この機織り機は前世と形が同じだ。

 勇者が伝えたのだろうか。それとも、やはり人が考えることはどこの世界も一緒だということだろうか。



 しかし……。

 

 僕は考える。軽い気持ちで出した話題で、少しだけ嫌な話が出るとは思わず。

 

 針と糸を使い、布を縫うからくり。場合によっては刺繍も作れるし、それも初心者でもそこそこのものが出来る機械(からくり)


 それを僕は知っている。

 この世界で見たことはないが、知識として持っている。


 ミシン。



 前世での発明は、フランス革命よりも前だったか。

 たしか、機織り機よりも百年以上後のこと。

 この世界でも、機織り機がある以上発明されてもおかしくはないだろうけれど。


 耳の中で誰かが囁いている気がする。

 『これはいいのか』と。

 『これは放置するのか』と。

 

 小さく首を振って声を振り払う。

 うるさい。これは構わない。この世界の住人たるリコが考えたもの。姿形すら未だになく、実現できるかどうかもわからないもの。

 これは、文化の侵略じゃない。


「……出来ればいいですね」


 僕の精一杯絞り出した声に気づかないようで、リコは頬を掻く。なんとなく恥ずかしげに。

「本当、いいよね。今度モスク君にでも相談してみようかな」

「からくりとか得意そうだし、いいと思う」


 僕は止めない。この流れを。

 エネルジコの飛行機を止めなかった。なら、これも。


 それに、止めようとしてもこの流れは止められない。

 そんな気がする。

 止めようとしても、きっといつかは辿り着く。形はどうだかわからないし、リコたちの手によってではないとも思うが、それでもミシンと同じ機能を持つものに。


 リコのはにかんだ笑顔。

 それを見て、僕はそう思えた。



 出しっ放しにしていた鏡を消して、なんとなく髪の毛の編み込みを触る。

 やはり、妙な気分だ。いつも髪の毛の感触を確かめていたわけでもないのに。


「……納品なら、いつもの友達にでも頼めばいいのに」


 そんなことをしている僕らのすぐ側で、足音が止まる。

 気にもしていなかったが、誰かこちらに来ていたか。リコと共に振り返ると、そこには一人の職人が立っていた。

 この前見た気がする。上級職の彼。


「ちょっとリコちゃん、その子借りて良いかしら」



 オホホ、というように笑う女性? に見つめられ、戸惑う様子のリコは「はあ」と同意した。



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― 新着の感想 ―
[一言] こんな。。こんな先が気になる展開で終わらせるなんて。。!w また『関わらないで』って言われるのか、それとも『関わるのなら、それなりの責任を持ちなさい』と言われるのか、どちらにせよ忠告しに来…
[一言] 厚くて固い生地にも折れたり曲がったりしない素材で針を作ってプレゼントすると喜ばれそう
[気になる点] 上級職の「彼」? 笑う「女性?」 オネエ?
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