行きませんか
「さて、じゃじゃじゃ、資料の修正に入ろうかのう」
がし、という擬音がつきそうな力強さでエウリューケが立ち上がる。そのやる気溢れる横顔を見ながら、僕は何か言い忘れていることを思い出そうと努めた。
「アリエル様がいる前提で理論を組み直すぜ。アリエル様以外の聖人もいたかいねえかわかんねえしよう! んじゃな! カー坊!」
「……いや、ちょっと待って……!」
今にも転移魔術でどこかへ飛んでいきそうになったエウリューケを止める。
思わずその青い髪の一房を掴んで。
エウリューケが勢いよく前に進むのに合わせてしまい、首を痛める勢いで頭を後ろに引いてしまう。
その結果、成人女性が出さないであろう変な声が漏れた。ごめん。
手を放すと、エウリューケが涙目で振り返る。
「おいやー! なんじゃい!!!」
「すみません」
今のは僕が悪い。
頭を下げると、腕を組んで頬を膨らませたエウリューケがぴしぴしと僕の後頭部をはたいた。
「……で、あの、本題だったんですが」
「え? まだ話の続きあったの!? 驚きなんだけど嘘ー!」
「先ほど渡した本の話です」
本気でそう思っていそうで、僕は乾いた笑いを発しながら、先ほどエウリューケが懐に入れた本を指さした。
というか僕も忘れるところだった。今回の話の主題は、妖精じゃないのに。
「その本の内容。北壁……妖精が作った壁の話の途中だったじゃないですか」
「そういやそうだったけど……もうどうでもよくない?」
「一応伝言をとも言われているので……」
いや、確かにどうでもいいといえばどうでもいいんだけれど。別に伝えようが伝えまいが、マリーヤもどうでもいいと言うだろう。多分。
それでも、話し始めた以上、最後までは言いたい。
「その本は、妖精が作った罠の性質のまとめです。その中に、既存の常識が崩れる発見があるとのことです」
「……どこだい?」
またエウリューケはパラパラと捲り始める。
その辺りのページに当てはまるわけではないが、僕もそこに基礎知識の解説を加えていった。
「北壁はもともと、刺激を与えると膨張して、触れた生物を飲み込む正体不明の壁とされていたんです」
「ふむふむ?」
「それを、その本の作者……アブラムという方が、実験をして解明していきました」
「ほほう……実験の詳細まで完璧……いいねえ、そういう未知に挑む子は好きよ……?」
ぐへへ、と笑いながらエウリューケが実験の過程をなぞってゆく。
「強い刺激を与えると、より大きく膨張する。波と表現されていましたが、まさにそれでした」
思い返しても、やはりあれは『波』。雪崩や吹き寄せる雲などとは違う、あの飲まれた感覚。それに限っては、飲まれてもなおこの世界に唯一戻ってきた僕が一番詳しいだろう。
粘度のない水。霧に近く、それでいて重さがあり、出ることは出来ないまでも泳ぐことならば出来そうな手触り。飲まれた瞬間呼吸が止まり、温かな何かに包まれたあの感覚は、未だに思い出そうと思えば思い出せる。
「そして、大きく膨張した北壁を鎮めるために、魔力が強いものを飲ませる必要があった……というところまで読んでます?」
「うんうん」
エウリューケがその辺りの記述に目を留めているのを見て確認する。壁に近接して炸裂させる火薬の量に対しての、生物の種類ごとの大まかなまとめ。基本的には大きな生物ほど魔力が高いと推定されるが、それでも犬よりも魔力が高い鼠などがいた。
「……すると、不思議なことに、魔力を持たないはずの生物でも壁が鎮まっていった……というのがマリーヤさんの気に留めたところです」
ここまで上手く言おうとなんとなく頭の中でまとめておいたが、どうやら全て無駄になったらしい。
流れを途切れさせると、言葉が続かないのも僕の欠点かな、と口を開きながら思った。
まあいいや。
エウリューケは頭を掻いて僕の言葉を整理しているように見える。それから人差し指を加えて、首を傾げた。
「ん-? つまりー……魔力を持たない生物でも飲ませる分には無駄じゃなかったってことかえ?」
「そうですね。で、その原因が、マリーヤさんと同僚のグーゼルさん曰く『魔力を持つ生物と持たない生物がいる』というのが間違いだからと……もっと言えば……」
「『本来魔力はどの生物も持っている』って言いたいのかなー」
パタリと本を閉じ、脳天気に頭の後ろで腕を組むエウリューケに、僕は口を閉じて頷いた。
からかうようにエウリューケが笑う。
「だいたい読んだし言いたいことはわかったけども。けども、でもそれ、妖精の恣意的な決定かもしんないじゃんか? 『何の生物が飲まれても、必ず一定値は反応する』とでも決められてたら特に何も不思議なことはないよ?」
「いや、まあ、そうですが」
魔力の有無以外に指標があれば、たしかにその通りだと思うけれど。
しかし、飲んでも無意味な対象があり、そして細かい設定が出来るのであれば、そもそもそれを飲まないように設定も出来るはずだ。
「それでも、体験談もあったそうなんです。…………それも気のせいと言われてしまえばそれまでなんですけど」
「ほう?」
「先ほど名前が出たグーゼルさん。魔術師なんですが、仙術という、身体の動きで魔力を制御する術を開発して運用している方なんです。詠唱なしで魔術を使う魔術師と言ってもいい。その方が、闘気を持った子供にその動きを教えたところ、魔法が発現したという話が」
「闘気使いが魔法を使った……ってねぇ……?」
そこまで話して、ようやくエウリューケは考えるように自分の腕を抱いた。
「実際には闘気使いにはならなかったようですが、鍛えればそうなったであろう子供だったそうです」
闘気使いになる前に死んでしまった。実際に話を聞ければまた違ったのだろうけれど。
「……アリエル様には? 聞いてみなかったの?」
「この街に来てから届いた伝言なので……。三年前のリドニック以来、会っていませんし」
我ながら、親不孝な子供だとは思う。勝手に子供にしておいて、とも思うけど。
……そうだ。彼女には、別枠で連絡が必要だっただろうか。
「会えば一発なのにねー。拙者もドゥミ・ソバージュに色々と聞ければ良かったと思うとるけんどさ」
「アリエル様の実在についてですか?」
「それそれそれ。ま、結局はカラス君の証言で実在が確認されちゃったんだけどねー。シクシク」
泣き真似をして、エウリューケが目の下の何もない場所を拭く。それから涙らしき水が頬を滴り落ちた。……今のは魔術か。
「しっかし、『全ての生物は魔力を持つ』ねぇ……。それが本当なら確かに、既存の常識には当てはまらん」
うんうんとエウリューケは呟くように頷く。それから明るい表情で顔を上げた。
「カラス君は? それが正しいと思ってんの?」
「……どうでしょうか。僕以外、魔力と闘気を併用できる人間を見たことがないので」
普通の人間が使えるとしたら片方のみ。今現在の常識では闘気こそが万人が持つ力だと言われているはずだが、実際の様子を考えればむしろ『どちらかしか持たない』のほうがしっくりくる。
「つーかカラス君も大概不思議よねー。どうなってんの? 解剖していい?」
「しないでください」
すらっと出てきた言葉に、アリエル様と同じように僕も逃げるべきだとちょっと思った。
「千年前の勇者はどうなっていたんでしょう?」
ふと、そんなことが気になった。
唯一僕と同じく、闘気と魔力を同時に使うことが出来た存在。その事実は、誇張や後世の創作ではないと思う。
身体が日本人……というよりも地球人だったから、というのもあるかもしれないが……。
いや、それよりもスマートな理由付けも出来るかな。
「勇者の身体を作るときに、何か仕掛けがされていたりとか?」
そもそも勇者の身体は召喚ではなくこの世界で作られたものだ。この世界で肉体を作り、魂を宿らせ日本人の心を書き込んだというものだとアリエル様は言っていた。
ならばそのときに手を加えられていたりとかあるかもしれない。
そういえば、英雄譚や少し大きな子供向けのお伽噺を信じるのならば、召喚されて最初に放った言葉はこの世界の言葉だった。この世界の言葉と日本語はかけ離れているはずなのに。
僕もこの世界の言葉を理解するのに、二年か三年はかかった。本来、普通に勉強してもそれくらいはかかるはずだ。多分。
「……身体を、作った?」
エウリューケが首を傾げる。僕が心底不思議なことを言ったように。
「ええ。召喚陣で勇者の身体を作ったときに、元の身体に手が加えられていたりとか……」
もちろん、外見のモデルは日本の本人のもののはずだ。学生服を着ていたということからしても、服や装飾品まで模倣したのだろう。
だがその中身まで手が加えられているかもしれないし……。
考えてみれば、普通の人間が魔法使いの魔王を倒せるわけがない。いや、魔王単体は弱かったかもしれないが、四体の聖獣を退けるというのはまず不可能だ。
……それ自体は喜ぶべきことだろうが、この世界の常識に染まっていたらしい。
この世界の人間の発想では、『遠く世界に住む強力な種族の一人をこの世界に連れてきた』というのがきっと正しいと思う。
だが僕は、その遠くに住む種族が脆弱な種族だと知っている。闘気も魔力もない世界で、この世界の人間よりも多分脆弱なのだろうと知っている。
身体改造されていた。それが本来僕からしたら、自然な発想だっただろう。
僕がなんとなく自嘲していると、落ち着きなくエウリューケが視線を漂わせた。
「え、あの、召喚陣? あれで、改造されてるって?」
「あの召喚陣、召喚……連れてくるわけじゃなくて、身体を作って、そこに勇者の元の世界の記憶を持たせているだけだとアリエル様は仰っていました。それならその時に、手が加えられていてもおかしくないと思いませんか?」
「身体を作って!?」
ギャー、と諸手を挙げてエウリューケが叫ぶ。
今度は何だ、いったい。
「え? あれ召喚じゃねえの? え? マジ話? マジ話っすか? おい」
「マジ話です」
……さらりと言ってはみたが、やはり『複製陣』というところはそれなりに驚くところだっただろうか。本当は僕もあの時驚くべきだったのだろうが、当時その召喚陣自体みたことがなかったので仕方がない。
エウリューケはしゃがみ込み、唸るように俯いた。
「ぐああ、見てえ……使われるとこ超見てえ……!」
「見ればいいじゃないですか」
「魔王でも呼び出せばいけるっすかね、むしろカラス君、魔王になっちゃう? なれ?」
「魔物使いじゃないのでなれません」
あ、と僕は気づく。
この口ぶり、多分知らないのだ。
「レイトンさんが、近々勇者の召喚が行われるだろうと言っていました」
「え? やんの!? 見たい見たい! 超見たい!!」
立ち上がり、エウリューケが腕を振ると桜色の花びらが散る。地面に落ちる前に透けて消えていったが、微かな匂いまで再現してあった。
「単なる予想ですが、多分当たるでしょう。ちなみに僕は、見に行くつもりです」
レイトンの誘いに乗るのは少しだけ癪だが、それでも気になるものは気になる。
その現象に興味があるのか、それとも懐かしい日本の空気を感じたくて行くのか。
それとも、また別の理由か。そこまではわからないけれど。
「エウリューケさんは、行きませんか?」
同行するわけではない。
レイトンと僕が連れ立っていくだけでも不味い気もするのに、エウリューケも一緒となればそれなりに問題になるだろう。
石ころ屋の残党。石ころ屋として見られないためにとりあえずこの街を去るのに、幹部二人と関係者らしき僕が固まっていけば、ただの石ころ屋の拠点の移動と見なされてしまってもおかしくないと思う。
それを考えると、レイトンも既に石ころ屋としてではなく個人として動いているのだろう。
おそらくは、プリシラとの接触を優先して。
悩む素振りもせず、エウリューケは飛び跳ねるように全身を勢いよく伸ばす。
「行かいでか!!」
彼女も、自らの好奇心に躊躇がない。
石ころ屋は、もう組織ではないのだ。
エウリューケの笑顔にそんな匂いを感じて、少しだけ寂しくなった。