一人の石ころ屋
レイトンは僕の前に立ち止まり、それからハイロが消えていった先を見る。
頬を少し掻いて、珍しく居心地悪そうに笑顔を歪めた。
「まあ、なんだ、気を落とさないようにね」
「……落としてませんが」
嘘だ。本当は、それなりにきっとショックを受けている。
だが、泣き言を言いたくはなかった。
「きみに励ましの言葉をかけるならば、今回はきみに咎はないよ。全てはきみに嫉妬を向けた人間たちの過ちからだ。そして、あの青年にとっても、間違った選択じゃない」
「ええ。……わかってます」
わかっている。
そのはずだ。僕も一応理解しているつもりだ。
グスタフさんの死によって、今朝からしばらくは僕への某かの襲撃は落ち着くとレイトンは言っていた。だからしばらくは大丈夫だ。
それでも、きっとこの街では同じ事が起きる。
『貧民街の住民』というもっともらしい理由。そんなものに隠された嫉妬や悪意により、きっと僕はまた危険な目に遭う。そしてその時、周囲にいた誰かが傷ついてしまう。
そんな場所から一刻も早く離れたいと願うハイロを、引き留められるわけがない。
スティーブンにも言ったこと。
僕は妖精でも神様でも何でもない。すぐ横にいる間ならばまだしも、離れている間四六時中の全ての危険を予測して、その全てから彼らを守ることは不可能だ。
そしてハイロは弱い。
もちろん、謙遜はしていたが、腕っ節は貧民街出身者でない者よりは強いだろう。最近はきっとその性はなりを潜めているとは思うが、モスクもまだふとした瞬間に貧民街らしさを感じるとは言っていた。躊躇せずに凶器を使い、後遺症が残るような攻撃を平気で行うという『喧嘩の強さ』を発揮することはまだ出来るだろう。
だが、彼は、戦いを生業とするものではない。
今回のような超長距離からの射撃など、一切対処は出来ないだろう。
本当は、リコやモスクが異端なのだ。僕のせいで死ぬかもしれない怪我を負っても、もしくは目の当たりにしても遠ざけようとはしなかった。
生存本能に逆らうような行為。本当は、二人ともハイロと同じようなことを言ってもいいはずなのに。
「住む世界が違った。彼の言葉の通りだよ。見た目に反してそういった賢さはあるらしい」
けらけらとレイトンは笑う。もはや居心地の悪さなどないように。多分、最初から演技だったのだろうが。
「魔物や悪人、病気や災害、そんな脅威を目の前にすると、彼らのような人間たちは自然と群れになり助け合って庇い合って生きる。群れに含まれる数だけ危険が薄まって、それだけ自分が安全になるからだ」
手を擦り合わせるようにしてから軽く振ると、そこからなかったはずの桃色の花が現れる。……いや、花じゃない。正確には、花がついた枝だ。ツツジ……かな。
レイトンは、その枝をグスタフさんの墓の前の土に差す。
挿し木で増えるのかどうかは知らないが、お供えとしては華やかだ。
「その群れの中に、わざわざ危険を増すような個体を入れるわけにはいかない。たとえその個体が、どれだけの富と安全を同時にもたらそうともね」
「グスタフさんの話ですか」
「ぼくら全員の話だよ」
レイトンの視線が墓から外れないのを見て、そう示唆しているのかと思ったが違うらしい。
まあ、納得だけど。僕の茶々を笑い飛ばすように、レイトンは続ける。
「危険、というのも命の危険に限らない。教義なんていうくだらない紛い物の決まり事や、自分たちの誇りや信念といった思想まで。心が揺らぎそうになるだけで人は危険を感じ、排斥を始めるんだ」
……エウリューケの話? だろうか。いや、これも誰にでも当てはまる一般論か。
「きみは、既に幾人かの誇りを砕いた。金、名声、力。本人たちなりにどれだけ努力しても手に入らなかったものを、きみは悠々と手に入れる。それが嫉妬を孕ませ、悪意を生む。だから街の敵になってしまった」
「勝手な話ですね」
「ヒヒヒ、本当にね」
もう、この数日で何度も実感したこと。
家々や街同士が離れて全てにおいて孤立しやすいリドニックよりも、受け継いだ恨みで国をまとめているミーティアよりも、全ての国民が欲望に忠実に生きるムジカルよりも、この法治国家であるはずのエッセンが、僕には一番歪んで見えた。
全員が、きっと嘘をついて生きている。
話題が途切れ、レイトンが口を閉ざし、ふわふわと動いていた手がパタリと落ちる。
一陣の風の音が、大きく耳に響いた。
「さて……」
ちらりとグスタフさんの墓石を見て、それからレイトンは僕に目を向けた。
「教えてあげよう。さっききみが気にしていた、石ころ屋の今後の話だ」
「ニクスキーさんに任せたというあれですか」
聞いた感じでは、無責任な行動。エウリューケもレイトンも、もう関与することはないという話。
レイトンは頷く。
「グスタフは死んだ。もはや首魁はいなくなり、後継者がいなければ組織としての体を保てない。そしてエウリューケにもぼくにも……そしてニクスキーにもグスタフの跡を継ぐ気はない」
「けれど、任されたのはニクスキーさんという話では」
「そう。簡単な残務整理だけどね。これから同じように、箍が外れた工作員たちは思い思いに行動を始めるだろう。ニクスキーはその中でも、石ころ屋の業務の中枢に関わっていく。あいつの最後の仕事さ」
手近にあった瓦礫をレイトンが踏みしめると、柔らかくもないはずなのに拳大の石が変形していく。……浸透した闘気が靱性を高めているのだろう。さらりと神業を……。
潰れて罅が入ったせんべいのような灰白色の石は、元は建材だろうか。
「ぼくらはもともと、死ぬために準備をしてきた。グスタフは処刑場で死に、そして石ころ屋には衛兵が手入れに入り、その在庫商品や書類を押収していく。そうなったときに、この街の悪人たちを巻き込めるように」
「すると……」
その在庫や書類に、何かしらの仕掛けでもしておいたのだろうか。
「うん。そうだね。上は王侯貴族たちから下はその辺の木っ端まで、賄賂や脱税、禁制品の取り扱いや違法娼館の運営に関わる書類やその証拠品なんか。そんなものが、石ころ屋の倉庫には山ほど眠っている。それが見つかるはずだったんだ」
「はずだった、ということは……見つからなかった?」
「グスタフは静かに死んじゃったからね。狙い通りとはいかなかった。まったく、ぼくたちらしい幕切れだけど」
『静かに死ぬこと』が避けたかった未来。今思えば難儀な話だ。どれだけ希おうとも、納得して穏やかに死ぬことが出来ないのだから。
「そのせいで、一つ問題が起きている。その問題の解決がニクスキーの仕事だよ」
「問題?」
今考えつくのは、その『商品』たちの行方だけれど。後継者がいなければ、たしかにそれは問題だ。
「正しくはないけどそれに近い。書類や残された資産の行き先がどうもね」
レイトンが頬を掻く。それから近くの小鳥に視線を向けると、先にいた雀が逃げるように飛んでいった。
というか先ほどから、僕の返事を待たずに会話が続いていく。それが僕のするはずだった返答を前提にした言葉だから本当は気味悪く思ってもおかしくないと思う。
「金貨にして七万枚にも及ぶ資産と、宙に浮いてしまった犯罪資料。その始末さ」
「……はあ。……!?」
別なことを考えながら気のない返事を返し、それから驚き声に出すところだった。
グスタフさんの資産が膨大なことは予想がついていた。だが、七万枚? ……七万枚? 竜何匹狩れば手に入る額なのだろうか。
一生遊んで暮らせるどころではない。たった一枚で、一般家庭の収入一月分にもあたる金貨。それが七万枚とは。
「グスタフの遺産はとてもとても甘い果実だ。中には金貨もあれば、魔道具も神器も含まれる。それに加えて犯罪資料も、政敵を追い落とし、また自らの不正を隠蔽するために皆が手に入れようとする。衛兵も、悪人たちも、騎士たちも貴族たちも、涎を垂らして探し回るようなものさ」
僕の驚きを置いたまま、レイトンは話を続ける。それはまた嫌な話だ。遺産相続は往々にして相続人同士が争うものだけれど……。
今回は正式な相続人もいない。そのせいで、争いの範囲が大きくなってしまうとは。
「果実が落ちた場所には、必ず争いごとの種が蒔かれる。本当は、ぼくらを倒せるような奴が手に入れてくれれば、万々歳だったんだけどね」
ふう、とレイトンがため息をついた。
「だから今、ニクスキーがその隠し場所を選んで隠している。その場所はニクスキーしか知らない。ぼくもエウリューケも、頼んでも教えてはもらえない。ぼくらもそもそも知る気はない」
また一つ、今度はレイトンは足下の瓦礫を拾い上げる。
「わかるかな?」
今度は握り拳を二つ重ねたよりも大きなもの。
それが宙に放り投げられ、地面に落ちたときにはサイコロのような立方体の塊となり崩れた。
「あいつが最後の石ころ屋なんだよ。最後の、たった一人の石ころ屋」
「…………」
最後の石ころ屋。その意味を勘案する。
街の敵。貧民街に暮らす、民衆の敵。支配者たちの敵。その辺りだろうか。
「これからは、皆がニクスキーさんを狙うと。ですが、それは……」
「残党のはずの工作員たちも徐々に減っていくだろう。彼らは強かったけれど、その強みは統率するグスタフあってこそ最大限に発揮されていた」
「……先を読まないでもらえます?」
僕が不満げに言うと、レイトンはそれも笑い飛ばす。
「弱い者は徒党を組み集団を作る。きみの友人のように。そして強い悪人たちは本来徒党を組めない」
気に入らなかったのか、レイトンはツツジの枝の差してある地面を少し踏み固めて、その角度を調整すべく手を伸ばした。
「グスタフがいなくなった以上、孤立した悪人たちは、徒党を組んだ弱者の群れに圧殺されてゆく。衛兵に、騎士に、時間はかかるだろうし簡単とは言えないまでも捕縛されていく。そして最後に残るのは、やはりニクスキーだ」
「捕まらないし、殺されもしない。……とは思いますが」
ニクスキーさんがおとなしく捕縛される姿は想像できない。
たとえ騎士団が相手でも、単騎で突破できるだろう。僕やレイトンと同じく。
「だから、きみへお願いしたい」
よいしょ、とかけ声をかけてレイトンは立ち上がる。振り返ると、その笑みは消えていた。
「しばらくは。石ころ屋が明確にニクスキーだけだと認識されるまでは、ぼくらはこの街を去らなければならない。きみも、すぐにでも」
「無関係であることを示せと」
「そういうことだね。まあ、離れるだけじゃ追及もあるだろうけど、しばらくすれば収まるだろう。実際、グスタフの計らいで、きみは石ころ屋の悪事とはほぼ無関係だ」
計らい。参加させてもらえなかったというあれだろうか。
レイトンに唆されてもなお。
そして、昨日のあれも、きっと。
「……それならば、言われるまでもなくこの街は出ていきます。そう決めてます」
この街は嫌いだ。ここは僕の森ではなかった。
けして、石を投げられてもなお留まりたい場所ではない。
「なら結構」
僕の答えに満足したように、へにゃりとレイトンは口元を緩める。
「出て行く場所は? 決まってるの?」
「……。いいえ」
「そ。それなら、提案があるんだけど」
ぴ、と人差し指を立てて、僕に向かって挑発するような笑みを向けた。
「一緒に王都へ行かないかな?」
「王都というと……」
「エッセン王国の首都。グレーツ。きみは一度行ったことがあるはずだよね」
どこの国の王都かと思い、考え込もうとしたがレイトンはそれも許さない。
つまり、この国にまだ留まれと、そう言うのだろうか。
「今度起こるだろう戦争。エッセンとムジカルの大きな戦」
レイトンの言葉に合わせて、僕もその情景を思い浮かべる。もはや不可避とも言える戦争。ネルグを挟み、どこかで大きな戦いが起きるだろう。そして、たくさんの人が死ぬ。
「そのときに、きみにはエッセンについてほしい。それがぼくからの頼みだよ」
言い切り、そして僕の返事を待つようにレイトンは口を閉ざす。
珍しい。途切れた言葉に、そう感じた。
「…………」
どうするか。なんと答えたらいいだろう。
僕は頬を掻いて、瞬きを何度か繰り返す。悩んでいる。だがそれは、返答の内容にではない。その口調というか語調だ。
一応、失礼にはならないように。
「……ええと、……断ってもいいですかね」
僕が口を閉ざして、一瞬の後。
レイトンと僕の瞬きがちょうど合った。
そして同時に噴き出すと、これまた珍しく、お互い場違いな哄笑を発した。