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また、近いうちに




 誰も何も、意味のある言葉を発していない。

 そもそも視界に映る範囲に人はいない。だが、半壊した建物を覆う布の奥、建物同士の隙間、膨らんだ茣蓙の下、そこに多分人がいる。

 呻き声を上げて、声にならない声を上げて。

 そのほんの微かな声が、ざわめいた気がする。耳の奥にしか届かないうねりのような変化で。

 

 僕もモスクも、それらを意に介さず貧民街へと足を踏み入れる。

 今となっては二人とも……僕はまあいつも通りどちらとも言えない気もするが、それでも街で活動するのに支障のない身なりだ。当然、浮いて見えるはずだ。

 

「ここいらが怖い、ってわかるか?」


 モスクが口を開く。だがその手は無意識にとは思うが少しだけ強ばっており、ただ歩くだけで警戒していることがわかった。

「そりゃ、まあ、いつでもここは……」

 視界の中で、光る物を探す。貴金属などがほぼないこの街で、光を弾く物といえば凶器と思って損はない。

 街から一歩出れば。あの城壁から一歩出ればそこはほとんど無法地帯だ。

 まだ城壁のすぐ目の前ということもあり、さすがに真っ昼間から事を起こすほど無鉄砲な者はそうそういないが、衛兵たちの見回りもなく治安は悪い。

 それでも、ここはまだ安全な方だ。昼間であれば警戒など本来はほとんど必要ない。立ち入り自体望ましくもないが、遊ぼうと思えば子供もきっとここで遊べる。だがもう少し奥、ネルグ寄りに行けば状況は一変する。


 大通りも湾曲し、勝手に造成される粗末な建物で見通しが悪くなる。

 文字通り物理的に、街から目の届かない場所。そこまでいけば。



 路地でもない、ただの建物と建物の間の隙間。暗がりの奥に二つの目が浮かぶ。

 奥にいた男は僕が気づいたことに気がついたのだろう、ニイと笑った歯は黄色くなり、隙間だらけだった。

 薄ら笑いを浮かべているものの、彼は僕らになにも手出しをしないだろう。ただ、その機を待っているだけで。


 通行人は多少いる。だが、誰も目を合わせることなく通り過ぎていく。

 すれ違った女性が前に抱えた荷物は布に包まれ、何が入っているかはわからない。けれども多分、仮に僕がひったくろうとすれば死に物狂いで抵抗するだろう。僕が視線を向けたと気づいただけで、肩を震わせてやや早足になった。

 通り過ぎる誰もが、近くにいる誰かを警戒している。自分の持っている何かを奪われはしないかと。自分の持ち物か、それとも命か、奪われることを警戒している。


 今度は路地の奥。木の壁に寄りかかり、へたり込むように座っている老人。

 意識はどうだかわからないが、息はしているし、その頬以外怪我は……あまりなさそうだ。

 しかしそこに散乱している布の袋や千切られたような紐の欠片を見るに、きっと今は命以外ほとんど何も持ってはいないだろう。ぼろぼろになった衣服が、今の彼が持つ唯一の財産だ。



 

「跳べる?」

「無理に決まってんだろ」

 そろそろいいかと僕が問いかけると、ため息をつきながらモスクがそう返す。いや、まあそうだけど。

 適当な路地。そこに二人で入るように曲がれば、両脇にやや高い建物がある。傷みも進んだ粗末な木製の壁で、蹴れば簡単に崩れてしまうようなものだけど。

 それでも、屋根に乗るくらいなら出来るだろう。

 

 右腕をモスクの背中に回し、脇の下に手を入れてしっかりと固定する。

 目指すは、やや天井が高い一階建ての家屋の屋根。魔力に頼らずとも、闘気を少し足に込めれば簡単に跳べる。

 覚悟していたのだろう、モスクは一切声を出さず、着地と同時に手を放しても少しだけ息を吐いただけだった。


「悪い」

「いえいえ」

 小声で応えながら、僕らは下を覗く。そこには、路地に入ろうとしてそこに僕らの姿がないことを確認した……多分僕らよりも少し年下の女性が悔しそうに地団駄を踏んでいる。

 その手には粗末な小刀。動く向きに合わせて柄と刃がずれて、カチャカチャと鳴っていた。



「……何が欲しかったんだろうな」

 女性が、何度も周囲を見回しながら、元いた道へと戻る。さりげなく小刀を懐に隠して、他の通行人と同じように擬態しながら。

「さあ、何ですかね。お金か、それとも物か」

 モスクの呟きに、僕は適当に返す。

 さすがに、命を奪うのが楽しいというわけではなさそうだ。彼女がどういう人か僕はさっぱり知らないので、ただの想像だが。

 血の臭いがするかは、わからなかった。


「さっきの話。貧民街の馬鹿どもはこれが怖いんだよ」

「襲ってくる奴が怖いというのなら……」

「じゃなくてさ」

 モスクは頭を掻く。それから一歩動いて、屋根の建材が折れる音が微かにしたからだろう、足を引いた。

「何してくるかわからない。手段を選ばない……とも違うか。多分、選べないんだろうな、とも思うけど」


 もう一歩、違う場所に足を踏み出す。ギシギシと音はしたが、それでもモスクの体重を支えられそうで足を落ち着ける。

 体重移動で音を出し、遊んでいるようにも見えた。

「さっきの奴は、何か欲しかったんだろ。でも、欲しいものがあるなら方法なんていくらでもあるじゃん? それこそ働けば金は手に入るし、金が手に入れば物だって買える。働かなくても……いやまあ、広義には働くことだけど、畑作ったり狩りしたりすれば物は手に入るし金に換えることも出来るし」

「…………」

「でも、あの女はその方法に、多分強盗を選んだ」

 まあ、人間相手の狩りともいえるけど、と僕は内心付け足した。武器を構えていた以上、それを使う気だったはずだ。


「それで、一応イラインでは強盗は犯罪だろ?」

「一応って……」

 モスクは皮肉っぽく笑う。一応ではなく明確な犯罪だ。本来それを路上で行えば、衛兵が追い、捕まえ、時には殺傷して止めるほどの。

「さっきのグスタフ爺の話では、街の決まりを破るわけだ」

「……彼らの境遇なら、仕方ないとも思いま……思うけど」

「そうだよ。仕方ないんだ。あの馬鹿どもはそうするしかない。イラインの中で仕事を探しても、貧民街の奴だからってんでまともには働けないから金は手に入らない。畑を作るにしたってネルグの恩恵があっても時間がかかる。だから、生きていくには手段を選べない」

 ぐ、とモスクは拳を握りしめるが、その手にはなんとなく実感がこもって見える。


「街の人間は、それでも手段は選ぶんだ。強盗もひったくりも、詐欺も出来る。だけどそうしないことも出来るし、決まりを守る奴らは大抵そうしない。物は金で買うし、わざわざ悪いことをしようとはしない。……多かった釣りをちょろまかしたり、ついやっちゃうこともあるけど」

 眼下の路上で、誰かと誰かが肩をぶつける。

 そのうちに罵り合いが始まった。

「肉屋の店員、意外と計算間違い多いんだよな。その分俺が儲かって助かる」

 実体験か。


 怒号と、地面を足が擦る音。

 ちらりと見れば、少しだけ離れたところで男たちが威嚇しあっていた。

 そんな遠くの騒乱を文字通り高みの見物しながら、モスクは続ける。

「……傾向の話だけど。何かやりたいことがあれば、街の人間は、決まりを守った上で何かしらの手段がないか探す。対して貧民街の馬鹿どもは、自分が出来る何かの手段にこだわる。それしか出来ないと思い込んで」

 やがて、殴り合いが始まる。上半身をはだけた男が、ほぼ上半身裸の男の髪の毛を掴む。掴んだまま、もう片方の手で何度も顔を狙って殴り続ける。

 もちろん、もう一人の男も防戦一方ではない。だが、両の手が空いているはずなのに、髪の毛を掴まれているせいかろくな反撃が出来ていなかった。


「だから俺は、貧民街の馬鹿どもは怖い。ちょっと交渉しようとしたらすぐ刃物が出てくるんだよあいつら」

 目を瞑った顔には、また実感がこもる。……先ほどのは多分ミールマンでの経験からだが、こちらはこの街での経験だと思う。

 工事中に何かあったのだろうか。



「で、……」

 モスクが言いかけたところで、血溜まりが広がり、眼下の喧嘩の決着がつく。

 結局は、髪の毛を掴んでいた男の負け。

 上半身裸の男がほぼ気絶しかけたところ。勝っていた男の腰につけていた袋目当てだろう、別の初老の男が後ろから忍び寄り石を頭に叩きつけていた。……よく見れば、さっきの暗がりにいた男か。

 ぎりぎり気絶を免れた上半身裸の男は、巻き添えを食わないようにだろう、目の前で行われた強盗から這々の体で逃げ出していった。


「……で、俺はお前の話からの又聞きだからはっきりと言えねえけど。爺さんの言いたかったことってそんな感じなんじゃねえかな。街の人間になれって。人間扱いされてたきゃ、そこの決まりを守って、その上でどうすればやりたいことが出来るか考えろって」

「……昔そんなことを、言われた気がします……」

 出来なかったら違う方法を試せと。エウリューケにだったか。……今思えば、一番世話になっているのかはわからないが、一番親身になってくれていた気がする。ただ単にフレンドリーな性格というだけかもしれないが。

「…………。人間をやっていくのを諦めるな、ってそういうことですか……」


 多くの場合、規則は行動を抑制するものだ。あれをしてはいけない、これをしてはいけない。人の世なら、殺すな、盗むな、上には従え。そういうふうに。

 多分全部じゃないけれど、たしかにそういうことかと納得も出来る。

 ……つまりは、制限の中で最大限出来ることをしろと。たとえばこの国では殺人が認められていない以上、それ以外で何とかしろと言っていた、という感じか。

 そういえば『手段を選べ』と、そんなことも言っていたっけ、と今更ながら思う。


 僕は、復讐のためには殺すしかないと思っていたから。

 それならば、蹴り飛ばさせてくれ、くらいならさせてもらえたかもしれない。



 しかし、ならば。

「なら改めて考えても、僕を狙った奴らは人間じゃない」

 一般人が人を殺すのは、この国では犯罪だ。先ほどニクスキーさんに首を落とされたあの男も、今まで僕や石ころ屋の誰かを殺すために探索者や暗殺者を雇っていた奴らも。

 僕を殺す以外に道はあった。なのに。


「俺の知る限り、そういう奴らは死ぬか、この貧民街に来る。あの爺さんの手でな」

「……たしかに、そうかもしれない」


 そういえば、そうしていた。剪定をするように、不純物を濾過するように、石ころ屋の面々は僕が嫌いな種類の奴らを殺していた。

 僕の目の前で、いずれ死に至る病を植え付けられた衛兵もいた。子供たちを傷つけながら働かせる娼館は、緑の泡に覆われた。……どっちもエウリューケの仕業だっけ。


「でも彼らも、殺す以外に道はあったのに」


 モスクの言うことに当てはめるのなら。

 やはり石ころ屋は獣の組織だ。他の道があるのに、好き好んで法を破る。


 オトフシの言葉が脳裏に浮かぶ。

 『あの店は善なるものか?』と。


 僕は、あのときなんと答えただろうか。いつもの通りならば、ただの雑貨店と答えたはずだ。たしかに、そんな気がする。

 今でもやはりそう思ってしまう。

 あれだけウェイトに酷評されても、そして街で悪評を聞いてもなお、僕の答えは変わらない。世話になったから、ということもある。その上、僕の目の前で彼らが破滅させているのは、僕にとって嫌いな悪い奴らばかりだったから、ということもある。

 気のいい人たち……とは言えないまでも、友好的に接しているから悪く言えないというのもある。


 だから今まで僕は、あまりあの店を悪くは言わなかった。

 良いとも言わないし、犯罪者の集まりだと思ってもいたが、あまり人に悪く言ったことはなかった。


 でもやはり、本人たちが期待している答えは。

 そして、グスタフさんが僕に期待している答えは。


「悪くて怖い店ですね、石ころ屋は」


 僕は会話の流れを無視してそう呟く。

 そう言えと、口にしろと、あの男の首を飛ばしたグスタフさんの背中は、そう語っていたと思う。





 石ころ屋に辿り着いた僕たちは、扉の前で顔を見合わせる。

 外から見た分には、特に何も変わりはない。グスタフさんはニクスキーさんの手によりここに運び込まれたはずだが、そういえば移動はしていないのだろうか。

 一歩立ち止まり、視線で扉を開くのを譲り合う。

 だが、一応警戒は必要かと僕が一歩踏み出した。

 ……今日もエウリューケが当番で、不用意に魔術を使うこともないだろうけれど。


 ドアの取っ手を掴む。……特に身体に異常は起こらない。一瞬の逡巡の後、扉を開くとそこにはいつも通り、グスタフさんが座っていた。


「……おう」


 声もいつもと変わり……あるな。少しだけ掠れているような気がする。

「先ほどは、どうも」

 僕は一歩店内に入り、モスクが入ることを促す。モスクも、「うす」と一言だけ呟くように言い、頭を下げた。

「……お加減はいかがですか?」

「ぶっ倒れたんだぜ、いいわけねえわな」

 冗談のように笑い飛ばす言葉。だがその言葉が本当だと思っている僕は唾を飲む。表情に出さないようにはしたが、どうだろうか。


「顔色は良さそっすね」

「ああ。もういくつか薬も飲んでる……、つーか、なんだ、モスクも連れてきやがったのか? 大事にしやがって」

「僕一人と変わりはないでしょう?」

 文句の言葉に一応言い返す。文句でもないただの軽口だったか。


「……なんだ、今日は顔を見に来ただけか」

「ええ。先ほど目の前で倒れられたので。さすがに心配になりまして」

「心配なんかするもんじゃねえよ」

 ケッと悪態をつきながら、グスタフさんは頭を掻く。その仕草にはまだ生気がある。この分ならば大丈夫だろうか、まだ。

「見舞いと思いましたが、申し訳ないです、何も持ってきませんでした」

「……そういや、俺も」

 よく考えてみたら、果物の一つも用意するべきだったか。ここには食料でも何でも揃っているとはいえ、気持ちの問題として。

 いつも僕は貰う側だったのに。それを学んでいなかったとは、少し恥ずかしい。


「お前らに何か貰ったら、それこそぶっ倒れちまうさ。気にすんな」

 そう言いながら、グスタフさんは水を飲む。水筒から、甘い匂いがした。

「んなことより、モスク、お前は仕事があんだろ。こんなところで油売ってていいのか?」

「大きな案件はこの前片付いて、今の細々とした企画書や設計図も仕上がってますので、休憩をいただいてるっす」

「昼から今までたあ随分長え休憩だな」

 はは、と笑う。もう夕方といってもいい時刻、まあそれはそうだ。

「…………」

 それから笑顔がなくなり、グスタフさんはほんのわずかに考え込んだように見えた。ほんの一瞬で、気のせいかもしれないが。


「ま、お前らも今日は災難だったな。忘れろとは言わねえが、気にしねえで今日はゆっくり休めや」

「俺は何もされてませんし。カラスは面倒だったでしょうが」

「狙われたのは明らかにお前だ。……まあ、気にしてねえならいいけどな」

 モスクの反駁に、グスタフさんが口ごもるように反論する。

「お前も……」

 そして、グスタフさんが僕を見る。だがその続きの言葉が出てこず、一瞬会話が立ち止まった。

「僕は、忘れないようにします」

「……そうしろ」

 グスタフさんに聞いたこと。多分ニクスキーさんが身を切って教えてくれたこと。

 僕がいたせいで起こった騒動。忘れるものか。



「今日はこれで店じまいだ。お前らも、早く帰れ」

「珍しいっすね」

 モスクが目を丸くする。珍しいも何も、初めてではないだろうか。

 朝早くから日が沈むまで。この店が閉まっているのを僕は見たことがない。

 なのに。

「今日は俺も疲れたんだよ」


 そのため息交じりの言葉に、今の体調が察せられる。

 疲れている、というのもあるだろう。だがそれ以上に……。


「帰ろう」

 僕もモスクを促す。渋々、といった感じでモスクは僕の方を向くように半端に踵を返した。


 僕は最後に、会釈をするように少しだけグスタフさんに頭を下げる。

「また来ます。今度は……色々と持って」

「そうか」


「また、近いうちに」


 僕の言葉にグスタフさんは忍び笑いで返す。何かを懐かしむような表情で。

「……お前は、そればっかだな」

「そうですか……?」

 だが、その反応に僕も眉を上げる。初めてとは言わないが、よく使うフレーズでもなかったと思う。

 それとも、僕の口癖だったりするのだろうか。その辺は意識したことないのでよくわからないが。


 扉を開けて、石ころ屋を出る。

 背後でモスクが扉を閉める音がする。

 なんとなく、振り返る気がしなかった。




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― 新着の感想 ―
[一言] なかなか治らないねー魔法使い病
[良い点] 親離れですね
[一言] やっぱり石ころ屋の存在でギリギリ均衡を保っているんですよね、この街。 後継者がいない現状、今後本当にどうなるのか……。
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