外と中の敵
「……で、友達の秘密を知った感想は?」
「秘密?」
連れだって歩いている最中にされた突然の質問に、僕はその言葉尻を聞き返す。
改めてみれば、やはり同じような装いだ。今僕は眼鏡はしていないが、それでも黒衣、黒髪、細い青年。もちろんそれぞれの知り合いが見れば一目瞭然ではあるが、箇条書きにしてみれば装いはよく似ている。
そんなことをぼんやり考えてモスクの言葉を待ったが、返答は苦笑いで返された。
まあ、暴いた秘密。暴いた気もないけれど、先ほど知ったことは一つある。多分その……。
「身体のこと」
「さっき腹ん中見たんだろ? なら、どうよ」
「特にないです。驚きましたが」
「……本当になさそうだな、おい」
つまらなそうに唇を尖らすと、それからあざ笑うように肩を震わせた。
「それより、口調、な」
「…………」
ぐ、と僕は黙り込む。ならばどう応えればよかったか、などと必死に考えつつ。
そんな僕を顧みず、モスクは頭の後ろで手を組む。数歩歩いて手を解くと、肩が凝ったように首を回す。
「リコさん的にも別に隠しておくことじゃないとか言ってたけど、今度からどうするよ?」
「……別になにもしな……え、知ってた?」
黙っているわけにもいかず口を開くが、モスクの言葉に疑問を覚えた僕は質問を返す。
よく考えたら、モスクは知っていたというのか。リコが男性ではないと。女性であると。
「むしろお前らなんで気づかねえの? ハイロさんとかもっと長い付き合いじゃん」
「いや、まあ、そう……だけど……」
言われてみればその通りだが。
しかし、一応言い分はある。そんな疑問は埒外だった。彼女との付き合いで、女性ということがなにか大きな要素になったことがないのだ。
幼い日から一人称も俺。裸の付き合いなど僕はしたことがないし、そもそも露出度の高い格好を見たことがない。
……それを考えればその時点で違和感を覚えるはずか。衣服すら常にぼろぼろで、早期に何とかなっていた僕を除けば、あまりこの貧民街の子供がきちんと肌を覆える服は着られない。
羞恥心はあったということだろうか?
昔いた開拓村では、上半身裸で川遊びをするような子供たちが、成長するにつれていつのまにか女子だけ上半身にも何か着るようになっていったっけ。
そういえば、対応を変えるべきだろうか。
リコに対して……といっても、こっちも別に性別に関係するようなことはなかったし……。
だが、モスクが小さく呟く。ふざけているようなトーンでもなく。
「……気づかないフリするか、そもそも気にしてやるなよ」
「今後は、ね」
「ああ。俺も事情は知らねえけど、……なーんか、出てくる気がすんだよな」
モスクの表情にわずかに混じった感情。……これは、怯えだろうか。
「何かあったんで?」
「いいや、何も」
変な口調で問いかけてしまったが、モスクはしらを切る。これは何か知っている、……というよりも、何かあった……かな? ただし、事情を知らないのも本当だと思うが。
沈黙が流れる。石畳を革靴と木靴が踏む足音だけが響く。
水溜まりが僕の靴を濡らす。
この靴。これがなければこの街に帰ってきたりは……この街までまた出てきたりはしなかったのに。
「一度、ハイロさんに礼でも言っとけよ」
「礼? 何の?」
「お前、覚えてる……かどうかは知らないけど、何人か怪我させてんだぜ、さっき」
「怪我……」
僕は少し思案する。どのことだろうか。
「リコさんの怪我治してるときに、何人か突き飛ばしただろ」
「…………」
突き飛ばした。その言葉に、なんとなく情景が思い出される。いや、突き飛ばした覚えもないんだけど。
しかし、怪我をさせた。突き飛ばした。
その二つの条件下で、少しだけ何か思い出せた気がしないでもない。
多分……、ええと……。
「…………ああ」
「随分長えな」
呆れるようにモスクはため息をつく。
思い出せなかったと言うよりも、気にしていなかった。
「もち、別に命に関わるもんじゃねえし、擦り傷とかだけだけど、文句は言ってたんだぜ。それを全部、ハイロさんが取りなしてた」
「……顔なじみ、だったとか」
かなあ、と思う。もちろん、だから簡単で礼を言う必要もないとは言わないが。
「知らね。顔広いから、そうかもしんないけど」
一言ぼやくように口にし、ぴたりとモスクが足を止める。
「今回、またお前大量に敵作ったんじゃね?」
「敵、で……敵ね」
「怪我させた奴ら。それに、さっき治療師がハイロさんにお前の所属を聞いてた。治療師じゃねえって言ったら、あのお姉さんすっげえ渋い顔してた」
「……そりゃ、まあ」
一応僕が口にしたのは聖教会の秘儀。一般には説話程度しか流布されていないはずの聖人たちの御業を、章単位で口にしたのだ。治療師だと勘違いしてもおかしくはないし、……そして何故それを知っているのか、と訝しむのもわかる。
ムジカルでは気にせずともよかった。そういえば、この国ではそれも禁忌だったか。
「それに、元々お前を狙ってた奴ら。それだって対処できてないだろ」
「……それについては問題ない……。石ころ屋に、対処を依頼してきた」
……だから彼らは僕を見失い、そして先ほど僕がニクスキーさんと一悶着起こした原因となったのだが。
今回は、まだ石ころ屋に頼むべきではなかった、ということだろうか。あのままリコを昼食にでも誘えば問題にはならなかった。そのはずだったのに。
「今後百日間は、僕を狙った誰かは大幅に減るはずだ」
その減る原因は、きっとその人物たちの不慮の事故なのだろうけれど。
だが、僕はさっき誰かに怪我をさせた。そういう行動の積み重ねが、きっとまた騒乱を呼ぶのだ。
「だからこれからの問題は、その怪我をさせた人たち。それに、治療師。……どっちも、今のところはどうにもできないことかな」
……あ、これいいかもしれない。
なんとなく、ふと思った。レイトンの口調。それを真似しても……。
いや、でもあの笑い方は嫌かなぁ……。
「そう。だから、やっぱり僕はこの街を離れるよ。もう少しだけ、……多分、もう少しだけ経ったら」
「……何かあんのか?」
「ある、といっても間違いじゃないよ。でも、ないほうがいい。少なくとも僕は、その日が来るのは待ち望んでない」
……いきなり饒舌になった気がする。挑戦してみたばかりだが、やっぱり無理な気がする、これ。
「…………。さっき、グスタフさんが倒れた」
「グスタフさんが……」
モスクの表情が曇る。驚き半分、そして『やっぱり』という落胆半分で。
「最近身体が弱っていたから、そのせいだろうと思うよ。さっき石ころ屋で会ったときには、もう肺炎で酷い状態だったからね」
肺の炎症を抑える薬。そのおかげで、少し持っているのだろう。だが、グスタフさんはもう一つ薬を飲んでいる。生命力を寿命へと引き替える毒の水を。
そしてもう一つ。多分一番重要なファクターが。
「あと、僕が無理をさせた。九番街まで、グスタフさんを引っ張り出した」
あの杖は下ろしたてだった。
多分、使ったことがないのだろう。そして使わなければ移動も出来ない状態だったのに、僕が歩かせてしまった。多分あそこまでは馬車でも使ったのだろうとも思うけれど。
今更ながら頭が下がる。
未だにきちんと受け取れていないだろう言葉。それを僕に告げるためだけに、グスタフさんは石ころ屋を出たのだ。
「……今から見舞いに行こうと思います……思う。一緒にいくかな?」
「時間はあるからな。行くよ」
モスクが頷く。金づるだから、ということもあるだろう。
それでも、きっとこれは心配をしている。多分、そんな表情だ。
とりあえずレイトンの口調は却下だ。
いいかと思ったが、やはり厳しい。どうしてもあのにやけ顔を思い出してしまう。友好的なのに、なんとなく偉そうに思ってしまう。それは僕の個人的な感想だけれど。
エウリューケは……。
考えるまでもなく却下だ。
あのハイテンションを模倣できる気がしない。
そんなことを考えている間に、十二番街が近づく。
もうそこを越えれば貧民街だ。大通りの視線の先に、モスクの作った壁が頭を出していた。
街を外の脅威から守るための壁。
そうだと思っていた。そう依頼されて、モスクは設計したと言っていた。
作られた動機はその通りだったのだろう。ムジカルとの戦を予感した街の誰かが、それを作ることを発案した。
その用を為すかはわからないが、たしかにあの壁であれば一般的な兵は防ぐことが出来る。
紙一枚も挟めないほど緻密に組まれた石の壁は、防ぐことが出来ずとも時間を稼ぐことは出来る。
それだけあれば充分な備えとも言えよう。
けれど、今の街の人間にとってはそうではない。
いいや、街の人間にとっても、確かにあの壁は外から自分たちを守る壁だ。だがその『外』の意味合いは拡張されている。
街の人間と、それ以外。
その二つを明確に分ける壁。
内心では、みんなそう思っていたのだろう。
貧民街の人間は人間以下で、自分たちとは違う生物だ。だから何をしてもいいし、何をされようとも自分たちに瑕疵はなかった。
だからハイロは私刑にあった。僕も、現在進行形で私刑にあっている真っ最中だ。
グスタフさんも、その区切りは同意していた。
街の人間は人間で、その集団に属さない貧民街の住民は人間以下だ、と。
僕はそこにまだ納得できていない。
彼らだって人間だ。生物学的には彼らは全く変わりがない。
それでもその行いで、区別されているという。
モスクと会話しづらいせいもあって、石ころ屋へ向かう僕らに会話は少ない。
だが僕の顔を見て、モスクはまた口火を切った。
「……んだよ、また暗い顔して」
へにょ、と口を曲げてモスクは僕を笑う。その語調がやや暗いのは、今から見舞いに行くからだろうか。
どうだろう。グスタフさんは、その集団の決まりを守れるかどうか、作れるかどうかが人間との違いだと言った。
彼は、どう思っているのだろうか。
僕よりも数段、いや数十段頭のいい彼ならば。
「さっき説教されたのを思い出し……て」
「説教? そういや、その怪我の時、ニクスキーさんと喧嘩したとかなんか言ってたけど、それか?」
モスクが僕の掌を示す。そのときは喧嘩と言っただけだけど、説教ともとったのか。
僕は頷く。建物の上で、鳥が鳴いていた。
かいつまんで、僕はモスクに顛末を話す。殺したこと、殺しそうになったこと、モスクには隠すようなことではあるまい。
「殺すな、と。人間でいたいなら」
「人間で、とな。そりゃまた随分と抽象的な」
はー、とモスクが息を吐く。それから僕が視線を向けた鳥を目で追い、頭を掻いた。
「グスタフさんは、『法律を作り、守ることが出来る』というのが人間と言っていました。モスクは、どう思う?」
僕はモスクの顔を覗き込む。僕と同じ、黒い目が眼鏡の反射で隠された。
「どう思うって……」
「人間と獣は何が違うのか。人間と……街の人間と、貧民街の住民は何が違うのか」
言いながら思ったが、これでもまだ抽象的な話だ。
グスタフさんはきっと、『街の人間』をイラインの住民として話したわけではないのだろう。
……だから、僕はこの問題を、どこでも起こすのだ。
「人間と、獣ねえ……」
んー、と小さく呟き、モスクは肩を鳴らす。
「考えたこともねえな」
「でしょうね」
僕もそうだ。そんなこと、内心では考えていたかもしれないが、しっかりと言語化してはいない。
考える必要がなかったのか、それとも考えに至らないほど何かが足りなかったのか。
「犬と人間。猫と人間。鳥と人間。どう考えても全部違うし」
「では、僕ら……魔法使いと人間だったら?」
「魔法が使える人間ってだけだろ」
質問を重ねても、そう端的に言い切られる。そういえば、ハイロもそんなことを言っていたか。
「でもま、貧民街の奴らと街の人間、ね。それだけはなんとなくわかるかもしんない。さっきの、『決まりを守れる』ってやつ」
「その意見に同意すると?」
「んにゃ。ちょっと違うけどな」
歩き続け、話している間に、門が迫ってくる。
威圧感のある壁。圧迫感、きっとこれがこの付近の住民が貧民街の住民に感じていたものを具現化したものなのだろう。
僕ならば簡単に壊せるからか、とてもそれが希薄だが。
何かを考えるように、モスクがまた口を閉ざす。
僕も答えを求めずに、また沈黙が続く。人の声がよく聞こえた。
「……こっから先は、怖い」
モスクが呟く。僕の方を向かず、石の壁に手を添えて滑らせながら。
「怖い?」
何を言うのかと、僕も聞き返してしまう。
貧民街のようなもので育ち、そして今まさに石ころ屋に頼って身を立てているモスクが、怖い?
振り返り、モスクが僕を見る。眼鏡のずれを直しながら。
「さっきの話な。俺は、手段が違う、ってことだと思う」
「はあ……」
また抽象的な話しを。いや、モスクは言葉を途中で止めない人なのでまあいいけど。
「とりあえず、色々と振り切ってからにしようぜ。色々と、さ」
入った途端に変わった空気。目釘が締まっておらず、刃が緩んでいる刃物を持ち上げた音がした。
それに気がついたわけではないだろう。だが視線はきっと感じたのだと思う。ため息をついて、モスクが貧民街に入っていく。
まだ新しく、綺麗に並べられた石畳が、歪んだ建物を更に歪ませて見えた。




