何でもするって言った
「……わかってないなぁ」
はあ、とリコがため息をつく。目を細めやれやれと首を振る仕草も、なんとなく板に付いている。
「言うべき言葉が違うよ。カラス君はほんとそういうところは年齢不相応だよね……いや、だったってほうがいいのかな」
「昔っからなんすか?」
「うん。俺ら三人で一番大人びててね。そろそろ年齢に追いついてきた、ってとこだけど今じゃ逆に年齢が追い越してるんじゃない?」
「そりゃまた」
モスクも笑う。なんだ、真面目な話をしているときに。
「眼鏡、どうしたの?」
「……さっき、雨で濡れて邪魔だったので……」
そういえば、まだ荷物に入れっぱなしだったか。混沌湯の効果が抜けて以降、無意識に魔力で強化し補っていたらしい。鼻の上の辺りに指を沿わせると、期待した感触がなかった
「そ」
僕の言葉に納得してリコが頷く。
それから僕の頬に両側から手を添えた。若干冷たい。
「……!?」
その手に力が込められる。頬の肉が押しのけられ、唇がこじ開けられた。
「『俺は悪くない』。はい、復唱」
「……ど、どういう……?」
「復唱」
笑顔でそう繰り返される。
目の前にあるリコの顔は、男性ならば二枚目と呼ぶべきものなのだろうが。
多分整えられた細い眉。日の当たらぬ生活故の白い肌。ただ、頬に感じる荒れた指の肌には、仕事の跡が見て取れた。
「ああ、カラス君は自分のこと『僕』だっけ。でもいいや、はい、『俺は悪くない』」
「……?? ……おれは……」
そのリコの剣幕に押され、どうにかして言葉を紡ごうとする。
だが、その言葉が急に止まった。それ以上、喉が動かなかった。
「…………」
「何度でも言うけどさ。君がいなければよかったなんてことはない。君がいたおかげで、俺は今ここで生きてる。モスク君もここにいる。だから、君がこの街に来てくれて、俺は本当によかったと思ってる」
……なんとなく、へにょ、と曲がった顔のままで申し訳なくなる。
「この街に来てくれてありがとう。俺を助けてくれて」
「……僕は」
礼を言われるようなことをしたわけではない。
確かに、僕はリコを二度助けた。けれども、それはリコのためというよりも自分のためだ。
モスクがここにいる理由もそうだ。あのとき『勿体ない』と思ったのは本心で、彼のためを思った選択ではない。
そう抗議をしようとしたが、それも口に出来なかった。
「怪我した俺がそう言ってんだからさ、少しは素直に聞きなよ」
頬に添えられた手が上下に動く。……変顔をさせられている気がする。
「…………」
「ね?」
重ねてそう促される。どうにかしてその言葉に応えようと、声を喉から絞り出す。
僕がそう思っているか。それはよくわからないけれど。
「……おれは……わるくない……」
「そう。さすがに君のせいだったら俺も怒るけど。今回はそうじゃなかったんだから胸を張りなって」
やっとの思いで口にした僕を、リコはようやく解放する。
胸を張って、という言葉を我が身で示すように、胸を張る。
「たまには年長者らしいこと言ってやったぜ」
それから、ヘヘ、と笑いくるりと椅子の上で身体の向きを回転させた。
モスクがリコの顔を見て一瞬黙り込み、それから僕の方を改めて向く。掌を上に向けて、顔の横に漂わせた。
「……つーか、今回のはあれだろ? 俺をお前と見間違えて弓で撃って、しかもそれがリコさんに当たったってやつだろ? 不幸な事故じゃん」
「だよねー。さすがにそこまで予想できる奴なんていないって」
今度は椅子ごと回転させ、リコがまたこちらを向く。
「後になってからなら、『あのときこうすればよかった』『ああすればよかった』なんていくらでも言えるよ。でも俺は死ななかったんだから、『今回のでもよかった』くらいに思っとけばいいんだって」
「……それは、人によると思いますけど……」
正確には、被害に遭った人に。
リコならば、今まさに口にした言葉の通りなのだろう。
だが、それがモスクなら。ハイロなら。きっとまた違うはずだ。
もう一度ため息をついて、リコが目を瞑る。
「仕方ない。なら……どうしようか」
それからモスクに問いかけるが、モスクも悩む様子で中空を見上げた。
「金、じゃ安直ですしねー。宣伝、つったって今じゃ逆効果だし」
「……ああ」
何を悩んでいるのかと思ったら。その口ぶりでわかった。
……本当に、世話をかけてばかりだ。
「出来ることなら何でもしましょう」
「そう言ってなんでも出来るからつまんないんだよなぁ……」
僕の申し出に、ケラケラとリコは笑う。
要は、何か形あるもので詫びを入れろということだ。……どちらかというと、僕のために。
んー、と微かに声を発しながら、リコが僕の姿を眺める。品定め、という感じの目だ。
その視線が僕の腕へと動き、その先、手に止まった。
「……怪我してる」
「? ああ、これ、もう治ってます。先ほど、ちょっと……喧嘩しまして」
ニクスキーさんとの戦い。殺し合い、ではないだろう。双方共に殺す気はなかった。指導、というのも近いが違う気がする。ならば喧嘩もちょっと違うのだろうが。
そのときに小刀で貫かれた掌の傷。傷は癒えて、血も自然と落ちやや綺麗になってはいたが、跡はまだ残っていた。
「殺したの……?」
「…………」
それは、相手を、という問いかけだろうか。
そうは思ったが、多分違う。僕が先ほど、見舞いよりも優先して行った所行についての話だろう。
ならばその答えも曖昧になってしまうけれど。
「いいえ。この相手は石ころ屋のニクスキーさんです。僕ごときが殺せるわけありません」
あのまま続いていればどうだっただろうか。
調和水で身体が衰弱し、混沌湯で魔力も使えなくなった後。もしもニクスキーさんが殺す気ならば、小刀の一振りで簡単に死んでいただろう。時間をかければ解毒できるとはいえ、さすがにあのごく短時間では完了しない。
そして、殺せなかった。
憎い憎い、あの弓使いたちの依頼主を。
もっとも、その直前に猟師二人は殺害している。僕が、殺した。
それをさっき僕も口走った。リコは、それを僕の単なる自虐表現だとでも思ったのだろうか。
その扱いが、ありがたい気もする。
そして。
問いかけをしたリコの目に、ようやくグスタフさんの言葉の意味がわかってきた気がする。
殺した、と胸を張って良いのだろうか。横にいるモスクはまだしも、ほんの少しだけ声に戸惑いの混じったリコに向けて。
モスクと同類で、ハイロと同じ貧民街の出身だ。きっと殺人という行為自体には慣れているだろう。殺した、と告げても特に問題にはなるまい。
それでもなお。
そういう話を聞かせたくない。ようやくそういう話から遠ざかることが出来た彼女に向けては。
「殺せませんでした」
笑顔を作り、重ねてそう答える。その答えに安心したように顔の筋肉の緊張を解いたリコに、内心安堵したのが可笑しかった。多分、あの男の首を飛ばしたグスタフさんの背中を見たときにわき起こったものと同じ種類の感情。
そしてもう一つ。小さな嘘に、目の裏辺りが痛んだ気がした。
「そうだ」
リコが膝を手で打つ。良いことを思いついた、という表情を隠そうともせず。
「さっきの話。カラス君を許してあげる代わりに、一つお願いしてもいいかな?」
「なんでも」
何を決めたのだろうか。そこまではわからないが、何かを決めた。ならば従おう。
「俺たち、初めて会ってからもうすぐ十年くらい経つ。なのにちょっと不思議」
「……何が、ですか?」
にんまりと笑うが、その笑みの意味がわからない。
「ずっとカラス君かしこまってるじゃん。まるで誰にでも丁稚奉公してるみたい」
プッとモスクが噴き出す。
「この際だから言うけど、貧民街にいたときからちょおっと違和感あったんだよね。俺やハイロとは明らかに言葉遣いが違うし」
「それまでいた場所の違いじゃないですか? 方言みたいな」
言いながら、それは違うと内心否定する。この言葉遣いは、単なる癖だ。
僕の。多分、前世からの。
「言葉遣い、俺にそういうかしこまった言葉遣いやめてくれない? モスク君くらいには砕けてくれるかなぁ」
「いいな、それ俺にもやれ」
リコの言葉に便乗し、モスクもそう言い放つ。
つまりそれは、どういう……。
多分苦々しい笑みのままで、僕は言葉の続きを待つ。いや、これは待たないほうが……。
「いえ、あの、ですが……」
「……『いや、だけど』」
反駁しようとした言葉を、恐らく期待している言葉に直される。
「何でもするって言ったじゃん?」
「言葉遣いを直せと言われても……」
線引きは必要だ。自分でも言っていたが、リコは年長者。その時点で対等ではない。そんな相手にため口など……。
「え? お前のせいで腹ぶち抜かれたのに? 頼みの一つも聞けねえの?」
ケラケラと笑いながら、モスクがとても楽しそうに指摘する。というかモスクも何をついでとばかりに言っているんだろうか。
リコもお腹をさする。もう既に傷はなくなっているはずの下腹部を。
「……さっきは痛かったなぁ……」
「…………」
「死んだかと思ったもんなぁ。あれだけの大きな怪我は貧民街にいたときも……」
口に出来ない。先ほどリコに促された言葉と同様に。唇だけを動かし、何とか僕も言葉を吐こうとする。
たしかに、何でもするとは言った。その言葉を違えるわけにはいくまい。
けれどこれは、……というか、どうすれば。恐らく僕は未だにほとんど、そういった言葉遣いをしたことがないのに。
……誰かの真似? いつものようにそれでいけばいいだろうか。
そうだ、誰か、適当な人物の口調を真似て……。ちょうどムジカルとエッセンで言葉を切り替えるようなものだ。そうだ、そうすれば、なんとか……。
短時間だが、幾重にも重なった葛藤。冷や汗まで出てきた気がする。先ほどのニクスキーさんとの戦いですら出なかった汗だが。
絞り出すように、喉を震わせる。声が異常に小さくなった気がする。
「……口数少なくなるけど、いいで……いい?」
「大丈夫大丈夫、すぐ慣れるって」
だが明るい笑顔にそれ以上文句は言えず、黙り込む。
これ以上長い文章も吐ける気がしない。困った。
……まあ、いいだろう。
苦行と言いづらいこの苦行。この苦しみはきっと長くは続かない。
これ以上仕事の邪魔は出来ない。
それからまた少し僕への辱めを受けた後、そうモスクと視線で同意しあう。
見舞いは終わりだ。リコの身体は万全、ならばもう心配はいらない。一応特製の増血剤だけ置いて、僕らはリコの店から出ていく。途中受けた一部の職人の視線は、もはやあまり気にならない。
だが一つ、帰り際に言われたことにはまた困った。
「俺とモスク君だけだと変だから、ハイロにもね。びっくりしちゃうだろうから、あいつには君からちゃんと説明してよ?」
「……善処し……する」
ああ、これ、真似するべきはニクスキーさんだ。
ちょっとだけ泣きそうになりながら、僕はそう思った。