その人にとっては
「申し訳ありません、形式上必要なので……」
僕らが部屋に足を踏み入れると、仕立てのよい制服を着た職員が頭を下げる。当然のようにオトフシはそれを流すと、机に向かい、依頼箋だと思われる紙を差し出す。
先ほど自分で作った折り紙の封筒を添えて。
「依頼された指輪だ。間違いないとは思うが、確認を頼む」
頷き、職員が封もされていない封筒を机の上で開いた。
中から出てきたのは、少し黒ずんだ金属製の指輪。飾り気もなく、デザイン性もないただの輪っかだったが、裏側に傷のようなものがある。すり切れて文字としても読み取れないくらいだが、多分、名前が刻まれているのだろうと思う。
ポケットから白い手袋を取り出し、慣れた手つきで職員が準備をする。まるで、宝石商が宝石の鑑定をするように。
恭しく手に取られた指輪はやはり、言ってはなんだがとても粗末で、とてもそんな扱いをされるようには見えない。材料さえあれば僕も作れそうなほどで、芸術品としての価値もなさそうだった。
職員がもう一枚、懐から紙を取り出す。
広げて見ているその中身をちらりと見ると、指輪のスケッチと、特徴……やはり、書かれていたのは名前だったらしい。夫婦それぞれの名前が本当は刻まれていたようだ。
紙と実物を見比べて、何度も様々な角度から指輪を見て、ようやく職員は頷いて笑顔を作り直した。
「はい、たしかに。それでは、こちらが報酬です」
それから、それも用意してあったのだろう。懐から封筒を取り出すと、それをそのままオトフシに手渡す。膨らみからして、金貨か銀貨か。わずかなそれが報酬だとするならば、銅貨ということはあるまい。
オトフシはそれを受け取ると、中身も確認せずに外套の懐に入れた。
職員がようやく僕の方を向く。
「今回、捜索にカラス様も参加されたのですか? オトフシ様が小隊を組むなど珍しい」
「いいや、別口だ。たまたま会ったのでな。構わんだろう?」
「おや、失礼しました」
貼り付けたような笑顔のまま、職員が僕の担いでいる袋を見ると、また頷いた。
「依頼品の納入でしょうか?」
「はい。血止めと消毒薬に使える薬草がほしいとか。窓口も、商店ではなくこちらで」
僕も懐から依頼箋を取り出し、職員に渡す。それをゆっくりと確認し、職員はちらりと外を見る。
「では、品質の確認と報酬の準備をして参りますので、こちらで少々お待ちください」
「お願いします」
僕から薬草の詰められた袋を受け取ると、頭を下げて職員は受付に繋がる扉から出ていった。
扉が閉まる。
それと同時に、小さなため息が聞こえた。確認するまでもなく、オトフシから。
「何か?」
僕が尋ねると、オトフシは鼻で笑う。嘲るようでもないが、楽しそうでもない表情で。それから長い瞬きをし、壁により掛かってからようやく口を開いた。
ギシ、と壁が鳴る。
「いや、なに……。まだ、そのような小さなものを受けてるのか、とな」
「小さいですか? たしかに実入りがいいものではありませんが」
担ぐ袋一つで銅貨五枚。銀貨一枚にも届かない。たしかに少額ではあるが、それでも、今までと変わらずこれが僕の生業だ。そもそも貴族などから引き受ける依頼以外の採取はあまり実入りがいいものとは言えないし。
まだまだイラインに僕が帰ってきたことは広まっていない。
指名依頼もない今、それくらいしかないということもあるが。
「お前ならば、ネルグの奥に入って竜を狩ることも出来るだろう。それだけではなく、深層にいるという聖獣やまだ見ぬ魔物まで。そのどれかの一部を持ち帰るだけでも、先ほどの薬草とは比べものになるまい」
「時間かかるじゃないですか」
今度はオトフシの言葉に僕が笑う。
「……少し前にエーリフのほうで聖獣探しはしましたけど、浮島以外は見通しのいい溶岩の海でさえ何日もかかったんです。入り組んで複雑なネルグの地形では、習性を知らない魔物はもっとかかりますよ」
「それでも、その時間をかけてもあまりあるほどの収入ではないか?」
「そもそも、聖獣とかって生物っぽくないですし。あんな化け物と戦うなんて怖いですし」
茶化すように、僕は冗談じみた口調で返した。
焦熱鬼の姿を思い出せば、冗談でも何でもないが。
「エーリフ、というと……焦熱鬼か?」
「ええ。戦ったのは僕ではなく同行者ですけど。あの人……スヴェンさんみたいな殴り合いは勘弁してほしいです」
怪獣同士の戦いというのはああいうものなのかと思った。多分、昔僕もテレビでそういうものを見たことがあるだろう。放射線を浴びて変異した蜥蜴の怪物と、先史時代の巨大な類人猿が真っ向から殴り合う。そんな感じの。
さすがに僕も、彼らと真っ向から殴り合いたくはない。拳での突きで山が破砕し、叫び声と共に発せられる熱波は溶岩にも耐えている岩石を融解させる。そんな相手にも対策がないわけではないが、それでも。
僕がスヴェンという名前を出すと、オトフシの顔が曇る。そういえば知り合いだったっけ。
「そうそう死なない男だが、まだ生きてたか」
「エーリフでずっと焦熱鬼を探していたようですね。ばったり会ったときはびっくりしました」
溶岩の海にも入らず、近づいただけでも障壁を張り続けなければいけない過酷な環境。人がいるとは思わなかった。
……溶岩に浸かっても大丈夫な彼を、人と呼ぶのは少し抵抗があるが。それでも人だ。
「ネルグにいる聖獣も、きっと焦熱鬼みたいな感じでしょう? 襲われれば身を守るために戦いますが、さすがに探しにいくのはやめておきたいです」
「まあ、そこまで怖くはないという話だがな……」
もう一度、ふう、とため息をついてオトフシは世間話を打ち切った。
天井を見上げて薄く笑いながら。
しかし、小さな仕事。それを言うならばオトフシも。
「オトフシさんこそ、街中で済む仕事じゃないですか。それも納入ということは、人間相手をするでもなく」
ならば小さな仕事ではないだろうか。僕がそう返すと、オトフシは肩をすくめた。
「……言うではないか」
「森の中の捜索ならば、僕よりもむしろオトフシさんのほうが得意分野ではありませんか?」
魔力圏内ならばともかく、魔力波での探査は物の精密な把握が難しい。エーリフのようなだだっ広い中で生物を探すというのならばまだしも、草木や小動物まで含めた生物に溢れているネルグで聖獣を探すのはそこそこ骨が折れる。
その点、オトフシならばと思うが。
「魔物相手も出来ないわけではありませんし」
断言しているが、推測だ。だが、僕やレイトン、レシッドたちと同じく色付きである以上、想像に難くはあるまい。
だが、オトフシは首を横に振った。
「さすがに妾も聖獣は厳しい。竜討伐ならば準備次第でどうにかなるかもしれないが、探索に関してはどんなに頑張ってもネルグの中層踏破程度が限界だ」
「竜がいけるのであれば、深層もいけるのでは?」
「無理だな。深層では竜も単なる餌の一種に過ぎないと聞く。お前やそれこそスヴェンでもなければ」
そんなに。僕も深層をきちんと探索したことはないけれど、やはり中層と比べてもまた違うのか。
「それに中層でも、必要な装備も考えれば採算は取れないだろう。妾にとっては街中で依頼をこなしていくのが精々なのだ」
フフン、と笑うが、その言葉が本当にも思えない。いや、限界なのは本当かどうかわからないけれど。
「小さな依頼、……先ほどのは指輪の捜索ですか?」
「その通りだ」
静かにオトフシは自らの外套を叩く。左胸、先ほど封筒をしまった辺り。
「妾は『小さな』とはつけられないがな。とても大事な依頼だよ。忘れてしまいたくないほどの」
「大事?」
封筒の厚みからしたら、報酬はそうたいした金額ではない。なのに、何が大事だというのだろう。オトフシの知人からの依頼だったとか、そういう話だろうか。
「大事な指輪だったそうだ。持ち主にとって」
「とすると、そんなに高価だったのでしょうか」
そうは見えなかった。宝石もない簡素なただの輪で、彫刻などが施されているわけでもない。ただ、名前が入っていて……。
僕が考えていると、オトフシはまた首を振る。
「いや。単なる鉄製の指輪だよ。値段からすれば銅貨一枚もしないだろうし、名前を彫ってあるせいで、余人にはただの材料としての価値しかあるまい。余人にはな」
その言い方であれば、本人にしては価値があるもの。
……ようやくなんとなくわかった気がする。
「本人たちにとっては、とても大事な物だった」
「『たち』。結婚指輪ですか」
「ああ十二番街に住む商家の当主と奥方が、対になって持っていたものだったらしい」
何もつけていない手を広げて、オトフシが光に透かすようにその甲を見つめる。
細く綺麗な指だ。装飾品でもつければ、きっと似合うだろうに。
「互いに相手の名前を彫り、その身朽ちるまで身につけておくはずのものだったそうだが」
「それが出来なかった……何故です?」
言葉に出してから思ったが、聞くまでもない話だ。先ほど読み取れなかった名前を思い起こせば、多分男性名。ならば、奥さんのほうに何かあったのだろう。
オトフシは一瞬黙りこみ、それから悲しそうに目を細めた。
「強盗だ。今年の始め、たまたま留守だった当主とその付き人以外が惨殺された」
「…………」
聞くまでもない、と思ったが想像以上だった。
事故か病死か何かかと思った。なのに。
そういえば、商家と言っていた。そこにヒントはあったのに。
僕が絶句したのを見て取り、少しだけ楽しそうにオトフシは笑う。今度は、嘲るような笑いだった。
壁を背に目を閉じ、オトフシは口を開く。
「酷い話だ。宝物庫は荒らされて、宝石や権利書はあらかた持ち出されていた。使用人たちのわずかな装飾は持ち去られ、そして奥方の左手にあったはずの指輪は、指ごと消失していた」
一息に言い切り、そしてオトフシは目を開ける。その目に射貫かれたように、僕は身を固めた。
「このギルドで妾は指名依頼を受けたが、もはや初老といってもいい大の男に泣いて頼まれたよ。他の何をも諦めても構わない。しかし、この街で商売を始める前に二人で作ったあの指輪だけはなんとしても取り返してほしい、とな」
「そこまで、ですか」
指名依頼と言っても、事情がなければ依頼主と接触しないことも多い。捜索と納入だけで済むこの依頼であれば、なおのこと依頼主と会う必要もない。
なのに、ここに依頼主は来ていた。それも恥も外聞も捨てて、熱心にオトフシに頼み込むほどに。
「この街で盗品を捌くには、お前もなじみ深いあの店しかない。妾は石ころ屋に赴いたが、指輪は売られていなかった。人の心がない強盗団にも羞恥心があったらしい。道中検分した無価値な指輪を、あの店に持ち込む気にならない程度には」
「それで五番街にいたんですね」
さきほどオトフシと会ったそのときを思い出す。
舞い降りた紙燕が手の先で畳まれ、『済んだ』と言ったその時。その時まさに、捜索が終えられたときだったのか。
「指輪やその他の無価値な物品は、目立たないように奴らの歩いた道沿いの廃材置き場に捨ててあった。もう少し遅ければ、廃材に混じり単なる鉄屑として処分されていただろうな」
オトフシの表情から一瞬だけ感情が消える。
拳を開閉させて、一度握りしめる。それから緩めて、ようやく空気も緩んだ。
「たしかに、報酬は蛙の尻尾程の少額だ。調度品は奪われ破壊され、財産をほとんど奪われてしまった依頼主に出せる精一杯がその程度だった」
……商家とは、そんなに簡単に没落するのか。まあ、権利書やら何やらを奪われればそうなるのかもしれないけれど。
「しかし、大事な指輪だった。今回の依頼主にとっては、人生をかけた誓いの指輪だ。共に歩み助け合う伴侶との絆を誓った大事な物だ。それを取り返す依頼を、妾は『小さな』とは言えん」
「……失礼しました」
僕は自分の言葉を訂正する。
確かに、それは大したことのない依頼ではない。僕にとっても、きっとオトフシにとっても無価値な指輪であるが、依頼主にとっては唯一無二の大事な指輪だったのだから。
そんな一応は反省した僕の言葉も、オトフシは薄く笑って流す。
まあ、知らなかったのだから仕方がない、と言ってしまえばそれまでだけど。
「……少し前にその強盗団も壊滅したらしい。血塗れで殺し合った、凄惨な姿となって」
「十一番街のあれですね」
「お前もその場にいたらしいな」
フフ、と楽しむようにオトフシは笑う。右手の人差し指と親指の爪を、研ぐようにこすり合わせながら。
「まったく、怖い店だ。あの店は」
「単なる薬物中毒でしょう」
反射的に、僕は無意味な反論をする。僕がいたことを知っている。ならば、その場にいた青い髪の女性も見られているだろうし、彼女の所属からも彼らの関与はオトフシには明らかなのに。
そんな僕の反論も、オトフシは無視した。
「奇術のような剣術使いに魔術師を有しているかと思えば、明らかな薬物なしで治療師の如く人体に精通した業を使う。およそ戦闘に役立たないであろう何かを使って、妾の知識の外からの攻撃を見せる。戦いのための技術であればある程度の規則性があるのに、あいつらは何をするかわからない。それが怖い」
……まあ、わかる。昔オルガさんに聞いた、『力』というものの種類の豊富さ。それを彼らには見せつけられている気がする。
「なあ、カラス。お前はどう思う?」
「何をでしょうか」
一転して真面目な顔になったオトフシの言葉に、僕は眉を顰める。何をと言われなければ答えることも出来ないが。
「あの強盗団の連中を殺したのは、石ころ屋だ。人を殺し物を奪い、価値ある物を無価値と断ずる無礼者どもを殺した。強盗の被害者たちは、感謝していると思うか?」
「人によるでしょう。知らなければそれまでで、……知っていれば、気が晴れる人もいるんじゃないでしょうか」
「ならば、あの店は善なるものか?」
「……違うでしょう」
この前まさに強盗団が死に至る家屋の前で、エウリューケと話したときにされたものと似たような問い。
そのときのエウリューケの言葉をまとめるように、僕は口にする。
「それまで強盗団の荷物を捌いていたのは石ころ屋です。そして、不都合なことをしたから壊滅させた。彼らが悪人を殺し、そして誰かに感謝されるようなことをしたとしても、そこに善意なんかない」
単なる結果だ。それも、最終的に利を得たのは石ころ屋だけの。
だから、僕にとっては。
それでも、僕にとっては。
「ただの、貧民街にある雑貨店です」
「そうか」
真面目な顔を崩し、オトフシは笑う。
そして弾みをつけて壁から離れて歩き出す。
「お前がそう思っているのならば、そうなのだろう」
すれ違いざまに僕の頭をぽんと叩くと、扉を細く開く。
「忘れるな。価値も意味も自分で決めるもので、自分だけのものだ。そして、妾は決めた」
「……何を?」
意味深長な呟きに、僕は問いかける。だが、オトフシは振り返らない。
「協力しない、ということだ。お前にも、次の依頼主だったはずの者にも」
「次の依頼……というと……」
話をまとめるに、その依頼主の目的は僕と競合すること。何の話だろうか。
「……妾が命拾いしただけのこと。依頼主になるはずだった者のことは話せないが、お前や妾が何をしようとも結果は変わらないし、何のことかはすぐにわかる。その戦いに妾は不参加を決めた」
「戦争ではないんですね?」
戦い、というのはきっとそれを指してはいない。ならば、今の話の流れからすると、きっとその対象は決まっているだろう。
「ある意味戦争だな。それも、表だっては言えない類いの、そしてごく小規模のつまらないもの」
「石ころ屋に、関わることですね」
「…………」
確認してもオトフシは応えない。
「お前のことだ、今考えずとも明日には必ずわかる。そして、どうせ何もならない。ただ信じて待て」
オトフシが押し開けた扉の向こうから、ガヤガヤとした声が聞こえる。
まだまだ行列は尽きないらしい。
「なあ、カラス」
「はい?」
「戦争は、嫌だな」
「…………。……本当に」
振り返った笑顔に少し憂いが混じる。
逆光のような薄影の中で、赤い目だけが際立って見えた。
香水の匂いを漂わせて消えたオトフシと入れ替わるように、ギルドの職員が入ってくる。
その手にあった報酬を受け取りながら、僕は今後の金策について考えていた。