白い紙赤い紙
「久しいな、カラス」
日銭を稼ぐための、森での簡単な採取依頼を終えた僕は、薬草の入った袋を担いで十二番街のギルドへ向かっていた。
その僕に、彼女は呼びかけてきた。存在は把握していたけれど、会釈で済まなかったか。
ちょうど誰かとの話が終わったらしく、銀の髪を靡かせながら彼女が振り返る。
赤い目が、僕をまっすぐに捉えた。
僕も頭を下げる。三年以上会っていなかったが、やはり彼女も何も変わりない。
「お久しぶりです」
「しばらく見ぬうちに大きくなったものだ。姿を見せぬからもしかしたら死んだかとも思っていたが……フフン、息災だったようだな」
僕の頭から足までを眺めるように見渡し、オトフシは自分の心配事を鼻で笑い飛ばした。
近くまで寄れば、香水のような匂いが香る。……不快な臭いではなく普通に化粧として使える類いのものではあるようだが、おそらく虫除け効果があるものだろう。
羽織った薄い外套の下にちらりと見える、黒革の鎧は健在だ。
ふとオトフシが空を見上げる。雨が降りそうな天気だが、雲越しに日の光も見えているので本降りにはなるまい。
僕に視線を戻されると、それだけで何故か少し緊張する気がした。
「子供は目を離すとすぐに大きくなる。……もはや子供とは呼べないか」
「まだまだ若輩者です。子供と言っても差し支えないかと」
「フ、その口ぶりも変わらない」
笑いながら、またふと先ほどと違う方向を見る。
そちらに僕も目を向ければ、一羽の燕が……いや、紙で形作られた折り紙の燕が舞い降りる。下りながら僕らの周囲を周回するように回り、やがてオトフシが差し出した右手に止まった。
掌に乗る程度の大きさの折り紙。昔見たいくつかのうちの、口があるタイプだろうか。
「……お仕事中でしたか。失礼しました」
僕はその姿を見て立ち去ろうとする。索敵か襲撃か、それとも別の何かか。そのどれにしろ、紙燕を使っているということは何かすることがあるのだろう。
「いや」
だが、オトフシは静かに首を振る。
指の先で丸まるように、紙燕が姿を変えていく。
独りでに解け、折り目のないところが折られ、扁平になる。便せんのような形になったその紙を外套の懐にしまい、僕の方へ体を向けた。
「今、済んだ」
「お疲れ様です?」
僕が応えるが、それには応えずオトフシが歩き出す。
「お前もその袋を見るに、ギルドへ向かうのだろう? 一緒に行くとしよう」
まるで戦いでも挑むような挑発的な笑みを浮かべながら。
「そういえば、僕三年ほどこの街を離れていたんですが」
「そうだな。噂では、リドニックに行ったと聞いたが」
歩きながらの会話。オトフシの気品というか威圧感のせいだろうか、啖呵売も僕らには話しかけず、通行人にも避けられている気がする。
そんなことを気にしながらも、僕は言葉の続きを繋いだ。
「ええ。リドニックに行った後、ムジカルにいました。ちょっと前にこの街に戻ってきたんですが、ギルドのほうで変わったことなんかありましたか?」
「変わったことといわれても難しいな。相変わらず、混雑していて汚い」
「それはわかります」
僕も依頼を受けたときの景色を思い出す。酒場と直結したムジカルの探索ギルドに比べると、騒がしさの種類が違った。
あちらは年中続く宴の騒がしさ。そしてこちらは、混雑する市場の騒がしさだ。
僕が苦い顔をすると、オトフシもそれを見てクスリと笑う。
「その様子では、違うギルドの風景を見てきたようだな。行ったことはないが、ムジカルのギルドはまた違うと聞くが」
それか? と声に出さずに表情で尋ねてくる。
「……そうですね。向こうはあまり殺伐とはしていませんでしたから」
作りの違いだけではない。仕事の種類まで違うのだ。魔物や人間を相手にすることもほとんどなく、そもそも雨期以外はあまり仕事がない。血に塗れた袋を担いでギルドを訪れる探索者も、鞘もない刃こぼれした大刀を腰に下げた探索者もムジカルでは見なかった。
対してこちらでは、血と泥に塗れた探索者が夕暮れ時になると窓口に溢れるのに。
まあ、僕に馴染みあるのがネルグに一番近い十二番街のギルドだから、ということもあるけれど。
「お前に興味あることかはわからないが、武闘派の色付きはだいぶ入れ替わったよ。レシッドは残っているが、イラインにいる四十ほどの色付きのうち、十名程度か? 人間専門は出ていった。……もっと旨みのある仕事を求めてな」
「旨みのある仕事?」
僕は言葉尻を聞き返す。対人間専門の色付きが求める旨い仕事というのは、一般市民にはあまり歓迎できない仕事だと思うけれど。
オトフシが僕へと視線を向けずに、前方を見つめたまま薄く笑う。爪を研ぐようにいじりながら。
「戦争だ」
オトフシの、ブーツのような長い革靴が石畳を叩く。
「すぐに起こるものではない。だが、もうすぐ起こると皆思っている。王都や貴族領に向かい、少しでもよい条件で雇われるために動き出している」
「向こうにある石壁みたいに、……戦争に備えてですか」
僕は背後に意識を向ける。貧民街と十二番街を隔てる防壁。それもたしか、戦争に対する備えだったはずだ。そのためにどこかの工房がイラインの騎士団から依頼され、モスクが設計した。
「面倒な話だ。戦争ほど面倒な話はない」
オトフシは、心底苦々しい顔でため息をつく。
「時間をかけて築き上げた何もかもを、鉄は一突きで打ち壊し、火は一晩で焼き尽くす。それがいいという者もいるが、妾は賛成できかねる」
「……二十年くらい前の戦争には参加したんでしたっけ?」
正確には、二十年と三年と少し前くらい。
懐から紙の束を取り出し、ばらまき自在に操った魔術師。充填魔術の使い手。
以前聞いた、エウリューケが治療師の傍ら魔術ギルドに入った経緯に出てきた魔女は、多分彼女のことだろう。
「ああ。あれ以外にも折に触れて、戦争には参加している。前回のあれは、聖教会に雇われてのことだった」
「聖教会は探索者も雇うんですね」
たしか彼らにも、武装戦力はあったはずだが。僧兵のようなメイスを持った兵をリドニックの戦場でも見たと思う。
オトフシは頷いた。
「補助戦力としてな。主戦力だったはずの聖教会の兵は激化した戦闘についてこられず、妾が補助の域を脱して戦わなければならなかったが」
「戦闘訓練とかしないんでしょうか」
「さてな。腕のほうはともかく、下着の中はさぞかし縮み上がっていたことだろう」
くつくつとオトフシは笑う。脈絡のない突然の下ネタには、毎度のことながらどう返せばいいんだろうか。
……無視が一番だろう。
「でもまあ、また今回も雇われるかもしれないんですね。そして、今度は僕も」
僕の声が無意識ながらも沈んだのがわかる。
前回は僕はまだこの世界に生まれてもいない頃だ。しかし、今度は僕にも招集がかかるかもしれない。ギルドを通したものであれば、罰金を支払えば参加しないことは出来るけれど……。
「嫌か?」
「ええ。それはもう」
探索者だ。今までそれなりに人間の相手はしてきたし、殺した人数も数知れない。敵ならば躊躇なく殺せるとも思う。
しかしそれでも、戦争という一大イベントに関わるとなると、少しだけ躊躇ってしまう。
昔は、参加出来ないことが恥ずかしかったのに。
「……フフン。まあ、仕方がない。好き好んで殺し殺される者たちばかりではないからな」
オトフシは目を細める。その目は誰かを思い出しているように。
「妾とてそうだ。誰が戦場に打って出たりなどするものか。そのために、治療師団の護衛を引き受けたのだ」
「そのために?」
治療師団の護衛などすることになれば、それこそ戦場に出ることになると思うが。
「騎士隊などに帯同する治療師たちなどではなく治療師団であれば、その任地は戦場の後方だ。撤退してきた怪我人を癒やし、戦線へと戻すのが役目。その護衛であれば、前線には出まい……と思ったのだが」
「先ほど、激化したと仰っていましたが」
「その通りだ」
オトフシが指を立てると、何かでコーティングされた爪の先がきらりと光る。艶のあるジェルのようなものは、爪の先の保護だろうか。
「数万の配下を引き連れた〈貴婦人〉の襲撃により、後方だったはずの拠点が突如最前線となった。死者や怪我人は少なかったものの、数十人はいた治療師団が壊滅状態になったよ。兵たちも駐屯していた拠点ごとな」
「……それは、また……」
想像して少しだけ気分が悪くなる。
〈貴婦人〉の配下。それは人間もいるものの、おそらくはほとんどが……。
「なかなか愉快ではあったがな。護衛兵たち、屈強な見た目の大の男が、子犬ほどしかない毒蜘蛛に恐れをなして飛び上がる様は」
ハハハ、と本当に愉快そうにオトフシは思い出し笑いのような笑顔を作る。
香水の匂いも相まって、本当に花が咲いたような気がした。
「後で知ったが、〈貴婦人〉は治療師がお嫌いらしい。幸運を選んだつもりが、妾は不運を引き当てたようだな」
「じゃあ治療師も駄目じゃないですか」
治療師に帯同して戦場に出れば、〈貴婦人〉フラム・ビスクローマがやってくる。
相手はムジカル最高戦力五英将の一人。こちらでいう聖騎士団が、団単位でやってくるようなものだ。仮に色付き数人がまとまっていてもひとたまりもない。
僕の言葉に、オトフシはまた頷く。
「だから今回は身の振り方を考えなくてはいけない。また招聘の文がギルドに届き始める頃だ。お前も早めに選ばぬと、違約金が大変なことになるぞ」
それから楽しそうに笑う。人の不幸を……。
「やっぱり断るとお金かかるんですね」
「既にギルドを通して先約があれば別ではあるがな。一通しか選べないことを逆手にとり、誰かからの招聘に交渉中だと誤魔化すことも出来るが……まあ長くは持たん」
実証済みだというように、オトフシはため息をついた。
この国で、探索者が戦争に参加するための道は大きく分けて二つあるという。
一つは志願。
戦争が始まると、大体の都市で募兵が行われる。無論、騎士団のようなきちんとした戦力としては扱われないものの、やる気ある彼らは前線に立たされるという。
武器も防具も支給され、餓死することはない程度の食料も出る。故に、貧困に喘ぐ一般市民がそれなりに参加するらしい。
もう一つが、雇用されての参加。こちらが、僕の危惧しているもの。
貴族が正規に動員する騎士団に加える戦力として雇われ、共に戦う。本来は王族と各都市、そして領地貴族が所有する騎士団を使うのだが、それで足りない場合もあるからだという。
それに加えて、見栄や政治もあるらしい。
宮廷貴族はわずかな私兵を持つことはあっても、通常騎士団という規模では持たない。なので一応は、戦争に戦力を投入する義務はない。
けれども、宮廷内での立場を保つために、彼らは兵糧や戦力を供出する。
そのために使われるのが傭兵や魔術師、探索者だ。ギルドを通じて雇い入れ、自分たちの名代だとして戦線に投入する。
前回のオトフシも、似たようなものだ。
治療師たちの護衛として雇われ、彼らに帯同して戦場に出た。
細かな区分はあるが、おおざっぱに言えば志願兵は本隊、雇用兵は別働隊だ。
指揮系統自体が少しだけ異なり、志願兵たちは王族の威光の下、采配を振る指揮官の指示に従う。
だが、雇用兵は違う。
もちろん優先されるのは王族の意向だが、それでも命令がない限り、どこに行くかは雇った貴族たちの意向が反映されることが多い。
功を競う貴族はもちろん雇った兵を最前線の激戦区に投入し、戦果を上げさせようとする。
ただ、己の出世のために。
……オトフシと話していて思ったが、まるで赤紙での招集を凌ぐような話だ。
僕たちに対してはあんな強制権はないはずなのに。金貨の量の問題で、半ば強制的な扱いになってる気がする。
雇用兵となるのは、もちろん断ることも出来る。抜け道は数え切れないほどあるものの、強制的に徴発するのは一応貴族法で禁じられている。
だが、僕たちの場合はギルドを通してくるのが面倒だ。
指名依頼ということで、断った場合は違約金を支払わなければいけない。それも、銀貨や金貨が飛び交う程度の額を。
醤油でも一気飲みすればいいだろうか。この世界では、魚醤や肉醤醢は見たことあっても大豆で作られた醤油は見たことがないけど。
探索ギルドをやめるという手もある。その間は他で何か生計を立てるという手も。
だが一応、これが僕の唯一の社会との繋がりと言ってもいい。なくせば野生に帰ることになる。また。
「まずは貯金ですね」
「そうしろ。妾も金策に走らねば」
まあ、これから真面目に稼ぐしかあるまい。
魔物を狩って、薬草を集めて。
貯めていたはずの金貨も、いつの間にかお腹に入っているのが一番の障害かな。
それに、僕を雇おうとする貴族などいないかもしれない。戦うとしても、僕は主に魔物相手に戦ってきた。特に人間相手をするために雇われることなどほとんどなかった。
だから、僕は放置される。
それが一番だ。そう願う。
ギルドに足を踏み入れれば、なるほどというか、やはり汚く騒がしい。
ネルグに限らず、森は日が沈めば当然格段に危険が増す。街中でも、夜中の仕事はあまりない。そんな理由が数多く集まってのことではあるが、どうにかしてこの混雑も解消できないものか。
夕暮れ時も近いギルドは、いつもと同じく血と汗と泥の臭いが充満していた。
僕らを押しのけるように入ってきた男性が担いできた袋は血が滲んでいる。臭いとシルエットから、多分小型の穴熊だろう。黒地に黄色い斑点がポツポツとある熊。基本的に草食で、新鮮で血抜きさえしてあれば味は悪くない。
肝臓の一部分に生成される、薬効成分の濃縮された袋を目当てに狩られるようだが、その場で取り出してくればいいのに。
前から来た、布地の色がわからなくなるほど煤にまみれた細身の女性は煙突掃除の帰りか。黒く色がついた顔に、少しばかり血走った目が強調されている。
僕が見ているのに気がつくと、それでも汚れが恥ずかしくなったのか、頬の煤を袖で拭いて落としていた。
「……こればかりは変わらんな」
「ええ」
早朝と昼間、あとは夜遅く。それくらいには空いていても、やはり皆が集まるこの時間帯は人が多い。
だからこそこの時間帯を避けていたが、久しぶりのイラインで油断していたらしい。
並ぶと大体嫌な目に遭う。それに並ばずともここにいるだけで、結構な頻度で。
僕を見ていた視線、その出所と目が合って、僕はため息をついた。
昔は見上げる大男だったのに、今では他よりも大柄に見える程度だ。
その探索者は僕が自分を見ていることに気がつくと、一歩下がって身を引いたように見えた。
たしか名前は……トン……トンクス……? 違うな。多分そんな感じの名前だったと思うけれど。とにかく僕は彼の名前を覚えていないが、向こうは覚えているだろう。何度も、何度もここで絡まれた。テトラと一緒にいるとき、レシッドと一緒にここに入ってきたとき。その他、何度か絡まれ、その度にやり過ごしてきた気がする。
仲間らしき男たちは初めて見る気がするが。……皆植物や小動物の入った袋を手に持っている。多分ネルグに入ってきたのだと思う。
今日も絡まれるのだろうか。
売名のため、そして僕や僕と一緒にいる人間の名誉を傷つけるためにするその行為は、実害はほぼないとはいえ、毎回結構な不愉快さがある。
今日何かされそうだったら、少しだけ苛烈にしよう。
そんなことを思いつつ僕は視線を切る。
カウンターから伸びる列の最後尾を探し視線を漂わせると、その視界の端で名前を忘れた男が息を飲んだ気配がした。
男は僕を見て、それから少し後ろで僕たちの様子を眺めているオトフシの姿を見て、肩を震わせた。
「きょ、今日は混んでるから、後にしようぜ。どっかで時間つぶすぞ。おい」
不審に思った僕が視線を戻してじっと見ると、名を知らぬ彼は仲間に顎で外を示す。仲間もよくわからないままにその誘いに乗って一歩踏み出した。
列が四人分ほどぽっかりと空く。その後ろに並んでいた男性は僕の顔を見て、列の先を見て、もう一度僕の顔を見る。
僕が列に横入りするとでも思ったのだろうか。
会釈して一歩下がると、安心したように男は進み出て、やがて十数人が並ぶ列はまた切れ目なく一本の線になった。
ギルドの入り口を見れば、何とかという男は足早に出ていく。
木の扉を押し開けて、暗くなり始めた通りに消えていった。
今気がついたけど、雨が降り出したようだ。
「誰だ?」
そんな様子を見ていた僕に、オトフシが尋ねる。
誰だ、と聞かれても僕にもわからないというか覚えてないのだけれど。
「……誰でしょう? 昔、僕によく突っかかってきた男性です」
「ほう」
半笑いでオトフシが応える。
「今日も来ると思ったんですが、来なかったようです。何故か」
歳をとって落ち着いたのだろうか。そんな感じの何か理由があるのかと思ったが、そうにも見えなかった。
年寄りとも言い難い大の大人だ。三年程度の月日で大きく変わることはないし、老け込むような歳でもないだろう。
「……ああ」
だが、変わっていることがあった。一応彼らも反応していたし。
「でも、やはりオトフシさんのおかげですかね。レシッドさんが一緒だったときには、レシッドさんにも喧嘩を売ってましたが」
正確には、喧嘩を売っていたのはあの男の兄貴分だったと思うが。
あの男よりも一回り大きな筋肉質の男性は、レシッドに喧嘩を売って一発で急所を叩かれて負けていたはずだ。
僕に、そして僕と一緒にいたレシッドに喧嘩を売ったのに、オトフシには売れない。
少し笑う。やはりその威圧感のせいだろうか。……気品と言った方が身のためな気がする。
しかし、そんな失礼なことを考えていた僕に、オトフシは苦笑した。
「人を番犬扱いするな。お前のせいだろう」
「僕ですか?」
オトフシの言葉の意味が一瞬わからず、僕は聞き返す。
僕のせい。いや、言い方が違うだけで僕のおかげだと?
「お前の腕は伸びたからな」
「ちょっと抽象的で、よく……」
わからない、と言おうとした僕の頬に、軽くぺたりと拳が当てられる。オトフシの右手の白く細い指が握りこまれ、人を傷つけるなど出来なさそうな拳が作られていた。
「先ほどの男は、どうせ売名行為をするような下らない輩だろう。その手の臆病な輩は、相手の拳が届かない距離であればいくらでも大胆に行動できるものだ」
当然のように僕には全く傷つけずに、拳が引かれる。魔術師や魔法使いの多くがそうではあるが、近くで見ても、染みも傷もなく荒事など出来そうにもない綺麗な手だった。
「……一度腕を折ってますけどね」
「それでも、見た目の印象というものはなかなか変わらない。少し時間が経てば、そんな恐怖も薄れてしまう。しかし、今はそうではない。あの男の拳が届く距離はお前の拳も届く距離だと認められた。誇るがいい、名実に外見が追いついたのだ」
オトフシが振り返り、カウンターの脇を見る。
目が合ったギルドの職員が、わずかに会釈をした。まるでオトフシを招くように。
「しかし、慎重であれども、臆病者とはなりたくないものだな。拳と拳が交わり剣と剣が結ばれるその下にこそ、我ら落伍者の居場所があるというのに」
ギルド職員の招きに与り、オトフシは歩き出す。
ああ、そういえば、僕はあまり使わなかったが、そういう便宜も図られるのか。
「どうせ納入だけだろう。お前も来い」
「……そうですね」
一応色付きでない探索者に悟られないように、さりげなく移動する。
列に並ばずに済む。色付きは、そういうところは助かるものだ。
オトフシと共に僕は歩き、彼女に先んじて別室の扉を開けた。