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閑話:次代へ

リドニックの風呂敷は畳み終わりです。




 静かな部屋に、衣擦れと筆を走らせる音が響く。

 その日もマリーヤは、昼過ぎから夕刻まで続く書類仕事に没頭していた。

 忙しくない日はあり得ない。毎日のように山積してゆく法整備の諸問題に、各部署からの陳情。それらを捌き、調整をつけながら各部の折衝を図る。その繰り返し。

 そして今日はもう昼過ぎではあるが、これから殊更に忙しくなるだろうという予感があった。

 それも、根拠がないわけではない。先ほどマリーヤの下に知らせが来たのだ。

 曰く、『メルティ・アレクペロフが武力蜂起を陰で指揮していたことを自白した』という。


 マリーヤは司法に関わる権限はない。

 故にその知らせを受けても、公にはどうにもできない。

 それでも、きっとこれから多くの陳情が集まることだろうと予想した。


 既に何通も集まっているのだ。

 まだ片手で持てる程度の量の書状ではあるが、書式もばらばらにその中身は同じようなものだった。

 それは、メルティの厳罰を求める署名。


 無論、それをマリーヤが受け取ったからといって何が出来るわけでもない。

 罪状は法が決める。個人の感情や正義感でその量刑を左右することは、法治国家としては誤りだとマリーヤは考えていた。



 筆を止めて、首を少しだけ上げて天井を見つめる。

 微かにため息をつけば、この城でメルティと過ごした日々が脳裏から呼び覚まされた。





『それで、それで? 山羊さんはどうなったんですの?』

『どうもなりませんでした。悪い狐に騙されてそれっきり、井戸の中で一人さみしく死んでしまったのではないでしょうか』

『そんな、……酷いですわ。山羊さんは、狐に騙されただけなのに……』

『狐の言うとおりでもあるのですよ。人にもよりますが、物事は、最初にお終いを考えてから始めたほうが上手くいきますから。山羊は、井戸に降りる前に出る方法を考えるべきだったのです』


 脳裏に声が響く。

 まだ幼いメルティの声と、自分の声。出会った当初は、彼女は五歳、そして自分は十五歳。自覚はないが、きっと、今よりも若い声だったに違いない。


 


 ある日のお茶会で、メルティにせがまれて話した小話。

 井戸に落ちてしまった狐が、自らが助かるために、通りかかった山羊に嘘をつく話。


 井戸から脱出できずに途方に暮れていた狐が、通りかかった山羊に井戸の水が美味しいという嘘をつく。

 その嘘に騙されて井戸の底に自ら降り立った山羊を足場に、狐は脱出する。

 そして、一人になり井戸から上がれなくなった山羊は、騙されたことに気がつき狐に文句を言う。『君が上がったら、自分を引っ張り上げてくれるといったじゃないか』と。

 そんな哀れな山羊に向かって狐は言い放つのだ。

『私なら、出ることを考えてから入るけれどね』



 元は千年前の勇者の残した手記に書かれていた話だったが、半分ほどはマリーヤの創作だ。

 勇者自身も、子供の頃に聞いた話だ。よって他にもその類いの話をよく書き残してはいたものの、幼い日のうろ覚えによるあやふやな話が多かった。


 

 女官だった彼女の主な仕事はメルティの話し相手。

 話し相手と簡単にいっても、その内容は簡単なことではない。


 彼女の一日は、王城内、城下町、そして国内外の噂話の収集から始まる。

 そしてその全てを精査し、噛み砕いて理解する。その噂話は誰がどのような目的で流したものか。それとも、自然発生したものか。判定しつつ、それをメルティに話しても良いものかと組分けていく。


 そしてメルティを前にすれば、彼女の話すとりとめのない話に付き合いつつ、飽きさせないように話題を操作し、適切な相槌を打ち、気分良く喋らせる。飽きないように豊富に取りそろえた話題を、日ごと、刻ごと、時には四半刻ごとに提供する。


 そのメルティとの会話中も気が抜けない。知らないふりをすることはあっても、メルティの話した知識を今後知らないでは済まない。会話の端々から情報収集を怠らず、全てを頭の中で並列で維持していく。

 笑顔を浮かべながらも、メルティの話したことを頭に叩き込み、万が一にも忘れることはないようにする。

 

 悩み事があれば察し、聞かされれば慎重に詳細を確認し、侍女だったソーニャや各担当に相談してさりげなく便宜を図る。


 そんな、果てしなく続くメルティへの接待。

 それだけで終われば良い。だが、それだけは終わらない。



 彼女の能動的な仕事もある。

 不快な思いをさせないように話を運び、それでいて明らかに間違っていたことがあれば静かに諭し正す。


 勇者の手記からの引用もその仕事の一環で、そして彼女の工夫の一つだ。

 一応、教師は別にいる。出過ぎた真似だとは思っていたが、それでも必要だと思った。

 まだ彼女に対する憎しみもなく、ただ善意から、マリーヤは彼女に自分なりの『正しい行為』を伝え続けていた。



 

 そこまで思い出し、クス、とマリーヤは笑う。

 今思えば、楽しんでいたのかもしれない。自分の再構成した勇者の寓話に、メルティが目を輝かせて聞き入ることを。教師の教育にすら耳を貸さなかったメルティが、自分の話を『次は、次は』とせがむ姿を。


 まだ信じていた。聞かせ続けた自分の話が、いつかメルティを通じてこの国の役に立つと。


 そして、マリーヤが浮かべていた優しい笑顔が自嘲に歪む。

 きっと聞かせ続けた話は無駄になった。メルティ・アレクペロフは今、自ら死に至る犯罪者になったのだ。






 扉を叩く音が響く。

 その前に、微かに聞こえていた金属の鎧がすれる音。明らかに、自分が呼んだ客だろう。その音を確認したマリーヤが、どうぞ、と一声だけ上げて扉へと視線を落とした。


 やがて、銀の鎧が机の前に立つ。

「お呼び立てして申し訳ありません」

「どうせ予定なんぞないんじゃ。遠慮なぞするもんじゃないわい」

 マリーヤの私的な執務室へと招かれたスティーブンは、満面の笑みを浮かべてマリーヤの言葉に応答する。双方ともに社交辞令ではあるが、それでもそれなりに本音でもある。

 スティーブンにとって、朝のグーゼルとの修練を終えてしまえば、後の時間は自由時間だ。


 スティーブンが、髭をしごき短く息を吐く。

「……メルティ殿のことかのう?」

 自分が呼ばれた理由を考え、そして尋ねる。なんとなく確信があった。

 メルティのことは、スティーブンも親しい騎士から聞いていた。そうでなくとも、めまぐるしく場内を駆け巡ったその元王族の醜聞は、城の誰しもが知っていることではある。

「そう思いましたか?」

「これだけの一大事の最中じゃ。マリーヤ殿が、何もしないことはあるまいて」

「あの女に対して、何もすることはないのですけれどね」

 マリーヤは鼻を鳴らす。メルティに対しては何もしない。今回ばかりは本当にそのつもりだ。処刑台に上がるまで、彼女に対して手出しはしない。そう自戒すると決めていた。


「月野流道場、好調でしょうか?」

「……? ああ、良い感じじゃよ。まだまだ師範代の育成は終わっとらんが、もうそろそろ手も離れるのう」

 スティーブンは白波の際の活躍により、着実にその勢力を増していた。

 騎士や衛兵。その他の武芸者が月野流剣術を学び、そして生計に役立てる。


 ここリドニックでも王都と周辺の街に三軒の道場を構え、そしてその経営も軌道には乗りつつある。もはや、隠居したければしてもよい程度の自由はある。

 もっとも、本人は齢八十に近づきつつも、まだ隠居する気は毛頭なかったが。


「……そろそろ、一度イラインへ帰還したいとお聞きしましたが」

「そうじゃのう。いい加減、長く空けとくと弟子たちに顔を忘れられそうじゃからな。たまには稽古もつけてやらにゃいかん奴もおるし」

 隠居をする気はない。だが、そろそろ次代のことについて考えるべきだろう。そう内心、スティーブンは悩んでいた。

 経営にも明るく指導力も剣術の腕も申し分ないクリスは次期当主候補筆頭としても、それとも素行は悪くともそんな欠点を追いやる程度の腕を持つエースを指名した方が良いのか、はたまたその下のバーンたちの世代か、まだまだ次代については悩むことが多々ある。


 自分は老いていく。その前に、まだ意識が清明な内に判定をしなければいけない。

 そう、毎日のように衰えていく自分の体を目の当たりにして、常に弱い火に炙られているような気分だった。



 スティーブンの声に、少しだけ沈んだ気配が混じる。それをマリーヤは読み取り、そして掻き消すように声を明るくした。スティーブンに不快な思いをさせるために呼んだわけではない。


「その、イラインへ帰還なさる日。こちらで都合をつけさせて頂くわけにはいかないでしょうか。もちろん、そうして頂ければ雪車などはこちらで用意いたします」

「……マリーヤ殿たちが決めるということかの?」

「はい。申し訳ありませんが、私の個人的な頼みがあるのです」

「構わんが……今年中になるかのう」

 あまり遅くなってもいけない。そう思いつつも、なんと言われてもスティーブンに断る気はなかったが。

「今年中というよりは、少し早いと思います。おそらく、あと二十日以内には」

「二十日。随分と急じゃの?」

「……ええ。もちろん、スティーブン殿がよければの話ですが」

 正確な期日はまだマリーヤにもわからない。しかし、目算はある。そして、断られたとしても別によかった。その場合は少しだけ自分の仕事が増えるだけだ。

「まあ、構わんよ。グーゼル殿にも言っておかねばな」

「ええ。よろしくお願いします。路銀やリドニック内での宿泊施設の手配もお任せください」

 

 これで一手、マリーヤが手を打つことが出来たと安堵した。

 ここまで言えば、この気の良い老人は断るまい。そう考えて。


「そしてもう一つ、お頼みしたいことが。こちらは公式の依頼ですが……」

 コホン、とマリーヤは咳払いをする。喉に何かが詰まったように、言葉が出しづらかった。

 そんなマリーヤを見咎めて、スティーブンが片目を見開く。口調は柔らかでも、目の前の女性が緊張している。そう感じた。

「なんじゃ? 改まって」

「スティーブン殿、……」

 さすがに言葉が詰まる。マリーヤは、自分の反応が少しだけ可笑しかった。

 この反応は、忌避感からだろうか。それとも、自分の倫理を曲げる行為に対する嫌悪感だろうか。


 それでも、これを依頼しないわけにはいかない。

 これを頼むとしたら、自分の知っている人物でなければ。


 正確には、自分の息がかかった人間でなければ。


「人を……」

 マリーヤは唾を飲み、意を決して言葉に出す。それでも、その内心を表に出さない見事な演技だった。


「人を、斬っていただきたいのです」


 マリーヤの言葉に、スティーブンが目を見開いた。






 スティーブンが帰ったしばらく後。

 扉の向こうから足音が響く。それも、廊下を勢いよく駆ける豪快な音。壁に何度もぶつかりそうになりながらも、実際に誰かに衝突してされた側が小さく悲鳴を上げてもなお止まらないその音に、顔を上げずにマリーヤは口角を上げた。


「マリーヤ!!」

 バン、と勢いよく扉が開かれる。大股で入り込んできたのは、メルティ専属の家令ソーニャ・ロゴシュキンだ。

 いつもはいつでも礼儀に適うよう、丁寧な挨拶や仕草を心がけている彼女も今日はそうも言っていられない。

 主の危機だ。他の何を措いても、優先すべきものがある。しなければいけないものがある。


 扉を叩き、返事を待つ。そんなことすら出来ない慌てた仕草に、書類から目を離さずマリーヤはクフと笑った。

「乱暴なこと。あの女にそういうことを戒めていたのは貴方でしょうに」

「メルティ様が拘束されるとはどういうことだ!!?」


 マリーヤが、書類仕事を続けていた手を止めて眉を上げる。どういうこと、というのはこちらも聞きたいことだ。

「どういうこともなにも、貴方もその場にいたのだからご存じでしょう。メルティ・アレクペロフは兇徒聚衆(きょうとしゅうしゅう)の罪で拘束されました」

「そんなこと……!」

「以前より過激化の一途を辿っていた王党派の行動が、メルティ様の手によるものだったとは。嘆かわしいことです」

 殊更に残念そうにマリーヤは首を振る。内心では、その反対のことを考えていたが。

 だがその態度にソーニャは苛立つ。その内心までも読み取りながら。

「メルティ様はそんなことはしない、お前もそれはわかっているだろう!?」

「さて、どうでしょうか? 王城へお住まいだったときの姫様でしたら私も否定できるのですが。しばらくお会いしないうちに大きくおなりになったようですから、私も断言は出来かねます」


 マリーヤはソーニャから視線を外し、自嘲する。

 人は皆、知らぬ間に心に毒を飼う。今回のメルティの行動はたしかに不自然ではあるし、あのメルティにそんなことは出来ないとマリーヤは思っているが、それでも絶対ということはない。

 もちろん、今回の行動の意図までも、マリーヤはおおよそ推測しているが。


「それともソーニャ? あなたは『自分がやった』と言い放ち、そしてそのような証拠まで揃っている政治犯を擁護できる証拠までお持ちなのでしょうか」

「やった証拠もないだろう。メルティ様が書状を受け取っていたのは事実だろうが、メルティ様から送った文は一通もないはずだ」

「証拠隠滅のために燃やしてしまったのかもしれません。ああ、先に言っておきますが、今回拘束されたニコライという実行犯はもとより、メルティ様が関わっていた可能性のある武力蜂起未遂の実行犯に聞いても無駄です。彼らは、メルティ様が関わっていようがいまいが否定をするでしょうから」

 潔白の正直者ならば『やっていない』という。嘘をつき誤魔化す者も、潔白ならばもちろん『やっていない』と言うだろう。

 逆に悪事を働いていれば、正直者は『やっている』というだろうが、それでも悪人は変わらず『やっていない』と言うだろう。


 実際に必ずしも当てはまるわけではない。今回のように。

 だがやはり、一番信用できるのは『自分がやった』という一言だけだ。

 故に自白はもっとも信用され、そして確実なものとなる。

 それはエッセンの流れを汲み、法治国家となっているこの国でも同じことだ。



「お前の気持ちはわかる、メルティ様を処刑したいと、しかし、今回の処置は」

「こちらも先に言っておいた方がよろしいですね。私は今回、メルティ様の処分には口出ししません。あくまでも、彼女は法が裁く。所司……ことがことですし、刑部尚書まで持ち上がる案件でしょうが、そちらに口添えをすることはない。貴方がここで何を喚こうが同じことです」

 言い募ろうとするソーニャの言葉に被せるように、マリーヤは言い放つ。

 ソーニャはその態度に、酷い拒絶を感じた。

「なら、今回、メルティ様はどうなる……!?」

「さあ? どうでしょう。私の知る限り、今年王都で鎮圧された暴動は十二件。そのうち十件にメルティ様が関わっていたとされ、そして幾人かの怪我人も既に出ている。……それらは衛兵や騎士ですから不問に処すとしても、国家の転覆を謀ったことは大きな罪です」

 マリーヤは、顔を上げてかつての先王時代を思い返す。

 そのときも、革命軍が勝利するまでは多くの暴動が鎮圧され、そして死者も出ていた。今回は全てで死者を出さずに鎮圧できている。それはきっと、誇れることだ。

「懐かしや。先王の時代でしたら、斬首の刑でしょうか」

 剣呑な言葉を吐きつつ、フフ、とマリーヤは笑う。

 隣家の食料を盗んだり、税として納める作物が足りなかったとしても死刑となることが多かった時代。苛烈な法だった。囚人が一人も増えなかった時代ともいえる。禁固刑で囚人に使う食料すら足りなかったため、支出に関しての財政は大いに助かっていたが。



 そしてマリーヤの言葉の機微。先王の時代なら、という但し書き。そこにソーニャは気がついた。

「……今ならば、どうだ?」

「微罪や軽犯罪ならばかなり緩めてはいますが、そういった犯罪についてはまだ未検討に近い。変わらないでしょうね」

 しかし、結果は変わらない。それに落胆し、その楽しそうなマリーヤの表情に怒りに近い感情を覚えた。

「あの女が大好きな先王の作った法で死ぬ。皮肉なことです」

 堪えきれず、マリーヤは笑う。

 可笑しかった。楽しかった。

 人が死んでいた間、この城で安穏として暮らしていた姫。その姫が、死んでいった人間と同じように死ぬ。処刑場に引きずり出され、処刑人に首を切り落とされるのだ。



 国によっても制度は様々だが、この国では死刑が二つある。

 その結果は同じく死ではあるが、その目的も過程も一切が異なる。

 一つは絞首刑。足下が開く処刑台から、処刑人の合図で首に縄を巻かれた罪人が落下する。衝撃で頸椎が損傷し、罪人は糞尿を漏らしながら絶命する。それはそれで凄惨な光景だが、この国の死刑としては温情だ。

 もう一つの斬首刑は、処刑台の上で固定された罪人の首を、処刑人が一息に切り落とすというもの。

 そしてそちらは、より悪質な罪人に使われているものだった。


 リドニック独自の文化でもないが、彼らは死後の世界を重視する。聖教会で教えられる死後の世界では、死んだ人間の魂は空の向こうにある魂の炎というものの中に集い、そして次の魂を作る礎になるという。

 そこでは死に至った際の死体の形が五体満足ならば上質な魂とされ、形が崩れるほどに低質なものとなっていく。

 凄惨な死体となった者は、残念ながら神には尊ばれない。この国では、自然死、もしくは病死が尊い死なのだ。


 故に、死ぬ際に首を切り落とす行為は死者に対する最大限の侮辱であり、名誉を奪うものである。その文化から、斬首刑は最も重い刑罰となり、そして受けた罪人の家族すらも蔑まれる対象となってしまっていた。



 革命前の先王の時代。国家転覆を狙い武力蜂起を促した者は、間違いなく斬首刑に相当しただろう。

 そして、その近辺の法整備を終えていない今、同じ法を適用すれば間違いなく同じ結果となるだろう。

「助かってほしいですか?」

 嘲るようにマリーヤは尋ねる。ソーニャはその質問に奥歯を噛みしめた。

「……当たり前だろう。お前は違うのだろうが」

「ええ。私としては喜ぶべきことです。そして……」

 静かにため息をつく。目の前で取り乱す同僚の光景も可笑しくて。

「きっとあの時代、死んだ誰もが死にたくはなかったでしょうね」


 人により事情の違いはあれど、死に至るような罪は自分や近親者の死を逃れるための者がほとんどだった。

 食べるのに困り、食料を盗んだ。差し出せば飢えてしまうから、税としての食料を供出しなかった。

 自分のためではあった者は多いだろう。けれど、私腹を肥やすような犯罪ではなかった。そうしなければ生きていけなかった。

 法に背いているのはたしかで、確かにそれは犯罪だ。だがそれは生きるための犯罪だった。


 そうして皆生き足掻き、その生きるための行為が犯罪として裁かれて死に至った。

 マリーヤの父親も死に至る民を助けるために、生きてほしいと願い、北の戦線を支える兵糧を流出させた。

 そして死んだ。処刑場で首を切り落とされて。


「……残される者の気持ちが、少しはわかりましたでしょうか?」

 残される者。その言葉の意味が一瞬わからず、それでもすぐに気がついてソーニャが目を伏せる。

 たしかに、状況は似ているのかもしれない。そうは思った。

「……お父君のことは、残念だったと思う。けれど」

 状況は似ている。けれども、それでもソーニャにも譲れないものがある。マリーヤにとっての父親が死んでほしくない人間なのだとしたら、ソーニャにとってのそれは。

「それでも、頼む。お前が口添えすれば死刑は免れるだろう!? お前が……、お前なら!」

「それをする気がないと言っています。先のメルティ様への襲撃に際しての、兵士にかけた言葉は、失敗でした」


 寛大な処置を、という言葉は失言だった。それをマリーヤは今深く反省している。

 今回口出しをしないと決めているのは、メルティへの悪意からではない。

 明らかな犯罪まで人民裁判の対象にしてしまうのは、法の支配からも民主からもかけ離れた行為だからだ。

 前回の事例、その衛兵は、賓客へ危害を加えようとした。それは明らかな犯罪で、人民裁判の対象ではないはずだった。

 この国は法治国家。被害者たるメルティやソーニャからの言葉は考慮されても、その場に居合わせただけの自分からすれば度が過ぎる行為だったのに。


 それに。 

「死ねばいい。民のために食料を横流ししたお父様のように。あの女も、民のために決起した女として」

 マリーヤは笑う。

 やはり、許すことは出来ない。

 メルティ・アレクペロフはここで死ぬのだ。この手で殺すことは出来ずとも、その名前を持つ女がこの世から消え去るのは心地よい。

 アレクペロフの名前はここで絶える。父親を殺した王家への憎悪は、未だ消えることはない。


「……貴方も誇ればいいのですよ。貴方……いいえ、私たちが大事に大事に育てた姫は、民のために死ぬのですから」

「お前、それをわかっていて……!」

 その告白に、ソーニャの疑惑は確信に変わった。

 マリーヤは知っているのだ。メルティの言葉は嘘で、実行犯のニコライを庇うための言葉だったと。

「武器を取り、王城へ襲撃する計画を練る。そのための人員を揃えて、武器を調達し、行動するための時期を待つ。貴方の仰るとおり、あの女にはそんなこと出来るはずがない。ですが」

 マリーヤの笑顔が消える。その冷たい顔は部屋の隅に控えていた秘書官を震え上がらせたが、怒りに満ちていたソーニャには効果がなかった。

「出来るはずがないようにお育てしたのは私たち。違いますか?」

「王家の人間が、王城への襲撃を企てる。そんな教育など、するはずがないだろう」

「今はそんな話をしているのではありません」

 やはりまだ気がついていないのか。そうマリーヤはため息をついた。怒りで判断力が鈍っているために、ソーニャはその話の論旨が読み取れなかっただけだったが。

 だがもはや、マリーヤも解説を加える気はない。

 気がつけば良い。だが、気がつかなければそれでもいい。

「誇るべきなのですよ。私はともかく、その後も姫様に付き従ってきた貴方ならば」


 革命前からそうであったのならば、どれだけよかっただろう。

 民の死者の数は変わらずとも、どれだけの民の心が救われたことだろう。


 しかしもう遅いのだ。


「お優しいソーニャ。貴方にとって、お姫様はいつまでも可愛いのでしょう」

「どういう意味だ」

「言葉のままでございますよ。案外、王の一番の失敗は、貴方を姫様のおそばに置いたことかもしれませんね」

 フフ、と綻ぶような笑顔を取り戻し、マリーヤは書類に目を戻す。

 その拒絶の態度に、ソーニャはもう彼女からの取りなしは出来ないと悟った。


「さあ、ここにいても、貴方にも私にも何も出来ない。どうぞお帰りを」

「……っ!!」


 もう、話しても無駄だ。

 そう確信したソーニャは、飛び出すように部屋を出る。マリーヤが駄目ならば、刑部尚書に。

 

 だが、もはや王城内での立場を持たないソーニャの言葉は誰も聞き入れない。

 縁故で王城内に足を踏み入れることは出来る。だが、それまでだ。足を棒にしてかけずり回り、どうにか無罪、減刑をと考えても全ては徒労に終わる。

 メルティの死を望んでいるものは王城内にも多い。それを確認するだけの作業となる。


 日が暮れ、心当たりを当たり尽くしたソーニャは、肩を落として王城を後にした。




 それからも、ソーニャは手を尽くした。

 メルティの文箱から、王党派のめぼしい人間に接触し、どうにか手立てを探る。

 しかしその結果は芳しくない。

 王党派は王城内にはもういない。故に彼らが何かメルティを救うために効果的な何かをするとすれば、それは合法的な行為とは言い難い。

 そこまでする気がソーニャにないとは言えない。主を救うために、犯罪行為ならばいくらでもする覚悟があった。


 それでも出来なかった。

 メルティは冤罪だ。あのニコライという男を庇うために、きっとその罪を被ったのだろうとソーニャは思っている。

 だが今ここで、自分が王党派を使い犯罪行為をしたのであれば、それが真実となってしまう。冤罪ではない、ただの余罪となってしまう可能性がある。そうでなくとも反メルティで固まっている王城では、嘘でも真実となってしまうのに、と。


 メルティへの面会も全て遮断されたままである。外部と連絡を取り、奪還されることも考えた刑部尚書の判断だったが、それはただソーニャとメルティを引き裂くだけの効果しかなかった。



 やがて十五日の後。

 最後の革命裁判が行われることとなる。


 罪状は兇徒聚衆。暴徒を率いて王城の襲撃を行い、現政権を転覆させようとする計画を何度も立てて実行に移した罪による。


 メルティの元にあった手紙、それに彼女の証言も決めてとなり、裁判は速やかに進んでいく。

 傍聴席で聞いていたソーニャにも、スティーブンにもマリーヤにもその判定は公正で、一分の隙もないように見えた。

 ただ、メルティの嘘という一つの要素さえなければ。


 そして、裁判長として厳格な刑部尚書の一声で、判決が出る。


 メルティ被告、死刑。斬首の刑に処す、と。






 次の日の昼。

 王都外れの処刑場には群衆が押し寄せていた。

 

 その中央には、白い布により囲まれた陣地のようなもの。いつもはないその異様な光景に眉を顰めた者も多いが、それでも皆期待していた。

 メルティが死ぬ。税と刑罰により国民を苦しめて殺した暗君の一粒種、アレクペロフ最後の一人、メルティ王女が処刑されると聞き。

 実際には彼女本人を嫌っている者は少ないのだが。


 風でばたつく白い布の覆い。

 白い布の中は窺い知れないが、ヴォロディア王立ち会いの下、メルティは斬首されると決まっている。

 その死を受けての言葉も聞ける。


 もうすぐ、もうすぐ革命が終わるのだ。

 これで新しい世が来る。王家の時代は終わりを告げ、それから……。


 急造の処刑場を見ていた群衆の内の一人がそう考え、そして次の言葉が出ずに唾を飲む。

 王家の時代が終わる。それはきっとめでたいことなのだろう。

 だが、その次は?

 その次は、誰の時代なのだろうか。ヴォロディア王の? それとも、他の誰かの?


 心に浮かんだ不安を、頭を振って振り払う。

 石畳のわずかな段差に足を取られながらも、その国民は前を向く。目の前に広がる、熱狂に一様に染まった群衆が視界に入り、思わず目を瞑った。




 その白い処刑場が窓から見える建物の一室で、メルティは待機していた。

 もはや豪華な装いもなく、最近ようやく着こなせるようになった町娘の素朴な格好もない。

 ただの白い布を粗く縫った処刑衣で、綺麗だった髪の毛も後ろで一房にくくっていた。

 

 これから、あそこへと歩いていくのだ。

 そう内心呟く。


 怖い。久しく忘れていた死への恐怖が蘇る。

 膝の上に置いた手が微かに震え、飲もうとした唾が口の中に現れない。

 ピリピリとした空気が耳の後ろを炙り続ける。部屋の埃が、やけにくっきりと見えた気がした。


 顔は火照っているのに、手足が冷える。腹部が焼け付くように痛む。

 処刑場の白い布が眩しい。昼の日光に照らされているからかと思ったが、そうではないらしい。


 無意識に息が荒くなる。深く息を吸って吐き、強引に呼吸を戻しても歯の根が合わない。

 自分は死ぬのだ。国民に囲まれたあの中で、処刑台に首を固定され、一息に斬り殺される。

 

 噂話で、后だった母親は、何度も首筋に刃を当てられたと聞く。

 本当は一度で切り落とせたのに、何度も、何度も。


 今回の処刑人はどうだろうか。

 一息にしてほしい。この藁のような首筋が、簡単に切り落とせる剣士であってほしい。この期に及んでなおわがままなのかもしれないが、清廉な処刑人であってほしい。


 ちらりと視線を部屋の中に漂わせれば、逃走と反抗防止、それに外部からの侵入に対する護衛を兼ねた衛兵たち。

 彼らの視線が痛いほどに体に食い込んでいる気がする。彼らが自分を害する気がないことを知っていても。


 思わず俯きたくなる。今までのように。

 そうすれば、視界の斜め上に、頼れる背中が必ず見えた。今は、ただ何もない空間が広がっているが。



 それでも。

 唇を結び、顔を上げる。

 これが自分で選んだ道だ。これからの、この先の国のために、そして国民のために。

 守ってくれる人はいない。それでも、進まなければいけない。

 頬に白い光が当たり、メルティの顔が明るくなる。


 生涯初めてかもしれない、凜々しいと形容される目。

 視線が交わった衛兵が、その顔に視線を逸らした。



「失礼します」

 扉が叩かれ、返事を待たずに開かれる。その声の主はよく知っており、メルティは特に驚くことはなかった。

 その後ろから聞こえる金属の触れあう音に少しだけギョッとしたが、その音の出所の老人を見てその動悸も収まった。


 メルティの横、入り口からしずしずと歩み寄ってきたその元女官は、花が咲いたような笑顔を見せる。

「準備は整っておりますね。メルティ様」

「……マリーヤ……」

 強気に返そうとしても、語尾が消えていく。無意識に片手が宙を掻いた。

 マリーヤはその仕草をクスと笑い、そしてすぐに笑顔を嗜虐的なものに変える。

「ここまで貴方の予定通りでしょう? 何を今更怖がっているのですか。よもや、救いの手が現れるなどと思っていたわけではないでしょうに」

「死ぬのが怖いのは、当たり前ではなくてー……?」

 その笑みに、力のない笑みでメルティも返す。

 精一杯の強がり。けして俯かないように。



「ソーニャもそろそろ参ります。今回は、最後の挨拶を楽しまれるといいでしょう」

「……姫様」

 そろそろ、という言葉に違わず、マリーヤの言葉が言い終わらぬうちに声が響く。扉を重たそうに押し開け、そしてソーニャは顔面を蒼白にして幽鬼のごとく足を踏み入れる。

 震える声はメルティ以上に。そしてその四肢も萎え、もはや何か反抗してもマリーヤにすら制圧できる様子だった。

 よろけるように駆け寄り、メルティの前に膝をつく。

「……申し訳ありません、姫様! このソーニャの力不足です!!」

「姫様と、フフ……ソーニャ、もう私は姫ではありませんわ」

「……あっ……」

 力なく笑い、ソーニャの言葉を否定するメルティ。王党派との会話中に思い出された呼び方をしていることに気づき、慌ててソーニャは口を押さえる。

 しかし、悪びれる暇はない。これが最後の時間なのだ。

 長年仕えてきた姫との最後の時間。姫の最期。それを避けるために今まで奔走してきたソーニャにとって、認められない時間。


 逃げましょう、と喉まで出かかった。しかし、周囲を見回しそれも難しいと悟る。

 精鋭でない少人数の騎士や、衛兵ならばソーニャ一人でも何とかなるかもしれない。目の前にいるマリーヤも本来は何の脅威たり得ないだろう。

 だがその横に佇む騎士姿の老人。その姿に、その威圧感に体を動かすことが出来なかった。

「最後なんです。ソーニャ。そんな顔しないでくださいなー」

 殊更に、泣きそうな顔のソーニャと対照的な笑顔をメルティは作る。しかし、頬に触れたその手の震えに、主の胸中を読み取ってソーニャの目に涙が浮かんだ。

 俯いた床に涙の滴が落ちる。

「私は、亡き陛下になんとお詫び申し上げればいいのか……。……力不足で、姫様をお助けすることも出来ず、その心中をお察しすることも出来ない……」

「そんなことはありませんわ。ソーニャ、貴方が今までどれだけ私に尽くしてくれたか。()()()でお父様に確かに報告いたします。貴方のご両親にも」

「そんな……もったいのうございます……」

 はらはらと落ちる滴は止まらない。

 悔しくてたまらなかった。いったい自分はどこで間違えたのだろう。


 あのニコライ事件の日、使いに出てしまったのがいけなかったのだろうか。

 それとも、この国へ戻ってきて、マリーヤに会ってしまったことだろうか。

 この国に戻ってきたことだろうか。イラインを出たことだろうか。


 どこで、どうすればメルティ様は死ななかったのだろう。そう、自問し続けていた。


 そんな落ち込んだソーニャに向けて、メルティは最後に言いたいことを脳内でまとめる。マリーヤもいる今このとき。これが最後だと、言いづらいことを言わなければいけないと。

「……私はね? ソーニャ。これでようやく、王族らしいことが出来ると思っているのよ」

「王族らしい……?」

 涙も拭かず、ソーニャはメルティの顔を見る。せっかくの最後の機会、なのにその顔が歪んで見えた。

「この国に必要な民を、残すことが出来た」

 感慨深げに、メルティは微笑む。これが最後にした、自分の仕事だと胸を張って言える気分だった。


「よくわかりませんね。あのニコライという男に、そんな価値がありますか」

 ため息交じりにマリーヤが口を挟む。言葉の通りならば、メルティはニコライという木っ端活動家を残すために自らの身を張ったという。

 たしかに、立場は違えどメルティと同じ罪状のニコライは死刑になってもおかしくはなかった。今までは、死人が出ないようマリーヤが配慮してきたとはいえ、今回ばかりは。

 しかし、そのために? そんなことのために?

 

 助けたのだろうとは思った。罪を被ったのだと。

 だがそれは、同情や逃避からではなかったのか。それとも強がりか。

 マリーヤは、初めてメルティの行動の意図が図れなかった。


 そう不可解に悩むマリーヤに、わずかに優越感を覚えながらメルティは椅子の位置を直す。

「彼は、騎士団に対して声を上げましたー。それは、マリーヤ、貴方の唱える『民主制』というものに必要なのではなくて?」

「活動家ならば、他にもいくらでもいましょう。彼にこだわる必要はない」

 メルティの言葉に反論しながら、マリーヤは自分の言葉に違和感を覚えた。言っていることは正しいと思う。しかし、何かが足りない気がして。

「そう、彼だけではない。……マリーヤ、いつか貴方はお話ししてくださいましたね。四人の子供がお菓子を選ぶ話」

 思い出し、メルティは優しく笑う。

 そして、メルティの言葉に、マリーヤは目を見開いた。

「……ええ……?」

「四人の子供が、四つのお菓子から全員で食べる一つを選ぶ。そのとき全員が、『自分はこれがいい』と言わず、そして誰かに忖度すれば、誰も食べたくないお菓子を全員で食べることになる。そういうお話でした」

 懐かしい。目を細め、その光景を思い出せばメルティも涙が出そうになる。マリーヤの語るお話の数々は、どれも諧謔に溢れ、そしてきっと教訓めいていた。


 マリーヤのその話は、遠い世界ではアビリーンのパラドックスと呼ばれている。

 『多数決で選ばれた決定は、参加した人間の要望を全く満たさない場合もある』というもの。

 マリーヤは当然覚えている。しかし、メルティが覚えているとは思わなかった。


「だからー、彼のように、自分の意思をきちんと行動に出す人間は、残さなければいけない。そう思ったのです」

 えへん、とメルティは胸を張る。まるで、教師に習ったことを説明する生徒のように。

「そして、鳥の群れを追い払うための一番の対策。そのお話も」

「……一羽の鳥を石で殺す様を群れに見せる。あとは、石を見せれば逃げるようになる」

 マリーヤも、メルティの言葉に応じてそのときの話を思い出す。あれはエッセンの農民の知恵としての話だったか。


「声を上げた彼を処刑台に送れば、誰も声を上げなくなってしまう。その中には、必要な声もあるかもしれないのに」

「そうでしたね」

 マリーヤも、笑みを浮かべる。嗜虐的なものでもなく、なんとなく浮かんだ嬉しさに。

 その優しげな笑みに、衛兵たちも見惚れてしまう。


 マリーヤも気づいたのだ。

 そうだ。それこそまさに、今まで死人が出ないように配慮してきた理由ではないだろうか。誰にでも声を上げる権利はある。その声を封じないよう、敵対する活動家たちを黙らせないように今まで努力してきたというのに。


 声を上げずに、マリーヤは忍び笑いを浮かべる。

 メルティがニコライの罪を被ったのは、ただの同情か罪の意識からかと思っていた。

 それだけでも賞賛に値すると思ったのだ。あのわがまま姫が、人のためにその身を投げ出した。それだけでも、大変な成長だと、そう思ったのに。


 それ以上のことを考えていた。最後の最後で自分に一矢報いた。この姫様も侮れないものだ。今まで侮ってきたのは間違いだったのかもしれない。


「だから、ソーニャ。しばらくは笑ったりすることは出来ないかもしれないけど、わかってほしいの。私はただ罪を被ったわけじゃない。未来のこの国のために、命を使ったのだと」

 笑顔のまま、メルティも少しだけ涙を浮かべ、天井を見つめる。

「それにー。やっぱり私がいても、もうこの国では邪魔なだけなのです。私がいれば、それを旗印にして、また諍いが起きる。私に向けられる刃ならいいけれど、それが私以外に向いてほしくない」

 血を流すのはもうたくさんだ。革命でも、イラインでも血が流れた。自分のせいで、自分がいたせいで。


「……納得、出来ません」

 奥歯を噛みしめて震えるソーニャに、メルティはただ笑いかける。納得できないでも、理解をしてほしかった。

「姫様は何もしていないのに……そのせいで争いが起きるなど……。そんなの、姫様のせいでもなんでもないではありませんか!!」

 ソーニャは床を強く叩く。

「王の娘に産まれたのが罪だとでも言うのですか!! 貴方が貴方でいるだけで、そのような仕事が必要なんて、そんなのおかしいに決まっています!!」

「……それが、今までの王制でしょう」

 マリーヤの呟きにソーニャが顔を上げる。先ほどまでの声音とは、全く違って聞こえた。


「王の娘に産まれた。それだけで、責任が生まれる。仕事が生まれる。そして王は王にしかなれず、王族は王族でしかいられない」

「! だったら……!」

 涙が飛ぶ。唇を震えさせ、ソーニャは叫んだ。

「今は民主制とやらをこの国は採用しているのだろう!! だったら、王女としての責任なんか求めるな!」


 立ち上がり、マリーヤに一歩詰め寄る。その困ったような笑みに腹が立った。

 全てわかっているかのような顔をして、裏でなにやら手を回して、それでも自分は素知らぬ顔でいる。その態度に腹が立った。


「平等ならば、今のメルティ様は皆と変わらない。ただ一人の民で、王女なんかじゃない!! それを蔑ろにして、何が平等だ!! 何が新しい国だ!!」

 胸ぐらをつかみ、揺する。それでも表情一つ変えないことに、心底腹が立った。

「お前らの作る国が素晴らしいというのなら、救って見せろ! 元王女の国民一人くらい、救って見せろ!!」

 ソーニャがそう言い切った後にも、マリーヤは薄く笑う。そして自らの襟を掴むソーニャの手首を握り、表情を変えて睨んだ。

「……平等。今はそうでも、過去は違います。今は責任などなくとも、過去の罪がなかったことにはならない」

「何が罪だ! 王女が王城で健やかに暮らして何が悪い! 何が悪いと言うんだ!?」


 今度はマリーヤが苛立つ番だった。

 ソーニャが未だに気がついていないその宿痾。いいや、直そうとしているとどこかで感じる。それでも直せていないその思考の癖に、心臓をえぐり出して踏みつぶしてやりたい気分になった。


「やめてください。ソーニャ」

 涙を流しながら怒りを見せるソーニャに、肩越しにメルティは語りかける。目を伏せて、悲しそうに。

 その声にわずかに襟を持つ力を緩めながらも、ソーニャはメルティを見ない。その手を離すことはなかった。



「マリーヤ、ごめんなさい。こんな話をするべきではなかった」


 最後には、二人とは笑って別れたかった。それなのに、最後に場をこんなに荒らしてしまうとは。

 ソーニャの剣幕に、衛兵たちも警戒を払っている。これ以上マリーヤやメルティに何かをしようとすれば、すぐさま剣を抜き放つだろう。このような緊迫感の中、お別れするのは嫌だったのに。


「…………」

 苛立ち紛れにわずかに突き飛ばしながら、ソーニャはマリーヤを解放する。

 蹈鞴を踏み、そして襟を正しながらマリーヤは鼻を鳴らした。


「マリーヤ」

 そんなソーニャの肩越しに、メルティはマリーヤの名を呼ぶ。

「……何でしょうか」

「最後に、謝らせてほしいの」

 メルティの手が震える。

 怖かった。マリーヤの視線が。懸命に、言うべき言葉をまとめたのに、結局上手く言葉にまとめられないことを咎められるのが。


「……また、ただ自分のための謝罪ならばお受け取りできかねます」

 牽制のためにソーニャを睨み、呟くようにマリーヤは返答する。

 その声に負けないよう、懸命に足に力を込めた。

「あのとき、私は適当な謝罪の言葉を吐いた。でも、あれは間違いでした。多分、今でもまだ、貴方のお父様のことを謝ることは出来ませんわ」

 もはやそれは諦めに近い。

 マリーヤの父親が死んだ。それは知っている。そして、聞いているし、マリーヤがそのことについて激怒していたことも知っている。

 それでもなお、他人事なのだ。尊敬すべき父親が、マリーヤの父親を殺した。それは未だに、自分にとって遠い場所の出来事だ。


 しかし。

「私が貴方に謝らなければいけないこと。それは他にあったんですの。多分、今になってようやくわかりました」

 立ち上がる。その粗末な処刑衣で行ったはずの仕草に、衛兵やスティーブンたちは豪華な衣装の存在を感じた。


 メルティはそれ以上頭を下げない。謝罪に必要ないからではない。マリーヤの顔を見ていたかった。

「貴方は、私がどうすればいいのか本当は教えてくれていた。貴方から、ずっと私は贈り物をされていたのに気がつかなかった」

 そして、その『贈り物』はマリーヤからだけではない。ソーニャからも、その他の侍女からも、料理人や庭師に至るまで、王城に勤めていた多くの人々から贈られていたもの。


 ポロポロと涙がこぼれる。流すまいと思っていたのに。


「ソーニャは私に罪などないと言ってくれたけれど、あったと私は思いますの」

「それは?」

 囃し立てるようにマリーヤは合いの手を入れる。その言葉に、メルティは泣きながら笑う。


「ごめんなさい。私は、出来の悪い生徒でしたわ」



 クツクツと笑う。笑い声を上げるのははしたないとソーニャに叱られていたのに。

「……その言葉、五年前に聞けたらどれほどよかったのでしょうね」

 短く抽象的な謝罪の言葉。しかしその意味を読み取り、マリーヤは微笑む。王城にいたときに、メルティに向けていた優しい笑顔そのままに。

「しかし、もう遅い」

「ええ」

 清々しい気分でメルティは涙を袖に吸い取らせ、処刑場を見る。

 もう遅い。もう自分の終わりは見えているのだ。



 扉が叩かれる。

 失礼します、と一声だけかけて入ってきた衛兵は、三人の女性の顔を見て戸惑う。しかし自らの職務を思い出し、気を取り直して息を吐く。

「……時間だ。死刑囚は処刑台に上がれ」

「わかりましたわ」

 

 衛兵の言葉に清明にメルティが応える。指の震えは、いつの間にか止まっていた。

 その美しい笑顔に一瞬怯みながら、衛兵はメルティの細い腰に縄を巻く。そして両手首を縛り上げた。


「ありがとう、マリーヤ」

「何も礼を言われるようなことをしてはいませんが」

「……今までのこと、全部ですわ」

 

 からかうように返すマリーヤに、メルティは真摯に答える。

 二人の間に流れる空気に、メルティを引っ立てようとする衛兵たちの足も止まった。


「貴方が私付きの女官でよかった。知ってまして? 私、ずっと貴方のことを姉様だと思っていたのよ」

 幼い日の間違いを思い返し、メルティは笑った。もはや恐怖は微塵もない。

「……私が姉ならば、ソーニャは母親でしょうか?」

「なんとなく、しっくりきますわね」

 楽しげな会話。行き先が処刑場などではなく、ただの遠足でもいくように衛兵には思えた。

「ソーニャも、ありがとう。貴方以上の家令は、お父様付きにもいなかったでしょう」

「姫……様……」

 最期の言葉。それを否応なく感じてソーニャは言葉を詰まらせる。笑っては送れない。何かを答えなければいけないと思いつつも、言葉が出ない。

「お母様はきちんといますけれど、マリーヤの言うとおり、貴方はお母様みたいだったわ」

「…………」

 歯を食いしばり、嗚咽を抑えるので精一杯だった。もう、その手を握ることも出来ない。目の前が涙で歪む。どれだけ拭っても、視界は晴れない。最期なのに。


「ねえ、ソーニャ。私は、以前言いましたわ。どこまでもついてきてほしい、と」

「もちろん、どこまでもお供いたします……! 私は、どこまでも……」

「でも、その言葉は撤回します」


 呆気にとられてソーニャはメルティの顔を見つめる。

 悲しげな笑みが、涙越しにも鮮明に見えた。


「もう、私には貴方は必要ない。お願いです。どうかこれからは、自分のために生きてください。そしてもしも向こうで会えたのなら、精一杯の自慢話を聞かせてください。自分はこれだけ幸せに生きたと、自慢話を待っています」


 自分のことを追い、死ぬことは万が一にもやめてほしい。

 どうか、これからは自分のために幸せを追い求めてほしい。

 そんな願いを込めた、メルティの、精一杯の贈る言葉だった。


「ありがとう、二人とも。最期に貴方たちと会えてよかった」


 


 扉が閉まる。

 崩れ落ちたソーニャとマリーヤ、そしてスティーブンが残されたその部屋は、何も変わっていないはずなのに急に寒々しく暗く見えた。 


 そんな中、突然笑い声が響く。クスクスと忍ぶように上げられた笑い声は、静かな部屋にやけに響いた。

 泣き顔を歪めながら必死に耐えていたソーニャの耳にそれが届き、そしてソーニャの忍耐も限界を突破する。

 弾かれるように顔を上げ、マリーヤに食ってかかった。

「……何が可笑しい!!?」

「だって、ねえ……?」

 その怒りも涼しく受け流しながら、マリーヤは明るく笑う。メルティの最後の言葉に、世話になった探索者の少年に聞いた話を思い出しながら。


「……貴方が母親。言い得て妙でしたので、つい」


 パタンと口を閉じ、笑顔を止める。笑うことでもなかったと自省しながら。しかしそれでも、やはりどこか面白い。この状況に、皮肉が見えて。

「母親は、子供を今送り出した。それとも子供が母親を置いて出ていったのでしょうかね」

「…………!」

 限界だ。今までの友誼もあり、そして裏切ってもなおメルティからの信頼も厚かったこの女に対して、最後の一線を越えまいとしてきた。

 それなのに、仕える主の最期の言葉まで茶化されるのであれば、それは宣戦布告に等しい行為だ。


 手の内に、寸鉄が滑り出される。刃の付いたそれは小さいが、ソーニャの腕前により無力な人間相手ならば切断できる切れ味を持つ。

 だが、その手がマリーヤに伸びる前に、その間を塞ぐように光が走った。


 銀の鎧。細かな傷が付いた歴戦の鎧。それが、ソーニャの前に立ちふさがる。

「控えられよ。メルティ殿の最期の言葉を無になさる気か」

「……これで怒りを持たなければ、私は私でなくなってしまう。たとえ貴方がどれほど強大な障害となろうとも」

「怒りたいなら好きなだけ怒るがよい。じゃが、それでこれからを捨てるでない。というかマリーヤ殿も、んな挑発はするでない」

 『母親』という言葉にその事情を察しているスティーブンは、マリーヤを責めない。それでも、いまここで取るべき態度ではないこともわかっていた。


「……怒らせるつもりはなかったのですが、失言でした。ソーニャ、申し訳ありません」

「…………いや……」

 

 そして、意外にも素直に謝罪したマリーヤに、ソーニャも寸鉄を納める。何か事情があるのだと、今初めて気がついた。未だ怒り自体は微塵も収まっていないが。


「……私たちは失礼します。ここは開放しておきますので、それでは」

「…………」

 怒りと暗い感情から、声を出す気にもなれずソーニャは俯く。

 外ではそろそろ、メルティの処刑が始まる時間だ。そう考えると、動く気にはなれなかった。


 衛兵たちももういない一人になった部屋。

 そこで静かに、ソーニャは泣き崩れた。





 処刑場の白布まで、群衆を割りながらメルティは歩く。

 聞こえるのは怒声ばかり。それが悲しくも楽しかった。誰も自分の死を悲しまない、それがむしろ少しだけ心の支えとなった。

 隣にソーニャがいない。それが今、どれだけ心細く、そして悲しいことだろう。

 今までの人生のほとんどを、彼女と一緒に過ごした。それなのに、最期は彼女が隣にいない。


 いいや、いなくてもいいのだ。いては困る。死出の旅にまで大好きな人に同行を求める気はない。

 見渡せば、怒りの顔が視界に広がる。

 自分が死ねば、きっとこの者たちは笑顔になれる。怒りをひとときでも忘れて、心安らかに過ごせるように。

 そう考えれば、尊敬する父親の何万分の一程度の仕事を手伝った気がして、少しだけ嬉しかった。


 白い布で作られた壁の中に入る。

 通常処刑台は周囲から見えるように作られているのに、これはどういうことだろうか。そうは思ったが、それでも今は詮無きことだ。

 きっと自分の首は晒され、死を皆に知らすために使われることだろう。それを思えば、最後に瞬間が晒されないだけマシなのかもしれない。


 処刑台が見える。

 木製の階段は血を吸いどす黒く汚れ、待ち受ける運命を語る。五段ほど上れば、すぐにそこは固定台。小さな宿の一室程度の広さの中央に置かれたそれは、やはり黒く染まっていた。

 台の下に一人立つ。見上げているのは知らぬ男性だったが、きっとあの男がヴォロディアだろうとメルティは察する。

 これからしばらくは国を背負って立つ男。後は任せた。そう視線で訴えつつ。



 おお、という声が白幕の外から聞こえる。

 その後、入ってきた銀の鎧に、メルティは納得して頷いた。


 

 ぎしぎしと音を立てて、スティーブンが階段を上る。わずかな段差ではあるが、上ってくるにつれてメルティとの身長差が消されてスティーブンとメルティの視線が交わった。

 そのスティーブンの悲しみをたたえたような目に、メルティは何故か申し訳なく思った。


「貴方が、処刑人でしたの?」

「そうじゃ。月野流当主スティーブン・ラチャンスと申す。以後よろしく頼む」

 頭を下げたその姿は、昔から見慣れた騎士の所作そのもの。けれども、月野流当主と言うことは騎士ではない。そこまで考えたメルティは、少しだけ、スティーブンが羨ましく思えた。


 メルティは美しく微笑む。後頭部でくくった髪の毛が、風で揺れた。

「よろしくお願いしますわ。短い付き合いですが」

「おう」


 メルティの横に控えていた衛兵が、メルティに、固定台を指し示す。

 うつぶせに寝かされた罪人の首を切れるように工夫されたその台は、メルティの両親を含めて数多の血を吸い手触りが悪い。

 衣服が触れる度に、傷んだ木材が擦れる音がする。まるで誰かの悲鳴のように。


 台に伏せようと身をかがめたメルティの足が、勢いよくスティーブンの脛に当たる。痛みなどはないがまるで予想外だったその衝撃に、スティーブンは驚愕の声を上げるのを堪えた。

「あら、ごめんなさい」

「……いや」

 何故か笑いがこみ上げてくるのを懸命に抑えながら、スティーブンは真面目くさった態度を作る。真面目な場で起こる突発的な出来事は、往々にして当事者を笑わせるものだ。


 まるで美容法でも受けるかのように気楽に寝そべるメルティ。その背後で一度ため息をつき、スティーブンは口を開いた。

「メルティ殿」

「何ですのー?」

 死を恐れていない。その態度に、スティーブンは一瞬自分でもわからない何かの感情を覚えた。そして、考えてすぐに気がつく。

 この感情は、尊敬だ。自分が未だに持ち合わせていないもの。それを、この若い彼女が持っていると知って。


 それでも気を取り直し、好奇心からの質問を口にする。

「もしも、もしも、な? もしも、人生がもう一度あれば、どんな人生を送りたいかのう」

「……もう一度、ですか?」

 問答の最中にも、衛兵たちの手は止まらない。腰と首、それが速やかに固定される。

 それを全く意に介さず、メルティは考えた。


「……こんなに楽しく過ごさせてもらったんですもの。次は、庶民をやってみたいですわね。わがままなんて聞き入れられず、身を粉にして働かなければいけませんの。雑巾を絞って、冬には手にあかぎれを作って。料理をして、失敗して、指に切り傷をつくって」

 固定された首を邪魔に思いながら、少しだけ顔を上げれば視界の上端に青い空が見えた。抜けるような青い空。いい天気だと、心から思った。

「そして素敵な男性と出会って、恋をして、したくもない失恋をして、それでもいつかは誰かと家庭を持って」


 輝かしい生活は、もう十分させてもらった。

 だから次は、苦しくとも、一人で立てるような生活をしたい。

 憧れの二人の女性のような。


「子供は何人作りましょうか。一人でも二人でも、自分の子供ですもの、きっとかわいいにきまってますからどうでもいいですわね。それでいつか、夫を見送って、自分も子供に見送られて死ぬ。そんな、普通の生活がしてみたいですわ」

 

 叶わぬ夢。それを心のままにはき出すのは、これほど楽しいことだったのか。

 そう実感しつつ、メルティは目を閉じる。

 さあ、あとは、死ぬだけだ。いつでも、と覚悟して。


「……そうか」

 聞き終えたスティーブンは鯉口を切る。

 手入れをされ、そして使い慣れた愛刀は、きっと今日も切れ味がいいだろう。


 大上段に構えられた剣が光を弾く。


「きっとお主の願いは叶う。儂はそう信じておるよ」



 音もなく振り下ろされた神速の剣。


 スティーブンの耳に、金の髪の束が落ちた音が響いた。



 


 

 白幕の外では、群衆が今か今かと待ち構えていた。

 メルティが処刑場に入って既に四半刻は過ぎている。処刑人らしき鎧姿の男性も既に入っている。ならば、もうそろそろ誰か出てきてもいいはずだ。

 そう皆が思い、そして焦れていた。


 そしてついに、白い幕の奥から数人の衛兵が姿を見せる。

 その中央に立つのは、ヴォロディア王。白幕の折れ曲がった入り口から出た場所にある台に上り、そして群衆を見渡した。

 

 がやがやと騒がしかった群衆がぴたりと静まる。

 それを確認し、隣にいた衛兵から金色の束を受け取ると、ヴォロディアはそれを高々と掲げる。


「最後の王族メルティ・アレクペロフは死んだ!!」


 一瞬の沈黙。天使が通ったかのように静まりかえったその次の瞬間、波のように歓声が広がっていった。

 涙を流して喜ぶ者。肩を抱き、体を揺らして叫ぶ者。皆が歓喜の渦に包まれる。


「これで!!」


 だがその歓喜の波も、ヴォロディアが一声発するだけで静まる。

 レヴィンの残したものではない。天性の統率力のなせる業だった。


「これで、革命も完遂だ!! 王制は打倒された!! もうアレクペロフ家の復権はない!!」


 ヴォロディアは、握りしめた拳を下ろす。髪の房が、その拳を彩りながら。

「これからは俺たちの時代!! 俺や、お前たち、皆が国を動かす時代だ!!」

 言葉を発しながらも、ヴォロディアの脳裏には違う映像が再生されていた。

 だがそれをおくびにも出さず、それでも言葉に込めようと努力する。この感覚を、皆がわかってほしいと真に願い。


「怖いと思う者もいるだろう! 自分に何が出来るのかと、こんなことなら前の方がいいんじゃないかと、そう思う者がいることはわかる! ……大丈夫、それは俺もおんなじだ!」


 ヴォロディアの脳裏に蘇るのは、処刑台に上ったメルティの視線。

 慈しむような視線。話に聞いていた暗愚とは全く印象の違う、怜悧な目。


 そこに、ヴォロディアは恐怖を感じた。


「だが、もう後戻りは出来ない。進むしかない! その覚悟は皆持ってほしい!!」

 その恐怖は、皆が背負うべきものだ。

 革命を終えた。今国を背負うのは国民全員で、そしてメルティは、自分にだけその視線を向けたわけではないのだろう。そうヴォロディアは思う。

 一拍おき、唾を飲む。その弱音を、皆と分かち合いたいと思って。


「そして、もしも、投げ出したく思ったら、今日この日を思い出せ!! 俺たちは誰も無関係じゃない!! ここに集まった全員は、王族の首を切り落としたんだ!! 俺たちは、奪い取った! この国を、次代を、託して彼女は死んだ!!」


 あの視線は、そういう意味なのだろう。

 後の国を任せる。自分を排し、そして望む国を作る以上、妥協をするなと。きっとそういう意味なのだろう。


 ならば、生半可なことは出来ない。

 力を尽くし、彼女に勝たなければいけない。彼女に、そして今まで国を導き守ってきた王たちに。


 それは難しいことだろう。

 ヴォロディア王には、未だに政治はわからない。鉄のことならばわかっても、人の流れを制御することは出来ない。

 それでもなお。


「ここに残った者は、心に刻んでほしい!! 俺たちは王の首を切り落とした!! 次に斬られるのは、俺や、お前たちだ!!」


 それでもなお、諦めるわけにはいかない。

 それが、レヴィンに導かれてたとはいえ、王を倒した自分の責任だ。



 一人の観客が身震いする。

 このことの重要さに。


 革命に狂喜していた。今まさに、嫌われ者の王族が倒れる様を見て喜んでいた。

 それだけだったのに。


 ヴォロディア王の手の先にある髪の房が、誰かの頭部に見える。

 それは、自分だ。

 そう気づいた者から、顔が青くなっていく。ここまできて、ようやく気づいた者たちがいる。

 責任を負うのだ。これからは、自分たちが。




「いい顔じゃのう」

 ふふ、と観衆から少しだけ離れた場所で、スティーブンが呟く。

 ヴォロディア王の言葉を聞き、幾人かが顔色を変えた。端から見ていると、それがよくわかった。

「ひいふうみい、と。これだけいれば、この国もきっと大丈夫じゃな」

 わはー、と笑う。メルティから託された国。それを守るに足るのは、きっとその顔色を変えた者たちだ。

 

「……さて、行くかのう。この国もこれでおさらばじゃ」

 マリーヤの用意した馬車に乗り、スティーブンは今日この国を旅立つ。それがマリーヤからの頼みである。ならば、今日帰る。マリーヤの私的な依頼により、多少の荷物は増えようが、そこに否やはなかった。


 用意されたのは大きめの馬車。スティーブン一人では大きすぎるような。

 けれど、二人ならばちょうどいい。


 国も、きっと同じことだ。

 一人で支えられるうちは一人が支えればいい。だが、それでも手に余るようならば、皆で支えればいい。

 どちらがいいとも言えない。けれど、どちらでも構わない。支えきれるのならば。



「頼んだぞい」

 

 馬車に乗り込み、御者に声をかける。心得ている御者は、頷き鞭を走らせる。

 がらがらと車輪が回る。重たい荷物を載せたまま。



 背後にあるのは、革命の熱気か、それとも雪国の寒風か。

 それを確認しないように、前を向いたまま、馬車は王都を走り去った。




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― 新着の感想 ―
お爺ちゃんがこの仕事を引き受けたのはそういう……。 王族としてのメルティは使命を果たしてここで亡くなったのは間違いなく、彼女の決意も本物だったと思うので、その後に仮に何か不思議な事が起こる事があった…
[一言] ]_・)ジィちゃん、孫娘をお持ち帰り?
[一言] んで、姫様は平民になり、ハイロと・・・
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