憂国の士
「そのとき儂はズバッとな、こう、飛燕のような身のこなしで抜き打ち一閃。手練れの衛視なんのその、見事に割れた刀身はずるりと落ち、柄すら傷つけぬ見事な……」
スティーブンが、見てきた光景を滔々と語り続ける。
……しかし。
「……駆け寄ってくる相手の剣というのは、いや、駆け寄ってこないでも、人の持つ剣というのは若干ではあるが傾いておる。その刀身に合わせるよう、体のひねりを調整して……」
正座をしながら、腰に剣がある想定でスティーブンは剣を抜いたふりをする。
長い。メルティを狙った衛兵の剣をスティーブンが切り落とした。そのくだりだけでどれだけ話すのか。
話されたのはまだ、メルティたちが城に現れてマリーヤと少し話したところまで。
メルティたちは、ある日突然先触れもなく王城に現れたそうだ。以前からメルティがリドニックの国内で目撃されているという噂もあったそうだが、与太話に過ぎないというのが王城内の一般認識だったらしい。
……それにしても、先ほど言っていた『メルティの最期』というところまでどれだけあるというのか。僕の話もまとまりがないので人のことは言えないが、それでも長い。
僕は正座したままつま先を組み替える。痺れてくることはないと思うが、それでも一応は。
バーンとエースは大丈夫なのだろうか。
そうちらりと見てみると、やはり慣れているのか、二人とも大丈夫……でもない。エースのつま先がグニグニと動き続けている。太ももとふくらはぎに力が入っている。そろそろ限界らしい。
スティーブンは気づいていないようで、まだ剣の数打ちと銘刀の品質の違いを説明し続けている。僕としてはそれなりに興味はある話ではあるが、まあ意外な知識ではあるまい。
「曲芸のようなものではあるが、剣筋を操る鍛錬を続ければそれなりのことが出来よう。たとえばじゃが、青竹をただ岩の上に置き、繊維を損ねることなく……」
「あの」
二転三転する話題にしばらく聞き入ってから、僕はスティーブンが得意げに語り続けているのを遮る。
スティーブンは特に気分を害することなく言葉を止めたようだが、その横のエースが睨んでくるのが面倒くさい。
「いつになったらメルティさんは、……その……お隠れになるのでしょうか?」
長くなりそうな話で、まだまだ最序盤もいいところだ。暴漢からメルティを守った話……というよりももうスティーブンの武勇伝になっているそれはもういいから、続きを話してほしい。
そう言外に告げると、スティーブンは悲しそうに眉を寄せる。
「……やはり、気になるのはそこかのう。儂の格好いいところじゃのに」
「…………。スティーブン殿の格好良さなら十分知っていますので」
「ならよし!」
少しお世辞を述べると、悲しそうだった顔が一転して明るく朗らかになる。わかりやすい人だ。みんなそうならばどんなにいいだろうか。
「といっても、そこからしばらく大きなことはなかったんじゃ。問題なのは、メルティ殿が帰った後じゃな」
「帰った後に?」
帰った後、というと残った衛兵たちがまた何か問題でも起こしたのだろうか。それとも、住居の手配に不備があったりとか。
「言いづらいことじゃが……マリーヤ殿が、癇癪を起こされてな」
「……ああ……」
癇癪。その単語だけで、僕はだいたい起きたことを察する。以前、メルティたちを前に取り乱していた姿そのまんまだったのではないだろうか。
「……立派なもんじゃったわい」
だが、スティーブンの反応は予想していた反応ではない。ため息をつくように感嘆の息を吐いて腕を組んだ。
「どういうことでしょう?」
「意地を張りきったというかな。癇癪は起こしても、最後までメルティ殿には手を出さんかった。己の拳を壁に打ち付けて、必死に我慢しておったわい」
「それは……」
想像して僕は顔を歪める。壁といえば、あの王城は不壊の建材だが。瓦やガラスなどとは違い、衝撃を吸収しない素材に拳を叩きつけるのはさぞ痛いだろう。
いや、それよりも。
「我慢できたんですね」
以前の時には、メルティに手提げの灯りで殴りかかっていたが。
「聞いた話では、マリーヤ殿の父親はメルティ殿の父親に処刑されたとか。それはそれは悔しかったろうにのう」
しみじみとスティーブンは呟く。その目に、僕への譴責を微かに宿らせて。
まあその反応もわかる。というか、話を聞いていた僕ですらそう思う。
マリーヤのいる国へ、親の敵であるメルティを戻らせたのは僕の言葉だ。
メルティよりもマリーヤ贔屓のスティーブンにとっては、僕は責められるべき相手だろう。
「何故、姫さんを国へ戻らせたんじゃ? カラス殿の言葉なかりせば、マリーヤ殿の心労もまだ少なかったんじゃないかのう」
そらきた。言い訳もあまり出来ないが。
「メルティ殿の護衛任務中に、彼女を死なせたくなかった僕の失策ですね。いやまあ、時期が悪い今帰るともあまり思っていなかったんですけど」
「死なせたくなかった?」
「以前彼女らに護衛依頼を受けたんですが、その場を凌がなければその場で舌噛んで死にそうだったので」
ハハ、と僕は苦笑いする。実際、彼女はその日の夜、小刀を首に突き刺そうとしたのだ。……つまり、僕の言葉は無意味だったとも言えるのか。
「……十年、十五年……とにかく、もう少し後だとも思ってましたし」
僕は一応、政変が落ち着いてからとも期限を切った。なのにその渦中に飛び込んでいくとは……。
「…………ああ」
「なんじゃ?」
気づき、微かに声を上げた僕にスティーブンは眉を上げる。
「いえ、こちらの話です。別件で、似たようなことがあったので」
「よくわからんが、そうか」
「ええ」
僕は内心自嘲する。反省もしなければいけないようだ。
今僕の脳内に浮かんだ尺度。『十年は少し後』、それはきっと間違いなのだろう。
十年といえば、子供も成長する。親について仕事の真似事を始めた子供が、成人する程度の期間だ。どこが『少し』だろうか。
いや、自己弁護になるが、これからの十年は長いが振り返る十年はたしかに『少し』だ。
そういえば、時間の尺度の問題も、以前目の前の老人に懇々と聞かされた気もする。
それなのに、か。
「とにかく、僕の失敗ですね。仇敵と会う機会を作ってしまうなど、マリーヤさんには申し訳ないことをしました」
会うくらいはすると思っていたけれど、もう少し期間を空けるべきだった。そうすれば、少しは落ち着いて話も出来たかもしれないのに。
……どうだろうか。あの二人の性格を、僕が理解しているとは言い難いので断言できないが。
「今度何か埋め合わせでもしてやるがよい」
「ええ。必ず」
何をする、ということもない。それでも、機会があったら何か必ず。
「しかしまあ、立派なもんじゃった。まるで、建国当初のこの国の理念を体現しているようでのう」
「この国の理念……というと?」
「知らんのか? この国の最初の法律書……まあ儂も読んだことないが、その裏表紙に書かれているらしい。『理性こそが人の人』とな」
……どういう意味だろうか。そう少しだけ返答に詰まった僕の様子を察したのか、スティーブンが補足する。
「建国の父、グレゴワール・エッセンの言葉じゃよ。人が人たる所以は、その理性にこそある。不快であれば暴力を振るい、長生きと子孫繁栄だけを願い、ただ餌を食み腰を振って生きる動物とは儂らは違う、とな」
「立派な人もいたもんですね」
「そして、今のこの王国の繁栄があるのは、そのグレゴワールが作った法律と、それを運用する理性にあると儂は思う。マリーヤ殿は、自らの感情に負けず、リドニックの法を守ったんじゃ。そしてそれ故に、メルティ殿の命は確かに守られた」
「お二人の護衛をいれたから、ですか」
「そうじゃな。もしもマリーヤ殿がメルティ殿を害する気だったら。もしも、自らの感情に抗う気がなかったら、きっとそのときメルティ殿は死んでいたじゃろう。メルティ殿が生きていたのは、マリーヤ殿の自制心のおかげじゃ」
うんうんと自分の言葉に頷くスティーブンに、エースが声を上げる。
「しかし、師父。話を聞くに、そのメルティというのはマリーヤという女性の許せない敵。仇討ちもわかるのでは?」
「阿呆。メルティ殿の何かしらの行為が法に反しているか、仇討ちが認められているのならば、マリーヤ殿は迷いなく処断しているわい。それが認められていないからこそ、あの方は堪えたんじゃ」
怒っている風でもなく、諭すようにスティーブンがエースに反論する。しかしエースの表情を見るに、それはエースも理解している。
その上で、殺してしまうのもわかると言っているのだ。
「まさしく衛兵にすら襲われているんです。世間の皆からも嫌われているのでしょう?」
「嫌われているからというだけで殺されてしまっては、人の世は立ちゆかん。特に、彼女の場合は複雑なんじゃよ」
はあ、とスティーブンがため息をつく。僕ですら完全に理解できているとは思えない以上、全く事情を知らない彼にとっては当然の疑問にも思えるが。
「マリーヤ殿は仰っておった。法律とは、最も嫌われているもののためにあると。嫌われている者や物、それらの存在や権利が守られるためにこそ存在するのだと」
「嫌われているのであればそれはその者が嫌われる何かをしたということ。爪弾きにされるのも当然なのでは」
エースの疑問にスティーブンは眉を顰める。不快感を覚えたのではなく、言葉に悩んでいるようだった。
「うん……まあ、たとえば人を傷つけて嫌われるということもある。他人の何かを壊して嫌われたとするならば、その通りでもあるんじゃが……」
腕を組み、言葉を選ぶ姿はなんとなく教師的だ。僕は覚えもないし多分見たこともないのだと思うが、学校の教師とはきっとこういうものなのではないだろうか。
「たとえば、見るに堪えない不細工な者の仕草が不快なことだってある。それが高じて、ただ外見で嫌われるような者もいる。それは罪じゃろうか?」
「人は見た目ではありませぬ」
「そうじゃのう。儂やお主はそうでないと困る」
エースがきょとんとした反応を返す。
……多分スティーブンに冗談交じりに馬鹿にされているのだが、気づいていないのだろうか。いや、この場合スティーブン自身も含んでいるから反論しづらいのだろうけれど。
それに、別に僕的には彼らは不細工ではない。僕にそういうことを判別できる機能もないが。
「まあ、罪の範囲の問題じゃな。そういった者を禁じる法を作るのもその国の勝手じゃ。美しさは罪じゃとどこかで聞いたこともあるが、美しくないのが罪でも構わん。じゃが、リドニックはそうではない。嫌われ者も、嫌われていない者も、傷つけてしまえば等しく罪になる。そういう国じゃ」
「はあ……」
まだ理解できてはいないようだが、師父故にか、反論できずにエースは引き下がる。
「……特に、メルティ殿はマリーヤ殿に何かしたわけでもない。言ってはなんじゃが、ただ罪を犯した父親が法に則り殺されただけで、マリーヤ殿は不快な目に遭っただけじゃ。……ムジカルならともかく、ここエッセンでも仇討ちとしては認められんじゃろうな」
最後はぽつりと悲しそうにスティーブンは呟く。我が事のように。スティーブンとしても仇討ちを認めたいような発言で、マリーヤの気持ちもわかるのだろう。僕も咎める気はないし、仇討ちを考えて当然だとも思うが。
「じゃからして、立派なんじゃ。殺したければ殺してしまえばよい。仇討ちなんぞ強制されてするもんでもないが、したければしてもよいと儂は思う。殺されて然るべき者は多いじゃろう。じゃが、マリーヤ殿は自らの意思で、自らの意地を張り通したのじゃ」
一瞬だけ静かになり、また練武場からのかけ声が響く。乱取りの威勢の良い声と、踏み込みの音が聞こえた。
「それで、続きじゃったな」
「ええ」
今気づいたように、スティーブンは顔を上げる。
「その日を境に、マリーヤ殿の仕事は更に忙しくなっていった。メルティ殿の周囲から、絶え間なく問題が起き続けてのう。……メルティ殿本人は、おとなしかったようじゃが」
「問題、ですか。そうすると、王党派の?」
僕の言葉にスティーブンが頷く。メルティが来て、それを担ごうとする王党派の人間が騒がしくなったということだろうか。マリーヤの思惑通りに。
「それもある。じゃが、王党派に限らん。兎の死体が敷地内に投げ込まれたり、火すら放たれそうになったことがあるという。恨まれていたようじゃからな。……そうすると今度は、王党派の動きも呼応するように活発になっていった。各地で集会が行われるようになり、『可哀想な姫』を守ろうと自警団を結成する連中もいた」
「嫌われているばかりでもなかったんですね」
一瞬、そう思った。革命の前後でも、メルティ死すべしで染まっている者ばかりではなかったのかと。
だが、すぐに内心それは否定される。先ほどの話からすると、そうとばかりも言えないのだろう。
「本当にそうだったらよかったんじゃろうがな」
「目指すのは姫様の安全ではなく擁立ですか」
「そうじゃ」
端的な質問は素直に頷かれる。なるほど。次に甘い汁を吸うための努力だろう。もちろん、それだけではなくただ単に善意で参加した者もいるだろうが。
よくやるものだ。その甘い汁も、錯覚かもしれないのに。
「衛兵と、王党派、そしてそこからも独立しつつあった自警団のぶつかり合い。儂も何度か鎮圧に協力したが、その度に紛争は拡大していった。無論、王都内での小さな対立じゃが。……メルティ殿を置き去りにしたまま」
「本人は何も……しなかったんでしょうね」
何もしなかったのか。そうは思ったが、少なくとも僕の目の前でのメルティは、ソーニャの目を盗んで何かを画策するタイプではなかった。ただソーニャを騙すように、馬鹿なふりをして何かをするのだ。
敵だけもしくは味方だけがいるならばまだしも、両者入り乱れていた以上、結果が本人の予測を外れるかもしれない迂闊なことはしまい。するかもしれないけど。
「そんなある日、一人の青年がマリーヤ殿のところを訪れた。舌戦を挑みにな」
「舌戦」
論争をふっかけにいったのか。……マリーヤに?
「ニコライ……家名はなんじゃったかな? まあ、ありふれた名前のどこにでもいる青年に見えた。じゃが、そちらも見事なもんじゃった。マリーヤ殿の掲げる民主主義とやらの問題点を挙げて、リドニックの王を取り戻した際の利点、それに付随する問題点の対応策をつらつらと述べていった」
スティーブンは指を折りながら、その言葉を思い出すように目を細める。
「曰く、選ばれた者が選ばれる前と同じ言動を取るかわからない。いちいち議会の承認を待ってしまえば災害などの問題に対しての対応が遅れてしまう。選ばれた者が政治を動かすのであれば、それこそが不平等なのではないか。選ばれた者が自分の裁量で自分の支持者に不当な利益を誘導した場合は、等々……」
「それをわざわざマリーヤさんに聞かせる意図がわかりませんが」
マリーヤは王城内に勤めてはいるが、官位も政治に携わる役職も持っていないはずだ。そのニコライとやらも、どうしてわざわざマリーヤに。たしかに、革命軍出身のマリーヤが中心人物なのだろうけれど、それならばヴォロディアのところにいかないだろうか。……王様相手にいきなりの謁見も無理か。
「マリーヤ殿も王党派相手に色々と対策は取っておったようでのう。もはや、彼女が大きな要石となっておることは公然の秘密だったようじゃ。そんな彼女を論破できれば、メルティ王女復権の足がかりになると踏んだんじゃろう」
「それに、マリーヤさんはなんと?」
「なんと言うこともないな。ただ、切々と逆に論破しおった。感情に訴えることもなく、すべて論理的に。儂にはどっちの言い分もよくわからんかったが」
ははは、とスティーブンは笑い飛ばす。
それが本当なのかはわからないが、正直、僕がそこにいてもよくわからないとは思うのでどうとも言えない。
「儂にはどっちの言い分もわからんかったが、それでもその青年が負けたのがその顔からよくわかった。項垂れ、『リドニックがなくなってしまう』と何度も何度も呟いていたのが痛々しかったわ」
足の痺れも忘れ、僕らはスティーブンの話に聞き入る。バーンからも、唾を飲む音が聞こえた。
「そして、次の転機がそこ。お主が聞きたがっていた話に連なる話。次の日のことじゃ。今度はメルティ殿の居宅の前に、その青年が訪れた。剣を手に携えてな」