街を出たから
「あー、今日は食った食った」
モスクがそんなに出ていない腹を叩きながら、天を仰ぐ。松明の明かりに負けないように光る星空が、その頭上に輝いていた。
「あのお店いいね。銅貨五枚もかける価値はある」
「本当はもう少し安上がりだと思うっすよ」
初めてあの店に行ったらしいリコがそう褒めると、モスクが補足しながらハイロを見る。
店を出るときに目を覚まし、一応意識はあるようだが、僕が肩を貸してようやく歩けるくらいの泥酔状態だ。
その泥酔状態の原因は、彼が酒に弱いというだけではない。
「解毒しましょうか?」
「いいよいいよ、カラス君。自分のせいだし、本当は君が肩を貸すこともないし」
僕がハイロに提案しても、微笑みながらリコがそう止める。しかし一応放っておけないので肩を貸しているわけだが。勝手に解毒してもいいけれど、酒飲みは酔うのが楽しくて飲んでいるということも大きいと思うしやらないでおこう。
レシッドの時は勝手にやったのに今更だけど。あの時は二日酔いだったからいいだろう。
「大体、ササメちゃんだっけ? あの子に言われるがままに飲んでたそいつが悪い」
「…………」
リコに何を言われても反論出来ないのか、それとも聞こえていないのかはわからないが、ハイロは僕の肩にのし掛かるようによたよたと歩く。だがその顔は若干薄ら笑いを浮かべており、本人的にはまだ気持ちの良い段階らしい。
「ま、五番街の入り口辺りに適当に放っておいたら何とかなるよ。それより、さっきの話だけど」
「さっきの話?」
僕がそう返すと、リコは満面の笑みを浮かべた。
「本当に一式仕立てていい? 使ってくれれば凄く嬉しいんだけど」
「服の話ですか? ええ。もちろん」
もとより頼むつもりだった。というか、リコも覚えていたのか。彼的には単なる世間話の一つかとも思ってたけど。
「予算とか雰囲気とか、何か要望があれば聞くよ。何もなければ勝手にこっちで作るよ。カラス君、お金持ってるもんね」
「お金持ってることは否定しませんが……」
リコに言われて思い出す。そういえば、高額通貨の両替をしていなかった。ムジカル金貨では、このエッセンでの支払いは難しい気もする。
小銭で足りる分なら、さすがにつまらない。
「上下の衣服に外套、そして、靴。野外で使える一式が欲しいです。ただ、兜とか鎧とかの金属製品は極力なしで」
「音がするもんね。そういう加工すればどうとでもなるけど?」
「あんまり曲がらない服が好きじゃないんです」
多分リコの言う加工をした金属ならば、静音性の問題などはほとんどないだろう。頑丈さを求めるのならば、体の各部を金属片などで補強した方がもちろんいいと思うけれど。
だが、そういうのがないほうがいい。そもそも僕は気にしなくてもいいということがあるが、一番は僕の好みの問題だ。
簡単に言えば、くしゃっと丸められる服が好きだ。
「ただ、お洒落とかではないので……そうすると、装飾などで手がかからないのでリコさんはつまらないかもしれませんが」
一番の問題を僕は述べる。それが仕事から始まるものならばいいけれど、金銭が介在するとはいえ、今回のような単なる善意からのものに彼の楽しさを求めなくてもいいのだろうか。
「そうでもないよ。機能性に使用感、求めるところはまだまだあるし。材料から好きにやってもいいなら、なおさら腕が鳴る」
ふふ、とリコが笑う。本音らしい。ならば僕も応えよう。
「予算はいくらでも」
「……それが本当だから怖いよね」
モスクもコクコクと頷く。まあ普通ならそうか。もちろん、いくらでも、というのは僕にとっても言い過ぎだが。
僕は一つ咳払いをする。
「……といっても、金貨十枚とか言われると即座に払えないかもしれません。その場合は少しだけ待ってもらうことになります。というか今はムジカル金貨しかないので、半金を今、とか言われると困るんですが……」
「いいよ。今度ギルド通じて、見積価格が決まったら連絡するから」
「そんな手間をかけさせるわけには……」
本当にそんなことは今更だが。
「店では仕事扱いにするし、連絡とかは別の担当がやるから平気平気。実際、普通の注文でも客に合わせてそうすることもあるしね」
「そういうことなら」
そこまでしてもらうと本当に申し訳ないが、そういうことならいいのかもしれない。
「俺はただ、カラス君から仕事の注文を受けただけだよ。その内容がちょっと自由なだけ。……たまには息抜きしたいじゃん?」
「まあ、リコさんの手間賃含めて、お店に損が出ないようにお願いします」
僕は頼む側だ。リコの意見を尊重すべきだし。
……それに、息抜きというのも本当だろう。好きなことを好きにやってお金になる。それはどんなに素晴らしいことだろうか。
「ふふ、どんなのにするかなぁ……?」
何より、楽しそうなその笑顔を邪魔は出来ない。まるで、子供がイタズラを考えているときのような、そんな笑顔で……。
「火鼠の皮は分厚くなるから毛だけを撚って使おうか……でもやっぱり外套といったら表面に出る分色味が重要になるし七色蛇の鱗を使って装飾性を高めつつ、あ、でもあれ割れると再生出来ないしなにより手触りが悪くなってくからちょっと候補から外れちゃうなぁ。そうすると靱性も高い竜の髭を油加工して……」
「……ああ、そういえば……」
そうだった。これが始まると長い。独り言のようだし放っておいてもいいけれど。
モスクの方を向けば、モスクも静かに首を振った。
そして、話題が途切れたのを見計らっていたようにモスクが口を出す。
「そういや、カラス、お土産配ってねえじゃん」
「……そうですね。すっかり忘れてました」
モスクには渡したお土産。そもそもお土産にするつもりで持ってきたわけでもないけれど、それでもモスクには渡した以上他の人にも渡さなければ。
外套の隠しに入れておいた宝石を僕は掴み出す。
松明の明かりに照らされて、掌に赤い宝石が一つ、青い宝石が二つ転がった。
「予算が青天井と言うことはあれだよね、そうだよ、竜の髭とかのまがい物を使わなくても竜鱗とかを仕込んで耐久性を上げられるし、そうだ、これは一品ものとして特注…………、何? それ?」
その宝石を見て、三人の視線が集まる。一人の視線はまだ虚ろだったが。
「先程話した、エーリフの銀の林から持ってきた宝石です。その時に見せれば良かったですね」
こんな暗い中で見せるより、その方が余程良かったと思う。あの時は、ササメが話しかけてきて話題が途切れてしまったときだったか。
「瑠璃と紅玉の原石……ってやつ?」
「ほうせき!?」
ろれつの回っていない口でハイロがそう叫ぶ。大声で言うとは、夜道なのに物騒なことを。
モスクの時のように適当に渡そうと思ったが、全て見せてしまってからでは遅かった。
前世ではたしか紅玉のほうが瑠璃よりも大分高価だったと思うが、この世界では同じようなものだ。
同じように、高価。どれを選んでもらっても構わないだろう。
「どうぞ、好きなものを。といっても、赤は一つしかありませんが」
ただ、不公平感はある。紅玉がいい、と二人もしくは三人が言ったら実は困る。
「……じゃ、俺はこの瑠璃でいいや。ハイロには紅玉を渡してあげて」
宝石を見てただただ驚いているハイロを見て、リコがそう口にする。
それは別に構わないが、何故だろう。
「何故です?」
「紅玉は縁結び……それも、男女の……おまじないにもなるからね。夜会で首飾りに使ったりするでしょ? ……もっとも、こんな大きいの貴族くらいしか使わないけど……」
「磨けば少し小さくはなりますけどね」
今はビー玉サイズではあるが、原石の状態だ。これを宝石として仕上げるのであれば、磨いてカットして、と三分の二以下になってもおかしくはない。
「……ササメちゃんには渡したの?」
「いいえ。持ってきた数が限られてますし、……何か土産を渡すだけの人は、限られてますから」
簡単に言えば『友達がいない』ともいう。別に困ることはないけれど。
「そう。じゃあ、俺たちは、カラス君にとって仲間扱いされてるってことでいいよね」
「……まあ、そうなりますけど」
何となく嬉しそうなリコに答えるが、改めて言われると少し恥ずかしい気がする。
「ちなみに俺ももらいました」
「だろうね」
リコがケラケラと笑う。ハイロの腰のポケットに、僕の手から受け取った赤い宝石を押し込んで。
そして、手の先で青い宝石を弄ぶ。ルビーと違い、その手の青い宝石は松明に照らされ少し橙がかって見えた。
「君と、みんなと、ずっと良好な関係だといいな」
「悪くなることはないと思いますよ」
僕に関しては、敵対行動を取られなければ。それくらいは、この三人は信用している。そしてもしも僕の意に反することをしたとしても、それは何か考えがあってのことだろうとまずは考える。ハイロがメルティを連れて逃亡したように。
それに、僕以外の『みんな』も大丈夫だろう。モスクは新参だが、彼らもそれなりに長い付き合いだ。彼らが仲違いするのであれば、相応の事件が必要だろう。
僕の答えに満足したようにリコは笑い、宝石を恭しく腰のポケットに入れる。他の二人と違い、宝石の扱いに手慣れていそうな気がする。
それからいくつかの松明を過ぎ、リコが振り返る。
「この後どうする? ……みんな明日も仕事だよね」
「そうっすね。そろそろ解散しますか」
大きな口を開けて、モスクが解散を提案する。その言葉に頷いたリコは、ハイロの頭を軽くはたいた。
「そうだね、ハイロもこんな感じだし……カラス君は三番街だっけ?」
「そうですね。向こう側です」
「じゃ、俺はここで別れるんだけど、ハイロはこの先だからなぁ……」
頭を叩かれても、それに対する反応をしないハイロ。だが、彼の住居は先……といわれても、僕はその場所を知らないのだけれど。
「残念ながら俺もここでリコさんと一緒なんすよね。ハイロさん、どうしましょう」
「……カラス君、頼める? 適当に一番街との境目辺りに放置しておけばいいよ」
「さすがにそれは……」
「凍え死にはしないし、大丈夫だって。……この街は、それなりに治安がいいから」
ボソリと呟かれた言葉。
どちらかといえば、この街が治安がいいというわけでもなく、もっと悪い場所を想像しているのだろうけれど。
……貧民街ならば、こんな状態になった者を放っておかない。
親切にも、構ってくれる人が大勢いる。放置された者は、明日の朝には全裸で転がっているだろう。皆とのふれあいで冷たくなっていてもおかしくはない。
なるほど。
「あの街を、出たんですもんね」
その言葉は、今僕たちがここにいることを指しているのではない。
酔っ払い、前後不覚の無防備に陥った、陥ることが出来るようになったハイロに対しての言葉だ。
「じゃあそうしておきます。衛兵の目が届く場所で」
「うん、悪いけど頼んだ」
少し運ぶだけだ。苦でもない。
「んじゃ、またな。大体五番街にいるし、道で会ったら挨拶くらいしろよ」
「それくらいはしますよ」
モスクの言葉に僕は唇を尖らせる。そのくらいの社会性は持っているはずだ。多分。
「追って連絡するから。またね」
「ええ。今日は、ごちそうさまでした」
頭を下げて、二人を見送る。肩にのし掛かるハイロも僅かに手を振ったが、声までは上げなかった。それでも先程、宝石には反応したのに。
二人と別れ、静かになる。
ハイロは捨てていこうと思うが、一番街はもう少し先の方だ。
ゆっくりと歩き出せば、引きずられるようにしたハイロが若干足を踏み出す。結局は引きずられていくが。
しかしまあ、美味しかった。
松明の明かりを越えながら、僕は考える。
リドニック本国で食べていた料理は一品ものばかりで、それもとろみのついたスープ系のものが多かった。味付けも馴染みが薄く、酸味が目立ち、それに辛味が続く。
王城でマリーヤたちの歓待を受けて食べたものはどちらかというとエッセンのコース料理に近かったし、そちらは味付けの特徴といえるものはなかったと思うが。それでも市井の料理よりも格段に美味しかった。
そして今回の料理は、更にそれの上をいく。
味付けや料理方法をイラインの人間向けに調整しているということだが、そのおかげだろう。僕の口に合い、それでいてリドニック料理らしさは抜けていなかった。
僕たちがいる間も、客は途切れなかった。……繁盛しているわけだ。
ただ、客に一般ではない……というか荒事を生業としていそうな人間が多かったのは少し気になる。探索者や傭兵など、そういった人間たちがよく使っているような。
まあ、ササメが怯えている様子もなかったし、夫婦に特筆すべき様子がなかったということはきっとあれが平常運転なのだろうけれど。
それでも、やはりいい店だ。
以前は知らないが、ササメとシズリさんのおかげでより一層華やかになったことは推測出来る。料理も悪くない。今度、一人でも食べにいってみようかな。
「……ぁ……」
松明を見上げて歩く僕に引きずられていたハイロが、何か呻き声を発する。
「カラ……ス……」
ハイロの顔を見れば、目が覚めてきたのか、僕を見ていた。
「何です?」
「……吐きそう……」
「……我慢してください」
目が覚めたらすぐそれか。この距離で吐かれると困る。
そう判断した僕は、とりあえず周囲を見渡す。五番街の鍛冶屋や木工所の前には、出たゴミを掃き寄せてとりあえず貯めておく溝が所々にある。一応そこに吐かせればいいだろうか。
見当をつけて、一歩踏み出す。
「……ぉぇ……」
まずい。
「っぐぇ……!!」
胃がせり上がる声を出されて、慌てて僕はハイロの右脇腹の後ろを人差し指で突く。制吐作用がある点穴だが、効果があってほしい。
引きずる足が、先程よりも更によたよたと危なくなる。
「もう少し頑張って」
「…………!」
苦しそうに口を抑えながら歩くハイロの腰辺りを押して強制的に前屈みにさせ、口元を溝に近づける。
……その後のことは、誰でもわかることだろう。嫌な臭いが漂った。
胃の内容物を全部出したのだろうか。ハイロが立ち上がるが、膝が崩れ落ちそうになるのを支える。
やはり引き受けなければ良かった。そう思えてきた。
やはり、解毒してしまおう。これ以上は本人も苦しいだろうし、僕も面倒くさい。
とりあえず歩けるくらいに回復してもらって解散しよう。
僕はそう思い体につけた手に魔力を込める。血中のは放っておくとして、脳に回っているのを排除して……。
そんな算段をつけている僕の内心を知らないハイロが、ぷるぷると震える手で路地を指さす。
「……そこ、入ったとこ、座れるから……」
「……わかりました」
ではそこまで運んで。水筒とかも持ってくればよかった。
力なく歩くハイロを支えながら路地に入れば、そこは職人たちの休憩所のような場所のようだ。
座るためだろう、中身の入っていない木箱が並び、今は使われていないようだが簡単な焚き火が出来るような台が中央に鎮座する。
壁際の木箱にハイロを座らせると、深い息を吐いた。
松明のあかりから離れ、路地に入った分、ここは暗い。
だが僕らには関係ないし、ハイロも気にはしていない様子だった。
何度か深い呼吸を繰り返し、ハイロが拳で頭を叩く。頭痛でもしているのか。
そして僕を見ると、一度周囲を見回した。
「……ここは……、何だ? もうお開きになったのか?」
「ええ。もう大分前に」
記憶が混濁しているのか、ハイロの言葉に嘘は見えない。たった今ここに誘導したことも忘れているようだ。
これは、解毒するまでもないだろうか。曖昧だが、意識は戻っている。
帰れるだろう。多分、一人で。
「リコもモスクもいないところ見ると、あいつら先に帰りやがったな」
「そうですね。ですので、帰り道が重なっている僕がここまで連れてきました」
「……悪い」
前に机はないが、突っ伏すようにハイロが倒れる。座ったままなので転んだりはしていないが、地面を見つめるように体を折る様は、とても弱々しく見えた。
「立てますか? 飲み過ぎですし、今日はもう帰った方がいいでしょう」
「……おう……もう少し……」
今度は壁に背をつけ天を仰ぐ。見上げた星空が瞳に映った。
それから会話なく、ハイロが荒い息を繰り返す。徐々に落ち着きつつあるのは酔いが覚めてきているのだろう。
ならばもういいかもしれない。
「僕先帰ってもいいですか?」
「んー? ……ああ、俺も何とか一人で帰れるから平気……お前は帰っても……」
「じゃあそうしますか……」
お大事に、と声をかける前に僕は踵を返す。何かハイロから迷いが見えた気がして。
そして路地から出るところまで歩き、ハイロの方を向く。
「では、今日はごちそうさま……」
「なあ、カラス」
僕の挨拶を遮るようにハイロが声を出す。未だ正気の目ではない、が、一応僕を見ている。
「なんです?」
今度は何だろうか。そう、少しだけ面倒くさくなってきた僕が聞き返すと、ハイロは一度頭を掻いて、その右手を投げ出した。
「石ころ屋に、……」
そしてハイロが目を伏せる。
「石ころ屋に、……グスタフのジジイになんかあったのか?」
僕がその言葉の不可解さに目を丸くすると、ハイロはもう一度頭を掻いて、僕を見つめた。




