空気を飲む
あけましておめでとうございます。
今年中には決着を頑張りますので、今年もよろしくお願いします。
(多分去年も似たようなこと言った)
机の端に置かれた蔓で編まれた籠に、僕らそれぞれが銅貨三枚を入れる。四人で入れたから総数十二枚。じゃらじゃらと入ったその音に、視界の端のササメがにっこりと笑った。
近付いてきたササメの笑みがいやらしい。正面から見られないが。
「どうするんです? とりあえず麦酒?」
「あれなかったっけ、リドニックの、泡が出る葡萄酒」
ササメの問いにハイロが答える。視界の端で、それにササメが頷いたのがわかった。
「ありますよー! へいお父様! 泡酒四つ!!」
ササメが籠から銅貨を二枚掴み出し、鉄貨八枚を置いてそう叫ぶ。以前は違ったようだが、今はこの店の料金は先払いらしい。
先払いというか、籠にお金を入れておいて、その都度精算するという感じだが。
ササメの声に応えて、厨房から返事が響く。
その葡萄酒を受け取りに行こうという際に、僕の横をササメが通る。
ポンポンと、肩を叩かれたのを僕は必死で無視した。
カウンターとそこに置かれた四つの木の器越しに、あの時の店主が顔を出す。そして、乱暴とも言えるおおざっぱさで注がれた黄色がかった液体が、白く見えるほどの細かな飛沫を散らした。
僕は飲むとも言っていないが、酒を飲むことは確定らしい。もっとも、こういう席で何の事情もなく飲めるのに飲まないのは無粋だとも思うが。
ササメが薄い木の盆にその四つを載せ、がしゃがしゃとぶつけながら僕らの席に持ってくる。少しこぼれてコップが濡れてしまっているが、誰も気にしないようだ。
「はいどうぞー!」
「どうも」
置くだけ置いて、さっさとササメは席から立ち去っていく。モスクが軽く礼を言うと、笑みだけで返して。
置かれた木のジョッキのようなコップを手に持ち、リコが銘銘の前に置く。
そして、行き渡ったことを確認すると、ハイロが頷き目の前のコップを持ち上げた。
「それじゃ、とりあえず何も料理も頼んでねえけど、いいな!」
モスクに向けて問いかけると、モスクも頷く。それを確認したハイロは満足げに微笑み、より一層杯を掲げる。
「久しぶりの友に、乾杯!!」
モスクもリコも、黙ってコップを掲げる。僕もそれに倣うと、皆が勢いよくコップに口をつけ流し込む。
上等でも度数が特別高いわけでもないが、それでも酒だ。食べ物も胃に入れずにそんな勢いで飲んで大丈夫なのだろうか。そう思ったが、まあいいか。
僕も一口二口含んで飲み込む。甘みの少ない葡萄ジュースのような味が、舌の上で弾けるように踊った。
タン、と机に叩きつけるようにコップを置いて、ハイロは顔を上げる。
「さって、何食うか!?」
「今日のおすすめとか聞いてみましょう」
ちょうど厨房のカウンターから振り返ったササメに、モスクが手で合図を送る。
配膳中らしく、手の盆に何かの料理を載せたまま歩いてくると、そのまま盆を僕らの机の上に置いた。
「はいはい、とりあえず挽肉餅ですけど、何か追加です?」
「え?」
リコが微かに困惑の声を上げるのを無視して、ササメが持ってきた皿を机の中央に置く。それから、呼んだモスクに笑顔を向けると、モスクは視線を皿とササメの間で往復させた。
置かれた皿には、水餃子……? のようなものが山となって積まれている。魚醤のような香りもするが、中に入っている肉は多分豚かな。
茹でられたのか蒸されているのかはわからないが、水気を含んだ小麦粉の皮が、中の赤褐色と緑を透かしていた。
リコが抗議のような声を上げる。
「俺らまだ料理何にも頼んでないんだけど?」
「いいじゃないですか、お兄……さん? これはあたしの奢りでっす」
白い歯を見せて笑顔を見せるが、リコは困惑を隠さない。それから、何故か僕に視線を向けた。
「……もしかして、知り合い?」
「ええ。以前、リドニックの方で泊まった宿の娘さんです」
僕がそう紹介すると、ハイロとモスクが驚きで口を開ける。ササメがまた僕の肩を何度か叩いた。
「さっきカラスさんに聞いたところによれば? 今日この街に戻ってきたらしいじゃないですか? ねえ?」
僕が頷くと、ササメがポンと手を叩く。
「やっぱりこういうところでお客さんを稼がないと! というわけで、追加で何食べます?」
「……何かおすすめみたいなものはある?」
「でしたら、お祝いってことで毛皮鰊と肉寄せを持ってきますね! こっちはお金とりまーす!」
そう言いつつ、ササメがまた籠の中の銅貨を一枚と鉄貨を二枚取る。今度はおつりはないらしい。
ササメが他の机に呼ばれて、そちらへも向かう。
それを見ながらハイロがもう一度酒をクッと傾け、……飲み干した。
「どういうことだよ!? お前ムジカルに行ってたって話じゃなかったのかよ!!」
「彼女と会ったのは、モスクさんと別れた後、リドニックに行ってすぐの話ですね。ムジカルはリドニックの後行ったので」
「三年前に会っただけってことか!?」
モスクも驚き、また一口酒を飲む。リコも両手でコップを持ち、黙って話を聞いていた。
「そうですね。一泊したときです。……モスクさんと会ったのも変わりないじゃないですか」
一度しか会ってないのに! というニュアンスだったので、思わず反論してしまう。
モスクも二度会っただけで、すぐにこの街に送り出したはずだ。正直、会っていた期間はササメと変わりない。
「それが、問題なんだよ!」
モスクもハイロと同じように酒を飲み干す。また二杯頼まなくちゃいけないのかな。
「……一泊? 他に何にもなかったの?」
「ありませんでしたけど……」
リコの質問に端的に答え、僕は机の中央に目を向ける。
挽肉餅と言っていたが、おそらく餃子のようなもの。表面の皮を作っているのは米の粉などではないだろう。
皿に添えられた木製の串を一つ差し込めば、開けた穴から肉汁が滲み出た。
口に含めば、外はもう冷めつつあるのに中が熱い。
飛び出した肉汁と香辛料の混ざったスープが口の中に溢れ、微かに感じる酸味が舌の脇を刺激する。
「これ美味しいですね。奢りらしいですし、いただきましょうよ」
多分、リドニック料理とするならもう少し酸味があるのだと思う。以前分けてもらった酸味のある粥と比べると、酸味がかなり抑えられている。たしかあれは賄いという話だったし、自分向けの味付けだったのだろう。
鼻から抜ける匂いはやはり魚醤のような、発酵した魚の匂いだ。
リコがゆっくりと手を伸ばし、挽肉餅を頬張る。
何度か咀嚼すると、少しだけキツく……キツく? なっていた表情が少し緩み、驚きの表情を浮かべた。
「へえ、なかなか美味し……」
「何で、三年前に一度泊まってただけの宿の店員がお前覚えてるんだよ!」
ハイロが僕の肩を抱くように、引き寄せ揺さぶる。何だ、もう酔っ払ってるのかこれ。
「さっき道端で偶然会ったので……」
「尚更じゃねーか、俺、何度も来てようやく顔覚えられたんだぞ、この……!!」
「はい、こちら人数分の毛皮鰊でっす、肉寄せもすぐ持ってきますね」
ササメが料理を机に置くと、ハイロが一瞬ぴたりと止まる。
……本当に、ササメもそれなりに人気があるらしい。
今度は小皿に載った円筒形の赤いケーキのような見た目のものが僕の前に並ぶ。
ハイロを払いのけながら、四つあるそれをそれぞれの前に配膳する。今度は一皿につき小さな匙がついてきた。
そして、ササメが立ち去る前に、僕が言うべきだろうか。
「あ、それと泡酒を二つ」
「二つでいいんですかぁ?」
「ええ」
順調に籠の小銭が減っていく。どこかで足さなくちゃいけないかなこれ。
「大体、お前、でっかくなりやがってこの野郎」
「そんなことより食べましょう、一応食事会じゃないですか、ね?」
取りなすように僕が言うと、不満げにハイロが唇を尖らせる。いや、『食事会』じゃないのはこの店に入った瞬間にわかってたことだけど。
小さめのケーキのような目の前の料理を改めてみれば、ケーキというより、これは、サラダ?
リドニックでそう長い間いたわけではないが、それでもやはりリドニックの料理はわからないものだらけだ。むしろ、ここの店の常連らしいハイロやモスクのほうが詳しくなっている気すらする。
赤蕪が上に散らしてあって、層のようにみじん切りの玉葱と蒸して潰した芋が重ねられている。甘くもなさそうだし、野菜だけ、……でもないか。
「……へえ……」
中の二つの層が、鰊の焼いたものだ。それを崩して固めている。
汁気はないし、甘くもない。僕の感覚的には、温かいポテトグラタンに近い。ホワイトソースもチーズもないから、ちょっと口当たりが違うけど。
お酒のおつまみというよりは、これで食事をする用なのだろう。もしくは前菜、そんな雰囲気だ。
歯ごたえの良い玉葱を噛み砕きながら、僕は給仕をしているササメに目を向ける。
たしか、以前レシッドを連れてこの店に来たときにはもう少し小さな店だった気がする。この三年ちょっとの間に広げたのだろうか。
「しかし、人気なんですね……」
「ササメちゃんだろ? そりゃ、人気出るだろ」
自慢するようにモスクが言うが、見ればわかる。見ている間にも他の客とも談笑している。その客の笑顔を見れば、まあ一目瞭然だろう。
「さっき自分のことを『看板娘』と言ってましたが、嘘じゃないみたいで」
これならば、看板にもなる。
厨房に目を向ければ、調理しているのはあの日見た店主。カウンターの客とそこそこ話してはいるが、それよりも料理に忙しそうだ。その奥で人影だけ見える程度に存在感を示しているのはササメの母親だろうか。
ササメに目を向ければ、彼女は別に飛び抜けた美人ではない。
彼女も美人なのは間違いないだろうが、多分、見た目的にはマリーヤやルルの方が綺麗だろう。……その辺は、僕の好みもあるだろうけれど。
とにかく、飛び抜けた美人ではない。なのに、笑顔と愛嬌で人に好かれている。
持って生まれた顔かたちだけではなく、育まれた能力とも……。
「で? ムジカルでどんなことしてたんだ?」
感慨深げにササメを見ていた僕の思考を遮るように、モスクが僕にそう尋ねる。僕が視線を戻すと、その眼鏡がキラリと光った。
「ムジカルで、ですか? 一言だと難しいです」
とりあえず何と言えばいいだろうか。探索者、……でもあったと思うが治療師の真似事もしている。仕事を受けずに各地を放浪していたというのも正しい。
……まあ、時間はある。ゆっくりと話をしよう。
僕はほんの一瞬考えて、順を追ってしてきたことを説明する。
それから同じように、四人で近況を報告しあった。
「すごいじゃないですか。王都でも扱われてるって」
一番の驚きは、リコのところだった。
モスクの近況は、ほとんど昼間に聞いたまま。一応石ころ屋の関与する辺りは詳しく言わないし、対外的なカバーストーリーも若干入ってはいるようだが、事情を知る二人にはほぼ真実のようなものを伝えている。
ハイロも一言では言いづらい曖昧な仕事を手広くしていた。彼ら二人とも、どちらもすることは大きくなっている。きっと喜ばしいことだ。
そして、リコはといえば。
「たまに注文が来るってだけだよ。向こうは俺の顔すら知らないし」
「それでも、名前が売れてるってだけですげえんだよ」
ハイロが囃し立てるように言って、魚卵を乗せたパンを囓る。……それ、多分川魚だけどなんの卵だろう。
「結構面倒くさいんだ。材料を持ってこられて、どんなものかふわっと言われて、『これを型紙から十日で作れ』って感じでさ。その分、今の店に出す分は免除されるんだけど」
無色の蒸留酒を啜るように飲みながら、リコはそう反論する。その顔が若干赤くなっているのは、酒のせいだけではあるまい。
「……儲けもいいんすよね? 普通に金貨何枚も持ってこられるって聞いたけど」
「店にはね。俺にはその何分の一かしか入らないよ」
……それでも、金貨何枚のうちの数分の一といえば、一般人の月収に匹敵するほど。
それを、一度の仕事で。
白く小さな魚卵が口の中で弾ける。塩漬けされているようだが、本当に何の魚だろう。
付き合いで頼んだ蒸留酒で口の中を洗い流せば、海苔のような濃厚な匂いが喉の奥に落ちていった。
「店もでっかくなってるからなぁ。そろそろ独立しちまえよ」
「まだまだ。俺には難しいなぁ」
ふう、とリコは溜め息をつく。ろれつが回らなくなってきているハイロと比べて、まだ落ち着いているようだが、酒には強いのだろうか。
「一人でやるんだったら工房とか後援者とか必要だし、もし従業員とか使わなくちゃいけないんだったら、その管理とか考えなくちゃいけないし。その辺はモスク君と一緒だよ」
「……俺は頑張ればいけそうな気がしますけどね、頑張れば……」
モスクに至っては、目がうつろだ。これはまずい気がする。別に止めないけど。
「水いただけますか」
ササメを呼んでそう頼む。ササメは無言で笑いながら頷いた。一応無料らしい。
「店出すんなら、あんな店でいいじゃないっすか? あの、石ころ屋……」
「そう、かな? たしかに、あそこもたしかにグスタフさん一人だよね」
リコが僕を見ながら呟くように言う。たしかに、雑貨屋としてはグスタフさん一人だけだ。
……一人だけだ。もうすぐ命の火が消える、グスタフさんだけ。
今はそれを考えても何も出来ないけれど。
「俺が、俺が工場を持ったらリコさんの店やりますよ。あんな感じで、設計しますよ、王都に趣味のいい店一つ作りましょうよ……あ、でも王都まで行くのが大変か」
「俺も宣伝してやるからさ。お得意さん全員に声かけてさ……」
……たしかに石ころ屋はグスタフさん一人だけだが。それでも、その店の関係者は大量にいる。
いや、それよりも何よりも今二人とも気がかなり大きくなっている気がする。
多分まだ泥酔とまではいってないけれど、ちょっと酔いすぎだ。
「……カラスさん、大変ですね」
ササメが小声で言いながら、水の入ったグラスを一つ置く。そろそろ酒を飲まなくても大丈夫だろう。判断つかなそうだし。
僕はそのグラスを傾ける。
やはり、酔わない以上、飲み物は水で構わない。味が好きなわけでもないし。
「酔っ払いってこんなもんじゃないですか」
だが、この雰囲気は悪くない。多分。
「ほら、カラス、なんでササメちゃんといちゃいちゃしてんだこの野郎!」
ハイロがそう僕に食ってかかる。いちゃいちゃしている気はしないんだけど。酒臭い。
僕は否定しようと言葉を探す。だがその前に、ササメの手が僕の肩に乗った。
「仲いいですからね!」
「何だと!?」
ササメの火に油を注ぐような言葉に、ハイロがいきり立つ……ように見えて、椅子に座ったまま崩れ落ちる。
「くそ、やっぱ、くそ……」
顔を押さえて落ち込むハイロ。リコはそれを、冷たい目で見つめていた。
ササメが一歩ハイロに近寄る。後ろから肩越しに顔を見るように。
「でも、私は一杯お金落としてくれる人も好きですから……お兄さんとも仲良くなっちゃうかもしれませんよ?」
「……くっ……、もう一杯、麦酒追加で……」
「かしこまりましたー!」
ササメが微笑み、じゃらじゃらと籠の中の小銭が踊る。さっき一度追加したのに、もう残り少ない。
これが楽しい空気というものなのだろう。
飲んで食べて、……僕は水だし、食べる方に夢中だったけれど。そうして、皆で机を囲む。きっと、皆が酒を飲む理由は味だけではない。酩酊するためだけでもない。
きっと、これが楽しい空気というものなのだろう。
僕はそれから、三人と話してハイロを宥めて、と楽しい時間を過ごした。
そんな空気が一変したのは、その後。
多分、僕の目の前の机に、包丁が突き立てられたその瞬間だった。




