森を抜けて
ネルグの北側、森の中をひたすら走る。
木々を越え、枝を跳び、落ちない葉っぱを散らしながら。
約束を果たしにエッセンに帰ろう。そう思い立った僕は、スヴェンと別れた後速やかに帰路に就いた。選んだのは、ムジカルの北側からサンギエを通るルートだ。
サンギエの崖の上はほぼ獣もおらず快適だった。たまに妖鳥が僕の隙を見つけようと頭上をくるくる回っていたが、降りてくることもなかった。降りてくればいい食料になったのに。
そして、サンギエの乾いた崖を踏み越えた先に見えた森。
ネルグの中央にある木を中心とし、同心円状に便宜上につけられた深層、中層、浅層という区分。開拓村などがあるのは、主にというかほぼ間違いなく浅層だ。
数日前からは、開拓村などがないネルグの中層をずっと移動していた。深い意味はない。ただ単に、直線で移動した方が僕には距離が短かったからだ。
森の中の移動は三年ぶりとはいえ、慣れたもの。
細かい根が編まれ作られた表皮。その下にある黒土を潰しながら走る感触。岩や砂を踏むのとは違うものの、僕はこういう場所で過ごした方が長い。
サンギエからではあるが、暑さも和らいだ。
森の中の湿った空気が若干鼻につく気がするが、それでもこれはただ単に久しぶりだからだろう。
穏やかな気候、空気。周囲を見れば木の実や食べられる草木など食料の山。ここならば飢えることなくずっと暮らすことも出来るだろう。
……少し前にエーリフにいたことが夢のようだ。息をするのも危険で、水も食料もない不毛の土地。飛び込めば死に至る溶岩の海。浮かぶ島には金銀の木が生え、赤い海の中央には全てを焼く鬼が住む。
ここネルグはやはり違う。全ての生物に快適な場所。全ての生物に厳しいエーリフとは全くの対照的な場所だ。
何をしに帰るわけでもない。
ただ、時間にルーズだった僕が、そのルーズさを補填しようと……それも、補填というわけでもない。
そして、約束というのも誰と約束したわけでもないだろう。ただ僕が、エウリューケに対して『一年くらいで帰る』と言葉に出したのに、守らなかったというだけ。
すると、約束を守る相手というのはエウリューケということになるのだろうか。いや、主に自分自身に対する約束という気分ではあるが。
どちらでもいい。
口に出したことを達成できていないのが嫌なのだ。それも、冗談でも何でもない言葉を。
少しばかり窮屈になった靴が、僕に文句を言っている。そんな気分だ。
今日の寝床はどこにしよう。適当な灌木の窪みを背にして寝ればいいかな。
温暖な気候というのはこういうところもありがたい。リドニックでもエーリフでも、油断すれば眠っている間に死んでしまうかもしれないのだから。
遠くから獣の声がする。まだ人の世は遠いらしい、
夜になれば木を背に蹲り、外套を毛布代わりにし眠りにつく。
瞼を閉じた暗闇の中、遠くから雛鳥のような高く小さな声が聞こえた気がする。あの声は何の鳥だろう。こんな夜中に。
そんなことを考えている間にも、連日の強行軍にやはり疲れていたらしい、すぐに眠りは訪れ気がついたら朝になっていた。
そうしてネルグの森の中、その中層を駆け、また三日ほど経ちようやく森が途切れ始める。
完璧にではない。鬱蒼と茂る頭上の枝が落とされたように開き、周囲に木の実を収穫した跡が残り始める。ここはもう、人の手が入った森林だ。そう判断できたというだけだ。
そう遠くない近くに開拓村があるのだろう。もしかしたら街かもしれないが。
見飽きているわけでも物珍しいものがないわけでもないだろうが、今回は立ち寄らなくとも良いだろう。飲める樹液も食べられる果実もそこかしこにある。
今の僕に、不足している品はない。
そして走り続けている間にも、色々と思い出される。
懐かしい気分だ。たしか、十年くらい前にもこんなことをした気がする。
あの時は一人ではなかった。いや、僕は一人だったけれど、商人の馬車に勝手に乗り込み揺られてイラインへと向かったのだ。
木々の切れ目から遠目に見える開拓村はあの時と同じものかどうかはわからないが、あの時と変わらない。木造の平屋が並び、外縁部に畑を持ち、その更に外周に害獣避けの気休めの柵をつける。
……となれば、この辺りには街道があるのか。ずっと森の中にいたからわからなかったが、上から見れば多分わかるだろう。
そして、思い出が蘇ったのはこれも原因かもしれない。
ちらりと森の奥を見る。
木々の隙間、葉の奥、その奥に光る眼光。
まだまだ遠く離れていて、その巨体が豆粒よりも小さく見えるけれど、それでもこちらを見ている。正確には、僕ではなくて開拓村を見ているのだろうが。
意識して見返せば、葉が律動していて、付近には踏み荒らされた跡のようなものもある。
臭気まで感じそうなほど、その動きと眼光には見覚えがあった。
犬だ。それも、六本足の。
茂みは小さく僕が隠れるほどしかないだろうに、僕よりも大きなあの巨体がよく隠れているものだ。白く長い毛がほぼ見えない。
開拓村はその成立背景から、必ず魔物に対抗できる戦力がある。そして、ネルグの生物は賢く聡い。操られでもしていなければ、大犬のような弱い魔物であっても警戒心から多分夜までは襲ってこないだろう。
ただじっと待っている。よく見てみれば、何匹かの群れらしい。こちらは目も毛も見えないが、付近の茂みが不自然に動いている。
だが、踏み荒らされた地面を見て、そして今僕がいる開拓村付近を見てみても、彼らが立ち寄った形跡はない。
そして、何日もあの場に駐留している。隙を待って。
改めて村を見ても、普通の村だ。間違いなく僕が育った村ではなく、まだ村人も少ない小さな村。
それでも犬たちが用心しているという事実に、犬たちの賢さを見て取って僕は少し笑えてきた。
必ず魔物に対抗できる戦力があるとはいえ、非戦闘員相手であれば何の問題もなく餌に出来る彼らが用心している。
……つまり、脅威を知っている?
そう判断した僕は、何度か村と犬たちの間に視線を往復させる。僕が気付いていることは気付いているようだが、それでも逃げない彼ら。それは多分、すぐに逃げられる自信があるからだろう。
だが、脅威を知っていて、用心を重ねて隙を待っている。とするならば、多分襲撃は一度目ではない。
そしてこの村に、襲われた形跡はない。村人たちももちろん馬鹿ではない。一度襲撃されれば、それに対する防備もしているはずだ。なのに、見張り台はあるようだが特に身が入っている様子はない。
「……他に、どっか襲ったことがあるのかな……」
ぽつりと呟く。その考えに確信があった。
つまり彼ら犬たちは交戦歴がある。それも、どこかの開拓村との交戦歴であり、そしてまた一度狙っているということは多分その時は成功しているのだろう。撃退されていれば、他の場所でも狙うとは考えづらい。
無視してもいいだろう。
この村は僕には何の縁もなく、知っている人間もいない。開拓されているとはいえ依然ここは彼らの縄張りで、奪いつつある人間と彼らの争いは自然の摂理だ。
外部の人間だとでも思っているのか、それともここで存在を露見すれば襲撃が失敗に終わるのかと思っているのか、とにかく彼らは僕に襲いかかってこない。ならば僕も撃退する意味はない。
だが。
朝方。まだ夜が明けてすぐ。
柵に囲まれた畑には何人もの人がいる。
雑草を取り、水を撒き、何も植えられていない畑に張ったネルグの根を刃物で裁断する。
植えられた麦の収穫にはまだ早いが、それでももうすぐ収穫できるだろう。ネルグの影響力の高いこの地域では、二期作どころかそれ以上のサイクルもある。
刈った草をまとめて、家畜の餌や堆肥にするために小さな子供が運ぶ。
遠目にも、楽ではない作業。時には自分の背丈よりも長い草をまとめて担いで、たどたどしい足取りで運ぶ。彼らの農業は、もう始まっている。
僕が獣なら、無視しただろう。時には大犬に加勢して食料を奪い取ったかもしれない。
僕に力がないのなら、きっと逃げるようにこの場を去った。村の人に忠告だけをして。
だが僕は人だ。
魔法使いであり、人間。
まだ仕事に加われぬまでも、雰囲気だけを覚えさせるために畑に連れてこられていた小さな子供。
白い髪、細い手足。昔僕が取り付いていた子供のような。
彼が、柵の隙間をくぐり抜けて外へ駆け出す。
初めは面白く父親の作業を見ていたようだが、それでも飽きたのだろう。ふわふわと飛ぶ蝶のような羽虫を追いかけて、外へ。
捕まえようとして跳び、その手が空を切り肩を落とす。
そして近くの赤い木の実に目を留め、木に登ろうと二股に分かれた木の幹に足をかけた。
そんな子供と、目が合った。
不思議なものを見たように首を傾げ、それから恐る恐る木から飛び降りて近くの木に体を寄せる。
木の幹に隠れるように僕を見て、それからまた近くの木の幹に走り、また隠れる。そうして僕に近づこうと努力していた。
僕が気付いているとは思っていないらしい。目が合ったのに。
少しだけ笑えてきて、可哀想なので無視した。
遠くの木々のざわめきに耳を傾けるように視線を外し、子供が動きやすいように隙を作る。
多くの子供は人見知りして、知らない人間の近くによっては来ないと思っていたが。
彼……だと思う。彼はそうではないらしい。
木の幹から半分以上出ている体が微笑ましい。
そして僕のすぐ近くにまで来たら、さすがに僕も気付かないフリは限界だ。
また目を合わせるようにじっと見ると、耐えきれなくなったように子供は木の幹から姿を現した。
「……誰っ……?」
「はじめまして」
にっこりと僕が意識的に笑顔を作っても、子供の警戒心は晴れないらしい。
少しだけ後ずさりし、身を縮こまらせる。太い糸を編んだセーターのような服の模様が歪んだ。
しゃがみこみ、視線の高さを合わせる。それだけでも少しだけ話を聞く体勢になったのか、子供は背筋を伸ばす。
「君はあの村の人ですよね」
「……うん……」
小さく言葉を発しながら、子供が頷く。フラウのように元気よく話しかけたりはしてこないのは、僕の年齢のせいだろうか、それともこの子供の気質なのだろうか。
……多分、あの時は僕も同年代だったからだろう。
「お仕事中でしょう?」
「仕事……?」
「そう、仕事。今はちゃんとお父さん達の畑での仕草を見てないと。こんなところに来ちゃ駄目だ」
「…………」
諭すように言うが、子供は無言で応えない。まあそうだろう。仕事をただ見ているだけというのは思った以上に退屈なもので、この年代ならば逃げたくてたまらない子が多いと思う。
僕と出会ったことすらも、彼らには暇つぶしでしかない。
そしてそれはきっと、正しいことだ。
「もう少し頑張って、みんなの仕事を見てきてください。ね?」
「だって、退屈だし……」
体をブラブラと揺らしながら、唇を尖らせる抗議もわかる。退屈は敵だ。本人が望んでいるのならばまだしも、勝手に連れてこられている畑仕事の見学も嫌なのはわかる。
「とりあえず、ここから先は……」
ここから先は行ってはいけない。そう伝えようとして僕は言葉を止める。
その言葉はまずいだろうか。子供にとって、禁じられている行為は誘惑だ。そう言ってしまえば、この先に行きたい欲求が高まってしまうだろう。
しばらくは、とりあえず大人たちが許可を出すまでそうしてほしくはないのに。
大人に説明をするのは面倒だし、どうしようか。
いや、とりあえずこのまま子供を追い返せばいいのだ。そして出来れば大人を連れて戻ってきてくれれば。
「……ここから先に行きたければ、大人の人と一緒に来ること。とりあえず今日は畑に戻ってください」
「……でも……」
服の裾を掴み、唇を結ぶ。その反応はわかっていた。
僕は背嚢に手を入れ、少し探る。少し前にエーリフで採取したものだが、一つ二つなら構うまい。
「手を出して」
言われたとおりに子供が手を出す。そこに転がり落とした二粒の石は、それぞれ赤と青のくすんだ石だ。
だが、子供にとっては。
「綺麗でしょう?」
コクコクと子供が頷く。物珍しいように、手の中で何度も転がして遊んでいた。
「これを上げるから、今日はこのまま畑に戻る。出来る?」
「……うん」
言うが早いが、子供が走り出す。握りしめた手から宝石が転がり落ちないよう、腕を振らずに。
だが、また最後に隠れた木の幹の辺りまで走りそこで止まる。
それからぎぎ、と少しだけ躊躇しながら振り返った。
「お兄ちゃん、どこの人?」
「イラインの探索者。といっても、きっとわからないでしょうね」
言葉の最中にも子供の頭上に疑問符が飛ぶ。そうだろう。フラウも、イラインという単語も探索者という単語もきっと知らなかった。
「妖精の子供です」
「……そんなに大きいのに?」
「ええ。子供は、いくつになっても子供なんですよ」
親にとっては。
内心納得いっていないのか、それでも強引に納得したのか、子供はまた振り返り村へと走り出す。その元気な姿が、本当に微笑ましい。
頭のどこかに消し去っていた大犬の存在を思い出し、そちらを見る。
そうだ。先ほど決めたことだ。
僕は獣ではない。人間だ。
そして、この先の村には未来ある子供がいる。
ならば、手を貸そう。僕があの村を嫌いになる前に。説明はその後だ。
一歩踏み出した先で、少しだけ葉っぱのざわめきが増える。
しずしずと歩いていくと、大犬たちの動きが大きくなる。
豆粒のように見えていた距離がほとんど縮まり、葉の隙間から体のシルエットまでもが見える距離まで近づけば、ようやく彼らが反応する。
梢と下草に紛れて、数匹が横にまわる。相変わらず、上手く隠れているものだ。
やはり集団での狩りにも慣れているらしい。配置はすぐに終わり、そしてリーダーらしきずっと姿が見えていた犬が隠れるのをやめて姿を現す。前傾姿勢になり、歯を剥き出しにして涎を垂らす。あまり、怖くはない。
「ジュゥ!!」
一声吠える。次の瞬間、僕の影が覆い隠されるように、大きな影が踊った。
右から飛びかかってきた大犬。その下顎を左の拳で捉える。歪んだように顎が外れ、根元から引きちぎれた。
「……ヒン……!」
一歩……どころか多分逃げようとしているその犬を追撃するように、顎を蹴り上げる。ブチブチという音がして首に血が滲み、目を閉じた犬が横倒しになった。
僕の動きに対応できず、左から飛びかかってきていた犬が背後で着地した音がする。
返す足で、その鼻先を蹴る。歯を巻き込みながら潰れた顔が痛々しい。
偶然だろうが、群れの数は三。僕が昔命の危険を感じたときの山犬の数と同じ。
つまりあとはリーダーのみ。
そう思い飛びかかろうとした僕の胴を薙ぐように、その豪腕が振りかざされる。
六本足のその足は、真ん中の足は何と言えばいいのだろうか。前足か、後ろ足か。そんなことを考えながら拳で弾き、そして懐に入る。
偶然だろう。この犬たちが昔僕がこの森で初めて撃退した犬と同じ数だというのは。だが、それでも景気づけだ。
掌の先に火球を作る。白熱はしないまでも、手の先に作られた溶鉱炉。この前エーリフで焦熱鬼の姿を見てから、少しだけ作りやすくなった気がする。
それを大犬の首元に押しつける。
弾けるように崩れた火球はそのまま大犬の頭を飲み込み、焼き切るように灰に変えた。
静かになった戦場。
首なしの犬一頭と、頭部が砕けた犬二頭。それが僕の目の前に転がる。
流れ出る血はそんなにはないが、それでも他の獣を呼んでいるのだろう。森が少しだけ騒がしくなった気がする。
その頃ようやく、僕の背後で、息を切らした大人の気配がした。
ゆっくりと振り返る。その先に見えている大人の視線がどちらだろうと考えつつ。
「……あんたは……」
「お騒がせしてます」
白い髪に青い目。多分、先ほどの子供の親族だろう。そんな大人が、弓を携え腰に山刀を差し、こちらを見ていた。
弓は構えられていない。とりあえずの敵意はない。いや、敵意など覚えられる方がおかしいのだが。
「あんたが殺したのか」
「ええ。しばらくそこの村……ですかね? まあ、村を窺っていたようなので」
茂みの向こうを見れば、見つからないように木の実の残骸が隠してあった。それよりも美味いものを食らおうと、きっとずっと待っていたのだろう。
……その気持ちはよくわかる。僕も、砂漠の表面に擬態するエイのような魔物を追って何日か砂漠をさまよい歩いたこともあるから。あの軟骨は美味しかった。
僕が関係のないことを考えていると、男は死体に歩み寄り、動かなくなった温かい肉を揺らしてから僕に頭を下げた。
「礼を言う」
「いえ」
素直な礼。何となく新鮮で、毒気が抜かれた気がする。また余計なことをしたと怒られるかもしれないと思っていたが。
周囲を確認し、男は弓の弦を外す。敵意はない、というメッセージだ。
「うちの子供にあんなもん持たせたのはあんただろ?」
「あんなもん、というのが赤と青の石ならそうですね」
やはり親族だったか。
男は無精髭を掻きながら笑う。
「今村じゃ大騒ぎだぞ。『妖精にもらった』って、うちの子供が触れ回っちまってな」
「それはまた」
「どっかで拾ったのかと思ったら、それが見てみたら瑠璃と紅玉の原石じゃねえか。ただごとじゃねえ、どっかの野盗が落としたもんか、それともなんか魂胆があんのかって思ったが……」
男はもう一度、死体を見る。見慣れているのか、それ以上の反応はなかった。
「これか」
「ええ。あれ以上、近付かせるのはまずいと思いまして」
思った以上に理知的だ。……ストラリムの村人と比べてしまっていたのかもしれない。
子供が脅威を叫んだところで誰も聞きはしない、ということでとった方策だがあっていたらしい。
「……お一人ですか?」
さすがに一人で村の防衛は出来ないと思うのだけれど。……デンアとかは別にしても。
「とりあえず、俺が斥候に就いた。他は村で準備してるよ。敵がこれだけなら、知らせてこねえと可哀想だなぁ」
「武装解除の前に、一度村の周りを見て回った方がいいと思いますよ。これだけだと、油断しない方がいい」
「……違いない」
うんと頷き、男は振り返る。それから動作を止めて振り返ったその仕草は、子供とそっくりだった。
「一度村へ戻るが、あんたも来てくれ。詳しい話を聞きがてら礼がしたい」
「いりません」
断った僕に男は目を見開き、ぽかんと口を開ける。
そしてそれから困ったように眉を寄せ、呟くように言った。
「本音みたいだな」
「別にお金や食料に困っているわけでもありませんし、貴方たちのためにしたわけではありませんし」
僕はただ、あの子供たちのためにしただけだ。大人が恩恵を受けたのかもしれないが、そんなことは知らない。どうでもいい。
「俺たちはそれも困る。誰かのただ働きを許したら、俺たちもただ働きを断れなくなる」
「村外の人間なんですし、構わないでしょうに」
「俺たちは乞食じゃない。だから村を作った」
少しだけ睨むような懇願が目に宿る。別に睨んでいるわけではないんだろうけれど。
だがまあ、理屈はわかった。それに、その理念にも些か共感を覚える。
いいだろう。少しだけ世話になろう。
「……わかりました。では、宝石ぶんの朝食をいただきましょうか」
「……それも困る……そこまでの食料が、村にはない……」
「ならいいです。お腹いっぱい食べさせてもらえば」
ぱくぱくと口を開閉させる男に僕は苦笑しながらついていく。
半日遅れても旅程に大した影響はあるまい。
そうしてついていった村で、先ほどの子供に木で作った槍を向けられたのは困ったが。
「おまえー! さっきようせいっていったなー!!」
どうやら、この村を構成する村民たちの出身地では、妖精は緑の服を着て森に入った人を惑わす鼻の高い小男らしい。どちらかというと、嫌われ者。
遊びのような槍の動きをあしらいながら子供の相手をし、その後雑穀の粥と具が大量に入った卵焼きのようなものをいただいた。
少しだけ気分よく開拓村を出ることが出来たのは僕にとって意外なことだ。おかしな話ではあるが。
そして次の日、僕はイラインへと辿り着く。
東側にある街、貧民街。イラインの門の外側。
そこに敷かれた石畳の感触に首を捻りながら、僕は足を踏み入れた。