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捨て子になりましたが、魔法のおかげで大丈夫そうです  作者: 明日
ネズミの時間

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閑話:猶予


 いつもの夜にねぐらで寝ていた烏は、自分が鳥の王様になった夢を見ていました。

 手下達に食べ物や、キラキラした硬貨を捧げさせて、得意げにガァガァと鳴いていたのです。

 真夜中に目が覚めて、それでも彼は王様になった気分が抜けていませんでした。

 まるで、今でも皆に崇められて尊敬されている、そんな気がしたのです。

 烏は、夢の中のようにガァガァと鳴いてみましたが、誰も寄っては来ませんでした。


 そこで、日が昇り昼になると、烏は森から出て、小さな鳥たちのいる人間達の畑に行きました。

 そこで、夢の中と同じように高らかに鳴いてみました。

 夢の中のように、鳥たちが集まってくる、そう思ったのです。


 しかし、烏を迎えたのは鳥たちではなく、人間達の投石でした。


 石が腹に食い込み、絶命する烏は死ぬ前に思いました。

「ああ、闇夜に紛れるこの姿を、わざわざ昼間に晒したのが間違いだったのだ。夜の森で好きなだけ鳴いていればよかったのに」


《昼に飛ぶ烏》

捨て子になりましたが、魔法のおかげで大丈夫そうです 二十一話『やってみたくなった』より



 

 青年が街を走る。

 清潔感を演出するために短く切りそろえられた髪の毛は汗に濡れ、焦げ茶色の髪に艶を出す。髭も皺もないその頬は自らの扱う商品によって作られ、その商品の効果をこの上なく宣伝していた。


 青年は、自分が逃げていることを知っている。だが、どこから逃げているのか、どこへ向かっているのかはわからない。


 誰かが追ってくる。そう確信した青年はゴクリと唾を飲む。

 誰だ。振り返り、路地の曲がり角の奥を見る。それでも追っ手の姿は見えない。

 石畳を革靴が叩く。だがその感覚はどこか曖昧で、自分でも走っているのかどうかはわからない。


 景色は流れていく。

 前方は白く染まり、そこに飛び込めばいつのまにか景色は後方へ飛んでいく。


 喘ぐような吐息が漏れる。だが足はまだ出る。

 太腿に力が入る感覚。まだ体は空気を押しのける。



 路地を抜け、市街地へ。

 両脇の露店が賑々しい。瑞々しい野菜が光を弾き、すれ違うように子供が走る。

 笑顔と笑い声。道へ撒かれた水が足にかかるが、そんなことを気にもしていられなかった。


 道に跨がるように、頭上に紐が掛かる。そこにかけられた色とりどりの洗濯物。

 風が巻き、紐にかけられた布が飛ぶ。砂塵が露店の屋根を靡かせる。

「グスタフ」

 道端から声がかかる。見知った顔の老いた婦人が、籠一杯の人参を持ってこちらを見ていた。

「おう」

 いつの間にか立ち止まり、その人参を手に取る。葉は大ぶりだが、痩せた根。鼻を近づければ土の香りがする。赤みはあるが白っぽくもみえるその根を撫でると、乾いた土が地面に落ちた。


「どうだい。今年は上手く出来ただろ」

「どうかな。少し畑に元気がねえみてえだ。……ま、去年よりはいいがな」

 ふん、と頷きながら老婦人が人参を引き取る。自分の商品を腐されても、一切気にしていない風で。

「去年よかいいんだ。なら上出来だろ」

 それでも一応の格好で唇を尖らせ、老婦人が抗議する。グスタフもそれに折れた形で、息を吐き認める。

「そうだな。あとで、畑用の灰を届けさせる」

「頼むよ。ああ、うちの分と、向かいの分もね」

「おう」

 ニカ、とグスタフが笑う。

 それを見て、老婦人が笑みを返した。膨らんだ頬は日に焼けて、その皺も隠していた。


 足音が響く。

 ぎくりとグスタフは表情を固めた。そうだ、何かは、誰かはまだ追ってきているのだ。

 いつの間にか消えていた老婦人を無視して、グスタフは走り出す。握りしめた手に汗が滴る。

 とにかく、捕まってはいけない。

 相手がどこの誰かは知らない。けれど、『それ』に捕まってはいけない。

 そう思った。



 息が切れる。

 先ほどまではまったく気にもしていなかったが、今はやけに気になった。

 胸の痛みに、膝の痛み。関節が軋む音すら聞こえてきた気がする。

 

 汗が垂れる。

 顎の髭を手の甲で擦れば、滴る汗が肌にへばり付いた。

 背後を見て、追っ手の確認をする。白い煙のようなものに覆われた街の中、少しだけ見えた人影。どこかで見たことがある気がする。よく見知っている気もする。

 だがその人影の正体に見当がつけられず、グスタフは急ぐ。


 割れた木箱を踏み抜いて足が縺れる。

 砕けた破片が散る。弁償するか。そう一瞬悩んだが、いや、それよりも逃げるのが先決だ、と自らを納得させた。

 

 荷物が手元にあったのなら。

 走りながらグスタフはそう悔やんだ。店に行けば、自らが調合した薬品を含め、いくらでも物資がある。混ぜれば業火を放ち爆発する薬も、一滴肌にかかればそこから腕一本を腐蝕させる薬も。それらを存分に使い、撃退できるのに。


 

 道端で、誰かが頭を下げる。

 所々が金属で覆われた革の鎧を着た人物。衛兵だ。グスタフはそう確信した。

 しかし、衛兵は動かない。誰かに追われているグスタフを見てもなお。頭を下げた後、その人はじっとこちらを見ていた。

 それから、グスタフの背後に迫る男性を見て、そちらには槍を向ける。

 

 少しだけ覚えた不信感。

 それでも動いてくれた。助かった。そう思い息を吐き、少しだけ速度を緩める。

 だが、違う、とすぐ気付く。


 槍は見当違いの煙を引っ掻き、散らそうと振り回される。追っ手はそれに構わず、こちらをただひたすら追ってくる。

「馬鹿……野郎!!」

 叫ぼうとも、衛兵にその声は届かない。そちらではない、そう叫んでも、なお聞く耳を持たず、白い霧の中に飲み込まれても影はずっと動き続けていた。


 背骨が軋む。

 振り続けていた腕がだるい。いつの間にか張りがなくなり垂れ下がるようになっていた皮膚を叩き、その腕を叱咤する。

 まだいけるだろう。これから先も、まだまだ進まなくてはいけない。

 ここで止まってはいけない。

 

 そう心では思っていても、体が追いつかない。

 息が切れる。腰に違和感が出てきた。噛みしめた唇が切れる。

 

 明らかに下がった速度。霧が巻き、その中に飲み込まれるような。

 

 

 道に積まれた木箱が行く手を阻む。

「ちぃっ!!」

 舌打ちをし振り返れば、先ほどよりも近い位置に人影がある。走り寄ってくる。躙り寄るように、少しずつこちらに近づいてきている。

 動作と噛み合わない速度に違和感は覚えない。しかし焦りは募っていく。じわじわと着実に近づきつつある追っ手に、どうにかして抗わなければいけない。

 木箱を蹴り飛ばし、道を空ける。土が混じった石畳に転がった木箱は、硝子のように砕けて割れた。



 これでまだ逃げられる。まだ、まだ。

 そう思った。

 

 グスタフの首に何かが当たる。ひやりとした刃のような何か。

「…………!!」

 振り払うように刃を振り払えば、それが水のように腕に纏わり付いた。


 腕が冷える。氷に漬けられたように。

 鋭い痛みに歯を食いしばり、手の先を見れば手が凍り付いていく。


 凍り付いた手を奪い取りに、人影が迫る。

 得体の知れない黒い影。その影に触れられた腕に激痛が走る。

「うあぁぁ!!」

 思わず叫び、腕を振り払う。意外にも簡単にそれは剥がれ、人影は霧の中に消えていく。腕に残った氷の雫が飛沫のように飛んだ。


 転びそうになりながらもまたあてどなく走り出す。

 腕の先の力がない。ふと見れば、手の先が透けている。握りしめると色が戻り、元に戻ったことは何故か不思議には思わなかった。




 地面の石畳が消え、土と瓦礫に変わっていく。

 曲がり角を曲がり、その先へ。


 急がなければいけない。まだ誰かは追ってきている。

 あの黒い人影に追いつかれてはいけない。追いつかれてしまったら、きっと自分はどうにかなってしまう。そんな根拠のないあやふやな思い込みが頭から離れない。


 膝の先に衝撃が走る。同時に、小さくか細い声が耳に届いた。

 声の先を見れば、汚らしい子供。土と灰で汚れ、元の色がわからない髪の毛が、不揃いに伸びて目元を隠していた。彼らには、切るという発想もそのための道具もない。

 倒れたその子供に駆け寄り手を差し伸べるが、怯えた子供は手を隠し後ずさりしてグスタフの手を躱した。

「すまねえな」

 かけた声がひしゃげている。渇いた喉が張り付いているような。

 だがその声に、ようやく子供はおずおずと手を出す。子供の手を力強く握り返したはずの自分の手が、皺と染みにまみれていたのに少しだけ胸が痛んだ。


「大丈夫か、今薬を……」

 擦り傷が作られた子供の膝を見て思わずかけた善意の言葉に、子供は首を振る。

 それから立ち上がった子供はグスタフの手を振り払う。初めて見えたその目が冷たくグスタフを射貫いていた。

「どうすればいいの?」

「……どういうことだ?」

 そう問うても、子供はまた首を横に振る。何の話だろうか。悩んでも答えは出ない。

 そのうちに子供は走り出す。グスタフの腕をすり抜け、霧の中へ。

 

 子供が霧の中に走り込むと、霧が裂けていく。

 その先にあったのは瓦礫の山に埋もれた店。新築らしい、木造の建物。

 


 ああ、そうだ。

 グスタフは思い出す。

 ここに自分は逃げてきたのだ。ここならば、どうにかなる。何が起きても、何をしようとも。そう思い歩み寄る。子供は既にどこかに消えて、グスタフももう子供のことは覚えていなかった。


 舗装もされていない地面を踏み、その店に歩み寄る。

 舗装がされていなくとも、周囲の土が踏み固められているのは大工たちの足跡だろう。扉とその脇の壁に手をつけば、削ったばかりの木の粉の香りが鼻の奥まで染みてきた。


 雨上がりだったのだろうか。一滴の水がグスタフの手に落ちる。

 若さを示す張りのある肌が水を弾き、水は玉になって木の床へと染みこんでいった。



 背後で、ザ、と足が止まった音がする。

 誰だろう。グスタフがそちらをみれば、懐かしい顔があった。



「今日開店でしたよね。おめでとうございます」

「おう。開店祝いはいらねえぞ」

 ニカ、と見知った顔にグスタフは笑顔を返す。そこにいた男は、グスタフが自らの店をここに作るきっかけとなった人物だった。

 新築の削られた手触りの良い木材の感触が名残惜しくも、その手を離し振り返る。一歩踏み出せば、ぬかるんだ地面に足元がめり込んだ。

「ガラクス、よく来たな。お前が客一号だ」

「ハハ、すぐにそんなことは言ってられなくなりますよ。薬師グスタフ・キルヒホッフの雑貨屋、客が何人かなんて数えていられない」

「馬鹿いえ」

 穏やかにグスタフは苦笑する。へにゃりとした顔で、ガラクスはその言葉には応えなかった。


 ガラクスはその店の看板を見上げる。作られたばかりで綺麗な木製の看板には、その店の名前がしっかりと刻み込まれていた。

「……しかし、変な店名ですね」

 くしゃりと柔らかな癖っ毛を掻き上げ、ガラクスは呟いた。

「どうしてこんな場所に立てたんです? グスタフさんならどこにでも……一番街にだって、簡単に店を出せたでしょうに」

「そりゃ、大した理由じゃねえよ」

 細い目を更に細め、ガラクスは首を傾げる。幼い日のその仕草を思い出し、グスタフの胸中に懐かしさがよぎった。

「貧民街の連中も、食わなかったら死んじまうからな」

「それはそうですが。それは別に、グスタフさんとは関係ないんじゃ……」

「ここに店があるってのが重要なんだよ」


 まるで飴のようなとろりとした液体をかけられたようにぬかるんだ地面。そこから足を持ち上げるのが、グスタフには難儀なことだった。

 また一歩踏み出し店から離れ、グスタフも看板を見上げる。この店が、ここ貧民街に出来た。その意味を理解されずとも、きっとその意味が皆に伝わると信じて。


「貧民街……なんて言われちゃいるが、こんなとこ実際にゃ街じゃねえ。住むところがなくなった奴らの吹きだまりだ」

「散々な言われようですね」

 ハハハ、とガラクスは笑いで返す。ここ貧民街で生まれ育ったガラクスにとっては、単なる悪口にも取れる発言だったにも関わらず。

 ガラクスは知っていた。グスタフは、別にガラクスたち貧民街の民を貶すつもりで言ったわけではないと。

「事実じゃねえか」

 軽口に、お互いの言葉の色が弾んだ。

「住むところがねえから街の外に出て、寄り集まった。街もそれを放置してきた。ネルグに面する東側に置いて、肉の盾にするために」

「もう、ネルグは遙か遠くになってしまいましたが」

「そうだな。昔っからの開拓も進んで、もう麦畑や平原が間に入ってる。もう、ここ貧民街は肉の盾じゃねえ」

 目を細めて、グスタフは東を見る。ちょうど視線の先にあった半壊した家屋の屋根の上で、小鳥たちが遊んでいた。


「それでも人はまだ集まってる。住む家がなくて、金がなくて街から追い出された奴がここに集まる。もちろん、悪いことして逃げ込む奴らもな」

 犯罪者にとって貧民街は良い隠れ蓑だ。

 衛兵が来ることもほとんどなく、税の取り立てなど社会に関わることなく暮らしていける自由な場所。もちろん豪奢な生活は望めなくなるが、街の中にいるよりも捕まる危険性は大分低い。

「だが、その結果があれだ」


 ちらりとグスタフが視線を路地に向ける。

 もう壁の用をなさない衝立のようになるまで壊れてしまった木の壁に、半裸に近い襤褸を纏った子供がもたれて座っていた。


「ここには仕事がねえ。なのに人が来る。だから、食い詰める奴らが出る」

 貧民街に出た以上、もはや街の住人ではない。信用は下がり、どこかに働きに出ることも難しくなる。その結果、金がなくて行き詰まる。

「金も仕事もなきゃ、次にすることは簡単だ。口を減らすか、人から奪うか」


 そして、減らされた『口』がグスタフの視線の先にいる子供たちだ。

 貧民街の住人は、そして街の住人すらも、口を減らすために小さな乳飲み子をこの街に置いていった。


「自分の口だけ減らしときゃいいのに、そういう奴らは人を巻き込むからな」

 捨てるべき者を全て捨てたら、最後に捨てるのは自分の『口』だ。即ち、野垂れ死ぬ。そうしない道も無数にあるにもかかわらず、彼らはそれを選ばない。

「そして、奪って生き延びる」

 強盗か、盗みかひったくりか。詐欺などの知能犯が少ないのも、この貧民街の特徴だろうか。

 だが、ガラクスはグスタフの言葉に眉を顰める。僅かなりとも、反抗をする必要があると感じた。

「……人から奪うような人ばかりじゃありませんよ」

 ガラクスの反駁に、グスタフも頷く。そんなことは知っている。確かに人口比では犯罪率は高いのかもしれない。だが、全員ではないということも知っている。


「そうだ。だが、奪うのは大抵の場合貧民街の奴らで、奪われるのは街の奴らだ」

 人から奪うにしても、奪われる側は『持っている』必要がある。金や食糧、金品を。故に、貧民街のものは通常標的にはならない。標的になるのは街の人間だ


「みんながそう思ってる。……本当はそうじゃねえのにな。どこにだって、良い奴も、悪い奴もいるのに」


 グスタフは目の前のガラクスを見つめる。

 グスタフの考える『良い奴』筆頭のガラクス。彼は貧民街で生まれ育ちながらも、街で働くだけの信用を自分で勝ち取った。そして今や、街に住居こそ持っていないものの、周囲では誰も彼を貧民街の人間だと悪し様に言うこともないのに。


「悪い奴はたしかにいる。人の荷物を奪ってここに逃げ込んでくるような奴も、人を殺してきた奴もいたっけな」

「あの時はみんなで追い出しましたね」

 懐かしい。ガラクスもそう思う。

 数年前、逃げ込んできた人殺しを、この街の住民は許さなかった。空きっ腹を堪えながら皆で捕らえて、衛兵に突き出したのは記憶に残っている。

「良い奴も少しだけいる。だが、ここで生まれ育った奴らはどっちでもねえんだ」

「……?」

 グスタフが拳を握りしめる。二の腕までもが隆起し、その鍛えられた肉体を誇示した。


「あそこに座ってるガキどもは、食いもんの手に入れ方を知らねえ。当然だよな、そう育っちまってるんだからな」

 視線の先の子供が、指を囓り、よだれを垂らす。膨れた下っ腹から飢えが読み取れた。

「『飯を食いたきゃ働きゃいい』なんて街の連中はそう言うけどよ、そんなこと言われても理解できねえんだよ。来たばかりの奴らはともかく、ここで生まれた奴らは」

 グスタフが袂を探る。

 右手の指先に摘ままれて出てきた金貨に、ガラクスはおお、と小さく感嘆の声を上げた。

「貨幣の価値を知らねえ。仕事をして、金を稼いで、そうすりゃその金で美味いもんが食える。楽が出来る。そういうことすら知らねえ。金貨一枚よりも、干し肉一つの方が奴らには価値があんだよ」

「それは極端すぎでは……」

 そう思ったが、ガラクスも言葉につまる。自分の子供の時はどうだったか。そう思い出し。

 

 実際には、誰しもがそうだ。

 銅貨と飴玉を差し出され、どちらか選ばないといけないとなれば飴玉を選ぶ子供の方が多い。

 だがたしかに、それが続いてしまったら。

 大人になれば、大抵の者が銅貨の方が価値があると知っている。それでもなお、飴玉を選ぶ大人が出てしまうのであれば。


「そんな生活は先がねえ。だから、どうにかして生活を続けることが出来るように、奪わずに生きる方法を知るために、誰かが何とかしなきゃいけねえんだ」

「……それが、グスタフさんの店ですか?」

「おう。ものの価値を教える店。それが俺の店だ」


 改めて、グスタフは自分の城を見つめる。

 建築中も幾度となく訪れたが、棟梁は自分の要望通り寸分の狂いもなく仕上げてくれた。


「もちろん、利益は出すさ。俺が続けられなきゃ話にならん。だが、この店では、何でも金に換えてやる。ぼろ切れでも、葉っぱでも、親切でも、石ころでも」

「それで……」

 ガラクスが見上げた先。看板が、ガラクスの首の動きに合わせてキラリと光を反射した。


「それで、『石ころ屋』ですか」

「おう。――――――――」


 何かを言った。グスタフは、自身でもそうは思った。

 だが、何を言ったのかはわからない。どうしてだろうか。そう悩む間もなく、ガラクスが頷く。

「……そうかもしれませんね」

 伝わっている。ならばいいだろう。

「それを、皆に見せてやるんだ」

 ガハハ、とグスタフは笑う。

 実際には、そこまで明確な思想ではなかった。だが、ガラクスに乗せられるように口に出し、そして実際にそれが出来るかもしれないと、そんな気分になっていた。


「俺が何でも換えてやる。そうすりゃ、ガキどもも森に入って木の実を採ってくるかもしんねえ。魚を釣ってくるかもしんねえ。そうして『何かと何かを引き替える』ってことを覚えてきゃあ、盗みや強盗なんて儲からねえもんする奴だって減るだろう」

「上手くいきますかね」

「どうだかな」

 上手くいくかはグスタフにもわからない。

 だが、目の前の男を見れば。ここ貧民街を出て、街で暮らしていけるようになったガラクスを見れば、きっと可能だ。そう思っていた。


「貧民街は、街じゃねえ」

「そうですね」

 足元の泥を蹴り飛ばす。飴のような粘性を帯びたその固まりを、ガラクスは身を引いて躱した。

「だが、住民がいて、住民が使う店もある。ならここは『街』だ。誰が何と言おうともな」

「法律が……」

「んなもん、知ったことか」


 言い切るグスタフの顔を見て溜め息をついてから、ガラクスは深く頷く。グスタフならば出来()のかもしれない。長いその事業のうち、何かが変わればあるいは。

 だが、とも思う。その『何か』を変える機会は、もう訪れないだろう。


 話題を切り替えようと、ガラクスは努めて明るい声を出す。

「……この店で、また干し鶏も売ってくれるんですか?」

「当然だろ。俺の秘伝のもんだが、良い売りもんになるだろう」

 ガラクスの大好物だった。鶏肉を使った干し肉。

 他の肉を使った干し肉と同じように作ろうとも、水分の関係か乾燥中に腐ってしまうため、ガラクスにはついぞ再現することが出来なかった。

 漬け汁に秘密があるのか、それとも干す場所に秘密があるのか、それをいつかは見破ってみたいと思っていたのに。

「よかったです。ニクスキーも欲しがるでしょうし」


 グスタフが手伝いを頼めば文句も一切なく付き合う少年、ニクスキー。ガラクスもよくつるんでいたし、仲が悪いわけでもなかった。だが、彼の笑った顔は干し肉を差し出したときにしか見ることが出来なかったというのが少しだけ気に触った。

 肉好き。そんなあだ名から名前がついた。貧民街ではよくある話だ。


 ガラクスは喉を鳴らす。

 干し鶏。グスタフの作る軽食だが、ガラクスはそれが好きだった。

 彼には、彼が生きている間には、ついぞ再現することが出来なかったが。



 どろりとした泥。地面にこんなに水分があっただろうか。

 そう悩みながらも、グスタフは靴底の泥を落とす。このまま店に上がっては、せっかくの新築の床が汚れてしまう。

 店の入り口にある石に履いたまま靴を叩きつけると、水のように溶けて泥は簡単に落ちていった。

「立ち話もなんだな。上がってくだろ?」

 動かないガラクスを見てとり、グスタフは声をかける。だがガラクスはふと笑って、いえ、と首を横に振った。


「本当は今日お邪魔しようと思っていたんですけれど、まだやることがありそうなので」

「そうか?」

 泥濘を踏まないように立つガラクスが、どんどんと店から離れていく気がした。


 ガラクスは東を見る。まるで朝日のように、大きな光がそちらにあった。

 そして僅かな鳴き声。烏の。


「……『昼に飛ぶ(カラス)』っていう寓話、ご存じですよね」

「……? おう。当たり前じゃねえか」


 昼に飛ぶ烏。

 それはこの街で育つ多くの子供が親に聞かされる寓話の一つである。

 鳥の王様になった夢を見た一羽の烏が、昼に人間たちの畑に出向き、そして殺される。

 救いのない、『謙虚に生きるべし』という教訓の話。


「あの烏は、なんで石に打たれたのでしょう」

「畑に来たせいで、人間に狙われた、だろ?」

 グスタフはガラクスの意図が読めず、素直に返す。だがガラクスは、意味ありげな笑みを崩さなかった。

「畑には、烏にとって臣民となるべき小鳥たちがいたんです。なのに、烏だけ狙われたというのはどういうことなんでしょうかね」

「大きかったから、狙いやすかったんじゃねえか」

「俺は違うと思うんです。人間たちは、怖かったんじゃないでしょうか」

「怖い? 何で?」

 グスタフは聞き返す。その言葉に、ガラクスはいつになく真面目な顔をして、グスタフを真っ直ぐに見つめ返した。


「人間たちはきっと、小さかった頃の烏を知っていたんです。そんな烏が、森に入り、そして大きくなって帰ってきた」

「仮にそうなっても、怖くは思えないんじゃねえかな」

「……そうですね。でも、その烏が、昔苛められていたとしたら? 森に入ったのが、人間たちの世界になじめなかったせいだとしたら?」


 その場合は、確かに怖いだろう。グスタフも内心頷く。

 苛めていた対象が、大きく成長し、自分たちをも脅かすような存在となって帰ってきた。

 そうなれば、石を投げて撃退してもおかしくはないかもしれない。


「そうすると、畑にいた小鳥たちは、烏を見てどう思ったんでしょうか。初めて見たのか、それとも昔苛めていたことを思い出したのか……」

「案外、烏を王様と認めてでもいたんじゃねえのか、内心な」

 小鳥たちの心情などわからない。むしろ、わかるわけがない。寓話の一文に僅かに出てくる小鳥たちの心など。

 寓話とは、そういった解釈を楽しむものでもある。故に、答えは出ないとグスタフは思っていた。


 グスタフはガラクスの顔を見て、違和感を覚える。……ガラクスの顔は、こんなにも青ざめていただろうか。

「すみません。ふと思っただけなんです。烏が見えたから」

「……おう」

 それでも頭を下げたガラクスに、グスタフは何も言えなかった。


「じゃ、また来いよ」

「ええ。また、近いうちに」


 何となく悲しげなガラクスの顔が目についたグスタフは、不思議に思う。

 だが背中越しに手を振って、扉を閉めたその時には、全てが白く消えていた。





 は、と目を覚ます。

 見上げる先には木の天井。いつもの朝、いつもの石ころ屋のグスタフの寝床だ。


 起き上がろうとして背中が痛む。手をつき、寝台から体を引きはがすように強引に起きれば、体の節々がパキパキと音を鳴らした。

 首を捻れば肩が鳴る。

 喉が乾いた。枕元に置いてあった水筒を手に取り、栓を抜いて中を見れば、一口分の水が揺蕩っている。トロンとした液体は、痛んでいるわけではない。

 飲み込めば甘い味が口の中に広がる。唾液をそのまま飲んだような温度と感触だが、それでも胃の中が洗い流された気がした。


 寝台から足を投げ出し、腰掛けて息をつく。

 夢か。何となくぼんやりといたむ頭を抑えて、グスタフはそう呟いた。


 懐かしい夢だった。

 細部は違うが、石ころ屋の開店初日、ガラクスと話したのは本当だ。その内容もほとんど覚えていなかったが、同じような会話をした気もする。

 その時の、夢。


 当時よりも少しだけ薄くなった頭を撫でるように掻き、グスタフはその内容を反芻する。

 だが、どうしても思い出せなかった。

 あの日、ガラクスに明かしたこの店の名前の由来。そこに続く言葉。

 ガラクスの少しだけ嬉しそうな反応も、自分が気恥ずかしかったことすらも覚えているのに。


 五十年以上も昔の話だ。忘れていても仕方がない。

 そう納得しながらも、思い出せない気持ち悪さが頭の片隅に残っていた。


 苦笑する。

「ハハ、俺も耄碌したもんだ」

 思い出せない悔しさ。それが薄れていること自体、問題だと自分でも感じていた。

 そもそも、何故今懐かしい夢を見たのだろう。ガラクスの夢など、ここ十数年も見なかったはずなのに。

 ……どうでもいいことだ。その程度、何の兆しということもないだろう。

 

 寝台の弾みにより、強引に立ち上がる。

 まだ夜も明けきらぬ中、もう少しで開店時間だ。それまでに腹ごしらえと、開店準備を済まさなければ。


 今日も一日が始まる。

 長かったはずの人生の、残り少ない噛みしめるような一日が。


 寝室の扉を開く。

 さて、今日も全ての住民を食い物にしよう。財産を奪い取ろう。

 集めた財産で、もっともっと悪いことをしよう。


 自らが裁かれるその日まで。


 外から聞こえた夜鳴鶯の鳴き声が耳に障った。




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― 新着の感想 ―
だいぶ前のカラスの名付けのお話の頃だったか ニクスキーさんってそうなのかなと思ってたらやっぱりお肉好きだったんですね そのまんまな名前 スラムの孤児らしい適当命名ルール
[一言] 元タイトルか今タイトルをサブタイトルにしてほしい。 元タイトルの方が味わいがあって好きですが、ならそのタイトルを見て初見で読むかと言われたら素通りしてしまう気もして…でもこの世界観を読み続け…
[一言] 石を投げて烏を殺したのは、カラスを捨てた者への揶揄かな?的外れっぽいけど >ガラクスの顔を見て、違和感を覚える。……ガラクスの顔は、こんなにも青ざめていただろうか。 グスタフ連れて逝こうと…
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