世の中になき花の木
「遅いな」
「なかなか難しいですね、これ」
出した足の直下を冷やし、溶岩を岩へと変える。そしてその上に乗り、バランスを崩さぬように次の足を出す。その繰り返し。
スヴェンに倣って試してみるが、なかなか難しい。落ちたときの惨劇が目に浮かぶからだろうか。
もたもたしている僕を振り返り、立ち止まるスヴェンが溜め息をつく。彼は、まるで普通の地面に立っているかのような涼しい顔で静止していた。
飛び石を跳びうつるかのような移動。見渡す限りの煮えたぎる岩石の海の上で行うにしては少々のどかな遊びのような動き。だが、その実は割と必死だ。
常人が落ちれば焼けて死ぬ溶岩。本来は足場などないその溶岩の上にわざわざ足場を作り、そこに足をかける。
足からすれば大きさ的に余裕はほとんどなく、バランスを崩し転がれば溶岩の海に体が飛び込む。……もちろん、そうなっても大丈夫なように障壁は張っているが。
スヴェンが出来るのであれば僕も、と思ったが無理そうだ。
いや、いつかは上手く出来るけれど、今はまだ走っての行動は難しい。これ以上速度を上げて走ろうとすれば、どうしても滑って前のめりに転がる未来しか見えない。
……素直に浮遊しよう。
少しだけ浮かび上がり、溶岩から足を離す。前を見れば、軽く笑い、スヴェンも先導するように走り出す。
溶岩の粘性はかなり低いらしく、見た目は葛湯のような揺蕩いかたをする。粘性の高い海程度で収まっているので、多分スヴェンなら泳げると思うが流石に泳がないらしい。
ここエーリフの溶岩海は、空気まで熱い。吸い込めば肺を焼き、先ほど試しに散らしてみた髪の毛が空中で焦げた。
空気も足元も常に熱せられているこの暑い中で、汗一つかかずに佇むスヴェンの異常さがよくわかる。
その後を追って、回遊する火山島に向かう。
アウラと同じく、水平線の向こうに見える小さな島が、辿り着けば一つの山が浮かんでいる大きなものだと知った。
近づけば、黒い岩山。
砂浜のようなものはなく、だが段がつくように崖がある。青い透明感のある筋がまるで川が海に落ちるようにいくつか伝っていた。ごつごつした岩の壁が積み重なるように立ち上がり、その溶岩の波をザバザバと受け止めている。
波飛沫が、固まる前に溶岩の海へと落ちていく。粘りけのある海というものがあれば、きっと同じような動きをするだろう。暑さと色を無視すれば、溶岩とも何となく違う物質に見えた。
「最近我が輩が逗留していた島は、ここだな」
軽功といえるほどの身軽さで島へと上陸し、崖を駆け上っていく。それに続いて僕が跳び移ると、蹴った足元の岩が脆く崩れて落ちていった。
登り切った先の台地。平坦な脆い岩を踏み、一歩踏み出し顔を上げると、逆すり鉢状の火山が目の前に見えた。
そして。
「これが」
僕が思わず言葉を吐くが、スヴェンは全く気にしないらしい。スヴェンはゆっくりと中に歩いていくと、そこにあった一本の木に手を添えた。
まるで昔見た富士山のような見事な山。実際にはそれよりもかなり小さいのだろうけれど、それでも丘ではなく山といえる程度の大きさの火山。
それを取り囲むように平地がありそこには、林があった。
もちろん、それはいわゆる『樹木』ではない。
「純度が高いのか知らんが、滑らかな舌触りで我が輩の口に合う」
スヴェンが、手をかけた枝の先にある青や赤の胡桃大の実をちぎり取る。それを無造作に地面に放ると、残った銀色の枝にかじりついた。
咀嚼し、喉を鳴らして飲み込む。恐らく口内では液体になっているのだろう。そんな喉の動き方だ。
しかし。
僕もその木の枝に手をかける。大きさは僕と同じくらいの低い木。葉はなく、細い幹から枝が無数に伸びていた。
先についている実は固い。これもきっと価値あるものなのだろう。だがもっとわかりやすいのが、その枝だ。
撫でるとつるりとした手触り。その表面の輝きが日の光を弾く。
風には靡かず、軽く引っ張ってみても軽くしなりはするが柔らかさはない。それも当然だと思う。
「……どうして、こういうものが出来るんでしょうね……?」
呟きながら、周囲に無数に生えている林を見回す。
それらは一本残らず、金属で出来た木々。そして、この材質が何だかは知っている。
銀の結晶で出来たような樹。きらきらとした輝きが、僕の目に無数の星を見せた。
「知らんな。興味もない」
僕が感嘆の息を吐いていても、スヴェンは全く意に介さない。ただその銀の枝を頬張り、美味しそうに唇を舐める。ちぎり取っている木の実も、磨けば宝石になるだろうに、その辺りに一切興味は示さないようだ。
「それで? 貴様はこれが見たかったのか?」
「ええ。これを見るためにここに来ました」
正確にはこれだけではないが。この火山に溶岩の海、そして溶けて層となった宝石の崖。それら全てを見るために僕は来た。
「ならば願いは叶ったな。さて、我が輩に協力する番だ」
「……もう少しこう余韻を……」
せっかちだ。スヴェンが手を離すと、銀の枝が弾かれるように揺れる。
「貴様は時間がないのだろう? ならば、これは貴様のための提案でもあるのだが」
「……そうですね」
今日一日しかない。ならば、たしかにここでゆっくりしている暇はない。
もったいない話ではあるが。
何の気なしに、枝を折り取る。一本くらいは持ち帰ってもいいだろう。ここにある銀樹は誰のものでもない。
だが、……。
「あれ」
手の先で、銀の枝が蕩けるように形を失う。そして水のような滴となって、地面に落ちていった。
「保存は出来ないようだ。残念ながらな」
「折ると溶ける……んですか、……ああ」
ようやく気付く。周囲の温度が更に上がっている。銀の融点はたしか溶岩と同じくらいだったと思う。そこまで温度が上がっているのか。
まるで炉の中にいるようなもの。たしかに、シャナの部屋はここよりも暑かったと思うけど。
それにしては、折らなければ溶けないというのも不思議なものだが。
「折り取ることが出来れば我が輩も持ち歩いている」
「そうですね」
だからわざわざ枝についたまま齧り付いていたのか。食べづらそうだとは思っていたけど。
しかし多分これは温度の問題だ。
もう一つ、握れる程度の長さの枝を掴み、手の先に魔力を集中させ、温度を下げる。融点よりも低ければいいので少しで済むが、荷物に入れたいのでとりあえず常温まで。
膨張率の問題か、また澄んだ高い音が響く。
それからパキと折り取れば、僕の手の先に細い銀の枝が、玉の実をつけたまま静かに濡れて収まった。
「溶岩を固める要領でいけるようです」
「……ふむ?」
僕の手の先を見つめてスヴェンが目を大きく開く。興味深そうに歩み寄り、それから僕が折った枝を見つめた。
そして同じように枝を掴み、折る。
それからまるで剣を掲げるように折った枝を立てて持ち、「ほう」と呟いた。
「いいことを聞いた。後ほど、手折って拠点に運び込もうではないか」
「頑張ってください」
何十本も生えている林を眺めて呟いたスヴェンに、僕はそう返す。手伝えと言われると面倒くさいし。
それよりも、スヴェンは冷やすことも考えなかった。その『盲点』に僕は身が引き締まる思いだった。
……。
…………。
……あ。
もう一本、僕は枝を折り取る。
そして 腕と同じ程度の長さの枝を、冷却したまま軽く頭上で振った。
「何の真似だ?」
「ちょっと問題が解決しそうなんです」
止めて、その様子を見る。
そこについている滴。それは、僕の問題の解決策だ。
上を向いて口を開け、枝の先を咥えるようにして軽く振る。
「……我が輩以外には珍しいが」
「食べませんけど」
その言葉の最中に、一滴の滴が口内に垂れる。まるで甘露の一滴。乾きつつあった口内に落ちた冷たい滴が舌を伝い喉の奥に流れていく。
喉が動く。
ゴクリと飲むほどでもないはずだが、胃の中に垂れていく水の形が如実にわかった気がした。
これは、いける。
もう一本、枝を折る。今度は冷やさぬようにしたため、溶けて落ちる。その溶ける滴を空中で受け止め、杯のような形にして改めて固めた。
ただの凹みのついた金属製の板だが、今はこれでいいだろう。
その金属の杯を冷却する。すぐに、じっとりと表面に滴がつき、ほんの一口に満たない水分が底に溜まった。
臭いは少しあるか。硫黄のような、温泉のような臭い。
だが酸味はなく、これならばまだ飲める。飲み慣れれば美味しいかもしれない。
一口含んで飲めば、焦らされていたかのような喉がしっかりと動いた。
「……時間制限がなくなりました。ゆっくりといきましょう」
「ほう」
やはり、スヴェンのことを笑えない。この程度の発想も僕はなかった。
ムジカルと違い、雨が降る。水分の含まれた空気がここにあった。なのに、その水分を利用する方法が思いつかなかった。
水分が見えなかった。寒い冬の日を暖かい部屋の中で迎えたこともあったし、寒い国で凍り付いた髭を見たこともあったのに。
「小賢しいことだ。水程度、魔法使いならばいくらでも作れように」
「僕は、こういったことが大事だと思っていますので」
そこは意見の相違だ。どちらが優れているわけでもなく、ただ考え方が違うだけだろうと思う。僕には必要だが、水が必要ないスヴェンには必要のない試行錯誤だろう。
ここぞとばかりに空気を集め、水分を集めていく。
わずかな量だが、それでも充分だ。時間をかければいくらでも集められる。
もう一口飲み込んで、一息吐く。さすがに喉が渇いていたらしい。
だが、これでいける。今日だけとはいわず、少しだけ付き合おう。
お互いの頬が少しだけ綻ぶ。スヴェンと僕を覆う影が広がっていくのを、僕らはただ黙って見つめていた。
「……では、こいつを片付けたらいくとしようか」
「ええ。僕の腹ごしらえもしていいですか」
スヴェンが僕の背後を見上げ、僕も振り返る。
見上げる先にそそり立っていたのは、大きな触手。一つ一つがクレーターのような大きさの吸盤が、ぼこんぼこんと影を作る。雄かな。
振り下ろされ、砕ける銀の林。もちろん既に二人ともそこにはいなかったが。
大きな蛸だったが、それなりに美味しかった。
溶岩の中に住んでいるからだろう、焼いてみたが当然のように火は通らなかった。だがいったん凍らせてから焼いてみたら、火が通ったというのは発見だ。
それから四日。
昼頃。エーリフの奥地でいつものように周囲を探っていた僕の魔力波に反応があった。
大きな人型。魔力を持つ魔物。
「何かいました」
「どちらだ?」
僕が反応の先に顔を向ける。スヴェンも顔を向けるが、肉眼では見える距離ではない。
だが、向こうも僕の魔力に気付いたらしい。首を何度も捻り、その出所を探ろうと鼻をひくひくと動かしていた。
「行くか」
「ええ」
近くにあった小さな岩に跳び乗り、浮遊しようと足を踏み出そうとする。
だが、遅かったらしい。
僕のバランスが崩れる。慌てて飛び退き浮遊すれば、驚愕した。
立っていた岩が一瞬で赤熱し、形をなくしていた。湯の中に氷を入れたように、岩が溶けて消えていく。
「……クク、噂通りだな」
その岩を見て、スヴェンが楽しそうに笑う。ここ数日で初めて人間らしい表情を見た気がする。
それでも予想外だったのか、熱風に押されて踏ん張りが利かないように海に落ちた。
一度頭まで沈んだ後、溺れないように頭を出す。それからもう一度自ら作った足場に立ち、その先を見据える。
今この場の温度が更に上がった。
なるほど、確かに噂通りだ。街の反対側の季節が変わり、水筒が一瞬で空になる。金属の鎧は溶けて体に張り付き、剣は形を失う。
人が灰となる灼熱地獄を作り出す魔物。聖獣。
津波のような溶岩の波を避けてその先を見れば、巨人というべき赤い体の人型の何かが、こちらに走り寄ってきていた。
次話でこの章終わりです(本当)
その次に、ちょっとした閑話が入ります。