意外なつながり
このエピソード書いてたら、二万時超えそうなので分割して、と話数伸びてます嘘ついて申し訳ないです。
多くの人に期待されてるイライン帰還までは投稿ペースも上げているつもりなんですが、あの、その、すみません……。
11/12 急いでると言っておきながら、作者の都合でペース落ちてます申し訳ないです
「……ここで、何を?」
「何をとはこちらの台詞でもあるな。だが、少し待て」
彼が振り返り、酸の湖に歩み寄る。不思議に思いそこに追いすがろうとする僕を、振り返らぬまま上げた手で止めた。
「まだ顔も洗っていないのだ。うろおぼえだが、それは礼に悖ろう」
そして湖畔に膝をつき、湖に手を差し入れる。
ジュウ、という微かな音がした。
手で掬い上げた水を顔にかける。それを二,三度。もちろんそれは彼であっても危険な行為だと思う。
顔に付着した水が泡を吹く。それは蒸気でもないし、ましてや石鹸などに由来するものでもないだろう。
立ち上がり、懐から取り出した手巾を振り、伸ばして顔を拭く。水気を取り、ふう、と息をついてこちらを見て、一度前髪を掻き上げた。
「よい朝だ。さて、改めて話をしようか」
「顔、焼けてませんか……?」
その頬と額の一部が金属質の光沢を帯び、日光を反射する。明らかに、溶けている。
だがそれを指摘すると、その部分を指でさすり彼が答えた。
「我が輩には理解できない話だが、娘らは肌の光沢がどうたら言っていたと思ったが。いいのではないか?」
「いや、多分それ違う話だと思いますよ」
「……ふむ……?」
僕の言葉に、不思議そうな顔をして自らの頬を撫でる。
それだけで彼、〈鉄食み〉スヴェンの頬は、肉の質感になるまで再生されていた。
歩きながら僕らは情報交換を始める。僕の方は顔を洗っていないのは秘密だ。
「……して、今回はお守りではないのか?」
「ええ。一人旅です」
「旅、か。やはりよくわからん話だ。明確な目的もなく歩き回るなど」
僕の話を少し聞いて、スヴェンはそう結論づける。
そういえば、相互理解など不可能な男だった。体の構造からして違う生物。同じ魔法使いなのに、魔法使いとも思えない。まさしく、魔物のような生き物だった。
そもそも、旅の目的を誰に説明してもなかなか納得してはもらえないが。
僕が踏んだ足元の大きめな石がずれる。それで初めて気がついたが、今歩いている場所は大きめの石が複雑に組まれた地面だった。なんだろうか、溶岩が流れてくるよりも、火山礫が積もる頻度の方が高いのだろうか。
「しかし、なんだ」
楽しげにスヴェンが僕の顔を覗き込む。僕の背がいくらか高くなったとはいえ、まだ頭一つ以上スヴェンの方が高い様子だ。
「老けたな」
「……成長したんです」
スヴェンのあまりの言葉に僕はそう返す。
確かに以前会ったときと比べて色々と変わってはいるだろうが、まだ成長期で、これは成長というべきものだ。そう思う。
だがその言葉に、スヴェンは鼻を鳴らした。
「つまりはまだあの時には未成熟だったということだ。なるほど、期待できるな」
「期待?」
スヴェンが足元の岩を蹴り上げる。火成岩らしき詰まった硬そうな岩が、崖に当たって砕けた。
「あれ以上に強くなっているという期待だ。我が輩が両膝をつくなど、三百年前の戦でもなかったこと」
クツクツとスヴェンが笑う。負けて嬉しいということだろうか。
いや、多分違う。この言葉の感じと、たしか初対面で言っていたことからして。
「もう、貴方と戦う気はありませんが」
「さて、それはどうなるかな? それを決めるのは我が輩でもなく、貴様でもなく、ただその時、その場の運命が決める。我が輩が、また貴様が守る誰かを狙わぬとも限らん」
「……あまり、戦いたくはないですけどね」
前回勝利といえるところまで持っていけたのは、力任せの拘束がまだ有効だったからだ。
力任せというのは単純で、対策の立てづらいものだと思う。だがオトフシ曰く、レイトンと同等のこの男。念動力への対策を立てていてもおかしくはない。
それに、僕と素直に戦ってくれるならばまだしも、誰かの護衛中に僕を避けられるようになってしまえばそれも困る。僕に裁量権があればどうにでもなるが、もしもそうでなかったら。
この男の使う魔法は、そういう意味で非常に厄介だ。密室というものが存在しない。
スヴェンの話では、エーリフは大きな溶岩の海の他に、外にいくつかの小さな溶岩溜まりを形成しているという。とりあえず近くの溶岩溜まりに案内してもらうことにした。
意外にも、スヴェンは軽くそれを引き受けてくれた。案内というよりも、拠点に戻るついでという感じだからだろうが。
そうして歩いている間にも、少しだけ危険なところがある。
溶岩以外にも、たまに間欠泉のように岩の穴から熱風が吹きつけることがあるのだ。
「……」
無言でそれを障壁で防ぐ。硫化水素の混じった蒸気。きっと普通に浴びれば全身火傷で死ぬほどの高温。
だがそれをスヴェンは、何ごともないように直で身に浴びていた。
「熱そうですけど……」
溶けないんですか、とまでは口に出せなかった。金属質の体ではあるが、そこまで高温でもないだろうし溶けるかどうかもわからない。……昔僕が火球をぶつけたときには溶けていたっけ。
「慣れた」
一言呟くように口にし、口元に笑みを湛えながらスヴェンは歩みを止めない。
多分、ランメルトが砂漠をフードなしで歩く僕を見て『暑くないか』と尋ねたときの心境は今の僕と同じようなものなのだろう。
スヴェンのその笑みは、溶岩溜まりに到着するまで崩れなかった。
そしてその溶岩溜まりの畔。僕が作ったよりも少しだけ小さく、そして深い穴をスヴェンは示す。
「ここが我が輩が暮らしている洞穴だ」
「ここが、ですか」
感想としては、あまりに簡素。
家具も何もなく、ただ岩が滑らかに削ってあるだけ。そして開口部の小ささから、僕が作った洞穴よりも更に熱が籠もるだろう。横になるだけの部屋だった。
何より不思議に思ったのは、生活感がない。というよりも、ここで暮らすとは。
「ここで、何を?」
「なに、少し思うところあってな。最近よく燃やされるので、少し克服しようと考えたのだ」
「よく燃やされるって……。まあ、スヴェンさんならそういうこともよくあるでしょうけれど……耐熱性ならもう既に充分じゃないですか」
確かに、人間相手の仕事をする彼のような探索者ならば、炎に当たることもあるだろう。
だが、それでもその口ぶりからすればよくあることらしい。
以前、僕が彼の体を燃やしたときを考えれば、並の魔術師に出来ることとは思えないのだけれど。
「克服は頂点に立つまで止められない。貴様やシャイニーコルト、世界はまだまだ克服すべき壁で溢れている」
スヴェンは楽しそうに頬を吊り上げる。牙が剥き出しになり、その顔はどこか獣を想像させた。
だが、僕は思考を止める。克服。そして、シャイニーコルト。二つの気になる単語があった。
少し驚いた。何故そのうちの一つを、スヴェンが知っているのだろう。
「シャナ様をご存じなんですか?」
僕は思わずそう尋ねる。その言葉にキョトンと目を丸くし、それからスヴェンは噴き出すように笑った。
「シャナ、そうか、親しいものにはそう呼ばせていたと聞いたな。ああ、シャイニーコルト・リデルは知っていた。会ったのはつい最近が初めてだが」
「……知っている人が、残ってたんですね」
記録は抹消され、その名前は『シャナ』というお伽噺の主人公に塗り潰され、歴史の影に消えてしまったと聞いたし、思っていた。なのに、まさに目の前に知っている者がいたとは。
「むしろ何故貴様に驚かれるのかわからんな。〈白限〉のシャイニーコルト・リデルといえば、少し前までミールマンの守護者として知られていたではないか」
眉を顰め、スヴェンが呆れを含んだ溜め息をつく。会ったわりには、何故彼女が地の底へ封じ込められているのか聞いていないのか。
「まあ見えることが出来るとは思っても見なかったが。我が輩が生まれる前に死んだと聞いてはいたからな」
スヴェンは足元の石を拾い上げ、ぼこんぼこんとガスを吐き出す溶岩に投げ入れる。粘性のある液体に物が落ちた重たい音が、ほんのわずかに聞こえた。
「祖父の目にした数々の勇壮な逸話を、我が輩も妹も喜び聞いていたものだ」
懐かしそうな声音だが、表情はそうは見えない。ただの笑みを貼り付けた無表情に近かった。
「でも、そのシャナ様に、なんで」
彼女の部屋にはなかなか入れないはずだ。それこそ、何の手がかりもなく地の底まで降りていき探索しなければいけない。笑い女に会って招待されるとしても、それでもかなりの地下深くだ。
それも、会ったのはつい最近だという。ならば何か、ミールマンで変事でもあったのだろうか。
だが、スヴェンの表情からはそういったものは読み取れない。……元々難しいが。
「貴様が持ち込んだのだろう?」
「何を、でしょうか」
持ち込んだと聞いて、一つ思い浮かぶ。だが本当にそれだろうか。
「シャイニーコルトの封じている焦熱鬼の髪を切り取り、あの石ころ屋に」
「……ええ」
それだった。確かにそれは僕がしたことだ。三年以上前に、モスクに持たせた髪の毛。僕がこの国に来る直前、その真贋の確認が出来たとエウリューケも言っていたと思うが。
「その確認をするために、青髪の狂女の護衛としてついていった」
会話が一瞬止まる。感じた違和感に、僕の口が言葉を吐いた。
「三年前の話ですよね?」
「そうだが?」
ん? とお互い顔を見合わせる。
いや、意味は明瞭だし、特に矛盾していることは言っていない。だが、何か噛み合っていない気がした。いや、スヴェンの方は何もおかしなことを言っているわけでもないと思うが、それでも。
ああ。
「最近、と仰ってたので。話の腰を折って申し訳ないです」
そしてすぐに気付いた。僕が引っかかった部分。
最近会ったというのに、それが三年前のことだった。ただそれだけだ。
しかし、エウリューケの護衛としてスヴェンがついていった。
いやたしかに意味はわかる。エウリューケも戦えないわけではない……どころか多分相手にすれば僕も危ない気がするが、それでも専門ではない。彼女の役割としては焦熱鬼の真贋の鑑定だけで、仮にシャナと諍いになったときにはスヴェンの出番がくることになっていた、ということだろう。
……グスタフさん、人選間違えてないだろうか。二人とも落ち着いて話が出来なさそうな気がする。
いやまあ、あの灼熱の部屋に入れる人間を、と考えれば、スヴェンも間違いではないかもしれないが。
それよりも、そういえば。
「……そこで、燃やされた、とは……?」
シャナに燃やされたと言った。つまり、諍いになったのか。
「戦闘にはならなかったな。少し挑発してみたら、我が輩の腕が溶けて落ちていた」
クク、と楽しそうにスヴェンが笑う。
「あの様子では、勝てる見込みはなさそうだったのでな。貴様に焼かれたことも思い出し、早々に退散し、ここで炎を克服すべく訓練中というわけだ」
「それで」
挑発とは。何したんだろう。余程のことがない限り、怒らない女性という印象だったが。
「最初は笑えたぞ。この溶岩に浸かるだけで体が分解されていった。胸までなくなったときにはさすがに我が輩も死ぬかと思った」
「それでも胸までは大丈夫なんですね……」
僕の突っ込みが追いつかない。そもそも、訓練とはこの溶岩に浸かることだというのだろうか。
僕は溶岩溜まりに目を向ける。
赤い池。所々温度が下がり黒色を帯びているので表面はマーブル状に動き続けている。
熱気が上がり、線香花火の火薬のような臭いが常に周囲に漂っていた。
この中に入ったのか。それも、言葉の通りならば風呂にでも浸かるように、足から徐々に。
覗き込めば、普通の溶岩だ。溜まっているというか、ここは地中から湧き出しているのだろう。エーリフの溶岩海と繋がっているのだと思う。
溶岩の温度はセルシウス度で大体一千度と聞く。その中に入ることすら無謀なのに、……よく考えてみたら、『最初は』ということは……。
「もう克服したんですか?」
「当然だ。貴様も入ったのならわかると思うが、シャイニーコルトの部屋はこれ以上だ。この程度凌げなければ、戦いに入ることすら出来ん」
言いながら、スヴェンは手袋をした片手を溶岩に突き入れる。そして泉の水を弄ぶように、向こう向きにはね飛ばした。
手袋自体が強いわけではあるまい。いや、昔体を焼いたときには、たしか服ごと再生していたから服も強いのかもしれないが。
そして、見ている間にその海の中に体を滑り込ませる。
ジャブン、という音とともに腰までスヴェンの体が浸かる。それでも彼は、眉一つ動かさなかった。
「溶岩を克服した今は、焦熱鬼を探して回遊している火山を彷徨い歩いているのだがな。半年ほど経ったと思うが、そうそう出くわさんようで未だ姿を見ていない。そして久しぶりに岸に流れ着いたので一休みしようとしばらくここを拠点にしていた。そうしたら、貴様がきた」
焦熱鬼。魔物ではなく聖獣と呼ばれているその生物は、たしかエーリフの中心付近に生息していると思った。ネルグの幹やアウラの海もそうだが、やはり聖領には中心部に近いほど強大な魔物がいるという。
ネルグやアウラは、その豊穣さ故に。そして多分エーリフは、その過酷さ故に。
「焦熱鬼、倒せますか?」
「どうだろうな。強いとて、生物だ。シャイニーコルトの真似をして、首をはね飛ばせば勝てるだろう」
言葉通り、その顔には自信が見える。相手は勇者の時代、世界を相手に戦った四頭の魔物のうちの一体なのに。しかも、シャナが相手をした個体のように、弱ってなどいないだろうに。
「そうだ」
スヴェンが手を打つ。変わらないアルカイックスマイルに、少しだけ本物が混ざった。
「貴様も手伝え。魔力波を飛ばすのは、貴様のほうが得意だろう」
「僕はそんなに長い時間ここで活動できないので……」
「何故だ?」
長い時間探し回るのは難しい。そう言おうとした言葉を遮り、スヴェンは問いかけてきた。
その答えは、僕の悩みでもあるが。
「水の予備がもうありません。どこかに水場があれば別ですけど」
僕は背嚢から水筒を取り出し、軽く振る。温かくなった筒の中で、チャプチャプと音が鳴った。
「水? ならば先の湖の水で構わないだろう」
「あれは飲めませ……ん……」
飲めない。そう言い切ろうとして、気付いた。そういえば、スヴェンはどうしているのか。いやそもそも、その食生活を考えれば、もしかして……。
「なんだ。貴様はまだ水が必要か。シャイニーコルトを見習うがいい」
そういえば、彼女もそうか。数百年間、本物の水の一滴も口にしていない彼女。彼女も紅茶や何かは嗜んでいると思うが、その紅茶は魔力で作り上げたまがい物だ。
「スヴェンさんは、飲み水をどうしているのでしょう?」
「飲まん。必要ない」
溶岩の海の表面に手をついて、スヴェンはその手に魔力を込める。多分冷却され、固まった岩を手がかりに、ザブンと溶岩から這い上がりその上に立つ。
服の裾を払えば、固まった小さな岩石がパラパラと落ちる。
「そうすると、貴様の次の質問が手に取るようにわかるぞ。だが、答えてやろう。我が輩の二つ名を思い出せ」
「……なるほど」
僕がすると想定されたのは、では食事は? という質問だろう。
たしかに、気になるところだ。ここエーリフには魔物や動物も生息しているので、それを食べても問題ないだろうが。
しかしスヴェン本人が言うのだ。ならば、そちらだろう。
「そういえば、回遊している島は、スヴェンさんにとって良い環境なんですね」
「そうだな。毎日が馳走の日々だ。もう働かなくてもよいかもしれん」
クツクツとスヴェンが笑う。そういえば僕はその光景を見に来たのだ。ならば、こんな問答をやってる暇もない。行こう。
「とりあえず今日は協力しましょう。ですから、スヴェンさんのいつもの食事場所に連れてってもらえますか?」
「……了解した」
貼り付けたようなうっすらとした笑み。
握手のための手を握り返し、それでも消えないその笑みには、やはり人間味は感じられなかった。