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水時計




 「暑……熱い!!」

 思わず僕はそう叫んだ。三年もの間浴び続けてきた熱風。慣れたつもりだったが、その『火元』というべきそれはこんなにも激しかったのだろうか。

 顔を叩く空気が熱い。まるでオーブンで焙られているような気さえする。温度は低いのだろうが、空気の流れがあるぶん、シャナのいた焦熱鬼の部屋と同じ気分だ。


 ストラリムから東へ抜けて、火山地帯に入る。

 牧草地帯からの別れは急に訪れた。砂漠とも違う乾いた黒い砂地に変わり、やがては隆起した黒い岩山が並ぶような地帯となる。

 そしてその向こうから吹いてくる風は、ムジカルの大地を常に焼き尽くしているだけあって、かなりの高温だ。


 この風とその反対から吹くリドニックからの寒風がちょうどよく合わさって、ストラリムの温暖な気候と牧草を育んでいると聞く。

 ……美味しい牧草を食べて育った豚から作った腊肉(ベーコン)、食べてみたかったが。囓った牧草がそれなりに美味しかったので、期待できると思ったが結局食べては来なかった。


 件の村を出てから一日半。ここに着いたのがちょうど日没の辺りだったが、日没の夕焼けとは違う赤みが空にある。

 少し上空から見ても地平線まで続く峻険な岩山。その向こう。まるで火事か何かが起きているかのような感じではあるが、そこにかの聖領エーリフがあるのだろう。ならばまだ少し先だ。


 ストラリムの国境らしきところからここまでの距離は、イラインからネルグの森浅層の距離よりも少し短いくらいだろうか。

 だがまあ、ネルグの幹ではなく森に相当するのが溶岩の海らしいので、比較対象にはならないだろうが。


 しかし、ここは溶岩の海ではない、ということは。

 ……つまりここはまだ聖領ではないのだ。既に草木はなく、人の住みづらい環境になっているのに。

 ネルグやアウラとは違い、あまり人に対して恩恵を与えているとは思えない土地。僕にとってわかりやすい恩恵があるとすれば、ストラリムの温暖な気候くらいではなかろうか。ムジカルも、あの熱風がなければ住みやすい土地になるかもしれないのに。

 だがたしか、グスタフさんに昔聞いた話ではきちんと人間に対する恩恵もあると聞く。その『光景』も少し見てみたい。


 背後を見れば、薄暗闇に溶岩質の黒い岩場が続いている。

 前を見れば、覆い被さるような岩山が立ち並ぶ。雷でも鳴っていれば禍々しくも思えそうな切り立った山。



 今日はここで休もうか。岩山手前の平坦な土地。この周囲が安全かどうかはわからないが。

 とりあえず、周囲に生き物の気配はない。あるとすれば、近くの岩山の崖に、鳥の巣がいくつもあるくらいだ。魔物ではなさそうなので、放置でいいだろう。

 しかしその鳥の巣も、木の枝っぽいもので作られている。……どこから採ってきているんだろうか。


 そうして、適当な岩場の影に座……ろうとして少しだけ後悔した。

「熱っ!」

 手をついて、その温度に驚く。

 当たり前のことな気もするが、地面の岩も熱い。素手で触れば火傷するほど。水で窪地を満たせばいい温度になると思う。どこかに水脈とかないだろうか。


 風と地面からの熱さえなければ、そこそこ快適そうなのに。

 僕は周囲を見回して、少し悩む。まだ聖領に入っていないのに、ムジカル以上の熱に挫けそうだ。ムジカルの砂漠もところにより高温だったが、布を数枚敷けばそれなりに横になることも出来たということは、これよりも温度は低かったのだろう。


 魔法を使ったほうがいいだろうか? 今回はその方がいいかもしれない。一応木を組んで地面から離れた寝床を作る案もあったが、その木が周囲にない。一羽だけ、鳥が木を運んできているのを見ていたが嘴で一本だけ摘まんでストラリム方面から運んできていた。ならばきっとこの周囲にはないのだろう。

 木や葉っぱがあれば、鳥たちのように焼けずに済む寝床を作れるのに。そうは思うが、無い物ねだりは出来まい。


 闘気で体を保護するということも出来るが、今僕は休息をしたいのだ。闘気を活性化させるという労力を使いながら休息するのは、薄い塩水を飲んで喉の渇きを潤すようなもの。緊急の事態でなければするべきではないだろう。

 魔法ならばどちらかといえば肉体的よりも精神的な疲労だし、闘気ほどは疲れない。


 そうしよう。せめて熱風が当たらないようにと、僕の体より大きな岩を適当にくりぬき、くぼみを作る。

 エーリフの反対側に作ったその穴に体を押し込むように座れば、何となく風は当たらないために少しだけ快適になった気がする。正直気のせいだけど。

 最後に、一応岩を冷却する。温度を強制的に下げれば、後ろの方でピキピキと音が響いた。温度差でひび割れているようだ。


 生温く、ギリギリ腰掛けられる程度の洞穴。そんな場所で、耐熱の障壁を張り僕は息を吐く。

 黒くなりつつある空を見て、少しだけ笑いがこみ上げてきた。



 以前、僕はネルグの森の中で生活していた。貴族の依頼を受け、中層付近で寝泊まりし素材を集める。緑の薔薇が欲しいと聞けば、萎れる前にとって引き返し、また戻る。生薬となる花が咲くのを待ち、魔物に警戒をしながら過ごした。


 ネルグでは休憩場所を作ることの緊急性は高くなかった。食べられる植物はどこにでもあるし、体にとって過酷な場所ではなかった。魔物や動物、地形により形作られる天然の罠に警戒し、適当な木のうろで眠ればよかったというのに。

 ほんの少し行動しただけだが、アウラも魔物や妖魚はいるものの基本的には海だった。陸生生物たる僕は溺れないようにすればそれで済み、やらなかったが浮島を点々とすれば簡単に旅も出来ただろう。


 けれど、エーリフでは違うらしい。

 まだエーリフには着いていない。それなのに、生存できる場所を作る必要があった。全ての生物に優しいネルグやアウラと違い、全ての生物に厳しい土地。きっと、それが聖領エーリフなのだ。

 


 ……僕は今、生まれ持った魔法の力を存分に使い、そんな土地に快適な場所を作り出している。

 改めて思う。僕は、恵まれている。生存という意味ではきっとどこででも生きていけるし、他者を必要としないのだろう。

 人と関わるのは、僕の心の安定のため。それ以外の理由は本当はない。

 



 汗が一滴垂れて思考が途切れる。先ほど適当に作った障壁だが、少しだけ耐熱のレベルを上げなければならないらしい。

 寝床はここでいいとして、この後水も探さなければなるまい。ストラリムで補給してから節約してきたが、もう水筒には半分ほどしか残っていない。生きていく以上、生物は水が必要だ。


 背の方でピイピイ鳴いている鳥たちはどこから水を得ているのだろう。先ほど戻ってきた方向からすると、彼らもストラリムで補給しているのだろうか。しかし、ならばここに巣を作る理由はなんだろう。

 水は別の場所ならば、他にここを選んだ理由があるはずだ。食糧か、それとも外敵が少ないからか、もしくは、熱がなければ生きられないか。


 それとも、この近くに水源があるのだろうか。それならば、ストラリムへ飛んだ理由は食糧探しかもしれない。ただ単に巣の建築材料を採ってきただけかもしれない。


 何にせよ、水を探さなければ。鳥やその他の生物を探し出し、血を飲むという手もあるが、それも最後の手段にしたい。あまり美味しくないし、それこそ薄い塩水を飲むようなものだし。

 まだ何か手はある。それを探してからだ。

 


 そこまで考えて、岩に背中をつけて息を吐く。

 いや、多分水はある。半分勘だがそう思う。

 リドニックの冷たい空気が全てストラリムで消費されるわけではあるまい。

 それに、ここは火山帯のようなもの。魔力を通し足元を確認すれば、火山砂のような黒い礫の下は、パホイ……なんだっけ? まあ、溶岩が滑らかに固まったような岩地。

 つまり溶岩はこの辺りまで来るし、上空には冷たい空気があるかもしれない。


 火山砂もある。火山灰が飛んでくるということはきっと。

 だがその場合、その水は使えないだろう。それも多分だが。


 一応探してみようか。もはや暗くなっているが、強化した目であれば大体見える。

 それに。


 岩から立ち上がり、振り返ってみればそれなりにもはや壮観な光景だ。

 日があるときにはわからなかったけれど、地面が所々赤熱している。若干の明かりはある。人間にとっては本来暗く危険な明かりだが。


 障壁を張り直し、歩き出す。とりあえず水を見つけて、そこを拠点に今日は休もう。

 見つからなければそれまでだ。そこで休息場所を作る。月が中天に上がるまで、それくらいまでを目安に。


 ボコボコと足元を伝う震動に、僕は大地の力を感じた。





 結論からいうと、水場は見つけた。

 岩山を二つ越え、そろそろ諦めようかと思っていた僕の目の前に、小さな湖というべき水たまりが広がっていた。

 訂正したい。水たまりではない。


 その水をそっと覗き込む。背後の赤熱した明かりに照らされて微かに僕の顔が映っているが、その顔がすぐに乱れる。

 原因は、泡。それもガスのようなものではない。蒸気だ。


 ぼこんぼこんと煮え立つ池。それはもはや、水ではない。

 中に生き物の姿は見えない。煮えたぎる湯の中で暮らす魚はいないらしい。


 持っていた素焼きの器に少しだけ掬い、待つ。

 これが冷めれば飲めるかとも思うが、そうでもない。

 

 髪の毛を一本千切り、冷めつつある湯の中に差し込む。

 瞬間、縮れていく。これはその湯の脱水作用によるものだろう。


 どこかで聞いたことがある。火山湖の多くは強酸性だと。いやもちろん、ここまで強烈な酸性なのは聞いたことがないけど。

 噴火に伴い火山灰が上昇し、リドニックの冷たい空気に触れて雲を作り、雨を降らす。そして、何かの作用が加わり、純粋な酸性雨が溜まった湖。ここはそういうところだと思う。


 一応舐めてはみたが、酸っぱくて舌がピリピリするし、生臭いような臭気もある。

 多分、この近くに水場があったとしても似たようなものだろう。

 いやもちろん、中性の地下水が噴き出た場所もあるかもしれないが。



 だが。

 僕は空を見上げる。もう月が中天に来ている。決めていた期限だ。


 水筒の残りを考えれば、あと一日程度しか持たない。だが逆に言えば、節約すればあと一日は大丈夫だ。不測の事態が起きれば不味いが、その場合はこの水を飲むか生き物の血を飲むか、だ。ストラリムにはあまり戻りたくない。

 今日はもう休んで、明日一日エーリフを堪能すればいいだろう。エーリフにも色々と資源はあるが、別にそれは僕にとって嬉しいものではない。あって困るものでもないが。


 とりあえずここで寝る。少しだけ岩場をくりぬけば、一応休める場所は作ることが出来た。

 障壁を張りながらではあるが今日はここで休もう。どこでも寝られるのは、きっと僕の特技だ。


 

 一応水辺ではあるし、警戒はしておこう。姿を隠し、誰にも見つからないように。

 そう思いつつ睡眠をとる。


 次の朝、僕は近づいてきた生き物の気配で目を覚ます。

 魔物か、生き物か。大きさは僕よりも少し大きいくらいの人間大。そこまで考えて目を開ける。


 だが、驚いた。

 そこにいたのは、人間大の生き物ではない。まさしく、人間……といってもいいのだろうか。

 仕立てのよい服を着た長身の男性が、僕のくりぬいた浅い洞穴に目を留める。

「ん?」


 一応、知り合い相手に失礼だろう。もしもこの先姿を見せることがあったら気まずいし。

 そう思い、透明化を解いた僕に、あくび混じりの彼が目を向ける。

「……腹ごなしに散歩でも、と思ったが珍しい顔があるものだ。……カラスといったな。また誰ぞのお守りでもしているのか?」


「おはようございます。お久しぶりです」

「クク、おはよう、とでも返せばいいのか? のんきなものだ」

 そしてその銀の髪の毛を揺らし、鋭い牙のような歯を剥き出しにして笑った。




この話を分割してしまったので、四話超えます申し訳ないです。

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銀髪!鋭い歯!誰ぞのお守りっつー台詞! 好きなキャラきたーこんなところで会うなんて。 我が輩鉄食み好き… なんて浮かれといて、スヴェンじゃなかったら恥ずかしい。 ああ続き読みたいのにまたしばらく読…
[気になる点] 銀髪で探してみると案外登場人物に居たりしますね。 オトフシ、スヴェン、ソーニャ。この世界だとメジャーな髪色だったりするのかな。 [一言] カラスくんは魔法使い病を意識しすぎて高2病みた…
[一言] 魔法で水とかって出せないんですか? 空気中の水分とか 想像で理をねじまげるとかアレな感じで
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