ひとでなしの選択肢
11/6 更新直後に加筆しました(コピペする文章間違えました申し訳ないです)
まだ夜も明けきらない薄暗い中、僕は歩き続ける。
砂漠の砂は草に飲まれたようにいつしか消えて、僕の足元は柔らかな草が一面に生えていた。
所々柔らかくなっているのは、度々見かけるモグラのせいだろう。見かけるといっても、地中を掘り進んでいるのを感じるだけなのでモグラとも限らないが。
主に生えているのは膝丈ほどの細長く薄い草。光で照らしてみれば、やや黄緑色で光を透かす。
ムジカルを……というよりも、砂漠地帯を抜けたからだろう。吹く風が『熱い』というよりも『温かい』に変わっており、風が吹き抜ける度に聞こえる音が粒を伴うものから草が靡く音に変化していた。
草に絡まるように転がっていた白い骨は、何の骨だろう。
歩いているうちに、少しだけ明かりが見えた。日の光ではなく、人の明かり。それも、明かり取りのためではなく多分炊事のための。
その明かりをいくつか灯している建物群は、村だろうか、街だろうか。どちらでも構わないが、その住民たちがどちらか、それは気にしておくべきだろう。
木造建築の家々がまとまって並ぶ。牧歌的な村ともいうべきところ。多分僕が昔いた開拓村をここに移築すればほとんど同じようなものになると思う。
牧舎らしきものが多いのは、きっとお国柄だろうが。
歩み寄っていくと、もちろん人の気配がする。
水を汲むための桶を重ねる音、わずかな話し声、卵か何かを焼く匂い。生活のためだろう、それは当然。
……だがしかし、歩み寄ってわかった点が一つある。
牧舎から、動物たちの鳴き声がしない。牛や鶏、その他起きている動物たちはいてもおかしくはないのに。
ここストラリムは牧畜が盛んな国。盛んだった国。
この今僕が踏んでいる草が短くもなく、普通に生えているのも、きっとその変化の象徴だ。
やがて、誰かが僕に気付く。村……ともう決めてしまうが、村の外周にあった見張り小屋らしきところから出てきた男性。髭のシルエットが見えるほどのたくましい顎髭。
水を汲みに出てきたのだろうかと思ったが、手ぶらということは多分時間も考えると小用だろうか。それが、僕の姿を見てぎくりと身を固めた。
「……止まれ」
その声に合わせて、僕も歩を止める。男が品定めするように、僕を頭から足先まで見た。
「この村に何しに来た」
「……特に何も」
本心だ。ここは目的地でもないし、意図してここに来たわけではない。ただ単に、足の先にあったからきただけ。
だが男は僕の姿をもう一度検分して鼻を鳴らした。
「商人でもないな。ムジカル民か?」
「いいえ。エッセンの人間です。ただこの先に行きたいだけなので、この村に用事はありません」
「どうだか」
男が足元にあった棒を掴み、近くの戸についているカウベルのようなものを激しく叩く。それだけで、他の建物の中にいる人間も反応したようだった。
扉が開き、僕の姿を見て身を固める。そうして次にその扉から出てきたときには、その手に長柄の武器を持っていた。
農具ではない。菱形の薄い穂先の槍。
……早合点はいけないけれど、彼らの素性が決まった。
「ムジカル民ではない。ならば、荷物か命を置いていけ。恭順を示すなら……あー、たしか跪いて両手を組むんだっけか」
「ストラリムの人間ではないので、その作法はとらないですね」
思わずそう突っ込みを入れてしまう。多分、エッセンの人間だということも信じられていない。ストラリムの人間だと思われているらしい。
「何だ? 見逃される機会をふいにするのか?」
「恭順したところで、関税があるでしょう」
関税といっても、国が定めたものではない。彼ら独自の、彼らの気分によって作られる関税が。
髭男は微かに笑う。
「かんぜい、そうか、関税ってのもあったな。お前、頭良いな」
「それはどうも」
会話している間にも、人が何人か集まってきている。僕の側面に割り込むように三人、目の前に二人。
目の前にいるこの男以外は武装して。
その姿を得意げに見回した後、男性は宣言するように胸を張った。
「この村の関税は十割だ。わかったらとっとと……」
髭の男性。その頭を蹴り飛ばす。
突然の行動に周囲の兵が固まり、その集団としての練度の低さが見て取れた。
「プアッッ……!?」
踏み固められた土の上を、男が滑って飛ぶ。呆気にとられたような周囲の人間は、それを見てようやく僕へ武器を向けた。
「荷物は渡しません。命も置いていきません。これで答えになるでしょうか?」
蹴り飛ばした男の股間付近の土が濡れていく。我慢していたようだが申し訳ない。
……しかし、こんなところで追いはぎか。
ムジカルによって占領されたばかりの国は初めて来たが、こんなことになっているとは。
一応、占領されてしばらく経った国や街では、本当に一応だが法治機構が機能していたのに。
この分だと、多分ムジカル兵がまだいくらか村に駐屯しているだろう。
そして、ムジカル兵ではない者たちも。
僕は周囲を見回す。明るくなりつつある風景の中、僕に向けられた槍に刻まれている紋章が見て取れる。
彼らはまがりなりにもムジカル兵だ。装備や、占領後にも駐屯しているというところからすると、徴兵された者たちではなく正規軍。
……好き好んでやるわけだ。こんな役得があるのなら。
彼ら正規軍は、好き好んで戦う者たち。ムジカル国民でありながら、配給では満足しない者。
エネルジコと同じく、ただ生きることに飽きた者。
多分、僕も一緒。だがその心根は、彼らよりエネルジコの方が好きだ。
「この……!」
僕に向けて突き出された槍を掴み、折る。そのまま兵士の両膝を蹴り砕き、頭を蹴り飛ばせば彼もまた仰向けに倒れた。
同じように、ひとつふたつと叩き伏せていく。ろくな反撃もない、彼らは本当に、兵士なのだろうかと疑ってしまうほど。
だが、確かに兵士だ。
一人、僕の攻撃を防いだ者がいる。防いだと言っても、気絶を免れたというだけだが。
「……っ!」
足が折れているため、もはや立てない。だが土を掻き毟り、僕を見上げるように見た。
「なんだ……何だってんだ、ちくしょう……」
僕が見返すと、ギリ、と奥歯を噛みしめる。
「貴様は……、何のために、ここに……」
「ただ通りがかっただけと言ったはずですが」
荒い息で、生き残りが呻く。その口から血を吐き出し、僕を苦々しげに睨んだ。
「そんなわけ、ねえだろ……。反乱分子か、雇われたか……今に見てろ、すぐに鎮圧するために軍が来るぞ……ただじゃ、済まさねえからな……」
「ですから、違うと……」
僕は溜め息をつく。なるほど、少しだけランメルトの気持ちがわかった気がする。
勝手に追いはぎをし、撃退されたら鎮圧にまたくる。勝手な戦いに僕を巻き込まないでほしい。
「……でしたら、どうすればただで済んだというのでしょう?」
「…………」
見下ろしながら、尋ねるようにそう呟く。だが、兵士は答えず、気を失ったようで頭から地面に落ちた。
しかし、そうするとこの村に残っている人たちが面倒なことになるのか。
仮に増援が来た場合、彼ら兵士を襲撃した誰かが追われることになる。僕を速やかに追ってくれればいいが、村人たちを疑ってしまったら村人たちにも迷惑がかかる。
実際、残っている人たちはどれくらいいるんだろう。
そう考えている間に、また一人、明るくなってきた村で僕に気付く者が出る。
倒れている兵士たちよりもかなり村に入ったところ。多分僕の顔がぎりぎり確認できるくらいの位置から、僕らを見つけた。
水を汲んだ桶を取り落とし、愕然と口を開いている人。その立ち居振る舞いは、どう見ても兵士ではない。
大股にこちらへ歩み寄り、事態を把握しようと努めているようだ。
お腹の出た中年男性。日に焼けたような肌は生来のものではあるまい。
「あんた、なにしてんだ」
「村の方ですか?」
僕がそう問いかけても、村人はそれを無視して最初に蹴り飛ばされた男性のところへ駆け寄る。そしてその顔を見て、肩を揺すって起こそうと試みた。
「ああ、ああ……ムジカルの旦那、ああ……!」
「…………」
僕がその仕草を見守っていると、やがて起きない兵士に業を煮やした村人がこちらを見る。敵意を込めた表情で。
震える唇が開く。
「あ、あんたがやったんか!!」
「そうですね」
そして僕の答えに激高したように、土を掴んで僕に投げる。
ピシ、と咄嗟に張った障壁に衝突して固まりが弾けた。
「なんてことをしてくれたんだ!!」
「撃退しました」
端的な答えに満足しなかったようで、もう一度村人が僕に土塊を投げつける。僕に当たっているように見えているのだろうか。
それからもう一度倒れた兵士に駆け寄り、揺する。焦っているようで、顔が泣きそうに歪んでいた。
「ああ、また兵が来る!! 娘たちも連れ去られて、男手も死んで……なのに、また!!」
「それはまあ……」
お気の毒、としか言えない。
僕に出来ることは少ない。彼らの怪我を全て治してもいいが、そうしたところでもはやその感情は収まるまい。
「……神よ、何故俺たちにこんな試練を……! ああ、ああ……!!」
嘆くような言葉。地面に向かって吐かれたその言葉は、ランメルトと似たようなものだった。
「……あんたのせいだ」
だが、その言葉はすぐに矛先を変える。もちろん、僕に向けて。
「あんたのせいで、また人が死ぬ!! なんてことをしたんだ!! 何故俺たちにこんなことを!!」
「僕は自分の身を守っただけなので、特に言うことはありません」
わかった。さきほど詫びとして少しだけこの村に何か援助をしようと思ったが、そうしなくてもいいようだ。
「それに、僕が貴方たちに何かしたわけではありませんね。何かしたのも、これからするのもムジカルの兵たちです」
そもそも、何をされるとも決まってはいないが。この怯えようを見ると、よほど、今までに何かをされたらしい。ならば仕方あるまい。
と、納得しようとしたが出来ない。お互いに。
「他人事みたいに言ってんじゃねえ!!」
今まさに、ランメルトとガランテの問答が再現されている。そんな気がした。立場はランメルトとガランテのものが、双方混じっていると思うが。
「他人事ですよ。彼らは僕に全ての荷物を置いていけと言った。だから、僕は自分の身を守った。それだけです」
「っ…………」
村人の顔が朱に染まる。
「それとも、なんでしょうか。僕に、貴方たちの身を案じて荷物を捨てればよかったと仰るんでしょうか。大事な荷物はそうないとはいえ、それを強要することは貴方がたには出来ないと思いますけど」
自分から進んでやったのならばまだしも、強要されて荷物を差し出すのはしたくない。その理由もないし。
兵士が呻く。手加減して蹴ったからだろう、すぐに気絶から覚めてしまう。
それを見て取ったわけではないだろうが、折れていない槍を村人は拾い上げる。
そしてその穂先を僕に向けて、唾とともに怒声を飛ばした。
「出てけぇ!! 余所者が! この、悪魔が!!」
「……じゃあそうします」
僕は一歩下がる。ここで食い下がる気は一切なかった。
温かく迎えられたか、もしくは僕の方に理由があるならばまだしも、武器と敵意を向ける相手に優しくする気はない。
ストラリムに来てまだ半日も経っていない。まだろくに村を訪れてもいない。
だが、この国での僕の扱いは決まった。
余所者、そして悪魔。
ならばいいだろう。この村に対して善意を起こす気も湧かないし、その理由もなくなった。
ガランテの対応の方はとても優しいと思う。僕はまだそこまで、人に優しく出来ない。
早々に立ち去ろう。この国も。
足下で、一人の兵士が目を覚ます。その襟を掴み上げ、顔を強制的に僕へと向かせる。
「ぅ……」
「聞こえてますね。よく聞いて下さい。僕の名前はカラス。エッセンの探索者です」
「な……に……」
まだ意識が朦朧としているようで、白目を時々剥きながら男は応える。だが、別にこの男の都合は考えなくてもいいだろう。
「これから僕はエーリフへと向かいます。そのことは、この村の人は誰一人として知りません」
「何を……」
「以上です」
手を離すと、支えがなくなり力なく体が落ちる。膝をついて、それでも受け身はとれたようで這うように地面を見て荒い息をついた。
これでいいだろう。
敵意ある視線から背を向けて、僕は村を出る。出るといっても元々入ってもいなかったが。
肩で息をしながら僕に向けて槍を構え続ける村人。
それを横目に見ながら、村を迂回する。面倒だし、ここから姿を隠してこの国を抜けよう。
ミーティアとは違った意味で、僕には楽しめない国だった。
小さな国だ。走っていけば夜にはきっと抜けられる。まずは適当な獣でも狩って食糧を作っておこうか。
その後、兎を狩り、毛皮を剥ぎながら、僕は今日起きたことを思い返す。
追い出した村人、追いはぎをしようとした兵士たち。彼らにはあまり何の感情も抱かない。
ただ、戦争は嫌いだ。そう思った。