いたずら坊主
獣がいる、その状は狸の如くで、灰の皮、五色の尾。
追えば逃げ、逃げれば追う。
名は洛化。よく人を惑わしこれを食う。
お腹すいた。
砂漠の何もない砂の上。草木は一本も生えておらず、街道から離れて歩いているため上空に標すら見えない。
橙色の砂と青い空。代わり映えのしない。この砂漠ではいつもの光景だ。
たまにあるそうではないときは面白いが、この風景はなかなかに飽きる。そう思うのは出ていくことを決めたからだろうが、これでよく僕は三年もこの国で生活できたと思う。
立ち止まり、視界を広げるように胸を張る。地面を探り、その動きを見る。
常に風は吹いている。砂地は常に動き続け、その模様を変化させ続けている。風で舞う細かい砂が縞模様を作るように地面をうねり、たまに僕の靴や体に当たりぴしぴしと音を立てる。
その繰り返し。常に繰り返される何の代わり映えもしない光景。
だがその中にも、やはり生き物はいた。
出来る限り地面を揺らさぬよう、僕は足を踏み出す。わずかな時間ではあるが、立ち止まっていた僕にそれは気がついていないようだ。
二十歩ほど離れた地点にある風由来ではない地面の揺れ。ほとんど変化はないが、わずかにその痕跡を残しながら何かが地中を這い進む。
その地面の隆起から、深さは僕の肘くらい。
体長は僕の倍くらいあるけれど……動きからして半分ほどは尻尾だろう。蛇のようではなく、多分足がある。蜥蜴かな。
その蜥蜴らしき影の進行方向へと静かに進み、待ち構える。
食べたことがある種類かない種類か。そこまではわからないが、多分食べられるだろう。
膝をつき、息を殺し待つ。僕の足元に来るまで。
僕の耳が砂を掻き分ける音を拾う。爪がある。背中に棘は……ないようだ。
隆起が僕の足元を這う。
そして、その尻尾の辺り、うねるように地面を掘って固めていた尻尾の辺りに、僕は腕を突き入れる。
「ミュギ……!!」
砂地の中でまず感じられたのはザラザラとした砂、そして握れば鱗の感触。蛇のようではあるけれど、少し引っ張ってみた感じやはり蜥蜴だ。
じたばたと短い手足が砂を掻く。それに合わせて、地中を這っていたときよりも大きな範囲で砂が沸くように踊る。
だが、捕まえてしまえばもう問題はない。そのまま手に力を込めて、引きずり出した。
勢い余って、尻尾を掴んで振り回した形となってしまった。
黄色みを帯びてきた日の光に当たり、純白の体が逆光で黒く見える。
ざらざらとした鱗が僕の掌を擦った。
さて、このまま首を切り落として……。
「ミュイ!!」
と、腰に差してあった小刀に手を添えた僕、それを叱りつけるような鳴き声を発した蜥蜴は大きく体を捻る。
それと同時に、僕の手にかかっている体重がなくなった。
トス、と地面に着地した蜥蜴は僕を振り返らずに逃げていく。
元気に、必死に。
その尻尾の断面を僕に向けながら。
「……ま、いいか」
僕は自分の手の中に残った重みの元を見る。
ビチビチと活きの良い魚が跳ねるように、地面から僕の腰程までの長さの尻尾が、手の先で跳ね回っていた。
先は僕の指より細いが、切れた根元の方は僕の太腿より太い。骨があるということは、彼にとってこれが初めての自切だったようだ。悪いことをした。
だがまあ、これでもお腹は膨れるだろう。
とりあえず、鱗を剥いで焼けばいいかな。
まだ痙攣するように動きを止めない尻尾を前にして、僕は舌なめずりをした。
薄い敷物を敷き、その上に鉛筆のような細い棒で簡易的な日よけをつけただけのごく簡単な野営地。その軒下で、白身魚のような食感の肉を頬張る。少しずつまた日が傾いてきた。
もう今日はここで野営してしまおうか。蜥蜴がいる以上、ここらへんに大きな魔物はいまい。しかしそうすると、食糧が心許ない。
面倒だったからショートカットしようと、街道を外れたせいだ。……ガランテの手配した業者と同じ失敗をしてしまっただろうか。
まあいいや。保存食ならばいくらかあるし、補給なしでも国外までは行けるだろう。
水筒から水を一口含み、口の中を濡らすように飲む。
そうして休んでいる視界の中に、ふと大きな何かが入った。
僕の頬が少しだけ綻んだのが自分でもわかった。
代わり映えのしないいつもの砂漠。海と何が違うのかわからないが、僕は砂漠をずっと見ていれば多分飽きてしまう。だが、そうではないこういうものがあるからこそ、この砂漠は面白いのだ。
日光が焼き付いた視界の先に、砂山の稜線が見える。
その先、青空……ではあるが、その前に何かがある。
百歩以上離れた向こう側。
だが、その地平線代わりの稜線の三分の一ほどを埋め尽くすように、それはあった。
顔。それも、一つの。
男性だろうか。その鼻より上を突き出して、こちらを見ている。
肌の色は日に焼けた黄色といった風情。目の色は黒。耳が少しだけ尖って見える。
頭頂部付近だけを残して剃り上げたような髪の毛が、風に靡いてパタパタとしていた。
僕は腰を上げる。
笑い女の時のような恐怖はない。一応、一度目は僕も驚いた。だが『彼』に会うのは三度目だ。その目撃談から人に聞いて調べてみれば、彼も魔物の一種らしい。
らしい、と言っても生物かどうかすらわからないので、全て目撃談からの推測だが。
あの魔物の被害に遭ったという報告はなく、魔物であるのにどちらかといえば自然現象として扱われているという変わりものだ。
そういえば、彼の出没地点では蜥蜴の不自然な白骨死体が散乱していることがあると聞く。
ここはきっと、彼の食事場所だったのだろう。多分。
僕は上り坂に一歩足を踏み出す。さらさらと砂がそれに合わせて滑り落ちた。
その『顔』の生態がわかっていないのは、理由がある。
僕が近づきつつあることを知った『顔』が、大きく瞬きをして少しだけ首を振る。
だがそれに構わず歩いていくと、目の動きが激しくなる。動揺しているように。
逃げる気だ。そう思った僕は走り出す。砂地を駆け上るというそれなりの重労働ではあるが、慣れているのであまり関係がない。
数秒で彼のもとにつく。
しかしやはり、そうはならなかった。
『顔』が覗いていたはずの稜線。そこに到着すると、その顔は掻き消えており、そしてその遙か先の稜線からまたこちらを見ていた。
わかっていたことだが、僕は溜め息をついた。これが、生態がわかっていない原因だ。
その『顔』を間近で見たことがある者はいない。動かなければ一昼夜以上も構わずこちらを見ているのに、近づけば蜃気楼のように消えて遠くの稜線に再出現する。一定の距離を保っているのかどうかは知らないがそこから立ち去れば、彼もついてくるか、消え去る。
このムジカルで砂漠を旅する者が稀に見るとされる『覗き顔』。
まだ遠くから僕を見ている。
一度目は不可解さから逃し、二度目は追って逃げられた。
いい機会だ。この国を立ち去る前に、彼について少しだけ知っておきたい。
僕はそう決めた。
といっても、することは簡単だ。
簡単な魔法を使うだけ。今回はきっと、魔法の出番だろう。
僕は砂地を滑り降りるようにしながら透明化する。
そして、そのまま体を進ませる。野営地に『戻らせる』ように。
砂を滑り落としながら、静かに歩いていく。これでついてきてくれるといいのだけれど。
ちらりと『覗き顔』の様子を確認する。
まだ遠く離れたところにいるようではあるが、それでも様子が少しおかしくなっていた。
蝋人形を溶かすように、顔が崩れつつある。
目が垂れ下がり、耳が丸まり、髪の毛が液体のように頭に張り付く。
そしてそのまま水に変わるようにべしょりと落ち、砂地に染みこむように消えた。
数瞬の後、ようやくその時が訪れる。
僕の体が野営地に戻ろうというとき。半分に裂いた尻尾を拾い上げて、もう一度囓ろうと尻をついた頃に、稜線の上の砂地が濡れたように色を変える。
染み出すように溢れてきた粘土のような滴。灰色一色のそれがぐるぐるとまとまるように丸まり、先ほどの男性の形をつくる。
やはり、覗いていたのではなく鼻から上しか存在していないらしい。
僕は間近でまじまじとそれを観察して、ほお、と感嘆の息を吐いた。
毛穴までしっかりと表現されている。
傷はないが、日焼けで作られたような照りに、中年男性らしい肌の傷み。耳の下を見れば、髭もあったらしい。砂の下にあたる位置なので、髭の並びをきちんと確認は出来ないが。
幻ではなく、実体があった。それがわかっただけでも収穫だ。
なるほど。
これは、僕の今使っている魔法とほとんど同じようなものらしい。僕と違い、体から離せないのは、その彼の性質によるものかもしれないが。
僕は、野営地に戻らせた擬人体を解除する。食べかけの蜥蜴の尻尾が地面に落ちたが、大丈夫、あとで砂を払えば食べられる。
透けるようにして消えてしまった僕の体。それを見て、粘土細工の顔が驚愕に歪む。
「やっぱり生物でしたか」
笑いながら姿を見せて、闘気の鞭で払う。
裂けるようにして切られた粘土細工の顔は空中でぐしゃりと歪み、溶けるように消えていく。
内部の構造までは再現していなかったらしい。
僕の『体』とは少しだけそこも違うようだ。
そして、体を見ればやはり『彼』で合っていたらしい。
溶けつつある粘土のような中にちょこんと座っていた灰色の狸が、僕の顔を見て大きく口を開いた。
「ワギャアアアアアァ!!!」
「……!」
驚愕と威嚇が混じった叫び声。それを上げたかと思うと、狸が転がるようにして砂地を駆け下りていく。稜線の下まで駆け下りると、追ってこないのを不審に思ったように一度振り返り、そしてまた走り出す。
体を覆う粘土が生成され、保護色のように狸の体が隠されていく。
そのうちに、砂に紛れて彼は完全に見えなくなってしまった。
僕はそこまで見届けて、ふふ、と笑う。
何となく、微笑ましかった。驚かせてしまった彼には悪いけれど。
結局何のために顔を作って人を驚かせていたのかはわからなかったが、それでもその正体が知れただけで満足だ。
面白かったし、元気も出た。
野営はやめて、歩こう。急げば明日の朝までにはこの国を出られるはずだ。
僕は一度伸びをして、狸が消えたほうを見る。偶然にも、そちらが今回の目的地だ。彼が、『やはり追ってこられた』と気を悪くしないだろうか。
日の沈む箇所を確認し、方角をとる。
とりあえず、このまま北東へ。
そちらにあるのは、ランメルトの故郷、小国ストラリム。そして、その向こうに火の聖領。
ストラリムに興味はないが、エーリフを一度見ておきたい。
そうして夜通し歩き続け、朝日が出るより少し前に、僕の足は草原を踏んでいた。
この章は三話ないし四話で終わります。
ちなみに前書きの文章はオリジナルです(紛らわしい)