熟練者の指導
今日も僕は、森で狩りをする。
村に来た当初の頃は、なかなか獲物を捕まえられなかった。魔法で鳥や小さいネズミを仕留めようにも、思うように当たらなかった。なのでやはり、主に果物や虫の幼虫を食べるしか無く、食料的には貧しいものだったと思う。
魔法が上達して、体も少しだけ成長した頃、ようやく初めて鳥を仕留めることができた。しかしそのときもまた問題が起きた。
肉の捌き方がわからない。もちろん、鳥を捌くなど初めての経験なのだ。そのときは仕方なく、皮を剥いで内臓らしき物を出し、骨を抜いて後は焼いて丸囓りした。内臓を出したときにかなり肉を無駄にしたと思う。歯がまだ生え揃っていなかったので、噛むのに苦労した。味付けも無かったので味も素っ気ない、野趣溢れるものだった。
しかし、この世界で初めてと言っても良い、動物性の脂と肉汁、それに初めての獲物だということもあり、とても美味しかった。今でもずっと覚えている。
それからもう二年以上経つ。狩りにももう慣れた。森に入って一時間もしないうちに、小さい鳥を捕まえてきた。それといくつかの甘い果実もある。
捌き方も何とかなった。狩人の後を尾け、狩った獲物を捌く姿を見る。その場で見たまま同じようにやってみることもあった。そうして何匹もの命を無駄にした結果、鳥を捌くことは何とかできるようになった。猟師が他の獲物を獲ってくることや、飼っている豚を捌くこともあった。しかし僕の方がなかなか同じ物を用意できないため、それらの習得は保留になっている。いつかはあの、狐や熊のような動物も食べてみたいものだ。
今回も、川辺で鳥を捌く。使うのは魔法で固形にした水の小刀だ。切れ味はそこそこ良い。
もう死んでいるから血抜きはできないが、僕が食べる分には関係ない。首を落とし、熱湯に漬けてから羽を毟る。初めての獲物の、皮を剥いだのは失敗だったと思う。
腿の付け根に切り込みを入れ、肉を軽く削いでから引っ張る。ブチブチと筋繊維を引きちぎる感触と共に、腿肉は取れた。反対側も同じようにこなす。何回か羽根を上下させ、その根元に刃を入れる。次は胸肉だ。骨に沿って切り開き、先ほどと同じように手羽ごと胸肉を取り外す。手羽の解体は面倒くさいから良いや。
あとは内臓だ。肋骨を開いて切り取っていく。モツは正直苦手なのだが、僕が殺したのだ。心情的に、あまり残したくはない。残したくはない、がしかし、腸はさすがに食べにくいので捨てる。卵巣や肝は食べよう。いつものことながら、鳥には小さく謝っておいた。
最終的に、頭と骨、あとは少しの内臓だけになった鳥を埋める。血と泥に塗れた手を、川の水で洗ってから、ようやく食事の時間だ。
くすねた塩を肉にまぶし、焼く。魔法というものは便利なものだ。
良い匂いで焼けた肉に、手づかみでしゃぶりつく。肉は硬いし血の臭いもかなりする。だが、美味しい。
肉と果実でお腹いっぱいだ。
食べている最中に、手羽の骨を処理すれば良かったと後悔するのもいつものことである。
たぶん、次もやらないけど。
「いいのいいの! こんな育てらんないし、俺んちでも食いきれないしさ! ハハハハハ!」
村を歩いていると、ある家から快活な声が響いていた。
笑顔が絶えないその男性は、イニャスといったか。押し売りのように、籠に入れた卵を人に差し出している。
「いや、でも悪いって。お前んとこだって子供さんできたんだろ。嫁さんに腹一杯食わしてやんな」
「そう思ってたらふく食わしてたら、『もう卵は飽きた』って泣かれたんだよ! いいから、お前んとこだとお前と嫁と、子供二人で四つだろ? ほれ」
強引に手渡される茶色い卵。それを受け取った男性の顔は、それでも嫌そうではなかった。それもそうだろう。卵の質も悪くなく、労せず今日の夕食かおやつが一品追加されるのだ。しかも、その頻度も飽きるというほどではない。
「まあ、ほんと悪いな。そうだ、じゃあ、うちの畑でとれた野菜いくつか持ってけよ」
「いいって……、いや、でもそれこそ悪いなぁ! また持ってくるからよ!」
男性は家の中に入っていくと、すぐに紫色の葉野菜を抱えて出てきた。イニャスはまだ夫婦二人での生活で、そこまでの量は必要ないだろうというくらいの山だった。
それから同じようなおすそ分けをイニャスは各家で繰り返す。といっても、三つほどの家を回れば卵は無くなってしまうが。そして、その代わりに得た野菜の山と野鳥の束は、当たり前のように卵に見合った量ではない。
それは、身重の奥さんのためという皆の優しさもあるだろう。だが一番の理由は、イニャスが見返りを期待していないというのを皆が分かっているからだった。
イニャスの家では、野菜を育てる他、養鶏もやっている。
養鶏といっても、ニワトリの少し大きなもの……羽を切っている姿を見たこともあるしたぶんニワトリではないのだろうが、それを囲いの中で放し飼いにしているだけだ。それでもやはりネルグの肥沃な土地柄だろう。餌となるミミズや虫も豊富で、飲み水を置いておくだけで世話のほとんどがこと足りる。
そして、毎朝適当なところに産み落とされている卵。そのうち村への供出分を確保し、残りは食べたり売ったりという感じだ。
売る数は時によって違う。豊富といえども限りがある餌と相談して、近々廃鶏となるニワトリの数を見て、調整しながら卵を取り除く。その際に出た余剰分を売る訳だが、今回は些か多かったらしい。
捌いた廃鶏も行商人が来る日でなければ近所にすぐ配ってしまうし、卵に至っては今目の前で行われたように行商人が来る日でも配ってしまう。
だが、それでも彼と妻が貧困に苦しむことはない。
彼の使っている農機具がもし壊れても、木工職人に依頼すればたぶん無意識ながら優先的に修理される。他の家で豊作になったり大猟になれば、まずおすそ分けの先として考えられるのは彼だ。
誰かの助けになれば、必ず誰かが助けてくれる。
楽観的に他人に頼って刹那的に生きている。悪く言えばそうなるのだろうが、それでもこの村で生活できている以上、それはきっと正しい生き方の一つなんだろう。そんな気がした。
そして、僕もそこに組み込まれているから悪く言えないというのもある。
卵が大量に産み落とされたとき、気付かれないように一つ二つくすねることがある。毎朝数を確認しに来る前に盗み出せば、特に問題にはならない。
たまに、勝手に貰うおすそ分け。その代わりとして、僕は彼の畑に住む虫を殺して回る。
それが僕の務めだと、勝手に思っていた。
家に戻ったイニャスが、さて、ともう一度卵を籠に入れて家から持ち出す。
そういえば、今日は行商が来る日だった。そこで、なにかに替えるのだろう。
僕がなにかする訳でもない。けれど、なんとなく僕はそこに行くことにした。
行商人の馬車は、馬車ではない。いや、馬車を使ってはいる。しかしそれを引いているのがウマではなかった。
商人が商品を適当に広げ商売に勤しむ間、近くの木に繋がれていつもその獣はいた。
白いウマ。一見するとそう見える。だがその額には捻じれた角が生えており、そして歯はどう見てもウマのような臼歯ではない。まるで肉食獣のような牙が、血管の浮いた歯茎と共に口内に見えた。
僕はその獣をじっと見つめる。鬣と同じく黒い尻尾を時折振りながら寝転がるその姿は、ウマというよりもトラだった。その足も、蹄ではなくネコ科の足だ。今は見せていないが、たぶん爪もあるだろう。
ウマとトラの合いの子のような、以前の世界で見たこともない生物。不思議な生物だ。
この生物の名前は何というのだろうか。気にはなっている。だが、この獣の名前を誰も口にしない。誰かに教わるであろう子供たちも、タイミングが悪かったのかもうこの獣について誰も聞かない。
街の方から定期的に来る謎の生物。この生き物について誰にも聞けないのが、とてももどかしい。
行商人のほうへ目を向けると、そこではイニャスが取引をしている。
「ありがとうございます。こちら、……一五個、銅貨二枚で買い取らせていただきます」
筒を殻に当てて卵を日に透かし、罅などがないこととたぶん黄身の状態を確認して商人はそう言った。
キリアといったか。その恰幅の良い商人は、用意していたのだろう木くずの詰められた箱に卵を入れて、それから銅貨をイニャスに渡す。どうせこの銅貨もすぐに使われてしまうのだが、儀式のように、その動作は必要らしい。
渡しながらのリップサービスだろう。一言添えるのも忘れない。
「しかし、イニャスさんのところの卵は良い品質ですね。罅も形の歪みもほとんどない。個人的に、専属で定期的に仕入れたいくらいです」
「ハハハハハハ、俺はなんもしてないんですけどね! 妖精の加護でもあるんでしょう」
「妖精ですか。それは良い。お伽話から飛び出してきたんですね、きっと」
「ええ、妻が前にそう……、あ、そういえば」
言いかけて、イニャスは口を噤む。言おうか言うまいか悩んでいるという顔だったが、それは彼の中ですぐに決着がついたらしい。
銅貨を握り締め、イニャスはキリアに切り出した。
「妻と言えば、急なんですけど、今度手に入れて欲しい物があるんです」
「なんです?」
「荀草なんですが……」
荀草と聞くと、キリアは口を開けて悩むように横を向いた。だが、それも一瞬のことで、すぐにイニャスのほうへ向き直る。ただし、申し訳なさそうな顔で。
「すいません、私も商人なので無理とは言いたくないんですが……でも、その……」
「無理……ですか……」
「いえ、最近副都の方でも少し流行って、流通するようになってきてはいるんです。けれどその分値も上がってしまって」
「ああー、お金はないですからねー、残念です」
「お世話になってるイニャスさんの頼みですし、どうにかしたいんですけれど、やはり」
キリアは頭を下げる。だがそれから、なにかに気が付いたかのように顔を上げた。
「ああ、でもシウムさんやカソクさんか……デンアさんに協力を求められれば……」
突然、僕の目の前にいた生物が立ち上がった。背筋を伸ばし、姿勢を正しているその姿はやはりまるでネコのようだ。猫背という訳ではないけれど。
これは警戒か。いや、敵が来たという感じではないし、もしそうならば大問題だ。
その視線の先を追う。
「俺がどうしたって?」
その先には、自分の名前が挙がったことに反応した、カソクがいた。まばらになってきた商人の利用客を掻き分けて、キリアに近づいてきた。
「カソクさん、お久しぶりです」
「おう。で、俺が何だってんだ?」
「それが、どうにかして荀草を手に入れられないかと……」
「荀草、だぁ……?」
面倒くさそうにカソクがイニャスに確認する。無精髭が、いつにもまして濃い気がした。
「荀草っていやぁ、あれだろ。煎じて飲めば肌が綺麗になるって、……お前がぁ?」
「いや、使うのは俺じゃないんです、嫁が、肌荒れを気にしてたんで……」
慌てた様子で、そして後半は周囲を窺いながらそう口にする。なるほど、そういう生薬か薬草の類か。
しかし、周囲を窺うのはどうしてだろうか。とは思ったが、代わりにキリアがその理由を口にした。
「たぶん、身重の奥さんに贈り物を内緒で、ということでしょう? ですが、それが手に入りづらくてですね」
「だから俺に取って来いって? んなんデンアにでも頼めや。ネルグの奥ならあいつの方が慣れてんだろ」
「……そうしてみます」
イニャスが、少し沈んだ様子でそう返す。カソク相手には強く出れないらしい。
頼みごとは切って捨てられた。カソクの中ではそれでもうその件が済んだようで、僅かに頬を緩ませながらキリアに向き直った。
「で、キリアよ。頼んどいた酒の話なんだが」
「村への物でしょうか。それでしたら、先ほどすでに納入が済んでおりますが……」
「なっ……!」
カソクは目を見開く。
「なんで、俺が受け取る手筈だったはずだろ」
「先ほどシウムさんのほうから、『俺でも構わないだろう』と受け取りに来られまして……。代金は以前受け取っておりますので……」
戸惑いながら続けたキリアの言葉に、カソクは地団太を踏むように悔しがる。
だが、ここで怒っても仕方のないことを理解したのか、決意した目で振り返った。
「ああ、もう糞、シウムの野郎、文句言ってやる!」
「あ、カソクさん……」
呼び止める言葉も聞かず、カソクはどすどすと不満げな足音を立てるように歩いていく。
その不満はきっと、自分の仕事をとられたからではないだろう。
肩を揺らして歩いていく後ろ姿。それを見送り、キリアは小さく溜息を吐いた。
「……まったく、あの勇猛な方もこうなってしまうんですか」
キリアの呟きは誰にも聞こえていない。ただ一人聞こえている僕には、キリアの落胆が伝わってきた。
「では、すいませんが。デンアさんには私から」
「いいですよ、俺から頼んでみますんで!」
ハハハ、と笑いながらイニャスが応える。まあたぶん、イニャスの頼みは誰も断るまい。先ほど目の前で断った一人を除けば。
横にいた謎の生物が座った。力が抜けたように、ドスリと地面を僅かに揺らして。
しかし、その荀草とやら、そんなに入手が難しい物なのだろうか。先ほどのキリアの言い方では、限られた者しか取りに行けないような、そんな物らしい。
そして、その限られた者の中にカソクがいる。……つまりあの男は、頼られるに値するようなそんな存在だと?
いや、どう見てもそうは見えない。
角を曲がり消えたカソクの姿を思い浮かべる。とてもではないが、頼れるようではない。
人間たちのそんな話は気にしないようで、隣にいた謎の生物があくびをして目を閉じた。
その日の午後の訓練は、キーチが参加していた。
僕は、隅からその訓練する姿を見ていた。勿論、棒を振りながら。
キーチも汗だくになりながら素振りを続ける。その振りやテンポは速く、周りの大人に比べて倍以上の数をこなしているだろう。
「よし、素振りやめ! 今日はキーチもいるからな、模擬戦をするぞ」
調練を指揮する男、シウムが、そう周りに告げると、キーチは「よしきた!」とばかりに目を輝かせる。しかし周囲の大人たちは不満の声を漏らす。
「たまには刺激になって良いだろう。ほら、年齢順に並べ、早く」
シウムはその声をいなしながらも、準備を促す。
「やめようぜ。そんなめんどくさいことしなくてもいいじゃん」
周りの声に、キーチは少し苛ついているようだが、まだ黙っている。しかし、手足の落ち着きは無くなっていた。
「まあ、そう言うな。まだ見張り役にもなれない子供が参加しているんだ。少しは楽しませてやるのもいいだろう」
再度シウムが取りなすも、文句の声はやまない。
「対人戦である以上、獣相手とは勝手が違うが、それでも鍛錬にはなるぞ」
鍛錬、という言葉に声の大きい男が……当然カソクが反応し、周囲もそれに乗る。
「そんなに鍛えてどうすんだよ」
「どうせ来んの犬とか猪ばっかだもんな」
大人たちは軽く笑いながら、顔を見合わせる。並ぼうと動く気配はない。
「なんなんだよあんたら! やる気もねえし、村を守る気もねえのかよ!」
理由をつけて動かない大人たちに、ついにキーチが叫んだ。
「東側の畑では何件も猪にやられた! イレールさんちも、ジェフさんちも、イシドールさんちも、ファイさんちも! あんたら、自分の仕事もきちっとやんねえのかよ!」
どうやら、キーチは模擬戦が反対されたことではなく、訓練に参加する大人たちの態度に怒っているらしかった。
そもそもキーチは成人ではない。なので、成人以上が義務づけられている見張り役にはなれないはずだ。しかしそれでも訓練に参加するのは、彼なりの正義感があるからか。
まとめ役の男性は、キーチを見て溜め息を吐く。そして、カソクはキーチを鼻で笑った。
「でも、それは俺らの当番のときじゃねえだろ? 俺らには関係ねえよ」
「だよなぁ」
大人たちは頷き合い、「子供の言うことだ」と取り合わない。
「そんなに心配だったら、キーチ坊ちゃんがずっと見てればいいんじゃねえの」
「ハハハッ、キーチ坊ちゃんが見ていてくれれば安心だもんな!」
どっと笑い声が起きる。見ていてなぜかとても、とても不愉快だった。
キーチの顔が、サッと赤くなる。
「ああ、ああ! そうだろうな! 酒ばっか飲んで弱っちいお前らなんかより、俺の方が頼りになるからな!」
キーチは叫ぶ。さすがに大人たちもカチンときたようで、一様に眉を顰める。
「今も、子供に負けんのが怖いからやらねえんだろ!? それがめんどくさいからーとか必要ないからーとか、そんな適当な理由つけてさあ!」
「おい、てめえ言いすぎだぞ」
言われたカソクが一歩前に出る。その拳は、力強く握り締められていた。
「やめろ!」
今まで大人しく見ていたシウムが怒鳴る。隅っこのここまで空気が震えたようだった。珍しいその動作に、キーチとカソクは驚いた顔でシウムを見た。
「元気がいいな、カソク。しかし、その拳をどうするつもりだ」
名指しされたカソクは明らかに動揺していた。自分から前に出たはずなのに。
「今この場で見てたろ、シウム、こいつは今俺らのことを馬鹿にしたんだぜ!?」
「そうだな、確かにキーチは言いすぎだ。しかし、暴力まで受けるほどではない」
「しつけだしつけ! 聞き分けの悪いガキには必要なことだろうがよ、まったく、出鱈目なこと言いやがって」
キーチは少し落ち着いたのか、バツの悪そうな顔をしている。その手は震えていた。
「出鱈目? ならば、先ほどのキーチの言葉は間違っていると?」
「そ、そうだよ! 俺らが逃げてるとか馬鹿なこと言いやがってな!」
「ならば、試してみよう」
「は?」
シウムは振り向いて歩き出すと、槍を使って地面に大きな円を描いた。
「模擬戦だ。キーチから一本取ったら、お前の勝ち。お前の言い分は正しかった。キーチがお前から一本取ったら、キーチの勝ち。お前たちは、自分より強いキーチから逃げていたということになるな」
「待てよ、俺らは模擬戦するなんて」
「俺ら、ではない。模擬戦はお前とキーチだけだ」
大人たちが息を飲む。カソクは少し後退さった。横に人がいないと強気になれないとでもいうのだろうか。なるほど、だからシウムは『俺ら』ではないと。
「お、俺がなんで戦わなきゃいけないんだよ! 」
「だから、この言い争いの決着をつけるためだと言っている」
「俺はやるぞ!」
キーチは、槍を胸に抱えて叫んだ。鼻息荒く、気合いを入れて地面を踏みしめる。
「さあ、おっさん! 早くここに立って構えろよ!」
「だから俺は」
「そうだな、ただでとは言わん」
なおも対峙しようとしないカソクの言葉を遮り、シウムが提案する。
「カソク、お前が勝ったら、皆の今日の配給の酒は倍の量を出そう」
その言葉に、後ろの大人たちが色めき立つ。
「そんな酒どこから」
「俺の分を前借りして出すから、そう問題にはならないはずだ。カソクのおかげで、備蓄の増量もされているしな」
カソクを除く大人たちは、カソクに期待の目を向ける。その期待の視線により、カソクは後に引けなくなってしまったようだ。
「カソク、旨い酒を頼むぜー!」
「ああ、クソッ、なんで俺がこんな目に」
渋々といった感じで、カソクが構える。中段に槍を持つその姿はそれなりに堂々としていた。それに対してキーチも構える。身を低くし、槍先が下がっている。
「取り決めはいつもと同様。できるだけ寸前で止めろ。命を奪う、または行動不能にできる有効打が入ったと見なされれば一本だ」
シウムが手を上げる。その先に力を込めると、開始の合図として振り下ろした。
「はじめ!」
二人が向かい合う。視線を交わしながら、間合いの調整を繰り返す。数瞬の後、キーチが距離を詰め、突きを繰り出す。二、三回突いたが、全てカソクに払われた。様子見らしい、すぐに引く。
今度はカソクが詰めていく。キーチの首元を払おうとするが、横に出した槍で防がれる。後ろに回ろうとすり足のような足捌きで動くが、キーチはそれを常に正面で見据えていた。
そこから、打ち合いが始まる。双方ともに引かず、打ち合っては離れての繰り返しだ。
正直僕は、二人の強さに驚いていた。キーチは勿論、カソクもかなり良い動きをしている。素人目に見ても、生半可な鍛錬でできるものとは思えなかった。正直目で追えなくなってきた僕は、目視から魔力探査に切り替える。
打ち合いは続く。キーチはカソクの周りを跳び回り、隙を見ては突進、乱打する。カソクはそれを舌打ちしながら槍で打ち落として反撃、距離を取られてまた舌打ちする。二人の勝負は拮抗していた。
しかし不思議なことに、それも長くは続かなかった。
キーチの動きが、傍目にもだんだんと良くなっていったのだ。
動きが鋭く、小さく、それでいて間合いは長くなる。その素早い打撃は試合開始直後とはまるで違っていて、カソクを翻弄するその姿は、猿の如くという言葉がよく似合っていた。
カソクは落ち着いて槍を繰り出す。その隙のない打撃や刺突は、長年の修練で身についたものだろうか。しかしそれもキーチには当たらない。牽制を繰り返しつつもジリ貧のように見えた。
勝負を決める気か、キーチが一瞬止まり、足に力が入る。周囲の空気が緩く揺らめく。カソクはそれを見ると、腰を落として身構えた。
キーチが動く。槍を構えて。空気を揺らして。槍は、正しくカソクの胸を向いている。
勝負あり、とたぶん皆も思った。
だが、そのときだった。
キーチが驚愕の表情とともに停止する。
動きが止まり、視線がぶれる。その隙を、カソクは見逃さなかった。構えた槍を弾き迫る。
それからかけ声と共に豪快に横薙ぎに払われた石突きは、キーチの喉を捉えていた。
「勝者、カソク」
即座にシウムによる判定が下された。キーチは愕然として、シウムを見た。シウムは素知らぬ顔で、振り上げた手を下ろすと、カソクに向き直る。
「見事だった」
「お、おう」
カソクは乱れた息を整えようと深呼吸を繰り返し、槍を杖にしてうなだれた。
「……」
キーチは言葉も出ない様子で、カソクとシウムを交互に見る。口は真一文字に結ばれ、眉毛の端は下がっていた。泣きそうなようにも見えた。
戦った二人は共に肩を落とす。だが理由は違えど様子の変わった二人を無視して、観戦していた男がシウムに大きな声で問いかけた。
「なあ、俺らの酒の量は」
「約束だ。今日は、いつもの倍持って行け」
能天気な声にイラッとしたが、周囲の大人たちは上機嫌で口々にカソクを讃えていた。
それよりも、キーチだ。ついに俯いてしまったその表情はこちらからは見えないが、かなり意気消沈している。
それから簡単な運動をして、その日の訓練は終わった。
訓練が終わると、酒が配られる。
大人たちはそれを受け取ると、それぞれ分かれていった。酒に頬ずりする者、いつもと変らず無表情で持って行く者、カソクへ軽口を叩きながら帰る者など様々だったが、皆それなりに喜んでいたようだ。
夕日はまだ少し残っている。山の稜線に足をかけた夕日は、とても眩しい。
見回してみると、キーチはシウムに深刻そうな様子で話しかけている。どうやら、報酬の酒の心配らしい。
「あの…、すいませんでした」
キーチは深々と頭を下げる。追い詰められているような顔で、とても申し訳なさそうにしている。自分のせいで、シウムに負担を掛けたのだ。心苦しいだろう。
「構わない。あれは俺が言い出したことだ。そもそも、お前はいつも自分の分を受け取らずに帰っているからな。それを考えると、数的にはお釣りが来るぐらいだ」
シウムは微笑みながら返す。まるで父親のような笑みだった。
「でも、俺……」
「そんなことより、話がある。そろそろかと思っていたが、もうしなければいけないようだ」
それでも食い下がるキーチの言葉を遮り、シウムは訓練場の端にある休憩所のようなスペースに招く。それから、樽を加工して作られた椅子に腰掛けた。
「まあ座れ。お前の、今日の敗因にも関することだ」
「敗因、ですか」
キーチは困ったような顔でシウムを見る。
今日の検討会か。最後のキーチの行動が気に掛かる僕も、隣でこっそり聞くことにした。
「闘気、というものがある」
「は、はあ」
理解ができない故の生返事。気持ちはわかる。
いきなり知らない単語が出て、僕もキーチも困惑していた。
「まあ、最後まで聞け」
困惑するキーチが反応するのを制し、シウムは静かに話し始めた。
「闘気というもの、流派によって灯火と呼んだり、ただ単に『気』と呼んだり様々ではあるが、俺の学んだ流派、水天流では闘気という」
キーチは、ついでに僕もぽかんとして話を聞いていた。
「戦闘を生業とする者のうち、上に至る者はほとんどが使えるものだ。というよりも、使えなくては話にならない」
「ええと、その闘気とはどういうものなんです?」
「通した物を強化する働きがある。生命力を活性化し、生物や金属をより強靱に変える。お前が、先ほどの試合の後半で使っていたものだ」
僕は驚き、納得した。やはり先ほど動きが良くなったのは勘違いや気のせいなどではなかったのだ。単純に、キーチの身体能力が上がっていたのだった。でも、どうして?
「さっきの……」
「そうだ、そしてお前の敗因の一部でもある」
シウムは自分の言ったその言葉に、フウと溜息を吐いた。
「闘気を使えるようになるのは簡単なことだ。単純に、体を鍛えれば自然と使えるようになる。素質にもよるから、どれぐらい鍛えれば良いのかは個人にもよるがな」
「あ、あの、その闘気?というもののせいで俺が負けたというのはどういうことですか!?」
シウムはまっすぐにキーチを見返す。キーチは一瞬たじろいだが、その目に力をこめるとすぐに疑問の言葉を繰り返した。
「ど、どういうことです?」
じっと、厳しい目をしたままシウムは言葉を紡ぐ。
「試合で、決定的な隙を見せたのは覚えているな」
「ええ、なにか後ろの方から暖かい風か、霧みたいなものが当たった気がして思わず……」
「活性化された闘気は、魔力を掻き消す力がある」
「魔力、ですか」
「そう、魔力だ。勝負を賭けた一撃のために活性化した闘気。それが魔力を掻き消すその気配に、お前は反応したんだ」
僕は、目の前がサッと白くなったように感じた。掻き消された魔力というのは、僕の発していた魔力だろう。それにキーチは気を取られ、そして負けた。
つまり、僕のせいじゃないか。顔から血の気が引いていく。歯がかちかちと音を立てた。
罪悪感から、僕は全力で叫びたい衝動に駆られた。
自分自身に憤る僕を見ることもなく、シウムは言葉を続ける。
「何が魔力を発していたか、それは問題だ。村に魔術師や魔法使いはいない。あと魔力を出すといえば、森深くに住む魔物か、自然発生する魔力溜りか。それとも、お伽話に近いが精霊か、それとも本当にお伽噺の妖精か」
最後の方は、シウムも無理があると思ったのだろう。少し笑いながら言っていた。
「それは、……危険な存在なんでしょうか」
「わからん。魔力の正体がわからない以上、警戒すべきだとは思うが。ここ何年も、そういった魔物の被害は出ていないから魔物とは考えづらいが……」
言葉を切る。結論は出ないのだろう。それから、空気を変えるように表情を明るくした。
「まあ、今後暇なときに探索してみるさ。原因がわからないのは大問題だが、被害も出ていない以上、急ぐ話ではあるまい」
そこは置いておいて、とシウムは話を続ける。
「話を戻そう。お前には才能があった。近いうちに使えるようになるだろう、という予感はあったが、こんなに早いとは思わなかった」
キーチは無言で頷き、続きを促す。
「お前は、将来村を出たいんだろう?」
「え、ええ、成人したら、街に出たいと思っています。親の説得はまだですけど」
「説得なら、俺も手を貸そう。そして、そのために、お前を鍛えようと思う」
「ええと、その、嬉しいんですが……なぜ?」
「未来ある若者に手を貸せないほど、まだ老いてはいないからだ」
シウムはそう言って、短く息を吐いて笑った。
どうやら、キーチは成人すると共に村を出る気だったらしい。そして、シウムはそれまでにキーチを鍛える気のようだ。
これまで見ていても、キーチは明らかに英雄志向だ。大きな街に行って騎士になるか、探索者になるか、それとも違うなにかをやるのかはわからない。だが、どうなるにせよ戦う術を持っていればきっと役に立つ。
なるほど、シウムはそのために、キーチをずっと訓練に参加させてたのか。そしてこれからは、それを本格的にやると。
それからも話は続いていたが、主に修行のスケジュールや家の仕事の調整らしい。
ここからは、というよりも僕には始めから関係のない話だった。そんなことよりも気がかりなことができた僕は、そっと夕日に背を向けて飛び始めた。