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閑話:毒婦

15禁らしく一部ふんわりとグロ注意です。

〈貴婦人〉にガランテが届け物に行った話ですので、本編に関わりはありません。




 白く積まれた砂上の楼閣の一室。大理石に似た壁と床がぼんやりと光を反射し、外から導き入れられた日光を白く変えていた。

 その部屋の中で、一人の女が革製の枕を撫でる。

 その手は愛撫をするように愛おしそうに動き、凹凸や質感をしっかりと感じ取る。


 この枕は、今回の遠征の戦利品の一つだ。美しいこの素材を選び取り、加工を施させたのは間違いではなかった。


 人が見れば、彼女は四十歳に届かないほどの凡庸な女性というかもしれない。

 だが人……殊に男性はまずその胸部に目をやるだろう。エッセン系の肌の白さを受け継いでいる彼女は、その白く豊満な胸の上半分ほどが扇情的に目立つような衣服を好んで身に纏っていた。


「失礼いたします」

 一声かけて部屋に歩み入った男性は、女性の撫でている枕に目を留める。一瞬眉を顰めかけたもの、すぐにその表情を制して微笑みを作った。

「何?」

「お客様がお見えです。花街の方から、贈り物だとか」

「……そう。通して」

 

 小さな机とスツールがいくつか並ぶこの部屋。本来客人の応接には不適切な部屋だろう。

 だが、彼女ならばそれは通る。仮に王族やそれに近しい水守の一族あれば問題となるが、相手が花街の何某か、ならば。


 彼女の言葉に、世話係の男性は頭を下げて退出する。

 この国の最高戦力、五英将の一人。フラム・ビスクローマは革製の枕を抱きかかえ、それを見送った。


 


 やがて世話係の男性が引き連れてきた女性とその従者を、フラムは立ち上がり迎え入れる。

 その従者の顔を見て、聞こえぬよう落胆の息を吐いたのをその場にいた全員が読み取っていた。

「ようこそ」

「お久しぶりです、フラム様。牝鹿娼館のガランテでございます」

「ええ。よく来てくれたわ」

 頭を下げたガランテに追従し、横に控えたハモルも頭を下げる。日光がちょうど、剃り上げた頭に反射した。

 イタズラっぽくフラムは笑う。その意図をガランテは読めなかったが。

「……それで、ガランテ? 今回のもすごく期待してたんだけれど」

「ええ。いつもお世話になっているフラム様に、贈り物を、と」


 ガランテはハモルに目で合図し、そしてそれを受けたハモルが小脇に抱えていた箱を差し出す。紫の布で包まれた大きな木箱を机の上に置き、布を解きにかかった。

「気に入っていただければよろしいのですが」

 そう口にしながらガランテが箱を開くと、そこには首飾りと腕輪、耳飾り、それぞれ金銀に宝石があしらわれた装飾品が詰まっていた。

 そのうちの一つ。金の鎖に大きな緑の宝石がはめ込まれた首飾りをガランテが手に取る。


 そして広げて示すと、フラムの鼻孔が微かに広がった。

「まあ」

「これだけ大きく、そして傷一つない宝石はなかなか手に入らないと自負しております」

 差し出すように腕を伸ばし、ガランテがフラムに首飾りを近づける。恭しくフラムが両の手でそれを受け取るとまじまじと見つめてから自らの首に提げた。

「……似合っているかしら?」

「ええ。もちろん」

 フラムの質問にガランテは即答する。実際に似合っているかどうかはどうでもよい。ただ、即座にそう答えることがご機嫌取りには重要だった。


「その他、赤電気石や瑪瑙なども揃えております。どれかお一つでもお気に召しましたら幸いです」

 そんな言葉を耳に入れる風もなく、フラムは受け取った宝石を指で弄ぶ。

 フラムの好意的な反応に、ガランテは内心胸をなで下ろした。

 この分ならば、彼女は満足している。ならばいい。否定的な感情さえ持たれなければ。

「宝石は綺麗で良いわ。すごく良いわ」

「ありがとうございます」

 ガランテは頭を下げる。

 出来ればここでご機嫌を取っておきたい。贔屓にしてもらえれば、今後自分の城は更に発展するだろう。

 だが、急いては事をし損じる。そこまで深追いは出来まい。

 故に、礼を述べるだけに留める。


 そうないことではあるが、失敗し、機嫌を損ねてしまえばその娼館は早晩潰れてしまう。

 経営が立ちゆかなくなるわけでもなく、摘発されるわけでもないのだが。


「それで、ガランテ? これだけなの?」

「いいえ。もちろん、他にもご用意しております。エッセンやストラリムの生地をふんだんに使った衣服や、家具。総覧はそちらの方(世話係)にお渡ししてありますので、どうぞ後でご覧くだされば」

「ふうん」

 チャリ、と金の鎖が鳴る。弄んでいた宝石が指で弾かれ、胸に当たり跳ねた。

 フラムの目が細くなる。

 その、ハモルを見つめる目つきに「ああ、やはり」とガランテは感づき、そして焦った。

 宣伝も兼ねた噂話。カラスが乗れば儲けものと思ったが、やはり余計なことだったか。


「それで、その、総覧にあの噂の子はいないの?」

「彼は奴隷身分ではございませんので……」

「そう」

 ふう、とフラムが溜め息をついて、椅子の背もたれに体重を預ける。

 不機嫌とは言わないまでも、明らかに気分を害した様子。そのフラムの反応に、内心ガランテは臍を噛んだ。

「会ってみたかったわぁ。美しい男の子ほど、心浮き立つものはないもの」

「申し訳ありません」

「それで、なら代わりにその従者さん? それは私に下さらないの?」

 見つめられて、ハモルはドキリと胸を震わせる。


 フラムが美しいというわけではない。彼女の容姿は平凡で、露出以外、取り立てて目を引くところもない。それよりも美しい女性ならばガランテの娼館にも揃っている。彼女らの方が美しく、そして若い。

 だが、そのフラムの瞳に怪しく宿る光に、少しだけ引力を感じた。


「こ、これは、私の娼館に必要な男でして……!」

 ガランテは焦る。

 フラムの好みは知っていた。美しく線の細い年若い少年、または未成熟な青年。そんな奴隷たちを贈り物に入れれば簡単に機嫌を取れることは知っていた。

 しかしハモルはその真逆の位置にいる。太って見える凹凸の少ない体に、愛嬌はあるが美しいともいえない顔だち。

 ここで話題に上ることもないと思っていたのに。

 

 カラスならば、自分で上手いこと切り抜けてくれるだろう。

 もし彼を連れてこられたら、自分は最大限彼を守るし、彼も自らを守るだけの力はある。それ故に、ただ覚えをよくするために連れてこようと思っていた。


 だが、ハモルは駄目だ。

 ガランテがいくら言い募ろうとも、フラムがその気ならば簡単に連れていかれるだろう。そして、連れていかれてしまえば、もう喋る彼と会うことは出来なくなるだろう。

 

 便利な従業員だ。

 その気の弱さから雑務を断りもせず引き受けるし、薄給でも文句は言わない。

 それでいて、最低限の仕事が出来るだけの腕はある。褒めればその気になり、叱ればきちんと反省する。

 得がたい人材だ。手放すには惜しい。



 ガランテは、ハモルの顔を見る。

 フラムの言葉に多少その気になったのだろう。その顔は緩み、目尻が下がっていた。

 馬鹿なことを。

 

 フラムの前と言うことがなければ、肘でつつく程度はしただろう。人目がなければ、煙管で打擲したかもしれない。

 だがその焦りに、ハモルよりも先にフラムが気がついた。

「冗談。私にも好みというものがありますからね」

 フラムの言葉に、ハモルの周囲の空気が目に見えて落ち込む。

 そんなハモルの様子は見ずに、フラムは窓の外を見つめた。

「でも本当にすごく残念……あのカラスが噂通りのいい男だったら、どれだけ良い素材が取れたかしら」


 ガランテの背筋が凍る。しかしハモルはその言葉の意味が上手く理解できず、ただ首を傾げた。

 素材? どういうことだろう。彼を使って、何をしようというのだろうか。

 腕の良い探索者だ。砂漠を簡単に踏破し、遺跡に足を踏み入れて単独で宝物を持ち帰る。

 並の探索者では、徒党を組んでも出来ない偉業。軍隊が列を成して行うそんな偉業を、単独で軽々とこなせる男だ。

 だが、それと外見は何も関係ない。

 確かに、美しいとハモルすら思っていた。だが、それがどうして……。


「お戯れを」

「美しいもので周囲を飾りたいと思うのは、誰しもが願うことじゃない?」

 言葉柔らかく咎めるガランテの言葉を、フラムは鼻で笑った。

「ちょうど、()()と同じくらいのものをもう一つ作りたかったの」

「これ?」

 口の中で小さく呟き、ハモルはフラムの示した枕を見る。

 体の前で抱えた枕は白っぽい茶色で覆われ、鞣された革の光沢が感じられた。


 枕、それを確認したハモルはまた首を傾げる。

 枕ならばいくらでも作ればいい。だが、話の流れからするとカラスに関わるものだ。

 何か特殊な素材で作られているのだろうか。倒すのが難しい魔物や、採取の難しい薬品を使うのか、それはわからないが。


 疑問が重なっていく。入手が難しい特殊な素材とて、彼女自身が動けばいいし、望めば大抵のものは手に入るだろう。

 何故、カラスが必要なのだろうか。五英将である彼女のわがままを止められる者は、この国にそうはいないのに。



 フラムが枕を撫でる。まるで母親が幼子を撫でるように。

 その仕草に違和感を覚えたハモルが、枕を凝視する。


 所々穴が空いているのはそういうものなのだろうか。大きな皮から作られていないのだろうか、縫い目がいくつも見え、仮に頭を乗せれば気になるような縫製で……。


 そして、気付く。

 気付き、そして声を上げそうになり、気付かない方がよかったと後悔した。



「すごく好みの子がいたから作ってみたけど、やっぱり手袋にでもすればよかったかしら。でもそうすると、個性が見えなくなるから嫌いなのよね」

 ぼやくように呟きながら、フラムが枕を撫で回す。


 その枕に浮かんでいたのは、人の顔。

 貼り付けられているのは、顔の、皮。



「!?」

 ハモルの体が無意識に後退る。その今フラムが持っている枕。その、素材とはまさか……。

 『好みの子』の行方は……!


「あらあら、どうされたの?」

 ハモルの顔色が変わったのを見て、フラムがクスクスと笑う。この趣味が、あまり人に理解されない趣味だということは知っている。そして人の顔色が変わるのを見るのは、彼女にとってわずかな楽しみだった。

「……いえ」

「…………フラム様の前だよ、静かにおし」

 ガランテが睨むようにし、ハモルを元気づける。だがハモルのその目には、恐怖からわずかに涙が浮かんでいた。


「まあいいわ。じゃ、ガランテ、貴方のお店に行けば、カラスさんには会えるかしら」

「いえ。彼はもうすぐエッセンに戻るそうなので……」

「そう。すごく残念」

 残念とは言いながらも、フラムの笑みは消えない。

 『別の国に行った』それ自体は、残念なことでも何でもなかった。この国には、そして彼女にとっては。


「……今度の戦争が待ち遠しいわねぇ……」

 フフ、とフラムが笑う。元々好きな戦争が、心底楽しみになった。

 ムジカルとエッセンは戦うだろう。それも、近いうちに。それがムジカル王周辺の常識だった。その時には、国力的に考えても五英将全員……といっても、四人しか出ないのだろうが、総力戦に近い形になるだろう。

 今は国属でないカラスも、その時にはエッセンの人間だ。戦うにせよ、戦わないにせよ。

 

 異国の人間。敵。ならば、収穫物に出来る。

 それが彼女らの常識だった。




 ガランテとハモルが帰った後、世話係から総覧を受け取ったフラムは軽く目を通す。

 中にはやはり奴隷などはなく、装飾品や布地ばかりだ。

 趣味が悪いとはいえないものの、やはりつまらない。まあ、装飾品の質はかなりいいようなので、それで我慢をしよう。そう考えた。


「全部、私の宝物庫に入れておいてくれるかしら」

「かしこまりました」

 

 戦場ではあまり着飾ることは出来ない。だが、次にどれを身につけていこうか、あとで宝物庫で色々と見てみよう。


 そんなことを考えていたフラムが、総覧の一つに目を留める。

 そしてそれが先ほどの緑色の宝石の入っていた箱に入っていることを知り、もう一度箱を開いた。


 溜め息をつきながら、それを探る。

 そして見つけた。薄く、それでいて重たい。赤と緑の宝石で彩られた玉の鏡。

 

 その輝く鏡の面を目に入れぬよう、フラムはそっと取り出した。


「でもごめんなさい。これは入れなくていいわ」


 そして、床へと放る。固い音とともに宝石と玉が欠け、鏡が外れた。

 踵の厚い靴が、それを踏み砕く。


 水銀が漏れ、床を汚す。

 フラムが魔力を通すと、じわじわと乾くように水銀が変質していった。



「……フラム様……?」

 呆気にとられていた世話係の男性が、一歩歩み寄る。

 だが、そのフラムの顔を見て足が止まった。


「私、鏡嫌いなのよね」


 横顔からは表情は窺い知れないが、おそらくは満面の笑み。だが何故か背筋が凍る。

 

「片付けておいてくださる?」

「か、かしこまりました」

 その態度に何も言えず、とりあえず欠片を拾い上げようと世話係がしゃがみ込む。



 破片に触れた世話係の手が一瞬止まる。指先に感じた冷たさ。この暑い国にもかかわらず。

 そして黒く変色を始めた自らの指先に恐れを感じながらも、その手は再び動き始めた。

 

 これはどういうことだろうか。

 何故自らの身に今災難が降りかかっているのか。まったくわからなかった。


 しかし、彼女に抗議することは許されていない。


 やがて、手首から先が壊死を始めた頃、世話係は部屋を出る。

 理由はわからないが、不機嫌となった五英将。その側仕えをしたにもかかわらず命が助かったという安堵から、しばらくの間涙が止まらなかった。





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畜生すぎる… 石ころ屋さんここです
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